全体会議
   

 

  
(米沢) 関連してですけれども、昨年の金沢学会で最後の宣言文に「町衆の心意気」ということで時間を使えば金も出せというところがあって(笑)、それが今回の創造都市会議で小原さんや立川さんなどが面白がってペイしているという、その辺の部分が大事ではないかと思っています。今の大野の話も、面白がっている人が最近面白くなくなったから続かなくなって、小原さんの話を聞いていると、面白がっていて、次の面白さに行くときには、今面白がっている人に後を任せていくということです。
 金沢はまちづくりには後継者が育っていないというか、私たちの取り組み方が悪かったのかなと思います。そういう意味では今までのまちづくりのイベントというのは、私も青年会議所出身ですが、青年会議所、経済同友会、商工会議所、県、市のJVで何でもやってきました。そろそろそんな話ではないのかなということで、いいヒントを頂いたと思うのです。事業、イベントごとにファンドを作って、行って、うまくいけば利益配分するという話ならば、ひょっとして新しい展開の面白い試みができるのかなと思います。
 そのファンドの仕組みについては、これからその秘密を、時間をかけて、習おうと思っています。

(大内) 私は若い人というよりも、今は東京でもそういう議論をしているのですが、一番パワフルなのがやはり団塊の世代だという議論を堺屋太一さんなどはさんざんされています。まもなくリタイアする団塊の世代はいろいろなことを考えています。お金もそこそこ持っていますので、彼らが金も出すし、自ら面白がって何かをやってしまおうというところにうまく仕組みを乗っけるというのが、それでも15〜20年ぐらいのパワーと成りうるかもしれません。どなたか? 水野先生どうぞ。

(水野) 団塊の世代の人たちで私の知っているグループは、例えば丸ビルのサラリーマンたちで「金沢のお菓子」というテーマで1ヶ月間一生懸命議論したり、「金沢の酒」というのでやっているのです。彼らは定年退職後、そういうのを楽しみに金沢に10泊ぐらいしてしまうのではないかと思うのです。そういう時代が来ていると理解していった場合に、ここが本当に本物を出せるかという、その勝負があると思うのです。
 都市遺産の分野に私の分野でいうと建築もあるし、都市構造もあります。あるいは工芸や文芸もある、味もあるでしょうし、お茶、お花など、そういうのもあります。そういったいろいろな分野が今そろっているわけですが、その分野の本当のものを求めて、どこに行ったらいいか団塊の世代は迷っていると思いますね。彼らを引っ張ってくるというのはなかなか面白いと思います。それは、こちらが自分たちが本当にいいと思ってやっているかどうかにかかっているのです。
 結局、昨日も出たのですが、都市遺産というのは人間に残っている人間遺産のようなところにいってしまうのです。しかし、そう言ってしまうと、「では、何したらいいんだ」という具体的な話はなかなか難しいのですが。いろいろなところでいろいろな試みをやっていく、先ほど「美」の話も出ましたし、それから「知」の話もあってもいいと思います。そういうことを議論していくことは非常にいいのではないかと思っています。
 そのときに、先ほどから町衆の話も出ましたが、私はよそから来ていますからあれですが、金沢の場合はだんな衆というのが一応しっかりしていると思います。私が来た途端に知ったのが、用水の保存運動を経済同友会がやっていることとか、それから、私は日本生命と大同生命の保存運動をやったのですが、そのときに応援してくれたのが、やはり経済同友会の人たちでした。例えば東の茶屋街が今あるのは、福光さんをはじめとした若い青年会議所の人たちが、あそこがバブルの時に買い取られそうになったのを自分たちが買って阻止した。それが今、力になっています。あれは行政で作った町ではなくて、そういう意味でいうとだんな衆たちが守ってきた町だろうと思います。そういう意味で、この会議もそうですが、だんな衆たちに力はあると思っていますので、さらなる活動を進めていくことを期待したいです。
 それに比べて、大学はいっぱいあるのですが、本当に大学はだらしないなと思っています。具体的な話をしますと、アングルベールさんの保存修復の話ですが、日本の大学の建築学科に「修復コース」というのはほとんどないのです。ゼロに近いです。しかし、ヨーロッパの大学に行くと、必ず「修復コース」というのがあって、修復の先生がいて、生徒がいてということがワンセットそろっているのです。それを日本は全然持ってきません。戦後の作ることだけを考えてきたということがあると思います。
 それから、私は江戸の前期、中期、後期など、いろいろな建物の文化財保護審議会委員もしていますので、見て回ったり、ひがし茶屋街や金沢市民芸術村で古い建物に携わっていると、戦前までは日本人の市民力ではないですが、建築を作る力というのは随分高かったと思います。きれいなプロポーション、風の通し方、光の入れ方、そういうのが非常に上手です。それからフレキシブルな部屋の使い方を含めて、どうしてこんなきれいなことをみんなできたのだろうと思うことがいっぱいあります。
 ところが戦後になって、建築家などという専門家がばっこするようになって、「おまえら黙ってろ」という形でだんだん市民力が落ちてくるという状況が出てきたと思うのです。だから、都市遺産をもう1回見直すということは、我々自身をもう1回見直すことになってくるというのが今の実感です。

(大内) 水野先生の反省の弁を聞いていますが、まず金沢工業大学のプログラムの半分以上を保存・修復のプログラムに変えるとか、あるいは、今のお話で、昔は「出入りの大工」という言い方がありますが、出入りの大工さんと一緒になって普請道楽をするというのが、ある意味で男粋というか、特にご商売をやられた方たちというのは、最後の道楽というか、最高の道楽であった時代があったわけです。今、建築を勉強している学生に普請道楽なんて言葉自身も通じなかったりするという寂しい状況なのです。
 これはアングルベール先生にお伺いしたいのですが、ヨーロッパは、実は建築家の仕事の半分以上が保存・修復という仕事ではないかと理解しているのですけれども、実際にリェージュ大学やヨーロッパの大学の保存・修復のウエートというのはどうなっているのか教えてください。

(アングルベール) 先ほど水野先生がおっしゃっていた、日本の大学では修復部門というのが建築学科の中に併設されていないということについてお答えしますが、やはりベルギーの大学では、すごく重要なカテゴリーとして建築の教育と一緒に修復に関する知識というものは教えられ、学生はそれを学ぶことができます。また、実際の職業、実務に関してですが、やはり半分近くが修復・保存活動にも向けられていまして、多分に専門的な知識が必要ですので、やはり修復・保存に特化された建築家というのもいらっしゃいますが、両方行うかたもいるということです。
 また、冒頭にもありましたが、リェージュではヨーロッパの中で決して大きな町ということではないのですが、多様な修復・保存活動が行われています。ぜひ今回、こういうふうに集まっていただいたかたがたもリェージュにいらして、こういう情報について学んでいただきたいと思います。
 ここ昨今、ペ・ドューという昨日お話した修道院を改築したところで保存技術を伝えていくような活動が行われていまして、またベルギーではワロン地方ではなく、北部にあるフランドル地方でも同様の取り組みが一つの施設で成されています。そのような視察をされることもぜひとも期待していますので、よろしくお願いします。
 今日ご参加の皆様のうちの何人か、興味がある方はぜひともリェージュへいらっしゃって、こうした活動に参加してください。米沢さんがさっきおっしゃっていたように、まず楽しんで、そして面白いソフトを作っていくということで、リェージュにも昨日お話ししました企画がありますので、ぜひともいらっしゃったらご参加ください。

(大内) ありがとうございます。実際に現在、建築を見て歩くというツーリズムがあって、もう少し前はオルターナティブ・ツーリズムの一つだという言い方をしていますが、もはやオルターナティブではなくなりつつあって、メジャーなツーリズムがまさに建築を見ていくという、そういう関心に移りつつあるのです。
 ヨーロッパの先ほど挙がったボローニャであったり、バルセロナであったり、リェージュであったり、ブルージュであったりという所が、どれほどの観光客が何をしに来ているか。確かにおいしいものを食べるとか、あるいはいわゆる古いタイプの名所・旧跡を訪ねるということも実はあるのですが、それではもはや飽き足らなくなって、中には実際に保存・修復の仕事を少しやってみるという、現実にれんがを積んでみる、修復のお手伝いをしてみるという体験型のツアーすら、最近は組まれているという話を私も聞いています。
 それはごく普通の一般の方たちですが、そういう方たちが興味を持って、長い時間そこにおられるということがあって、私はそういう意味では金沢はものすごいポテンシャルを持っていると思います。昨日から議論している金沢のさまざまな遺産をそういう人たちが訪ねて、そして再発見し、金沢の人たちが気づいてないようなことまでも評価される。不用意に盗まれないようにしなければいけないというのは気をつけないといけないと思いますが、ほかからの人たちによって再発見されるということも多分多いと思いますので、そんな仕掛けも何か考えたらいいような時が来ていると思います。はい、どうぞ。

(福光) 今の大内先生の話と少しずれるかもしれませんし、うまく表現できるかどうかですが、この半年ぐらい、この都市遺産の価値創造というテーマを担当・企画者で考えついてからいろいろ思うことが多いわけですが、一つはっきり議論をすべきことがあるのは、木造文化であるということを、どう考えておくかということはちゃんとしておかないといけないということです。石の建設文化ではないので、江戸時代のもので木造的なものは、お城でもあの状況です。さっきの大手門すら図面もないと。ただ、木造というのは基本的には伊勢神宮のように自分が再生していくという。みんなで修繕して、ひがし茶屋街を水野先生と一緒と直したときも再生をさせるという、何%か忘れましたが、80%ぐらいのもともとの部材をきれいに洗って、もう一回使っているというようなことをしております。
 だから、再生していっているものというのは、新しいのか古いのかという概念ですね。どちらでもないような気もします。生きているという感じです。ヨーロッパのように石の建築の場合は、昔に建てられたものはそのままずっと残ってしまいます。だから、今のように修復や利用だというのはけっこうはっきり分かってしまうのですが、和風の木造文化の場合は、昨日の武家屋敷でもほとんどのうちは実際に住んでおられるわけでして、住みながらああいう文化財をどうしていくかということがあります。逆に言うと、木造だったら住めるというメリットがあるのかもしれません。
 そんなことを含めて、この金沢で言う都市遺産というのは、構築物だけではなくて、石ではなくて木造であるということ、それから、近代遺産ということではなくて江戸からの遺産であるということ、それからハードウエアというか、目に見えるもの以外に「美」とか「知」とか「芸」というものがあるということ。ここをどう考えるかということは、とても大事なことだと思うのです。多分京都もそうかもしれません。
 つまり、「美」とか「知」とか「芸」、あるいはこれを別の言い方で言うと、「もてなし」とか「ふるまい」とか「しつらえ」とかいう感じ、そのようなものが果たしてちゃんとなっているのでしょうか。これらこそ、今、修復や見直しが必要でないでしょうか。それがちゃんとできているのであったら、立川さんのご指摘のように、「あの照明はないよ」というのは、すぐに分かるはずです(笑)。
 私も入った途端にわーわー言って、あそこは昨日は仮設だったという(笑)、本当はまだ使えないところを使っているというハンディーがあったので、彼には悪かったけれど、私はそれを知らずに行ったので、当然これは明るすぎるという話になるのですけれども、音楽も実際に変でした。
 実はこういう会議のときにいつもしゃべっているので、お茶屋の人に嫌われているのですが、今の「ひがし」でも「にし」でも、お茶屋に上がりますと、しつらえのところで引っ掛かってしまうわけです。照明と、音楽は自分で弾くので普通はBGMはありませんからそれでいいのですが、要するに「和」である文化体系というのはどこかで崩れているわけです。20世紀の蛍光灯で冒されているとか、どこかで修復したけれども、そういう思いでは照明は修復されていません。町の夜景のほうは、ポールではなくて低いとか、ちゃんとした概念が今入ろうとしていて、家の中のほうが遅れているという感じになっています。
 さっき水野一郎さんがおっしゃったように、団塊の世代が金沢にそういうものを求めて10日間遊びに来た時に、そういうのをちゃんとチェックしておかないと「何だ」という話になってしまいます。今、私が「直さなきゃだめじゃない」と言っていること自体がすごく金沢の都市遺産なのです。和風であること、そのものが都市遺産だと思うのです。このことをどういうふうにきちんとしていくか。ただ、和風だからといって、必ず清算しなければいけないという話でもないです。
 実は金沢がファッション産業都市宣言をしました。市長は今日公務でどうしても来られなくて、全国市長会の会長もしておられて忙しいのですが、市長の思い入れの中に、こういう話を一緒にしていますと、必ずしもファッションというのは「洋」だけでとらえているのではなく、「和」というものが金沢のテーマだということも非常によくお分かりなのです。
 今のように「和」のものをもう1回きちんと見直すことによって、新しい世界に訴えられるファッションというか、産業というか、そういうものもできるのではないかという目線もすごく大事なことになってきていまして、これこそ金沢が日本の中ですべきことではないかということを思っているのです。
 したがって、都市遺産というものを構築物のようなものだけではなくて、金沢のものなら、独特なとらえ方をした方が金沢らしい部分がはっきりして、それらのためにどういう人を作るか、どんなことが目利きなのか、そんなものが学べると思うのです。勉強しないと学べません。長唄を歌おうと思ったら、やはりお稽古しなければだめです。「稽古」という概念が金沢には必要であって、みんなで稽古をするということが、金沢の都市遺産をより財産化して価値を見いだしていくことの一つではないでしょうか。
 したがって、小原さんに来ていただいて何かパフォーマンスをするときも、大きな稽古になっているようにするにはどうしたらいいかというのが一つのスキームでないかと、少しそういうことを思っております。

(大内) だいぶ核心に入ってきたのですが、金沢らしさというのも、あまり安直に金沢らしさという話になってしまうと、非常に安っぽいものになるので、本物でなければいけない、本物を提供できるか、本物であるということにどうこだわっていくかということが大きなテーマではないかと思います。
 今日は行政の方、お二方、行政のお立場ということを離れていただいたほうが、武村局長はシニアだし、菊川さんはジュニアだし、それぞれのお立場でいいと思うのですけれども、行政の立場ということではなく、今までの議論をお聞きいただいて、どうしたらいいかということに何かご意見があったら、ぜひお伺いしたいのです。

(武村) 議長から最初に提案があった「市民力」という部分で、少し思ったことを述べたいと思います。私は文化を支えるのはまさに市民だと。それから先ほど来、お話で出ております町衆であったり、地域の方であったり、多様なセクターが文化を支えていくと思っておりまして、その中で二つばかりの視点でちょっとお話をさせていただきます。
 一つは地域のコミュニティーという力が地域文化を支えるうえで、非常に大きな役割を果たすのではなかろうかと思います。先ほど佐々木先生からお話がありましたように、議論をし尽くすという観点も非常に大事です。例えば、先ほど発表もあったと思いますが、大手門の中町通りの整備の在り方について、やはり米沢さんもお入りいただいて、地域の方々がこの通りの在り方について、例えば一方通行、これは昔の風情を出していくとなると、交通とのかかわりが道路については出てまいりますので、ここら辺もよく議論しながら進めていく。
 それから、先ほどどなたかがおっしゃいましたが、金沢には「広見(ひろみ)」といって、ごく小さな広場がいろいろな所にあります。この「広見」の再生というのも、先ほどの用水の話と一緒で、これは本当に昔からの地域のコミュニティー、あるいは地域の文化を支える一つの拠点であったわけです。これが今モータリゼーションが発達して、ここになかなか安全に人が寄り集まって、いろいろなコミュニティーの活動ができなくなったということで、交通の在り方も含めて、こういったコミュニティー、「広見」の在り方をもう一度再生していけばと・・・
 その力は地域のコミュニティーをどうやってうまく引き出して、議論をし尽くしてやっていくか。この一つの例が皆さんにご提案いただいた例の旧町名復活だと思います。これはソフト部門ではありますけれども、国が住居表示法という全国画一の法律を作って、327にものぼる金沢の藩政期からの本当の時代を伝える地名が消えてしまったわけですが、これを再生していきました。
 これもある面では文化遺産、歴史遺産を復元する大きな活動です。これは単に復活するだけではなくて、先ほど来申しております地域のコミュニティーを再現していく。地域の文化を支えるのは一つには大きいコミュニティーの活動であろうと思います。もう一つ文化にかかわりを持つというか、新しいコミュニティーということを金沢市でも少し進めていますので、そのご紹介を二つばかりしたいと思います。
 一つは、今日ここにご参加いただいております水野先生と佐々木先生におかかわりいただいている「金沢まちづくり市民研究機構」です。市民が研究員となっていろいろな研究をしていただいています。例えば、以前にありましたのは金沢の歴史・文化遺産を、これも、どちらかというと先ほど来お話があったのは、建築物ということがメーンでありますが、用水や土木遺産、構築物に光を当てて、みんなで勉強しようではないかと。市民が現実にいろいろな研究に携わっていただき、そして、これからの在り方について、少し行政にもものを申そうではないかと、政策提言をしていただこうではないかということで作ったわけで、こういう活動が現に始まっているわけです。
 惣構堀の調査・研究会や歴史的な用水の研究会、こういったものも100人ばかりの市民と、そして金沢に大学がたくさんありますので、大学の先生方の知恵をミックスしながら、これからの復元の在り方について活動を始めているということで、私どもは大変大きな期待を持って、一緒に汗をかきながら共同で進めていきたいと思っております。
 もう一つは修復というお話が出ましたので、これも金沢市で職人大学校という取り組みをしております。これは大工、石工、畳屋などいろいろな建築にかかわる業種で人材が不足してきているということもありますし、やはり修復の技能が大事ということで作ったものですので、こういった中での活動も進んでいます。これらを大事にしながら、これから金沢の町の発展というのは、歴史・文化遺産を大事にして再生し保存していくという切り口で進んでいきたいと思っております。

次ページへ続く


トップページへ戻る