第8回金沢創造都市会議

金沢創造都市会議2015 >セッション3

セッション3

セッション3「金沢文化と世界標準」

●コーディネーター
水野 一郎氏(金沢工業大学教授)
●パネリスト
岡部 明子氏(東京大学大学院新領域創成科学研究科教授/建築家)
早川 和良氏(石川県観光総合プロデューサー/(株)ティー・ワイ・オー専務取締役/CMディレクター)
川井田 祥子氏(大阪市立大学都市研究プラザ特任講師/NPO法人都市文化創造機構事務局長)

          













文化の揺りかごである町家を保存する特区を作るべき

(水野) 2015年3月、ようやく金沢に新幹線が参りました。東海道新幹線から見て50年後です。待ちに待った新幹線でして、非常に長い間、この50年をよく考えてみると、金沢は自分のまちをどうしたらいいかということを考え続け、そして行動し、築き上げ、そしてこの日を待っていたと思います。
 開けてみたら、ドーッと観光客が来て、町じゅうを歩き回るのを見て「こんなに歩くのかな」と思いました。それから爆買いも起こり、非常ににぎわってきています。うれしいなと思う反面、「あれ、ちょっと違ったな」という風景も見られるようになりました。典型的なのは、近江町やひがし茶屋街です。それから、観光客が食べるものも、今までわれわれが全然注目していなかったカレーライスやおでんに人気が出て、びっくりするようなことも起こっています。
 そういう戸惑いの中から、「金沢の観光はこれでいいのかな」「金沢のことを分かってもらえるのかな」「金沢の市民生活がちょっとやりにくくなったな」など、いろいろな思いがあって、観光都市になるということを含めて、金沢が乗り越えなければいけない新しい課題なのかもしれません。あるいは、観光客に少しやってもらわなければならないことがあるかもしれません。それが何かまだ分かりませんが、いろいろな観光のグローバルスタンダードがあって、それが築いてきた金沢文化と共生できるのかということをこのセッションでは考えてみたいと思っています。
 佐々木先生の第1セッションは、国家レベルのプロジェクトがどんどん出てきて、ユネスコ、国連などインターナショナルなレベルでした。宮田さんの第2セッションでは専門家たちが来てしゃべっていました。ここはわれわれ市民レベルで考えてみて、どんなことなのだろうというセッションをやってみたいと思います。
 今日のパネラリストの岡部さんは、私と同じ建築家で、バルセロナという世界的な観光都市に10年いたそうです。バルセロナの話をしたら止まらないと言っています。
 それから、石川県の観光プロデューサーとして「ひゃくまんさん」をはじめ、さまざまなプロジェクトをリードしていただいている早川さんは、今、ホットな中にご自分がおられると思います。その中で少しお話しいただけたらと思います。
 それから川井田さんは、この会議には4〜5回ご一緒しているのですが、パネリストになるのは初めてですか。創造都市会議で佐々木先生とずっと一緒に研究しておられます。それからユニバーサルデザイン、文化プログラムに造詣が深いということですので、その辺も含めてグローバルスタンダードのような話をしていただけたらと思っております。
 それでは早速、岡部さんからバルセロナのお話をお願いします。

(岡部)今の水野先生のお話を聞いていると、恐らくイメージされているのは、市民と観光客がどうやって平和に折り合いを付けていくかという話を想像されていると思うのですが、バルセロナでは折り合いを付けるのではなくて、ぶつかって乗り越えて行くことが創造的であるということが、結論と言えば結論です。
 いろいろなバルセロナモデルがありますが、先ほどの第1セッションの話では「観光都市ではなく、文化都市だよ」というお話でしたので、観光では仕方がないのかもしれませんが、その光と影ということでお話ししてみようと思います。ただ、観光都市ではなく文化都市だと言っているとき、何となく第1セッションを聞いていて思ったのは「観光都市ではないけれど、セレブ観光都市を目指しているのではないの」という気がしました。そうではなくて、セレブ観光都市を脱して、真の文化都市になるために、ぜひこの2020年の文化オリンピックを生かしてほしいと思います。私はあまり金沢のことを知りませんが、それで金沢は一回り大きくなるのではないかと思いました。
 第1セッション、第2セッションと大変刺激を受けまして、本当に来てよかったと思いました。光と影ということで、バルセロナもそういう意味では金沢より進んでいますが、問題の先進都市です。まずは観光でうまくいった光の面、そして、ちょうど今いい時期だと思うのですが、影の部分がかなり表に出てきている時期なので、その両方の話をしたいと思います。
(以下スライド併用)

 まず、バルセロナは何が文化的なアイデンティティーかというと、外から見ればガウディ建築になるかと思います。サグラダ・ファミリアとグエル公園です。私は2010年に『バルセロナ―地中海都市の歴史と文化』(中公新書)という本を書きましたが、私は理系の出身なので、結構このサブタイトルは勇気が必要でした。

 このガウディがシンボルということがもちろん一つの魅力なのですが、それ以外にサグラダ・ファミリアが真ん中にあり、その周りは非常に高密度なコンパクトシティーで、にぎわいがあるというのが一つの売りでもあります。また、何といってもヨーロッパの人にとっては、特にアルプスより北の人たちにとっては、地中海の青い海と太陽が最大の魅力である都市だと思います。
 オリンピック以降、「バルセロナ・モデル」という言葉が非常に普及しまして、創造都市戦略、文化都市、コンベンションシティ、今日はコンベンションシティの話を中心にしようかと思いますが、シティセールス、ブランディング、あらゆることで、あるいは強い政治的リーダシップなどを含めて、2004年の文化フォーラム開催ぐらいから「バルセロナ・モデル」という言葉が盛んに使われるようになりました。観光の「バルセロナ・モデル」とも言えるのではないかと思います。
 私は1985〜1995年までバルセロナに住んでいました。これは失業者について表したグラフで、ピンクが失業者数、黒が失業率で
す。ですから、失業率が7〜8%と一番低いときを大体推移してい
ます。これは日本から見ると結構高いと思われるかもしれませんが、ヨーロッパ平均失業率がはるかに10%を超えて、20%近く及んでいるところの中では、極めてうまくいっている都市で、オリンピックが1992年で、その効果がかなり長く10年以上も持続しており、成功していると言えると思います。しかし、リーマンショック以降、急激に経済状況が悪化したこともあり、今のカタルーニャの独立運動が高まる一つの契機になっています。
 例えば来訪者数に関して、量という意味ではオリンピックの年はただでさえ多くの人が来るのですが、その倍以上の人が今、毎年訪
れているという異常事態が起きています。
 そしてこれは昨日見つけたホームページですが、Barcelona Global
というホームページに「みんなで一つのプラットフォームとなり、グローバルシティ・バルセロナをどうつくっていくか」という内容で、最初にいろいろな都市のランキングが挙がっています。10以上の都市ランキングがあって、森財団が出しているランキングが一番最初に来ていることにびっくりしましたが、結構、市民権を得ているのだと思いました。
 特にバルセロナを強調しているのは、一つは「生活の質」です。最も住みやすい都市であるということを強調していて、ヨーロッパでは例えばクッシュマン・アンド・ウェイクフィールドのものでは、6年連続で「生活の質」が1番です。
 また、最近出た国連のハビタットのものでは、1位は東京ですが、バルセロナは世界全体では5位、ヨーロッパの中では4位に位置しています。こういういろいろなランキングが挙がっています。
 先ほど言いましたクッシュマン・アンド・ウェイクフィールドは、2011年以降統計の取り方を少し変えて、今はもう出ていないのですが、ビジネスに最適な立地ということで、やはりロンドン。パリ、フランクフルトより落ちますが、就労環境のQOLという意味でバルセロナは高いのです。これはどちらかというと、海があってリゾート感覚で住めるという意味が強いのではないかと私は思っています。

 もう一つは、バルセロナのコンベンション戦略です。コンベンションといいますと、まずそれに参加する人がいます。そして参加する人だけではなく、パートナーを連れてくるかどうか、悩みます。先ほど、金沢だったらやはりパートナーを連れてくるという話がありましたが、すてきな都市ならパートナーを連れてくるわけです。
 それを狙って、バルセロナのコンベンションシティ戦略は、都市を楽しめる場所で宿泊できるようにして、会議場はどこか外にあってもいいのですが、そのパートナーの人やアフターファイブをまちで楽しめるような都市にしようと、まちの中心部に多くの宿泊施設を造るという戦略をして、これが大きく当たりました。現在、国際会議は年間平均160件で、パリ、ウィーンに次いで多いです。
 国際会議の参加者は、2008〜2012年の間、平均すると年間10万人が参加する都市ではトップです。ですから、コンベンションシティ戦略としては、ものすごく成功しています。

 過去を見てみますと、これはICCAが出しているデータで、ずっとパリがトップだったのですが、1998年以降、バルセロナになりました。これは5年ずつの合算で、一度ウィーンにトップを奪われましたが、またバルセロナが返り咲き、コンベンションシティとして成功しているわけです。

 こういう国際会議とはどういうものか、実は先月、初めて体験しました。国連ハビタット会議が来年、2016年にエクアドルのキトで開かれる予定で、私はこれの専門家というのになっております。世界中の国から集まり、国連の人間居住環境の問題を話し合うものなのですが、この専門家分科会がありまして、それがバルセロナで開かれるということで、先月行ってきました。国連の会議に初めて出たのですが、当日にいきなりチケットが来て、「今晩出ろ」みたいな会議で、「国連ってそういうところなんだ」と思ったのですが、バルセロナでなければ行かなかったのではないかと思いました。本当は1泊3日で来いという話だったのですが、1日余計に滞在しなければならず、それが結構魅力で日本の予定を全てキャンセルして、行ってしまいました。
 ここで思ったことは、世界中からその専門分科会に20〜30人集まるのですが、話し合いの内容で「次はどこで開こう」ということが、結構いつまでも盛り上がるのです。それに選ばれるということはとても大切なのだと思いました。この会議はチケットが来てホテルは自分で手配しろという感じなのです。私はたまたま住んでいたことがあるバルセロナだから参加できましたが、他の都市だったら難しかったと思います。そうでなくても、バルセロナだったら行こうというのが働くということで、そういう意味では成功した都市です。

 先ほど佐々木先生がおっしゃったSustainable Development Goalsを受けて、ハビタットの会議が開かれまして、この文化都市と同じように一番メーンとなるテーマは、この11番の「持続可能な都市およびコミニュニティー」というところです。
 会場はここです。ここと言っても、これは病院ですよね。これは数十年前の会場の写真で、かつて病院でした。私が1985年に行ったときも病院で、ちょっと入りたくないような感じでした。この病院はどこにあるかというと、先ほどのガウディが設計したサグラダ・ファミリアがここにあります。この碁盤の目の市街地がありまして、ガウディ通りの反対側に結構大きなものがあり、これが病院です。都市計画の中に位置付けられた病院で、ガウディが設計したのではなく、同時代に活躍したドメネクという建築家が設計しました。日本では『ガウディになれなかった男』というタイトルの本に、このドメネクの話が出ています。同じ時代の建築家としては、ガウディ、プーチ、ドメネクといるのですが、1階にロエベという革製品のお店が入っている「リェオ・モレラ」という建物がドメネクの設計したものです。

 先ほど文化オリンピックの話が出てきたのですが、文化オリンピックはバルセロナが始めたもので、この下を見ますと、バルセロナの文化オリンピックの銘板が付いています。当時、登録の文化財にこの銘板を付けるというのを文化オリンピックの一環としてやりました。そのときの一時的なイベントで終わっては仕方ないので、バルセロナ中の登録文化財にこうした銘板を付けて、それは今でも付いています。
 水野先生が先ほどおっしゃっていた21世紀美術館のときには、リチャード・マイヤーの設計したバルセロナ現代美術館をご覧になられたという話ですが、あのときのカルチャーオリンピックの目玉は、確かリチャード・マイヤーのあの美術館だったのです。ところが、間に合わず、苦肉の策で町じゅうを美術館にしようということになりました。ロンドンはかなりバルセロナをまねしているので、それを引き継いでいる形で、ロンドンも町じゅうを美術館にしようという話になってきました。何か残すということで、これを造ったというわけです。
 こうした病院建築に、今では国際機関の事務局などがいろいろ入っていて、国際会議場の場所として使われています。そして現在、正規雇用の20%を超える人たちが商業とホテルで働いているという非常に高い割合です。ですから、良く言えばコンベンションシティというバルセロナの戦略は成功したのですが、逆の面を見ればコンベンションに依存した都市をつくってしまったということになります。

 ところが、依存して行き過ぎた感じがあって、最近、話題になった政策の一つがオープンカフェの営業時間規制を1時間繰り上げるというものです。通常は平日深夜までだったのを11時まで、週末1時までだったのを深夜0時までに繰り上げました。これは結構、象徴的なことで、オープンカフェというのはオリンピックに向けたバルセロナ都市再生の救世主だったのです。ところが、2015年夏に、アクティビスト上がりのコラウ市長という新しい市長が出てきまして、あまりにも行き過ぎた観光客の増加に対して、宿泊施設許可申請を突然、1年間受け付けないということを決めて、これは結構な論争になっています。宿泊施設適正化計画をまず作成して、それに基づいて整備しようとしており、その背景にはこうしたマニフェストが非常に多く起きています。

 これは市場が観光レストラン化していることに対する抗議のデモです。あるいは、これはサグラダ・ファミリアのある自分たちの地区に、ホテルがどんどん増えているので、それに対する抗議です。

 確かにホテルのベッド数はここ25年間で2.5倍に増えているという状況にあります。日本でも今、Airbnbが話題になっていますが、バルセロナでは東京の3倍ぐらいAribnbがありまして、世界の中ではパリが圧倒的に多いのですが、バルセロナは5位に位置しているという状況です。
 確かに行ってみると、先ほど言いましたように、コンベンション戦略で中心部を楽しめるように宿泊施設を設けたので、逆に今、そのことが市民の生活とぶつかるということが起きています。しかし、これは最近に起きた話ではなくて、2004年の文化フォーラムごろからバルセロナ・モデル批判は始まっていました。例えば「バルセロナはもはや登録商標のようなものになっている」という批判だったり、アンサステイナブルなバルセロナのガイドという本が出ています。
 最も痛烈にバルセロナ・モデル批判をしているのは人類学者のデルガド(Delgado)さんという方で、「バルセロナ・モデルから現実のバルセロナへ。バルセロナ・モデルという欺瞞」と、観光客に侵略されているバルセロナの問題を批判しています。

 また、バルセロナは観光を戦略的に進めるという、観光戦略を多様な主体で最初に造った都市としてもよく知られていて、そこでキーワードとなっているのが、レスポンシブル・ツーリズムという考え方です。これはどちらかというと自然環境がメーンなのですが、それを都市的な文化環境にも適用して、バルセロナが先頭に立って主張しています。他方で、同時にアクティビストたちは「無責任なツーリズム」というホームページを立ち上げて、ここで特にラテンアメリカ、スペイン語圏で多くの告発を行っています。

 これが一番公共空間として有名なランブラス通りの今の状態です。そして、ほぼ同じアングルで私が1980年代に撮った写真です。違いが分かりますよね。ビーチサンダルに短パンの観光客がいっぱいいるランブラス通りと、ごく普通に自分の家のために、あるいは誰かのためにお花を買って帰る人がいるというランブラス通りです。
 ランブラス通りは、世界で一番魅力的な公共空間と言われているのですが、今、観光客とのバトルが、初めて公共空間をめぐって繰り広げられたわけではなく、これはもう1800年代にさかのぼる話なのです。最初は宗教権力があまりにも多くの都市スペースを持っていたのに対して、市民が焼き討ちをするという形で、今の劇場や市場、広場といった空間をつくり出してきた歴史があります。
 そして1980年代には、今度は車によって侵略されてしまった都市を人の手で取り戻すというのが、ちょうどスペインの民主化運動と重なる動きでした。ですから、公共空間を取り戻すという一種の衝突です。宗教権力と衝突し、車と衝突し、そして現在は観光客から市民の手に取り戻すということが実際、一つの歴史として繰り返されており、これは必ずしも問題と捉えなくてもいいのではないかと思います。

 私が公共空間を考えるのに一番よりどころとしているのは、この言葉なのですが、「人はなぜ家をつくるのかといえば、家の中にいるためだけれども、都市をつくるのは、家から外に出てきた人たちと互いに会うためにつくるのだ」という考え方です。その公共空間を守るために、何度もバルセロナは戦ってきたのです。そのことが魅力的な文化都市をつくってきたのだということではないかと思います。

 最初にタイトルを「光と影」とお話ししましたが、これはガウディの言葉で、「地中海の創造性というのは強烈な南の光のまばゆさと、それから幻影を生み出す北の過度の暗闇と等距離にある。それがせめぎ合っていて衝突していることが創造性の原点だ」ということです。ですから、先ほど冒頭のお話で、安寧な市民の生活を守りたいという話がありましたが、ただ、文化都市を名乗るのであれば、やはり観光客と市民など、異なる価値観の象徴が文化の創造の源であるということを受け入れなければいけないのではないか。従って、安寧に甘んじるのではなくて、あるいは折り合いをつけるという発想ではなくて、徹底的に衝突して、衝突から逃れない覚悟をするということが、文化都市ということなのではないかと思います。

 最後に一言だけ申し上げますと、文化オリンピックでどうやってセレブ観光都市から本当の文化都市になるかというときに、私は今日のお話をずっと伺っていて、工芸というのは、やはりキーワードになると思いました。文化オリンピックは、やはり平和という大きな命題があります。それとの接点が今までの話を聞いているとあまりないように思えましたが、今の平和を脅かしている最大の問題がSustainable Development Goalsでも言われていることですが、いろいろなレベルでの格差、グローバルまで含めた格差です。工芸による社会的包摂を何とかこの金沢から発信していってほしい。発信しないとしたならば、金沢は世界的な工芸のセンターにはなれないのではないかと思います。実際、途上国においては今、工芸のクオリティーがものすごく下がってきています。何か金沢発で、工芸の力で社会的包摂を実現し、格差を是正するようなメッセージを、何とかこの2020年の文化オリンピックで出していただけたらと思います。

(水野) いろいろなアクティブな提案がぼんぼん来て、少し整理するのが大変ですが、とにかく「逃れないこと」、それが文化都市の最低限の資格ということですが、早川先生、いかがですか。

(早川) やはり文化というのは、人の交流で生まれてきて、磨かれていくと思うのです。3月に新幹線が開業して多くの人が来ることで、さまざまな問題が出ています。こうして多くの人が来て交流をすることによって、次の何かが生まれてくるのではないかと私自身は思っているのですが、新幹線開業でこれだけの人が来るのは予想外ではありました。それで今、どうやって折り合いをつけていくのか、戸惑っているところが浮き上がっていると思います。
 冒頭に安宅会長からも「金沢市は観光都市で行くのか、それとも文化都市で行くのか」というような投げ掛けがありました。私からすると、二者択一するのは変だと思います。つまり、都市観光というのは行楽地ではないわけです。「では、どうしてベニスに行きますか。パリに行きますか。ロンドンに行きますか。ニューヨークに行きますか」というと、そこにある文化に触れに行くわけです。ですから、観光か文化かと切り分けることは私は難しいし、おかしな話だと思うのです。
 金沢はやはり文化を磨いていくべきだというのは全く正しいと思います。都市の魅力というのは文化なのです。では、東京はどういう文化かというと、ごちゃごちゃですよね。全てのものがあふれていて、日本を代表するいろいろなものがカオスのようにある。そういう都市の魅力が東京だと思うのですが、金沢が「文化だ、文化だ」と言えば言うほど、実は観光客がたくさん来るのではないかと私は思っています。
 でも、問題になっている観光客は、文化を味わうのではなくて、ただ単に「人気があるから一回行ってみようか」「ちょっと買い物してみようか」というような人たちだと思います。でも、そういう人たちの中から、次に、もう少し深みに行ってみよう、一歩入ってみようという人たちが出てくるのではないかと私は思っております。

 少し長くなりましたが、石川県の観光総合プロデューサーです。本職はCMディレクターです。
 私と金沢の出会いは、大学が金沢美大で4年間過ごさせていただきました。生まれてから高校まで名古屋で育ちました。名古屋というのは軍需工場がたくさんありまして、ご存じのように戦争で焼かれてしまったまちですから、私が物心ついたときには、焼け野原でした。そういうところで育ち18歳になって初めて金沢に来て、カルチャーショックを受けたのです。
 夜の金沢駅に着くと雪がさーっと降っていて、先輩が私を迎えに来てくれたので、ちょうど駅から武蔵ヶ辻を通り、その先の尾張町へ雪の中ずっと傘を差して歩いていきました。ちょうど泉鏡花記念館あたりだったと思うのですが、雪がしーんと降る中で、上の方から三味線の音が聞こえてきたのです。それは名古屋での風景や文化しか経験がなかった自分には、もう衝撃的な経験で、母親が言っていた「かつてあった美しい日本というのはここにあるんだ。このことだったんだ」と思いました。それ以来、ぜひこの学校で学びたいと思い、運よく学べたのですが、素晴らしいまちが日本にあるのだなという実感をしました。
 そのことを金沢の学友に「雪が降って、美しい町並みがあって、いいじゃない」と言いますと、金沢生まれの彼は「そういうのは金沢の人、嫌いなんやっちゃ!」と、雪が嫌いで不便で、町並みをつくる住みにくいまちが嫌いだと言うのです。そのおかげかどうか分かりませんが、最近は雪も少なくなって、町並みも随分変わりました。
 私が今日お話ししたいのは、学生時代、初めて金沢に来たとき、心ときめいたこの金沢の町並みを取り戻そうではないですかということです。

 金沢に行く前に、少し埼玉県川越市の町並みを見ていただきます。川越市は埼玉の城下町です。ここも戦災に遭わず、素晴らしい町並みが残っており、今、小江戸と言われています。
 これが象徴的な火の見やぐらですが、こうした江戸時代からの建築物や蔵造りの建物が残っており、観光客が大勢来ています。

 恐らく、かつての尾張町あたりの一角はこういう風景だったのかなと、僕はうらやましく思いながらここを歩きました。
 先ほども水野先生からもお話がありましたが、新幹線が開業して、想像していなかったことが人数ともう一つありまして、それは皆さんが駅から歩いて、金沢市内のひがし茶屋街や兼六園などのスポットに行かれるのです。そのときに、まちを見ながら歩いて移動していくのですが、二つの反応があり、「ああ、さすが金沢、古いところが残っているな」という意見と、もう一つは「何やこれ? こんなもんだったのか。シャッター街じゃないか」ということも言われるのです。
 僕はどちらかというと、後者の方が正しいのかなと思います。というのは、金沢に来る観光客の方は、ひがしの町並みや主計町の町並みの写真を見ていらっしゃいます。そうすると、こういうまちがずっと続いているのかという期待で来るので、まちを歩いたときに、意外と駐車場があったり、自分がイメージした町並みではないという意見が上がっております。

 尾張町の現状を見たいと思いますが、これは近江町の入り口から彦三の方を見ています。ここにみそ屋さんがあり、素晴らしい町家が残っています。隣の方に行くと左側に不室屋さんがありまして、実はもうこのような駐車場になっています。こういうことがずっと続くのです。

 今度は大手町の方を見ます。この町民文化館はかつては北陸銀行の支店でしたが、このように残っています。素晴らしいと思いますけれども、その横は公園や歯抜けのように駐車場になっていて、それを挟んで老舗交流館があります。
 それを行きますと、ずっと古くからやっている石黒薬局があります。その隣の「ひらた」さんというお店ですが、これも町家が残っていて、きっとこの辺の看板を外せば、昔のままの建物が出てくるかと思います。こういうものは残しておきたいのですが、その横はこうして駐車場になってしまっていて、この辺はコンクリートの建物が続きます。
 その脇に小さな町家が残っていて「あ、まだ残っているな」と思うと、その横は駐車場になっていて、こういう状況がずっと続きます。私からすると、この町並みと駐車場は、健康な人の歯がポロポロ抜けていって、残った歯と抜け落ちた歯茎が混在しているような町並みに見えます。
 道路を渡りまして、この辺はまだ残っています。これはSUZUKI、自転車屋さんだと思うのですが、これも外せば昔の町家が出てくると思います。ここは黒田さんという、ろうそく屋さんが残っています。実は、私がこれを撮影したときに、ちょうど工事が始まってグリーンのシートがかぶさっています。これはおでん屋さんだったところなのですが、これも町家で、私が慌てて「これ、何やってんの? ひょっとして壊すんじゃないよね?」と聞いたら、「駐車場にするんだよ」ということで、今は駐車場になっています。このような町並みが続きます。
 少し行くとこれは3軒続いていまして、右側に松田文華堂があります。真ん中は金沢大学の外国人の先生、ビルさんとおっしゃったと思うのですが、彼が購入しまして、リフォームしてここに住み、町家を大切にしていくと言って頑張ってくれています。このようなものが続いています。
 これは「たたみ工房」がありまして、だんだん橋場の方に近づいています。ここが三田ギャラリーで、かつて百貨店だったという素晴らしい建物が残っています。その脇は古本屋さんでしたが、今は空家になっています。最近、買い手がついて改装して、何かテナントのようなことをやると聞いています。

 このように素晴らしい町並みが歯抜けのようになっていっているという状況がありまして、実は2013年11月9日、私はたまたま居合わせたのですが、この石野テントさんという大きな素晴らしい町家さんをブルドーザーが壊していて、「一体、何なんだ」と思いました。100年以上たっていたものが、壊すのはとても早くて、もう1日で一瞬のうちにしてなくなる。なくなってしまったらもう再生できませんから、とても残念だと思っています。
 これを何とかならないのか、壊れてしまった、失ってしまったまちなのですが、それを何とか再生に持っていけないものかというのが私の気持ちです。駐車場になってしまったのであれば、まだいいでしょう。この後にコンクリートの建物ができてしまったら、もう二度と再現できません。ここは行政、県と市が手を組んで例えば特区にするなどして、もう一回かつての町並みを取り戻していただけないかと思います。
 それは景観だけをつくるということではなくて、今日のテーマが文化ということですが、町家というのは文化のゆりかごだと私は思っています。畳、障子、そういう住空間があるからお茶をたてる、花を生けるということが生きてきます。せっかく美しく作った工芸も、ではどこに置くのですかということだと思うのです。金沢の文化というのは切り取ってご紹介するものではありません。工芸だけ、花だけではなく、一つの総合芸術だと思います。町家であり、住空間の中に食器や花、襖の紙、畳の縁があり、そういうものの総合芸術の中で暮らしている生活、そこで育まれている文化というのが、東京から来る人が憧れる文化なのです。ですから、景観を取り戻したいということではなくて、こういうものが失われてくると文化も失われていくということに警鐘を鳴らしたいという思いです。

 海外では、このようなことが行われています。私の数少ない体験の中から持ってきたものなのですが、上海に豫園という明時代の庭園があります。ここは上海でも非常に大きな観光地で、ここの豫園の周辺は観光客を呼ぶということで、ある町並みの整備をしています。それはこのようにコンクリートで造ってあり、木造建築ではありません。さすが一党独裁の恐ろしい国です。「ここはもう特区です!」と言うと、こういう建築しかできないのです。明代の建物をコンクリートで造って、そういう一角にしましょうということです。
 実はこの中に、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドの店が入っています。でも、全部この様式、スタイルの中で営業しなさいということで、独自の店をつくることはできません。

 そういう試みがあり、何かこういう発想でできないかと思っています。もちろん、住んでいる人たちの意思をつくっていかなければなりません。例えば百万石通りですと1級国道なので木造建築ができないという規制があります。そういうところで、水野先生は何か案をお持ちだと聞いていますので、ぜひともそういうことを取り入れながら。実は金沢の町並みはもう半分失われています。かつては残っていたのに、自分たちで潰してしまった。これを何とか取り戻せませんかというのが私の提案です。

(水野) ありがとうございます。
 前回のこの会議で「木造都市」を提案しているのです。それは、日本の都市はほとんど、都市行政として不燃化しなさいと決まっていて、都市が燃えないように不燃化すること、耐火建築を造ることが都市計画、建築行政の中心なのです。金沢のように都心に木造がたくさんあるということは、都市としてはあってはいけない姿なのです。これを何とか認めさせないと日本的な都市ではないだろうと思うのです。そのことで、昨年からこの会議でも提案していまして、ちょうど出ていた尾張町界隈を木造都市化できないかというプロジェクトを立ち上げようと、今、市と一緒に動いています。成功するかどうか、これはかなり難しい国との問題がありますが、金沢がやらないと、どこがやるのだという感じなのです。

(早川) 実は、京都はもう手遅れだと言われているのです。

(水野) 京都は随分焼けてしまいましたからね。
 おっしゃった中に、例えばバルセロナにしても、フィレンツェやパリにしてもそうですが、自分たちの住んでいたまちを保存していくというのは、そのまちのアイデンティティーの基本です。そういう意味では世界標準というか、その保存というところにもありますね。

(早川) そうなのですよ。世界標準というのは決して、スターバックスを呼んでこようとか、どこかの県がやりましたが、英語でしゃべろうとかではないのです。要するに自分が生まれた国、自分が生まれた町、そこに先代から受け継いだ財産で暮らすのですが、そういうものを受け継いで、それをさらに磨いて、次に渡していく。少しでも自分が住んでいるところを良くしていこうよという思いが、これがどこの都市でもどこの町でもやっている世界標準だと思うのです。

(水野) それが地域の文化でもあるという話ですね。

(早川) そう思います。

(水野) ありがとうございました。
 それでは川井田さん、次にお願いします。

(川井田) 私はこの会議に5回ぐらい参加していますが、このように登壇させていただくのは初めてですので、少し自分の紹介をしたいと思います。現在の仕事としては大阪市立大学の都市研究プラザで特任講師をしていまして、もう一つは、NPO法人の都市文化創造機構、これは主に創造都市を目指す自治体の応援などをしているのですが、そこの事務局長をしています。両方の仕事に共通するキーワードが「創造都市」ということで、ここにある佐々木先生の定義を私なりに「障害の有無にかかわらず、誰もが創造的に働き、暮らし、活動する都市」と少し読み替えております。そして自分の研究テーマとしては「障害者の芸術的表現による社会的包摂」ということで、いろいろ動いております。
 最近の活動としては、NPOの都市文化創造機構が、文化庁が昨年から始めた戦略的芸術文化創造推進事業を2年連続受託して、障害者の芸術活動振興に関する国内外の調査などを実施しています。今年9月にはロンドンへ、「アンリミテッド」という障害者の芸術活動を支援するプログラムの調査に行ってきましたので、今日はそれをメーンにお話ししようと思いましたし、このことがあるので今日呼んでいただけたと思っております。

 ちなみに、なぜいきなり障害者の芸術表現を持ってくるのだと思われるかもしれませんが、実はセッション1で磯谷審議官も話されていましたが、文化庁の第4次基本方針の中にも重点戦略として、障害者の芸術活動を振興していこうと掲げられています。
 そして、実は東京が2020年のオリンピック・パラリンピック開催に立候補したときのファイルがあるのですが、これがダウンロードできるのでご興味がある方は全部読んでいただければと思いますが、それを抜粋して引っ張ってきたのがこれです。これの一番下に「2012年ロンドン大会の『アンリミテッド』プロジェクトの成功を継承する」と明記しております。ですから、2020年の開催に当たっても、文化プログラムの中に障害者の芸術活動を振興するものを当然位置付けないといけないということになっています。これが立候補ファイルの第1巻16ページにありますので、そのご紹介です。

 このアンリミテッドとは何かということですが、吉本さんが昨年度の会議でも少し紹介されたと思うのですが、障害のあるアーティストによる芸術の発展に寄与することを目的に、2009年に設立された支援プログラムで、文化の祭典としても高く評価されたロンドンのカルチュラル・オリンピアードの主軸の一つとしても有名になっています。
 動画があるので、つないでみます。

―ビデオ上映―

 「アンリミテッド」の成果として、先ほどアーティストの人たちが順番にいろいろなことをおっしゃっていましたが、やはりできることの上限が引き上げられたなど、アーティストにとっての自信になったということです。
 そして、私が特に強調したいのは、カルチュラル・オリンピアードのディレクターをされていたルース・マッケンジー(Ruth Mackenzie)さんが、「私たちの狙いは、障害のあるアーティストに対する人々の認識に揺さぶりを掛けることだった」とおっしゃっています。この方は作品のクオリティーにすごくこだわったので、優れた作品を人々に見せることで、「障害がある人」という固定概念を崩すことに大きな目的を持っておられたということです。カルチュラル・オリンピアードの中で作品発表したという以外に、ロンドンに有名なサウスバンク・センターという大きな芸術施設があり、そこでもほぼ同時期にアンリミテッド・フェスティバルとして、約10日間の作品発表の機会をつくられました。それが2012年のオリンピック・パラリンピック開催年だけではなく、発表する作品は変わるのですが、2014年、そして今度2016年にも継続して行います。

 これがサウスバンク・センターの外観ですが、こういう大きな立派な施設です。そのようなロンドンを代表する芸術施設で作品を発表できることにより、障害のあるアーティストのセルフエスティーム(自己肯定感)が高まったそうです。
 定期的にフェスティバルを開催することにより、アクセシビリティーが向上したとも言われております。それは劇場のハード面だけではなく、ソフト面、例えば劇場のスタッフが耳の聞こえないアーティストとコミュニケーションを取るために手話を学び始めるなど、意識の変化が見られることも注目すべきことではないかと思います。

 そういうロンドンの成功例を踏まえて、2020年に何をするのかということですが、障害を持ったアーティストの育成、サウスバンク・センターのようにアクセシビリティーの向上ももちろん必要だと思うのですが、それだけではなく、ルース・マッケンジーさんがおっしゃるように障害者に対する人々の認識の変革を起こせないかと思っています。
 例えば「障害を持っている人は何かができない人」というような、制限を持った人という見方をなくすことではないかと思いますし、「アンリミテッド」のシニアプロデューサーをされているジョー・ヴェレント(Jo Verrent)氏は、インタビューのときに「これまで障害者はかわいそうと思われることが多かった。しかし、彼らの優れた作品に触れ、一般の人々が障害者へのバリアをなくし始めた。そして、彼らに対する社会の障壁がなくなれば、『アンリミテッド』は自然消滅する」とおっしゃっています。

 そして、ここからは日本でこういうことができたらいいという私の提案を紹介しますが、横浜の「象の鼻テラス」に拠点を置いて活動しているNPO法人のスローレーベルがあります。これはもともと栗栖良依さんという方がディレクターに就任されて、最初は一点ものの手作り雑貨ブランドとしてスタートしました。障害者施設とクリエイターがコラボレーションして、一点ものの手作り雑貨を作るということで始まったのですが、この活動がどんどん広がって、「スロー」という言葉をキーワードにいろいろな活動を展開されて、例えばこういう「SLOW FACTORY(スローファクトリー)」もされています。

 これは、大きな敷物をみんなが1カ月ぐらいかけて編んで作っているのですが、実はこの中に障害を持っている方もいれば、ここの運営をサポートするボランティアとして、近くの企業で働く方が参加されています。栗栖さんが目指しているのは、例えば雑貨を作って、それを売って経済的価値を実現するということも大切だけれど、その手前の、障害者と出会う人、障害者と友達になろうかなと思う人をもっと増やしたいということでこういうことをされています。企業も最近、障害者雇用率を上げなければならないということでいろいろ手だてを考えているそうですが、やはり最初のきっかけがないとどうコミュニケーションを取っていいのか分からないという恐れ、不安があると思うので、「では、それをなくしましょう」ということでこういうことをされています。
 最近では「SLOW MOVEMENT(スロームーブメント)」もされていて、パフォーマーを全国から募って、プロのサーカスアーティストと出会わせて、こういう作品を作っています。皆さんから向かって右の車椅子は、実はヤマハと共同開発して楽器になる車椅子なのですが、そういうものを使いながら障害のある人もない人も一緒に作品を作りました。
 栗栖さんは、この二つ目にありますように、障害のある人とない人が出会って交流することによって、2020年以降につながる活動を生み出すことが最大の目標だとおっしゃっていますし、私も非常に共感するところです。

 最後になりますが、2020年の文化プログラムは、一過性のイベントに終わらせずにそれを契機にどんな社会をデザインするのかを問われているのではないかと思います。人々の障害者に対する認識を変革するには、例えば、何かみんなで手話を学びましょう、何々しましょうというお仕着せではなくて、栗栖さんがやっているように自由な場でふっと気軽に出会えて交流することで、一人一人の障害の程度が違う人ときちんと向き合って、コミュニケーションを取っていこうとするような機会を多くつくることが大事ではないかと思います。

(水野) 少しお話を聞いていて思ったのですが、オリンピックとパラリンピックが2020年にありますが、2020年までに金沢の姿をどうしたらいいかということも、今日の全体テーマの中に含まれています。「金沢文化と世界標準」もその中の一つの項目なのですが、今のお話を聞いていて、いろいろなバリアをなくすことは世界標準なのかもしれません。そうなったらいい。世界的に障害者のバリアや言語のバリア、宗教のバリアなどを含めて、あるいはもっと微妙なところでいくと、習慣のバリア、文化のバリア、制度のバリアもなくなっていく。バリアフリーになることがある意味で世界標準になる、そういうことまで私は感じたのですが、どうでしょう。

(川井田) でも、現実問題でバリアをなくすのは不可能だと思います。例えば金沢ですと、歴史的建造物などがあって、階段や段差がありますが、それを全くなくしてフラットにするというのは全然本質ではないと思うのです。例えば車椅子に乗っている観光客が来られたときに、道を歩いている市民の方が「お手伝いしましょうか」と言ってくれることの方が、バリアをなくすことなのです。物理的なバリアではなくて、違うバリアフリーになると思います。

(水野) そうですね。バリアフリーや世界標準というとき、金沢的な解決があるかもしれないということですね。例えば金沢は真っ平らではなくて、坂の多い都市ですから、古い伝統的な建築はみんな段があって、そう簡単に車椅子が上がったり下がったりできる建築は少ないので、そういう意味では何らかの工夫が要ります。そのとき、どういう工夫をしたかというのが、金沢の力であるのではないかと思います。全国、世界同じ標準があるというのではなく、それを乗り越えるということ。先ほどバルセロナの話もありましたが、その辺の乗り越え方が「金沢文化と世界標準」という、もう一つのテーマなのかと聞いていて感じました。
 バルセロナの話を少しお伺いしたいのですが、宗教と市が戦って公共空間を獲得していくというのは何となくありそうだと思ったのですが、観光と戦って市民生活を取り戻そうとすると、相手を含めて、自分たちの内部だけでやらなければならない戦いになりますね。それはどういうことで成し遂げたのか、もう少し具体的に何かありませんか。

(岡部) 今、戦いは始まったところなので、成し遂げてはいないのですが。ヨーロッパの都市で今、結構議論されていることは、古いものを守った場合に、それが観光テーマパーク化されるという問題です。旧市街のテーマパーク化です。本来なら、そこの暮らしの表れがフィジカルなものであるべきなのに、その生活がなくて、形だけ残っていて、それがすてきだから観光客が多く来て、観光客向けのお店しか入っていないという状態になっていくわけです。そうなると、そこに住んでいる人たちは日々生活するのに結構不便で、必要なものが買えなかったり、家の外に出ようとすると観光客がいっぱいいて、外にも出られない状況がバルセロナでは結構あるのです。
 例えばピカソ美術館の前の通りなどは、いつも観光客で渋滞していて、住んでいる人は家から出られない状態までに陥っています。本当はそこで生活していることが、ある意味、観光資源でもあるわけだから、それがなくなってしまうと金の卵を食べてしまうようなものになるのですが、その観光という産業にどっぷり依存している都市になってしまっていて、「その金の卵を食べてしまったら仕方がない」という論争から、何か次のレベルにステップアップしていくということを今、格闘している状態です。

(水野) そうですか。金沢も全く似たような問題ですね。やはり住むことが少し不便になった、わずらわしくなった、市場に市民が行かなくなったなど、先ほど言っていたのと全く同じ問題が起こっていますね。

(岡部) バルセロナではもっと過激な状況になっていて、都市規模も全然違います。金沢は50万人規模ですが、バルセロナの場合は都市圏で300万人ぐらいで、都市だけでも150万人を超えるという状況です。逆に、都市中心部にはある程度良い住宅地は残されていても、それ以外の人たちが都市圏全体としては外部に追い出されて、バルセロナ地域より外に阻害されているというまた別の問題もあります。それに何か解決策があるというわけではないけれども、少なくとも振り子のように振れていて、今度、新しい市長さんになったところで、もともとアクティビストだった人なので、かなり強権的にしばらくホテルの許認可をストップさせることになり、それが論争になっています。
 新聞のアンケートなど見ていますと、急に許認可を取りやめた、手続きを中止したことに関しては、1対2ぐらいで反対の方が多いです。やはりそれだけ観光産業に依存して生活している人たちがいるという状況が既にあるということが、その背景にあります。

(水野) 金沢の場合は依存しているところまで行っていないようですが、早川さん、先ほど「町家が壊れていく、自爆行為だ」と言っていましたが、その中で行われている生活というものがありますね。例えば九谷や塗り物などを使いながら、地の季節のものをおいしく頂いている。そして床の間の軸にしてもお花にしても季節を表していて、そういうところでいい会話をされている。そういう文化の厚みのような部分があって、そのソフトウエアこそ金沢文化だと言いながら、それを公開することはなかなか難しいですよね。建物を外から見せるのはいくらでもできるけれど。逆に、金沢文化が完全に外と接するということは可能なのでしょうか。そうするとハードウエアという見やすいものでしか観光は成立しないのではないかと思うのですが。

(早川) そこがポイントですよね。先ほども紹介がありましたが、燈涼会のような、つまり町家の空間で「町家×工芸×食」を体験させるというような試みは素晴らしいと思います。博物館や美術館の中で工芸をぽんと見せるのではなくて、それを手にして、食材をのせて、それを日常の中で使う。しかも、それが金沢の建物である町家の中という空間、そういう体験型の観光の試みを青年会議所の方がずっとやっておられますが、素晴らしいことだと思います。

(水野) そうですね。要するにスペースと、そこにあるしつらえと、そこでやっている営み、この三つがそろっている、それが地域文化ですね。それを生の家庭ではそのまま見せられないけれど、形を変えて見せていく。それには大衆動員のような形では駄目で、かといってセレブ観光でもないと思うのですが、何かそういう体験型、われわれがやっているクラフトツーリズムをはじめとした、いろいろなツーリズムをつくろうとしているのはその辺なのです。

(早川) そうですね。ですから、今、困っているのは、瞬間的に来てパッと見て物見遊山的な観光客の方だと思うのですが、そうではなく、せっかく一回来たら、次は体験してみたい。お茶屋さんを見て、それは一回ではお茶屋さんには入れませんよ。だからお土産を買うしかないのですが、次は誰かに紹介してもらって、お茶屋さんに連れて行ってもらうという体験をしていただくことで、その金沢の文化に触れていただくという観光が増えてくればうれしいと思います。

(水野) 兼六園を見る、お城の中を歩く。それはそれで、殿様の経験ができるわけではないから、造ったものの遺産を楽しむということだろうと思います。そういう部分と、文化そのものという部分は少し違っていて、今、金沢にたくさん来られている観光客のほとんどはそういう意味から言うと、金沢を味わっていないのではないか。

(早川) そうですね。今、いらしている方は「今、はやっているから、一度行っておかないと」という人たちが多いと思うのです。

(水野) その人たちがもう一度来たときに、少し深く入っていく。

(早川) 「リピーター」という言葉は、好きではないとおっしゃいましたが、金沢ファンになっていただくには、そこで一度ふるいに掛けられると思います。また同じお土産を買ってそれで満足するのではなくて、一回それを体験して、次にもう一回来て、さらに別のもうワンステップ上の体験をと思う人と、「お土産を買ったから、もういいや」「近江町で海鮮丼を食べたから、もういいや」と分かれてくると思うのです。まず今年は、それの第1年目だったかと思います。

(福光) バルセロナの話で、要するに住民と観光客の戦いというのは、どうなると予測されますか。実際に観光に相当経済依存しているという経済構造がもうできているとすると、どのようにその辺を考えるのでしょうか。

(岡部)一つの方向性としてありますのは、中心部の一番魅力的な場所に多くの宿泊施設をあえて持ってきて、コンベンション誘致に成功しています。そのことによって、その辺に住んでいる人たちが極端に負担を負うという状況になっているわけです。それがもう窒息寸前の状態にあって、逆に観光客だけのまちになってしまったら、それはまた魅力のないものになってしまうので、限界、臨界点に来ているという認識がみんな高まっています。
 ですから、観光都市としての魅力までも失ってしまうのではないかというところに来ていまして、そこで今、方向性としては、宿泊施設適正化計画を立てようとしています。その方法は、なるべく満遍なくいろいろなところに宿泊施設があって、観光客が1カ所に集中するのではなく、いろいろなところに宿泊して、それぞれのところでその界隈を楽しめるような状況をつくり出すという方向に基本的には行っています。
 けれども、総量の問題がありまして、この間『新・観光立国論』で話題になっているデービッド・アトキンソンさんとたまたま一緒になったのです。そのときにおっしゃっていたのが、観光というのは一番世界で伸びている産業であって、しかも日本の戦略では直線的に算術級数的に伸びると思われているのですが、そうではなく、等比級数的にガーッと伸びるという話をされていました。1000万人、2000万人という目標ではなく、望むと望まざるを関係なく、3000万人ぐらいに伸びてしまうと彼は言っていました。確かにそういう状況ですし、バルセロナを見ていてもそうです。総量が多いので、いかんともしがたい状況にあって、それ自体は答えがないのです。
 せめて散らしていくということと、もう一つは都市圏全体を考えることです。もう少し広域でものを考えていくということが、今のところされています。例えば600万人圏ぐらいの状態で、夏場に地中海のリゾート地に来る人も多いので、そういう形で分散していくのです。最初はコンベンションを一時に集中しないで年間通してといったら、今度は年間通して観光客がいるまちになってしまって、正直言って、バランスから言うと私が住んでいたころの1995年ぐらいまでがぎりぎり一番いいころだったと思います。これはなかなか解決のあることではないと思っています。

(福光) 要するに、コンベンションで行ってみたら、混み過ぎていて、「もう二度と行かない」というムーブメントも起こる可能性がありますよね。ですから結局、そういうキャパシティーのようなものが、観光都市と言っているところの成長曲線が、ものすごい成長期からstationary phaseを経て、あまり混み過ぎてdeath phaseの方に入っていく。
 今度はまた別の都市が、ちょうどいいころのを目掛けて有名になっていくということも多分、起こると思うのです。それは一種、防ぎようがないというか、法律で来訪者を禁止するわけにもいきませんから、そのような話ですよね。住民の意識として、そういうことだと思っているか思っていないかという問題が要するに随分大きいのでしょうね。ありがとうございます。

(岡部) すみません、何も解決にならなくて申し訳ないです。

(佐々木) バルセロナは恐らく明日発表があって、創造都市ネットワークに文学で入ります。今まで入っていないのが不思議でした。私はちょうど2004年の世界文化フォーラムのシンポジウムに招かれて出たことがあって、それは非常に気持ちのいいものだったのです。
 国連が掲げたSustainable Development Goalsはこれから15年の目標ですが、その中の11番目の項目が「都市と地域がどうあるべきか」を掲げていて、当然、世界の中で大きな都市がどれだけ環境負荷を減らすか、あるいは都市の中で格差が広がっているのをコントロールできるかという話です。それに対して公平性やインクルージョンというテーマが入ってくるわけです。それがある意味で、これからの世界標準になるのです。つまり、これ以上格差を広げたり、環境負荷を高めるのではなく、市民、人々を包摂していくような都市を創っていく。このテーマがアンリミテッドに掛かってくるわけです。
 そういうものを金沢の文化プログラムがやる場合に、金沢でなければできないような取り組み方、例えば工芸というものを使ったインクルーシブなまち、これは先ほどの川井田さんが紹介したスローレーベルの話ですが、つまり大量生産のものづくりだと能率が低い障害者が排除されてしまいます。けれども、例えば3Dプリンターのようなものを職人や工芸作家が使うのもいいのですが、障害者が使えば面白いものづくりができるかもしれません。そのような新しいものづくりというムーブメントが文化プログラムの中に入り込んでいけば、場合によると金沢は、世界に対して非常にクリエイティブでインクルーシブな創造都市、工芸都市というものが打ち出せるわけです。これを次の段階で世界標準にしていく、という構想力が次の課題でしょうか。

(岡部) おっしゃるとおりだと思います。私は今日お話を伺っていて、最初のセッションで吉本さんがチャリティーオークションの話をされましたが、その中で若い人たちがいろいろなことを考えてクラフト(工芸)に携わっています。もう一つ、第2セッションの原さんのプレゼンテーションの中に「世界を変える」という言葉が入っていました。新しいことで世界を変えるということですが。今、特に建築はそうかもしれませんが、若いクリエイターの人たちがデザインの正義のようなもの、何らかの社会的に正当化できる、そういう説明が付けられるデザインを志向しています。それはアーティストもそうですが、工芸に携わっている人もそういう問題認識を持っていて、建築は特に2011年の3.11の大震災以降、それまで日本はマーケット志向で、極めてソーシャルなことに無頓着だったのですが、それがもう少しソーシャルな方に急に目が向くようになったという経緯もありますが、若いクリエイターの人たちはそういうデザインの正義をすごく考えるようになっています。
 確かに日本ですと、ソーシャルインクルージョンは障害者・高齢者止まりなのですが、もう少しアジアのいろいろな地域に目を向けると、私はハビダットに関わっているということもあり、ほとんどスラムの問題が一番中心になりますが、多くのアジアの途上国の地方でどんどんそうした工芸のクオリティーが落ちていっています。今まで生活の知恵の中から生まれていた工芸が失われていく、そういうものの格差を少しでも是正するという工芸の力がきっとあると思うので、何かそうした世界の社会的包摂に向けての投げ掛け、そうしたものをネットワークしていくようなことが必要です。また、金沢の工芸の人たちも世界に出ていき、向こうの工芸と出会うことで、違った展開が出てくると思います。私は、今日、アート以上に工芸は力があるのではないかとものすごく感じました。

(水野) 世界標準という意味では、先ほど早川さんから出ましたように、金沢なら金沢にあるきちんとした歴史文化を持っていくこと、これが一つの世界標準です。それから、川井田さんから出たいろいろなバリアを乗り越えていくこと、それから、今、出ました地球環境の問題。それも都市が具備すべき世界標準だと思います。そういう意味では、それぞれの部門で世界標準はあるのですが、それぞれの解決の仕方として金沢方式があるのではないかと思います。
 そして、最後に佐々木先生から出たお話で、金沢という都市だけを考えるのではなくて、能登・加賀を含めて、It's region!という雰囲気で、バルセロナとカタルーニャ、フィレンツェとトスカーナという関係でいけば、もう少しサステイナブルになるし、バリアフリーになるし、いろいろなものづくりが生まれてくるし、アートもいっぱい膨らみが出てくる、そういう感じがします。そういう意味でさまざまな金沢文化の世界標準が出てまいりましたが、きっちり煮詰めないままの課題提出で、時間が来てしまいました。残念ですがこれで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

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第一日目 12月10日

第二日目 12月11日

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