第10回金沢創造都市会議

金沢創造都市会議2019 >セッション@

セッション@

にぎわい創出を考える〜都心軸の活かし方〜

座 長 : 砂塚 隆広 (金沢経済同友会代表幹事)
ゲスト : 坂本 英之 氏(金沢美術工芸大学教授)
     岡  達哉 氏(金沢星稜大学教授)
     板橋 史明 氏(日本政策投資銀行北陸支店長)
進 行: 鶴山 庄市 (金沢経済同友会副代表幹事)


セッション1











金沢の都心軸、3 つの課題について

(鶴山) セッション@は、特に都心軸を中心としたにぎわい創出について、意見発表、提言提案をしていくことを内
容としております。私どもは、金沢駅の兼六園口から武蔵、香林坊を経て広坂、そして本多町通りへ続く道路を、金沢の都心軸として捉えました。本多町には鈴木大拙館もあり、さらには谷口吉郎・吉生記念金沢建築館へと続いていきます。このルートが都心軸かどうかというところは後ほどパネリストの方々からその点についても触れていただく予定でございます。
 その都心軸に密接に関わる駅前の旧都ホテル跡地、2023 年に駅西地区へ移転が予定される日銀金沢支店の跡地、そしてと金沢のまちの核となる金沢歌劇座について、それぞれのあり方に関して議論し、まちのにぎわい創出につなげていきたいと思います。今申し上げた3 カ所につきまして、若干、現状の整理をさせていただきますと、まず旧都ホテル跡地ですが、ホテルは2017 年に営業が終了し、18 年に建物の解体が完了しましたが、4900 u弱の土地が今もって仮囲いをしたままの状態が続いています。今年の1 月に山野市長が、土地所有者の近鉄不動産の専務に面会、市として何かできることがあればという協力の申し入れをされました。その際に、駐車場としての土地利用は絶対に避けていただきたいということも、併せて申し入れをしていらっしゃいます。ただ、その後、何らの動きもないというのが現状かと思います。
また、先月、11 月21 日に開催されました経済同友会と市長の意見交換会では、今年度中に近鉄不動産の親会社である近鉄グループホールディングのトップに面会し、金沢市の思いを伝えたいという所信を話されました。
 次に、日銀ですが、日銀の金沢支店は開設から今年で110 周年を迎えます。
現在の建物は1954 年(昭和29 年)に竣工しております。金沢支店が駅西地区に2023 年に移転した場合、香林坊・片町という金沢の中心部に約4700 uという広大な空地が生まれます。このことが人の流れを変え、都心のにぎわいの減退につながると思われます。また、にぎわいを考えた場合には、現支店の敷地だけでなく、周辺地区を含めた一帯の整備を考えるべきではないかということは市長からもお話がございました。
 次に、歌劇座ですが、現在の金沢歌劇座の建物は1962 年(昭和37 年)に建設されまして、2010 年に耐震工事が施工されたのですが、建築後60 年近くたっているため、老朽化が進んでおります。また、建物周辺は本多の森周辺文化ゾーンとして整備が進められており、建物向かい側の県立図書館は、小立野地区に2021 年11 月に移転予定です。美術館や博物館も幾つか立地する文化ゾーンですから周辺地区の施設も視野に入れ、建物の機能をどのようにしていけばよいか。場合によっては隣接するふるさと異人館等の土地も含んだ整備の可能性も検討すべきではないかと思われます。現在、金沢市が設置しました金沢歌劇座あり方検討懇話会で議論がされておりまして、建て替えを念頭に議論が進むものと思われます。
 いずれも、金沢駅から武蔵香林坊を経て本多町へと続く、都心軸に直接関わる大事な場所ですし、文化都市金沢として、まちの魅力、都市格という観点からも、大変重要な場所です。都心軸を中心に、にぎわいの維持・創出という観点から、これからパネリストの皆さまにご意見を伺ってまいります。
 では、初めに、パネリスト皆さん各自の金沢の印象、捉え方、そして都心軸のコンセプトなどにつきまして、それぞれにお考えをお話しいただきます。坂本先生からお願いいたします。

(坂本) 私はちょうど今から4 半世紀前、25 年前に金沢にまいりました。それまでは、加賀市で生まれて幼少期を過ごし、そのあといろいろ各地を巡っておりましたので、U ターンに近い形の立場かと思っております。
 その中で、私の金沢の印象というのは、幼少期の印象がまず最初にありまして、ハレの場というか、加賀の田舎の方から家族連れで訪れて、当時の大和デパートなどで食事を一緒に食べたり私にとって、初めて出合った都市というふうな心象風景があります。
 その後、各地を巡りまして、それから金沢に来たわけですけれども、それから25 年もたちまして、かなり最初の印象は薄れてはいるように思うのですけれども、例えば歴史都市であるとか、自然文化都市といった呼び方もありますし、近年では創造都市というような言い方もされ、さまざまな側面というか、いろいろな顔を持っていると思います。
 最近は特に、観光都市というような言い方もされたりするわけですけれども、私にとっては、やはり生活する都市、生活のための都市という意味合いが一番強いかなと思っておりますし、私の研究のテーマもそこに近い部分があります。
履歴にも少しありますけれども、ドイツに9 年間住んでおりまして、ヨーロッパの中核都市、州都であるとかそういった都市は、大体規模が50 万人前後なのです。そういった都市の中での生活は非常に快適だったという印象がありまして、日本に帰る場合は必ず地方都市に戻りたいというか、入りたいと思っておりました。
 金沢は、今まさに45 万人の都市、この都市の規模というのは、非常に重要なものだと私は思います。ドイツでは、100 万人を超えるともうそれは都市ではないという言い方をします。集住の塊、いろいろなエリアがモザイク状につながった塊だというような言い方をします。都市として一つのフルセットが揃うような規模というのは、やはり50万人だというふうにいわれていまして、金沢はそういう意味では非常に適正な規模なのではないか。それから、生活都市と言われましたが、お互いの顔が見える、お互いが何をしている人かというような情報も含めて、都市規模のコミュニティといったものも健全に保てるのではないかと思っております。

(鶴山)確か今、市もコミュニティということを大変重視していらっしゃいますが、やはり人口規模も含めて、適正な状況に見えるといえるということですね。それでは、続きまして岡先生、いかがでしょうか。

(岡)私は2016 年の4 月に金沢にまいりました。今回参集されている方々のプロフィールを拝見しますと、国土交通省であったり、ハワイあるいは私の大学院であったミシガン、私は生まれが北海道なのですが、北海道にもご縁のある方がいらっしゃる。そうした滅多に会わないような方々と、たまたまこの場でご縁があるということで、何か大変なこれからの発展につながるのではないかなどと考えております。
 いろいろ活動しておりますけれども、特に社会的にいろいろなバリアを抱えている人、中でも徐々にマイノリティ化しつつある子育て世代のために何かできないかというのが、私の非常に大きな問題提起です。
現在の官房長官の菅義偉先生の秘書官を務めていた2001 年に、いわゆる9.11でアメリカがテロ被害を受け、観光によってそれを応援しようと、日本人1000人を束ねてニューヨークを訪れました。自民党の幹事長の二階俊博先生などが中心となって行かれたわけですが、その際に私も随行しまして、現地でいわゆるグランドゼロ、爆心地になった部分、ツインタワーが倒れた場所などを訪問する中で、お金の面からというよりも、その地域の良さ、文化、自然、またコミュニティ、そういったものを保全して伝えていくための観光ということに対する関心を持つようになりました。
 同じ年に中国にも随行し、写真でスコップを持って掘っているのが官房長官ですけれども、普段、政治家同士は揉めているようにも見えるのですけれども、わざわざ日本の政治家が中国に行ってスコップを持って穴を掘り、そこで食事をして、中国のCO2 削減に貢献しようという動きをする。要するに、観光というものを、ただお金や遊びと捉えるのではなく、その中身でいろいろな信頼関係、究極的には国際平和、国際理解、異文化理解といったものが進んでいく。私のことばかり申し上げて何ですが、そこに魅力を感じるようになり、それまでは専ら都市計画あるいは住宅といった形で都市計画法、建築基準法を主に担当していたのですけれども、観光に少し興味を持ちはじめたわけです。気候、自然、食文化がそろった日本というのは素晴らしいと、いろいろな方が言っていますけれども、まさにそれが金沢に対する私の印象でした。日本全国あちこちで仕事をしてきましたし、親の仕事の関係で転勤もあったのですけれども、金沢には全てがあるのではないかという、この完成度の高さです。今、坂本先生もおっしゃっていたとおり、住んでよしという部分も含めて、観光してもよし、コミュニティもしっかりしている。その完成度の高い金沢というところに一度住んでみたいと思っていたところに、たまたま求人の話があり、応募して現在に至るということです。
 しかし、金沢が好きで、金沢に着任したものの、金沢のことは全く知らないわけです。それで、最初に賃貸で借りて東山に住みはじめました。東山だと、いろいろなところを歩いて回るのに都合が良いということで、あちこちをうろうろしているのですが、とにかくまずは勉強だと思いました。確か、現市長さんも昔、ボランティア大学に入っておられたということをご本人から伺った記憶がありますが、観光コースが運良く抽選で当たりまして、その中であちこちに足を実際に運び、フィールドワークをしながら金沢のことを1 年間勉強し、修了して次の年からまいどさんに登録させていただきましたが、仕事が忙しくて全く活動できずに申し訳ないということで、すぐにまいどさんからは外させていただいたのですけれども、着任してすぐに1 年間勉強して、金沢の良さを改めて理解したということがありました。
 私の子どもは男の子で、金沢に来たときは4 歳だったのですけれども、文化、自然、食に恵まれた土地で子育てをする、何てすごいことなのだろうと、自分で感動しておりました。今、左側にお示ししている文章は、私の北海道に住む姉が、姉は福祉畑をずっと歩んでいるのですが、メールで私に送ってきたものなのですが、「幼少期に過ごした環境が人生のベース部分に与える影響が大きいということを自分も実感している」。姉の言い回しが少し気になるものの詳しくは追求していませんが、私の子どもが金沢で伝統的な文化に触れて育つことができるのはすてきだと。こういったメールを、筆不精で口下手な姉がわざわざ送ってきてくれました。確かにそうなのだろうと思いました。この写真は、私の息子が4 歳のときに、東山で芸妓さんたちの舞の恒例の行事がありますよね。あのポスターを見て「パパこれ見たい、これ行きたい」と言ったのです。私でも少し敷居が高いと感じてしまうようなものに、4 歳の子どもが関心を持つ。こういうことが、やはり何だかんだで、きっとこの金沢で生まれ育つ、外から入ってきてでもそこで育ち、現場で学んでいくということが、何かしら人材を育てていく、愛郷心のある人材を育成していくということにつながっていくのではないかということを感じた次第であります。

(鶴山) 私どものような生まれも育ちも金沢という人間にとってみれば、一体どこがいいのかなと思うこともあるし、また改めてそういったことをおっしゃっていただくと、なるほどなとも感じます。
続きまして板橋支店長さん、よろしくお願いいたします。

(板橋) 私は、この6 月の末に金沢に着任させていただいたばかりということで、今お二人の先生方がおっしゃられたような、金沢の魅力を知り尽くすようなところまではいっていないところもありますので、少し印象といいますか、金沢についての現状の認識を、数字などを使って整理させていただければと思っております。
 私どもは日本政策投資銀行と申しまして、金沢でも前身の日本開発銀行時代から非常に皆さんにお世話になって今まで業務を続けてきております。主に不動産開発を含めたまちづくりのお手伝いですとか、観光振興、地域振興を軸の一つに掲げながら仕事をしてきております。私自身はまだ金沢に来たばかりということですが、出身は岐阜市でして、東京での勤務の他、大阪、鹿児島、札幌といった地方都市での勤務の経験もさせていただき、今は金沢ということです。
 まず議論をさせていただく大前提としての人口の増大、これは社会保障・人口問題研究所の推計です。皆さま当然もうご案内かと思いますけれども、今後、緩やかに人口が減っていく中で、65 歳以上の人口の比率が上がっていくというような推計がなされています。
 これを年齢構成別に分けるとこのような形になりまして、年齢の切り方を50 〜 74 歳としており、一般的な先ほどの65 歳というのと少し切り口を変えてあります。なぜこんな年齢のところで切ったかというと、内閣府が調査をされているところによると、大半の高齢者の方は、実は非常に身体的には健康な状態だという調査の結果が出ており、ちなみに65 歳以上74 歳未満では、男性で92%、女性では94%の方が身体的に健康だということです。ですから、高齢化が進むというと暗い未来のような感じになりますけれども、一昔前の高齢者、皆さんの助けが必要な高齢者というよりは、健康な高齢者の方が非常に増えていくというような将来像なのかなと思っております。
 ちなみに、49 歳以下の人口は、2015 年の2660 万人から2045 年には2020 万人ということで、かなり減るような形で試算されておりますけれども、50 〜 74 歳は1440 万人から141 万人と非常に安定した人口のボリュームゾーンになってくると考えております。これがまず全体の議論の前提かなと思っています。
 金沢に来まして、やはり観光が非常に活発になっていまして、新幹線の開業に伴い宿泊客も非常に伸びているということで、少し古いのですが2017 年12 月に私どもの銀行でホテルの投資動向についてレポートを出したものを最新の数字にリバイズしたものです。結論の中身はあまり変わっておりませんが、2020 年頃には1 万室を超えるような客室数になるということで、右の方に青い線で書いてあるのが稼働率ですけれども、一定の前提の下で宿泊客数が伸びていくとしても、定員稼働率は少し下がっていくのではないかという内容のレポートを発表させていただいております。
 報道ベースになりますけれども、積み木のようにホテルの件数を積み上げてみたのがこちらで、2015年以降、39 件というような形になっておりまして、金沢駅周辺で非常に活発だということと、それから金沢駅周辺から徐々に香林坊、南町、それから片町という形でホテルの新設エリアがだんだん広がってきているということが見て取れるかと思います。
 それから、観光客数が非常に伸びているということを、他の都市と比べてみました。私は岐阜の出身だと申し上げましたけれども、岐阜も40 万人都市で、金沢は今、人口が46 万人ぐらいということで金沢の方が少し大きいのですが、率直な印象として40 万人都市のにぎわい方ではないなというイメージを非常に持ったものですから、ちょっと横に並べて比べてみました。同じような40 万人都市の大分市、高松市、それからお隣の富山市を並べておりますけれども、私が勤務した経験のある鹿児島も、新幹線の開業が直近にあり、同じように歴史文化を背景とした観光需要に支えられているということで、参考までに鹿児島も並べて比べております。これで見ますと、2015 年の新幹線開業後、鹿児島と金沢両方とも宿泊客が突出しているのですけれども、金沢が鹿児島を抜いてということで、人口当たりの延べ宿泊客数で見ましても、他の都市を大きく引き離しています。これが、私が着任したときに40 万人都市とは思えないほどのにぎわいだと思えた、一つの数字的な話なのかなと思いました。
 それをインバウンドだけに絞ってみますと、さらに金沢の強さが際立つような形なのかと思います。ただ、金沢は絶対数は多いのですが、どこかでいわれていることの繰り返しみたいな話で申し上げると、実はインバウンドは日本中に非常に大きな恩恵を与えていまして、金沢はこの5 年で伸びが2.4 倍ということですけれども、鹿児島、大分はそれを大きく上回るような伸びになっています。わが故郷の岐阜だけは、少し低迷が続いているというような形ですけれども。
 私どもの銀行の方で、JTB にご協力いただいてインバウンド客の意向調査というアンケート調査を毎年やっております。まだ今年のデータは出ていないのですけれども、北陸訪問希望者に対して「ナイトライフとしてどんなものを期待しますか。夜体験したいことは何ですか」という質問に対して丸を付けているのが、私が思うに北陸地方に顕著なもの、例えばイベント、祭りの見物ですとか、観劇、音楽鑑賞、美術館、博物館、芸術鑑賞といったものを期待しているという結果になっています。
 右側は、訪日客全体でのナイトライフについてのキーワードということで、赤丸を付けさせていただいているのは、金沢がある程度、特徴を出せるような部分なのではないかという文化であったり伝統、経験、こういったようなとこ
ろが非常に上位の希望になっているということです。
 都心軸ということで、商業地域のデータを金沢市が調査したものから引用しております。この歩行量調査というのは、見るのが非常に難しいというのが率直な感想なのですけれども、今のところ金沢市の評価としては、観光客が増えて、歩いて観光地を行き来する人が非常に増えているので回遊性が非常に向上している、全ての地点で2014 年に比べて2018 年は歩行量が増えたといったレポートになっているようです。
 私がこの金沢の都心軸のところを見回して、非常になるほどと思ったのが、エリアによってある程度、役割というか機能が色分けされているようなイメージがありまして、片町の飲食に対して、南町、堤町の方は宿泊が多いのかなと。
それから、香林坊のエリアは商業エリアが多いのかなということで、冒頭にお話が出ました日銀の金沢支店が今あるところは、まさにこの三つのエリアの結節点になる、非常に大事な場所になるのかなと思います。
 商業販売の状況は2007 年と2014 年の比較をしますと、非常に苦戦しているというような感じかなというところです。
 最後に、土地、地価が非常に上がっているという話を耳にすることがあるので、路線価をグラフにプロットしてみますと、金沢駅、香林坊とも、2015 年を境に地価の回復が見て取れるかと思います。若干つまらない話をしますと、土地の値段というのはいろいろな要素で決まってくると思いますけれども、金融機関の目から見ますと、一頃の、例えばバブルの頃をイメージしていただくと、土地の値上がりを期待してキャピタルゲイン狙いでの取引というところから、その土地の収益に着目したインカムゲインを重視したような形で価格形成がなされるようになったのかなというところで、賃料と不動産金融市場の二つの影響によって地価が動いていくというのが、教科書的なお話かと思っています。何が言いたいかと言いますと、この金沢、香林坊、両方ともやはり収益がそれなりに上がる土地になっているという認識が広がっているということが、地価の上昇というところに表れてきているのかなと思います。キャップレートと下に書いてありますけれども、不動産の期待投資利回りのようなところ、キャップレート自体が縮んでいくと過熱感が強いということでさらに地価も上がっていくのですが、今、あまりたくさんではないのですが、金沢近郊でJ リートなどに組み入れられている物件を見ますと、4%台の後半から6%中段ぐらいまでの投資利回りで入っているようなものが多く、まだまだ非常に過熱して下落が心配されるような状況かというと、そうではないのかなという印象です。ありがとうございます。

(鶴山) データを含めてお話を頂きまして、後ほどのセッションにも大いに関係することもございました。今、金沢の社会動態や社会動向につきまして、それぞれお話をしていただきました。皆さんそれぞれ、金沢を非常に高く評価していただいていることがよく分かりました。ただ今から事例等も含めて、都心のにぎわい創出について、あるいは官民連携、官民学の連携等々、多様なアプローチがあるかと思いますけれども、それぞれにパネリストの皆さまからご意見、ご提言を頂ければと思っております。

(坂本) 自分なりに都心軸に関してどう捉えたら良いのかと考えたわけですけれども、都心軸といいましても、金沢市の都心軸というのは非常に長い軸線でありまして、海まで行きますと、途中の南町かいわいから駅に至るまでの軸があって、あと駅西の海の方もあったりして、さまざまな顔があるという印象で、一言では語れない部分があるかと思います。ただし、都心軸というのは、元々は開発をコントロールするために、開発と保存地区の明快なゾーニングをするために考え出された都市の一つの骨格であるといわれていまして、金沢市の都心軸というのは非常に明快な骨格をつくり出していると私は思います。結論が先になってしまうかもしれませんが、他都市の都心軸と称するものが他にもございますが、そういうところとの比較で見ると、経済的な集積でありますとか容積も含めて、金沢の都心軸というのはしっかり出来上がっているのではないかと思っています。
 都心軸の今後の展開ということですが、都心軸は、いろいろな顔があって、先ほどはエリアの顔の話をしましたけれども、時代の顔もあったといえると思います。特に日銀の辺りなどは、江戸期からの街道筋でありますし、大店(お
おだな)が出てにぎわっていた通りである。それが今の都心軸構想の中に組み込まれて、武蔵ヶ辻であるとか香林坊といった拠点をつくってまちの発展の一つの顔にしていこうということできているわけで、近年を見ましても、金融街の顔が一時期あったわけです。金融街として、都心軸というのは金沢市の一つのしっかりした顔づくりをしてきたのではないかと思いますし、日銀はその牽引役にもなっていたのではないかと考えます。金融街になってからは、やはり金融業という業態の性格上、土日はシャッターが下りる、平日も15 時以降は閉まってしまうということで、全く人通りがない状況が続いてきたわけですが、それが今はホテルの業態に変化しようと。ホテルだけではないですが、そういった方向が一つ今打ち出されてきているということで、時間軸の中でも、この都心軸というのは常に変化をしてきていると思っています。
 近年の変化を見ますと、私は好意的な面が多いかなと思っていまして、今までの金融一本やりといいますか、金融・保険関係の業務ビルばかりが入っていて、その後、その業務が移転したり、支店が廃業になったりということで空きビルが増えたことがありましたけれども、それに比べて今は宿泊業や飲食、それからファッションも少し入ったりして、多様化の方向に来ているのではないか。その影響で人通りも増えていると私は思います。これはある意味、香林坊・武蔵ヶ辻に関して言えば、非常にいい傾向なのではないかと思っています。
 都心軸のあり方というものが、個人的な見解になってしまいますが、金沢の一番の印象は、やはりにぎわい、それからハレの舞台というものがあるとすれば、この都心軸がそれを担っていく必要があるのではないか。あと、生活の軸でもあってほしいと考えます。
 そこで、話がうまくつながるか分からないのですけれども、私が住み慣れたドイツの都市の都市構造やライフスタイルといったことを少しお話しして、最後は金沢都心軸のお話にいけたらと思っています。
 私が住んでいたのは南西部にあるバーデン=ヴュルテンベルクという人口100 万人ぐらいの州です。石川県とちょうど同じような規模ではないかと思います。その州都、金沢市と同じような県都に当たるシュトゥットガルトというまちに、私は住んでいました。そこのまちが人口は、今だいぶ増えまして61 万人いますけれども、私がいた頃は54〜 55 万人だったと思います。先ほど言いました適正規模です。そういったまちで過ごしていまして、フライブルクというのは同じ州の中の環境首都、環境のメトロポリタンという呼び方をされているまちです。このまちは、アメリカのポートランドと少し似ていまして、ヒッピーというか、そういった人たちがまちづくりに参加して、さまざまな成果を上げてきているまちです。ポートランドも人口は61 万人だったと思いますが、フライブルクは少し小さくて人口が21 万人です。このまちの、中心市街地、ヴォーバン、リーゼルフェルトという三つのエリアのお話をしたいと思います。フライブルクというまちは、バーデン=ヴュルテンベルクという州の、フランスとスイスの国境辺りにあります。
また、ヴォーバンは、郊外に振興の開拓のエリアとしてつくられたまちで、フランス軍が軍事基地として使っていたところを、戦争で負けた後、払い下げになって住宅地になった場所です。ドイツ全体の地図で言うと、ヴォーバンが右の下の所、左の上の方がリーゼルフェルトで、ここも新興の郊外の住宅団地です。真ん中辺りが中心市街地、ダウンタウンで、中世のまちがあった部分になります。どの都市も同じなのですけれども、やはり1900 年代、戦後にかなりスプロール(※) しています。ドイツも同じです。アメリカも同じなのですけれども、スプロールをどう食い止めるかということで、近年は成長の限界線を引いたりしてスプロールを食い止めようとしています。

(※) 都市の急速な発展により市街地が郊外に広がり都心部の空洞化を招く現象


 まずは中心市街地に関して言いますと、6 割ぐらいが歩行者道路になっています。居住と移動とが一体的に整備されているまちなかの生活空間になっているわけです。ここは、トランジットモールという形で、中心部に元々ある市電、
LRT やバス路線といったものが整備されていて、車を使わずに生活ができる空間を提供しています。これは旧市街地のトランジットモールの部分ですけれども、こういったふうに人の移動が非常にスムーズにいくように、都心部は面的に整備されています。トラムが走ったりして非常に危険ではないかというのですけれども、過去50 年間、人身事故は何回かはあったようですが、死者が出たことはないということです。
 ヴォーバンの住宅開発におきましては、通り抜けができないような道路配置をしたり、それから子どもが遊べるような街路空間をつくったりして、家族連れ、若い人たちを入れるために計画された新市街地です。それから、ドイツでも附置義務といいますか、駐車場を設置しなければいけないという義務があるのですけれども、それらも共同の住宅地や住宅の駐車場に整備するという形で、まちの内部は全てカーポートフリーという状況をつくり出しています。
ショートウェイシティというのは、要するに徒歩20 分で全てが賄える生活圏という考え方で、アメリカのポートランドも全く同じコンセプトでまちをつくっています。要するに、20 分歩いたら全ての自分の目的が達成できる。バス停から、または駅から、そういった距離で買い回り品も手に入る。あと、カーシェアリングを使ったりしながら、持続可能な都市というものを目指していく。あと、都心までも簡単にアクセスできる交通の拠点も設けられています。
子どもが安心して自転車に乗れるとかですね。この写真は、子どもが遊んだ跡でしょう、落書きが道路にいっぱいしてあります。こういった空間を提供しています。あと、これはドイツ特有かもしれませんが、地域冷暖房システムも取り入れていますし、ビオトープ型の線路もあります。これはちょっとやり過ぎかもしれません。
 リーゼルフェルトも同じような状況です。ここは、元々は天然の浄水場をニュータウン化したところです。これは全体計画で、真ん中に走っている軸線が電車通りで、電車はループして戻っていく形で、車は周りからしか入れないような計画になっています。真ん中部分にあるのが学校であるとか公共施設というつくり方になっています。こういった自然豊かな環境で子育てしながら過ごせる。やはり都心部で子どもを育てるのはなかなか大変なので、こういった生活ができるような環境を整えています。この写真は開発の途中の状況です。軸線のLRT の空間はこのようにつくられています。あと、小学校もできていたりします。
 あともう一つ、私が住んでいたシュトゥットガルトというまちを紹介したいと思います。シュトゥットガルトのコンセプトは「住みたくなるまち」ということで、都心居住と歩けるまちというのが基本コンセプトになっています。
歩けるまちということで言うと、シュトゥットガルトは戦災でほぼ8 割が壊されたようなまちです。それを戦後復興でつくり上げたわけですが、このまちは工業都市ですから、ベンツやポルシェ、ボッシュの本社があるような都市でもあります。
 先ほど都市開発のお話をしましたけれども、これは市街地を赤い色で塗った地図です。これはシュトゥットガルト市全体を表していて、1900 年から2000 年までの市街地の広がりの50%を2000 年で超えたということを表しています。
このままいくと2080 年には100%になってしまうということで、シュトゥットガルトは2004 年に市の条例で市街地をこれ以上増やさないという条例を自ら課しています。ドイツでも初めての条例ということです。開発を行う場所は、まちなかにある空地であるとか利用可能なところは全部チェックして、それを管理体制下に置いて不動産業者、開発業者と連携しながらまちなかの部分だけを開発していくというシステムを取り入れています。
 これが全体土地利用図ですが、真ん中の部分が中心市街地で、その周辺は全部緑です。この市街地は8 ぐらいの小さな市街地です。そこにどういうものをつくっていくかということで、中心部の航空写真で見ますと、これがシティという中心市街地になります。中心市街地を少し大きくしてみますと、こういうふうな形で見えます。これ全体がシティで、赤線で囲んだところが、元は城壁で囲まれていた中世のまちの中心になります。例えば、この部分は軸線でいうと1.5km ぐらいしかありませんけれども、これがケーニッヒシュトラーゼ(王様通り)と呼ばれる都心軸で、ここがオープンスペースとしてはシュトゥットガルトの都市の顔になります。
 ここは1984 年まで、非常に交通量が多い、まちなか全体が交通量の多かったエリアなのですが、これをグーグルの地図の上に落とし込んでみますと、こういうエリアが中心市街地になります。これを金沢の同じスケールのグーグルの地図に落とし込んでみますと、こういう形になります。お城を囲んで、ほぼ21 世紀美術館や浅野川辺りまでつながるような、こういうエリアが中心市街地で、金沢の城下町よりも小さいエリアです。これを少し移動してみますと、ちょうど香林坊と武蔵ヶ辻が入ります。このエリアを、実は2005 年ごろからパーマネントな歩行者空間として整備して、今は95%が歩行者空間になっている。面としての歩行者空間をつくり出しているということです。
 これは1900 年以前の王様通りの姿です。当時はモータリゼーションの前なので、人とトランジット(電車等の公共交通)の良好な関係があったのですが、1960 年代には一気に車が溢れてしまう状況になります。それを、1984 年
にトランジットモール化しました。現状はこういう感じです。当時、初めの頃は、木もあまり茂っていないようなストリートができていますが、今は木陰の空間が生まれていて、いろいろなアーティストがいたり、裏側にはカフェが出てきていたり、郵便配達の人も徒歩で配達するような都心空間をつくり出しています。
 最後に、金沢の都心軸に関しても、荒唐無稽な話になるかもしれませんが、トランジットモールのような形のにぎわいと生活の軸にならないかということを思っています。現状がこれです。都心軸との関わりでは、私はアートプロジェクトというものを2006 年にやったことがあります。空きビルがいっぱい増えて通りが寂れてしまったということで、美大生を使って一緒にショーウインドウを飾っていく、都心軸をアートのギャラリーにしようというプロジェクトをやりました。これはみずほ銀行の辺りだったと思います。これは野村證券の辺りです。こういった形で1 週間ぐらい使わせていただいて、金融関係の皆さまには大変ご協力を頂いたということがあります。
 今までの状況を見ますと、都心軸から金融関係を含め、たくさんの業務関連が出ていっているということで、1 点だけ申し上げたいことは、日銀の金沢支店に関してなのですけれども、昭和29 年竣工ということで、あまり歴史性はないようにも見られますが、私は昭和29 年生まれの65 歳なので、自分の年を考えますと十分歴史性はあるかと思います。日本の日銀の来し方といいますか、行き方見ますと、広島支店も、少し古いですけれども昭和11 年に造られて、移転して現在は被爆建造物として暫定利用されています。それから、松江支店はカラコロ工房といった工房に使われています。それから、岡山支店はルネスホールという形で300 人ぐらいの席を持ったホール空間等に使われていて、釧路では移転についてはまだ不明であるが検討中という状況です。沖縄は残念ながら撤去されてしまいました。
日銀に関して言いますと、私はぜひ残したらいいのではないかと、個人的には思っております。先ほども申しましたけれども、あそこが金融街であった時代を牽引してきた、一つの生き証人でもある。そして、あの建物自体は、これから調査をしてみないと何とも言えない部分はあるとは思いますが、多分、銀行ですから堅固な造りであろうと思いますし、それを活用する方法が何かないのかという考えを持っております。あの場所ですし、文化と商業両方のハイブリッドな使われ方、それは官と民の連携になるのか分かりませんが、そういった形がふさわしいのではないかと思っております。

(岡) 大学というと、どうしても私どもの経済学部は元々そろばん学校から始まっているということもありまして、星稜というと、経営で数字を教えているというイメージがあるやに聞きますけれども、私は専らそういうことは、もっと数字化の得意な先生方にお任せしておりまして、私が学生に望んでいることというのは、心を動かされるセンス。感動したり、美しいもの、美味しいものを食べて素直に喜べるようなセンス、また、物やサービスの裏にあるストーリー、どういうストーリーがあってその物ができてきたのか、歴史ができてきたのか、そういったことに関心を持つという、頭よりもいわば心の部分を考えております。そのおかげといいますか、結果的に企業様からは、金沢星稜大学の岡ゼミ出身というと、学生も就活のときに一目置いていただいたり、最終面接までは進ませていただいたりというような形で、社会に役立つ人材という意味では評価いただいているのはありがたいのですが、一方で、私自身の話が非常に雑になってまいりまして、受け狙いといいますか、そういうところも含めて少し精緻な議論をしない悪い癖が出てまいりましたが、それは少しだけ予めご容赦いただければと思っております。
 あまり精緻でないという観光の話になりますけれども、実は観光の中に理論というほどではなくモデルというものがありますし、観光地は時間がたつとともに必ず衰退するのだということで、ABCDE と幾つかの曲線が書いてあるのですけれども、要するにE のプロセスで、時間と共にだんだん人は増えていくのですが、いずれは減って衰退するという、大変面白くも身も蓋もない議論があります。これを言い出したのはカナダのリチャード・バトラーという観光地理の学者で、1980 年に書いた論文です。当然、大変騒ぎになって議論になったのですけれども、いろいろな地域で検証した結果、多かれ少なかれ当てはまるのではないかということに世界中で気付きはじて、非常に重要なモデルとされているわけです。
 ただし、これは観光地でありまして、金沢市が純粋な観光地であるかというと、皆さまも承知のとおり、それ以外の本来の商業機能がありますので、完全に当てはまるというものではありません。ただ、このモデルの面白いところは、外部資本というものを1980 年の論文で既にこのカナダの学者が提唱しているわけですが、外部資本が入り込んでくる。「ここは観光客が増えてくるだろうな。ここでビジネスをしよう」ということで外部資本が増えてくる。そうすると競争が激化して、かつ、どんどん人を増やすというインセンティブが働く結果、資源の浪費が始まってしまう。空間的にも混雑現象などがどんどん起こる。そうなってくると、「あそこへ行ってもいつも混雑しとるわな」「人も精一杯でサービスも悪いわな」ということで、だんだんリピーターが減っていく。リピーターが減り、集客力が低下していくと、結局どこかでコストを節減しなければいけなくなって、真っ先に切りやすいのはやはり人件費もしくは再投資、施設に対する設備投資の部分なので、そこを後回しにする。よくありますよね。廃れてきた観光地で、正面だけは塗り替えているけれども、裏に回ると大変老朽化した建物を使っている。こういった状態が見えてくると、観光客の方々も寒々しい気持ちになって、せっかく観光しても何か癒やされないということで、さらに魅力が低下していく。地元の方々は、地元に対する愛着や責任で、ぎりぎりまで頑張ろうとするわけですが、外部資本は安易に撤退するということがあるわけです。撤退に限らず、現に、私は九州で地震があったときに、大分の湯布院という観光地に、しばらく住んで研究をしていたことがあって、あちらの亀の井別荘さんと親しいものですから、地震が起きたと聞いてすぐ、危ないのも承知で家族連れで行ったのですけれども、当然、もうあちこちがらがらです。ただ、それでも地元資本のお宿はすぐに復旧して、再開して何とか頑張っている。ところが、いつまでもブルーシートが取れないで、ずっとまちの景観を阻害しているところがある。「何であそこはまだブルーシートをかけているのですかね」と聞くと、「ああ、あそこは外の人がやってるから、もう本当に大丈夫というところまで放ったらかすんや」と。そういうような形で言えば、簡単にレッテル張りしてはいけないのですが、大きな傾向として、やはり地元と外部とでは、何らかの考え方の違いがあるケースがあるのではないか。それが、私の感覚としてではなくて、このような世界的に評価されているモデルの中で、既に指摘されているのです。
 では、どうするのか。結局、放置しておくとうまくいかない。何らかの抜本的な対策、広い意味でのマネジメントをきちんと行って、ずっと持続可能な仕組みにしないと、地域は永続しないのだということです。これを金沢に厳密に当てはめた研究は、私も承知していませんし、私もしたことはないのですが、恐らく金沢は、知ってか知らずか、上手に新たな魅力を少しずつ追加して、21 世紀美術館が典型ですけれども、そういった形で常に何らかのある種のリノベーションが行われながら、美しい文化のあるまちが形成され、維持されてきているのだろうと考えております。
 いずれにせよ、この外部資本の意識を持つということは大事で、土地問題を考えるときも放置しておいてはいけない。恐らく何らか誰かが介入する形で、民法上は勝手に自分が何でもつくっていいということになっているかもしれないけれども、あるべきまちということを考えた上で、その私権を制限するような形でのまちづくりを考えなければいけないということの、一つの観光的な目から見たときの理屈であります。
たけれども、RESAS(リーサス)というシステムで地域別に落としてみますと、どんどん人口が減少していきまして、野々市、川北辺りはしばらく伸び続けますが、やはり建物が、例えば今建ったとして20 年後、2040 年になれば、石川県内全ての市町村において人口減少が既に進んでいるという状態になります。つまり、今のことを考えるというよりも、建物の耐用年数、将来性等を考えた場合に、20 年先には、コンクリートの建物であれば当然まだまだ使える状態のはずです。その時点での市場価値というものも考えた場合に、この人口というファンダメンタルな要素は、非常に大きい問題ではないかと思うわけです。当面の問題とは別に、やはり長期的なことも考えて建物のマネジメントをしないと、まちづくりのマネジメントをしないといけないのではないかということです。同様に、2040 年までには、同じくRESAS でビジュアルに落としますと、金沢のお城周辺の地域はほとんど、どの地域も人口は減っていくということになっています。
 この人口減少について、特に行政系の文章などを拝見しますと、高齢者はすぐに車を放棄するから、車に乗らない生活になるから、歩いて回れるような都心部に回帰してくるのだと、あたかも自然発生的に都心回帰が進むかのような楽観的な文章を時々見かけて、違和感を覚えることがあります。大変失礼なのですけれども、私もハワイ大学の医学部で客員研究員をしておりまして、老年学という高齢者の心身の変化についての研究をする中で、少子高齢化が地域観光にもたらす影響というアプローチで勉強しておりましたけれども、交通事故のリスクというより、転倒・転落の方が実はリスクが大きい。つまり、自宅に住んでいれば、郊外の自宅であれば、駐車場もある、福祉の車はどこにでも来てくれる。従って、ドア・ツー・ドアで福祉施設と自宅を往復してくれる。住み慣れた場所、安全な場所しか歩かずに済むのに対して、果たしてわざわざまちなかで歩くことをしないと生活できないという生活をしたら、現実問題として、転んで骨折したらなかなか骨が付かないというような問題が出てくるわけです。そのリスクを果たして負うのだろうか。徒歩で回れるということのメリットと、転倒等のリスクとを比較考慮したときに、一人一人の合理的な行動として、果たして「歩いて回れるまちに、わしゃ住みたいんや」というふうになるかというと、どうかなというところがあります。
 何が言いたいかというと、それが間違っているということではありません。まちづくりにおいて、まさに坂本先生が先ほどおっしゃったのと全く私も同感で、歩いて回れるまちづくりというのは、まさに究極的に目指す姿です。ただし、これが自然発生的に成立するというのはやはり楽観的過ぎるのであって、そうなってくれたらいいという行政の願望と、実際に誰かが関わってそれを実現しなければいけないという作用を積極的にしていく、誰かが強引に進めていくということの重要性は、少し切り離して考える必要があるということです。
 今から簡潔にご説明したいのがベルギーの事例なのですけれども、私がなぜベルギーに興味を持ったかといいますと、ソーシャルツーリズムといいまして、誰もが観光旅行の権利を持っているから、誰もが享受できなければいけないという発想を強く持っている国、世界中で先頭に立っているのがベルギーだからです。ベルギーには、ゲントもしくはヘントとかガンとか、日本語にしたときにやたら名前が変わるのも難しいのですが、そこがご承知のとおり、金沢の姉妹都市であります。ここはチャイルドフレンドリーシティということで、ユニセフからも国連からもお墨付きをもらっている、そういうまちです。人口は金沢より少々少ない、面積も小さい。その結果、人口密度もゲントの方が密なのですが、このまちについて、私は現地に住んだわけではなくて、2 回調査を行っただけなので詳しいことは残念ながらご説明することは難しいのですが、現地に行った証拠として、現地のメディアが私が話をしている風景を撮ってくれたので、一応、行った事実はあるのですが、ここから先、だいぶ雑なお話になってきます。
 ゲント市の駅です。行かれたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、赤いレンガ造りの、いかにも西洋というような感じの建物ですけれども、そこに人工的なガラスと鉄骨が組み合わさっています。何か伝統と新しい工法の組み合わせというところが、私から見ると金沢駅も、規模は全然違うのですがそのような感じで、ゲント駅はご覧になって分かるとおり、右側の通りも人の頭が写真で写る程度の低いものですから、金沢駅に比べると規模はずっと小さいのですが、こんなところにも何と
なく共通項があるなという、姉妹都市らしさのシンパシーを感じてしまいます。
 レイエイ川という川がまちなかを流れています。ここが特に美しい写真スポットということですが、レイエイ川とスヘルデ川という二つの川がありまして、それぞれ女川、男川と呼ばれています。これも何かどこかで聞いたような話だなと、何となくシンパシーを感じる、エンパシーを感じるわけです。殿様がいた地域とは違いまして、商業活動が盛んに行われ、商業連合・ギルドがまちをしっかり守ってきたというところで、そのギルドの建物があちこちにあります。2 人の女性、ゲント市の職員の方がわざわざ同行してくださってあちこち案内してくださったのですが、やはりヨーロッパらしく交通手段はトラム、それから水上のボート、
さらには大量の自転車という形です。従いまして、やはり歩いたり自転車で移動したりということが中心になります。
 金沢との対照でこのゲントの個性を見ますと、駅前空間と市立博物館、歌劇場、国際会議場、図書館、教育関連施設、有機的連携、アートの配色と大きく七つ挙げましたけれども、全く理論的ではないです。何ら論理的でもないです。要するに、ゲントにあるから金沢にもあったらいいなということに、何の理論的な根拠はありません。単なる私の気持ち的なものです。「ああ、きれいやな。こんなのが金沢にももしあったら、子どもたちがこの美しさに触れながら育っていったら、きっとセンスが優れて、金沢に対する思い入れを持って、金沢のことを大切にしてくれるのではないかな」ぐらいの、極めて心情的な話です。

 まず、駅前ですが、奥に写っているレンガ建ての建物は、先ほど紹介した駅であります。駅の真正面に広場があります。広場の左側の方に何があるかといいますと、これは小さい朝市で、果物や野菜を売っています。駅の真正面にこのようなマーケットが立って、わいわいと地元の人がいる。先ほど、三谷会長とお昼ご飯を食べながらお話をさせていただいて、「駅前などはもう、使い道が決まらなければ、当面は広場というのもありではないか」などという話を食事の流れでお話しさせていただいていたのですけれども、実はゲントも事実上そうなっておりまして、だからどうだということではないのですけれども、それも駅前広場の役割の一つであるという発想も、十分あるかなということです。 それから、市立の博物館があります。県立ではありません。県立はご承知のとおり金沢にもあるわけですけれども、ゲントというこの市自体
がどんなものかが分かるようになっています。フロア全体に、ゲントの歴史を6 段階に分けた部屋をそれぞれ設けて、フロアに地図を作って、ゲントがどう変わってきたのかを見る。みんな地面に這いつくばりながら、「ああ、ここうちだ」「ここは昔じいちゃんが住んでたとこや」などということを多分言っているのではないかと勝手に想像するのですけれども、そうやってこの市というもの、自分の住んでいる、生まれ
た市というものに対しての、ある種の愛郷心を持っていくという場が、博物館として存在しているということです。
 それから、歌劇座。これ英語名ではオペラゲントと呼ばれています。オペラハウスを同友会でも提言されていると思いますが、ご覧のとおり非常に素晴らしい、美しい建物のようです。残念ながら、私は中に入っていませんが、オペラの他に、バレエ、コンサート、ユースという枠で、わざわざ子どもたちが何かイベントをするというような枠も設けてあったりするわけです。
 そして、それとは別に、国際会議場というものがございます。2 年前に日本で最も大きい観光の学会である日本観光研究学会の全国大会が金沢で開催されまして、私ども金沢星稜大学がその実行を担う幹事校に選定されました。私も実行委員としていろいろ段取りをして、佐々木先生にも基調講演という形でそのときお越しいただいております。そのときに、1 泊2 日、2 日間やるなら、われわれとしては全部の会場を大学にすれば楽だったわけですけれども、あえて私がそういう主張する先生方を押さえて、強硬に最後まで主張して自分の意見を通しまして、あえて1 日目はまちなかでしよう。そうすれば、夜、まちの中に学者の先生方が流れてくれるし、金沢の本当に良い場所を分かってくれるだろうということで、歌劇座を利用させていただいたわけで
す。その辺は金沢市のコンベンションビューローさんもいろいろご苦労されているようですが、やはりまとまった人数が入れる会場の問題は、金沢は常に抱えています。ゲントでは、会議場という形でまた別に用意されています。1000 人単位が収容できる3 階建ての建物になっています。

 これはゲントのまちで、少し分かりにくいのですが、ここら辺に駅がありまして、かなり離れた所に観光の名所であるとか文化施設がたくさんあるのですが、赤い点を打ってあるところは全部大学の施設です。ゲント大学を中心とするさまざまなキャンパスが、中心市街地のあちこちにある。ここに見えているのが美術館と会議場です。このような形になっております。
 従って、文化施設の他に、やはり教育というものもまちなかには要素としてあって然るべきではないかということを、後ほど少しお話しします。簡潔にもう少し話をしてまいりますが、施設がたくさん建っても、都市というものはそれでは機能しない。都市がなぜ都市であり得るのか。それは集積の利益があるからです。つまり、ばらばらなことを施設がしていたら、それはどこにあっても一緒なわけです。集まってくることによって、連携して何かができて、相乗効果が生まれるから、集積の利益が出るわけです。従って、施設同士をつなぐということが必要になってくる。その際に、もちろん金沢にも文化施設に入るためのパスポート的なものがありますけれども、シティーカードゲントというのは、決まった定額を払えば、交通手段も含めて全て利用で
きます。既にご承知だと思いますが、金沢レンタルサイクル「まちのり」が、来年3 月に変わりまして、大幅に拡充されます。電動アシスト付きでGPS 機能も搭載、台数も3 倍増、ポート数も21 カ所から50 カ所、24時間対応等々といった形で非常に発展してまいります。セッションBでお話しされる八田さんと私が同じ委員会に所属して、いろいろ議論させていだいたわけですけれども、こういった「まちのり」などが施設をつなぐものとしてさらに評価されていく。そういう中でさまざまな交通手段も同じ一つのオールインクルーシブなカードなどでの支払いができるようになっていく。要するに、使われ方も考えた建物が、まちを変えていくのではないかと考えております。
 ゲントでは、他にもこのような不思議な建物が、賛否両論あったようですが、まちなかのお城のすぐそば、教会のそばに立って、この下にピアノを1 台どんと置いて、まちの人が自由に演奏して、人々が集まって楽しんでいるとか、外壁にベルギー出身の漫画家の絵や、さらには地元のアーティストたちが自由に描ける特別な、グラフィティストリート(落書き通り)と呼ばれるストリートがつくられたりしています。これはまちなかにつくるかどうかは別問題ですけれども、アートというものがいわゆる高級なもの、高尚なものから、さらに市民も巻き込んだようなものとして発展を見せていくというのも、将来的な都市の形になるかもしれません。
 先ほど、教育ということを申し上げましたが、私も細々と学生をまちなかに連れていくというような形で大野庄用水に行ったり、野村家に行ったり、長町に行ったりと、いろいろなものを見て回ったりしております。また、金沢のロータリークラブのご支援も頂戴しながら、まちなかで360 度動画や写真を撮るというようなこともいたしました。こういった学生たちを単発で集めるということもしてきたのですが、一方で、大学コンソーシアム石川という県単位の、たくさんの高等教育機関が参加した組織の中で、まちなかキャンパス構想というものがあって、金沢のまちなかをキャンパスとして学生もどんどんいろいろ活用しようという動きがあるのですが、このコンソーシアム石川が大きくなり過ぎて、結局、金沢まで出られないからテレビで授業ができるようにしてくれとか、いろいろな要望を受けるなどした中で、やはり限界が生じてしまっているのではないかということがあります。その中で、金沢に絞って、かつ、全ての大学にとって金沢について学び、金沢の文化を知ることが学生の義務であるというぐらいの強い位置付けで授業の組織を立ち上げて、それをプラットフォーム化していくということが大事ではないかと思うわけです。ただし、これは大学の自発的な意思では、プライドの高い先生方の集まりなので、なかなか進みません。ですから、お金の面でもまた学生の就職ということでも大学に対して大変大きな力をお持ちの
企業や行政機関などが関わっていくことが大事ではないかと思っております。
 最終的に整理させていただきますと、供給サイドで次々と商業施設や駐車場を作っていっても、需要を喚起しなければ恐らく中長期的には持たないだろう。単なる供給過剰によるビジネスの競争激化が進むだけに終わる可能性がある。需要を喚起するといっても、集積の利益がなければ都市には集まってこないわけです。ショールーミングというのは、これも細かくご説明しません、ご承知の方も多いと思いますが、店舗を作っても、店舗で見てそのあとインターネットで買う。カナダやアジアの統計では、既に6 割以上の消費者はこうした行動を取るといわれています。

(鶴山) 経験を基に、学生のまち・金沢といわれておりますけれども、今、「集積の利益」という一つキーワードが出てきましたけれども、板橋支店長さんはいかがですか。


(板橋) お二人の先生方には海外の事例をいろいろ引いてお話をしていただいたので、私はドメスティック・バンク・オブ・ジャパンということで、国内の事例を引きながらと思っていますが、時間の関係もございますので、用意したスライドを飛ばし飛ばしになってしまってすみません。駅前の話がありましたので、私が勤務したことのある鹿児島の例を引いております。
 向かって左側が鹿児島市の中心市街地で、上の方に新幹線の鹿児島中央駅がありまして、緑色の線が、市電が走っている、金沢でいうと百万石通りに当たるような道かと思います。ちょうどこの新幹線の駅から鹿児島の繁華街の天文館というところ、こちらで言うと片町・香林坊のような感じだと思いますけれども、そこまでが1.5km ぐらいということで、距離感も大体金沢とよく似た感じです。
 商業の中心は、当然、天文館だったのですが、新幹線の部分開業の2004 年に合わせて、JR 九州がアミュプラザという大きな商業施設を造るということで、天文館の衰退がかなり心配されたのですけれども、今どういう状況かといいますと、天文館は厳しい状況ではあるのですけれども、実は金沢と同じように郊外に大きなイオンができまして、まちの中心部、天文館と鹿児島駅周辺が、ともに手を携えてイオンと共闘していこうというような関係になって、今、一生懸命連携しているというのが一つのお話です。
 それから、右側に駅前の地図がございますけれども、アミュプラザの南の方、新幹線の駅から地下で直結したところに鹿児島中央ターミナルビルというものが今できております。これは元々、私が勤務していた頃は、南国グループという地元の非常に有力な企業グループの古くなった本社がありまして、新幹線の開業を機に、何とか再開発したいという話があったのですが、延々いろいろ議論して熟議を重ねても、なかなかどういうふうに開発するかが決まらなかったのです。私がいた頃にはまだ青写真もなかったのですけれども、アミュプラザの開業に遅れること8 年、博多までの全線開業にようやく間に合うような形でターミナルビルができました。時間をかけて非常に熟慮して作られた結果、上がホテル、真ん中のデパートのようになっているところは
オフィスになっているのですが、オフィスもホテルも非常に好調に推 移しているということです。1 階には高速バスの発着ターミナルもあって、非常にビジネスマンにとっても利便性の良い施設が、アミュプラザや既存の天文館商店街とかぶらないような機能を持たせた形で整備された事例です。
 それからもう一つ、これは皆さんのお近くの話で、都心のにぎわいといったところで例に持ってきたのが富山にあります総曲輪フェリオのグランドプラザという真ん中の広場になっている部分です。施設の中身のご紹介はさて置いて、今日ご紹介したかったのが、ハードの面ではなくソフト的に非常に工夫されているということです。これを作るに当たって、市民の方と非常に多く、どんなものが必要かということを議論されていたと聞きますし、イベントの経験が豊富なスタッフがいろいろアドバイスをしながらイベントを招いているということで、非常に稼働率も良く、まちなかへの家族連れ回帰に成功したといわれています。もう一つのポイントは、この広場の利用料は結構高いのだそうです。これは考え方があるそうで、高い利用料を払ってやれるイベントというのは集客力があるという考え方で、おおよそ日本の他の広場よりも高い利用料で、高い稼働率を維持して、結果的ににぎわいの創出に成功しているということのようです。
 もう一つは新潟県の長岡で、郊外にあった市役所を駅前に移転してきたアオーレという施設です。これも施設の詳細の説明は省きますけれども、写真で見ていただくとおり、左の方にありますのが中土間という広場になっていまして、これは隈研吾さんが設計の段階から市民と何度も何度も対話を重ねて作ったというところが一つ大きなポイントです。それから、アルビレックスというバスケットボールチームのホームスタジアムも併設するような形で、スポーツのイベントと、それから市役所の機能とでにぎわいを創出している例です。
 長岡市の取り組みで面白いと思ったのは、実は駅前で非常にたくさんの再開発をやられています。かなり深刻な郊外化の波にさらわれていまして、95 年以降、およそ6 万平米ぐらいの店舗面積が失われた、デパートがどんどん撤退していったということで、そこを長岡式の横型のまちづくりというコンセプトでやってきた。ここも一つずつの話は省きますけれども、申し上げたかったのは、長岡市民センターというのが右側にあると思うのですが、ここは昔のスーパーの跡地なのですけれども、ここで住民のための施設や公共施設などを実験的に小さく何年かやってみて、ニーズがありそうだとなって、改めて再開発ビルの中にそういう公共施設を整備する。若干マーケティング的な考え方を入れながら、むやみに公共施設を作っていくのではなくてということでやっていらっしゃる。それから、先ほど岡先生の話にもありましたけれども、まちなかキャンパスというものを大学と連携してやっていまして、ここは市民の学
習意欲が非常に高いということで、市民の方のニーズをうまく汲み上げて、ショッピングに来るのではなく教養を積んでほしいという形で取り組んでいらっしゃるようです。
 先ほど数字をいろいろお見せしましたけれども、社会の将来像というものを踏まえて物事を考えていくということが大事だと思っています。高齢化社会は間違いなくやってきます。ただ、先ほども申し上げたように、実は元気な、健康な高齢者がたくさんいるということを、どういうふうに考えていくかというのが一つです。
 それから、技術の進歩、これは恐らくあるだろうというところですけれども、歌劇座の話も出ていますが、観劇だとかコンサート、ないしはスポーツ鑑賞などのあり方が大きく変化し得るのではないか。先ほど岡先生の方からも、20 年後どういう社会になっているかというお話があったと思いますけれども、そこのところは一つ意識をするのかなと思っています。よくいわれておりますが、こういう試算の維持補修費が非常にかさんでくるということで、先ほどご紹介したように、公民連携をうまくやっていくことが大事なのではないかと思います。まちの顔だということで皆さんが大事に思っていらっしゃるような場所であるならば、長く有効に活用される財産にしていっていただけたらいいのではないかと思っています。
 二つほど少しご紹介したいことがありまして、一つは私どもの銀行の方で今、スマート・ベニューという、スポーツ施設やアリーナなどを中心に議論したものの考え方なのですけれども、空洞化したりだとか高齢化が進んだりと、まちづくりにおける悩みがいろいろありますが、その中で公共施設というのは郊外に単機能のものを造るのではなくて、まちなかに複数の機能を持ったようなものを造ることで、まちの活性化につなげていくという考え方はどうでしょうかというご提案です。周辺のエリアマネジメントを含めて、複合的な機能を持たせたような交流施設が、にぎわいの創出に有効なのではないかと考えております。それから、もう一つは公民連携の話ですけれども、PPP などといわれておりまして、その一つの整備手法としてプロジェクトファイナンスというものがあると思います。PFI 法が施行されて20 年で着実に案件は積み上がってはいるのですけれども、ともすると、公共の方がいらっしゃるので少し言葉に気を付けますが、公共の方でこういうものを造ると、まず造るものが決まって、安い建設コストで入札してくださいという形になりがちなのですが、そうではなくて、どんなものを造ったらいいかというようなところから官民の議論を深めていくということが、大事なことなのかなと思っております。
 例えば今、手法としては、大分駅の南側に大きな空地がありまして、そこをどうするかが大分市の大きな課題になっているのですけれども、そこでは、公募条件の設定に際して、まずはどんなものを作ったらいいかというアイデア募集をサウンディング調査というような形のものを活用してやっていたりします。それから、なかなかPFI だとかPPP だとかという経験がないという民間の方のために、私どもも、石川県では北國銀行や財務局とも連携しながら、PPP、PFI のプラットフォームを立ち上げて、ご支援をさせていただいています。そういった取り組みをぜひやって
いっていただければと思っています。
 にぎわいの創出に向けてということで、観光地としての魅力の向上なのか、高齢化にしなやかに対応していくようなまちづくりをしていくのか、ぜひ皆さんでこれからいろいろと議論を深めていっていただければと思っています。
事例を駆け足で紹介しましたけれども、決してよそでこういうものが成功しているから、わがまちにもこれを作ろうとまねをするのではなくて、やはりにぎわいの創出には、いろいろな皆さんの知恵を絞ってやることが大事かなと思っております。一つのあり方として、事業の発案だとか形成の段階から、ライフサイクルコストなども意識しながら、官民連携を円滑にやっていっていただければと思う次第です。以上です。

(鶴山) このたびこの会議のフェローにご就任いただきました水野一郎さんの方から、何か感想がございましたら、よろしくお願いいたします。

(水野) 私もまだ整理がつかないような状態なのですけれども。この創造都市会議でも都心のにぎわいについて随分やっておりまして、先ほど最後に板橋さんの方から、楽しいことがあるから都心へ行くという、その都心という言葉は、「みやこごころ」と読めます。要するに、何か自分たちの住んでいる日常の空間とは少し違うものがある。それはショッピングであったり、あるいは食べ物、飲食であったり、あるいはエンターテイメントであったり、あるいは展覧会であったり。この会場もそうだと思います。こういうのも日常の空間ではない。そういうものがいつも都心にはある、そこに行ったら面白いという、「みやこごころ」というようなことでやったことがございます。
 今日、三つの点が都心軸で出ていましたけれども、駅前とそれから日銀と歌劇座、それぞれ全然違うところなのです。違うところは違う目的で建てるべきであろうと思います。私は駅前については、多分、都ホテルさんが最近京都や大阪でやっているのがそうですけれども、かなり高級路線を進んでいます。それから、かなり海外の人を意識して「ジャパン」、あるいは「京都」というものを売り込んでいます。金沢に「京都」とか「ジャパン」が入ってくるのも、金沢とけんかして面白いのではないかと私は思いますけれども、そういう意味で駅前機能としては少し違うホテル、ショッピングを含めたものがあるといいなと思います。
 それから、日銀のところですけれども、私が初めて金沢へ来た55 年ほど前は、大神宮とか映画街とか飲食街とか、少し怪しげな飲み屋さんとかシアターとかがあって、私はまだ独身でしたけれども、その頃、給料の7 〜 8 割ぐらいは片町とかあの辺に注いでいた、みんなで通ったところです。何かそういうときも、やはり何かどきどきしたり、何かときめきがあったり、何か楽しいことがあった、みんなでつるんで行く、そういう場所でした。何かそういうにぎわいがあったのですけれども、日銀があったおかげで坂本先生のお話のように、銀行や金融機関が占めてしまって、香林坊から武蔵までの建物の7 割が県外の金融資本で占められました。そうしますと、バブルが崩壊して金融がつぶれて、それからIT 化して、行く必要なくなった、死んだまちになった。それを何とかして多様化しようというので「香林坊ルネッサンス」というプロジェクトを立ち上げて、いろいろ多様化、多機能化した都心をつくろう、みんなが行
く都心をつくろうということをやりました。
 歌劇座につきましては、実は私も委員の一人でやっているのですけれども、これからのシアターは、演奏家とか芝居をやる人たちが、いい小屋なら行くという、そういう時代が来るだろうと思います。その時代はもう来つつあると言ってもいいかもしれません。ですから、金沢にいい舞台、いい音響のあるシアターを造ればいいのではないかと思っています。そういう意味で、先ほど少しお話が出たオペラ座などは、非常に魅力的な形態だろうと思っています。演劇もできるし音楽もできるという。そういう意味で、「ああ、金沢のあそこなら行ってみたい」ということでいくと、だんだん金沢市民の方も音楽や演劇に造詣が深くなっていく。そうすると、自然に来る役者の方も、来る演奏家の方も楽しくなってくる。そういう関係が生まれるのが、何か都心(みやこごころ)というところではないかと思っています。
 そんなようなことで、にぎわいというのはいろいろなにぎわいがあるけれども、例えば兼六園周辺で言うと、広場と城跡の公園と歴史施設と文化施設しかないのです。普通、都心というと、役所があったり、金融機関があったり、
あるいは業務機能があったり、何かシンボルとなる経済学で言うところの「渦(うず)」が起こるのですけれども、金沢の都心は、ある意味で言うと空地のような都心です。こんな珍しいところはあまりないので、こういう特徴も活かしていきたいと思います(拍手)。

(鶴山) ありがとうございました。水野一郎さんには、具体ないろいろなお話を含めてコメントを頂きましたが、お三方の話を聴いておりましても、非常に広範な角度でいろいろ見ていく、そして結局まちのあり方というものを含めて考えていかなければならないということが、非常に痛感されました。
 こういった議論を一つの皮切りとしまして、特に金沢の駅前の空地を、あのまま座視するようなことはあってはいかんと思いますので、早急に対応していかなければならないと痛感させていただきました。そのことを踏まえて、これからはぜひとも金沢市が中心となって、都心軸のにぎわいの創出懇話会といったような提言組織を設けるべきではないかと、今回改めて感じました。そのような協議や提言組織において、市にとっては都心軸を中心としたにぎわいの維持創出というものが最も大事なテーマであるということを皆さんとともに再認識するとともに、旧都ホテル跡地、日銀金沢支店の跡地、そして金沢歌劇座のあり方などを精力的に議論していきながら、文化都市・金沢としての魅力、あるいは都市のあり方というものを考えながら、このまちの向上につながっていく提言・提案を行っていくべきということを、われわれとして結論付けたいと思っております。そういったことをこのセッション@の一つの提言・提案としてまとめさせていただきます。

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