●佐々木 大変幅広く問題提起をいただいて、私としてのナレッジマネジメントに対するナレッジイメージメントという話が出たり、あるいはクラブ財として、都市をもっと小さくして考えてみるという話も大変おもしろいと思っています。とりあえずもう一度、山口さんに話を戻しまして、今のテーマはあとでもう一度フロアの方とやり取りしたいと思います。先程からのご紹介の中に、東京都で初めて芸術系NPOの「芸術振興市民の会」というものを作られて、ご活躍の分野があるのですが、こういうアーティストを支援する人々と、アーティストと、それから都市ですが、この関係というのは、どのようにしていったらいいのだろうかということです。とりあえずその中で一番幸福な関係というか、あるいは不幸なあり方はこうだとか、いくつかありましたら少しお願いしたいと思います。

●山口 私が理事をしているNPO「芸術振興市民の会」というのは、丸の内とか赤坂あたりの外資系のビジネスマン、ビジネスウーマンおよそ20人と作った組織で、6年前から活動しています。芸術全般 ということになっているので、私のフィールドは現代アートですが、音楽や演劇、栄が大好きな人たちとか、いろいろな芸術を愛する方がいます。どうして行動するようになったかと言いますと、基本的にそのメンバーは帰国子女あるいは海外勤務経験者なのです。アメリカの大学を出ているとか、長い間ご両親の関係で住んでいたなどということがあって、海外では普通 にあったことが、どうして日本にはないのだろうかという疑問を持った仲間なのです。集まって数年間は、いろいろな問題をディスカッションしていたのですが、「ディスカッションはもう嫌だ。その先の行動を起こそう。」ということになりました。いろいろなアイデアが出たのです。その中で、東京にはオーケストラが5つあるのですが、その当時一番貧乏だった新日フィルを応援しようということになったのです。たまたまメンバーの一人が、賛助会員として20年間も新日フィルを応援していたにもかかわらず、ただの一度も楽団員との接点がなかったという話が出たからです。それで私たちは、面 倒くさそうだったし、まず私達の組織を不審がっていた事務局を説得して、当時まだJR大井町の駅近くの稽古場へ押し掛けて、ワインなどいろいろ簡単なものを持って、楽団の皆さんと最初のオープンリハーサル兼パーティーを実現しました。そのことは事務局側にとっては厄介な仕事を増やすだけで、迷惑そうだったのですが、私たちはくじけず、むしろそのとき芸術監督になっていたボストン在住の小沢征爾さんを説き伏せました。小沢さんは非常に驚いて「20年も賛助活動をしてくださった方々に一度も交流がないということは何事か。」ということになって、すぐ行動してくださって、初めて日本全国から、企業の方たちも含めての賛助会員向けのオープンリハーサルとパーティーが行われたのです。そのような活動をすでに3回行って、ようやく事務局の方たちも、楽団員の皆様の志気も上がりました。賛助するということでの自分がシェアしている気持ちもより強くなりましたし、コンサートに行った帰りに、楽団員の人たちと一緒に交流もできるというようなことで、とても関係が良くなりました。今は、ご存じのように、新日フィルはすみだトリフォニーホールがあり、東京で今一番恵まれたオーケストラになっています。
 話は飛びますが、人とアーティストと都市ということを考えた場合に、先程、松岡先生がおっしゃいました、スケールの話を思い出しました。例えばドイツ・ミュンスターの野外彫刻展というものがありますが、それは、散歩がてらの徒歩か、あるいは自転車で作品を見て回るようになっています。金沢ぐらいの大きさだったら実現可能なのですが、東京、及び東京近郊ではまず無理です。ミュンスターは、第二次大戦で大爆撃にあい、ぼろぼろになってしまった街をもう一度修復・復元した街で、街の周りに円状の遊歩道があります。それでそういう場所の個性を生かして、ディレクターが企画したのです。おそらく、いろいろな地形とか、街の歴史や特性というものが、アーティストを触発するということがあります。例えば金沢の場合は、男川、女川というのですか、2つの川があるということとか、それから街の中央にお城の跡があるということで、非常に触発されるアーティストがいると思います。それは別 に物でなくても、発想でもいいと思います。そういうものを集めたりすると、とても面 白いことができるのではないかという気がします。
 今は、例えば箱を作って何かをするとか、画用紙があるから絵を描けとか、キャンパスがあるから描けとかということではなくて、まったく逆の、アーティストがやりたい空間を見つけて、ここでやらなければならないとか、そういうことが今後の潮流になるかもしれないな、と、私は予感しています。今までは用意された展示だったけれども、アーティスト側の方が選んで、やりたいことをやる、ということに進んでいくのではないかと思っています。

●佐々木 今の話はとてもおもしろいです。トリフォニーホールに行ったことがことがあります。なぜかと言いますと、墨田区というのは、東京の中で一番江戸の職人が残っているところなのです。例えば足袋、千社札、市松抱き人形などいっぱい職人が残っています。そこにトリフォニーホールというものができて、そのホールに準フランチャイズのかたちで新日フィルが入ったのです。最初はすごくミスマッチなのです。クラシックなど聞いたことのない職人さんたちは困ってしまうのです。だけどトリフォニーホールのすぐそばの食堂のオヤジさんたちは、団員たちが毎日食べにくるわけですから、団員たちと顔をあわせる。今まで東京のオーケストラの状態は、練習会場はない、あちらこちら動き回っていて、演奏する会場もいつも違うわけです。 ところがオーケストラが住む会場ができたから、そこで食事もでき、町の人たちと関係ができると、職人の文化と近くなってくるのです。それが墨田がおもしろい場所に変わろうとしているということです。これは先程茶室の話が出ましたが、そういった町の近さ、何となくそういう都市という漠然とした空間の中にいくつか、それに非常に近いある種固有の価値などがわかりあえる関係、これは1つのクラブ財なのです。つまり大量 生産されたものや、大量生産の消費ということではなくて、特定の価値のあるものを作り出す職人あるいはアーティストと、それを受ける市民あるいは消費者の関係が、もっと近くなってくるという場ができてくると、質の良いものを生み出す都市、あるいは質の良い財を消費する、つまり違いのわかる消費者というか、文化的消費者になるということです。そういう関係がうまく都市の中でできてくると、私はそのときは創造都市に近づくのではないかなと思います。

●松岡 近いだけではなくて、遠いのもいい。それから今地球に優しい関係がいいと言うけれども、私は反対で、怖い自然ももっと見せないとだめだと思うのです。都市も同じで、近さ、おもしろさ、職人が寄ってくるのと、それからその辺にいるのに、この職人はどうしても会えないというくらい遠いというか、奥まっているというか、やはりそういう凹凸 が足りないように思います。ギャラリーなども同じようになってきたり、ミュージアムが快適になりすぎています。先程のように改造したものというのは、東京や日本にはまだ少ないです。
 例えばパリの、最近アンジェのあたりに洞窟のギャラリーができはじめて、寒くて仕方がないのです。こういうところに来てやるかという感じがあるのですが、そこにあるものが、寒さの中で見るから違うわけです。それから死海写 本という有名な、イエスは実は前のクムラン集団にいたのだということを明かしている、20世紀最大の発見だといわれている写 本があります。あれのためのミュージアムが、エルサレムの近くにありますが、たった1冊のためのミュージアムなのに、ここの5倍ぐらいのスケールの建物が地上にあって、スパイラルで下に降りていって、1冊に出会うというものです。それなんていい加減にしろよという感じなのですが、だけど何か近くて遠いという価値観を、空間や設計で表す方法はあるのだろうと思います。そういうことがもう少しほしい。

●佐々木 今も出たように、私はボローニャに1年留学したとき、あちらこちらの美術館を見ました。99年のベネチア・ビエンナーレは造船所を使って行いました。ローマでは、ペローニというビール工場が閉鎖した跡を現代美術のセンターにしました。しかし今回、金沢の場合は、ある意味では全部平らにして、新しい美術館を作ってしまうわけですが、そこら辺ももう少し何とかならなかったかなという思いもあります。どうせ作るのなら、それは先程でた金沢の話ではないですが、かつて利休が作ったような空間的なものが、その中にあるとおもしろいかなと思います。会場に現代美術館で学芸員をされている黒沢さんが来ていらっしゃいますが、何かご意見がありましたらお願いします。

●黒沢 まずシンプルなことから考えてみたいのですが、美術館のようなものが新しくできて、いろいろなことが多分起こるでしょう。やはりこれまで見たこともなかったなにがしか、それは多くの場合作品であったり、パフォーマンスであったり、あるいは音楽のコンサートであったりするわけですが、そのようなものがそこに現れるわけです。それが全く見たこともなかったものかと言うと、それはそうでもないかもしれません。過去に見た何かよく似ているものかもしれませんが、やはり新しく初めて眺めて見るというものが、いつでもそこの場所には起こるという、そういう出来事が発生する場所になるわけです。
 それで現代美術について言うと、目の前の人と話をしながら、本当にこの人はそう思っているのだろうか、よくわからないと思うのは、「現代美術というものがよくわからない」という言葉なのです。よくわからないとこの人は本当に思っていて、よくわからないと言っているのだろうかと思うのです。現代美術が決してわかりやすいものだとは言いません。ただ、例えば映画を見るときに、私たちはわかりやすいとか、わからないとかいうような言葉では、語らないです。新作ものが出ると、こぞって見に行ったりするわけです。みんなで、あれを見た、これを見たとか、そういう話題はそれぞれの仲間内で出てくるだろうと思います。若い人の間でもそうだと思います。今度見ようと思っていたのに見損なったり、見るか見ないかはともかくとして、そういう話が出てくるのです。それはやはり過去に見た名作をもう一度見てみようということとは、また違った気持ちで、何か新しいものが出てきたぞと単純におもしろがって見に行くわけです。そのような感覚のものが、どれくらい町の中にたくさんあるのでしょうか。それはシンプルに町のおもしろ、そこに住む人にとっても、そこにやって来る人にとっても、その町のおもしろであろうかと思うのです。
 1つには、新しい美術館は当然のことながら、そういう場所になるだろうとは想像しています。それから今の松岡さんの話の中で、洞窟のギャラリー、同じ話ではないのですが、かこつけて話しますと、私は金沢というところに来て、まだ1年半プラスアルファぐらいしかたっていません。最初の美術館の構想を伺って、これからの美術館の中でどういうものがその中にあったらいいだろうかと、いろいろなイメージを部局内で、仲間内の学芸員も含めて話をするわけです。そのときに、あるアーティストが提案したことがありまして、これは全くバーチャルなものとして聞いてください。美術館に洞窟を作ればいいではないか、正確にいうと鍾乳洞を美術館の地下に作るというアイディアが、あるアーティストの相談の中で出てきたことで、それは非常におもしろいイメージなのです。具体的には、全くのホワイトの大理石による完全に人工的な鍾乳洞、鍾乳洞というのは、本当は何十万年とか何億年とかかけてできるわけです。それを人が作った巨大な彫刻として美術館の地下に納めてしまえばいいではないか、収蔵庫より価値あるものになるという、これは本当に夢物語なのです。  そういったものをもし持ったとしたら、20世紀の末から21世紀の頭にかけての金沢市は、本当に実に変なことをしたものだと思うでしょう。例えば100年たって、200年たって、のちの人たちがそれを名物として見に来るような美術館になるのではないかと思います。たったそれだけの理由で、その巨大な人工の鍾乳洞、真っ白の大理石の非常に美しいものを見るために、世界から人が来てくれるかもしれないということを考えたこともあります。残念なことには、それは全くの保留状態です。経理的な、あるいは元々計画がなかったのか、難しいと思っています。
 それと同時に、その話をしたイメージとつながるものが、実は兼六園の中にあります。日本最古の噴水というものがあります。あれがやはり実に気の利いたものだなと思えるのです。というのは、あの噴水は、高さはそれほど高くないのです。何キロも先から水をひいてきているのです。当然水面 の落差が作る水圧で噴水を作るわけですから、考えた人が、もっと巨大で、人を驚かすようなものにしたければ、もっと低い位 置に噴水を持ってくれば、もっともっと巨大な噴水になったはずです。それを人の背丈ほどの噴水に押さえて、つまり何キロも先から水を引っ張って来て、人の高さに押さえておくという、実に気の利いた美学がそこにあるのです。しかしそれと照らし合わせて、美術館の奥、つまり地下ですから、外から全く見えなくて、中に入っても実にシンプルに鍾乳洞に過ぎない巨大な彫刻というイメージを重ねながら、新しい金沢の美術館の展開は、どうやったらいいのだろうと、そういう議論をしたことがあったのです。その辺のところまで話をしていて、実現するしないは話は別 なのですが、こういった場所の作り方、何かそういった見えないところの奥に、また宝物を持っていくということも1つの創造的な都市のあり方かなという例え話です。

●佐々木 今のように、新しい美術館を私たちは都心に作るわけです。それで都市というものは、先程松岡さんの話を敷衍していえば、その都市にある最も重要な概念といいますか、大事にしているものが、そこに凝縮されて反映しているといいますか、そういう空間になって、それでまた人々が集うことによって、お互いが都市のアイデンティティを確認できるというか、そういう場所だろうと思います。それでおそらくそれは兼六園の徽軫灯籠が、そういう役割を果 たしていたのかもしれません。今度はそれが数百年たっても、徽軫灯籠ではまずいし、それから新しい城が復活するかどうかわかりませんが、それでもない。そういう21世紀の今の時点で、将来の金沢に残す価値、ないしはシンボルというものが、今度の美術館という中に、どのように具体化されるか、それに私は大変関心を持っているわけです。米井さんの立場からしたら、この金沢の都心ということについて、どのようにお考えなのでしょうか。

●米井 以前に中央公園をつぶしてバスターミナルを作ろうという話があり、これはなくなりましたが、そういう話が流れたときに、私が理事長でしたから、某先輩からあなたはあらゆる手を使ってその案はつぶせと言われました。あの場所は普段はホームレスがいたり、芝生も生えていないところがあったり、季節的にずいぶん違いがありますし、最近はイベントばかりよく行っているのですが、やはりあそこは大事ではないかという話をするわけです。ではあそこに何を作ろうかという話になりますと、何を作ればいいかなという話も出てこないのです。やはりあそこは、いろいろな人が集まってきて、いろいろな知恵なり、英知なりということが、そこで出てくればいいという話なのですが、何か思い浮かぶのは、昔ここでこれがあったな、あれがあったなという記憶のようなものです。ではこれからというと、特に出てこないのですが、やはりとにかくあそこは残しておきたいなような、シンボル的な、何もないシンボルといいますか、そういうことを感じるわけです。
 また話は少し違いますが、町の中でずいぶん見過ごしているものがたくさんあります。普通 に営業しているお店や商店なのです。先月、ジャズ歌手のケイコ・リーさんが金沢に来たときにご一緒しまして、その方は15〜16年前に、金沢に1年ほど住んでいたという話をしていました。夜になって、あそこへ連れて行け、ここに連れて行けという話で、何軒か連れて行ったのですが、私の知っている店がほとんどなかったのです。その方の体験なり何なりということがあったのでしょうが、要するにいろいろな経験を通 じて、いろいろなものをやはり吸収してよかったのかなということを考えます。他の方も聞きますが、私たちはあまり行かないのですが、何かたまに来ると、行きたがる店というものがずいぶんあるみたいです。何かそういうように考えてみますと、たまたまケイコ・リーさんを連れて行ったのは、木倉町であったり、新天地の近くであったりして、いわば少しうさんくさそうなところではあるのですが、でも何かそういうところに、光を当てる必要はないでしょうか。私たちはあまり気が付いていないということがあるのかなということで、町の中ですから、非常に紛れやすいところもあるので、もう一度そういうところを意識してみると、金沢というものも、もう少し見直すこともできるかなと、私は個人的には少し感じているのです。

●佐々木 例えば来年の第1回の創造都市シンポジウムですが、どのようなヨーロッパの都市、アメリカの都市、あるいはアジアでもいいのですが、そういうものがふさわしいだろうか、それは松岡さんから見られたら、なぜそうなのかというところを少しお願いします。

●松岡 どういった町でもいいと思います。むしろだれが見るかによって町は変わるし、永井荷風が見たロンドンとフランスと、漱石が見たものと、鴎外が見たものとでは全然違うのですから、やはり人の話は信用できません。そうではなくて、本当に住んでいる人が、本当に語れる力を持っている人を呼ぶべきだと思います。それは田舎町でもいいし、別 にアートがなくてもいいと思います。
 一方で都市を語る力というものが落ちているのは、その都市の中にひだのように織り込まれている、ひだの中のものを取る力が見えなくなっているせいだと思います。それは、必ずしも金沢だけがどうこうではなくて、日本人の全体がそういう病にかかりつつあると思うのです。何の例でもいいのですが、例えば俳句の季語のような例でいえば、「夜寒」というような季語は、だんだん死語になっているわけです。
 例えば「立ち読みの背なに感じる夜寒かな」という虚子の句がありますが、ガラス戸で立ち読みをしていると、この辺からすっと、もちろん読んでいる本もおもしろいからついつい立ち読みをしているのでしょうが、夜気が忍び寄って自分の背中まで上がってきているというような句だと思います。例えば我々の中のインジケーターが、1つ、2つ、3つと消えていっていると、非常に具体的な都市ではなくて、理念的な都市を語る以外なくなっていくわけです。しかし、私は創造都市会議にだれを呼ぶということであれば、本当に語り部として、町や村でもいいと思いますが、土地の、あるいは現象のディテール、ひだの中を引きずり出してくるような語りを聞いた方が金沢のヒントになると思います。 トラベラーを呼ぶといいと思います。特に文化をまたいだトラベラーは、学者よりも優秀です。私もトラベラーの方を案内して、ほとんど彼らの質問がすごいといつも感じます。例えば東京で一番アグリな(醜い)ところに連れて行ってくださいと言うのです。これは困ったなと思って、アグリかどうかわからないけれども、一番ごちゃごちゃしたところに連れて行くということで、新宿と歌舞伎町に連れて行きましたが、この程度はアグリではない、中途半端だ、変に飾っていてだめだと言うのです。その一方で、このトラベラーは日本語を読めない人なので、これは何と書いてありますかと聞くわけです。これは「白線の中にいてください」と書いてある、これは左側通 行、これは左側通行だけれども、右側は登りで、こちら側は降りると書いてある。そういうふうに、ずっと新宿の駅から町に出て歌舞伎町に至るまで、ずっとそういう告知があるわけです。そこでこのトラベラーは「日本人はすべての注意をプレートに書かないとわからないのか」と呆れる。だけど私は、新宿の町をそういうように何を警告して、町が作られているかという張り紙の方から読んだことがないのです。そういうことからも、トラベラーの方が解読力がすごいのではないでしょうか。

●佐々木 では世界を股に掛けただトラベラーを1人お呼びすることがいいかもしれません。私たちは、本格的に来年から金沢総合都市会議というものを立ち上げたいというわけで、今回練習としてはこれが最後のものになるわけです。そのときに金沢を舞台にして世界の都市のあり方を考えたいという、少し欲張った設営にしてあります。当然金沢の将来、金沢の活性化ということも考えているのですが、それだけではおもしろくないだろうと、つまり金沢を深く掘ることによって、世界の都市の将来の姿に何か貢献できることがあれば、そういうかたちで普遍的に、つまりローカルとグローバル両方にらみたいと、こういう欲張ったやり方をしています。
 そのうえで、それこそ先程ありましたように、世界の都市を渡り歩いたトラベラーなり、そのような学者でもいいのですが、そういう何人かの刺激的な問題提起をしていただける、あるいは私たちと十分深めて議論できるという人を、あるいは都市をということを片方で考えていまして、もちろん金沢だけの取り組みも行いますが、同時にそういう大きな会議を出発点にあたって考えたいと思っていますので、ぜひ良い知恵があったら、またそれについてお聞かせいただけたら、ありがたいなと思います。
金沢ラウンド誕生について
パネリストプロフィール
モデレータープロフィール
開会あいさつ
福光松太郎

プレゼンテーション
 水野一郎
 伊藤光男
 竹村真一
 米沢 寛
 金森千榮子
 市村次夫
 川勝平太
 小林忠雄
 大内 浩
 松岡正剛
 山口裕美  
 米井裕一
 佐々木雅幸
●セッション1
都心で実験してみたいこと
●セッション2
これから議論すべきテーマは何か
●セッション3
創造都市とは何か
 
全体会議のまとめ
委員長総括
実行準備委員会