分科会1 「都市遺産の使いみち」
     
三宅理一
ジャン・アングルベール
     
大内 浩    
   
(大内) 第一分科会は「都市遺産の使いみち」という表題で討議に入りたいと思います。アングルベール先生はフランス語でいらっしゃいますが、三宅研究室のスタッフに翻訳のアシストしてもらうことになっております。それぞれの先生方の紹介は後ほどさせていただきます。最初に問題提起ということで、私から簡単なプレゼンテーションをさせていただきたいと思います。
(以下、スライド併用)
 「都市遺産の使いみち」というテーマでこれからの世の中を考えるときに、今まで私たちはフローの社会をいろいろな形で作ってきたわけですが、フローの豊かさということではなく、ストックの豊かさをどういうふうに考えるか、良質なストックというのは何かということを考える時代にもう来ているということは、皆さんもよくご承知のことだと思います。何が良質で何が悪質なのかも含めて、ストックとは一体何か。先ほど、代表幹事から、遺産を財産に変えるというお話もありましたが、そういう視点でも、フローではなくストックで考えるということが第一点です。
 二番目ですが、実は、今回、企画の段階で、あえて文化遺産という言葉を使いませんでした。都市遺産というニュアンスで言葉を考えていこうと。その背景ですが、文化遺産といいますと、ある特定の工芸品であったり、いわゆる文化財という固有名詞で示されるものがあります。それはそれで非常に大事な世界ですし、先ほどこの金沢でその文化遺産、あるいは史跡をどういうふうにしていくかという大変な作業をこれからやっていかなければならないというテーマもありますが、やはり概念はもう少し広く考えなければいけないと考えました。
 ご存じの通り、都市というのは、「住む」とういことと、「働く」ということ、それから「遊ぶ」、そして「移動する」、「交流する」という言葉に言い換えてもけっこうだと思いますが、四つの機能を都市というものは持っているわけです。そして、その「住む」「働く」「遊ぶ」「移動する」、あるいは「交流する」、その四つのそれぞれの機能に対して、私たちはある種の遺産、あるいはストック的価値を見いだしていく必要があるだろうと思います。ですから、都市遺産といいますと、例えば建築の伝統的建築、建造物をどう修復・保存をして再生させるかというテーマに加え、これも非常に重要なテーマで、後ほどいろいろな事例が出てまいりますが、それはその通りですが、もう少し、例えば、「住む」といっても建物そのものの問題ではなく、私たちの生活の習慣、この金沢の町で代々ストックとして息づいている生活習慣のようなものをどういうふうに考えたらいいかということも大事なテーマだと思います。町というのは、単に「住む」だけではなく、「遊ぶ」という大事な機能も持っているわけです。
 あるいは「働く」ということ。遺産の場合、後ほども出てまいりますが、産業遺産という言葉があります。いわゆる工場であったり、倉庫のようなものも、今は遺産的価値、あるいはストックとしての価値をどう再評価するかということが非常に大きなテーマになってます。
 あるいは「移動する」、交通のような手段もそうですが、昔の町は、いわば歩くか、あるいは馬や牛で移動するということを前提に作られた町で、この町もそうですし、ヨーロッパの町もそうでした。そこに自動車という新しい乗り物が生まれ、鉄道が生まれ、そして今や航空機の時代です。さらに交流ということになると、インターネット上での交流も行われているわけで、そういう時代の変化というものについても、私たちはもう一度ストックを再評価する必要があるということが二番目のテーマです。
 三番目は実は、この金沢に私が何らかの形でかかわり合いを持った今から25年前に、かつて青年会議所の皆さんといろいろなことを考えたときのキャッチコピーを、今ごろまた、これもある種のストックだと思って持ち出しました。
 「伝統も、それが生まれたときは前衛である」というキャッチコピーを25年前に実は使いました。考えてみると当たり前のことですが、伝統都市であるとか、伝統文化というものも、それが生まれたときにはある種の前衛的行為であったわけです。そういうことを忘れてはいけない。そして、現代、我々が伝統にだけ固執しないで前衛的なことに挑戦するということは、将来に対するストックにもなっていくわけです。多分、ほんの一部だけが選ばれて残っていくのだろうと思いますが、常に私たちは新しいものへの挑戦ということを失ってはいけない。単に保存していく、古いものに対するノスタルジックな興味だけでものを語ってはいけないということが第三番目のテーマです。

●保存・再生運動。ここにたくさんの専門家がおられますので、簡単に過去をふりかえってみたいと思います。アングルベール先生にお見えいただいているので、今日はヨーロッパを中心に議論したいとは思いますが、20世紀には幾つか大きな保存・再生についての運動がありました。例えば一つは、1933年に「アテネ憲章」という建築家の集団が集まって作られたものがあります。そこでいわれている非常に重要なテーマは、「古い都市は人間の英知が溶け込んだ造形的な美徳を持つ」ということです。当時、ヨーロッパはちょうど第一次世界大戦やさまざまな戦乱の中で、無惨にも都市がたくさん破壊されていたわけですが、古い都市については人間の英知というものがそこにたくさん蓄積されて、まさに記憶がそこにあったわけですから、その記憶を簡単に消すような行為をしてはいけないという警鐘を鳴らしたのが「アテネ憲章」です。アテネ憲章では、もう一つ大事なテーマを言っております。だからといって、歴史への崇拝が、その時代その時代に健全に住むということに勝ってはいけないのだと。幾ら歴史といっても、過去にすべて戻れということではなく、あくまでも歴史に対してある種の崇拝を持ちながら、そこで非常に優れた生活をすることに工夫をしなければいけないということを言っています。
 1954年になりますが、第二次世界大戦を経て、ヨーロッパの主要都市がほとんど破壊されました。実は、日本もそうであります。この金沢や京都は非常に幸運にも戦災を受けておりませんが、日本の都市も百十幾つのメジャーシティが北から南まですべて爆弾によって破壊されたわけです。そういう戦禍の中から武力紛争時の文化財というものを何とかして保護しようというユネスコの運動が起き、そして条約が制定されています。そして、1964年の「ベニス憲章」では、これもイコモスという建築家の団体をベースにしたNGO組織ですが、それがオーセンティシティ(authenticity)ということの重要性を提唱しております。オーセンティシティというのは、「本物であるということ」と日本語で訳せばいいのではないかと思います。簡単に古いものをまねして、マニピュレート(manipulate)して、偽物、贋物を作るようなことを戒めたわけです。ただ、このオーセンティシティについては、その後いろいろな議論があります。特に、日本の古い建築は、場合によってはデザインやさまざまな様式は古いものを保ったとしても、建材としては常に建て替えていくということを前提にできています。そのような日本の伝統建造物に関しては、何がオーセンティシティなのかというのは非常に難しい問題があります。これについては今もいろいろと議論が続いている状況です。
 そして、1972年に、世界文化遺産、自然遺産に関する条約がユネスコで発動されてから、世界各国が、いま金沢が目指しているように世界遺産都市を申請して、それを契機に歴史、あるいは文化、伝統というものをもう一度再評価して、現代に生かそうという試みがさまざまに行われているということではないかと思います。

●今日はこれから、まずアングルベール先生、そして三宅先生にそれぞれのご専門の立場から、さまざまな事例をご紹介いただきますが、三つの議論のポイントをお願いしております。一つは、良質な遺産というものを一体どのように選択するのかというのは、かなり難しい問題であります。現実にヨーロッパでも、あるいはアジアの諸都市でも、いろいろな形で議論が続いております。ご専門なりご経験の立場の中でどういうふうに良質な遺産というものを選び、そしてその中からそれをベースにさまざまな行為を行っていくか。そして、二番目のテーマに関係しますが、都市遺産を活用するといっても、そう簡単なことではありません。そのときに注意すべきことは一体何なのかということを二番目のメーンテーマにしてみてはと考えております。最後に、これは時間が十分あるかどうか分かりませんが、20世紀はすでに私たちにとっては過去のものになっているわけですが、20世紀という産業文明の遺産を一体どういうふうに考えたらいいかということについても、時間があればいきたいと思います。
 それではまず、アングルベール先生から、ベルギーの事例についてお話を頂きたいのですが、三宅先生からアングルベール先生について簡単なご紹介を頂けますか。

(三宅) アングルベール先生、こちらにいらっしゃっていますが、ベルギーのワロン地方、ベルギーは大きくフランス語圏と、フラマンというオランダ語圏に分かれておりまして、南側がフランス語圏のワロンであり、その中心都市がリェージュという非常に古い町です。そのリェージュ大学の建築土木の先生をずっとやってらっしゃいます。同時に日本との交流が非常に深く、特に東京大学の内田先生と親交を結んでおり、日本にもしょっちゅういらっしゃっております。そういう縁もあり、リェージュ大学の中に日本研究センターというものを自ら作られ、その所長となって、日本とベルギー、あるいは日本とヨーロッパの交流に非常に力を入れてらっしゃるということで、天皇陛下から勲章をもらったりもされている方です。
 ご専門は、建築の工法的なもの、ならびに新しいデザインです。また、地元の文化遺産の保護と活用に向けて非常に積極的にやってらっしゃる方で、大変知名度の高い方でもあります。

(アングルベール) 大内先生、それから古くからの友達である三宅先生に招待していただきありがとうございます。今回、日本語を話すことができなくて申し訳ないですが、よろしくお願いします。
 日本とベルギー人の都市遺産に関する考え方は大きく異なっています。実際、日本では、無形の都市遺産とその継承について重要性が認められているのですが、ヨーロッパ、とりわけベルギーにおいては、建築物を可能な限り良い状態で保つことに注意が払われているのです。日本におけるこうした姿勢というのは、地震発生時の建物の弱さに関係しています。地震によって頻繁に建物が破壊されるため、都市遺産が有する記憶を守るためには、その形そのものよりも、それらを生み出した方法というものを覚えておく方がふさわしいのです。ベルギーでは、反対に、建物は石やれんが、鉄筋コンクリートといった大変頑丈な素材で建設されるので、注意して管理・維持を行う限りは、こうした建築物は長い時間の流れに抵抗しうるものであるということです。このような違いがあるにしたとしても、今日、我々のこうした考え方を融合できないことはありません。今回、ベルギーのリェージュでどのような取り組みがなされているかについてお話しするつもりです。
 まず、リェージュ大学の無形文化財の目録づくりの責任者であるフランソワーズ助手の名前を挙げたいと思います。ワロン地方の都市計画住宅都市遺産部局、略してDGATLPというものがありますが、これは歴史的建造物の管理と保護を行う組織、都市遺産局というものを創設しました。
 そして、この都市遺産局というのは、三つの部門に分かれています。保護部門というのがまず一つめにあります。この保護部門では、建築物を分類し、保護リストに登録する、つまり、都市遺産としての価値を有する資産を法的に保護する活動を行っています。また、この部門では、景観保全地区での工事に関する問題も同様に扱っています。二番目は修復部門です。この修復部門では、歴史的建造物への修復工事の管理、そしてその修復工事の計画立てを行っています。そして三つ目の部門、考古学部門では、ワロン地方におけるすべての考古学的活動をとりまとめ、発掘調査の許可、奨励、監督を行っています。
 都市遺産局に所属するエージェントは、DGATLPのそのほかの組織から、また地方ごとには独立した活動を行っています。このエージェントたちは、都市遺産に影響を与えるような建築の許可申請、審査にかかわり、保護部門への建築物のランクづけ資料を提供し、修復活動の現場で追跡調査を行っています。発掘調査の現場では、5人の考古学者が働いています。こうした特殊な活動の一方で、都市遺産局では、出版物、それから幾つかの文化活動を通じて市民の都市遺産への意識を高めていこうとしています。ワロン地方では、3400以上の資産が、歴史的建造物、建築群、景観保存地区、そして考古学的価値を有する地区として保護されています。現在、その中でも、150のものが持つ、際立った特性と優れた建築的価値のために特別な都市遺産リストに登録されています。このようにリストに登録されることで、より大きな補助金の給付を受けることができるようになります。そして、工事に必要な総額の約95%までが補助金によってカバーされるというケースもあります。また、ある場合では、労使間基本協定により、状況に左右されて工事が中断してしまうといったことはなく、何年かにわたって工事を延長することが許されています。優れている都市遺産の選考が最初に行われたのが、1993年でした。ワロン地方の建造物および景観発掘王立委員会や都市遺産局の助言と支援のもとで、ワロン政府によって、その後3年ごとにこの選考は繰り返し行われています。
 ワロン地方の都市遺産の集成が、7巻にも及ぶ図版入り出版物として刊行されました。さらにDGATLPでは、『ワロン地方の建築、都市遺産』という題目で、23巻、27章から成るワロン地方の都市遺産の中でも不動産をリストアップした出版物も刊行しました。建築物などを選別するに当たり、10の判断基準が用いられました。まず一つ目は、先ほど大内先生のお話にもありましたが、現状に近いという確かさです。そして、二番目が、建築物が持つ意味や役割の把握のしやすさ、読みやすさということになります。それから三つ目が、類型化の可能性。四つ目が、建築の質。五つ目が、周辺環境との融合性。六つ目が、均質性。七番目が、都市計画上の価値。八番目が、希少性と建築物の古さ。そして九番目が、それ以前と現在における機能の重要性。そして最後、十番目が、年代的な区分となります。
 ヨーロッパ連合の支援を受けて、都市遺産局は、「ワロン地方都市遺産の日」を設け、歴史的価値があると見なされた遺産の価値を広めるように努めてきました。最初にこのイベントが行われたのが1989年のことで、それ以来、毎年明確なテーマが打ち出され、対象となった建築物のリストやその建築物の歴史の概要などが出版されます。さらに、そうした建築物を巡る循環シャトルバスというのが公共交通手段として無料で提供されます。ここ3年のテーマは、以下の三つの通りです。まず一つ目が「民間所有の城や邸宅」、二つ目が「都市遺産とその再使用」、そして最後には「中世のまなざし」ということになっています。
 1999年の4月、ワロン政府は、地方組織としてワロン都市遺産研究所(IPW)を設立します。その役割は四つあります。一つ目が、ワロン地方にある歴史的建造物の価値を高めるということです。国家、もしくは民間の都市遺産所有者たちに修復保存の援助を行い、もし歴史的な資産として認定することに問題があるようなものであれば、再使用の援助をするということです。三つ目が、専門家や若者を対象とした技術実習を企画し、都市遺産に関する技術情報の継承を確かなものにするということです。そして四つ目が、都市遺産に対する市民の関心を呼び起こすために、出版活動や広報活動などを積極的に行う政策を採用するということです。都市遺産局の直接の監督下、保護下に置かれ、そして諮問委員会や後援委員会に支えられたワロン都市遺産研究所の研究員たちは、柔軟に、そして積極的に活動することが可能となっています。彼らの仕事というものは、最も危機的な状況に置かれた歴史的建造物の再使用を検討し、「神の平和」という名前の元修道院がありますが、その施設で技術者への実習プログラムを押し進めていくことです。そして、ワロン地方が所有する幾つもの土地で積極的に活動を行い、都市遺産省へ常に助言を与える役割を担っています。また、都市遺産の日を設けて、出版物やシンポジウム、展示会を通じてその価値を市民へ伝えていっています。そうすることで、この研究所は都市遺産局と景観発掘王立委員会とともに極めて重要な役割を果たすようになっています。
 ワロン地方歴史建造物景観発掘王立委員会(CRMSF)というものがあります。1835年に創立されましたワロン地方歴史建造物景観発掘王立委員会は、ワロン地方省に属する諮問機関で、その権限の範囲で都市遺産の保護活動を行ってきました。これらは保護リストへの登録と歴史的資産の公示申請書類の審査に必要な機関となっています。また、この委員会は、歴史的建造物をリスト化する正式な機関でもあり、3年ごとに歴史的建造物、歴史的都市遺産リストをワロン地方省に提出しています。この委員会は、ボランティアのメンバーによって構成されていまして、メンバーたちは、都市遺産保護の分野に関連した経験を考慮して、ワロン政府から任命されています。具体的には、建築家や技術者、歴史家や特別な知識を有する人々が選考されます。その活動は地方ごと五つの部局に分かれて行われます。
 都市遺産政策にかかわる最後の組織というものには、都市遺産保護協会というものがあります。ワロン地方には、350以上の都市遺産にかかわる組織があります。例として挙げるものとしては、先ほど大内先生のお話にもあったイコモス、歴史的建造物景観保護地区の国際協議会、またラテン語になりますが、「我々のヨーロッパ」という意味の団体、また「青い盾」、同じくラテン語で「我々のワロン地方」というもの、それから「ワロン地方の村のよさ」、あと、「ワロン地方農村基金」、また、「プロメテウス基金」などがあります。これらの組織によるすべての活動というものは、年々大変な成功を収めており、その企画の質も向上しております。この成功を受けまして、ワロン政府は、都市遺産の観光によってもたらされる豊かさというものに気がつきました。
 こうしてリェージュ地方観光連盟は、プリンス・エベック( Princes-Eveques)の一日を体験するという企画を立てました。こちらについてはまた後ほど映像をお見せしますが、外国からの観光客を誘致するキャンペーンを計画しました。プリンス・エベックの一日というのは、リェージュを中世の時代治めていた政治的な権力者であった司教の一日を体験してみるというもので、日本で例えるならば、支配者であった侍の一日というふうになるかもしれません。この企画は、リェージュの町にある古代フォーラムを訪れることから始まり、続きまして、町の歴史センターでもある最も美しい邸宅の一つでフランス式の食事を取り、その後、大聖堂の宝物館とプランス・エベク宮殿を訪問するというものになっています。これと同様に、数年前から、モダーヴという青いお城でヨーロッパ式の豪華な結婚が行われるようになりました。
 リュクサンブール、リェージュ、ナミュール、エノーといったワロン地方のすべては、豊かな都市遺産に外国からの観光客を誘致する運動に積極的に取り組んでいます。歴史的に、また都市遺産として価値を持つ建造物や重要な考古学発掘現場、そして美しい自然保護地区を紹介する小さなカードが用意されています。同様にして素晴らしい建築物や極めて重要な考古学的意義を有する場所、そしてワロン地方の魅力を発見できるようなルートが記載されたワロン地方の都市遺産を網羅した小冊子が作られました。画像の説明をしたいと思います。(以下、スライドで事例を紹介)

(大内) ありがとうございました。皆さんにお考えいただきたいのは、実はベルギーでもこういった都市遺産をきちっと調査し、そしてそれを修復し、その価値を高めるという活動というのは、それほど古い時代から行われていたわけではなく、割に最近そういうことに改めて注目が集まり、さまざまな活動に展開してきている。実は、これは日本もそうです。ヨーロッパの場合には建造物というものに非常に中心が置かれているということから、先生のお話は始まりましたが、日本でも実は、各大学等々でこういった都市遺産をきちっとどういうふうに修復保存する、あるいは調査等々して、それを評価していくかということについて、きちっとした講座を持っている大学は必ずしもまだそう多くはありません。非常にわずかなものでしかないということが、一つ改めて気がつきました。
 もう一つ、最後にジャン・プルーベの話がありましたが、実はジャン・プルーベのシンポジウムのために今回アングルベール先生は来られて、名古屋で講演をしていただきました。ジャン・プルーベというのは、実は、金沢と姉妹都市であるナンシー、パリからちょっと東の方に行きましたナンシーで活躍した、非常に面白い、日本では建築家としては奇才であるような言い方で紹介されていますが、ある意味で20世紀が生んだ建築家であり、そして建造物の生産にかかわる非常に新しいコンセプトで挑戦をした人であります。簡単にいいますと、自動車を造るのと同じように何とかして建造物を造れないかということで、さまざまな部品から、建物そのもの、最後に出てきたのは、エビアンの飲料水を飲むための建物ですが、非常にシンプルで美しく、かつ、工業生産によってどうやって建物を造るかということで大変な才能を発揮した人です。こういったジャン・プルーベのような考え方や建造物そのものを今後どうしていくかということも、我々は非常に重要なテーマとして考えなければいけないということであります。
 三宅先生に話をお願いしたいのですが、実は、三宅先生はもともと建築の歴史がご専門で、長い間ヨーロッパでもいろいろと仕事をされていたと同時に、今、ヨーロッパだけではなくアジアも含めて歴史都市というものをどういうふうにもう一度見直していくかということのシンポジウムを展開しております。その中には、もちろん日本についてもありますし、新しい手法、例えばGISのような手法も使いながら、建造物をもう一度再登録をして、皆さんにうまく使い勝手のいいような情報提供をするということまで含めて、一つずつの建造物の修復保存の手法だけではなく、非常に幅広い活動をされています。三宅先生の方から、ヨーロッパだけではなく、いろいろな地域の事例をご紹介いただけると思いますので、ちょっとお話をお願いします。

(三宅) アングルベール先生に続きまして、私の方から事例紹介ということです。主として日本、それに中国の例をご紹介してみたいと思います。ヨーロッパ、特にベルギーを中心とするエリアは美しい自然景観と古いシャトーがたくさんある所で、美しい絵はがきのようなところです。
(以下、スライド併用)

●ここに映っているのは、鎌倉です。鎌倉も階段だけを見るとか、森だけを写せば美しいのですが、こうやって上から見ていると、歴史都市、世界遺産に登録申請しようという鎌倉も、あまり自慢のできるきれいな町ではないということです。しかし、これは同時に、金沢のような城下町ではなく、中世の都市構造がそのまま残ってしまい、かつて鎌倉は人口が6万〜10万人あったと予測されておりますが、現在の中心市街地、昔の鎌倉時代の鎌倉に対応する所の人口がほぼ6万人ということで、人口はそこに関しては増えてないのです。一時、人口が7000人だった時期がありますから、毀誉褒貶が激しいというか、さまざまに変化して、明治の終わりから一気にこういう住宅ができてしまった。しかも、いろいろ、例えば京都から数寄屋を移築してくるということで、移築文化というものがここに花開いたというか、そうやって新しい都市が形成されていったということも近年の調査で分かってきております。

●基本的に、こういう鎌倉のような町を見ると、中世の遺産、これは主として寺院あるいは地形等々にありますが、それに現代建築というのは、現代の建築ということで、決して美しい遺産という意味ではありません。ただ、その中に、例えばちらっと四角い箱が見えますが、緑の中に見えているものですが、1950年前後に造られた鎌倉の近代美術館のようなものがあります。これは、日本の美術館の歴史の中では最初の近代美術館ということでもあります。ル・コルビュジエに想を得て、坂倉準三さんという人が造った非常に斬新な建築です。

●ただ、保存状態は大変よろしくなくて、この中をそれこそ、リスやタヌキがいるかどうか分かりませんが、動物が建物の隙間を走り回って大変だということを現場サイドからしょっちゅう聞いております。こういうものをどうするのかというのが、大きな課題になりつつあります。

●例えば横浜は市長が新しくなって、非常に若い市長で、積極的に歴史とインキュベーション、歴史はビジネスになるぞという形で、遺産の展開を始めております。こういう赤煉瓦や、あるいはここにはありませんが、バンクアートと言って、昔の税関等々の建物を芸術家のための施設とするということ。今、それ以外にもいろいろな新しい仕組みというものを考えて頑張っております。歴史的建造物を文化財として考えるというよりは、資産をいかに有効活用するかという点から見ると、なかなか目利きの感がしないわけではありません。昔のMM21でやった建物が少し「つけ」が大きかったかなという感じが逆に見えてきたりします。

●これは「横浜トリエンナーレ」を今年もされておりますが、そういう大がかりな企画があります。東京に住んでおりますと、「今、横浜はやるな」と。東京は、何かもう役所の縦割り機構で、話に行っても何も話が決まらない。知事が上で叫んでいるだけで、現場は何も決まらないという地よりは横浜の方が楽しいという感じになってくるわけです。

●しかし、その東京も、古いものがないわけではなく、社会問題化しているものが随分あるわけです。こういう青山の同潤会、これはもうすでに壊されまして、この一部を残した安藤忠雄さんによる集合住宅ができてくる。同潤会があった青山、表参道のイメージというのは、今やフランス通りになりつつあり、かつてのようなものとは違った、これはいかにも東京らしい現象でありますが、それはそれで面白い現象だと思います。

●日本の20世紀の建築の一つの問題は、スケール感がものすごく小さかったということがあります。この階段にしても、教室にしても、今の需要というものをなかなか収めきることができない。これをどうするかということです。畳を敷いて住んでいる分にはいいですが、それをあるオフィスやその他の社会的な活動に使うためには、建築の耐用年数以上に空間そのものの問題があるような気がします。
 一昨年、この同潤会がたくさん壊され、ノスタルジーと同時に、こういうものが何とかならないかという話も随分ありましたが、東京では住んでいる人間の意思、あるいは社会的な需要との関係が、うまくこういう歴史保存の方向には働かなかったということがあります。

●しかし、20世紀の建築というのが今回のディスカッションの一つのテーマですが、これは、金沢を歩いても、日本のどこの町を歩いても同じですが、20世紀に造られた近代の和風住宅の大変なストックがあり、これをどうするかというのがあります。金沢の場合、非常によくそういうものが保存されております。ただ、どこに行っても遺産相続の問題ということで、こういうものを壊して敷地を細分化するとか、あるいは、維持するのに若干お金がかかりますので、もう少し簡単なハウスメーカーにしてしまおうかということにしたり、近代和風にとっても危機的な状況になっているのが、日本全体の趨勢ではあります。

●こういう町を見てもらいたいのですが、東京にいるとこれは全く普通の町です。金沢の方が見ると、これはなんて所だという感じになるかもしれません。東京の下町です。東京をドーナツ状に取り巻くエリアがこういう密集市街地で、一つ一つを見ると、それなりに性能はある程度保証された住宅にはなっていますが、全体として見た場合に、これはまさに何という都市景観だということになって、いかんともしがたいことになるわけです。防災上の観点からも、再開発という観点からも、これは大変ゆゆしき問題になっている場所であります。
 しかし、こういうものもあるのは事実です。つまり、界隈といわれるような一種の雰囲気を伴った場所、それから路地があったり、町工場の雰囲気とか、店、商店街という東京の下町のイメージというものは、このような密集市街地のところどころに沈殿していると。これをそのままきれいさっぱりマンションにしてしまう、マンションもいろいろ悪徳マンションが最近あるようですから、そういうものにするよりは、こういう古いものを楽しんだほうがよろしいのではないかというのが、実際にこういう墨田区辺りでは起きている議論です。

●こういうところで地域おこしをするためにはどうしたらいいかということを、私どもはいろいろやってまいりました。例えばこれは、私たちの学生あるいは若い人たちが、ただの米屋です。米屋に入って、米屋の場所を借りて、名前を横文字にして「RICE +(ライスプラス)」という名前にしたのです。そうした途端に、これがイベントスペースになって、ある種のコミュニティーが発生する。金沢の状況は私はよく分からないのですが、現在のコミュニティーという概念は、建築学会で建築計画委員会がやっているようなコミュニティーというのはとうの昔の話であり、ネットや新しいコミュニケーション概念がどんどん広がっております。その中で繰り広げられるものですから、その社会組織の様態は全く違ったものに、この五年間ぐらい変化しつつあります。
 ですから、建築という枠組みがどこまで有効かという議論が出てきます。ですから、こういう古い戦前の木造住宅をちょっと借りて、パッと新しいコミュニティーを設定すると、こういう非常に面白い空間と人間とコミュニケーションの関係ができるということ、これは非常に新しい傾向だろうと思います。

●こういう下町に、実は、東京で最も有名なちんどん屋がいるということを発見して、パフォーマンスをお願いすると。何も横文字、片仮名のパフォーマンスでなくても、ちんどん屋という、芸という素晴らしいものがあった。先ほど「見つける」という話がありましたが、こうやって、こういうものを発見するということに、地元の人だけではなく、ここに集まってきた方々のある種の喜びが表現されるということでもあります。



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