第9回金沢創造都市会議

金沢創造都市会議2017 >セッション

セッション

■セッション「AIと考える尾張町」

コーディネーター
水野 一郎氏(金沢工業大学教授)
パネリスト
志賀 俊之 氏(日産自動車取締役/株式会社産業革新機構代表取締役会長兼CEO)
米倉 千貴 氏(株式会社オルツ代表取締役)
宮下 智裕 氏(金沢工業大学准教授)
プレゼンテーター
竹村 裕樹 氏(金沢学院大学教授/KG都市研究所長)

多層化した尾張町がAIでより城下町らしく魅力的に







(水野) 第1部のプレゼンテーションでは、「自動運転」というモビリティの新たな進化が始まる、今何をなすべきかということでした。次の「パーソナルモビリティ」も大変魅力的な素晴らしいプレゼンテーションだったと思っております。三つ目が「シェアリングエコノミー」、これからの社会は、何をどのようにシェアリングしていくか、示唆的な話をいただました。四つ目の「AI」。この会議の円卓に私の分身を置いてくれれば、本人は観客席にいて非常に安心していられるなと思っていました。    いずれも2030年や2050年、世の中はこんなふうに変わっているのではないかということを、デジタルの世界から見せていただいたわけです。四つのプレゼンテーションを十分理解できたかどうか、大変心もとないのですが、足らないところはお二人に少し助けていただいて進めていきたいと思います。  

  極めてデジタルな未来的な社会に対して、私たちがこのセッションに課しているテーマは、「尾張町をどうするか」という、極めてアナログ的で現代的な、今そのものの話です。  一つは、四つのプレゼンテーションに出てきた、デジタル社会の未来像のようなものが、日本の都市空間をどう変えていくのだろかということ。例えば車社会で言えば、車が出てきて今130年というお話がありましたが、日本の都市計画でいうと、100年前から車社会のために道を広げて、車のための都市をずっとつくってきました。金沢は戦災に遭わなかったので、ある意味で言うと歩ける都市をつくってきて、そこにいかに車を入れ込むかという形で、幹線道路や細街路を修正してきました。  そういう時代と考えると、これから20年後の車社会の変容、あるいはシェアリング社会の変容、AI社会を含めて、都市空間が変わるのではないかと思います。  

  日本の都市空間がどう変わっていくかという話と、金沢がどう変わっていくかという話。その中で、非常に典型的な幹線道路なのですが、まだ金沢的な要素が残っている武蔵から橋場町に至る百万石通りをどう考えて20年後の姿を描いたらいいのか。日本の都市空間がどう変わるかというテーマから金沢の都市空間、そして尾張町へと少し絞りながら考えていきたいと思います。  そこで最初に、志賀さんと米倉さんに、プレゼンテーションの中で都市空間という話があまりなかったかと思いますので、都市空間、あるいは都市の姿、都市生活を含めて、どう変わっていくのかという話を頂きたいと思います。もし付け加えていただくなら、金沢という都市空間に対してもご提言いただければと思います。  それでは、志賀さんの方からお願いします。

(志賀) 私の講演の中で、Society5.0という話をしたと思います。非常に素晴らしいコンセプトだと思っています。われわれは歴史的に、ものすごく無駄なものを、ずっと作ってきたのではないか。産業革命を含め、あるいは資本主義の進化の中で、ものすごく膨大な情報が入ってきて、いわゆる生産にしても、大量生産、大量消費、大量廃棄によって成り立つような資本主義をつくってきたのではないか。  それが、デジタル化社会の中で、情報の非対称性がもっと対称になる。つまり供給者側と需要者側のニーズがお互い分かることによって、いろいろなものがすごくコンパクトにできるのではないか。  モビリティに引っ付けて申し上げると、少なくとも車というのは、今まで排気ガスがあったので家の中に入れなかったのですが、今年10月に東京で開催された東京モーターショーでは、家と車が一体になっているような展示物もありました。車自体が家の中に入っている。なぜかというと電気自動車だからです。リビングが車で、リビングのまま外に出かけられるような展示もあって、どんどん境界線がなくなってきています。
  今日のパーソナルモビリティの話もそうですが、外にいるものが中に入ってくる社会。変に肥大化した都市がコンパクトになり、生活していてすごく便利に、欲しいものがすぐ手に届く、いわゆるスマートシティのようなものがつくられていくのではないのか。 まち全体として使用するエネルギーも減ってきますし、人と人とのコミュニケーション、あるいはまちがつくっている廃棄物もどんどん減っていきます。われわれがこれから目指すべき都市空間というのは、そういう世界になってきます。環境にも良くて、人とのぬくもりをもっと感じられるようなまちということです。  私は尾張町を実際にしっかり見たことがないのでイメージできないのですが、先ほど聞いた話だと、直径2kmぐらいの場所だということで。

(水野) 金沢全体が半径2kmです。

(志賀) そういうコンパクトな状態の中であれば、今まであった歴史的なものも含めて、新しいデジタルの中に、もう一回歴史的なものが融合していくようなまちづくりができるといいなという気持ちが、今日お話を聞いていて出てきました。

(水野) お話の中でスマートインフラという言葉が出てきましが、どういう概念なのですか。

( 志賀) 例えば、シームレスにいろいろなものがつながっていて、スマホでどこか目的地をセットすると、そこから「よーいドン」で、新幹線に乗って、電車を乗り換えて、駅で降りたらタクシーが来ていて、最後にパーソナルモビリティにつながっていく。その需要と、誰が使うかを、インフラ側で情報共有して、見えている世界です。ですから全く無駄がない状態です。それが、自分一人で使うのではなくて乗り合いだったら乗り合いでもOKで、もっと効率のいい世界です。  Society5.0で目指しているのは、超スマート社会の日本です。そこまで行くのかどうかは分かりませんが、全ての人たちのニーズ全てが情報共有されると、技術的には不可能ではない。そういうものができるのではないかという感じがします。

(水野) それは大量生産、大量所有、自分がいっぱい物を持って生活している、その姿がだいぶ変わってくるということですね。そして共有しながらシームレスでつながっていく移動手段が考えられる。 (志賀) 今日の本題ではなかったので、あまりそこを強調しなかったのですが、実は私のプレゼンテーションの本題は、今のビジネスモデルのまま、何も業態変革をせずに昨日と同じ仕事を今日もやっていると、もう入れ替えるようになって、なくなりますということです。一つは、共有化社会になってシェアリングされるでしょう。あるいは大量生産、大量消費というモデルが崩れたら、今までいろいろなマーケティングをして無理やり押し付けていたものが、ニーズのあるものしか買ってもらえなくなります。ある意味効率はいいのですが、供給者にしてみると非常に難しい社会になります。  ですから、GDPやマーケットシェアなど、量を求めるような概念から、よくいわれる「コトづくり」で、お客さまのニーズにタイムリーにどう応えていくかというビジネスモデルにどんどん変わっていくのではないかと思います。

(水野) 米倉さん、同じ質問です。

(米倉) 私は、今回のテーマである「まちづくり」について問われたのは初めての経験で、「まちづくりとは何ぞや」というのをYouTubeでいっぱい見てきたというレベルなのです。  
  私が今作っているものもそうなのですが、エストニアでは個人IDが非常にネットワーク化されていて、いつでも情報が取れる仕組みになっています。どこが一番早くユーザー側コントロールの利くセキュリティ状態で開放するのか、それができた場所がテック的には圧倒的に有利な場所になり得ると思っています。  それを非常にミニマムな状態でもやれる環境が出てきたら、自動運転の話なども、ユーザーがどういう状態で、今何をしていて、どのようにしたいのかをずっと追い続けられる環境をユーザー側が許可して、何らかの情報が得られれば、一気にいろいろなものが便利になってくると思います。そういうことができるまちづくりがあれば、私はぜひ参加したいと思っています。タカ派なので、タカ派意見としてはそれです(笑)  
  あともう一つ、先ほど志賀様から、アメリカと日本の違いということで、アメリカでは失敗したことに関しても評価するという話があったのですが、失敗談はあまり目には触れません。失敗談がデータベース化されたら、相当面白いものになるのではないか。それを、ある種、まちの人は全員書くようなことがされていたら、本当に見てみたいし、すごく参考になるのではないかと思っています。  YouTubeで見た限りの知識で話していますので、このぐらいです。

(水野) 先ほど米倉さんの方から、したいことをする時代が来るというお話がありました。それは人間の問題だろうと思うのですが、地域にとってもしたいことというのはあるのです。そういうことも含めて、竹村さん、宮下さんにも議論に加わっていただきたいと思います。  この尾張町というところがどういうところなのかを、金沢の人と再確認してみたいと思います。それでは竹村先生お願いします。

(竹村) 未来のワクワクドキドキするAIの話から、かなりローカルでアナログ的なお話になって恐縮ですが、現実に戻っていただいて、尾張町の歴史的なもの、今の尾張町が抱えている現状や課題、特徴についてお話ししたいと思います。後でGoogleマップもお見せします。  
  江戸後期の城下図です。今の尾張町は、利家が入城した後、尾張から呼び寄せた商人が居住したことが起源ともいわれています。このときは、北国街道沿いに米の仲買など非常に大きな店が立ち並んで、経済の中心になっていました。  その後、430年戦禍がずっとないものですから、現在の航空写真と比べてもこの骨格といいますか、現在も多くの道路が昔の原形を残している状況です。  
  では、今、金沢はどうかというと、実際、都心軸構想の実現が今の金沢の礎を築いて、都市機能が集積していると思います。外環状道路という外郭道路、この骨格の中に片町、香林坊、武蔵から駅、港まで続く。これを都心軸としています。  航空写真を見ると、今はこのように都心軸が動いています。武蔵から橋場、尾張町は、この辺の位置付けになります。 武蔵から橋場の間、尾張町の特徴を五つほど挙げてみました。
 
  一つ目が、景観的にいうと伝統環境調和区域に指定されているということです。実は以前の景観条例では、「近代的な景観をつくる」地域に指定されていました。ところが今の景観条例では、伝統環境調和区域といいまして、要は伝統的なところと近代的なところの、ちょうど中間的な位置にあって、これらの調和、共生を図る位置付けになっています。  

 

 二つ目の特徴は、伝統的な営みが残っていることです。これは都市計画の用途地域図ですが、この辺一帯は商業地域に指定されております。容積率も500%までOKのところです。ところが実際用途がどうなっているかを見ると、住宅、商業、事務所といろいろあって、カラフルになっています。調査では、商業が、大通りでいうと27%ぐらいになっています。これだけ多様な用途になっていて、その分、昔からの生業が残っているという状況です。  

  三つ目の特徴は、各時代の建築がモザイク状に混在していることです。モザイクというのは、これからキーワードになると思っています。  
  各年代、例えば近世、近代、現代の建物。町家、昭和の初めに建ったものなど、歴史的な風情のあるものがいろいろあります。4割程度残っています。この辺が、これからの種になるのではないかと考えられます。  

  もう一つは、構造形式がモザイク状に混在していることです。要は、木造、コンクリート、あるいは駐車場になっているところもあります。調べてみると、木造の町家が約4割残っている状況になっています。  階数を見てみますと、2階建て以下が半分ぐらい、3階建て以下になると4分の3ぐらいになっています。これを見ると、全体がヒューマンスケール感を持っていると考えてもいいということです。  

  そして高さ規制です。当初は31m、10階建てぐらいは建てられることになっていたのですが、去年、橋場寄りのところについては、高さ制限を25mに変更しています。景観的に少し抑えて、かつ、商業的な活動を担保するという趣旨かと思います。  立面はどうなっているかというと、国道沿いの橋場から尾張町のお城側ですが、町家が並んでいたり、近代建築のギャラリー三田があったり、マンションがあったり、駐車場があったりと、すごくでこぼこと混在している形です。 逆に浅野川側は、やはりマンションがあったり、昔からの立派な町家があったり、近代的なビルがあったり、さらには電線などで、やはりでこぼこした状況になっています。  

  四つ目の特徴は、開発が未完、停滞しているということと、地元資本が主であるということです。金沢の都心軸構想の再開発の図を見ると、駅から駅武蔵、武蔵、香林坊、片町、この辺は長年にわたって、市を主体に再開発が行われてきました。これによって都心軸はかなり集積したわけです。しかし、今の尾張町はここから外れていて、未完の状況です。  ただ、今、新幹線が来て、駅と近江町東、この両方の拠点に挟まれていて、意外に観光客も多いということで、これからの可能性はあるのではないかと思います。  あと土地、建物は、地元の所有者が多くなっています。  最後の特徴です。都市計画道路の拡幅がまだ途上であることで、これには長くかかっています。昭和5年、87年前の都市計画決定図で、今の武蔵から橋場の間は22m、昔の12間道路になっています。香林坊、片町も同じですから、当時メインストリートとして決定したと思います。  このときに初めて、駅と武蔵の間に、36m、20間道路ができております。しかし、これもできるまでに66年かかっているという歴史的な経緯があります。  では、今どうなっているかということを沿道の状況を見てみます。どちらかというと浅野川沿い、山田時計側に、かなり都市計画線が掛かっています。この都市計画線というのは法律の規制があって、通常は木造の2階建てぐらいまでしか建ちません。高い建物のときはセットバックしなさいという形になっています。  

  特徴としては、このような計画線に合わせた建物がまばらにありまして、そこが駐車場になっています。現道が15mしかないので、歩道はかなり狭いです。歩行者がはみ出て歩く事態も生じています。建て替えがうまくいっていないことから、コインパーキングもかなり多いという現状かと思います。  

  もう一つ、PI(Public Involvement)というのは、地元の方々の意見を聞いて計画を決めようということですが、地元のPI委員会が5年ほど前に整備計画を作りました。近江町の再開発があったので、武蔵から博労町については、都市計画どおりに、今22mの拡幅事業をやっております。ただ、博労町から橋場については、4車線化の確保はした上で、今、拡幅については保留という形になっています。当面は無電柱化だけでもやろうかというようなことを、国の方でやられています。このように、少し中途半端なことになっています。  
  A Iが急速に進化してきた今、新幹線もつながったときにどうやってAIをうまく活用できるか。その結果、町並みや生業を歴史的に復権できるか、あるいは人間優先空間を復活できるかというようなところが、課題になろうかと思っています。  言葉や平面図、立面図だけでは分かりづらいと思うので、Googleマップのストリートビューをざっと見てみます。  
  このように尾張町は、いろいろな用途、建物がモザイク状に点在していて、まさにそれが歴史的な重層性も醸し出しています。平面的、立面的には、結構でこぼこしているようなところです。  ストリートビューは、武蔵側から行きます。この辺を歩いて、はこまちからもっとずっと行くと、不室屋や中島めんやなど、老舗が点在しています。  
  博労町の交差点まで行くと、今度はかなりコインパーキングなどがあって、少し上を見ると電線がクモの巣のようになっています。向こう側を見ると、マンションなども建っているという状況です。  

  少し歩いてみます。こういう感じで、いろいろ高い建物、低い建物、駐車場、そして立派な町家が並んでいます。この向かい側にも、石黒薬局など、いろいろ立派な建物があります。山田時計店くらいの前で、城側をのぞいてもらえますか。  これは森忠商店ですね。城側を望むと、町家が4軒、5軒と並んでいたり、駐車場になっていたり、眼鏡屋があったり、とにかくいろいろなものが混在しています。  もう少し橋場寄りに行くと、例えばギャラリー三田は昭和5年の立派な建物です。隣のカフェフレールは、この前、日経で歴史的なカフェのベスト10に入っていました。このように歴史的な風情のある建物も点在しているようなところです。 大体ざっとですが、歩いてみるとこんな感じです。

(水野) ご存じのように、金沢のメインストリートは、例えば駅から武蔵までは10ぐらいの再開発が行われた戦後の町並みです。武蔵から香林坊までは、日銀があったおかげで金融単機能のまちになって、その後いろいろこの会議でもやりましたが、金融が弱くなって廃れてから、多機能のまちに転換しつつある、その変化の途上にあります。それから香林坊から片町は、昭和40年ごろをピークにしてあった近代化事業で、普通の町家は全部不燃化で建て替えました。不燃化が目的で近代化事業をして、その分統一感があります。金融街も世代交代で変わっている状況、それから片町近辺も近代化事業から新たに再開発が進もうとしています。
 
  そんな幹線にありながら、武蔵から橋場町のこの通りだけは、開発が進んでいなかったということ。それから八十数年前の都市計画道路が未完であるということを含めて、これをどう考えたらいいかというのが、竹村さんの話だったかと思います。  それでは、その後を引き受けて、宮下先生にお願いしたいのですが、宮下先生はこの辺のプロジェクトを幾つかやっておりますので、その関係で発表していただきたいと思います。 (宮下) 今の竹村先生のお話も受けて、ここをどんなまちと読むかというところが一つ。それから今日前半のお話をいろいろ伺わせてもらって、非常に刺激的で、恐らく世の中は変わるのだろうと手に取って分かるような話だったのですが、その中でAIや自動化が一体そのまちに・・・という一つの問題提起と、あと私たちが考えた具体的な提案も、話のベースとして伝えさせていただければと思っております。  まず、今お話があったとおり、まさに多様な構造が混在しています。ダイバーシティというお話もありましたが、まさに多様な構造や高さがあって、ばらばらです。時代もばらばらです。江戸、明治、大正、昭和、平成、全部あります。  

  それから機能としても、店舗だけでなく、住居や事業所もたくさんあるし、今、空いていて使われていないところもあります。歩いている人も地元住民だけではなく、観光客も多くなっています。最近、新幹線も含めて、金沢の商圏が北陸に広がったので、いわゆる観光ではない、まちに訪れる大会社の人たちもこの辺を結構歩いていて、非常に多様になってきています。  それ一つ一つは小さいのです。町家のスケールも持ちながら、小さなものが単位として残っています。ここでポイントは、小さいだけでなく、マイナーなのですが、すごく質は高いものを持っていて、一種のオーセンティシティのようなものを有している場所がたくさんあるということです。発掘するのが楽しいまちなのです。そんな特徴があります。  

  さらに今の話で、途中過程でやむを得ず残ったセットバックしているところと、動いていない歴史的建造物で、平面的に非常に面白いばらばら感があります。先ほどモザイクという話がありましたが、何か魅力的なモザイクで、考えていく上でのパラメータがすごく多くて複雑な、ある意味理解していくには、まちだけれど何かそこにも魅力があるのではないかということが言えるかと思います。  今お話しした尾張町というのは、複雑さや個性の重なりなども含めて、近代以降の発展の中で、合理的、もしくは効率的、画一的、単一的なまちとは全く違う、人間的な生活のようなものをどこかで残している部分もあるまちということもできるかもしれません。  先ほども少し話が出ましたが、金沢は大体2km弱の旧市街地なのですが、都心自体ももう全て、ある意味モザイクです。これは尾張町が特殊というより、金沢も、半径2kmという非常に小さくコンパクトな中に、老舗の料亭やお菓子屋、つくだ煮屋、酒造、工芸工房、最近非常に注目されている21世紀美術館から大拙館まで、ありとあらゆるものがぎゅっと凝縮しながらうごめいているような場所だと言えると思うのです。

  この尾張町は、そんなまちの縮図と考えてもいいでしょう。勝手な意見ですが、AIは、こんな複雑なまちを考えていくときに、もしかしたら向いているのではないでしょうか。 それからもう一つ、車の自動化、共有化という話が志賀様からありました。都市計画というのは、さらに長いスパンになるので、むしろ今度それが実現してきたときに、その次は何か、そこからどうなっていくのかという話になります。

  今のパーソナルモビリティの発達も含めて、さまざまなことが進んでいくと、恐らく効率性や安全性が増して、そして交通量は激減するであろう。その一方で、ひがし茶屋街と武蔵などは、観光客にとって非常に人気がある場所ですから、そこをつなぐ歩行者は年々増加しているのが現状です。  この二つを合わせると、このまちが車主体のまちから、ユニバーサルで歩行者が豊かに歩けるまち。都市計画自体も、完全に車主導の都市計画から、ある意味歩行者主導というか、どう共存していくかをメインに考えている近代以降の流れから、また新しい都市計画の考え方が、多分求められるだろうと思います。  

  私が非常に面白いと思うのは、自動車という一つの機械の制御からより複雑な歩行者の動きを考えるということです。やはり歩いて楽しいのは、好奇心の変化、目移りすることです。時には寄り道してしまう、時には疲れて座り込んでしまうかもしれない。でも、それ自体が、道草ということもありますが、道を楽しむというか、自由な経路。歩行者にとって魅力的な町並みであって、道空間というのは、実はそういうところにある。コンパクトでモザイクといわれる金沢のまちを考える上で、この歩行系の構成が全体としても似合うし、ましてやこれから考えていく尾張町もそれが似合うのではないかと思っています。そんなまちを考えるにはAIが向いているのではないか。その辺につながってくるわけです。  少し具体的な、思い切った提案をさせていただくと、現状4車線あって、歩道が非常に狭いです。1.5mあるかないかぐらいで、人が普通に歩いていると、すれ違うのもやっとという状態で、ましてや電柱があったりします。  

  先ほどの上の図を見ていただくと、都市計画道路の後退ラインがありますが、そこも後退してくれているのですが、みんなもう車を止めていて、現在は駐車場になってしまっています。下の図は、歴史的建造物が残っているところはまだセットバックしていないので、非常に細い歩道がそのまま残っているというのが、今のばらばらの状態です。  これを思い切って3車線というのはあり得ないのかなと。3車線にして、そこに歩道だけではない何か新しい価値を持った空間をつくる。モビリティが変わり、車が自動化され、乗り降りのシステムが変わる、さらに先ほどお話しされたようなパーソナルモビリティなど小さなものがどんどん出てくることで、歩道も自由に歩けるようになってくる。そうなってくると、もしかしたら、そのセットバックした場所が、何か自由活動のゾーンになっていく可能性がないのかなと考えだしています。

  人の動きを検討していく上で、非常に変数の多いものを何か探していくきっかけとして、AIが役に立つといいなと思っています。  参考事例として一つ、金沢のお隣の、加賀市の山中温泉のまちでは、歩道を少し拡張しました。店それぞれがスペースを供出していて、例えばオルゴール館の写真では、前のところに少しお店の空間が出てきたり、少し軒下の座れる空間が出てきたり、花壇になったりと、店の拡張や休憩など、町としてのもてなし空間にもなっていたりしているようです。そのようなことを考えて、先ほど竹村先生に見せていただいたものを拡大すると、こんな状態になっています。  3車線にすると、これぐらいの歩道が取れるだろう。セットバックしている建物があって、非常に歴史的な空間が残っている。そうすると、こんなでこぼこの状態を考えていったときに、まず、歴史的な建物を動かさなくても、歩行空間が確保できるのではないか。それから歩道空間自体も、きちんとゆとりを持って通行できる。さらには、そういった確保予定地を、対流空間やお店の拡張などで使っていく。何かフラクタルと言いますか、流動、対流、いろいろなものが動く空間として使えて、このでこぼこ自体を楽しめるような話になっていくといいのではないかと思っています。  

  もう一つの提案としては、先ほどの話の中で、歴史的な建造物のお話もさせてもらいましたが、ここにはまだ木造建築がたくさん残っています。上の写真のように、ポツポツとまだ残っているわけです。  最近は耐火木造といって、火事に耐えられる木造もだんだん増えてきているのですが、このヒューマンスケールの町並みというのは、まちを人に戻していこうとしたときに非常に重要で、こういう都市の文脈のようなものを考慮して、法規なども含めて、複合的な検討を考えられたらいい。木造文化を持つ金沢のモデルケースのようなものに、この辺がなると面白いかなと思うわけです。  先ほど水野先生にも話がありましたが、日本のまちは木造をどんどん都心から排除してしまっています。その一方で、金沢は重伝建や小町並み制度といって、ちょっとしたいい町並みを一生懸命残していこうという制度もたくさんあって、これまで木造をずっと頑張って残してきているのです。そんなモザイクな都市・金沢だからこそできる町並みというデザインも考えられるのではないかということで、下は、こんなまちになったら面白いというので私たちが作った模型です。  

  それを実現するためには、大きな法規的問題があります。この地域は防火地域に指定されているので、要は、基本的に木造建築は建てられないのです。そうすると、古い建物を建て替えられないので、木造の歴史的建造物はどんどん減っていく一方でしかありません。それが準防火になると、木造が建てられます。 しかし、燃えない都市を一生懸命つくるということは、ハードだけでなく、コミュニティのようなもので、例えば木造密集地域などでは、意外に火事は少ないのです。これは東京の下町でも同じです。そこにはソフトも含めた、コミュニティのデザインのようなものがあると思います。

  ITの技術やAIも含めて、そういったソフトも考えた防災計画のようなものもあるのかなと。それによって、都心においてもモザイク都市がつくれる、残していける。木造を建てる可能性を残すモデルケースのまちになったらいいかなと思います。  今の話を総合して、こんな絵を描いてみました。車と人が共存し、先ほどお話のあった、むしろ個性すらきちんと考えて、人々の楽しさ、豊かさをつくり出せるような町並みが、AIを考えながらつくれるといいのではないかと思っております。以上です(拍手)。

(水野) ありがとうございます。今、この通りは時代的にもいろいろな層があるのです。江戸もあれば、明治の建築もある、大正もある、昭和初期もある、戦後の昭和もあるし、平成の今もある。ですから時代の層が全部見えます。それから、いろいろな営みがあります。そういう意味では「ごちゃ混ぜのまち」と言ってもいいかもしれません。  

  もう一つは、この通りの裏にもいろいろなまちがあって、そのまちの中にもそれが残っているのです。今日のパンフレットの9ページの写真を見てください。ちょうどそのあたりの、ほとんど今の写真です。黒い瓦の家が、道の奥にもまだたくさん分布しています。要するに、裏通りに入っても、金沢的な伝統的なまちの姿をとどめているのです。ですから、金沢の個性を維持することが可能なのではないかと提案されたのかと思います。  ここで、お二人にご感想を聞きたいのですが、志賀さんは先ほど日本の強みにものづくりがあって、人づくりがあって、そしておもてなしがあったと。これからは、そうではなくて、多様性とオープンイノベーションだと。その上に、アントレプレナーシップがあったと。その辺のことを含めて、ちょっとご感想を頂きたいと思うのですが。

(志賀) それについて言うと、ものづくり、人づくり、おもてなしというのは、間違いなく日本の強みなので、これをキープした上で、今まで少し日本には弱かった部分、多様性やオープンイノベーションをという話です。  
  昔はアントレプレナーシップが強かったのです。明治維新や戦争直後は、結構すごい起業家が出てきたのですが、なぜかは知らないけれど、平和な時代になるとサラリーマン化してしまいました。高度成長期に大きな自動車の道路をどーんと引いて道を広げてきましたが、恐らくこれから50年、60年の歴史の中で、また逆転してしまうのだろうという気が私はしていています。  自動車会社の人間がこんなことを言うのは少し変なのですが、本来であれば自動車というのは、どんどん増えていくものです。今日はお見せしなかったのですが、実は自動車がこれからどれぐらい増えるか計算してみました。
  例えば、今の日本の市場は年間500万台です。先ほど言いましたように、95%が駐車場で寝ています。そうすると、寝ているものを90%にして稼働率10%に上げた瞬間に、実は年間500万台の市場が250万台になるのです。今、世界で売られている車が今年は9000万台ぐらいです。恐らく2020年には1億台になります。  
  皆さんに想像してもらいたいのですが、大体1.5〜2tの鉄でできたものが、年間に1億台造られて、相当の部分はリサイクルされていますが、産業廃棄物になっているわけです。これが今のまま伸びていくと、2050年には2億台になるといわれています。こんな世界はあり得ません。私は2億台にならずに、あるところからピークアウトして全量が下がってきて、2030年ぐらいにもう一回1億台に戻ると思っています。東大の総長をされていた小宮山さんなども言われているように、地球の資源のことを考えると、どんどん地下資源を掘っていっては地球が持たないのです。ですから、どこかでこのように完全な高度循環社会をつくっていかないといけないのです。  
  そう考えると、まちづくりも考え方が変わってくるでしょう。大量の車を通すために道路を広げるという発想から、恐らくこれからもっと効率のいい輸送手段、あるいは人を運ぶことにして、道路はもっと小さくなり、道路は人のためにあるようになる。人が歩行する、あるいは足腰の弱い方はパーソナルモビリティに乗っていただいてもいいのですが、道路を偉そうに車が走っているのは、ピークアウトしてくるだろうと私は思っています。  自動車会社の人間がこういうことを言ったらおかしいのですが、自動車産業を持続的な産業にするためには、実はこのようなことを考えなくてはいけない、数を売っていればいいという世界ではないと、私は常々思っています。  ですから、今日の話を聞いていて思ったのですが、尾張町は拡幅したところをもう一回戻してしまう。つまり、今ある伝統的建物のところにしていって、できるかどうか分かりませんが、3車線ではなくて2車線でもいいし、1車線でもいいし、一方通行でもいい。そして、でこぼこしている、拡幅するために駐車場になっているところには、町並みがそろうような憩いの場所をどんどんつくっていく。そこに観光客も地元の方もいらっしゃって、真ん中を車がばんばん走っている道ではなく、何か癒やされるまちに尾張町がなるといいなと思いながら、話を聞いていました。

(水野) そうですか。車が500万台で、その95%がパーキングにいる。同時に、車自体が4〜5人乗りですね。先ほどパーソナルモビリティの話が出てきましたが、人口がどんどん減っていって、高齢化社会になってくると、ファミリーで動くことがほとんど起こらない状況が出てきます。そうすると、パーソナルモビリティになって、車の量も減るし小型化するという時代が来そうですね。

(志賀) ちょうど先々週、北京にいて、北京は町並みは悪いのですが、レンタル自転車が非常に面白くて、スマホで操作すると、どこに自転車があるか分かって、そこで自転車の暗証番号を取って操作したら鍵が開いて、乗り捨てできるようになっていました。  発想を変えると、WHILLが入り口にたくさんあって、自分でスマホ予約して、尾張町を通るときはそれで移動する。もう少しスピードが出るものでもいいのですが、何となくそうすると、自分の車で真ん中を走るところではない、そういうまちづくりができる気がします。それはまさにAIやIoTを使った車になりますね。

(水野) そうですね。北京の自転車はなかなか大がかりですね。

(志賀) 数を作り過ぎてしまっていて、町並みには悪いですけれど。ただ、発想的には明らかに効率がいいです。自分で所有せず、必要なときに必要なだけ使うだけ、それで30分で0.5元ですか、ものすごく安いのです。ですから、だんだんそういう社会になっていくのだろうと私は思います。

(水野) 先ほど、スマートインフラではないですが、道路の中に停車帯があって、それから通行帯がある絵がありました。あの通行帯のところを走っている車がカーシェアの電動の自動運転車で、スマホで操作すると停車帯にすぐ来てくれて、すっと乗っていけるという感じですか。

(志賀) そうなります。今、GoogleやUberが開発しているものはまさにそうです。Uberはタクシー業界と年がら年中けんかしているので、無人タクシーだったら文句を言われないだろうということで、無人タクシーをつくろうとしています。まさにそういう発想です。

(水野) そうすると、今の尾張町でいうと、敷地の10%以上にコインパーキングが建っているのですが、あれが要らなくなるわけですね。コインパーキングはマイカーがあるから必要になってくるのだから。

(志賀) シェアリングの車を置く場所はできますが。

(水野) 停車帯をつくる必要はあると思いますけれども。

(志賀) そう考えると、面白い尾張町ができる気がします。 (水野) そういう時代がいつ来るかということなのですけれども、先ほどだと2022年に日産は無人運転の車を出したいというのと、大胆予測だと、2050年にもう全て自動運転化であると。 (志賀) 考え方だと思うのですが、私の考え方で言うと、極力交通事故を減らしたい。交通事故を減らすのだったら人が運転してはいけません。要するに、ものすごい発想の転換なのですが、30〜40年たった後、「えっ、車って、昔は人が運転していたの? そんな怖いことしていたの?」と言われるようになると思うのです。ですから、完全に事故をなくそうとすると、自動運転化した方が死亡事故は少ないのです。

(水野) 運転免許も必要なくなり、保険に入る必要もなくなって、その代わり公道で運転することはできないからサーキットで運転すると。 (志賀) ドライブが趣味やスポーツになって、サーキットに行って走る。そんな感じだと思います。 (水野) 都市計画というのは、大体そういう時代まで見通して考えるわけですので、そう考えると、尾張町を計画どおり広げる必要があるのかどうかというのは、言われたように違う案がありそうだと言えそうですね。

(志賀) 特に、しつこいようですが、日本の社会がこのまま高齢化していくと、今は免許証を取り上げているわけですが、これは絶対に問題が出てくると私は思うのです。要するに、免許証がないと、特に地方の方々は家にこもるしかなくなってしまいます。そこで移動の自由をどう確保するかというのが、非常に重要になってくると思います。

(水野) 米倉さん、いかがですか。先ほどの宮下さんと竹村さんのお話も含めて。

(米倉) すごく難しいお話だと思いました。AIでどのようにしようと、いろいろ想像していたのですが、私がAIが得意だと思っているのは「和」なのです。最終的に人々の考えている幸福に向かったときの共通項、人を邪魔しない共通項を、人が説明できないところで探り出していこうということを、AIはやってくれます。それが、人には説明できなくなってくるのですが、その「和」を何となく可視化していくことが得意というか、役割になっていくのかなと。  まちづくりという視点になると、僕の場合、すごく個人的な理由なのですが、僕はバスケが趣味で、家にゴールを置いて庭で毎日朝早く起きてシュートしているのです。そうすると周りから苦情が来るので、1週間は休むというようなことをやっているのですが、逆にそれが自由になる場所があるならば、引っ越したいと考えています。  そういう考えの人もいれば、静かにしていたい人もいて、そういった思いが集合体になって、共通項の中でじわりじわりと、もっと幸福になっていくという流れがつくれるかどうかということなのかなと思って、話を聞いていました。  
  そうすると、一つ思っていたアイデアとしては、今だとAIの悪いイメージのものに「天網」があります。中国では2000万台のカメラに犯罪者を発見するためのコンピュータビジョンが付いていて、犯罪者を発見したらすぐに警告するというので、人の顔をずっと追い続けているのですが、それが個人情報的な視点で問題になっています。  それとは逆の発想で、今だと感情分析的なものにAIが使われたりするので、幸福度を、アンケートではなく、人の表情などを撮っていって、それがどういったときに向上しているか。まちに関連して言うなら、例えば車が目の前を走った瞬間は、やはり嫌な気持ちになります。ただ、こういうときではすごく感情が上がるということも何らかのデータとして、今からでも蓄積できるのではないかと思っています。それをミニマムな空間でも始めてみて、どういったところがその共通項の中でベストなのかを探り始めてもいいのではないかなと思っておりました。

(水野) 宮下先生、お二人の感想を聞いていかがですか。

(宮下) 今の米倉さんのお話を聞いていて一つ。恐らくまちづくりやコミュニティは、ある意味1軒の建築を建てるわけではなく、一つのコミュニティのようなものをデザインしていくということだと思うのです。その中には歩行者もいれば車もあればというので、簡単に言うと、誰かの論理では恐らくうまくいかないものを、どう豊かにしていくかということになるのかなと。そのときに、日本人というか、人間が割とよく言う「振る舞い」のようなもの。例えば、バスケットボールをしていたら、うるさいと一言言う。そうすると、少し気にしてしばらくやめる。でも、やりたいから数日したらまたやる。でも1週間おきだったらしょうがないと近所の人も思う。そういう両者の関係が多分出てきて、それは車や人の関係も似たようなところがあると思うのです。それを日本では「譲り合い」というのか分からないですが、お互いに何か生活の行為を、振る舞いの中で考えていくようなものがあって、そこから出てくるデザインがきっとあるのかなと。  例えば、建築を一つ建てるにしても、まちのファサードや景観という話になると、連続性のような話になってくるのですが、それが言い方は悪いですがみんなのエゴの総体になってしまうと困るので、何らかの方法で共通項を探る。先ほどのみんなの共通の幸せのようなもの、「優しく、ほっとする町並みをみんなでつくろう」という意識をつくっていって、デザインしていくことになるのかなと思うのですが、そういう部分でもAIの考え方が使えるかもしれません。  自動運転にしても、歩行者が特に優先のところは、AIが自動的に運転を考えてくれて、よりゆっくりしたスピードで走ってくれるとか、何かそういったものが出てくるのかなと思っていて、私が3人にお聞きしたかったことが一つあります。例えば、金沢らしい自動運転というのは、どういうものでしょうか。多分、そういう部分が、よりデザインをそのまちの幸せや豊かさにつなげていくキーワードになってくるのではないかと、私自身、何となくお話を聞いていて思いました。

(志賀) 金沢らしいというところで言えば、大量生産、大量消費で、画一的なものがすごく作られていくのは、恐らく変わっていきます。車の造り方が、例えば大きな金型でばんばんプレスを打つから大量生産になるのですが、今の技術でいうと3Dプリンタではないですが、1枚ずつパネルを比較的安いコストで作れるのです。そうすると車自体のデザインが、大量生産、大量消費から、機能的なシェアリングされる車と、もう一つは自分が所有したいと思う車に分かれると思います。要するに、所有の喜びを感じる車というのは、誰も持っていない自分だけのパーソナライズの車だと思っています。自動車会社としては、例えばお客さまが「こんな車が欲しい」というデザインを描くと、パーソナライズした車がご提供できると。  車が徐々に電気自動車になると、いい面も悪い面もあるのですが、変な話、バッテリーを積んでモーターを積んでインバーターを積んでやれば、結構車になるので、パーソナライズはものすごくやりやすいのです。  
  そうすると、金沢に合った自動運転となると、ナンバープレートに金沢らしいデザインが付いているだけではなくて、車自体がすごく金沢らしい、金沢の皆さんが「金沢の町並みにはこんな車が似合うよね」と考えてデザインしたもの、それが金沢のまち、尾張町を自動運転で走る、そういう時代がもうすぐ来る。これから自動車会社が開発していかなくてはいけないのは、お客さまのパーソナライズをされたものを、いかに安いコストで、一人一人の方に提供できるかということになります。  皆さんご存じか分かりませんが、これは既にインダストリー4.0で、例えばシューズなど、自分でこういう色にしたいと入力すると、夕方にそれが配達されてくるように、どんどんパーソナライズ化してきています。多分、車をそうなるのだろうと思っています。ですから、実際に今、一品一様のプレスをどう造るかという研究を、自動車会社は真面目にやっているのです。

(水野) そうですか。では今度、日産と金沢とで、金沢モジュールか何かを作りますか(笑)。

(志賀) そうですね。すぐという話ではないですが。結構技術的にハードルが高いですけれども。  私は自動車会社の人間なので、移動の道具は全部シェアリングでいいと言われてしまうと立つ瀬がなくて、やはり所有の喜び、走る喜びを自動車会社としては追求したいわけです。そうすると、お客さまが本当に欲しいデザイン、例えば「俺はもう一回ハコスカのデザインに乗りたい」と言って、ハコスカの格好をしている電気自動車を作れないかなと、夢のように考えています。

(水野) 米倉さん、私たちはずっと創造都市会議をやっていて、先ほど十何回目というお話がありました。要するに、先ほど宮下先生からあったように、この金沢という半径2kmのまちに、老舗の店もたくさんありますし、近江町市場もあれば、料亭旅館もあれば、あるいはお菓子から友禅、九谷の作家たちもいる、美術商や骨董商もいて、あるいは芸妓さんやお花やお茶をやっている人もたくさんいる。そして四つの重要伝統的建造物群もその中にあり、21世紀美術館も鈴木大拙館もある、いろいろなものが凝縮しています。そうした一つ一つ、一人一人が何となくある種の個性を持って、こだわって生きているという部分があります。  そのことが、逆に言うと、大量の観光客が来ると、圧倒的に脆弱なものだから、うまくいかなくなってしまうという関係が今いろいろ見えてきて、観光とどうすりあわせるかという問題が出てきているのですが、そういう小さなクリエイティブな存在、パーソナル・アクティビティといっていいような存在がある。その全体像をどうつくったらいいか、それをみんな盛り上げるにはどうしたらいいかということがいつもテーマになっているのですが、そういうときにAIというのは、何となくわれわれを助けてくれるのではないかと、楽観的に見てしまうのですが。

(米倉) すごく難しいお話だと思います。私は先ほどまちづくりの話をしたときに、結構シンガポールを想像していたのです。僕はシンガポールに仕事で2〜3週間ぐらい行ったときに、シンガポール関係の方がいたら申し訳ないのですが、つまらなくなってきて、早く日本に帰りたいとすごく思ったのです。カリフォルニアにも長くいたときがありまして、そのときも本当につまらないと思っていました。あと、バンクーバーにも一時期住んでいたことがありましたが、つまらなくて日本に帰ってきました。やはり日本に帰ってくると、面白いなと思うのです。  あとはASIの話ですけれども、ASIの目指していることは、最強の「和」をつくってしまうことなのですが、「和」が作られた後のことを考えると、その「和」に合わせようとしてローカライズ的なことを捨てていくと、本当に無価値になっていくと私は思っています。 その後は何が必要になってくるかというと、今日音声合成の話もしましたが、あれは平均声、人間はみんなこういう声を出すというものと、その人の癖のようなものを比較して波形データを出すのです。それがいわゆる人の癖であって偏りなのですが、その偏りがあるからこそ、平均声を作るのは難しいですし、もっとこういうものを作らなければならないという課題が見えてくるのです。それがなくなってしまうと、機械と変わらない状態になって、人間自体が全く魅力を感じないものになると思っています。  神様のようなAIは何の意味をなすのかというと、法律と教科書だと僕は思っています。法律と教科書を今からみんなで読みましょうと言って、やりたい人は誰もいないと思います。常に、漫画など偏りのあるものに引かれていく。  それから、偏りの部分は、どこがどう偏っているのか認識できる状態にして、それを可能な限り残していく方に賛成で、これも結局タカ派としてそう思っています(笑)。

(志賀) 刺激されてお話をするのですが、先ほど講演の中でも使ったスライドで、ダボス会議のシュワブさんが、『第四次産業革命』という本で「人類の生活、常識が根底から覆る」と言っています。同じ本の中で、シュワブさんは、こういう時代になってくると経営者として何を大切に考えなくてはいけないかというところで、いいことを書いていると期待していたら、「こういうときこそ経営者は精神、心、魂、肉体を鍛えなくては駄目だ」と言っていたのです。  
  結局、私はこの話をいろいろなところでするのですが、第1次から第3次産業革命までは、本当に大量生産をして、資本力があるものが大きな設備投資をして生産性を上げて、資本力のないところはなかなかそういうことができず、結果的に生産性格差を生んで、賃金格差を生んでしまった。第1次から第3次産業革命までは、ピケティではないですが、やはり格差社会をつくってしまったのだろうと思うわけです。ですから私は、第4次産業革命は、人類にとって、今までの環境問題や格差問題という第1次から第3次産業革命までのいろいろなひずみを是正させるべき道具でなければ駄目だと。つまりIoT、ビッグデータ、AIを、また人類が自分たちのために使ってしまっては駄目だと思うわけです。例えば先ほど中国に行った話をしましたが、あらゆるところにカメラがあって、ほとんどの画像を撮られていて、完璧な監視社会なわけですが、私はIoT、ビッグデータ、AIを、そんなふうに使っては駄目だと思うのです。  先ほどの牧田さんの話ではありませんが、日本の良さというのは、鍵がなくても、あるいは鍵を人に貸しても心配しない国であることです。やはりこの第4次産業革命では、もう一回人間性を取り戻す、もう一回心の豊かさを取り戻す。これを本来は人間の力でやるべきだったのだけれども、なかなか難しくなってしまったので、IoT、ビッグデータ、AIを使って、そういうものをもう一回取り戻す、そのような社会が作れればと考えています。  従って、まちづくりで言えば、防犯カメラのないまち、家に鍵が掛かっていないまちなど、私たちが目指すべきものは、AIでつくったまちだからといって、あらゆるものがセンシングされて、あらゆるものが監視されている社会ではなく、心の癒やしがあるまちができるといいと思います。

(米倉) すごく大賛成です。

(宮下) 私も大賛成です。

(水野) 米倉さん、今のところはどうですか。今のお話は。

(米倉) 僕はすごくそう思っています。  僕はすごくアートが好きで、アートの展示会によく行きます。世界でトップの日本人アーティストは村上隆さんになるのですが、村上隆さんの表現されているものは思いっきり日本です。日本のローカルを思いっきり使って、日本を代表するようにして、日本の良さを伝えていくわけです。そうしないと世界には結局通じないということだと、あれを見るといつも思います。  そこに関して今の日本は、僕たちITをやっている人間もそうですが、アメリカなどに対するコンプレックスが強過ぎると思っていて、そこに関して逆張りしていった方が、将来的に勝ち目があるのではないかと僕は思っています。

(水野) 今日はこのセッションの壇上に上がっていただかなかったのですが、プレゼンテーターの福岡さん、牧田さん、何かご意見がありましたらご披露いただければと思います。

(福岡) WHILLの福岡です。ずっとお話を聞いていて、今いちよく分からないと思っていたのが、尾張町に住んでいる方というのは何を求めているのだろう。その意思の部分がなかなか見えにくいなということです。それをずっと考えながら、そういうのは一人一人多様性があって、それを統合したものは難しいと話をされているのを聞いて、それもそうだと思っていました。きっと、幅を3車線にしたい人、このままでいい人、2車線にしたい人のような単なるアンケートでは、その意思は取ることができない。ひょっとしたら、全く変えないでいてほしいと思っている人もいれば、もっと駅に早くアクセスできるようになりたいと思っている人もいれば、もっとみんなが外に出て行ってほしいと思っている人もいるかもしれない。 僕らが造っているのはパーソナルモビリティですが、それはあくまでツールであって、そこに住んでいる人たちがまちをつくると思っているので、そこに住んでいる人たちの意思や欲望、気持ち、感情、そういう部分をもっと可視化できたり、もっとその方向を示したり、あるいはそれを誘導するのか、どこまでそれにAIが使われるのか。住民の方の納得度が上がる、住民の方が一番いいと思っている方向性を可視化する、そういった部分にこそAIが使えるのではないかと思いました。

(水野) ここで尾張町の問題が出てきている一つは、今、観光客が近江町からひがし茶屋街まで行くのに、この道を歩くのです。そうすると、向こうから車椅子が来ると、すれ違う人は車道へ出てなくてはいけないという状況にあって、恥ずかしいというのがスタートでもあるのです。

(福岡) なるほど。

(水野) だから、福岡さんのモビリティが来るとどうすれ違うのだろうなと考えると、なかなか難しい。その恥ずかしさのようなところからの話であって、まだ住民の意見を聞いたりしている状態ではないのです。

(福岡) 実際に聞いてみたいと思って、一回本当に伺いに行きたいと思ったぐらいです。

(水野) 実際に動かすときは、やはり住民と一緒になってどうなのだろうという議論を重ねていく必要はあります。ただ、まちづくりは20、30年先を考えていいから、今日お話しいただいたようないろいろなモビリティの変化の中で、つかまえていく必要はあると思っています。

(福岡) 本当に実際に住んでいる方の声を聞いて、2年後にこうしたいという意見ばかり出てきても、それはきっとまた違うのだろうと思ったりして、これはなかなか難しいと思って聞いていた次第です。

(牧田) 以前、福岡の九州大学の跡地をどうするかというカンファレンスを見に行ったときにも思ったことで、明日の全体会議にもしかしたらつながる話題になるのかもしれませんが、やはり都市計画は20、30年なので、行政の方と実際につくるところが、結構、どうしていくのかという話になりやすいというところがあります。そうすると、割と今までの日本の都市計画だと、結構逆張りがしにくい。先ほどお話に出ていたような、アメリカの逆張りをしにいくくらい思い切ったことをやるというのが、なかなかしづらいようにいつも思えていました。  WHILLもTiNKなども、割と最先端のデバイスとして扱われることが多いのですが、そういったものを導入しやすくするにはどのようにしたらいいのかと、毎回、都市計画のときに考えます。結構、規制や用途地域の制限などで、実際にそういうものと最新のテクノロジーが合わさることは、私が知らないだけかもしれませんが、うまくやっているところは少ないイメージがあります。それをうまくやれるのは、どのように進めていくものなのかと、お話を伺いながら考えていました。

(水野) 竹村さん、行政におられて先ほどPI(Public Involvement)ですか。住民とのいろいろな検討を重ねておられますが、その辺はいかがでしょうか。都市計画を変更するなども含めて。

(竹村) 非常に難しいお話だと思います。それぞれ、今日のモザイクという言葉がキーワードになっています。悪く言えばごちゃ混ぜ、ばらばらという感じですが、よく言えば多様性です。その多様性がうまく共生できるかどうかということが、まさに今、尾張町でのモザイクタウンといいますか、そういうものをつくっていこうということになると思います。  

  今の計画についても、当初、十数年前からの話を聞くと、4車線にする、2車線にするなど、何通りも絵を描いて、結局あまりまとまらなかったという話を聞いています。結局、5年ほど前の平成24年には、折衷案的に、無理やり広げないで、当面は歩けるように無電柱化はするけれど、22mの案はどうしようか。広げない、あるいは15mに都市計画を変更して縮小するかという議論も、実はやっている最中なのです。  人それぞれ意見が違うので、住民の合意形成は非常に難しいわけですが、そのときに、今日の議題とすれば、一つはどんな尾張町にしたいか。将来像はどうかということがあって、今言ったようにモザイクなり、でこぼこを、逆手に取って生かして、例えば先ほど志賀さんからも話が出ましたが、でこぼこになっているところをうまく広場的に使ったり、観光客の人も癒やせる、あるいは地元の人の憩いの場になったり、金沢市民の若者のイベント場になったり、いろいろな活用や広がりが出てくるわけで、例えばモザイクの広場をつくるなど、やり方があると思うのです。そのためには、いかに地元の人たちが、こういう方向でいきたいと心を一つにしていくか、そこが非常に大事だと思います。  

  やはり、地域のコミュニティが希薄化、脆弱化してくるのを、もう一度強く絆を深めていくような、そういうまちづくりをしていくことが大事なのではないか。それが今おっしゃったことの答えになるかは分かりませんが、こういうまちにしていこう、みんなで頑張っていこうというところになると思います。  実は、AIがどのようにまちづくりに関わってくるか、どううまく活用できるのかということを、私たちもずっと、年来、考えているのですが、都市計画にとって本当に悩ましい、分からないところなのです。例えば、まちづくりをしようというときに、為政者の意思、市長や教授の意見をAIにそのまま入れられるかというと、なかなかデータもないし難しい。そこで、AIによって人間性を取り戻すというのは、まさにそういうことかなと思うのですが、例えば地域コミュニティづくりなどのノウハウをAIなどでうまく活用できるようにしたら、すごくよろしいのではないかと思っています。以上です。

(水野) 尾張町の通りは、行政も元々の4車線の計画を推し進めることに対して少しちゅうちょしている面があって、保留しているのです。いろいろな状況の中でやらなければいけないので20年後を見据えると、基本的に交通量は減るだろうというのが、今日の一つの論点でもあるわけです。

(志賀) 交通量なのですが、今日あまり話題にならなかったのですが、「CASE」のConnected(コネクテッド)というものがあります。全部の車がクラウドでインターネットにつながって、誰がどこに行こうとしているかもつながっている。なので、ナビをセットすると、恐らく空いている道をどんどん指示してくれるので、今と同じ道路は全く必要なくなってくるだろうと。これは、いろいろなところで実証実験も始まっています。  今は首都高でもやっていますけれども、恐らく、昔4車線が必要だと思ったときと仮に同じ交通量だとしても、車がつながって、時間に合わせて車を誘導することができれば、4車線は必要なくなると思います。

(大内) 皆さんのお話を伺っていてこんなことを思っているのですが、先ほど福岡さんが、電動車椅子のデバイスを造ることが目的ではなくて、100m移動するのをちゅうちょしている人たちをどうしようというところから始まったと。あるいは牧田さんのお話だと、女性は自分の生活空間に道具をそろえなくてはならないことが発生していると。それに対して新しいタイプの企業だという。この辺がすごく重要です。  つまり、まちをどのようにこれからつくり変えていくか、あるいは修正していくかというときに、どういう使い勝手、どういう生活をそこでしたいかということから本来考えるべきなのです。第3次産業革命で僕たちが大きく間違ったのは、何かどこかに完成形を見てしまっているからで、そういう癖からそろそろ脱しなくてはいけないと思います。  まちに完成は絶対にないし、実は家でもそうです。私が実際に自分の家を建てるときに、ある方から言われて、そうだなと思ったのが、「お宅の家を完成させては駄目だよ、絶対完成なんてないんだから」ということでした。つまり、私も年を取っていくし、家族の形態も変わっていく。だから、常に少しずつ修正を加えた結果であって、どこかでその姿はあるかもしれないけれど、家が完成することはない、そういうコンセプトでいかないといけないと言われて、そうだなと思ったのです。  行政の場合、全体のまちの仕組みなどもそうですが、アメリカがモデルなのか、ヨーロッパがモデルなのか、今まではどこかにモデルがあって、それに近付けようという発想だったので、どうしてもどこかに完成形をイメージしてしまうのです。しかし、実はまちをどうつくっていくかとか、一つ一つの私たちのまちでの移動の形態をどうするかということについても、多分完成形はないのです。  
  そのときに、AIがいろいろなオルタナティブなアイデアや、ヒントを出してくれるということは、僕たちはこれから大いに使わなくてはいけないし、それは今までよりもずっと便利になるだろうと思います。  だけど、僕らの側は、常に主体に「おまえは何をしたいのだ」「どういう状態でありたいのか」と問い続けて、それに従ってAIを使っていけばいいわけであって、結果として何が出てくるかは、自分自身も分からないかもしれません。そういう態度でいないといけなくて、尾張町をどういう姿に持っていこうという議論では多分ない。僕らがみんなで考えたことも、もちろん住民の方たちと相談しながらでもいいのですが、それも少しずつ、時間がたつに従って変わっていく。それでいいのではないかと私は思っています。

(米沢) 先ほど志賀さんが2車線でもいいと言われたのですが、僕らは尾張町の交通量や渋滞を考えて、4車線は要らないけれど、最低でも3車線要るだろうというところから始まったのですが、信号がなくて渋滞がないのなら2車線でも全然よくて、今までの前提条件が違ってきて、いろいろなことを考えられるようになったなと私は受け取りました。2車線というのは、僕らは全然考えていなかったですよね。あり得ないと。

(水野) 3車線としたのは、あそこは右折路線が非常に多いので、真ん中に右折ゾーンが要るという意味で断面的に言うと3車線になるという。

(米沢) だけど、今の志賀さんのお話を聞いていると、それも考えなくていいようなことではないのかなと思ったのですが。 (水野) その辺はもう少し専門的に煮詰めないといけない部分もあろうかと思いますけれども。

(竹村) 現状、一昨年の道路交通センサスでは、平日には1日19300台、2万台近く通っています。あそこの通りが4車線であればスムーズにいくのですが、条件によって違うものの、2車線だと1万2000台ぐらいが混雑の出る交通容量だといわれているので、現状では少し厳しい、ハードルが高いという格好です。10年とかどれだけの期間を考えたときに、AIによって円滑に流れていくのだと、人口が減るから交通量が総量も減っていくのだということが起きれば、今のようなことも非常に可能性が出てくるのではないかなということです。

(福光) 尾張町はモデルケースの議論なのですが、要するに志賀さんがプレゼンテーションのときにおっしゃったように、もしも電車がつながったまま移動しているように見えるぐらいまでモビリティが変化すれば、それは金沢中に自分が好きなときに好きなだけ乗れるLRTが動いているのと同じようなものです。だから今、軌道を敷くのは全くおかしい。このまちに軌道を敷くのは絶対に反対だと金沢経済同友会が言っているのは、そういうことがあるからです。  先々はそちらの方向にいくと。公共的な移動手段が、全てフルAI化されたモビリティということであれば、2車線でもいいでしょう。そうすると、もう少し進んで言うと、江戸の城下町に戻す方向へ持っていけばいいのですよね。失ったものは何だったかという議論ができるようになってきたということで、今日お聞きしていて、すごく楽しみなことではないかと思いました。

(水野) 金沢の戦後の都市計画、まちづくりを概観した場合に、戦後最初に大きく変わったのは、香林坊から片町の界隈です。木造の町家があったのですが、それを国の近代化事業で3階建てのコンクリートの建物に替えていったのです。そのときに、不燃化ということでどことも同じような建物をつくったために、何となく魅力的な町並みがでなくなったものですから今廃れてしまって、戦後にやったことなのに、今もうどうやって再開発しようかというテーマが出てきているわけです。  
  片町界隈は、近代都市計画で商業地域と決めたので、全部商店と決めています。武蔵から香林坊までの間は、県庁所在地で日銀があった関係で、日本全国の銀行、信金、保険、損保が全部店を張って、オフィスビルを構えたわけです。それで貸しビル業もやって、金融単機能のまちになったのですが、土日は静かですし、とてもメインストリートのにぎわいはつくっていない。近年は金融が衰退して、だんだんホテルになったり、ファッションビルになったりいろいろしながら、今コンバージョンしています。つまり、ここも戦後できたのに作り替えているわけです。完成しつつあるのは駅から武蔵の間で、今、最後の再開発ビルが武蔵で建てられています。10本ぐらいずっとやってきたのが完成して、そこには商業と業務と居住と多機能で入れていますから、長続きするかと思います。 もう一つは、車社会が到来したときに、都心にいた人たちがみんな、不便だといって金沢の南の方へ居住機能を持っていってしまって、都心の空洞化(ドーナツ化)が起こりました。郊外では良好な住宅地という、どこの都市にもあるのですけれども、近代都市計画のお手本のようなまちができたのです。そこが今、高齢化で逆に空き家化してきて、町並みもちょっと活力がなくなってきて、そこにいる人たちが徐々に都心に回帰し始めています。都心は人口が増えているけれどもこちらは減っているという状況で、郊外でも後退が起こっているのです。  
  そんな中で、この尾張町をどう考えるかというというときに、金沢の個性である、いろいろなものがごちゃ混ぜにある、このごちゃ混ぜが逆に面白いのではないかと。多機能と言ってもいいかもしれないし、あるいは個性と言ってもいいかもしれないし、あるいは一つ一つがクリエイティブと言ってもいいかもしれません。いろいろな時代のものがある、機能もいろいろな機能がある、そういう混とんとしたモザイク状の都市を継続しながら、新しいモビリティの時代、AIの時代にどう向かい合うかというプロジェクトです。今までの都市計画は、用途地域別に物事をつくって、統一しようという概念があったのですが、それをなくしてしまって、そういう金沢らしさを出したいということだったと思います。  
  その中の一つに、木造というのもあります。木造の都市なんてあり得ないと、日本の都市が全部否定してきました。もうつくっているのですけれど、金沢は四つの重伝建も完全に木造ですし、木造のまちがたくさんあるので、木造のメインストリートというのも一回つくってみたいというのがあって、提案されたと思います。そんなふうにして、金沢というものの個性をどうつくり出していくかという、仕掛けとして、あの通りをモデル地区でやったのです。  
  金沢全体が今、そういう方向に行こうとしているということだろうと思っています。そのようなことを見ながら、ここからクリエイティブな人材が生まれたらいいなというのと、先ほど志賀さんがおっしゃったように、クリエイティブな人材が金沢に移り住んでくれたらいいなと。そういう動き、中からの地力と外からの参入がうまく混じり合えばいいなという、そんなことを願って、この創造都市会議をずっとやっております。  
  そのテーマの一つとして、具体的に今回はAIという非常にデジタルな、先端的なテーマと、尾張町という非常にリアルな、ある意味で言うと非常にアナログなテーマを合わせてみたわけです。  議論の尽きないところで、結論は出ていないかと思いますが、時間が来ましたので、この辺で終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました(拍手)。
-------------------------------------------------------------------------
挨拶

米沢 寛 氏
(金沢創造都市会議開催委員会実行副委員長/金沢経済同友会副代表幹事)  

5時間半という大変長い間、参加者の皆さん、熱心にお聴きいただいてありがとうございました。また、本日プレゼンテーションを四つ頂戴しました。今まで創造都市会議金沢学会でも、セッションや対談方式では行っていたのですが、プレゼンテーションという試みは初めてで、大変中身が濃く勉強になりました。  
  第4次産業革命というのは、私たちが思っているよりも本当にスピードが速いと実感しました。私もグループ会社13社ありますがが、今日、4社は確実になくなると実感しまして(笑)、今のうちに次の事業を考えようと思っています。  「AIと考える尾張町」と書いてありますが、最初は「アイ」と言っていたのです。ラブの愛です。聞いていると、最終的には「和」を目指すとか、AIで人間性を取り戻すとおっしゃっていたので、まんざら間違いではなかったと、思っています。ともかく、講師の先生方には本当にありがとうございました。明日は10時から市長を交えて具体的なワークショップを検討します。このまちで実験を積み重ねて、その中で何かヒントが生まれればいいなと思っています。明日もまたぜひとも皆さんのご参加をお願いして、第一日目を閉会とさせていただきます。ありがとうございました(拍手)。

創造都市会議TOP


第一日目 12月7日

第二日目 12月8日

Copyright
金沢創造都市会議2018