赤坂憲雄
大内 浩
 

●赤坂:金沢の都市の構造を説明していただけませんか。
●大内:私自身が面白いなと思っているのは、金沢城があって、その西側が武家地だったわけです。今の香林坊や長町周辺には非常に大きな武家屋敷がかなり大きい単位 であったのです。
もっと面白いのは、犀川と浅野川を越したところに、今でも大変お寺が多い寺町がある。要するに二つの川に囲まれた内側がある種の晴れの場であって、ここでは裃を着ていなければいけない。この川を渡ったところで、ある種の士農工商という当時の江戸の身分制度が逆転するというか、寺町のほかにも、東の廓があり西の廓があるように、この川を渡った途端にある種の身分制度に基づいた価値体系が意味をなさなくなってしまう。要するに、簡単に言うとお金のある人間しか相手にされない。当時は武士とはいっても、川を越すと扱われ方が変わってしまうような、そういう非常に巧妙にできた構造をしていると僕は理解しています。
●赤坂:二つの大橋のあたりがまさにそうですね。遊郭があってお寺があって。

■東京にもう「江戸」はない
●大内:そうです。私がなぜ興味を持っているかというと、東京にはもう江戸がほとんど残っていない。江戸を感じさせるものは実は東京はお庭ぐらいしか残っていないのですが、ここへ来ると、ある意味では先祖というか、私のルーツを感じさせるようなものがいろいろあるということがあって、私にとって金沢は、来ることがすごく楽しみな街のうちの一つですね。
金沢の場合、利家は加賀に帰る前に亡くなりましたが、その後まつの意志を継いで利長が加賀へ入り、その後の加賀藩をつくっていった。それから五代綱紀まで、三〜五代ぐらいまでの間に、加賀は今で言う金沢に残る伝統文化を形成したという歴史があります。

■加賀で開いた江戸文化
●大内:最初のころは、加賀に「百工比照」という言葉がありました。金沢の方はよくご存じですが、「百の匠を比べて照らし」というか、日本全国から当時の最先端の工芸師たちを集めてきた。多くが京都あたりからのようですが、工芸師たちを呼んできて、ここで新しい細工物やいろいろなものをやらせた。同時に、その以前からも関係ありますが、当時は江戸文化というと室町あたりからですが、お茶・お花といった類の、まさに江戸で栄えた文化もここで花開いていったという歴史がある。
●赤坂:僕は今、地域の時代が始まっているという認識です。それは金沢でいえば「都市の時代」かもしれませんが、国家を中心として社会が動くのではなくて、地域がもう少し自立的な動きを強めていくだろう。その中で、例えば金沢のような都市は何を背負うべきなのかと僕は考えるのです。  

■東京一辺倒の仙台
●赤坂:つまり、東北でいいますと仙台だと思うのです。仙台と金沢はずいぶん違うと思いますが、仙台の街は正直いえば面 白くないのです。なぜ面白くないかというと、あまりにも東京ばかりを見ている。東京一辺倒なのです。もう典型的な支店経済都市になってしまっていて、メインストリートのお店がみんな東京からの支店なのです。空洞化が進んでいるのだろうとJCの人たちに言ったら、違うと言うのです。むしろ潤っている。大家さんになって地代をもらっていればいいのだから楽なのだと。自分のクリエイティブな商売をするとか、そういうことはどんどん衰えていると聞いています。 たぶん金沢との違いはそこだと思うのです。金沢は支店経済ではないですよね。もう少し多様な産業、例えばここだって芸術村ですか、いろいろな形で「伝統的な」というふうに、僕は括弧 付きにしたいのですが、伝統工芸などを大事にしながら、それを産業として興そうとする動きがある。しかし、残念ながら仙台や山形ではどんどんそれが消えていますね。なくなってしまってから騒いでも遅いのですが。
●大内:その大きな原因は何でなのでしょう。
●赤坂:例えば仙台でいいますと、東京が近くなったということが圧倒的ですね。
●大内:東京の郊外化してしまっているということですね。

■ 「記憶」は重要な地域資源
●赤坂:通っている人もいるわけですから。それはともかく、自分たちの、例えば仙台という都市に埋もれている記憶を忘れていってしまうのです。その記憶というのは、僕は重要な地域資源なのだと思うのです。何もないところから街をつくる、都市をつくるのは大変なことですが、自分の中に埋もれている記憶、それは街の街路の形であるかもしれないし、街角に建っている何か古い祠や石仏かもしれないし、何でもいいのですが、そういう都市の記憶というものが宿っているモニュメントみたいなものを、意図的に現代の都市のデザインにつなげていくということは必要だと思います。仙台はそれをやらずに壊してきてしまったのだろうと思いますね。
●大内:その辺はすごく重要なポイントですね。仙台の方たちは、それに対抗する方法は何かなかったのですかね。

■新たな都市デザインが必要
●赤坂:対抗する方法かどうかわからないのですが、僕は仙台の人たちに向かって言うことがあるのです。つまり、仙台人は東京に顔を向けているわけです。僕はその背後にある東北の村ばかり歩いていますが、その村から仙台がどういうふうに見えるか。非常に反発があるわけです。しかし、僕は仙台は東北の都だと思うし、きちんと背負っている東北を意識しながら、自分たちの新しい都市のデザインをしていくべきだと思います。そのとき関係が変わると思うのです。
金沢に関して同じことが言えるのかどうか僕にはわからないのですが、やはり金沢も背負ってはいると思うのです。これだけの大都市ですからいろいろなところから人が集まってくるでしょうし。例えば小林忠雄さんの編集された本を読んでいても、「金沢の伝統工芸の職人さんたちで三代続いている家がない」と出てきたのです。周辺の農村部から二男、三男が入ってきて、そこで職人の修業をして職人になる。伝統というと古来連綿として同じ家からとなりがちですが、新しい血や空気を常に導入しながら作られてきた伝統はとても金沢にとっては大切なことだし、ある意味ではそれは雑種交配なのです。
●大内:そういうものを入れ続けて、その中で自分たちが、何かよくわからないが、その一つの入れ物の中で発酵させていくようなものが、結果 としてその地域のアイデンティティを作っていくという話ですね。

■伝統は守るものでない
●赤坂:そうですね。僕は正直にいいますと、伝統というのは守るものではないと思っているのです。むしろその時代ごとに、その最先端の部分で創造されていく、創られていくものだと考えないと、もたないと思いますね。
●大内:それはすごく大事な指摘だと思います。世界のある種の文化を創り上げていったところは、ヨーロッパが中心のときもあったかもしれないし、ローマもそうだったかもしれない。あるいは中国などにも外からのさまざまな民族・文化が入っていく中で創られていったものが、結果 として伝統文化になっていくという動きですよね。
●赤坂:伝統というと、後ろ向きであったり、ノスタルジィであったりといわれがちなのですが、実は現在であり未来であると考えるべきだろうと思いますね。そのときにいろいろなものがたぶん出てきますね。

■百年後に日本の人口半減
●大内:もう一つ皆さんに挑発したいことがあります。大宝律令のころ、人口は600万人くらいです。平安遷都から鎌倉の成立、室町の成立、それから関ヶ原に至るまで、日本の人口は大体トータルで1千万人を切っていました。そのあと、江戸時代、いろいろな飢饉もありましたが、ほぼ江戸時代は3千万人ぐらいの人口で、ここで実は三倍に増えている。そのあと、問題は我々の生きている時代ですが、大政奉還が行われて明治となって、この2000年までの間に日本の人口は四倍近く増えています。
僕たちはいろいろな形でこの20世紀のカーブ、人口が3千万人から1億2千万人ぐらいに伸びる、ここに合わせて、例えば経済のメカニズムやさまざまな国・地方の財政システムなど、いろいろな制度を作ってきてしまった。問題は、これから先どうなのかということです。次の百年、少しショッキングかもしれませんが、人口問題研究所の予測では、2100年、今後百年のうちに人口は、高位 推計・中位推計・低位推計といくつか推計がありますが、大体六千万人のレベルに落ちるのです。ということは半分になるということです。
問題は、この20世紀に大きく増えた人口はどこで吸収したかというと、ほとんどが東京圏と大阪圏です。お聞きしたかったのは、今までこういうことはないですよね。

■社会の仕組み変えなければ
●赤坂:ないですね。未曾有の体験ですよね。人口が増えるということは生産力も高まるという前提ですべてが設計されていますから、我々はこれからどういうふうにいけばいいか。この右下がりの減っていく社会の仕組みを変えていかないともたないと思いますね。
僕は、グローバリゼーションというのがもう終わるのだろうと、ある部分では思います。経済は確かに世界的な流れの中で動いていくのは当然だと思うのですが、そうすると逆にせり上がってくるのが、地域であり民族であり宗教だと思っています。その不幸な形がイスラムに出ていますが、我々の身近な問題でいえば地域だと思います。グローバル化が進めば進むほど、その地域に生きるアイデンティティが深刻に問われていくし、世界に出て行ったときに、自分の生まれ育った土地の文化や歴史をきちんと語れない人はばかにされますよね。みんな背負っているわけですから。

■足元の「記憶」を押さえよ
●大内:グローバリゼーションというと、英語が話せればいいとか外国の文化のことを少し知っていればいいという誤解がまだ若干ありますが、自分たちの足もとについてきちんと語る、あるいは自分たちの足もとの記憶をきちんと押さえることが本当はグローバリゼーションなのでしょうね。
●赤坂:だから今、日本全国で地域学が非常に盛んになっていますね。僕自身も「東北学」というのを立ち上げて10年近くやってきて、結構、東北のイメージが変わってきています。東北の人たちが元気になってきていますよ。ぜひ「金沢学」も。
●大内:そう。それで「金沢学会」をこの創造都市会議で実は立ち上げたいと思っているのですが、その注意すべき点というか。「東北学」というまさに挑戦的なものを立ち上げられて十年という赤坂さんの今までの話はわかりましたが、それを前提に注意事項というか、ぜひこういうポイントは見逃すなとか、何かアドバイスをいただけますか。

■お国自慢ではだめ
●赤坂:偉そうなことを言うつもりはないのですが、お国自慢ではだめだと思うのです。しかし、静かにきちんと自分の地域のことを語れるということは大切だと思うのです。そういう人がいますよね。そういう話を聞いていると、例えば「金沢っていいな、行ってみようかな」という気分になる。お国自慢ではなく、自分の生まれ育った土地の歴史・文化・風土を静かに肯定しながら、それをきちんと言葉にして表現できる。僕は「地域の語り部」と呼んでいますが、そういう人たちが増えることによって変わっていくのかなと。
地域学、例えば金沢学というのも、そういう地域の語り部を育てていくことが最大のテーマなのかなという気はします。具体的に何をやるとか。
●大内:面白いなと思うのは、そういう東北学を始めた赤坂さんは、お父さんは福島の方かもしれませんが、東京からある意味で入っていった、山形にとってはよそ者ですよね。それが東北の人たちに関心を持たれ、そしてある種の元気をつけていくというのはすごく示唆的ですね。

■旅人をしたたかに活用せよ
●赤坂:旅人の方が自由にものが言えるのです。しがらみから切れていますから。そして、地域がそういう旅人とかよそ者とかをうまく活用できるほどしたたかになることが大切だと僕は思います。拒絶するのではなくて受け入れて飲み込んで搾り取って放り出せばいいのです。僕はそのくらいのしたたかさを地域社会は持たなかったらだめだと思っています。お人好しにやっていてはだめですよ。
●大内:逆に言うと、それで消えていくような地域の文化はもう生命力がないのだと言われてもしかたがないかもしれない。それほど地域とか文化というのはしたたかでなければいけないということですね。今日は1時間半も皆さんにおつきあいいただいたのですが、たぶん、これが結論に当たるのではないかと思います。
考えてみれば、伝統それ自身はそれが生まれたときはすごく前衛的な活動だったと思います。古いものを守るということではなくて、それと新しい試みとのいい緊張関係の中で、次の世代に残すべき価値が生まれていくのではないかと思います。
今日、幸いにも、ある意味ではそういう議論をするのにものすごくふさわしい場所を対談の会場に選んでいただいたことを、僕は感謝しなければいけないと思っています。ある種の非常に古い価値があるところで新しいものに挑戦していく、そういう場所を金沢の人たちが提供されているのをうらやましい話だと思います。
東京やニューヨークが新しいものに挑戦する、特に東京のようなほとんど古いものの残っていないところが新しいものに挑戦することと、金沢のような歴史都市が新しいものに挑戦することというのは、全く意味が違うということをぜひわかっていただきたいし、そういうことに私は外の人間としてものすごく期待をしているということを、最後に申し上げたいと思います。

  
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