第6回金沢創造都市会議

金沢創造都市会議2011 >セッション3

セッション3

セッション3「『21ラボ』の始動に向けて」

●コーディネーター
宮田 人司氏(潟Zンド代表取締役、クリエイティブディレクター)
●ゲスト 
スプツニ子!氏(MITメディアラボ助教)
孫 泰蔵氏(MOVIDA JAPAN椛纒\取締役社長)
林 信行氏 (フリージャーナリスト、コンサルタント)

          













地域のイノベーションは、外部との融合推進から生まれる


(宮田) 私はもう何度もこの会議に呼んでいただいていますが、私の隣に美女が座るのは初めてです。びっくりしました。今回はスプツニ子!さん、孫泰蔵さん、林信行さんという非常に豪華なメンバーでお届けしたいと思います。ラジオのようになってしまいましたが、今日は「『21ラボ』の始動に向けて」というお話です。「21ラボ」の話はかれこれ3年くらい前からずっとありまして、やっと始動に向けてという話をしていきたいと思います。
 今日は最初に私の方から「21ラボ」についての話をさせていただきまして、皆さんからそれに関連するお話を頂き、後半で「21ラボ」をどうしていこうかというアイデアを頂くような流れで進めていきたいと思います。
 そもそも「21ラボ」とは何でしょうか。先ほど実行委員長からは、金沢まちづくり・ものづくり研究所とまとめさせていただきました。なぜこういうものができてきたのかを一言で言いますと、金沢らしい進化の形なのではないかと私は理解しています。「21ラボ」がどういう機能を持っていくのか。簡単に言うと三つで、一つはサロン機能、もう一つはインキュベーション機能、3番目が問題解決(ソリューション)機能です。これがどういうフレームワークで実行されるのか。
(以下スライド併用)
 まず「21ラボ」を真ん中に書かせていただきました。そこにボードメンバーがいて、フォローシップという座組をつくっていきたいなと。「21ラボ」自体は、金沢市、石川県、一般企業その他いろいろな方々がクライアントになっていくのかなと。そこから何か問題があったらソリューションを提供していく。それをクリエイティブとかデザインベースという視点からどんどん取り組んでいければと思います。
 ここに何名か例として顔を挙げさせていただいたのですが、皆さん非常に著名なクリエーターだったり経営者の方々だったりします。なぜこういう人たちが「21ラボ」に関わってくださるのかというお話をこれからしていきます。私はこのフェローシップというものが非常に重要なファクターであると考えています。
 先ほど機能のお話をしましたが、まず一つずつご説明します。調査・研究、ソリューション機能、専門家。これは先ほど顔が出ていた方々が最新の視点でそれについてアドバイスを行ったり、それについての調査研究を日々行っているという雰囲気があります。それと、まちづくり・ものづくりに対しての問題解決の機能がここで行われます。また、サロン機能が交流拠点都市金沢の活性化機能と言っていいと思います。「21ラボ」の持つ多彩なネットワークが、「21ラボ」のメーンとなるような活用可能な機能です。インキュベーション機能として、起業を目指す人たちなどを教育や環境の面からサポートしていくような機能を持ちます。
 サロン文化というのが、分かるようで分からないような気がすると思うのですが、簡単に説明すると、そもそも茶の湯という文化には目利きによる価値基準の形成がありました。これは金沢のDNAだと思うのですが、それがプロデューサー、交流による価値創造というようにどんどん進化しています。今、金沢には金沢21世紀美術館があったり、イート金沢という非常に歴史のあるイベントがあります。それに加えて、今回の金沢創造都市会議というものがあります。
 設立の背景をご説明します。CVCK(クリエイティブ・ベンチャー・シティ・金沢)というのは教育事業です。これまでの人的財産の構築と歴史はどうなっていたのか。俗に「よそ者・若者・ばか者」という言葉があって、地域のイノベーションは「よそ者・若者・ばか者」から始まると言われています。私も最初はそういうふうに期待されて金沢に足を運ばせていただいていましたが、既に私は住んでしまったので、よそ者でも若者でもなくなって、単なるばか者になってしまったのです(笑)。ばか者でも少しは役に立っているのかなとは思っているのですが、こういう考え方があります。
 これがイート金沢につながっていきます。このイベントにとって、イート金沢の思想と存在意義がどういうものなのかということを少しお話ししていきたいと思います。これはちょうど今年のイート金沢のイベント風景です。孫泰蔵さんにも林さんにも来ていただきました。
 ここで、たくさんのいろいろな皆さんのありがたいお話を頂戴したり、ワークショップが行われたりしています。このイベントは、行政がやっているイベントとは思えないような内容で、私は最初に2001年に呼んでいただいて、そこから毎年呼んでいただいているので、もう12年お付き合いをさせていただいています。
 最初に来たときも本当にびっくりしたイベントでした。「あなたがやっている仕事の話をしてもらって、若者の話を聞いてくれ」ぐらいのざっくりとしたリクエストしか頂けないのですが、1日目は先ほど見ていただいたような会場でセッションがあった後、温泉に軟禁されるのです。クリエーターはみんな酒とカニに釣られて移動手段がなくなって、2日間ぐらいここに拘束されます。非常に楽しく中身のあるイベントで、実は金沢ではこういったイベントを1997年から催しています。ここに書ききれなかったのですが、本当にたくさんの方々が足を運んでくださっています。
 今日のゲストの皆さまも本当に素晴らしい方ばかりで、これだけの方が金沢に来てくれること自体がすごいことだと思っています。それがカニのせいなのか何のかは分かりませんけれども。こういう人たちが今まで金沢のクリエイティブの歴史を脈々とつくってきているのだろうと思っています。
 このイート金沢から派生した事業として、CVCKという事業があります。私はここに関わっていて、若者のこれからの起業やアイデアなどのお話を聞いたり、それに対してアドバイスをしたり、いろいろな教育プログラムを毎月幾つもやっています。こういったことを2012年から始めて、この2年間で7社スタートアップさせました。これは金沢に今までなかったようなムーブメントなので、これからもどんどんやっていきたいと思っています。
 創造都市金沢とはどんな町なのか。私は住んでちょうど3年半くらいたったのですが、この町は勉強になると思って引っ越してきたので、常日ごろどんな町なのだろうとずっと考えていました。簡単に言うと、金沢は創造と文化に非常に貪欲な町なのだなと思っています。やはり住んでいる以上、この背景に何があるのか気になりますから、いろいろな方々にお話を聞いていくと、先ほども名称が出ましたが、必ず行き当たるのが『百工比照』という言葉です。これは釈迦に説法なので私が説明することでもないのですが、全国からすごい人たちを呼んできて、その人たちに対して手厚い待遇をするわけです。これは全国で選抜試験をして、前田さんが面倒を見ていたそうです。それでもなぜ来るのだろうという話になると思うのですが、それは結局、希望があったからです。金沢という町はこういったことをずっとやってきておりまして、加賀藩は、現代風にいうとアーカイブとインキュベーションを江戸時代に既にやっていたのではないかと思います。今までも、この会議で何度も「21ラボ」について議論されてきたように、脈々と続いてきたこのような伝統の上での進化の形が「21ラボ」なのではないかと思っています。
 金沢というのは、人が都市と時代にうねりをつくってぐるぐると混ざって、独自の文化を創造しているように思います。そんな都市のデザインを革新的に、どや顔でやってきた町が金沢です。その歴史の上に今回の「21ラボ」が始まっていくと考えています。
 この「21ラボ」について、これから皆さんのご意見を伺いながら話を組み立てていきたいと思います。まずスプツニ子!さんにお伺いします。私は今日スプツニ子!さんに初めてお会いします。ついこの間、「情熱大陸」で拝見して、今日はテレビの人がいると思っている次第です。スプツニ子!さんが何をしていらっしゃる方なのか、「情熱大陸」を見た方は少しお分かりになると思いますが、ご本人の口からご説明していただくのが一番分かりやすいと思いますので、少しお話を伺いつつ、いろいろご意見を頂いていきたいと思います。

(スプツニ子!) 「21ラボ」の話と少しミックスしながら、スプツニ子!が何者なのか、何をやっているのかという話をしようと思います。まずスプツニ子!は本名なのかというところです。

(宮田) 本名ですよね。

(スプツニ子!) そういう疑惑がたまに出るのです。スプ・ツニ子!さんではないかという(笑)。これは単純に高校時代に友達に付けてもらったニックネームで、そのままアート活動をしたら、変えるに変えることもできずにそのままスプツニ子!できてしまったということです。

(宮田) 画数的にはどうなのですか。大丈夫なのですか。

(スプツニ子!) この間、姓名判断をしたのですけれども、画数的には全然良くなかったです。「!」をもう1個ぐらい足さないといけないと思うのですけれども。私はテクノロジーやサイエンスに関するアートをやっています。つい先月、マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボという研究所の助教(アシスタントプロフェッサー)に就任したばかりです。ただ、ボストンに行ったばかりで、すごく寒くて誰も知り合いがいなくて、食べ物がおいしくなくて、ホームシックになっていたところに、皆さんのおかげで金沢に。

(宮田) もう引っ越してきたらどうですか。

(スプツニ子!) どうしよう。このままカニを食べたら・・・。

(宮田) 何だったらここにMITをつくりますよ。

(スプツニ子!) 残ってしまいそうですね。すごくおいしそうで。今夜のご飯もすごくうれしいので、本当に皆さん、ありがとうございます。
 MITメディアラボがどういうところかという話を、「21ラボ」について話すときに説明しないといけないと思います。MITメディアラボは1985年に、私の生まれた年にできたMITの研究所で、学際的なところがすごくあります。いろいろな分野があって、主にコミュニケーションやテクノロジーの先端研究をしていて、最初にMITにできたときには難民キャンプと呼ばれていたぐらいで、建築や脳科学、コンピューターサイエンスなど、いろいろな分野のはみ出し者が集まってできたものがメディアラボなのです。
 そういうところもあって、メディアラボのポリシーがアンチ専門分野主義で、先ほどの「よそ者・若者・ばか者」というのをすごく価値があるもの、イノベーションを生むものとして重要視するところなので、私は「よそ者・若者・ばか者」の三連コンボみたいな感じで。

(宮田) 勝ちですね。

(スプツニ子!) 「君、採った!」みたいな形でスカウトされました。専門分野に固執することを危険と見なすというか、門外漢の視点がとても重要だ、門外漢の時代だという考え方があります。なので、メディアラボの建築自体もとても特徴的で、全部ガラス張りなので各研究グループがしている研究が丸見えなのです。他の教授がどんなことをしているか、他の学生がどんなことをしているかが全部見えるのです。
 見える分、ちょっとしたランチやお茶の休憩に「ねえ、君、そこは何をやっているの?」「そんな研究をやっているんだ。私のやっている研究とかぶるところがあるから、一緒にコラボレーションしよう」というように、コラボレーションが生まれるなど、先ほどから何十回も言われているオープンイノベーションが生まれます。MITメディアラボには、やはり何事もオープンにして、外の考え方を入れることでもっともっと発展していくというところがすごくあるのです。
 先ほども話をしていたとおり、金沢の文化や日本の文化とはこういうものであると、自分の頭で固く考えてしまうと進化しません。ですから「日本文化とは何ですか。金沢の文化とは何ですか」と外の人に問うてみる。そして外の人の意見を取り入れて、もっともっと進化させることが大事なのではないかと思います。オープンイノベーションですね。

(宮田) まさにオープンイノベーションですね。

(スプツニ子!) そこから私の作品の話に入るのですが、私自身も結構学際的なルートをたどってきていて、大学は数学とコンピューターサイエンスの勉強をして、両親も数学教授だったりして、すごく理系のところから入ったのです。そこからアーティストになるというルートをたどっています。なぜ理系からアートへ行ったかというと、テクノロジーで人間の生活の在り方、コミュニケーションの在り方ががんがん変わっているわけです。ソーシャルネットワーク、Twitterが出て、Facebookが出て、少し前まで電話だったり手紙だったりしたものが全く変わってしまっています。生活そのものが変わっているということで、ではどんなふうに変わるのかな、どんな未来が待っているのかなということをアートやデザインの力で描き出して、いろいろな人に「どう思いますか」と問い掛けてみたいという気持ちが生まれて、そういうアート作品を作りはじめたのです。
 この作品も「情熱大陸」で取り上げられたばかりの作品です。ご存じの方はどれぐらいいますか。半分ぐらいいますね。「ムーンウォーク☆マシン、セレナの一歩」といって、アメリカのテキサス州ヒューストンにあるNASAのジョンソン宇宙センターの研究者と一緒に作った作品です。
 1969年に初めてニール・アームストロング船長が月面に降り立ってから半世紀近くたっているのですが、たったの12人のマッチョな白人のアメリカ人男性しか月面に足跡を付けていないというのは、どうなのだろうと思いはじめたのです。冷戦の影響もあって、宇宙開発自体がすごく政治的な意図が強いところもあり、一部の白人のアメリカ人の男性しか月面に降り立っていないのです。
 月や宇宙というものはすごくオープンなものなのに、すごく限られた人のものになっているのです。だから、いつか女性の足跡が月面に付いたらどんなにいいかな。すぐに付いてほしいと思っているのですけれども、すぐにでも女性が月面に足跡を残せないのなら、月面探査機だけでも送り込んで、この探査機が月面を歩いているときにタイヤの部分に女の子の足跡の足形を付けて、探査機が動くと女の子の足跡が月面に残る探査機をデザインしましょうとNASAに言ったのです。

(宮田) NASAに言ったのですか。

(スプツニ子!) はい。NASAからいきなりメールが来たのです。

(宮田) すごいですね。

(スプツニ子!) 「スプツニ子!さん、テクノロジーでアートをやっているみたいですけれども、私たちと何かやりませんか」というメールが来て、「女の子の足跡を月面に付けたい」と言ったら、「それはちょっと面白そうですね。やってみよう」となって呼んでもらったのです。ただ、実際に月面にこのマシンを持っていくには数十億円のお金が掛かってしまうから、アイデアだけでも形にして、映像などを作ってメッセージを出していこうということで、プロトタイプのようなモデルをNASAと一緒に作ったのです。
 ですから、NASAのエンジニアの意見を取り入れたので、タイヤの部分も実際にキュリオシティという火星の探査機のタイヤのデザインをそのまま使い、ゴムのタイヤは月面では動かないので、みっちり作りました。次の映像がその探査機を作るセレナちゃんの物語です。時間がないので探査機シーンだけお見せします。

***ビデオ上映***

(スプツニ子!) 私自身が演じています。この映像の物語を少し説明すると、先ほどのルナ☆ガールというのが月面で戦うヒーローなのですが、セレナちゃんはルナ☆ガールになりたいと憧れて、ルナ☆ガールのようにかっこいいハイヒールの跡を月面に残すためのマシンを彼女の部屋で開発して、月面に飛ばすための実験を繰り返す。

(宮田) そういうストーリーだったのですね。

(スプツニ子!) 今ちょうど東京都現代美術館で「うさぎスマッシュ展」というのでも展示されています。私のスタイルとしては、こうやって科学者や研究者と一緒にコラボレーションして作品を作って、ミュージシャンなのでポップミュージックを書いて。

(宮田) これを歌っているのもスプツニ子!さんですか。

(スプツニ子!) 歌っているのも私です。ミュージックビデオにしてYouTubeに載せて、美術館だけではなくてYouTubeやTwitterなど、インターネットのメディアで作品を発信して、いろいろな人に見てもらって議論してもらうというスタイルなのです。だからYouTube動画も見やすい時間で4〜5分、ポップ音楽の方が最初から最後まで見るとか、結構インターネット上のコミュニケーションを考えながら作っているところがあります。
 マシンが出てくる前に次に行ってしまいました。

(宮田) マシンは後で出しましょう。

(スプツニ子!) すみません。マシンを見たかったら、YouTubeに行って「スプツニ子!」で検索できます。今のアートは美術館へ行かなくても見られるのです。

(宮田) 今日はできればルナ☆ガールの格好で来ていただきたかったです。

(スプツニ子!) そうですね。でも、多分、飛行機で止められたと思います。日本刀とかを持っていますから。
 MITメディアラボでも主張していて、彼らもすごく同意してくれているのが、「新しいメディアは人だ」と話しているのです。オープンイノベーションです。私も作品を作るときにNASAの研究者の意見を聞くだけではなく、Twitterを使って私の政策に関わる人を集めているのです。最近、美術館で先ほどの作品を展示したのですが、月面を再現するために2トン以上の砂が必要だったのです。電話で「砂、180袋お願いします」とオーダーしたのですが、その2トン以上の砂を美術館へ運び込むときに、1人の力では無理だと思ったのです。そこで、Twitterに行って、「明日、明後日、手伝ってくれる人、募集します」と言うと、大学生が20〜30人応募してきてくれて。

(宮田) 多分、僕だったら来ないと思います。

(スプツニ子!) 私も最初は来なくて、少しずつ増えていったのですが、集まって、車を出してくれる人が出してくれたり、いろいろアドバイスをもらったり、展示してというふうに、すごくソーシャルメディアを使っています。

(宮田) 使い切っていますね。

(スプツニ子!) はい、使いまくっています。制作して発信しております。
 次に、それに近いプロジェクトで、ADASHI HIPHOP PROJECTの話をします。これは私がラッパーの格好をして、そこに座っています。これは足立区が去年の冬に地域系のアートプロジェクトをやろうとしていて、「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」というイベントをしているのですが、15〜25歳の若い世代の集客があまり良くないという問題を抱えていたのです。「もっと足立の若い人たちが来たくなるアートイベントをやりたい。スプツニ子!さん、良いアイデアはありませんか」と来て、私もいろいろリサーチしたのです。足立区でどんなイベントをやっていたか、足立区の文化(カルチャー)を見ていて、すごい発見があったのです。足立区でアートイベントをやっているといっても、ジョン・ケージのコンサートとかで、15〜25歳はどちらかというとドン・キホーテとかに行ってしまうので、そのイベントには来ていませんでした。
 いろいろリサーチをしていると、足立区にはすごくリッチなヒップホップ、ラッパーの文化があるのを見つけたのです。私が外から「これがアートです。音楽です」と持ってくるよりは、足立区に住んでいるラッパーたち、アーティストと一緒にプロジェクトをつくりたいと足立区に言って、Twitterで足立区に住んでいるラッパーを集めました。「足立区に住んでいるラッパーを募集しています」みたいな。そうするとどんどん紹介してもらって、足立区のラッパーたちのボスは、足立区の有名な大江戸きんつばという和菓子屋さんの息子なのです。初めてのラッパー顔合わせが大江戸きんつばの工場の中だったのです。

(宮田) かっこいいですね。クールじゃないですか。

(スプツニ子!) クール足立です。「どうもスプツニ子!です。ロンドンから来たアーティストです」とあいさつすると、みんな本当に怖いのです。「おまえ、誰だ」みたいな。

(宮田) 来たのに「おまえ、誰だ」的な感じなのですか。

(スプツニ子!) ボスに呼ばれて来たみたいな人たちが、「何、こいつ」みたいな。「みんなと一緒にアートイベントをやりたいんだけど、どう?」という話をしました。私が提案したのが、足立の中を走るバスツアーをつくろうと。足立区にはいろいろな面白い見物があるのですが、それをバスの中から、バスガイドではなくてラッパーが「YAH! わがまちADACHI!」みたいに自分でラップで地元を案内する。そういう感じのバスツアーをつくろうと。

(宮田) 「おまえ、ふざけんな」と言われなかったのですか。

(スプツニ子!) 言われました。最初は言えなくて。でも、4カ月くらいでちょっとずつ仲良くなったのです。足立のラッパーと一緒にドライブとかに行って。一緒にドライブして「足立区のバスガイドとかやらない?」という話をして、ちょっとずつ仲良くなって、やっとやる気になってもらって、足立のバスツアーが完成したのです。

***ビデオ上映***

(スプツニ子!) 結構長い映像なのですが、例えばバスツアーのルートの一つが、首都高の高架下にできたスケート場だったのです。ラッパーたちは、そこは絶対に紹介したいと言っていたのですが、足立区役所は難色を示していました。そのスケート場はあってはいけないというか、存在しないことになっていたのです。つまり、足立区のラッパーたちが勝手にコンクリートを持ってきて、首都高の下に勝手にスケート場風の公園をつくってしまったのです。コンクリートで山とかを作って。ここには、誰かが急病になったり、おなかが痛くならなけないと止まれませんと言われて、毎回バスツアーではラッパーの誰かがおなかが痛くならないといけないという。
 こんな感じでラッパーたちが。バスの中もミラーボールでギラギラにしています。

(宮田) ラップで、はとバス的なことをやっていると。

(スプツニ子!) そうです。ラップで足立区を回ったのですけれども。

(宮田) そもそも誰に頼まれたのですか。

(スプツニ子!) 足立の「音まち千住の縁」の実行委員会の方からです。それで、バスツアーの最後にルートに足立区役所を入れて、みんなで「敬礼! ありがとう!」みたいな感じで。

(宮田) 問題に対してこういうソリューションを提供したということですね。

(スプツニ子!) でもすごく大成功して、東京新聞やJ-WAVEなど、いろいろなメディアに取り上げられて。足立区の地元の若い人たちもばっと集まって。何と大好評で、今年、2回目のADASHI HIPHOP PROJECT RETURNS!を来週やります。

(宮田) やはりアーティストの方にこういう問題を相談すると、奇想天外なものが出てくるから面白いですよね。

(スプツニ子!) 最後にメディアラボで何をやっているかご説明します。デザインセクションズという研究グループを立ち上げました。MITメディアラボではいろいろなテクノロジーのイノベーションが生まれているけれども、それは必ずイマジネーションから生まれているのです。例えば日本のテクノロジーも、鉄腕アトムだったりドラえもんだったり攻殻機動隊などのフィクションのイマジネーションから日本のロボット技術やテクノロジーにフィードバックするシステムがあるから、MITにももっとイマジネーションが必要だということで、私が先月からMITのイマジネーション係という感じで入りました。以上、スプツニ子!の紹介です。

(宮田) ありがとうございます(拍手)。面白いですね。ラップで足立区の紹介というのは僕の頭の中には全くなかったので、すごいなと思います。ラップはうまくなったのですか。

(スプツニ子!) 披露しました。

(宮田) では後でぜひお願いします。

(孫) ものすごい振りですね。すごくやりにくいのですけれども。

(宮田) やっぱりイノベーションですよ。泰蔵さんとはもうだいぶ長いお付き合いになるのですが、今ちょうどMOVIDA JAPANでいろいろやられています。今日も泰蔵さんと林さんは京都からいらっしゃったのですよね。京都で大きなベンチャーの。

(林) ベンチャーのカンファレンスで次が20回目ぐらいです。GREEやmixiなど、孫さんも含め、そうそうたるIT系の社長、経営者の方が来るというイベントです。1000人ぐらいいらっしゃっていますね。

(宮田) ベンチャームーブメントと言っていいのかどうか分かりませんが、その先駆けは泰蔵さんだと思っているのです。そういうことにしておいてください。でも、実際、そうだと思います。やはり泰蔵さんがいろいろ活動されてから、日本のスタートアップ企業とかが目立ってきたと思うのです。それで今はもう、いろいろなメディアに泰蔵さん自身も取り上げられたりしています。ただ、ベンチャーのスタートアップといっても、やはり分からないところもあると思うので、実際に泰蔵さんが何を支援して何をしようとしているのかというお話を伺えればと思います。

(孫) では、簡単に私の自己紹介と、やっていること、それから何を目指しているかといったことをお話ししたいと思います。
(以下スライド併用)
 これは「ニューズウィーク」という雑誌に取り上げていただいたときで、1996年です。私は東京大学の経済学部に行っていたのですが、みんなが就職活動をしているとき、就職超氷河期といわれた時代で、自分もどうしようかなともんもんとしていました。
 私の兄はソフトバンクをやっている孫正義という人間なのですが、うちの父も戦後の混沌とした時代から裸一貫でやってきた人間で、父や兄を見ていて、起業家や経営者は絶対にならないと思っていました。あんなに血のにじむような思いをしてやるのは俺には無理だと思っていたのです。
 ちょうど1996年という年は、IT業界にとっては非常に重要な歴史上の年で、実は日本でインターネットが商用化された年なのです。大学にも当時ダイアルアップの56kbitのパソコンでつないでという原始的なインターネットがやっと入って、Eメールというのを使ってみたというような時代でした。
 そんなときに、私の人生がある一つの出会いによってがらりと変わり、自分も起業しようと思いました。それはジェリー・ヤンというYahoo!の創業者です。彼女は当時スタンフォード大学のコンピューター学科の院生でした。
 彼らがもともと大学の自由研究でYahoo!の原型をつくりました。当時は大学のサーバーを借りていました。まだ会社をつくっていないのでYahoo!という名前もなくて、ドメインがstanford.eduなのですが、その前にウェブサーバーとデータベースサーバーという二つのサーバーを立てていたのです。その名前がakebono.stanford.eduとkonishiki.stanford.eduというので、たまたま相撲ファンだったのです。akebonoとkonishikiというサーバーを立ててやっていたら、当時はまだ検索エンジンは初めてに近い時代だったのですが、これはめちゃくちゃ便利だということで、あるときスタンフォードの回線が全部パンクしてしまいました。「何事だ!」とシステムを見ていらっしゃる先生が調べてみると、全米からakebonoにトラフィックが集中していて、「akebonoというのは何だ」ということで呼び出されて、「出しなさい。他の人が使えなくて困る」と言われたのです。
 ジェリーさんはたまたまキャンパスの道を挟んで向かい側に住んでいて、一応、パソコンだけはサーバーを家に移したのですが、回線を引っ張るお金がなかったらしいのです。というのも、当時1.5メガの専用線が月100万円以上した時代ですから、そんなお金は貧乏学生にはありません。彼らは、大学から500mくらい、ケーブルをずっと家まで引き込んでしれっとやっていたらしいのですが、すぐにばれてぶちっとちぎられました。
 自由研究なので、普通はそこでやめるのですが、当時彼らは「人類のためにこれはやらなければいけない」と言っていたのです。「人類のためにとはえらい大げさですね」と当時の僕が言ったら、「これからインターネットには世界中の知識や知恵や英知が集まる。だけどその情報を欲している人の前にぱっと出てこなければ存在しないのと同じだ。ニュートンの前でリンゴを落とすような仕事を僕らはしているのだ。だから人類のためにやらなくてはいけないのだ」ということで、会社を起こそうと決めて、Yahoo!をつくったのです。
 Yahoo!JAPANをつくるという話があって、日本語のサービスができたらすごくいいなと。僕は当時暇だったし、就職活動も全然うまくできなくてもんもんとしていたので、ぜひバイトで手伝いたいということで、頼まれてもいないのに、もし日本語版ができるのなら、こんなサービスや機能があったらいいと思いますとプレゼンをしていたら、「いいね、じゃあ、よろしく!」と丸投げされたのです。その後「ところで契約しないといけないのだけれど」と言われて、「契約ですか。サークルでいいですか」と言うと「サークルでは駄目だよ。会社をつくれば」と言われてつくったのが、私の起業のきっかけなのです。
 それ以来、Yahoo!JAPANの立ち上げを手伝いまして、実際にソフトバンクの中にYahoo!準備室ができて、ヒマラヤの登頂キャンプのように、そこにテントを20個ぐらい立てて、そこに4カ月間住み込んで1回も家に帰れず、24時間ぶっ続けで400人ぐらいの学生がどっと来てむちゃくちゃ作るというような感じで始めました。その下に「?」がひっくり返ったようなロゴがありますが、それは僕がついでに作ったindigoというロゴで、友達と一緒に始めた会社のものです。
 それからずっとロゴがたくさん並んでいますが、これは僕がゼロから作ったか、何らかの形で創業メンバーの1人として深く関わった会社たちです。ですから、16〜17年くらい一貫してベンチャーの立ち上げなどをやってきた人間です。
 ここに書いてあるものは、それなりに時代ごとに存在意義があり、もちろん今も続いている会社もいっぱいあるのですが、この背後には、この倍以上の大失敗例があります。ロゴを見ただけでトラウマになっているようなものとか、「その名前は言わないで!」みたいな失敗事例もたくさんあります。でも、私にとってはそれも含めて勲章といいますか、失敗事例の中からものすごく学べましたし、幾つかだけは成功したのですが、その成功にもつながっているとすごく感じるのです。
 ですから、どんどんトライさせるべきです。「失敗しても構わないからどんどん行け。死にはせん」という環境を若い人たちにつくることがすごく大事だと思うのです。
 少しだけ簡単に成功事例ということで言うと、最近、ガンホー・オンライン・エンターテイメントというゲーム会社があるのですが、パズル&ドラゴンズというアプリが今2300万ダウンロードいっています。世界のスマートフォンアプリは、今100万本以上あるのですが、その中で、Googleの中では世界1位になりました。アップルでも3位です。
 つい先日、スーパーセルというフィンランドの会社に投資しました。といいますか、私のところのガンホーとソフトバンクと共同で、1500億円で買収したのです。彼らはフィンランドのスタートアップ企業で、創業は2011年、2年の企業に私らは1500億円出しました。51%の株式なので、会社の価値で言うと3000億円です。
 実際にそんな大金を出して大丈夫かとよく言われるのですが、今年末の彼らの1年間の利益が800億円ぐらいです。3000億円でも3年で回収できそうなのです。たった2年で、社員数は130人ぐらいです。国籍が52カ国という世界の縮図のような多国籍のチームがフィンランドのヘルシンキにあるのです。この間フィンランドに行ってきたのですが、人口が500万人しかいないのです。先日ベンチャーのイベントがあって、最初のオープニングの基調講演にはフィンランドの首相が出てきて、「これからスタートアップ、起業をこれからどんどんやります。ここでいきなり発表ですが、来年から法人税を20%にします」というようなことがあって、すごいなと。すごく若くてイケメンだったのですが、今お幾つかと聞くと首相は42歳とおっしゃっていました。スピーチが終わった後、次のセッションで彼がモデレーター(司会)になって、ロシアの副大統領とエストニアの大統領が来て、電子政府について3年以内に全部電子化するという話をされていて、すごいなと。
 500万人の人口でも、ノキアもフィンランドですし、スーパーセルもそうですし、アングリーバードという非常に人気のキャラクターがいるのですが、それもフィンランドです。とにかく最新のITベンチャーが続々と生まれています。人口が多い大国でなければそうなれないということは全くないのです。寒さでいうと金沢の比じゃないぐらい寒くて、氷点下2度でしたが、「今日は例外的に暖かいわ」と半袖の人がいて、おかしいなという感じでしたが、それくらい熱く盛り上がっていました。
 そのときに、ちょうど金沢に今度来るからというのもあったのですが、金沢と気候もとても似ているし、フィンランドの人たちは靴を脱ぐのです。会社に入るのに靴を脱いで上がっていて、靴を脱いでくださいと言われて靴を脱いで上がるということもありました。冬が長い分、集中して良いものができると言っていたり、家具やライフスタイルにものすごく情熱を注いでいて、衣食住に対してとても関心があったり、福祉や教育は全て無料なのです。その代わり消費税は25%ぐらいします。しかし、それは皆さんが納得して払っていらして、全員大学まで行っているので、全員英語がペラペラです。フィンランド語は全く英語と関係ないのですが、教育水準が非常に高くて国際的で、ビザもどんどん発行して優秀なタレントを集めるといったことをやっていたのです。
 僕はとても勇気付けられたというか、日本の地方都市でもこういうモデルを参考にすれば全然いけるのだなということを感じました。
 僕はずっとそういう感じで起業してきた人間で、今、41歳になりました。「四十にして不惑」という言葉がありますが、去年、俺もついに不惑かと大きなショックを受けて、惑ってばかりでどうしようかなと。2〜3年前に遅れてきた思春期のようなものがもう一回来て、「何をして生きていくべきか」ということで、またもんもんとしはじめました。もちろん、いろいろ事業をしていく、新しいものをつくり出すのはすごく好きなので、やっていこうとは思うのですが、やはり自分が寝ないでも現場でばりばりやれるというのは、マックス60歳ぐらいまでかなと。そうすると20年だから、20年でできる最もクリエイティブで、自分がこれまで培ってきたノウハウを生かせて、なおかつ自分が死ぬときに、少しは社会のためになれたのかなと思えることは何だろうと考えたときに、僕自身もいろいろな尊敬する先輩方からいろいろな薫陶を受けて今があるのです。たまたま僕は兄も含めて恵まれた環境にあって、世界中の起業家とか、いろいろな方にお話を聞けたので、そういうものを後輩たち、若い世代の子たちとシェアしていかないといけないと思い、スタートアップのインキュベーション(支援)活動を始めました。それがMOVIDAという会社です。

 毎週火曜日に起業家たちの卵を集めて、先輩起業家たちや弁護士の先生など、いろいろな方々にどうやって起業したらいいのかというノウハウなどを、赤裸々にオフレコで語っていただく場をつくっています。宮田さんにも講演や講義をしていただいているのですが、彼らは誰でも来られるわけではなくて、私たちが選抜した本気でやろうとしている若い子だけと決めています。もちろん無料なのですが、その上に54週、毎週ご飯を食べさせています。彼らはお金がないので、みんなこれが楽しみで来るのです。まさに支援というか、餌付けをしているという感じです。
 そういう感じで6カ月間のプログラムでやって、投資家の皆さんを集めて、デモデーというものを催しています。先日もちょうどやったところで、私は見ていないのですが、たまたま昨日の「ワールドビジネスサテライト」でそれを放送していただきました。投資家たちの前で彼らが10分ずつプレゼンをして、昔のスター誕生ではありませんけれども、「投資したい」という札が上がるという感じです。それで投資家と企業家をマッチさせて、資金調達を手伝って送り出すということを6カ月単位でやっています。
 こういうプロセスにして、とにかく数をたくさん生みたい。やはりたくさんの数が出てきて裾野が広がれば広がるほど、より素晴らしいスタートアップが生まれるだろう。それをプログラム化しなければ駄目だということで、6カ月間のプログラムにしています。しかも私たちの特徴は、ホット・ストーブ・リーグと呼んでいます。野球やサッカーにはオフシーズンのトレードがあります。あれのことをメジャーリーグとかではホット・ストーブ・リーグというのです。
 デモデーをやってお金を調達できると、そのままいけるのですが、残念ながらみんながみんな資金調達できるわけもありません。そうするとお金がなくなったので終了ということになるのですが、そこで彼らは普通なら路頭に迷うのですが、資金調達に成功したら、彼らは優秀な人をどんどん採用して前に進んでいかないといけません。そこでなかなか人材がいないと。残念ながら資金調達はできなかったとしても、人材として見るとものすごく優秀な子たちなのです。新卒採用だったらトップで採用されるような起業家精神を持った若い子たちなのです。ですから「君たちはあっちへ行きなさい」「僕はぜひ彼が欲しいのです」というのをコーディネートすることで、失敗しても落ち込む暇もないぐらい、次にどこかにジョインできるというようにセーフティネットをつくっています。
 こうやってセーフティネットをつくると、失敗しても事実上何のリスクもないのです。しかも失敗しても社員番号1桁で有望なベンチャーに入れば、将来そこがわーっといけばストックオプションなども期待できます。このようにみんながチャレンジしやすい環境、セーフティネットをつくれれば、みんなどんどんやってくれるのではないかということで、こういう仕組みをつくっています。今はちょうど第5期目をやっています。やはり期を重ねるごとにクオリティが上がっていて、数も増えています。今回も150ぐらい応募があって20社採択したのですが、質も量も非常に上がってきました。

 いろいろロゴがありますが、彼らが私たちの卒業生です。200チームぐらいわれわれのスクールに来ていただいて、その中から32社ぐらいには500万円ずつお金を出します。500万円というのは、6カ月間バイトをしなくても自分たちで食っていける生活費です。その6カ月の間に頑張って作って、投資家に見せられるところまで持っていって、何千万円から何億円調達して、どんどん飛び出していけということです。
 500万円と決めています。私たちは事業計画は見ません。人物と、つくろうとしているアイデアのプロトタイプというか、こんなものをやりたいという具体的な絵なり物なりを持ってこい、1人ではなく必ず2人以上のチームにしなさい、それで持ってきて良ければその場で「採用!」と言ってお金をばっと出してあげて、「会社をつくれ」と言って、われわれが10%分の株式を持って、それで5000万円の企業価値と見立てて出発させるということをやっています。
 今、その中で5社が資金調達に成功して、デモデーではなくて次の3億円の資金調達をできた、まだ25歳ぐらいの社長の会社もあり、既に黒字化してすごく伸びていて、グローバルに行くというステージまで来ている子たちまで出てきています。

 今日も京都大学で若い学生たちに話をした後にここに来たのですが、私はこういうメッセージを送っています。「バンドを組むようにスタートアップしようぜ」と。今はITの世界ではサーバーも買わなくてよくて、場所もいろいろ支援してくださる人たちがいるので、オフィスも自分たちで構えなくても、どこでも仕事ができるのです。だから人件費プラスアルファぐらいしか要らないのです。自分の人件費ぐらいなら何とか食っていけるよねということです。
 バンドはギターとベースとドラムとボーカルがいれば「やってみるか」と言って、「どうせやるならオリジナルでやろうぜ」という感じでやりはじめます。これはローリングストーンズですが、イギリスの若者がアンプに差してがーんと音を鳴らしたら、「かっこいい」となって世界を席巻したということがあったわけです。
 今だったら、プログラマーとデザイナーとグロースハッカーというユーザーを獲得するプロモーション担当など、4人ぐらい集まればアプリが作れるのです。アプリを作ってボタンを押せばそのまま世界に配信できるのです。それがうまくいくと、どーんとユーザーが来ます。私どものパズドラもまさにそうで、スーパーセルもそうです。別にアメリカにいなくても、シリコンバレーにいなくても、世界を席巻するようなものを作れる時代が来たのだから、バンドをやるぐらいの気軽さでどんどんチャレンジしようぜということを申し上げていま
 この辺で終わりにしますが、この数字をぜひ皆さんにお見せしたいと思います。0.2%が21%というのはアメリカのベンチャーの統計で、年間GDPに対して0.2%分の投資が、GDPの21%分の価値を生み出しているという統計があるそうです。雇用で言うと11%分を、スタートアップの投資家がわずか数年の間で生み出しているのです。ITは中抜きをするので雇用が減るとおっしゃる方もいるのですが、全然そんなことはなくて、やはりスタートアップがいることで新しい産業が生み出され、雇用が生み出されています。本当に地方と大都市というような格差が全くないわけです。今でもスプツニ子!さんのビデオをここで見られるわけです。本当に東京にいる必要があるのかと。
 IT業界も、日本では東京にほとんど本社が集中しているのです。なぜ集中しているのかというと、ただの惰性です。何となくそこでずっとやっているからです。金沢にいても全く仕事に差し障りはないのです。リアルなところで言うと、もし私がこれから金沢に提案して、新しく優秀な金沢出身ではない起業家たちを東京から連れてこようと思うのであれば、世界最高峰の小学校・幼稚園をどこかから招致してでもつくることです。大体ベンチャーでばりばりやっている人たちには子どもができはじめていて、子どもに良い学校というとやはり東京が良いということで、奥さんたちが東京じゃないといけないと言うのです。実は父親は、東京は嫌だと思っていることもあるので、そういう初等教育の非常に素晴らしいものをここに誘致すると、そういう人たちがぞろっと来られる可能性は十分あると思います。地方にはそういうクオリティの高い初等教育があまりないのです。
 それは一つの例で余談ですが、そういうことをやっていけば、必ずや金沢などはもともと歴史的・文化的な厚み、ものづくりの精神文化みたいな素晴らしいものがありますから、そういった意味では、スタートアップがどんどん生まれる生態系をつくることができるのではないかと思います。本当はもっとあったのですが、いったんここで。

(宮田) どうもありがとうございます。本当にこういうベンチャーを日ごろからやられている泰蔵さんならではの貴重なご意見だったと思います。ありがとうございます(拍手)。
 最後に、信行さんにちょっとお話を頂きたいと思います。今いろいろなお話が出てきましたが、リクエストしたように、信行さんの立場から見た、今の泰蔵さんのお話やスプツニ子!さんの海外でのご活躍、あとは何度も金沢に来ていただいているので、そういう視点から少しお話しいただきたいと思います。

(林) 私はいつも人のやっていることとずれていて、自己紹介などは用意していなくて、でも何度か金沢に伺っているので、職業のところにITジャーナリストと書いてありますけれども、ITというより「イットジャーナリスト」と呼んでいただいた方がいいぐらいで、恐らく世界で一番アナログなITジャーナリストです。
 記事を書いたり、テレビにも出たりもするのですが、最近、テレビ関係で言うとCNNさんの取材を受けました。スティーブ・ジョブズはすごく日本が好きだったというものです。ジョブズがどういったところを訪問したのかいうインタビューを受けて話をしました。それ以外ですと、今、伊藤忠ファッションシステムのifs未来研究所というところで、前回の会議にも来た川島蓉子さんが所長になっていて、そこで今日の延長線上にある、実感が持てる未来を考えていこうという活動をやっています。私以外には、パリに住んでいる建築家の方やSOMARTAというファッションデザイナーの人が2人いたりする中で、私はテクノロジーなどではなく、未来を創るに当たってどういう価値を守っていかなければいけないのかということをテーマにして、全国を回ったりしています。
 宮田さんからも「21ラボ」の話があったのですが、その延長線上にということで、私なりに「21ラボ」がどのようになるといいかを考えたので、ここから先でお話しさせていただければと思います。

 冒頭で福光さんが「加賀ナイズ」という言葉を使っていて、それに非常にはまってしまったので、「21ラボ」が加賀ナイズのラボになるといいのではないかと思っています。
 僕は今日、早めの電車で京都から金沢に来たのですが、金沢はよく小京都と呼ばれたりして、京都と比較されることがあると思うのですが、大きな違いがあります。京都は何もしなくてもスティーブ・ジョブズも来るし、何もしなくても結構いけてしまうところがあります。それに対して、金沢はちょっと頑張らないと、世界に対してアピールできないというところがあると思います。最近、海外の旅行者ランキングなどでも実は上位だと知ってはいるのですが、金沢と同じような悩みを持っている都市は結構全国にあるような気がしています。金沢はちょっと努力をしなければいけない都市の中ではむしろトップにあって、金沢が手本を示せば、全国の都市がそれを手本として先に進めるのではないかと考えました。「21ラボ」を加賀ナイズすると言いましたが、全国で和の文化などを現代でうまくやっていくためにはどのようにすればうまくいくのかという手本を示してあげれば、日本中の地域が活性化されるのではないかと思いました。

 それをこれから少しずつ話していきます。金沢の魅力というと、ここにいる登壇者はみんな食に惹かれて来ているところもあれば、工芸の素晴らしさもあれば、町並みの素晴らしさもある。それから毎回来て思うことは、何といっても人が素晴らしい。素晴らしい人材という点では、金沢の人たちが素晴らしいというのもあれば、素晴らしいよそ者が集まってくる町でもあるのではないかと思っています。それからやはり歴史です。こういった魅力は確かに金沢の魅力でもあるのですが、そもそも日本の魅力でもあるのかなと思っています。スケールは金沢ほどすごくはないにしても、ある程度の歴史を持っている日本の都市であれば同じような魅力を持っているのではないかと思います。マグニチュードが違うだけで、全国の都市は同じような魅力を持っている部分があるのではないかと思います。
 だからこそ最先端にある金沢が全国に手本を示さなければいけないのだと思います。その手本を考え、研究し、開発していくのが「21ラボ」の役目なのではないかと思っています。

 金沢の五つ挙げた魅力を振り返っていきます。まず食文化です。食文化と一言で言っても、ただ食べ物がおいしいということが食文化であるわけではなく、そもそも、この時期ですとカニですとか、今日この会議でも何度も話題に上がっている和食が無形文化財になったという話がありますが、すごくうれしくて、誇らしくてすぐにツイートしたのです。そうすると僕はTwitterのフォロワーだけはなぜかばかみたいに多くて、21万人近くいるのですが、9割近くの人たちが「素晴らしい」と盛り上がっていく中で、必ず何割かはネガティブな反応を返してくれる人がいます。たまにどうしようもないネガティブもあるのですが、今日、ネガティブな反応を返してくれた人は非常に深いことを言ってくれました。「これで日本の食材がどうなってしまうのだろう」ということを言っていて、多分、今や世界中が日本食ブームなので、和食を作るための食材を世界中の人たちが乱獲などをしてますます確保が難しくなるのではないかというディスカッションがTwitter上でありました。
 そういう意味で言うと、食材ももちろん大事なのですが、一方で日本食が無形文化財であるということの価値を、食材寄りからやや技寄りにしていかないと駄目なのではないかと思っているのです。それで技という部分を強調して真ん中に置かせてもらいました。食べる作法も、やはり食文化の一つだと思います。
 この三つのキーワードの周りには、食材をどのように流通、保管、管理、調理、販売するかといったところも全部くっついてきています。先日、北九州で食材加工文化の展覧会があって、すごく見たかったのですが、そういったところも和食の重要な文化です。金沢も駅を挟んで大きな二つの市場があって、そういうところでずっと培われてきた食の展示販売方法から保管の方法から、いろいろな文化があると思うのです。そういったところも全て文化の重要な要素ですし、食べに行く場所にしてみると、食材をどうやって選定しているのかという目利きの部分、食事所の中でどのように保管するのかもすごい技などがあると思いますし、調理の仕方、盛り付けの仕方、配膳の仕方なども非常に重要だと思います。
 今や、お箸と一緒にフォークとナイフも渡される時代なので、そういった時代にどのように食の作法を考えていけばいいのかということもあると思います。また、日本の和食の文化をさらに広げていくためには、食を評価する、ただおいしかったと言ってしまうとそれでおしまいなので、日本語には食事がおいしかったということを言うためのもっと繊細な、デリケートな表現が、他のどの国にも負けないぐらいたくさんあるような気がしていて、そこの部分をもっと研究して掘り下げていくこともできるのではないかと思っています。
 前回はちょっと違ったコンテクストで紹介しましたが、miilというiPhoneのアプリがあります。僕の友達が食べたものが出ています。食べるものを写真で撮るということすら日本の文化で、今や日本製のデジカメには食べ物を撮るモードがあるくらいに、日本には食事を写真に撮り、おいしいものを食べていることを周りに広めようという文化があります。
 Nearbyというところをタップすると、今われわれがいるクラウンプラザの近く、ここから340mのところではこういったものを食べている人がいます。せっかくなのですてきなものを選ぶと、297mのところにあるPonz(ポンズ)というところでは、他にどういった方がどういったものを食べているかを振り返ることができます。前回はこういった形で、ぜひ金沢のおいしい食事処を発見してもらうというコンテクストで紹介しました。
 前回は紹介できなかった内容でいうと、miilは、もともとは飲食店を見つけてもらうために作られたアプリなのですが、そのうち自宅の食事も紹介したいという人たちが出てきて、自宅というタグが出てきたのです。それによって、自分の家でいかにきれいに盛り付けて自宅の食事をいかに人にきれいに見せるかということになったのです。これはあまり良い例ではないのですが、一部の人はアーティストのようにすごくきれいに自宅の食事を撮って見せるという文化が生まれてきました。こういったところも、もしかすると「21ラボ」の研究のテーマとしてあるのではないかと思ってmiilの話をしました。
 金沢の魅力の話に戻ります。このスライドを作るときに、工芸は食などの生活の一部に組み込んだ方がいいのではないかと悩んだのですが、あえて独立させて入れました。非常に大きい美術館などに伺って、素晴らしい工芸品がたくさんあることは存じています。「ひらくる」をご存じの方はどれくらいいらっしゃいますか。これは素晴らしいしょうゆ皿で、しょうゆを差すとぱっと桜の花が咲くお皿です。九谷焼でこういう新しいモダンなものを作ることもできるでしょうし、あるいは伝統を守っていく。この伝統とモダンをミックスしていく中で、九谷焼や大樋焼の本質とは何かというか、輪郭がはっきりとしてくるのです。その中で現代の生活に生きる工芸を探ることができ、それも「21ラボ」の役割の一つではないかと思います。
 もう一つ、先日SEEDS Conferenceという、もともとTEDxだったカンファレンスが東京でありました。そこで出会った京都の和傘屋さんです。京都で和傘を作っているところは今や1社だけだそうです。この日吉屋というお店に西堀さんという方が入られました。彼はお婿さんで入って日吉屋を引き継いだのですが、もともと伝統的な和傘にぱっとモダンなイラストが入ったのです。これが第1フェーズでした。和紙で作った傘は開いたり閉じたりするのですが、この動きの部分をどうにかできないか。あるいは和傘の本質は紙を透き通ってくる光が非常にきれいだということなので、これを何か生かせないかとずっと考えていて出来上がったのが古都里です。これはランプシェードです。紙を透き通ってくる光のきれいさを強調しつつも、和傘の折り畳めるという面白い要素を取り入れたランプシェードなのです。
 これを提案してヨーロッパで発表したところ、大人気になって、それこそミラノサローネなどでデビューしたのです。こういったこともできるのではないでしょうか。よそ者をどんどん取り入れていって、金沢の伝統と掛け合わせてみると、そこからあらためて伝統の本質や輪郭が見えて、現代の生活の中で生きる工芸品が作れるのではないかと思っています。
 先ほど挙げた五つの三つ目、町並みというところにいきます。今日の冒頭の地震や耐震などのセクションで、町家なども今、改悪というか、あまり美しくない形にしなければいけないと勉強したばかりなのですが、安全でありつつも、住みやすさも大事で、現代の人にとってあまりにも不便で寒い昔の町家には誰も住まないでしょう。そこで、現代人が納得できる基本要件を満たしつつ、さらに伝統的な美しさを備えているということも「21ラボ」の研究テーマとしてあるでしょう。あるいは他の歴史的なずっと残っている町家になじむ町家を新たにつくることもできるのではないかと思っています。
 先ほどの二つ目のセッションでもありましたが、美しい町並みを応援するための法律に対してどういった提案ができるかも、この金沢でディスカッションができれば、実際の町家などを通して説得力ある提案ができると思います。
 あと、これは今日、金沢へ向かってくる途中で思ったのですが、新幹線が2015年に来ますが、新幹線で金沢駅に着く5分くらい前に、「ここへちょっと行ってみたい」というところが見えると、日帰りせずにもう1泊してそこへ行ってみたいという思いがすごく高ぶるのではないかと思って、そういった町に誘い込むデザイン、それも新幹線や今日乗ってきたサンダーバードの車窓から見える、そこへ行きたくなる町並みをつくるということも、研究テーマの一つとしてあるのではないかと思います。
 もう一つ、林業などの再生の取り組みにもつながるでしょうし、水野さんもお話ししていらっしゃったスマートモビリティにもつながってくるのではないかと思います。今、モーターショーへ行くとパーソナルビークルが非常に増えています。検索してみるとたくさん出てくるのですが、まだまだ法整備が追い付いていなくて、どのように扱うか結構迷っているところがあります。
 パーソナルビークルやスマートモビリティ系のソリューションが金沢と非常にマッチしているなと思うのが、ほとんどの人たちは、新幹線で金沢駅に来ても、金沢駅から21世紀美術館、あるいは鈴木大拙館や兼六園までは少し遠いので、しょうがないから駅近だけで終わらせてしまおうという人が多いと思うのです。特に電気自動車系のパーソナルビークルは距離があまり出せないので、シェアード自動車のような形で展開するところが多いのです。そういう意味で言うと、町並みになじむ車をデザインすることで、金沢の美しさを応援する追い風になるのではないかと思ったりもします。
 人というところでは、都市の中での人材をもっと流動的にしていって、金沢で会社勤めをしている方は、そういった組織の一員である前に、金沢という町の一員として何か役割を果たさなければいけないということを心構えとして持ってもらって、そういった町の素晴らしい人材の人事部を「21ラボ」の中につくると、こことここがくっつけばもっと素晴らしいことができるということで、「21ラボ」に相談すれば素晴らしい人をつないでくれるという役割もできるのではないかと思います。
 金沢は中の人材だけではなく、食べ物で釣ればEvernoteの会長でもやって来るように、食べ物を餌に世界中のよそ者を引っ張ってこられるところもあるので、そういった外部の逸材がフェローとして集まってくると、「21ラボ」に行くと取りあえず普段の仕事もできる、居心地が良いのでついつい居過ぎてしまうというようなサロンになればいいのではないかと思っています。
 「21ラボ」が人の部分に関してできることは、他の都市が金沢を手本とし、取りあえず金沢のまねをしたいといって人が来ると、「21ラボ」を通して素晴らしい逸材が見つかるというような役割もできたらいいのではないかと思います。

 実は素晴らしい人がたくさんいるのです。駅の反対側の市場へ行くと、市場にいらっしゃる方々のほとんどは、競りなどが終わった後に伝票を手書きで記入するのに5〜6時間かけて、ワークライフバランスのライフが一切ない日々を過ごしています。マルトモ製菓は一度東京に出てIT系の企業に勤めていた方が戻ってきて、こんなことで1日5時間を無駄に費やすのは許せないということで、iPadを使えばその場で伝票の入力ができてしまうと、5時間かかっていたものを1時間に短縮できるような素晴らしい人材がUターン組でたくさんいます。こういったことをつないでいくと、アイデアも爆発するのではないかと思っています。
 スペイン語のイストリアは歴史のことも指しますが、物語のことも指します。禅を西洋に広めた鈴木大拙がどういうことをやってきたかというストーリーを伝えるアプローチもあるでしょうけれども、それと同時に僕がやりたいと思っているのは、金沢は非常に魅力的な食事処がたくさんあるのですが、それをあえて発信しないという手があるのではないかと思います。コンシェルジュとか、宮田さんや福光さんといった町の名士に聞いて、「あそこは実はこういった面白い店があってね」と教えてあげると、それ自体がすごく高い価値を生むのではないかと思うのです。そういったものをデータベースとしては作るのですが、それを外部の人には見せず、外部の人に見せる場合にはあえて高い値付けをして、その値段でも買うという人には見せてあげるけれども、そうではない場合はホテルのコンシェルジュや案内人しか見られないようにすると、町の人たちと友達になろうというモチベーションが働くのではないかと思っています。
 2020年と2015年という二つの年号がやたらと出てきましたが、僕はこの2015年を非常に近々の目標としてやっていきたいと思っています。北陸新幹線もあればユネスコ創造都市会議もあるのですが、実はこの年にもう一つイベントがあります。金沢のイベントではないのですが、僕が毎年行っているミラノでは、ミラノサローネだけではなく、この年はミラノ万博が開催されるのです。しかもミラノ万博のテーマが「Feeding the Planet(世界中を食わせる)」なのです。これはただ食べ物を食べさせるだけではないのですが、金沢の食文化を通して、もっと食文化を豊かにしようというアイデアを世界中にフィードすることもできれば、あるいはそれ以外の文化もミラノエキスポを通して宣伝できるのではないでしょうか。
 僕の友達で、ミラノにマルコ・マサラット(Marco Massarotto)といういつも泊めてもらう親友がいるのですが、彼は酒道という活動をやっています。今、イタリアで酒を頼むと大抵日本酒は1種類しか出てきません。そうではなく、日本酒の銘柄を選べるようにして、ぜひイタリアの料理ともマリアージュを楽しめるような文化をイタリアで育てたいという活動をやっています。彼はミラノ市と交渉して、ミラノ万博で日本の酒や食事、伝統工芸を伝えるブースをやりたいと言っているのです。それをぜひうまく金沢とも組んでできないかと。この間泊めてもらうときに福光屋のお酒を持っていったら、非常に喜んで、Facebookにも投稿したぐらいなので、ぜひ一回引き合わせをしたいと思ったりしています。
 「クール・カナザワ」は今日のテーマですが、これまでの「クール・ジャパン」はかわいいとかアニメとか、そっちの方が中心でした。それはそれで素晴らしいのですが、やはり金沢の魅力は、僕もまさに先ほど話があった北欧に近いと思います。北欧のデザインなども非常に大人なデザインで、「クール・カナザワ」にもやや大人な日本の魅力を伝えてほしなと思っています。それを研究するのが「21ラボ」であればいいなと思います。日本の大人なクールな良さを全国、そして世界へ伝えるラボになったらいいなと考えています。

(宮田) どうもありがとうございます(拍手)。本当にいろいろな大変刺激になるご意見を頂けてありがたいと思います。この後、いろいろ議論しようと思っていたのですが、だいぶいろいろなご意見を頂きました。先ほどの「簡単に教えない」というのもなかなか面白いですよね。

(林) それをなぜ思いついたかというと、趙さんのお店があるのを知っていますか。宮田さんがその趙さんをすごいお気に入りで、イート金沢に来る信じられないようなすごい人たちが、みんなそこのお店で深夜に担々麺を食べているのです。それがストーリーじゃないですか。実はこのお店に中島信也さんも来て、この人も来てということがストーリーになって、もしかすると金沢の文化はあまり反映していないかもしれませんが、そんなすごい人たちが来たということで趙さんのお店に行きたいと。でも、残念ながらもう今はないのですよね。

(宮田) ないです。

(林) あとは、浦沢直樹さんのマンガが壁に描いてあるバーなどもあって、食事のクオリティはいまいちでも、ストーリーの部分で勝負する料理屋もあるかもしれません。そういったものは食べログとかで検索しても出てこないので、そこにこそ価値があるのです。金沢に1人知り合いがいれば、あるいはコンシェルジュのいるホテルにいれば、その人たちが食事処を裏のストーリーまで添えて教えてくれると、すごく魅力が増すし、その人自身がそのストーリーを語りたくて、自分の友達や家族を連れてきて「実はここはさ」とストーリーを語ってくれるというものがじわじわ広がっていくのではないかと思って、入れさせていただきました。

(宮田) 僕も最近すごくいい店を見つけたのですが、教えるのはやめますね(笑)。
 最後にこういう議論をしたいのですが、スプツニ子!さんにもいろいろお話しいただきましたが、「21ラボ」ができることで何が起こるのか。今、信行さんからいろいろなヒントを頂きましたが、例えばスプツニ子!さんは、先月からMITメディアラボにいらっしゃって、ラボというところで活動することになって、自分のクリエイティビティに対するインパクトなど、どんなものがありますか。

(スプツニ子!) やはり世界中の脳みそが集まっている場所なので、脳みそのフードコードみたいな感じです。

(宮田) いいですね。

(スプツニ子!) 国籍関係なく脳みそ同士をつなげて、新しいことを考えるというのは絶大なインパクトがあります。フードコートつながりで、MITメディアラボも常に世界中のいろいろな町から分校のお誘いが来るのです。インドや韓国もあり、日本も数回ありました。一つ賢いなと思ったのがシンガポールなのですが、シンガポールは世界中の優秀な大学のフードコートをつくっているのです。例えばケンブリッジなど、ヨーロッパやアメリカのトップ大学の分校のようなものを集めると、そこに行くモチベーションがあるのです。MITの人も、シンガポールへ行けばイギリスの大学やフランスの大学とコラボレーションできるというモチベーションがあるので、あのシンガポールという小さい国に行こうということになるのです。そういう人や異文化が集まるというのは大事だなと。

(宮田) 非常に意味があるということですね。泰蔵さんはいかがでしょうか。何か一言。

(孫) 今のはすごくいいアイデアですよね。少しずつ世界の良いブランチのようなものを集めるというのは、なるほどと思いました。本で読んだだけですが、サン・セバスチャンという町はスペインのすごい田舎でアクセスが悪いところなのですが、ミシュランの星を取るようなすごいレストランがあって、ものすごくクリエイティビティの高い料理人が集まっているという話を聞きます。
 皆さんたちも海外に行かれた方はよくご存じだと思いますが、私たちが思う以上に日本の、特に食に対してのプレミアム性はすごく高くて、羨望(せんぼう)のまなざしで見ていることはあります。「その中でも金沢は本当にすごいよ」という話をすると「本当ですか。行ったことないので行きたい」みたいなことを必ず言います。

(宮田) やはり食はそういう意味ですごく大事ですよね。MOVIDAスクールもご飯を食べさせているじゃないですか。あれの意味は大きいですよね。

(孫) 大きいですね。しかもケータリングではなくて、本当にそこで作っている温かい料理が出るということも大きいです。

(宮田) 僕がこの間見に行ったときには、タッパーを持ってきている受講生がいて。

(孫) 「持って帰っていいですか」と余ったものを必ず持って帰る人がいるのです。

(宮田) 彼らは本当に根性があって、僕が東京に行くと必ずFacebookで見ていて「今から会えませんか」と連絡をよこすのです。そうすると2人で来るのですが、2人合わせてこの間7円しか持っていなかったのです(笑)。だからご飯食べさせましたけれども。

(孫) 確信犯ですね。

(宮田) でも、そういうばか者、若者がイノベーションを起こしていくと思うのです。こういう「21ラボ」もそうなのですが、金沢からそういうムーブメントが出てきているし、詳しくはまた明日お話ししますが、ワン・モア・シングで、私と孫泰蔵さんで、実は会社を一つ金沢につくりました。

(孫) そうなのです。私も金沢に縁を持たせていただこうということで(拍手)。

(宮田) 登記したばかりですが、これからいろいろ準備を進めて、本格始動は来年の4月ぐらいからですかね。

(孫) そうですね。結局、スタートアップのインキュベーションなどをしていてつくづく感じるのは、ベンチャーの支援といっても、突き詰めると人の教育・育成なのです。それに尽きます。しかも最近、起業文化というのがさらにもう一段先に行っている気がします。社会起業家(ソーシャルアントプレナー)と呼ばれる人たち、社会の問題に取り組む、問題を解決する人たちです。NPOという形でやっている人たちが結構多いのですが、NPOか営利法人かは、何も本質は変わらなくて、ガバナンスの部分の株主がいるかいないかだけの違いです。全部を内部留保に回す、配当がないというだけの違いで、実は本質は一緒なのです。
 どちらにしても、社会の問題を解決するとか、新しいブレークスルーを生み出して良いインパクトを与えるものが人々の共感を得て、普及していくということがあります。ですからビジネス的なものだけではなく、本当の公共的なサービスであっても、公共のサービスを行政しかやらないというのは誰が決めたのだ、社会問題の解決は一人一人みんながやるべきことだということで、そういう人材の育成をやりたいねという話はずっと宮田さんとしていました。そのときに、やはりそれをやるのだったら金沢でやった方がいいのではないか、東京でやる必要はないねということで、少なくとも私にとっての最新のプロジェクトとして、今MOVIDAでやっているスタートアップのインキュベーションのさらに一段先の、人そのものの育成を、学校ではない形で、むしろもっと昔の松下村塾や適塾のようなノリに近いのかもしれませんが、そういった人の育成をぜひここでやってみたいと思っています。

(宮田) 明日またその辺の、「21ラボ」とGEUDA(ギウーダ)という新しい会社との関わりなどを話させていただきたいと思います。ちょうどぴったり時間が来ましたので、これで終わらせていただきたいと思います。今日は皆さん、どうもありがとうございました(拍手)。

挨拶

金沢創造都市会議開催委員会実行副委員長
一般社団法人金沢経済同友会副代表幹事
米沢 寛

大変長時間、お疲れさまでした。先生方には大変意義深い、また楽しい議論をたくさん聞かせていただきまして、心から感謝申し上げます。今日も創造都市会議には素晴らしい人に来ていただいているなとあらためて感じさせていただきました。第7回ですが、その間に金沢学会がありますので、もう14〜15年続いておりまして、その間に来ていただいた皆さんから紹介いただいたり、こうやって3年前から金沢に住まいしていただいている宮田さんのネットワークで、いろいろな方に来ていただいたりということで、素晴らしい町のネットワークができつつあります。今日もいろいろなヒントを頂きましたので、また明日、ワークショップができるような具体的な方向に持っていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。
 また、たくさんの同友会の皆さま、いろいろな方にお集まりいただいてありがとうございます。ここに来られた方は大変良い時間を過ごされたと思っていらっしゃると思いますが、明日も朝10時から、今日の議論を踏まえて、市長を交えての討論に入りますので、朝早いですが、またお集まりいただくことをお願いして、いったん閉会のあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。

創造都市会議TOP


第一日目 12月5日

第二日目 12月6日

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