分科会1 「都市遺産の使いみち」
     
三宅理一
ジャン・アングルベール
     
大内 浩    
   
●いまの事例と対比的に見ていただきたいのですが、もう一つ世界遺産候補になっている島根県大田市、石見銀山がある所です。実は、この町は人口が4万人しかいませんが、世界遺産に本当になれるかなという心配もないわけではないぐらい、貧相な銀山があります。しかし、歴史的にはこれが世界でも有数の銀山で、僕は個人的にはこれはアウトプロットがメキシコの銀山と比較すると寂しいという気がしますが、イコモスがやっと決めたことですから、ありがたい世界遺産へのオファーというものは受けて、これは世界遺産になったほうが得だろうと。
 しかし、その遺産を支えるだけの力に欠けているのです。人がどんどんいなくなる。島根県というのは、人口80万人やそんなもので、こういう大きな江戸時代から明治にかけてのりっぱな家に、おじいさん、おばあさんが住んでいる。それが最後おばあさんになって、だれもいなくなる。そういう感じになっている所がかなりあります。
 どうしようという話を私に相談されて、いろいろやった結果、例えばこれは、大田市のある本庄屋さんですが、フランスでこれを美術館にしたいという奇特な人が現れまして、基本的には移築でこれをフランスのポワチエの近くの200ヘクタールくらいのシャトーの敷地に移し、日本のクラフト美術というものをそこで展示する。つまり、遺産の活用のしかたとしては、その現場で必ずしもやらなくてもいいのではないかという議論も一つ提示していったということです。
 こういう山奥というと失礼ですが、かなりポツンポツンとしかないような、これは非常に島根県的な状況ですが、そういう所にある優れた資産を放置しておくと、本当に廃墟になってしまう。解体するためにも何百万というお金がかかりますから、それすら所有者が負担できない状態、こういうものをうまく活用し、一つのビジネスモデルにすることはできないだろうかというのがこの話です。実は、この民家だけではなくて、この種の古い建物をあちらこちらに移築していき、有効活用するというプロジェクトが昨年から動いております。

●本来は、こういう和風の粋を極めたような建築、しかもそれには昔の法隆寺や東大寺の木を持ってきて、それをテーマにして新たな建築を造るという、日本独特の建築の構成原理もありますが、ここまでいくようなものは、めったにない。本当に日本においては優れた世界遺産的な価値を持つものだろうと思います。一方では、先ほど、東京の下町で見せたような、触れば倒れるような古い建築もあり、そのあたり、どれをどう取るかというのが、非常に難しい判断を迫られるところです。

●今や日本のライバルになりつつある中国です。面白いのは、日本の20年間が一気に凝縮したようなことが中国では起こっています。中国の中心街、古い建物を利用して、ビジネスができる。レストラン、ショップというものが、今、どんどん雨後のたけのこのように広まっております。中国は今、いい意味での発展途上にありますから、こういうものを思いついたら、次の日にはこれが実現できるというペースでやっています。

●デザイン的には、いわゆる素晴らしいデザインということでは必ずしもないのですが、ある種の日本でいうと裏原宿的な感じのものが次から次とできていって、ビジネス的に成功するもの、失敗するものもありますが、ある種のリノベーション文化というものが中心市街地を中心に発展しつつあります。

●同時にこういう昔の工場を変えるもの、先ほど、アングルベール先生のお話にありましたが、町の郊外には工場群がありますが、こういうものが一つのアーティストのためのアトリエになったり、あるいはアーティスト・イン・レジデンスとして使われたり、非常に面白い事例があり、今、北京や上海の現代美術がこういうものに感化されています。これは、ある意味では、横浜や金沢でもアーティスト・イン・レジデンスをやってらっしゃいますが、そういうパラレルに動いている現象で、恐らくこれを使う側からいえば、明日から半年は北京で仕事をしようとか、その次は金沢とか、こういうふうに人々が動いていく時代になってきたかという印象があります。

●一般的には、外国、例えばヨーロッパ人や香港人、日本人という人たちが最初に入っていき、ついで中国のアーティストが入ってくるような状況があるようです。逆に言えば、先ほどの東京の下町のほうのアーティストは、やはり外国人を先に連れてきて双方化を図るということがあったりするものですから、古い資産の活用のしかたは、うまいプログラムを作り、戦略を作って、それが最終的に人々に認知されていく。さらには、新しいビジネス・スキームになるようなものが必要でないかと思っている次第です。以上です。

(大内) ありがとうございました。日本に至るまでいろいろ面白いポイントが提起されたと思います。残った約20分の間、いろいろやり取りをしたいと思います。まず最初に、アングルベール先生が先ほどヨーロッパの、特にベルギーの例をお話しいただきましたが、私はこの前心配なメッセージをあるフィレンツェの方から伺いました。それは何かというと、皆さんもご心配になっているかもしれませんが、実は、フィレンツェの町は年間観光客が何人来ているのでしょうか、4000万人ぐらい来ているのでしょうか。ちょっと人数は分かりませんが。行かれた方もたくさんおられると思いますが、実は、あのフィレンツェの歴史地区に住人がほとんどいなくなってしまったのです。確かにフィレンツェは、中世の非常に美しい町をきれいに丁寧に修復して、そしてそれが観光資源として非常にうまく活用され、世界中の人たち、老若男女、人種的にもあらゆるところからたくさんの観光客が集まり、それによって例えばホテルビジネスであったり、あるいはおみやげもの屋、レストラン等々は、確かに栄えた。しかし、実は、そこに住人がいなくなってしまった。これは一体どうしたことかということで非常に嘆いておられるフィレンツェの方に、この前ちょっとお目にかかる機会があって、私もちょっと考えさせられたわけです。
 この辺の問題、つまり観光政策に歴史都市遺産を活用することによって観光客需要に結びつけるというのは、確かに一つの非常に重要な考え方ですが、極端な例が今のフィレンツェであるわけです。そういう方向に向かわないために、何か工夫はあるのだろうかということについて、先生、何かお考えがあったら、ちょっと伺いたいのですが。

(アングルベール) こういう問題というのは、観光都市である都市では世界中どこでも共通するものです。ベルギーではブリュージュなどがそうした問題に直面しています。私の出身の町であるリェージュでも、そこまで観光地でないものの同様の問題を抱えています。夜になると人がいなくなってしまうような中心市街地があります。いくつかそうした状況を改善する方策も執られていますが、長期的に試みなければならないということです。より長期的な観点で、町の責任者たちは対策について講じていかなければならないということです。

(大内) 難しい問題です。三宅先生、何か。いきなりちょっと難しい問題ですが。

(三宅) これは非常に難しく、さっき鎌倉の例を出しましたが、鎌倉は人口が17万人で、年間訪れる観光客が1800万人を少し切るくらいです。人口に対する適正観光客数、これは佐々木先生のお話を聞かなければいけませんが、かりに10倍としましょう。そうすると、鎌倉というのはケタが全く違うという感じで、鎌倉の人にとっては迷惑というのが・・・。かなりの住んでいる人たちは、観光公害と言っているぐらいで、もう来なくていいと。そのために予算を講じるのは嫌だと言っている人が随分多い。しかし、金沢の場合、600万〜700万人という数ですから、人口の10点何倍ぐらいということで、これが適正なのかどうか僕は分かりませんが、ほどほどと。
 もう一つの問題は、フィレンツェ、あるいはブルージュのような町は、工業化を経験していません。リェージュや、あるいは日本のかなりの町というのは、工業化のプロセスがあり、周りに集合住宅があったり、工業化に伴うさまざまな施設が20世紀の間に配され、それが町を壊したと一般的にいわれます。その問題を抱えると、先ほどの中心市街地の空洞化というのがフィレンツェとは違った意味で起きてくると。それに対する費用というのはかなりかかります。つまり、住民の属性というものがフィレンツェのような所とはかなり違いますから、京都などもそうかもしれませんが、そういうところで20世紀というものをどういうようにとらえるかによって、観光の立案ということも違ってくるのではないかという気はします。

(大内) なるほど。別の言い方をすると、先ほど私、都市というのは住むだけではなくて、働く場でもあって、そして遊ぶ場でもあり、交流する場でもあるという四つのことを言いましたが、金沢の場合は、働く場でもあると。要するに、職人さんであったり、あるいはそれほど大きくない企業も、歴史地区の中、あるいはその周辺にかなり立地してきていた、あるいはまだ何とかして立地しているということがちょっと違った姿を、単純なフィレンツェやブルージェのようないわゆる観光だけに頼る町とは違った姿を持ってきているというのも、一つの視点です。
 この辺は、実は皆さんに申し上げました、私たち自身は、確かに400年前、あるいは200年前の歴史遺産をどういうふうに考え、それをどういうふうに今後の世代に伝えていくかということに、何か非常に重要な努力をしなければいけませんが、同時に、20世紀というのは一体何だったのか。確かに、私たちは郊外にたくさんのある意味工業生産的な住宅などをたくさん造ってきたわけですが、これは、三宅さんとは先にあれですが、さっき例えば、あれは京島の例でしょうか。東京の下町で若干焼け残った所でありますが、ああいうところで新しいコミュニティーという話をされていましたが、今までの地縁的社会や血縁社会は明らかに崩れています。そういうある種の友達仲間みたいなものである種の運動を起こしていくというのが、一つの方法だということでしょうか。

(三宅) そうですね。今、ネット・コミュニティーという、そのぐらいの話になってくると、もうスピード感や距離感は全く違ってきます。また、バーチャルというものとリアリティーとの間の境界がなくなってきて、それは大変面白い現象です。ですから、社会の構成形態というのは、かなり違ってきている。その一方で、地縁社会というのはあります。京島、下町に住んでいる人の非常に濃い人間関係は下にあるわけです。この二重構造がどういう方向に働くのかというのは、恐らくその政策にかかわる人たちがどちらを選択するかの問題だろうという気が私はしています。

(大内) そうですね。行政や伝統的な考え方からすると、例えば周辺に上のおじいさんおばあさんがいて、そしてお父さんお母さんがいて、子供たちがいるというある種ジェネレーションの中で、しかも地縁的なものでお互いに支え合っていこうというタイプのコミュニティーで町を作っていこうというのが、今までの発想ですが、どうも違う動きが。

(三宅) なおかつもう少しリアルな言い方をすると、行政はやはり政治家に大変気を遣うことになりますが、政治家はやはり投票する人たちに気を遣うと。そういうところでは、いわゆる来外者というものに対しては、観光で来てお金を落としてくださいという、そのサービス提供であって、どうも本心はなかなかそこまで至らないという地方自治体が多いような気が、私のつきあった限りにおいてはします。ですから、いわゆる政治の構造というものが非常に古い地縁的なところをまだ残している。

(アングルベール) *フランス語*

(三宅) 今、アングルベールさんが言っているのは、さっきの工業化の話に戻りましたが、20世紀の建築というものをどうするかというときに、この前に名古屋にいらっしゃったので、名古屋の経験が強烈だったと思いますが、20世紀というものも一つの歴史になりつつある。昨日、金沢21世紀美術館に行って、あれは未来に残る遺産になるのかなと。例えばあそこに出てくる昇降機、エレベーターというものは、昔にはなかったもので、こういうものを含めて新しいメカニズムすらが、時間の軸の中では未来に向けて遺産になるべきだというのが、多分アングルベールさんのご意見だろうと思います。

(アングルベール) *フランス語*

(三宅) 金沢のような町では、妹島さんの設計した金沢21世紀美術館ような新しい建築をもっともっと造ったほうがいいというのが、アングルベールさんのご意見です。

(大内) そうですね。昨日、アングルベール先生には、一日かなり金沢の町を回っていただいたので、その感想も伺いたいと同時に、ベルギーでもそういったある種の都市遺産、あるいは歴史遺産というものの舞台装置を楽しんでいる人がいて、それがだれなのかということもちょっと聞きたいのですが。

(アングルベール) 昨日、約11キロ歩き、いろいろ見て回りました。特に妹島さんの美術館には1時間以上滞在して、いろいろ見学しました。それから、とても変わったというか、印象的な交番とポストを見つけました。ほかにも二つのとても印象的な建築物を見ました。しかし、全体的な印象としては、やや平均的な印象を受ける建築物がありました。

(三宅) これからは僕のほうで訳します。伊東さんがいらっしゃいますから、仙台で伊東さんのメディアテークができ、金沢ではこういう妹島さんのものができ、谷口さんのミュージアムが豊田にできたという、いわゆる現代建築の最も進んだもの、良質なものがたくさんあってこそ、その町は生きるのだというご意見だろうと思います。逆に、ベルギーの古い町で伊東さんの建築ができるということで、本当は伊東さんのご意見を後で聞かせていただくのが一番かと思いますが、やはり、クリエーションと伝統という問題は、かなり、当然のごとく議論しなければいけないわけです。

(大内) そうですね。

(アングルベール) *フランス語*

(三宅) コンピューターに依存しすぎる建築家が最近多いですが、それはよくないことです。もっと自分自身の複雑なことをきちんと自分で、自分の手、頭で考えなければいけないということを、もう一つ申し上げたいということでした。

(アングルベール) *フランス語*

(三宅) パリの空港が壊れました。

(大内) 壊れましたね。最後にというか、実は、金沢21世紀美術館についてが、多分皆さんにも一番リアリティーがあるテーマだと思います。実は、金沢21世紀美術館についても、皆さんには意外かもしれませんが、ここにおられる方とは違うと思いますが、こういうコメントをもらったことが私はあります。ある方が、特別に金沢21世紀美術館に観光に来たわけではないのですが、金沢に来たら全く場違いなものができたと。なぜ、あんな場違いなものがあそこにあって、一体あれのどこが美しいのかということについて理解ができないという、そういうコメントをされる方もいるわけです。
 例えばあの21世紀美術館が金沢の駅西にあれば、あなたはどういう評価をしますかと。現在の兼六園や本多のあの地にあって、非常に歴史的な雰囲気の中にああいった現代的なものがあるということの価値。あるいは、例えばああいった現代的な建造物が駅西のような所、あるいは東京のような所、あるいは横浜のような所にある場合は、その価値が変わるでしょう。その面白さというか、その価値評価、つまり歴史的な舞台装置の中で現代的なものに挑戦するということの評価については、あなたはどういうふうに考えるのですかということを、逆に私は聞き返しました。
 彼は私が何を言おうとしていたか分かってくれたのでよかったのですが、ついに分からずの方もおられるかもしれません。それほどに、実はやはり、クリエーションというのは、非常に大きな、場合によっては軋轢を生むのは当然であろうとは思います。そういうことではないかと思います。
 今日、うまい具合に鼎談というふうになってはいませんが、私は、皆さんのお話を伺っていて、一つに非常に大きなテーマは、都市遺産というものには、やはりいろいろな種類のものがあって、アングルベール先生からご紹介いただいたような建築に非常にこだわったケースもあれば、あるいは都市の構造そのもの・・・。金沢の場合は400年前の都市構造とほとんど変わっていない。実は、東京でさえも変わっていません。さっき、鎌倉の三宅さんの図面もありましたが、鎌倉もそんなに変わっていません。大きく見ると変わっていない。実は、表面だけが変わっている。そういう意味での遺産というか、価値を現代に読み替えていって、そして我々はそれを別の形で再評価していくという作業も本当は必要だというふうに私は思います。もう一つの問題は、単純に建物そのものを修復して延命策をするということだけではなく、そこで培われてきたノウハウをどうやって次の世代に継承していくかということが、多分非常に重要なテーマではないかと、まず第一に考えます。
 それから二番目は、現代は、ある意味で歴史や遺産というものが一種の舞台装置として改めて再評価されている。多くのそこに注目している人たちは、かなりある意味では従来の歴史研究家たちではなく、非常に新しい、あるいは若い人たちが実はそこに注目しているということも、多分世界全体の共通の動きではないかと思います。ですから、従来型の歴史伝統についての研究者の方たちの成果を別に批判するつもりはありませんが、ちょっと違うところから実はそういう歴史や都市遺産というものについて、今、再評価が下される時期なのだということを、もう一度改めて考える必要があると思っています。
 三つ目の結論ですが、さっきちょっと三宅さんが言われましたが、私たちがこれから町という、都市というものをつくっていくときに、従来の働く、住む、住み方も非常にいろんなタイプの住み方に変わってきておりますので、住むということや、働く、遊ぶということについても、さっきのネット世代もそうですが、違ったタイプの人たちとの縁ということや、あるいは、社会の作り方も前提に考えなければいけないという時代になっているかと思います。
 時間が来てしまったのですが、最後に一言だけ、アングルベール先生に皆さんにきつい言葉を言っていただきたいのです。昨日、お酒を飲みながらいろいろ話していたら、残念ながら、やはりこの金沢にも評価できないものがある。簡単にいうとこの建物もそうですが、ヨーロッパの建築都市計画からいうと、日本の建物はものすごく美しい、ものすごく完璧で、シンプルで、美しいという評価をしているのにもかかわらず、なぜ、それについてもっと敬意を払わないのかという種類のことを、アングルベール先生に伺いました。最後に、日本の建築を外から見ていてどういうふうに評価されているかということについて、短いコメントを頂けますか。

(アングルベール) 妹島さんの美術館を見ると、本当に日本的な感覚というものがよく分かります。伝わってきます。

(三宅) でも、他の建物はみんなヤンキーだと言うのです。アメリカっぽいという意味でしょうが(笑)。

(大内) そうですね。よろしいですか。つまり、本当のオリジナリティーのあるクリエーションというものに対して、正当な評価をすべきかもしれませんが、そうではないものについて、非常に安っぽい、そして多分、将来の都市遺産にはとてもなりそうでないものに我々は安住しているということへの警告をされているのではないかと思います。
 三宅さんから、何か一言ありますか。

(三宅) 特にはありませんが、金沢というのは、やはり金沢モデルとして、僕は外国などに出るときに逆に紹介させていただくような形でやっています。日本の中、都市の表情はいろいろあるかもしれませんが、仕組みの作り方はかなりきちんとやっていらっしゃるところがあります。これは、世界に誇ってよろしいのではないかという気は常々しております。

(大内) 例えば? 

(三宅) ああいう美術館を造る手続きをしていくことにしても、あるいはこのような金沢学会や金沢創造都市会議というものをずっと継続しているというのでしょうか。そのあたりの息の長さ、これはよく続けてやっていることに敬意を払う次第です。

(大内) 最後にオチが三宅さんから出てきましたが、そういうことで、長時間にわたっていろいろなお話をさせていただきました。司会が不得手でまとまりがなかったことを申し訳なかったと思います。ここで、第一分科会を一度閉じさせていただいて、また明日、これを踏まえて、あるいは第二、第三の分科会の皆さんの議論を踏まえて、またデベロップさせていただきたいと思います。どうも、ご清聴ありがとうございました(拍手)。

(司会) どうもありがとうございました。もう一度、先生方に大きいな拍手をお願いしたいと思います。ありがとうございました(拍手)。

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