猪木武徳
佐々木雅幸
 
●猪木:先日、神戸大学の加護野さんと話す機会があって、なるほどなと思われるような指摘を彼がされていたのでご紹介します。京都には今、オムロン、京セラ、任天堂、村田製作所、ワコール、イタリアードなど新しい革新的な企業が出てきています。加護野さんは、京都の閉鎖性と、特に戦後かなりクリエイティブな企業人が京都から出たことはかなり関係が深いのではないかという説明をされているのです。
閉鎖的というのは、取引関係が長期の信用を大事にするということです。どれだけ自分が信用ある人間かということを、新たに開拓する取引先に認めてもらわなければならないというプロセスがあるというわけです。
同時に、事業に進む場合に、その事業に食い込むには、同じものをやっていてはだめだということ。つまり、人格的陶冶といいますか、いろいろと苦労して自分が信用ある人間だということを示しつつ、イノベーションしないと単なる顧客の取り合いになってしまうということです。
●佐々木:今言われた都市の閉鎖性というのは、別の表現をすると、都市の中で域内循環がかなり濃密に行われている、京都というのはそういう街だと思うのです。そこには絶えず情報が飛び交っていて、情報が非常に細かく産地の中で差別 化されていくようなものがあった。つまり、アイデアが熟すというか。だから、成熟型のものができるという方向だったと思うのです。
それぞれの都市が何で自分のところを差別化できるかということがあると思うのです。大学、研究所、それから高度な技術者を養成するようなシステム、こういう教育・研究に京都というところは独自な強みがあるので、絶えずそこから出ていたわけです。
実は金沢も、そういう点で見ますと、明治の早い時期から工業専門学校を地元の有志の人たちが誘致運動をしました。今の県工といわれている工業学校がありますが、これは当時、日本で最初にできた工業専門学校です。最初、地元は美術学校が欲しかったのですが、単なる美術ではなくて、それと近代工業を結びつけるようなインダストリアルデザインというところへもっていったわけです。

■残すべき伝統的技能
●猪木:伝統的な工芸技術も含めて熟練の点に関して、私は面白い経験をしたことがあります。17〜18年前に私はタイとマレーシアの工場で聞き取り調査したことがあるのですが、当時、工作機械を使って金属を削っていくというタイプの仕事はすでにタイでもマレーシアでもしていました。しかし、かなり精密度の高い金型に関しては、日本から持っていかないとどうしても対応できないといわれていました。熟練や技術というのは一人の人間が上達していくという側面 と、世代を超えて、社会が教育訓練のシステムとしてどれだけ厚みのある技能を持っているかということと、非常に深く関係していると思うのです。
その金型を作るのにも工作機械を使って削るわけですが、最後の仕上げをやるのは仕上工です。日本の場合は最終的に手作業で微妙なところまでわかる人がいる。当時のタイ・マレーシアにそういう職人層が育っていなかったということだと思うのです。
ところが最近は逆のことがいわれています。つまり、そういう熟練工が東南アジアで育ってきた。逆に日本の方が熟練の職人層が薄くなってしまっている。そういう意味でも、伝統的技能すべてをそのまま社会的に保護し保存することはなかなか難しいことだとは思いますが、何を残しておかなければならないかというのは非常に大事な点ではないかと思います。

■職人の仕事があることが大切
●佐々木:金沢の今の物づくりというのは、金沢型の経験や勘やコツを持った人たちがいます。そういう人たちの集団をこの町はこれから大事にしていくといことが、非常に意味があるのではないかと思うのです。
金沢城の五十軒長屋と菱櫓の再現がなりました。その再現にあたっては釘を使わない伝統的な工法を採用しました。これは金沢の見識だと思うし、後世が評価できる文化財として造ったことは、非常に地味な仕事ですが高い評価を与えられると思うのです。
大切なことは、職人さんたちの仕事があるということ、新しい職人もそこで養成できるということなのです。そうしたアナログの世界を大事にしていくことを、この街が全国に示したということです。これは、古いことをやっているように見えて、実は一番新しいことをやっているのではないかと思うのです。
●猪木:私は、外からの人材なり外からのショックみたいなものを吸収するような度量 も必要なのではないかと思います。
●佐々木:以前、鶴見和子先生と内発的発展論という議論をさせてもらいました。鶴見さんの考えポイントは、定住者と漂泊者が地域をよくするというものです。定住と漂泊という二つの相異なるファクターがうまく出会って、それがミックスしたときに地域は発展する。定住者というのは土のようなもので動かないわけです。漂泊者というは風のようなもので、あるときふっと吹いてきてはいなくなってしまう。しかし、その風がないと土は新しくならないのです。その定住と漂泊の中間にあるような一時定住者、一時漂泊者はもっと大事だと言われました。
金沢にあって金沢の経済にコミットしている定住法人が、漂泊者という新しい風をうまく受け止めながら、引き続き金沢で頑張り、この金沢の土地を変えていこうとする。この地域にコミットしていく企業の数が減ってしまうと、金沢は残念ながら長期衰退に陥ってしまうかもしれない。 私は金沢の経済が、個々の企業が自らの利益を追求するだけではなく、金沢という都市をよくするために努力してきた歴史があると思うのです。金沢の文化的な厚みを増すことが、トータルで金沢の新しい企業の再生につながる。そこが他の街にない特徴だったと思うのですが、そういうものを今一度、この時代にあって、金沢が世界に投げかけるメッセージとしていきたいなと思っています。

  
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