第8回金沢創造都市会議

金沢創造都市会議2015 >セッション2

セッション2

セッション2「KOGEI新戦略」

●コーディネーター
宮田 人司氏(潟Zンド代表取締役、クリエイティブ・ディレクター)
●パネリスト  
川本 敦久氏(金沢卯辰山工芸工房館長)
原  雄司氏(潟Pイズデザインラボ代表取締役社長)
本山 陽子氏(ガレリアポンテ代表)




伝統工芸に3Dプリンター等のデジタル技術を取り入れ、ネットワークをアートシーンに活用

(宮田) 今日のセッション@から本当に工芸のお話にかなり言及され、もうセッション@がセッションAで良かったのではないかという気が若干しないでもないのですが。
 ご存じのとおり、金沢はものづくりのまちと言われており、伝統工芸はもちろん、あらゆるジャンルのクリエイターが住まい、活動をしている、しかもそれを意識的に仕掛けているという、日本の中でもかなり特徴のあるまちではないかと思っています。
 私は若いころ、普段の生活の中で伝統工芸に関して気にしたことがなかったのです。伝統工芸というと百貨店の催事場などで売っている、何だか恐ろしい値段の付いたすごく高いもので、技術もすごそうだけれど自分にはほぼ縁のないものというイメージでした。そういう位置付けのものが伝統工芸で、誰が作っているのかも分かりませんし、このいたずらに高額な値段は一体誰が付けているのだろう。きっと偉い人たちが夜な夜な料亭などで、自分のお気に入りの作家の作品を持ち寄って、これは300万円だとか、そんなふうに値決めがされているのかな、ぐらいに想像していたのです。
 ですから、全然偉そうなことを言える立場ではないのですが、たまたま2001年、15年前から金沢市のeAT KANAZAWAというイベントや、この創造都市会議にご縁があり、そこで福光屋の福光社長とのご縁も頂いて、食事の会や席、夜の片町など、そういうところで時間をかけてカジュアルな形で、伝統工芸とはこういうものだよと、そういう価値や面白さを知ることができたのです。このご縁がなければ、恐らく工芸との接点は僕にはなかったのだろうと思います。大人になると、自分の持っていない知識は誰からどのようにして得るのかというのが非常に大事だと思います。僕はたまたま福光社長から、非常にいい形で教えていただくことができたので、伝統工芸とは何ぞやというものを少しだけですが、知ることができました。今日はここに3人のパネリストにお越しいただいています。
 今日のパネリストの皆さんは、ものづくりの各シーン、現場第一線でご活躍されている方々です。まず、「作り手の視点」として、金沢卯辰山工芸工房の川本館長。
 次に、「テクノロジーの視点」と書いてありますが、もう少し広い意味で、去年の金沢学会で紹介させていただいた、secca(セッカ)という新しいものづくりのチームがいたのです。そのseccaの活動にも、非常にご尽力、アドバイスを頂いているケイズデザインラボの原さんです。
 もう一方、「プロデューサーの視点」と書いていますが、地元でギャラリーという立場でアーティストの支援をしながら、売り方などの部分で非常にご活躍されている本山さんです。
 今日、金沢には、他にはないようなインキュベーション施設というか、あらゆる工芸をこれからやっていこうという若者たちを応援しながら、教育までしている卯辰山工芸工房がありまして、そこの館長を現在お務めになっている川本さんにお話をお聞きしたいのですが、早速よろしいでしょうか。お願いします。

(川本) 私は現在、卯辰山工芸工房の館長、4年目です。この館長になる前、37年間、金沢美術工芸大学の工芸科で染織を指導していました。その間に卯辰山工芸工房が、平成元年に金沢市制100周年の記念事業として設立されました。ちょうどそのときにいろいろと関わってきという因縁もあって館長になってしまったのかなと思います。
 金沢の工芸は、今ご紹介にもありましたし、先ほどの中でも「工芸」という言葉がものすごく出ています。その意味では、立場としても非常に責任を感じますが、それだけ工芸のことに皆さんが関心を持たれるということ自身からも、金沢では一つの工芸を切り口にした、ものづくりを基本にしたまちづくりが、昔から、前田の殿様のときから始まっていたということが言えるのではないかと思います。
 これは100周年記念の事業としてできたわけですが、ただ単に、「今、工芸が盛んだから工芸家を育てよう」ということではありません。あのときはちょうど後継者が少なくなってきたときで、後継者育成が各地で結構ありました。けれども、後継者育成も金沢の後継者育成と他県の後継者育成とは若干、趣を異にしているのではないかと思います。それは、なぜ工芸工房をつくるのかというところに起因していると思います。
 金沢の工芸というのは、ものづくりの原点になっていると思っていまして、その原点が、加賀藩で城内に造られた御細工所です。ざくっと言えば今から約400年前になると思います。当初は武具の補修・修理をメーンの仕事としてされていたのですが、だんだん平和な時代になってくると、武具から生活用具、お殿様の身辺のものに移っていきました。それと同時に参勤交代などいろいろあり、殿が江戸に行く折りに進物もそこで作られました。
 それから、前田の殿様の一つの政策と言えばいいと思うのですが、城下町をいかにきちんと安定させて成立させていくか。これは私がちょうど金沢へ来て2年目か3年目ぐらいに、金沢であったフォーラムの中でお聞きした話です。そして、それが私の中では非常に忘れられない一つのお話だったのです。
 前田の殿は城下町を成立されるために何を考えたのか。まず第一弾には、家臣団というもの、武士を統制していくためには、その時代は人を集めて武士にして戦いに向かわせたのですが、だんだん首都になってくると、そこに定着してもらわないと困るということで、家臣団の統制をいかにするか。これは力と金だけでは無理で、よそから同じ高い禄を出されれば、そちらに逃げてしまいます。
 では、どういうことが必要かというところで考えられたのが、心をお互いにつなごうということです。もっと簡単に平たく言えば、趣味のグループ化というのでしょうか。例えば連歌、茶の湯、能楽、そういう今現在の芸能・文化を一つの切り口、キーワードとして人々をつなげる。そうすると、武士のみならず、そういうものがだんだんとまちの中にも広がっていって、まちの中がそういうものでネットワークされます。
 それから、お茶などは、それまで個を主体にしていた茶の湯であったものを、衆のための茶の湯に変えていく。そうすることによって、庶民の中にも武士の中にもお茶が行き渡ります。そうすると、そこで情報交換が起き、心の会話が生じるということです。
 芸能やお茶など、そのようなものを普及させていって、まちの中に一つの文化の基礎をつくる。恐らくそれは文化をつくろうというよりは、むしろ、そのように一つの形にまちを形づくっていく一つの手段として考えられたものが、一つのまちというものに文化としての色を付けているということだったのだと思います。
 そういうものは、当然そこに道具があり、いろいろ物が必要になってきます。お茶であれば茶わん、どら、釜、ふくさなど、いろいろ必要になってきます。今度はそういうものを作る必要が出てきます。そうしますと、それらのことは、ご存じのように茶の湯を済まされた後には、お道具拝見があります。そこで使われる道具には非常に高い審美性が求められ、その審美性を表現していくためには、作り手のどのような文化を背景にしてそれが作られているのか、それから、それを作り上げていくのに、どれだけの技術を持っているのかということが、結局問われていくわけです。
 ですから、前田家の中では、御細工者といい、それらの方々はもともと町民でしたが、名字帯刀を許されて、武士と同等のものをきちんと与えられました。けれども、新しい人が出てきて腕が落ちてくると、すぐにすげ替えられたということが載っています。そのようにして高いレベルを維持していく。
 先ほどの進物品でもそうですが、やはり進物の場合、いいかげんなものは持っていけませんので、やはりその時代の最高のものを作ろうというのが殿の命令だったそうです。そういうことで、ものづくりをする人は、今と違いましてお殿様がパトロンですから、1年もしくは数年の間に1点、いいものを作ればいいのだと。そういう一つのことを課せられていたといいます。
 もう一つ面白かったのは、その文化というものをいかに身に付けるかということで、これはあるきっかけがあったのですが、細工人たちに能を舞うということを課しました。能を舞うことによって、その中の動き、ものの考え方、衣装など、いろいろなところからその時代を感じ取り、その中の美意識というものを自分なりに育てていくという、一つのきっかけにもなっているのではないかと思います。そのように一つの文化性をきちんと踏まえた上でのものづくりが、そこで成立していったわけです。
 先ほど言いましたように最高のものを1年に数点作ればよかったのですが、厳として慎まなければならないことがあったそうです。例えば、新しい技術、デザインの開発は、その時代は許されなかった。どういうことかというと、桃山文化の継承と、そのときの技術の保存をきっちりと守っていく。そしてそれ以降、それらを基に発展させていこうということがありました。綱紀公のところには、百工比照という全国の工芸品のサンプルを集めました。その時代、全国から集めますからやはりレベルも分かり、それ以上のものを作ります。そういうものを後世に残すことによって、金沢の文化を継承させていく一つの動力になっているのだと思います。
 そういうことが現在の工芸の高度な技術の維持を支えてきたのでしょう。そして、その美術工芸に長けた人たちを育てていった加賀藩の環境をそこにつくっていった。これは武士や殿様だけに限らず、庶民にもそういうことが普及していくので、皆さまが特に現代、言われているように金沢という地方都市の文化性の高さは、そういう背景があったのではないかと思っています。
 先ほどインキュベーションと言われましたが、金沢卯辰山工芸工房は今から27年前、平成元年に「育てる」「見せる」「参加する」の三つのキーワードで設立されました。「育てる」というのは後継者育成、工芸家を育成していく。「見せる」というのは展示・展覧をするのですが、私のところの収蔵は、金沢の文化性に基づく一つの工芸品を、古典から現在まで含めて収集していますが、そういうものを展示して、市民の方々がそれを見ることで金沢の文化性、工芸に理解を示してもらうという目的もあります。
 「参加する」というのは市民工房という形ですが、現在はそれに体験教室があります。自らそのものを作るということで、結果はどうあろうと、自分で作ったものに対する愛着はすごいものです。そうすることで、ものに対する愛情が出て、大切にします。そのことは、ただ作った事実だけにかかわらず、生活の中でいろいろな形で反映しますし、そういうものも金沢の文化を継承・発展させていくという一つの役割があります。
 インキュベーションについては、ここで育てるという話が単語として出ていますが、育てるというより、私としては「育ってくれている」という感覚なのです。それはなぜかというと、彼らを育てているのは、われわれが何かしたり、例えばこういうことをしましょう、ああいうこともしましょうということだけではなく、金沢というまちが人を育てているのだと、僕は最近はっきりと思いはじめています。それは金沢の持っている一つの文化性も、暮らしの中にきっちり根差しており、工芸や芸能・技術、市民の審美観も含めて、文化に対する意識が非常に高い。そういうものが金沢の中に、ものづくりの気風をきちんと育てていってくれているのだと思います。
 それから、21世紀美術館ができました。恐らく、21世紀美術館の設立は金沢のこういう世界の中では画期的なことだったと思います。あれによって美術や表現というものは何だということが、子供たちにも非常に広範囲な形で伝わりました。ある意味では美術というものに対する意識改革も、その中で行われているのではないかと思いますし、そのおかげで金沢のまちの中にギャラリーが非常に増えました。私どもの研修者も、それを利用して発表するという機会が確実に増えてきましたし、ギャラリー自身の持っている力を頼れるということにもつながってきました。
 われわれが学生のころから見れば隔絶の感があって、ギャラリーなどは一つか二つしかなかったような気がしますし、それもただ部屋を貸すだけの貸画廊という形でした。しかし、今はそうではなく、ギャラリーがそういう人たちを世界にPRして、育ててくれているというものもあります。
 それと、もちろん金沢卯辰山工芸工房というのは、金沢市が設立した施設ですから、金沢市の行政の政策、この「創造都市会議」の関連も全部そうなのですが、そういう一つのまちの持っている政策をかなり反映してきます。ですから、ただ単に個という人を育てる、感性だけを育てるわけではなく、地域と、それからその人たちが社会に出ていったときに、自分たちはどのように仕事をしていけるのか。そういう場を、その中で育てていかなければならないなと思いました。ちょうど私がこの館長を受けたときに、前館長から、今までいろいろと修了生も出てきたけれども、バイトをやらないといけないし、食うに困る人も出てきているので、これからちゃんと見ていかないといけないという話を聞きました。
 そういうこともありまして、私は入ってからいろいろなことをやりました。まず、ビジネス感覚を磨かないといけない。もう一つはコスト意識をいかに持ってこられるのか、それから商品性です。あとはデザインマネジメントなどもきちんと把握させるためには、こんなものは論理でしゃべっても駄目なのです。
 私は5年間、一応デザイナーとしてまちで働いていましたが、これは論理ではなく、実践ですので、いろいろな人とコラボレーションをした方がいいということです。これはたまたま、ここにおられる方も関係していますが、アニエス・ベー(agnès b)のデザイナーがちょうど私の工房へ来られたときに、ご紹介していただいて、それをきっかけにアニエス・ベーと商品開発をやりました。それはアニエス・ベーという一つの生きざまをいかに商品にするかということで、東京での本店、旗艦店での発表と、東京デザイナーズウィーク(現・TOKYO DESIGN WEEK)でも発表させていただきました。
 そういうことをきっかけに物事を考える角度が変わってくるのです。今までは自分の世界だけでやっていたことが、違う角度からものを見るという衝動が出てきます。それともう一つ良かったのは、私どもはたまたま五つの工房があります。陶芸、ガラス、染織、金工、漆。多分、日本の中でこれだけの工房がそろっているのは私のところしかないのではないかと思うのですが。それらのものづくりをするときに、ただ単に自分の、もちろん金工なら金工の技術を磨いていくことは至上命令で、もちろん彼らの目的なのでしょうが、他の分野とコラボレーションをする、それから他の分野の考え方を知る、技術を知る、そういうことで、今まで陶芸の中でできなかったことを、他の技術を導入することで作ったりしています。
 今、面白いのはガラスと土と粘土、陶器と混ぜて、どれだと言われてもどちらとも言えないものを作っています。陶芸の展覧会にも、ガラスの展覧会にも出せるものです。「いや、困ったな」と周りの人も言っていましたが。だから、そういう一つの発想が出て、いろいろなものを生み出すきっかけがそこにできています。そのようにいろいろな形でそういうことをやっていかなければならないと思ってきたのは、この2〜3年のところです。
 今はちょうど、「銭屋」さんの料理人、燒リさんとコラボレーションを今やっていまして、東京「銀座の金沢」で来年1月に発表するのです。インテリア、室内、器、酒器などを作って、料理の人に、それに合うような料理を作ってもらうようなコラボレーションです。そのときには、異分野の人と組みながらやりましたので、染織の方と陶器の方がすると、陶器の人が繊維の持っている柔らかさなどを、陶器の中に入れたらどうなのだろうと、その中から一つの形を作ってくれて、非常に面白いものができました。それはスパゲティを入れる皿になりましたが。そのように、いろいろな形でいろいろな発想が出てきて、そういうことは、恐らく社会に出てから非常に役に立つものではないかと今思っています。
 今後のことですが、そういうことを踏まえて、いかに研修者を育てていくかの中で、金沢市の創造都市の持っている役割があります。その中の一つに、これはちょうど創造都市になったときに、松浦さんが言っておられました。金沢は創造都市になったら、責任を負わないと駄目なのだぞと。そうでなければ、それは取り消されるよと。その責任とは何かというと、金沢だけで物をつくっているわけではなくて、そういうものを世界に対して発信し、交流し、そういう人たちも育てる、そういう役割も工芸の切り口としてやらないといけないということをおっしゃいました。
 そして特に今年、ユネスコ創造都市ネットワーク会議がありましたが、それを踏まえて、創造都市および姉妹都市関連からスタートしますが、作り手の交流をしていかないと、世界の目を研修者が意識できないと思いましたので、そういうことが必要です。それから、それに伴うアーティスト・イン・レジデンスという一つの機能を加えていかないと、やはり駄目でしょう。つくるときはそういうことが全く考慮に入っていませんので、ハードの部分とソフトの部分をこれから何か変えていかないといけない部分が出てくるかと思います。
 われわれは、過去の文化の食いつぶしをやるのではなく、これからはそれを基に、より文化を推進して発展させていくという前向きな一つの工芸の在り方、育ち方、文化の育成の仕方を考えていかないといけないという思いでおります。

(宮田) どうもありがとうございました。
 先ほど、土とガラスのミックスというお話もありましたが、新しいことにチャレンジして、新しいものが出来上がっていくというのは非常に面白いなと思います。最後の部分で、当初は機能としてなかったアーティスト・イン・レジデンスなど、新しい卯辰山工芸工房の在り方のようなビジョンも、そうやってどんどん変わっていくのだろうと思います。
 その技術の話が少し出たのですが、ここからは原さんに続きを少しお話しいただきたいと思うのですが。これは、去年ご紹介したseccaの作品なのですが、「Pen」という雑誌に彼らの作品を取り上げていただきました。これも原さんにご尽力いただいて、今年、結構話題になった二子玉川の蔦谷家電のオープニングのときに、彼らの作品を展示して、販売していただくこともできました。彼らが注目されたのは、新技術、そこにチャレンジしていくストーリーを、面白いと思っていただいたのではないかと思います。原さんに、ここから少しお話を伺っていきたいと思います。

(原) 今日はまず「カニを食べに来ないか」と宮田さんに言われまして。今日は休暇で休みを取ってきたので、このようなラフな格好で来て、今、緊張しまくっているのですが。
 前回も2013年、eAT KANAZAWAで、それも内容を教えてくれなくて、私は「イート」なので、多分、金沢うまいものフェアだと思って、本当にそのつもりで来たのです。慌ててプレゼンを作ったのを覚えています。そんなこんなで全く準備をしていないのですが、15分ほど少しお話をしたいと思います。
 私自身は伝統工芸と全然関係がなくて、45年ほど格闘技をやってきています。これが本職だと僕は思っているのですが、仕事としてはずっと3D CAD/CAMの開発をしています。伝統工芸というより、3Dプリンターブームがあって、そこで実はかなり伝統工芸との接点が増えてきました。そういう話を少ししたいと思います。

 ケイズデザイン・ラボは、2006年からスタートした会社ですが、もうこのコンセプト自身が実は、Atom to Bit/Bit to Atomということで、実態をデジタル化してデジタル化したものを実物に戻す。このプロセス自体が実は、企業における製造ラインなどですぐ使えるということと、デザイン、ひいてはアート、そして今は伝統工芸などで使っていただける技術として、いろいろ展開させていただいているというのが現状だと思います。
 今日は会社の紹介はあまりしませんが、3Dプリンターやスキャナーの販売をしている会社だと思ってください。実は真ん中の部分が非常に多いのです。アーティスト、職人さん、もちろん企業も多いのですが、3Dツールを使ってどのようなことができるかという支援、コンサルティング、デザインが増えてきています。そこから派生して、実は伝統工芸でも手でしかできなかったような、例えば自然な風合いの形状のものを、デジタルを使ってうまく作り込んでいくというところで注目されているテクスチャー事業です。
 もう一つは、私はもう一つ肩書があり、慶應大学の研究員もやっていまして、こちらでは「ファブ地球社会コンソーシアム」ということで、3D図鑑プロジェクトをやっています。過去、いろいろ蓄積した企業のデータ、文化財、伝統工芸の品物を3Dデータ化して、公開できるものは、どんどん図鑑として公開していこうというプロジェクトを今、推進しています。こういう観点から、伝統工芸やアート作品に接点が増えてきている状況です。

 今日はいろいろテクノロジーの参考事例を用意してくれということですので、本当にスポット的に、インデックス的にパパッとご紹介していきますので、少し慌ただしくなるとは思いますがご承知置きください。
 まず海外の事情です。これは面白いです。例えばこれは台湾なのですが、台湾は大陸と違って、割と文化を重要視しています。これは彫金ですが、こういう分野に既にかなりの率で3Dデジタル技術が入っています。実は、たまたまわれわれと同じシステムを使っている会社だったのですが、ペン型のマウスで本当に彫刻するようにデジタルツールを操るツールなのです。人間の感性、その人が掘ったデータがそのまま3Dプリントアウトされて、それを原型として金型を作って、地金を使って、そのまま金などの製品の彫刻を作るもので、これはかなり浸透しています。
 実は、当社に今年から台湾出身のスタッフが入社して、いろいろ紹介してくれたのです。台湾では、例えば半年かかっていたのが、月に1個はできるようになったと、効率の話ばかりしています。ですが、実際の内容としては手でできないレベルの緻密さを、3Dツールを使うことで補って、さらにクオリティーの高い製品ができはじめているという話も聞いています。
 例えば台湾の空港に行くと売っているのですが、実は既にこういうものをそのまま3Dプリントアウトした後に、2次加工、つまりコーティングをして、そのまま販売をする陶器のようなもの、金型を反転するための原型を作って量産するというブランドも出てきています。seccaさんと同じようなブランドなのですが、こういうものも出てきています。

 びっくりしたのは、ロイヤルコペンハーゲンさんです。有名ですが、かなり3Dプリンターを使っています。あえて3Dプリンターを使っているとは公表していないようですが、プロトタイプの制作や原型制作にかなり使っているという話を聞いています。

 文化の話で一部ではフランスの話も出ましたが、実はアメリカが3Dプリンターのシェアが一番高く、90%以上がアメリカ製品なのです。とはいえ、使い方の面で言うと、特に文化や伝統工芸の融合で言うと、正直、アメリカにはそれほど伝統はないので、こういう使われ方はされていません。やはり興味の対象が、ヨーロッパの人たちは文化にどうやって使おうかということで、そういう3Dプリンターの開発をしているのです。セラミックをそのまま造形する3Dプリンターを、フランスなどは開発しているようです。
 アメリカは、文化・伝統は少ないのですが、フードプリンターが大好きです。去年のCESという展示会に行ってきて見たのですが、このようなものばかりです。砂糖菓子や、ピザの生地を造形するような3Dプリンターが出てきていて、こういう砂糖菓子が作れるのです。いかんせん、デザインがドクロやアメリカっぽいものばかりで、食べたくはないですが、これがもし日本の和菓子のメーカーさんなどのデザインセンスで作ったら、今までにないものを作れるのではないかと思っています。
 国内です。これはほとんど、われわれが関与したプロジェクトをざっくりとご紹介していきたいと思います。
 例えば当社が支援している岩月鬼瓦という会社ですが、鬼瓦を作る新しいいわゆる職人さんというのは、なかなか来ないらしいです。ですから、今、原型を作ったものを3Dスキャナーで撮りためて、データ化して3Dプリントアウトしています。最近新しく入社した方がいらっしゃるそうですが、その方の教育用に3Dプリントアウトして、同じように作ってみなさいという使われ方がしているのです。なぜかというと、瓦は、作ったら納品してしまうので、「作り方は見て覚えろ」というやり方をしても、若い人はついてこないということで、いわゆるラーニングシステムとして、3Dツールを使っています。そのデータを利用して、アクセサリー販売をして成功をしています。海外でかなり売れていると聞いています。

 これはあまり言うなと言われたのですが、実は造幣局さんはうちの非常に大きなユーザーさんで、手でやっているのですが、デジタルツールに置き換えることでこのようなことを言っていました。より緻密な形が可能になった上、原型士の寿命が延びたというのです。
 3Dツールは、使ったことがある方は分かると思いますが、画面の中でいくらでもズームできます。私もそろそろ老眼がきているのですが、細かい作業が手でできないのです。これがデジタルツールによって、データを作って原型を作ることによって、かなり原型紙のアシストになっていると言っています。具体的なソフト名はやめてくれと言われているので言いませんが、うちで売っているものと言えば、分かると思います。実は、新幹線の記念コインも、全部デジタルツールで作っています。
 もう一つ言うと、いろいろな国から、OEMでコインを作るなどということも受注できるようになってきたと聞いています。

 

 これは話題になりましたミラノ万博で、紫舟さんという書道家がいらっしゃるのですが、その書を基に、われわれが全部、緻密に3Dデータ化して、透明アクリルで削り出し、ミラノ万博の日本館の入り口、オープニングのところに飾らせていただきました。実は何に使うか全く分からずにこれを作っていたのですが、こういうテクノロジーと、伝統工芸ではないのですが、アートとの融合が、実は比較的速くスピーディーにでき、この芸術性から非常に話題になったと聞いています。僕は飛行機が苦手で、10時間以上乗れないので見に行っていないのですが、こういうところでも使っていただいています。

 また、3D技術を活用した陶器というところで、これはわれわれもお付き合いのある長崎県窯業技術センターさんで、先ほどガラスと陶器を混ぜてという話をされていたのですが、これは実は陶板というもので、裏から光を当てると、こんな精度でできるのです。これは15年前からやっていまして、そのころから私自身が支援していたのですが、こういう技術を確立しています。

 これなどもきれいです。長崎県の写真ですか。これをこういう形にしています。

 あるいは佐賀の窯業技術センターでは、作っているのは全部有田焼なのです。これは型から作っているのですが、3Dモデリング、データを作ることによって、こんな緻密なものを作れるようになっています。つまり、かなり進歩させようという動きが各県にあるという形です。この辺は、世界的に見ても非常に進んでいると私は見ております。

 また、これもちょうど蔦谷家電で販売していたのですが、澄川伸一さんというデザイナーの下、招き猫のデータを少し抽象化して、「ねこふり」という調味料入れを作ったのです。実は、これのデータを基に、家庭用の安い3Dプリンターで作ったものも売ってみたのです。澄川さんの有田焼は1800円なのですが、これと同じデータでその場で作りますよとやると、皆さん、ストーリー性のある製品と見るのでしょう。900円でばか売れするのです。すみませんが、原価は50円ぐらいです。
 伝統工芸とは言えないのですが、こういうストーリー性のある製品は、伝統工芸などとつなげていくことによって、非常に価値の高いものとユーザーは見て、買っていくのではないかと思います。本当にその場で作って、その場で売っていました。実は、売れた個数を言いますと、澄川さんのは20個、3Dプリンターは50個以上売れています。原価率も含めて非常にもうかりました。

 3D CADで設計をして、3Dプリンターで直接造形というのも、最近研究されています。これも日本は進んでいます。佐賀の窯業技術センターの研究員は私も古くからの知人なのですが、これは直接、造形をしたものに釉薬を塗って焼いています。まだ、実は有田焼というほど密度が高くならないのです。まだビスク状態にはなってしまっているのですが、今年中には有田焼と呼べるレベルのものを作ろうとされています。
 こういうすかすかの状態はできるのですが、これに釉薬を付けて焼くというやり方です。これによって小ロットの生産ができるのではないかということで、結構日本もやるのだなという技術を作っています。
 この一つの要因というのは、材料技術が日本は進んでいるのです。やはり天草陶石を粉末にする技術も含めて、配合量も研究されています。

 先ほどのseccaさんです。前回、紹介されたということですが、柳井さんと上町さんに非常にお世話になりましたが、ASCELブランドです。これなどは3Dプリンターで原型を作成して、石膏型で反転を作って、陶器を作成したものです。3Dプリンターで原型を作ったものです。

 3Dプリンターで直接、造形して漆塗りもやっています。これは少しだけムービーを作っています。前回ご覧になられたのですか。

(宮田) いや、見ていないです。

(原) そうですか。もっとちゃんと見せるようにすれば良かったです。
 3Dプリンターで造形したものは、結構この後の漆塗りは大変なのです。僕の知る限りでは、この高品質でちゃんと売れるものを作ったというのは、初めて目にしました。
 これは石川県のどこですか。

(宮田) 山中ですか。

(原) 山中ですね。このように何回も何回も塗って、手磨きする。つまり、デジタルで基は作ってはいるのですが、結局、仕上げは人間の手という融合の仕方です。
 こういうものは今、すごく重要だと思っています。われわれもアート作品もそうですが、小ロット生産をする際に、この漆塗りではないのですが、こういう技術の考え方をふんだんに取り入れて、いろいろなもののプロダクトの企画をしております。こうして磨くのです。そして、このきれいなものができる。

 プリンターで直接造形して漆塗りというものがありましたが、こちらは箔を貼る方です。これは実は、材料はナイロンなのですが、ナイロンの粉をレーザーで焼き固めて作った3Dプリンターの造形物です。これに金箔の技術で箔を貼っていきます。こういた技術があるのだなと思って、仕上げを見たときにびっくりしたのですが、こういった融合の仕方は、僕は世界でも非常に早い段階、初に近いのではないかと思うのですが、seccaさんのチームが成し遂げたのではないかと評価しております。

 このような感じです。蔦谷家電でこのように販売させていただきました。
 われわれのプロモーションも少し低かったので、大成功というわけにはいかなかったのですが、今後こういうことも継続していきたいと思っています。

 これは工芸というより、手芸に近いのですが、「刺繍を表現した3Dプリンターによるサイン」は、何のことか分からないと思うのですが、ビデオを見てください。
 これは実はYOY(ヨイ)というアートユニットのチームと取り組んだものですが、刺繍の風合いで壁に貼るサインを作ろうというプロジェクトで、実はこれは3Dプリンターで作っているのです。これは3Dプリンターで作ることで何がいいかというと、実はこれはTOKYO DESIGN WEEKで2年前に出して、日本の方にはあまり響かなかったのですが、やはり文化的にはフランスがすごく感性が高いと一部で言われていましたが、フランスをはじめ、スウェーデン、ベルギー、オランダからの発注以来をたくさん頂いています。
 これは3Dのデジタル技術を使うことで、何ができるかといいますと、この3Dプリンターは機種を特定しています。Objet300ですが、海外から発注が来ても、これと同じものを持っているところを探していただいて、データ納品をするだけで済んでしまうのです。
 この刺繍の風合いのデータは、全部、糸の部分を3Dプリンターで作っているのですが、このデータをわれわれは作るという技術を持っています。ちなみに当社はオペレーターのことをオペレーターとは呼びません。3Dのスカルプター、3Dのアーティザン(Artisan)と呼んでいます。職人ですね。彼らにデータを作らせて、こういう緻密な形状の、普通の人では作れないようなレベルのものを作っています。実際にこれは渋谷のグランベルホテルさんにウエルカムボードとして採用いただいています。価格的には安く、データを作るだけなので原価あまり掛からないのです。しかも、壊れたときにオンデマンドで何回でも補修部品が出せるので、型を作る必要がないというのが非常に大きなメリットだと思います。

 これはもともと、ひもを巻いていたのですが、こんなことをやっていたら大変なことになるので、YOYから相談されて、われわれは3Dプリンターでこのような作品を作りました。

 あとは版画と3Dデジタルの技術ということで、知覚障害の方の触れる絵画を作っています。これは、カラー3Dプリンターで、触って楽しめる絵画を作りました。
 最初、これは色の付け方に非常に困っていたのです。触れる絵画については、視覚障害者の方のための教育の研究をされている大石先生の指導の下、データは作っていたのです。3Dツールでやっているのですが、色の部分はアダチ版画さんに監修いただいて、これで初めてクオリティーの高いものができました。
 こういう伝統的な技術を持った方とコラボレーションをすることで、こういう製品ができるわけです。これは絵はがきサイズのものが1万2000円もしたのですが、結構売れています。

 最後は、デジタル陶芸ということで、このツールを使って一般の人でも楽しめますよということで、こんなふうに「削る」というコマンドだけで結構できてしまうのです。
 ワークショップをやっています。これは栃木県の窯業技術支援センター、益子焼の方々と一緒に、世田谷ものづくり学校というところでワークショップをしました。このときもデザイナーの澄川伸一さんに来ていただいて、皆さんでやったのです。
 2時間ぐらいで、皆さんはこういう作品を作っていました。これは家庭用のプリンターで出しています。ここまで出れば、石膏原型でちゃんと陶器が焼けることは焼けます。もちろんプロにはかなわないですが、個人の趣味で楽しむ分には、デジタルも融合すればできるということです。
 金属プリンターです。これもケースの部分だけですが、チタンの金属プリンターでこのようにレーザーで焼結しながら積み上げて造形するという方法です。チタンというのは生産加工がしづらい材料なのですが、3Dプリンターを使うことでこういうことができます。
 時計を作るのは職人技と呼ばれていますが、その分野も、実はどんどん普及するのではないか。ちなみにこれは宣伝ですが、今ちょうど代官山の蔦屋で売りはじめたのですが、「スター・ウォーズ」のコラボレーションモデルで、全部これもチタンで作って、こういうものも販売しています。

 あとはランプシェードです。僕はこれが大好きで、デス・スターを何とかランプシェードにしたいと何年も考えていたのですが、今の3Dプリンターの精度だとできるのです。これはたまたまこの間、台湾に出張に行ったときに、翡翠を削っている職人さんたちのチームから、これは3Dプリンターにできるのか、こういうのをやりたいと言われました。デジタル化も、彼らはあまり抵抗がないようで、こういうものをどう作っているのかをかなり聞かれました。ちなみに27万8000円もするのですが、代官山蔦屋で一番売れています。

 3D技術と伝統技術の融合ということは、脱大量生産です。また「Technology After」というのは、僕の友人でもあり、宮田さんと共通の知人でもある林信行さんという評論家の方が言っているのですが、脱機能重視の製品と、ストーリー性のある製品。これらを生み出す有効手段として、3Dデジタル技術と伝統技術の融合があるのではないかと思っています。
 少しオーバーしましたが、私の話はこれで終わりにしたいと思います。

(宮田) どうもありがとうございます。
 原さんの話はいつも相当面白いです。最初に金沢に来ていただいたのは、多分4年ぐらい前でしょうか。金沢21世紀美術館で、そのときにもいろいろお話を聞かせていただいたのですが、そのときから金沢では、この分野の職人をどんどんつくっていくべきなのではないのかという話をしました。その中で、たまたまseccaというチームが生まれてきて、それで引き続き、原さんにもいろいろご指導いただいているのですが、やはりこうやって見ると、デジタルや3Dと言いますが、本当に職人技ですね。先ほど、デジタルスカルプターとおっしゃっていましたが、では、土でやるのとデジタルでやるのと、何が違うのかと思います。
 例えばパソコンも、ワープロがありますが、昔は紙に鉛筆で書いていたのがパソコンで打つようになったとしても、別にパソコンで打とうが紙で書こうが、素晴らしい作品は変わらないだろう。だから、そこのそのギャップというか意識を、もうどんどん吸収していくべきなのではないかと僕は思うのです。
 とはいえ、今の話は、初めて聞く方がほとんどだと思うのですが、工芸の世界も一緒で、初めて聞くというような話だと思うのです。両方とも難しく思ってしまうみたいな。でも、生みだされた作品だけを見たら、それが素晴らしければ成り立つものだとは思っています。

(原) そうですね。ちなみにうちの社員は26人なのですが、そのうち5名が、造形やジュエリーの職人で、そういう出身とか、アーティストをやりながら社員というスタッフもいるのですが、そういうスタッフは非常に能力が高いです。

(宮田) ありがとうございます。
 では、本山さんにお話を伺っていきたいと思います。今、いろいろなものを目にされていると思うのですが、どんなお話を聞かせていただけるのか。お願いします。

(本山) よろしくお願いします。私は金沢市野町でガレリアポンテというギャラリーをしております、本山陽子と申します。出身は大阪なのですが、金沢に大学で来まして、既に人生の半分以上が金沢になっています。2008年に犀川大橋の側で開廊しまして、ちょうど丸7年がたっています。それ以前は金沢美術工芸大学の芸術学専攻で美術史を学び、その後、市内の画廊で10年勤めた後、そちらの画廊が近江町にある金沢美術倶楽部や銀座の洋画商協同組合に所属していた画廊でしたので、さまざまな経験をして独立しました。現在は20代から40代の作家を中心に、絵画などの平面、彫刻や工芸などの立体など、さまざまなジャンルを取り扱っております。
 金沢は古美術商の多い町ですが、先ほど川本先生のお話にもありましたとおり、21世紀美術館ができて以降、同世代を生きる作家を取り扱う、現代アートを取り扱うギャラリーが金沢でも増えています。

 本論に入る前に、ギャラリーやギャラリストが一体どういう仕事や役割をしているのかということをご説明させてください。
 まず第1に、新しい作家を発掘するという仕事があります。美術館というのは、世間で評価・価値が定まって認められたものが収蔵されるという美の殿堂なのですが、ギャラリーの場合は作家が無名のころから取り扱いまして、才能を見極めて、そ
の能力を引き出して、世に出していくという役割を負っており
ます。
 2番目に、作品が作られる過程に関わるということがあります。作家さんが制作をする環境を整えて、見守る。場合によっては、次の発表の方向性を一緒に考えることもありますし、また、うちのギャラリーの場合は、一人の作家の個展を2年から3年に1度のスパンで開いています。割とロングスパンでその作家の制作人生を見守っていくという形です。その間、いろいろな場所のアートフェアに参加して、ギャラリーだけではなく、他の場所でも作品を販売します。
 3番目に、ギャラリーで展示会、企画展を行う、これが一番ギャラリーの目に見える形の仕事だと思うのですが、作家さんが表現したいと思えるような発表の場をしつらえまして、それをコレクターさんや顧客に作品を販売していきます。さらに、販売後のアフターフォローです。ちょっと額を替えたい、作品の剥落があるので修復をしたい。また、美術館で展覧会がされるときに、お客様が持っているものを出品したいのだけれど、その取り次ぎをするなど、さまざまなアフターフォローやマネジメントも引き受ける仕事です。

 作家が良いときも悪いときもというのは、制作に行き詰まったときや、経済状況が悪くて作品が売れないときも、一緒にいて並走者として共にいるという役割です。
 ギャラリーというのは、作家さんもそうですが、作品を売って食べていて、それがなりわいになっています。それを手助けするのがギャラリーでして、ギャラリストの視点、独自の視点でキュレーションをする、プロデュースをするということは、作品を文化や歴史の文脈の中で照らし合わせて、どこに位置するのかを見極め、それをクリアしないと評価の対象になってこないとも考えるからです。組み合わせたり、フィルターを掛けたりという作業は、作家はクリエイターですが、ギャラリーも新しい価値をつくり出す仕事と考えています。
 特に「伝える」というのは、ギャラリーの重要な仕事だと思うのですが、美術というのは自身の経験値やバックボーンからしか判断のしにくい側面もあります。営業マンが製品を売るときに、その商品や機能・デザインの良さを説明して販売するように、ギャラリストも、作品の意味や価値を言葉で伝えるということが重要な役割になっています。

 本日、この後の発表ですが、金沢のギャラリーがどういう工芸の発信の仕方をしているのかという実例をお話ししたいと思います。三つあり、1番目には金沢のギャラリーとその作家さんの紹介。2番目に、金沢のギャラリーが外に出て、金沢の工芸をどう発信しているのか。3番目に、今度は金沢のまちの中から、金沢のギャラリーと作家がどういう発信をしているのかという3点です。
 作家のステータスを上げることに、どれだけ寄与できるかがギャラリーの仕事だと思いますので、発信というキーワードでお伝えしたいと思います。

 現在映っているのは竹村友里さんという方ですが、川本先生のお話にもありましたとおり、金沢は伝統工芸のベースの蓄積の上に、美大や卯辰山工芸工房という施設があり、全国から非常に優秀な作家の卵が集う土地になっています。さらに、卒業後も金沢に住みながら、マーケットは国内のみならず、海外にも世界にもつながっている作家がこのまちには結構います。
 少しご紹介すると、今、映っている竹村友里さんは、先月個展をちょうど終えたばかりなのですが、こういう有機的で洗練された造形の陶芸を作っている作家です。
 現在ちょうどニューヨークで行われている「日本の工芸未来派」展がありますが、そのきっかけとなったのが、2011年です。

 画像がかぶっておりますが、一番下のレイヤーになっているのが、2011年の竹村さんの個展で、そこで出てきた非常にユニークな形態の、これは抹茶わんなのですが、この作品が目に留まりまして、2012年の21世紀美術館での「工芸未来派」展に出品いただくことができました。ちょうど今、「工芸未来派」展は文化庁の海外展としまして、ニューヨークのミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザインで巡回展を行っているところです。

 これはニューヨーク展の状況です。今ニューヨークでやっているのですが、2012年の21世紀美術館での展示の状況のときに、ニューヨークのギャラリーからもうオファーが数件来ております。先月の金沢での個展のときも、ニューヨークの有力な工芸を扱うギャラリーが、ニューヨークの顧客を金沢に連れてきて、彼女の作品をたくさん購入していかれたという経緯もあります。こちらが現在ニューヨークに出品されている彼女の作品です。

 2年後にまたニューヨークで、彼女の展覧会のオファーが入ってきています。そのようにダイレクトに金沢から世界へ開いていくという形もありますし、金沢の個展のときに、東京の和光でちょうど竹村さんがグループ展をされていたのです。和光で見られた東京のお客様が、翌日、「金沢で個展をやっていると聞いたので」ということで、新幹線に乗って来てくださるということがありました。私はこれで初めて新幹線効果を感じたのです。
 というのも、野町というのは通常、車の通りは激しいのですが、人がなかなか歩いていなかったりするところで、新幹線開業後は忍者寺に歩いていく方が非常に増えて、誰も歩いていなかった通りを、非常にぞろぞろと皆さん通られるのです。面白い展覧会をうちのギャラリーはやっているのですが、どなたも入ってこない。しかしながら、非常にいい作家の展覧会をやっていたら、興味のある方は東京からぽんと来られる。それでいいのだと思うのですが、そういうことで実感をしました。

 竹村さんのみならず、こういうガラスの作家の彼女も、富山のガラス造形研究所にいましたけれども、ガラス一本で食べています。アメリカでも発表しています。
 この小田橋昌代さんもガラスです。卯辰山工芸工房を出た後、今、三重に在住していますが、金沢市二俣にある牧山ガラス工房を行ったり来たりしながら制作をしています。彼女はドイツのギャラリーでも展覧会を契約して開いており、こういう目を閉じる少女というのをよく作っているのですが、これが瞑想する禅の精神を表わしているのではないかというので、ヨーロッパの方には非常に人気があります。

安藤絵美さんは金沢美大出身で漆の作家ですが、現在は富山県に在住しながら制作をしています。

 伊能一三さんは東京芸大出身で、卯辰山に来られて、現在、金沢市在住です。これは木心乾漆という仏像を作るような技法ですが、こういうサブカルチャーというか、ポップカルチャーと融合したような造形を作って、伝統的な技法で新しいタイプの作品を作っている方がいます。

 こういうさまざまなユニークな作家もおりますし、同時に金沢には他にも工芸を取り扱う個性豊かなギャラリーがあります。今、映っているのは、入江にある「ギャラリー点」です。開廊してから20年で、現在2代目の金田みやびさんがディレクターをなさっています。金沢のギャラリーでも、先駆的にコンテンポラリーアートを取り扱い、金沢のアートフェアに参加しているパイオニア的なギャラリーです。

 「ギャラリー点」さんの作家さんでは、やはり卯辰山を出られた方たちですが、金工の河野迪夫さん、ガラスの小曽川瑠那さんなど、線の非常に美しい、繊細な気品のある作品を多く取り扱っていらっしゃいます。

 2012年には安江町に「KOGEIまつきち」が開廊し、こちらのギャラリストは古美術商のご出身で、お茶道具にも造詣が深いということで、若い工芸作家さんの茶道具を使った百式茶会というような、金沢らしい茶と工芸の融合のスタイルをいろいろ仕掛けておられます。

 野々市市にルンパルンパというユニークなギャラリーがありますが、個性豊かなパンチの利いた工芸作家さんを多く取り扱っておられて、独自のセレクションが「百万石カオス」という形です。県外の展覧会でも注目を集めており、野々市にも実際、コアなファンが海外から来られている状況も生まれています。

 こういうユニークな作家さんとギャラリーが金沢にはいろいろ存在していて、それらが金沢のまちから外に出て、金沢のギャラリーが国外・県外から金沢をどう発信しているかですが、いろいろなアートフェアに参加して金沢の工芸を発信していたりします。
 今、映っているのは、今年3月に香港で行われました。ちょうど香港の3月は「アートバーゼル香港」が行われ、世界でも最も大きいアートフェアで、スイスのバーゼルとマイアミと香港の3カ所で行われるのですが、バーゼルに合わせて、香港でもさまざまなアートフェアが行われました。その中の一つで、ホテル系のアートフェアという、ホテルの一室をギャラリーに見立てて行う展示会があり、マルコポーロホテルでアジアホテルアートフェア香港というのがありました。
 こちらの企画として、中国、韓国、日本、それぞれのお茶の文化を紹介する特別展を開催するということでオファーを受け、陶芸の竹村さんのお抹茶わんを出品しました。ホテルなので、ベッドをお茶席代わりにして、海外の方に実際にこの工芸作品を使ってお茶を振る舞いました。

 こうした動きですとか、これはベルギーのゲントで「ギャラリー点」がアートフェアに参加した状況です。こういうアートフェアという形態が、今、世界でもいろいろなところで行われています。

 市場の見本になっているようなところもあります。これはニューヨークの状況です。

 海外のみならず、これは東京青山の「スパイラル」で行っている「ウルトラ」という、40歳以下のギャラリストや、創業間もないギャラリーを集めて展示会をするところに、金沢の「点」、野々市のルンパルンパとうちが、国内のアートフェアにも積極的に参加しています。

 また、三越や松坂屋など大手の百貨店にギャラリーが出向いていって展示会を行い、国内の名古屋など、ホテル系のアートフェアへ参加しています。

 マーケットの活用なのですが、発信する場所というのが、美術もグローバルスタンダード化していて、画廊や画商の閉じた位置だけで価格が決定されていた時代から、ネットの普及も含め、日本各地そして世界のアートフェアに参加することで、ギャラリーやコレクターだけではなく、評論家や美術館の学芸員の情報交換の場になっているという状況があります。より広く作家や作品を世に知らしめる場として有効になっていると思います。アートフェアに参加していくことが、世界のマーケットに乗せていく上で非常に重要になっていると思うのです。
 ただ、金沢のギャラリーにおいては、私を含め個人事業が、できる範囲で何とかやっている、何とか出展しているという状況です。優れた作家を見いだして、プロデュースしてマネジメントしてアフターフォローをするという蓄積を蓄えつつあるという自負はありますが、例えば海外のアートフェアへ出店する際に、何かしらの力添えや応援があればという思いもあります。
 「コマーシャルギャラリーがやっていることだから」ということではなく、もっと文化と経済と政治や行政が有機的につながって、有効な動き方でフォローできれば、もっと早く価値を上げていくことができるのではないかという思いがあります。

 少し押しておりますが、次に金沢のまちの中から、外に向かって連携して発信という部分になります。二つあり、ギャラリー同士が連携して行っている金沢アートスペースリンクと、金沢青年会議所が主催されている工芸のイベント、かなざわ燈涼会にギャラリーも参加してアプローチをしています。
 まず一つ目の、金沢アートスペースリンクですが、2012年、ちょうど工芸未来派のときに、まちにあるギャラリーが21世紀美術館のサテライトとして参加して、緩やかなつながりが生まれました。こういうマップを作ったり、これも武蔵ヶ辻にある北國銀行の3階の金沢アートグミが事務局になってくださっているのですが、スタンプラリーをしてお客さんを巡回させ、学芸員さんを呼んでギャラリーツアーをするなどのことをやっています。2012年は参加ギャラリーが11だったのですが、4年たち、26に増えています。
 非力な点で発信をするよりも、連携して面で発信した方がインパクトが生まれるということや、同時期に共通テーマを設定して企画展を行うことで、より良質な企画を生み出そうとする、ギャラリー間の切磋琢磨も生まれています。
 またギャラリーも、個性が違うギャラリー同士なので、お客さんの好みによって他のギャラリーを紹介するという連動も生まれています。お客様の好みだったら、今あそこのギャラリーでこういう展示をやっていますという、相互連携が自然と発生しています。これもまだ4回ですが、回を重ねるごとに遠方にも周知されて、金沢にこれを見にやって来る方もいらしています。

 こういうギャラリストやコレクターや若い作家などを巻き込んだ動きです。また、地元のコレクターをフューチャーするような企画をして、途中からは金沢市の芸術創造財団の方と協力して、ナイトミュージアムの中にギャラリーが企画を立て、作家のワークショップを行うということも、連携して行っています。

 もう一つの青年会議所のかなざわ燈涼会ですが、こちらは工芸と食と町並みを掛け合わせるというもので、浅野川界隈の町家で金沢の現代工芸作家たちの作品を展示しています。もちろん販売を伴っております。
 また、アートスペースリンクと青年会議所合同で工芸の公開トークを行っています。金沢ならではの近い関係性、近い距離感だからこそ、気軽にやり合えることが生まれているかと思います。

 こちらは町家にルンパさんが工芸作品を展示している状況です。後ろは、版画の版木のようなものなのですが、それ自体をアートにしている作品です。
 これはガラスの小島さんですが、大樋ギャラリーの奥にある「松濤間」という、非常に歴史がある空間に、現代的な工芸作品を展示させていただきました。

 こちらは「ギャラリー点」の展示ですが、主計町にある宿泊施設にもなっている町家にこういう幻想的な空間を工芸でプロデュースされることも行っています。

 もう一つは、食との掛け合わせということでは、工芸作家が作った作品で、もちろんこれは一点物で、3Dで量産できるものではなく、一つずつ、がたがたと形が違うものです。
 これもお皿なのですが、料理人泣かせで、どこに料理がのるのだという。フレンチのお店でやったのですが、このお題を投げたときに、シェフは苦肉の策として、くぼんだところに椿の葉っぱを裏返しに置いて、その葉っぱの上に料理を盛りました。「逆にこういう難題なお題を与えられて発奮したわ」とおっしゃっていましたが、そういう熱を帯びる掛け合わせみたいなことが生まれた状況だと思います。

 今後の展開としては、ちょうど来年、国内最大級のアートフェア、「アートフェア東京2016」に、金沢のギャラリー同士と金沢の工芸作家さんとが協力して参加しようという計画を立てています。アートフェア東京は、入場者数が5万5000人ほどで、総売上高も約10億円で、国内のアートフェアでは一番大きなものになっています。
 同時期に、キラリトにある「銀座の金沢」さんのギャラリーを使い、同じ出品の作家さんの展示を行い、非常に場所も近いので、銀座で金沢の工芸で巡回を生むようなことを計画していければと思っています。
 ギャラリー同士や青年会議所さんもそうですが、さまざまなアートフェアに出て、イベントを創出して、にぎわいをつくることが目的ではなく、そのイベントが終わった後、祭りの後のようにしんとしてしまうのではなくて、ここで生まれた連携や共通の意識が、この後の金沢のコミュニティーや地域経済に、工芸やアートを伴って循環していく状況が生まれる。先ほど「サステイナビリティ」という言葉が出ましたが、まさにそれが民間からというか、町場のギャラリーや作家から自発的に生まれていけばと思っています。
 ご覧いただいたように、ギャラリーで取り扱っている工芸作家は、工芸の、いわゆる「用の美」で言いますと、有用性という部分では、どちらかというと逸脱しているものが多いのですが、工芸ならではの素材や伝統的な技法・技術にのっとって、さらに現代的なコンセプトを乗せて、今までの価値概念を更新していくような作品が作られています。
 これらの工芸は、評価いかんでは飛躍的に価値が上がるものであり、世界に流通していくものだと思いますし、時代の美術の基点になるような可能性も秘めていると思います。大げさではなくて、車の両輪だと思うのですが、テクノロジーだけでもなく、こういう彼らの創造性も世界の未来を変えるような新しい価値をつくる力を秘めている、そういう作家やギャラリーが金沢にもあるのではないかということがお伝えしたかったことです。
 以上、長くなりましたが、金沢のギャラリーが発信する役割から、現状や取り組んでいることのご説明をさせていただきました。ありがとうございます。

(宮田) どうもありがとうございます。
 こうしてお話を聞いていると、作り手側もプロデュースする側も、かなりいろいろなことをやっていると感じたのですが、時代に合わせて作り手側の技術、売り手側のプロデュースの仕方など、本当に多種多様なことにチャレンジされているのだなと感じました。
 その一方で、よく「工芸作家は食えない」という話を、金沢のまちでは週に1回ぐらい聞くのです。東京にいると、工芸作家は食えないなんて話は聞いたことがないのですが、金沢にいると、そういう話をよく聞くのです。本当にそうなのかなと思うのですが、工芸作家が餓死したという話も聞いたことがないのです。だから、みんな結構生きているではないかと思うのです。みんな生きているのに、なぜ食えないと言うのかなと。
 実際、どのぐらい食えていないのかというところまでは分からないのです。本山さんに聞きたいのですが、実際によく「食えない、食えない」と言われるのですが、実情としてはどうなのですか。

(本山) 確かに、すぐに売れるものではなかったりもしますが、ただ、皆さん最初はバイトと併用しながら、でも制作はしたいので、やっていくわけです。先ほど紹介した何人かは、既に作家一本で食べているという方も着実におります。ただ、それは全員ではない。でも、それはどの業界でも、そうだと思うのですが。

(宮田) みんなそうですよね。

(本山) 芸能界と比べても、そうだと思いますし、芸能界と工芸作家さんも一緒ではないかと思いますが、それは時の運もありますし、出会いもマッチングもあると思います。
 ただ、金沢のまちというのは、市民の方が作り手に対して非常に寛容だと思いまして、やはり、それは素材もすぐ身近に手に入るとか、卒業後も使える市の工房施設があるとか、そういう意味で、作り手が定住できる環境さえあれば、ここにいて外で発表するなど、それはできると思います。

(宮田) そうですよね。かなり環境的には充実していると思うのです。こういう会議で工芸が語られる、卯辰山工芸工房があるなど、いろいろな意味で充実はしているのだとは思うのですが。
 では、食える食えないで言うと、例えばミュージシャンでも物書きの作家でも、基本的に食えないベースで始まりではないですか。そこで文句を言うのではないよと、僕は思うのです。例えばお笑い芸人などは本当に大変だと思うのです。昨日か一昨日、ニュースで見たのですが、厚切りジェイソンという外国人の芸人は、去年の芸人の年収は400円らしいのです。あの人は本業を何か持っていて芸人をやっていましたが。吉本の芸人なんて何百円みたいなのは結構ざらです。それでアルバイトしているのが、私は、本当は工芸一本で食いたいのだけれど食えない、というのが本音なのですね。では、そこで一緒に何か作っていこうとされているのが、ギャラリーだったり。

(本山) そうですね。それがなりわいという言い方をしましたけれども、確かに大量生産できるものでもないし。ただ、そういう価値観というか、文化の価値を売っていくというのは、やはり売るとしては非常に難しいことだと思います。すぐに売れるものではないかもしれませんが、逆にそういう有用性がないからこそ、売れたときには飛躍的な価値が付くものだと思いますし、皆さんも食うためにやっているわけではない。もうやむにやまれず作りたいという思いから、やっている方もいます。困難な、お金も掛かるし、時間も食うし、効率の悪い工芸作家にあえてなるというのは、やはりそれが好きだからということが根本にあると、それは苦ではないという部分もあると思います。
 作家にリスキーな部分を負わせるだけではなく、ギャラリーや周りの環境がフォローしていくという体制、食べられるためにではどうしようかというのは、前提としてやっていかなければいけないと思っています。

(宮田) そうですね。僕も、自ら「食えない」と言っている作家さんに結構お会いしたことがあるのですが、みんな笑いながら言っているのです。だから、まだ大丈夫だなと思いましたが。
 先ほど、原さんから適量生産というお話もあったのですが、いわゆる大量生産ではないし、一点物でもないし、適量を作っていく。これは、技術・テクノロジーが解決した一つの答えに近いものがあるのかなと思ったのですが。

(原) そうですね。先ほどのデス・スターに関しては、少し自慢になってしまうのですが、普通の設計用のソフトを使ってやると、1カ月半ぐらい、設計データを作るのにかかると思うのです。ですが、うちのスカルプターとか、3Dアーティザンがやれば、あれは2.5日で作っているのです。

(宮田) そんなに早いのですか。

(原) はい。データを3DのDMMさんなど、「ネットで注文、自宅に届く」ではないですが、3Dプリンターで出して、仕上げは少しやるのですが、在庫は抱えてないのです。ネットでも販売していますが、来ていただいてこれを買うとやるのです。
 別にそれにエディションを付けているわけでもないのですが、例えば限定30個などを2店舗でやって、価値を上げて売っていて、ほとんど、正直言うとディズニーさんと蔦谷さんが全部ロイヤルティーを取っていってしまっているのですが。

(宮田) 悪い会社ですね。(笑)

(原) われわれは、本当に微々たるものなのですが。そういう小ロット生産で適量生産をやる、あるいはデジタルの技術でエディションコントロールもできるのです。作家さんが100個だったら、100個まで。それ以上は、データを逆に100個以上出したら、劣化させるという技術も作っているのです。
 ただ、残念なのが、アーティストにも、陶芸作家もそうなのですが、テックリサーチという形で、われわれの新しい技術を伝える場がないのです。陶芸でしたら窯業技術センターに行って、そういう話をするのです。そういうものをまず伝える場がないのと、そういうものに対して拒絶する方も多いので、われわれからすると、正直、積極的にそういうものを公開やPRはしていないというのが現状です。

(宮田) できれば、その手仕事の作家さんたちに、どんどん新しい技術もコミュニケーションをしながら、伝えていくような場は必要なのだろうなと僕も思うのです。

(原) そうですね。現代アートの方ですと、言っていいところで言うと、名和晃平さん、それこそ森村泰昌さんもそうですが、かなりうちにデジタルのご依頼が来ていて、そのままデジタルとは言わないのですが、作品になっているものが多いのです。
 デジタルのリスクというのは、今度はギャラリーさんとの問題になるのです。そのデータはわれわれが保持しているのですが、正直に言うと、違法な形で売れてしまうことも売れてしまうではないですか。このリスクが解決できないので、積極的にそのデジタル技術をということも表だって言えないし、使い方が分からないと言われることが多いですね。

(本山) 版画ですと、版元がその原版を所持していますが、エディションが来ると、もうその原版にばってんで刻印を押してしまって、二度と刷れなくする形はやりますよね。

(原) その辺のプロテクトもそうですし、作家さんによってはデータを公開して、そのデータがどう変わっていくのか見てみたい、それそのものがアートだと言う人もいるのです。ギャラリーにとっては、そんなことをやられたらたまったものではないので、やはりデジタルの積極利用はなかなか進まないとは思っています。

(宮田) 昔ながらのやり方も、今、原さんがやっておられるような全く最先端のやり方も含めて、僕は文化だと思うのです。今日、何回「文化」という言葉が出てきたか分からないのですが、文化とは何ですかと、僕は毎回思うのです。
 文化は、わざわざ人間がつくり出したものです。自然に発生したものではないし、もともと自然に人間が手を加えて形成してきた成果が、文化だと思うのです。だから、そこは最先端の技術だろうが何だろうが、否定してはいけないと思うのです。
 では、例えばろくろが発明されたときなどは、「おまえ、いんちきだ」と言われたのかもしれません。「自動的に回るんじゃねえか」と。でも、それが今は当たり前になっています。
 そういうものを含めて、金沢はそういう文化を受け入れて、多様性をきちんと育ててきたまちだと思うのです。その文化が積み重なって、それが時代になっていると思うのです。今日のテーマでも、金沢は観光ではなくて、文化というお話がありましたが、いろいろな人たちがいて、そこにいろいろな新しい技術や古い技術を全て否定せずに受け入れ、その文化自体を育んでいくような活動が金沢らしいのかなと、僕は思っています。
 そろそろ時間が来るのですが、一言お願します。

(川本) 今の工芸家は食えないという話もありましたが、実際、工芸家を見ていますと、両立させているのです。今、特に金沢市で、クラフトビジネス創造機構が推進されている、生活工芸という一つの分野は、生活に密着することによって、その製品が売れるという、いわゆるアート作品とは違った視点の一つの提案がそこにはあるかと思います。
 工芸家は、その両面を持っているのです。生活工芸であっても、その基になるのは何かというと、やはり物を作るための技術、美意識をそこに携えていないと、現在の生活に見合うものは作れるのかということにも結局つながってきます。その基本になっているのは、そこで本人が、例えば金沢なら金沢の地域の中で、物に対する意識をどれぐらい積み上げて世の中に出ていくかということかと思います。
 先ほど文化という話がありましたが、文化というのは、ある意味では、端的に言ってしまえば、私の考えでは時の蓄積だと思っています。その時の中にはいろいろな意味があると思いますが、それが積み重なることによって、一つのものが出来上がってくる。その積み重なり方で、その地域ごとの違いが出てくるわけです。
 金沢が持っている気風・資質というのは、ある意味では作り手にとってみれば一つの個性につながる部分があるかと思うのです。金沢が持っている個性を身に付けるということも、これが世界に出ていくための一つの手段としては、より個性化を図る、個性を形成していくための手段になり得ます。
 ものづくりというものは、歴史や技術などいろいろなものを背景として蓄積されているので、その辺はどこの地域に行っても一緒かというと、そうではないし、その風土にも影響されて、特に金沢は雨が多いです。そうすると、湿度に関わって、漆やそういう産業、工芸品が発達していく。その地域性から踏まえれば、金沢の持っているもの、金沢というものをやはり研究していく必要があるのではないかと思っています。
 また、作家自身も、皆さん自立したいと思っていますので、そのためにいろいろな工夫をしているし、クラフトビジネス創造機構では、特にそういう技術的活動をずっとやってきた方たちに、実戦的な生活工芸品を作るにはどうするのか、一つの講座を設けてくれています。そういうことも、その人たちがこれから食べていくための一つの手段として、方法論としてあると思います。
 3Dプリンターの話が出るという話なので、この間、少し経験してきたのです。あれは面白いけれども、使いこなすのがなかなか大変です。やはりオペレーティングが大変なので、では、考える人間とオペレートする人間が違ったら、もちろんそういう方法もあるのだけれど、作り手としてはあまり面白くないなと。やはり自分でオペレーティングできるとなると、機械自身がもっと人間に近付いて感応的であってくれれば、そういう道がもっと開けてくるし、シミュレーションをしていって、先ほどおっしゃっていた一つのものにも非常に活用できるなと思います。
 将来、卯辰山工芸工房にもそういうシステム、機器を入れていく必要があるのではないかと思います。その時代、その時代をきちんと捉えて対応していかないと、人というのは、うまくその中で自分自身を磨きにかけることができないと思いますので。

(宮田) そうですね。道具なので、慣れです。慣れれば素晴らしい作品が作れると、僕は信じています。
 では、そろそろ時間が来ましたので、第2セッションはこの辺で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

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第一日目 12月10日

第二日目 12月11日

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