松岡正剛
小林忠雄
 
●小林:金沢は、春夏秋冬の生活文化、生活サイクル、これが実にうまくできている。さまざまな仕掛け、さまざまな特徴を持った営みがあることがわかります。中でも風土と深くかかわっているもの、自然環境とかかわっている行事がいくつか見られることです。
これは例えば京都と共通しているところがあるでしょうか。
●松岡:相当共通しているのではないですか。京都の文化はかなり金沢に入っていると思います。公家の文化が京都にはあって、有職故実、平安時代からずっと続いた四季折々のたしなみといえばたしなみ、約束といえば約束、縛りといえば縛り、そういうものがかなり公家の中で行われています。大体「月並み」と呼ばれている上方あるいは京都の行事と対応しているのではないでしょうか。
●小林:江戸後期あたりから急速に江戸的なものになっていったようですが。
●松岡:金沢が、もともとは京都文化をモデルにしながらも文化文政期くらいから、江戸社会や江戸の風俗や江戸の感覚を受け入れてきて、明治あたりでそれをどうしたかです。というのは、例えば粋ということをあそびとして考えてみると、粋の感覚は上方と江戸では全然違うわけです。大体、京都では粋といいますから。
●小林:金沢は芝居と遊郭、芸妓さんの芸術といった歌舞音曲がありますから、その中にも当然、粋というのはあると思いますが。
●松岡:それを江戸のように悪場所として、金沢では取り締まったのでしょうか。
●小林:それはないと思います。
●松岡:江戸は結構タブーを作っているわけです。タブーを作って戒めたり掟にしたりしている。そうすると、タブーになった側がもう一回挑戦をする。ある意味では江戸という社会は、派手なものとタブーとが組み合わさっていた。
金沢はある意味ではすべてを認めすぎているのではないでしょうか。そのままではなくて、少し縛っていくようなところが必要なのではないでしょうか。そうしないと金沢の羽織はこういうものだみたいなものにはいかない。 そういうある種のルールと縛りと、それからの抜けがあそびを作るのです。要するに学校で制服しか着てはいけないというから若い子のファッションが伸びるわけで、靴下はこうでなければいけないと決めるので、ルーズソックスが生まれる。

■見栄も大事な要素
●小林:そこが逆にいうと、先程言ったように、たしなみという形で全部凝縮されてしまう。日常生活の中でごくあたりまえにあそびを作ってしまう。それはある程度の優れた芸能まではいっていると思いますが。その先はとなると、なかなか次の一手が出てこない。私はたしなみということと、もう一つは見栄、見栄というのは都市に住む人の本質的な性情だと思うのですが、見栄があるから逆にいろいろなファッションが生まれる。
●松岡:そうですね。見栄っ張りの方がいい。
●小林:金沢にはまさにそういうところがあると思います。
●松岡:深川芸者がなぜ粋(いき)かというと、だれもが見える足を素足にして黒塗りの下駄 を履いて、それをぱっぱっと前で切るわけです。それが西へ行くとだんだん内にこもっていって、京都あたりではベンガラ格子の向こうは見えないくらいに、奥まっている。金沢の感覚はちょうど中間のゾーンのところにいろいろなものを置こうとしている。
●小林:そうですね。確かにそういう意味では非常に中間的な部分が目立ちます。
●松岡:金沢は今、風俗営業はどうなんですか。わりと取り締まりはよく効いているのですか。
●小林:私はよくは知りませんが、しかし、わりと育たないのではないでしょうか。

■モダニズムは両刃の剣
●松岡:そんな感じですね。その辺が、モダニズムがうまくいったことと裏腹なのです。だから、モダンというのは両刃の刃です。阪神モダニズムというのは阪急文化で、この中には、猥雑なものは入りません。きれいにきれいにちょっとずつ、要するに考え方でいうと『細雪』の世界です。
金沢がモダンが得意でモダニズムの文化を明治の初期から相当入れていたとすると、際どい怪しいものをどこかに捨てた。そういう怪しいものを出せないから、頑張って文様にしようとか、裏地にしようとなっていれば文化なのですが、それをやめたとすると、モダニズムというものが一方で金沢のよさを作った半面 、金沢のパワーを落としていると思います。
●小林:私がもう一つ気になっているのは、大野弁吉というからくり師です。彼は、あの時代のまさにからくり、西洋の物理化学をそのままあそびの世界に持ち込んでいったわけで、その辺は金沢には相当あるという気がするのです。金沢で開発された自動織機の背景に弁吉の技術が入っていると思います。そういうものを礎にして、金沢は一気に機械工業の産地になっていきます。その辺の中から物を作っていくイメージや発想、これをもう少しやっていいのではないかという気がします。
●松岡:それは必要ですね。大野弁吉のものにだれかがファンデーションしてファンドして投資しないとだめです。先程のモダンと関係があるのですが、モダンのよさは、どんなものが来ても何とかそれをモザイクにして、それなりのインテリアなどにするという力ですが、一つの弱さは投資力だと思います。投資力がない文化です。文化もあそびも結局はもう少し見えない価値がほしいと思ってやるわけです。現代ではそういうものを一種の投資構造や企業構造や産業構造に変えなければいけないのです。だから簡単にいえば、今の大野弁吉型のベンチャースピリット、そういうものが何か投資構造に変わるものを金沢が生むことができるかどうかが、ポイントになるのではないでしょうか。
それと僕は、小林さんが言われた中では、1月から12月まで月並みが残っている、これは絶対に大事です。大前提です。季節感に合ったあそびと文化がなかったらもう何もないです。何とか季節に合わせたことを、無理してでもやっていないとだめですね。

  
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