金沢創造都市会議開催委員会副会長
社団法人金沢経済同友会代表幹事
■飛田秀一

ただいま両先生から、最後に大変衝撃的なことで、これから先百年を展望すると人口が半分になる、これはまだどなたも経験をしていないという紹介がありました。実は、この金沢という都市は、人口が減ることを既に経験しているのです。これは日本の著名な都市では金沢だけだと思います。『石川県って、こんなとこ』という本に書いてあったと思うのですが、明治になりまして、理由は長くなるので省略しますが、ともかく人口がどんどん減り続けて、幕末の人口に戻ったのは大正です。四十五年間の人口減を経験して、今日があるわけです。そういう意味で、人口が減ることに関して、おそらく当地に生まれて当地に育った多くの人たちは、DNAとして理解をしているように私は解釈しております。おそらくこれから先百年を考えると、ほかの都市の人は大慌てするでしょうが、我々はそんなことにはならない。そんなささやかな自信もあるわけです。
今度の「金沢創造都市会議」を、どういうテーマにするかということを舞台裏で検討しておりまして、実は私が「『記憶』に学ぶ」というのがいいのではないかということを言ったのです。別 に深い意味で言ったわけではなく、テーマとして何となく格好いいのではないかというような程度で、「記憶」という単語を使わせていただきました。
そこでこの本番を迎えるということで、何か記憶に関してうまいことが書いてある本はないかなと思って探しておりましたら、ありました。石川県ゆかりの五木寛之さんの最近出た本にそれが書いてあります。『日本人の心』という本の2巻目です。九州と東北のことを書いてあるのです。隠し念仏と隠れ念仏の由来やその違いをずっと書いてあって、その中で記憶について五木さんが触れております。
記憶と記録の違い。記録というのは単なる記録です。記憶というのは、五木さんの本の場合は隠し念仏・隠れ念仏の話を書いているわけですから悲劇的な表現が多いのですが、記憶というのは単なる記録ではなくて、怨念や怒りのようなあらゆる感覚をすべて含んだものであると。記憶には個人の記憶と集団の記憶がありますが、そういうありとあらゆる感情を込めた記憶というのは、口からそれぞれの肉体に入り込んで、そしてずっと続いていくものだと書かれてあるわけです。それを見て、やはり、金沢創造都市会議の本番はこのテーマでよかったなという思いがしたわけです。
今日は「金沢の味を学ぶ」、ジワモンと地酒です。地酒はともかくとして、ジワモンという料理に関しては、おそらく今日ご参加の皆さんの多くの方は、小さいときからの記憶に残っているのではないかと思いますので、そのような意味合いも多少は理解いただいて、金沢の味を学んでほしいと思います。
それでは、『記憶』に学ぶという今回のテーマが実りあるものに、さらには「金沢創造都市会議」にお越しいただいた皆様方、講師の諸先生に敬意を表して、杯を上げたいと思います。

  
●「ジワモン」とは…
金沢で使われる方言で、主に家庭や内輪で食べる料理のこと。お客さまに出す料理とは違って、気を使わない内輪の人たちに出す、我が家の味が「ジワモン」。その語源は、「常飯もん」「自椀もん」だとする説がある。家庭での日常の料理、普段の自分の料理といった言葉がなまり「ジワモン」になったのではないかという説である。 また、金沢の伝統的な風習として、専用のお膳を使ってお客にごちそうする「およばれ」といった「ハレ」の料理と区別 する意味で、家庭料理の「常飯もん」や「自椀もん」を指す「ジワモン」という言葉が生まれた可能性もある。 そしてもう一つ、地元の仲の良い人たちの輪「地和」で食べられる料理との関係もあるのではないか。これも気の張らない、地元の人たちで食べる内輪の料理、大衆料理といった意味合いで、金沢のコミュニティー「地和」料理、つまり「ジワモン」と呼ばれるのではないだろうか。「常飯」「自椀」「地和」の文字から見てとれるように、「ジワモン」は長く共有されてきた食習慣を通 して、金沢人の「記憶」に刷り込まれた味と食べ物と言える。
  
「ジワモン」のメニュー
◆すいとん汁
◆カボチャと里芋の煮物
◆古たくあんの煮物
◆コウバコガニ
◆コガレイの煮つけ
◆だんご汁
◆押しずし
◆ブリ大根の煮物
◆イカの煮物
◆イカめし
◆大根の百人前
◆コロッケ
◆ジャガイモとニシンの煮物
◆車麩の卵とじ
◆昔風の茶碗蒸し

 
トップページへ戻る