第6回金沢創造都市会議

金沢創造都市会議2011 >セッション2

セッション2

セッション2「まちのRe」

●コーディネーター
大内  浩 氏(芝浦工業大学工学部建築工学科教授)
●ゲスト
馬場 正尊 氏(Open A Ltd.代表取締役/建築家)
三浦  展 氏(消費社会研究家/マーケティング・アナリスト)
水野 雅男 氏(法政大学現代福祉学部教授)




小さな点を面にする街づくりで地域資源を生かす

(大内) 簡単にどういう趣旨でこのセッションができているかということをご紹介します。三浦展さんは、マーケティング・アナリストとして、皆さんもお読みになっているのではないかと思いますが、『下流社会』あるいは『ファスト風土化する日本』等々、大変いろいろな話題作を発表されていまして多くの評論活動もされています。
 それから馬場正尊さんは建築家でありながら、「東京R不動産」という、従来にはない、いろいろなコンセプトが込められたサイトを立ち上げられて、『東京R不動産』という本も出版されています。それから、つい最近は『都市をリノベーション』というNTT出版から新しい本が発売されて、後ほど内容をご紹介いただけると思います。
 それでは、三浦さんの論点をまず15分くらい、ご自身の内容をご紹介いただきますが、現代の若い女性たちは、青山の高級マンションよりも谷中の長屋に住むことに興味があり、多分、皆さんの観念とはだいぶ違います。特に団塊ジュニア以降の人たちと言った方がいいと思いますが、高級な外車に乗ることよりも、中古カメラを持ち、古着に愛着を持つ、そういう世代の人たちが今、実は都市の中にかなりたくさんいる。あるいは、もてる男の基準が、三高(高学歴、高所得、高身長)からどうも三低、あまりイメージは良くありませんが、低リスク、低依存、低姿勢に変わっています。
 若い建築家たちも、ばかでかい建物には興味がなくて、「低層、低姿勢、低炭素」をどうやって実現するかに関心があるとか、そういう新しい世代、あるいはそういう方たちをターゲットに、これから都市の創造あるいはマーケティングを進めていく必要がある。そして、その背景には、大きな意味で今まで私たちが進歩と思っていたものが終わっているということがあるのではないか。あるいは、高や低といったヒエラルキー、序列、どこかに上があって一方に下があるというようなヒエラルキーそのものがどうやら崩壊しているのではないか。今も若干隆盛を誇っていますが、郊外型の商業パッケージ、遊ぶこともショッピングすることもすべて、1日がそこで充足できるようなパッケージ型の商業展開というものは、もはや限界にきているのではないかといった内容のお話を、まず三浦さんからしていただきたいと思います。

(三浦) 今日は「まちのRe」というセッションのテーマですが、大内先生からシェアという問題について話してほしいとのことでしたので、そこにまず特化してお話ししたいと思います。

 その前に「都市」という言葉なのですが、これは国語辞典的な定義ではなくて私なりの感覚的なものですが、都市と都会は世の中でこういうニュアンスの差で使われていないか、違うのではないかという表です。例えば今、大内先生もおっしゃった、どんな地方へ行っても田んぼの真ん中に巨大なショッピングモールがあり、その中ではさまざまな物が売られています。あれは言わば、都会的な消費のパッケージをそこへそろえているわけです。スターバックスもあればはなまるうどんもあり、流行のファッションもあるということですが、あれは都会的ではあるのですが、都市的ではないなと思うわけです。
 都会というのは、物が豊かにあってそれを豊かに消費できる、しかし、一人一人のそこを歩く人間は孤立した匿名な存在である、こういうイメージかなと思うのです。実際の立地は、東京の郊外であったり金沢の田園地帯であったりといろいろですが、その内部においては都会的な物の消費が孤立した人間たちによって匿名で行われる、こういうイメージを私は持っています。
 今、必要なもの、あるいはこの金沢創造都市会議において恐らく目標とされているのは、そういう都会の消費の物のパッケージをもっと金沢に増やしましょうという話ではなくて、都市というものをもう一度つくり直していこうということではないでしょうか。では都市とは何かというと、物ではなくて人であり、消費ではなくて生活、生産、労働であり、あるいはその孤立した匿名的な個人がたくさん集まることではなくて、やはり顔の見える人同士の出会いや交流、つながりが生まれることでしょう。従って、それは単に消費をするのではなくて、いろいろな意味でシェアをすることであろうと考えています。
 ですから、先ほどgrafの服部さんがライフスタイルという言葉は好きではない、嫌いだとおっしゃったのは、恐らくライフスタイルという言葉が、この表で言う右側の都会的な意味合いで使われているということかななどと思いながら聞いていました。

 では、シェアとは何かというと、これも別に定義がないのですが、例えば典型的にはマイカー・マイホームです。これが戦後の日本における人生の目標と言ってもいいくらいで、郊外に芝生付きの一戸建てを買うとか、もちろん都心にタワーマンションを買うでもいいですし、あるいはマイカーを買ってだんだん大きな車に買い換えていく、これが高度成長期の日本人の目標であり夢であったわけです。つまり、できるだけ高額な私有財産を増やすということです。ところが、そういう豊かさがある程度実現されてから生まれた若い世代にとっては、そういう物の私有はあまり目標ではなくなってきて、むしろ自動車も住まいもシェアする方が楽しいではないか、ブランド品も必要なときだけ借りればいいではないか、こんな価値観が出てきたということを感じて、今年の2月にシェアに関する本を出したりしています。


 まだよく分からないなということで、所有、シェアとは何かということをポジショニングマップにすると、「私有」とは私が所有するわけです。自分専用の物を持つということです。ですから、私と公・共、所有と利用という軸を考えますと、右上の象限が「私有」です。考えてみると、昭和30年代の高度経済成長が始まる以前の一般的な日本人は、あまり私有財産は持っていなかったわけです。むしろ、いろいろな物を借りて済ませ、共同の長屋に住んだり、お風呂に入ると言っても銭湯へ行ったり、あるいは娯楽と言っても映画館でみんなで映画を見るという形で、あまり私有的なもの、まさにライフスタイルではなかったわけです。

 ところが、高度成長期というのは、まさに私有の領域をどんどん拡大していくということで経済成長を成し遂げたわけです。お風呂は内風呂になり、映画はテレビになり、さらに一家に1台が1人に1台になるという形で私有の領域を増やしていく、これは経済成長という観点からは非常に有効な仕組みだったわけです。
 ところがこれも、車も地方だと1人1台持っている、電話も携帯で1人1台持っている、テレビもその携帯で映ってしまうということですから、私有原理で豊かさを感じるという価値観自体は限界に来たのではないでしょうか。

 それに限界を感じている人々が、さまざまな消費の中でも、これは確かに私有したいがこれはレンタルでいい、これは共同利用でいい、これは共有でいいというように、言わば消費の事業仕分けを始めている状況が今なのではないでしょうか。ですから、携帯は共有でいいという人は少ないのですが、車はシェアでいい。住宅もどうしてもマイホームが欲しいという人がだんだん減ってきてシェアでいい、こんなことです。
この辺の具体的な話は、あとで馬場さんがお話しになると思います。

 一番分かりやすいのは住宅で、郊外一戸建てというのは私有の最たるものですが、それが無理ならマンションぐらい買いたい、それも無理なら賃貸に住む、県営住宅に住むという住み方がありました。「住宅すごろく」という言葉があるように、やはり最終的には右上象限に上がっていくことが良いとされました。これはアメリカ的な消費社会の仕組みであり、非常に貧しい人びとにもマイホームを高いローンを組ませて買わせたところ、ハリケーンがやって来て流されたという事件が3年ほど前にありました。
 今年、日本においても震災があって、同じような状況があったのではないか。ああやって津波に流される光景を見ると、本当に35年のローンを組んでマイホームを買うことが幸せなのか、1人1台車を買うことが幸せなのか、本当にこのままでいいのかということを、特に3.11の後に多くの国民が感じてきています。若い世代は3.11があろうとなかろうとそういうことを感じ始めていたということが、私の感覚では14〜15年前から現れてきていて、馬場さんはそういう動きをいち早く察知されて、いろいろな事業を展開されてきたと思います。家で言うとシェアハウスに住みたいという人が非常に増えています。あるいは、確かに所有はするのだけれども、共同性のあるコーポラティブハウスがいいという人がいるというように、状況が変わってきていると思います。


 今日は、都市をどう創造するかというテーマもあります。都市というものをこの軸で説明するのはちょっと難しいのですが、あえて無理やりやりますと、例えば欧米に豊かな社会のモデルがあって、それを東京のような大都会がまねをして、さらに大都会のライフスタイルが東京および日本中の郊外でショッピングモールという形で実現される、これはまさに私有型の価値観でつくられる空間です。
 それに対して、本当の都市とは、もっと人間同士のかかわり合いであるだろうとか、昔の下町は物という物質的な意味では私有するものはなかったよねとか、あるいは、昔の地方と東京のような大都会を比べると、ちょうど右上象限と左下象限のような関係があったわけです。左下から右上へどんどん上がっていくことが高度成長、経済の発展であったのが、「いや、左下もいいのではないか」「左上もいいのではないか」「右下もいいのではないか」と、都市というか、地域というか、空間というか、場所に対する態度というものも、より私有型からシェア型に変わっているのではないかと思っています。
 先ほど来お話が出ているように、非常に大げさなことを言えばこれは近代化をどんどん進めようというトレンドの終わりであり、近代化というのは特に日本においては「脱亜入欧」です。西洋化する。西洋に一番近いところが進んでいて、いい場所なわけですから、それは東京であり銀座であり、横浜や神戸であるということです。つまり、それは時間軸優位の価値観であって、昔のものは間違っている、古い、駄目だ。新しい、特に西洋から来たものが良いと信じていたわけです。
 ところが、近代化が終わるということは、この時間軸優先の価値観から空間軸型の価値観になっていくということなのです。これは千葉大学の広井良典先生の受け売りですけれども、つまり未来だけが良いのではなくて、歴史の中にも良いものがある。未来だけでが良いものではないとすると、より未来的な大都会だけが良い、正しいのではなくて、むしろ古い歴史を持った地方の都市も素晴らしい、あるいはもっと農村的な風景も環境も良いものだ、このように見えてくるということです。今まで非常に一元的であった都市、まちに対する態度がより多元化していく。そういう中で、金沢はもちろんですが、いろいろな地域、いろいろな地元、いろいろなローカリティが再評価されていこうとしている時代であろうと。東京理科大の若い先生が、最近「シビックプライド」ということを主張されていますが、それなども東京という大都会に何もかも集中する、そこで価値を高めていくということではなくて、それぞれの地方の良さ、個性を再評価する、あるいはそれを育てていくような動きです。
 もう一つ考えられることは、今年、日本は経済大国第2位の座から落ちたわけですが、誰もそれで困ったななどとは言っていなくて、多少はいますけれども、むしろ経済大国と40年間いわれてきたので、それよりも経済大国以外の日本人としての、あるいは日本のまちとしての、社会としての誇りというものをつくりたいという気持ちが、むしろ日本人には今あるのではないでしょうか。
 そういう中で、文化、歴史など、先ほど来話が出ているようなさまざまな価値が、相対的に浮上してきているように思うわけです。

 具体的なデータを少しだけ示しておきますと、シェアハウスは恐らく金沢では少しあるでしょうし、馬場君のやっているR不動産もやられています。東京ではどんな状況かというと、実際に今シェアハウスに住んでいる人は1%もいないぐらいなのですが、20代の独身女性に絞るとと5%ぐらいいそうなのです。これからやってみたいという人を見ますと、20代の未婚の一人暮らしだと3割近くいるのです。かなりな数です。結婚するとさすがにちょっとシェアハウスではないのですが、未婚であると非常に高いのです。

 また、家を買うとしたら絶対に新築だという人は2割しかいません。既婚で3割です。できれば新築がいいが中古でもよいという人が3割以上、既婚でも4割ぐらいいるということです。それほど新築一戸建て志向は強くありません。
 これはあり得ないと思ったのですが、できれば中古がいいが新築でもよいという人が、やはり4%ぐらいいたのです。いかに新築一戸建て絶対主義というものが従来よりも低下しているかということが分かります。

 それから馬場君の専門のリノベーションについても、私の予想以上ですが、約4割の若い女性がリノベーションをしてみたいと関心を持っているわけです。新築マンションを買ってリノベーションをする人はいないのでこれは当然中古の家を買うのです。家でなくてオフィスでもいいのですが、とにかく中古の物件を手に入れて、自分の好きなように変えたいという人が若い女性の4割いるという、驚くべき数字が出ています。

 実際にリノベーションできる物件というのは、今、空き家と定義すると800万戸近く日本にはあります。東京にも90万戸ぐらいあります。14%近くが空き家であるということで、こんな良いところにこんな良いものが、それこそセレンディピティが転がっているということです。新築を高い値段で買わなくても、それを借りたり安く買ったりすれば、自分で好きなように住んだりオフィスにしたり、いろいろな形に使えます。
 空き家が余っているのですが、これからはどんどん人が余る時代で、団塊世代の本格定年が今年ぐらいから始まっていますが、リタイヤした人、エンプティネストといわれるような夫婦が、どんどん増えていくわけです。ですから、このリタイヤした人々と、まあリタイヤしていなくてもいいのですが比較的時間的などさまざまな余力のある人々と、空き家あるいは空きオフィスというものが組み合わさっていけばいろいろなことができる。それは単に若い人用のリノベーションしたシェアハウスができるというだけではなく、観光資源など、いろいろなことに使えると思うのです。
 ですから、これからまずやらなくてはいけないことは、空き家、空き部屋、空いた土地、そして時間に余裕のある人々、あるいは、少し何か手伝ってほしい人、少し何か手伝える人のデータベースをつくって、マッチングをしていくことだろうと思います。
 そこで「うちの家が空いているけれど、ぼろすぎて普通の民家としては貸せないから、カフェかギャラリーにしてもいいよ」という大家さんがいると、お金はないけどカフェをやりたい28歳の女性がやって来るというようなマッチングができるといいでしょう。もちろんシェアオフィスにする、集会所にする、図書室を造る、地方の場合だとそれを安い宿泊施設、ゲストハウスにして1泊2000円で貸す、1カ月シェアハウスとして住むと1カ月間で1万円でもいいよというようなことができるわけです。
 私も今日、金沢に1泊してまた東京に戻ってしまいますが、ホテルでこんなことを言っては何ですが、ホテル代を一万何千円出すよりも、シェアハウスに1カ月いて一万何千円でいいよと言われたら、1カ月いてカニを食いまくるという手もあるわけです。その方が、金沢市にお金が落ちます。今までどこでお金を取っていたか、お金をもうける仕組み、それ自体をリノベーションしていく、そういう発想が必要です。また、もちろん空いた土地を市民農園にする、コミュニティガーデンにする、あるいは自分の庭を観光客に開放して観光資源にする、あるいは自分の持っている古本を軒先に並べて観光資源にする、こんなことも実際に起きています。

 これは長野県伊那市高遠です。ブックフェスティバルをやっていまして、まちなかで古本を売ります。自分の古本を軒先で売るのです。それを求めて全国から2000人の若者が集まります。高遠は東京から高速バスでも3時間以上、4時間ぐらいかかるのですが、それでも2000人集まるのです。特に若い女性がいっぱい集まるということです。古本屋さんもあるのですが、ほとんど古本屋ではない店や個人が古本を出していて、それで人が集められるのです。これも一種のシェアですね。
 これは小布施です。これはオープンガーデンで、自分の庭を観光資源としてオープンにするのです。そうすると観光客が集まります。行政にすれば1円もお金がかからず、ホームページを作るぐらいでいいのです。地図でも作ってあげれば、観光客が「小布施は面白い、いいまちらしいよ」とやって来て、ついでに人の家の庭へも入って楽しむ、中には縁側でお茶を出す人もいるということです。あまりお金をかけずに観光客をたくさん増やせるというような例です。これなども、自分専用の庭、自分専用の家、そういうものをオープンにしてシェアしていくことによって、トータルに地域全体としては経済の活性化にも、観光の開発にもなるという例です。

(大内) 皆さん、いかがでしたか。だいぶ面白い事例が出てきたと思います。具体的にシェアといっても、非常にいろいろなタイプがあるということです。
 次に、ぜひ馬場さんのお話をしたいと思います。馬場さんの本には「都市計画の終わりと都市リノベーションの始まり」という表現が出てきます。今までの都市計画は非常に大きなデザインをしているのですが、個々の建築とのリンクはほとんどしてこなかった、あるいは、建築と不動産は今まで乖離してきました。今日は不動産の関係者もおられるかもしれませんが、ほとんどは駅からの距離や、どのような空間で、家賃が幾らという程度の情報しかなく、一体それはどういう生活をする、どういう空間の利用、どういうことをするにふさわしい物件なのかという情報はほとんどないということが起きているわけです。重要なのは、例えば今の三浦さんの話で言えば何か面白いシェアをしたいという人たちと、それをしたい人たちをどうマッチングするかということなのですが、今までそれはほとんど行われてきませんでした。
 そのマッチングが、実は馬場さんの東京R不動産の誕生であり、実は山形でもやっておられますし、今日は金沢でそういうことをやっておられる方も、会場におみえいただいています。
 先ほどもある種の固定観念を壊すという話がありましたけれども、馬場さんに言わせると、建物や空間のイメージと実際のギャップがあるほど、実はそこは潜在力を秘めている。例えば廃墟でぼろで何もない、とんでもない変形の建物で従来の常識からすればあり得ないようなところが、実はリノベーションをやる人にとってはものすごく魅力的だということです。CET(Central East Tokyo)、具体的には日本橋を中心とする中央区のエリアですが、そこで実際に面白いことを馬場さんがやっていらっしゃいますので、後ほど具体的な事例をご紹介いただきます。そして、今は実際に建築家やデザイナーがまず火付け役になって、ギャラリーや小さなショップを造ることから始めるのですが、次にそこに面白いおしゃれなレストランができる、ここまで来るとまちは一気に爆発するというようなお話を、これからしてくださると思います。それでは馬場さん、よろしくお願いします。

(馬場) Open Aの馬場と申します。今紹介していただいたのですが、今日は「まちのRe」というタイトルだったので、「デザイン×不動産×メディア」を組み合わせた「まちのRe」ということで話させていただきたいと思います。
 僕は、今は建築家として設計事務所をやっているのですが、もともと広告代理店にいたり雑誌の編集をしたりと、ふらふらといろいろな産業にいた経験が、結果、違う産業を横断しながらそれがまちづくりにつながっているような気がしています。「産業」を付けると「デザイン産業」「不動産産業」「メディア産業」。特に真ん中の「不動産産業」はクリエイティブと全く無縁に思われていた業界だと思うのですが、実はいろいろやると、これはめちゃくちゃクリエイティブな産業ではないかというようなことを最近感じています。今日はそのあたりを話せればと思っています。

 先ほど大内先生が少しおっしゃっていただきましたが、小さな点の変化をつなげて面にする、小さな点の変化が山ほどつながっていって、結果まちが変わっている。そういう新しい都市計画やまちづくりの方法のようなものが、今、大きなイメージにあります。まだいい言葉は見つかっていませんが。それを固めていきたいというのが、基本的な僕のスタンスです。
 とは言いつつ、僕はOpen Aという設計事務所をやっていて、そこは郊外の普通の住宅の設計などを一応しています。でも、この7〜8年間は、とにかく古い建物を再生して使えるようにするということに夢中になっていました。最近は、使われていない公共空間にいろいろな仕掛けをして使われるようなことをやっています。恐らく普通の建築の人と一番違うのは、不動産仲介ウェブサイトをひょんなことから運営しているというところです。それがなぜかは後から出てきます。さらに、金沢でも金沢R不動産というものを4〜5年前に仲間たちと始めてしまいました。そして今、東京R不動産、金沢R不動産、福岡R不動産、神戸R不動産、今度、大阪R不動産で、日本中で7カ所あるのですが、実は一番最初に○○R不動産を始めたのは東京で、その次が金沢です。やはり魅力的でした。

 では、具体的に小さな点のリノベーション、どんな空間を変えてきたかということを、簡単にお見せします。

 一番最初はこれです。本当に小さい、うちの事務所です。日本橋の裏の、家賃10万円の駐車場でした。安かったので大家さんを口説き落として借りて、リノベーションしたのです。ほとんど白く塗っただけですけれども、それでも随分違いますよね。壁があったところをぼんと開けて窓をつけて、やはり白く塗っているのですが(笑)、大家さんは最初は勝手に改造すると言ったらすごく反対していたのに、見ると「いいね」と喜んでいるのです。そのときに、「東京R不動産」というウェブサイトを思いつきます。なぜかというと、賃貸物件を改装したいと言うと、どこの不動産屋さんに行ってもめちゃくちゃ迷惑がられるのですが、実際にやってみると喜ばれるという、そのニーズとウォンツのギャップのようなものを感じたのです。

 僕たちから見ると、魅力的な空き物件がたくさんあるのです。でも、普通の不動産屋さんから見ると、それは全然魅力的ではない空き物件なのです。それが面白くて、空き物件からながめる東京のブログを書き始めて、「それ面白いね、実際に借りれるようにならないの?」という相談が殺到して、東京R不動産につながっていきます。

 今はこういうサイトです。アイコンが特徴的で、「改装OK」「天井が高い」「倉庫っぽい」「レトロな味わい」。「レトロな味わい」は築年数が古いということなので、普通の不動産の評価から言うとマイナスなのですが、僕たちは自慢しているというようなサイトです。

 こういう古い倉庫のようなものを自慢げに載せています。このように、最初は面白がって始めたのですが、今は月間300万ページビューで、3万件ぐらいの会員がいて、不動産業界ではかなり大きなサイトになってしまっています。 日本中に横展開が始まっているという状況になり、恐らくクリエイティブではなかった不動産産業が、このフィルターを通すとクリエイティブになってしまったのではないか。そのポイントは、僕はこれかなと思って説明しているのですが、不動産とデザインとメディアが融合していたから。僕は雑誌を作ったり広告会社にいたりしたので、メディアのつくり方は何となく分かっていました。建築の設計は、もちろん仕事にしていました。そこに不動産という流通、産業ががさっとくっつくことによって、ただのメディアではなくて実際にものが動くメディアになったというところに、僕は妙なダイナミズムを感じています。それが実際にまちを動かしだすと。

 幾つかR不動産を軸にしたまちの変化、まずは点の変化、ビルの変化を見ていただこうと思うのですが、これは築50年のぼろビルです。オフィスですが使われていませんでした。ほぼ廃墟です。 これがどうなったかというと、こうなっています。いわゆるビフォー・アフターですね。何をしたわけではないのです。フローリングを敷いて、お風呂がなかったのでユニットバスを冷蔵庫のようにごろんと置いただけです。でも、僕たちは下手に3LDKと呼ばれるよりもこの空間の方がいいのです。

 廃墟のオフィスビルで、こういうオフィスビルがありました。競売ですごく安くオーナーさんが買ったらしいのですが、リノベーションとやらをできないかという相談でした。多分、土地を買ったときにこの建物の値段は解体費分引かれているぐらい、価値のない建物だったはずです。でも、壊すだけでも8000万円くらいかかる、どうしようということでリノベーションをしてみました。下の方はやはり白く塗っています どうなったかというと、今は1階にはヨガスタジオが入っていて、上はオフィスや住居に変わっています。 これはペントハウスの住居です。一番気持ちの良いところにお風呂を持ってきています。乱暴な、少し見慣れないデザインだと思いますが、ただ、東京でこういう空間はなかったので、すごく人気の物件になりました。みんなが欲しいものを供給すればいいわけではなくて、ある好きなもの、ある一部のファンが圧倒的に好きなものを供給した方が、もしかすると市場はうれしいかもしれないということを感じました。

 これは使われていない倉庫です。R不動産の若いスタッフが「馬場さん、かっこいい倉庫見つけました」と持ってきました。確かに運河沿いでめちゃくちゃかっこいいのです。中を見ると「うおっ!」と、こういうのが好きなのです。でも「何に使うのこれ?」という感じですよね。

 今これがどうなっているかというと、ビフォー・アフターで、靴屋さんの倉庫兼オフィス兼ショールームになっています。ガラスの中だけ空調してあります。ここで靴を脱ぐのです。オフィスとしてもすごく機能していて、ショールームにもなります。この席で交渉すると契約がよく決まると言っています。
 今までは新商品説明会でイベント会場を借りていたところを、自分のオフィスにやるようになって、節約になったそうです。

 一昨年、7年間使われていない産経新聞の工場があり、ここに輪転機があったのですが、これも使われない、リノベーションしてくれと言われて、今はTABLOIDという複合ビルにコンバージョンされ、リノベーションされています。

 これは先ほどの輪転機が置いてあったところですが、ギャラリー兼イベントスペースのようになりました。こういう古い建物を利用した場所はなかったらしくて、ルイ・ヴィトンがイベントをしたり、レディ・ガガがシークレットライブをやったりと、変な使われ方をするようになっています。

 これはオフィスです。外資系の企業が「こんな空間が良かったのだ」と言って、少し家賃は高めですが入ってくれました。
 写真スタジオが入ったり、クリエイティブ系のオフィスがたくさん入ったりしています。1階のエントランスを、エントランスロビーにせずにカフェにしました。先ほど服部さんからコミュニケーションの話があったと思うのですが、いろいろな入居企業のコミュニケーションのハブになっています。
 屋上がめちゃくちゃ気持ちよかったので、室外機を全部よけてウッドデッキを張って、みんなの庭にしました。多分、日本で一番花火大会がきれいに見える屋上だと思います。ここで結婚式の2次会をやるなどという場として使われているようです。

 先ほど話が出たので、一つシェアハウスを紹介したいと思います。
 これは使われなくなった独身寮です。バブルのときに企業は独身寮をどんどん造ったらしいのです。だけど、独身寮に住みたい独身がほとんどいなくなって、今、独身寮がものすごく余っている、何とかしてくれないかと。これはシェアハウスになっていくのですが、まず白く塗って(笑)、ラウンジ、食堂、みんながご飯を食べるところが余ってしまうので、そこを思い切ってサロンに変えました。住んでいる人たちがみんな下りてこられる、住んでいる人たちの共有のリビングルームのようなところです。ここでサッカーを見たり、いろいろするわけです。
 全部で63部屋あって、駅から徒歩22分。本当に埋まるのか心配だったのですが、ふたを開けてみるとすごく人気で、6割以上が女性というコミュニティになっています。

 ここは厨房だったところですが、みんな同じご飯を食べたりしないので、厨房は要らなくなりました。そこでここはビリヤード場にして、コミュニケーションの機会をつくってあげています。

 共同浴場は、逆にこちらはセパレートして個別のシャワーにして、シェアするところを変えています。なぜか昔は、バブルの時代でさえお風呂はシェアしたのです。お風呂がなくなってボイラー室が余ったので、古いランニングマシンなどを置いてランニングジムにして、要するにジム付きのシェアアパートという付加価値を付けていたりします。

 ビフォーの部屋ですが、これを無印良品などとタイアップして、きれいな部屋にしています。ここは家賃はまあまあ高いのです。けれども、このアメニティとコミュニティが好きな人が住んでくれています。 最後は、まちの話です。こういう点のリノベーションがどんどんとつながっていって、面に広がっていくというイメージがあります。これが先ほどの都市計画の話なのですが、日本橋の裏の方のCETです。日本橋といえば都会じゃんと思うかもしれませんが、裏の方には問屋街が広がっていて、僕は初めて見たときに、これは地方都市の風景だなと思いました。これを日本橋の人に言うとめちゃくちゃ怒るのですけれども、味のあるビルがあって、ビルの空き物件がたくさんあったところを、オーナーさんを説得して2週間だけ30カ所ただで借りて、ギャラリーにしました。アーティストはここをただで展示場として、お客さんはまちも見られる、アート作品も見られる、物件も見られるというようなイベント、それがCETというイベントです。それが今、まちの名前になっています。それを7〜8年間続けてみました。地下をジャックしてクラブにしたり、ぼろいビルをショップにしたり、全部ゲリラ戦をやってみています。

 僕の事務所もショップにしています。
 オーナーとアーティストを出会わせたり、地元のカンパニーをクリエイターと出会わせたりというような仕組みをこのイベントでやって、それが7〜8年続くと、非日常のイベントが次第に日常に還元されていきます。

 こういうビルがあって、がらがら空いていたのですが、僕たちから見るとこれがかっこいいのです。廃墟だった1階が今は宝石屋さんです。ものすごく上品な宝石を売っていて、1号店が六本木ヒルズです。1号店の六本木ヒルズではどちらかというと安いラインを売っていて、高いラインをこちらで売っています。

 昔は雀荘だったところです。緑一色(リューイーソー)という雀荘だったので柱が緑です。今はここがギャラリーになっています。これは同じ空間です。
 こうしてまちが少しずつ変わって、イベントによって空間がどんどん変わっていって、今までまちになかった風景が出現しています。
 今、皆さんにお配りしているEAST TOKYOという地図で、今年どのくらい新しい店が増えたか計算してみると、お店、ギャラリー、アトリエが80カ所になっていました。もう6〜7年の集合で、一つ、また一つと新しいコンテンツが入ってきて、こういう集積になっているのです。ゲリラ的な点のつながりがいつの間にか面に広がっていく感じを、僕はここで味わうことができました。

 その活動の中で、僕は一番可能性があると思って最初に盛り上がったR不動産が、実は金沢です。これは金沢R不動産の風景です。話しだすと長くなるので、ぜひGoogleで「金沢R不動産」を検索して見ていただければと思います。
 金沢R不動産も東京R不動産も、不動産仲介サイトではあります。でも、これはまちを変えるエンジンでもあると思っていて、デザインとメディア、そして不動産、その産業が横ぐしにされたときに、まちが変わるエンジンになり得るのではないかということを経験しました。そんなことがこの本に書いてあるので、ぜひ読んでください。以上です。ありがとうございます(拍手)。
(大内) 皆さん、だいぶイメージがわいてきましたでしょうか。お二方がいろいろと問題提起をされています。R不動産だけではなく、実は金沢でもいろいろな動きがあります。水野雅男さんに、町家を再生された事例を三つご紹介していただきたいと思います。

(水野雅男) はい。三浦さんと馬場さんからの話題提供に関連するものとして、金澤町家でやっていることを紹介したいと思います。キーワードは、シェアするということと借りるということ、若者に入ってもらうということです。

 一昨年からプロジェクトと言いますか、三つのトライアルをしています。二つは町家をドミトリーに変えるということで、昨年4月に幸町、11月に東山にドミトリーがオープンしました。これは金沢市の補助金を頂いて、改修費半額ぐらいを充てていただいて改修に至ったものです。もう一つは、今月オープンしたもので、芳斉町の町家を共同アトリエにするというプロジェクトです。幾つか狙いがあります。一つは、若者が育つことを育成しよう、育成することを支援しましょう、インキュベーションスペースにしようという狙いです。町家ドミトリーは大学生たちの共同生活の空間を提供するというもの、町家アトリエは工芸も含めていわゆるクリエイターが共同で創作できる空間を提供するというものです。若い人たちが育っていくことを支援しましょうということです。
 二つ目は、三つの物件とも定期借用して活用しているということです。ドミトリーの2軒は、いわゆる空き家だったのです。空き家だった町家の所有者が、壊すには忍びないと悩んでいらっしゃったので、われわれはそれをドミトリーとして使えませんかという提案を差し上げました。そのときに、先ほど紹介しました金沢市の町家を再生する、活用する補助金がありますので、その補助金を使いましょう、自己負担分は家賃収入で充てましょうと提案しました。
 特に最初の幸町の町家ドミトリーの物件では、金沢市から600万円出ています。同額600万円はオーナーが自己負担しなければいけないのですが、われわれはそれを、6年間の家賃収入で充てませんか。そうすると6年後には自己負担分が全部返ってきて、オーナーがその後賃貸物件として貸せますというような提案をしました。
 もう一つの町家アトリエである芳斉町の物件は、染物屋さんだった建物です。延床面積が115坪というかなり大きな物件で、そこに工場と住まいが一緒になった建物と、土蔵も付いているのです。そこに、ご主人が亡くなられて子供さんたちは家を出られて、奥様一人だけだったのです。奥様と出会ったのが半年か1年ぐらい前かもしれませんが、この冬はこの町家に住みたくない、もう出たい、出るので壊すということをおっしゃったので、われわれに貸してくださいと提案をしました。その70歳を超えておられる奥様が近くのマンションに住む、そのマンションの家賃分をわれわれが家賃収入として保証しましょうということで、染物屋さんの奥様にも経済的な負担がかからない形でわれわれが借用する提案をしました。定期借用によって活用にこぎ着けたわけです。
 借り主となったのは、一般社団法人金澤町家ドミトリー推進機構です。仰々しい名前ですけれども、大学の教員4人でつくった組織です。そこが借りて入居者にサブリースするという形にしました。大学の教員がつくった組織ということである程度信用性を担保しようということでそういう組織をつくって、今までに3軒マネジメントをしているわけです。

 では、そういう町家のプロジェクトにどのぐらい需要があるのかということですが、空き家の潜在的な需要として、町家に今住んでいらっしゃる70歳以上の単身世帯が、18.3%あるのです。ということは、これが5年後か10年後か15年後か分かりませんけれども、亡くなられて子孫に相続されたときに、多分、壊されるということです。それを活用するような手だてを打つことが必要なのではないか、あるいは逆に言うと、そういう需要があるのではないかと思います。
 もう一つは、今、町家に住んでいらっしゃる方、世帯のうち、8.9%が住み替えをしたいと思っておられるのです。ですから、そういう方に住み替えていただいてそこを貸していただけませんかという提案もできると、われわれは思っています。
 2010年3月の調査で、居住町家が約4200あるうち、1700軒から回答を得たデータです。ですから、かなり潜在需要が大きいということが言えると思います。

 これは幸町の町家ドミトリーです。ここはもともとはお米屋さんだったところで、ここにも土蔵がくっついています。1階部分に1人、2階に2人、合計3人の女性がシェアして住んでいます。その土蔵は入居している女性の1人が陶芸の作家で、卯辰山工芸工房を出られた方です。彼女がこの土蔵の中で制作をしているということです。

 これが2階です。改修前は左上の写真のようだったところを、外観も、外装も屋根瓦も直しましたけれども、中も畳を変えたり、従前のものに少し構造的な補強をしたりして改修したものです。ただし、水回りは全部最新のシステムキッチンやトイレを入れています。

 これが芳斉町の共同アトリエです。そのプロセスも楽しんで、そしてPRをしていこうということで、金沢美大と金沢アートグミというNPO法人と共同で、いわゆる染物屋さんに合った素材、作品を展示しました。右側はアートグミの中での展示です。いわゆる染物を額装したものがたくさん在庫として残っていたので、それを展示しました。左側は、美大生たちがその空間を使ってアートの作品を展示してみるというトライアルをしたものです。

 もう一つは「おくりいえプロジェクト」です。水野一郎先生の卒業生の山田憲子さんが「おくりいえプロジェクト」をずっとやっていまして、これは第10回目です。「おくりびと」をなぞって「おくりいえ」としているわけです。住まいが一つの区切りを迎えたときに、化粧をするのと同じで掃除をみんなでする。そして、そこに残っていた物をみんなで遺産分けをするわけです。遺品をそういうふうに分けて持って帰ってもらうということをやっているわけです。そういうことをやって、ここが共同アトリエになるということを告知していきました。
 右側にあるように、残っているものを掃除した後、持って帰ってもらうわけです。このときは2日間で200人くらい来てくれて、掃除をみんなでしてくれました。

 今どうなっているかというと、一つは、染物をやっている女性が入居しています。たまたま染物屋さんに染物をやる方が入りました。それと、プランニングオフィスを2人で始める方も入りましたし、それと和装小物のグループ、そして家具などのデザインや制作をする若い男性、4組が今月から入りました。また、来年4月には、金沢美大の4年生の油絵専攻の学生が、卒業したらここに入居したいと言っています。ですから、5グループか6グループでシェアして使えるのではないかと思っています。

 金澤町家というのは昭和25年以前に建てられた建物で、年間300弱くらいずつ、どんどん減っていっています。何とか少しでもその流れを食い止めたいということで活動をしているわけです。もちろん、それに対して金沢R不動産もいろいろな形で貢献してくれて、市場流通性が高まってきています。

 ここに描いた図の中で、金沢市は深緑というのでしょうか、町家情報バンクや補助金で町家修復支援をしてくださるとか、金沢職人大学校というものをつくって職人を育ててくださったりしています。
 それに対して私たちは、一番右側に書いている「LLP金澤町家」という、金沢職人大学校を卒業した職人に、仕事として改修に当たってもらう組織をつくっています。それと、社団法人金澤町家ドミトリー推進機構、これはドミトリーやアトリエとして活用しませんかという提案をして定期借用していくものです。もう一方にはNPO法人金澤町家研究会がありまして、それは優良町家を検証することで町家の所有者とつながっていきましょうということをやっていて、市民セクターでは三つの組織が連携して動いています。
 こうして高齢者中心になっているコミュニティに一軒一軒ドミトリーやアトリエを設けることによって、新しい風をもたらす、コミュニティをリデザインするということに取り組んでいるのです。借用してシェアして、若者を育成するということに取り組んでいるという事例を紹介させていただきました。

(大内) ありがとうございました(拍手)。金沢でも非常に面白い動きが始まっています。三浦さんは、吉祥寺あるいは東京でもいろいろな若い人たちのリサーチもされていて、今、お二方の話を聞いて、さらにどんなことを感じられましたか。

(三浦) やはり金沢は、これからの時代においてはすごく宝庫だなと思いますね。普通の人が見ても魅力を感じないぼろいビルは東京にいっぱいあるのですが、金沢あたりですと、普通の人が魅力を感じるぼろいというか、古いものがたくさんあって、普通にマーケティングを考えると、こちらの方が絶対にやりやすいですよね。あと、やはりまちに歴史があるので、前のセッションでも出たように、全部が新しくないわけです。そうすると、いい意味で統一感がなくて、すき間がいっぱいあるわけです。
 東京はどんどんお金を投入される都市なので、すき間がなくなっているのです。例えば銀座だって、昔はもっと路地があったのに、何区画か合わせてビルになってしまって、どんどんショッピングモール化しています。東京の都心の繁華街自体がモール化していき、駅自体がモール化していて、駅とショッピングセンターとマンションが通路で結ばれているようなところも多くて、都市として非常に面白くなくなってきています。
 僕は吉祥寺に二十何年住んでいて、吉祥寺のまちはいいまちだと思ったから『吉祥寺スタイル』という本を3年ぐらい前に出したのですが、去年、東京について考える、ある会議で、「東京でこれから衰退するまちは」と聞かれたので、受け狙いもあって「吉祥寺」と答えました。つまり、吉祥寺はどんどん面白くなくなっているのです。つまり、すき間がなくなっている。すき間があるとそこにビルが建ってしまうので、「これだったら別に表参道でいいじゃないか、別に渋谷と変わらないじゃん」となって、吉祥寺らしさが失われていっているように思うのです。吉祥寺の良さもやはりすき間があることで、そのすき間に若いクリエイターや面白い人が入り込んでいたのが、すき間がなくなっている。これは僕だけが感じているのではなくて、吉祥寺が好きだった人はみんな感じていて、吉祥寺が本当に好きな人ほど、今、吉祥寺を離れているのです。この辺の塩加減は非常に重要ですね。
 金沢はまだそこまでの段階ではないですが、先ほどのまさにすき間のデザインで、すき間も含めて塩加減をしていかないといけない。料理の得意な金沢ですから(笑)、塩加減、だし加減は絶妙にやっていただけると思いますが。

(大内) 馬場さんがやられている東京の現場に、馬場さんの案内で行ってみたのですが、実はあそこに来ているクリエイターたちは、かなり青山や渋谷から移ってきている方たちなのですね。ちょっとその辺の話も。

(馬場) すき間のデザインの話が結構出ていますが、やはり僕たちが、そして裏日本橋、裏神田あたりにぽんと働いたり住み始めたりした若いクリエイターがなぜ行けたかというと、まちがすきだらけだったからです。いい意味で付け入るすきがたくさんあって、これなら僕たちが変えられるかもしれないという、そのすきが可能性に見えたのです。もっと具体的なことを言うと、多分、家賃が渋谷や吉祥寺などの半分ぐらいで安かったのです。
 空間はぼろぼろでしたが、でも、それを自分で何とかするスキルとセンスはあります。あと、面白いのは、うちのエリアの近くのお店は、つぶれないのです。渋谷などは非常に回転が速くなってしまっているのですが、つぶれないのはなぜかと言うと、やはり固定費が少ないからです。若いやつらが数人で始めているので、その固定費も少ない。もしかしてうまく成長していくと、逆に西の渋谷などに行くかもしれない、今さらつまらなくて全然違うところへ行くかもしれない、もっと面白い地方都市へ行くかもしれない、そんな気がしますよね。
 そういう意味では、あのエリアは彼らにとってはある意味中継点です。良かったなと思うのは、ゆっくり変化していることですね。多分、ニューヨークとかロンドンは一気にぶわっと変わっていくのですが、日本には既存の日本橋のお祭りの、みっちりとしたコミュニティがあって、それと調整しながら距離を置きつつ、仲間になりながらじわじわ変わっていく。ですから、じわじわ長く楽しめる感じがあって、それは日本ならではかなと思ったりしています。

(大内) 歴史のあるまちだから、一気に変われなかったという面もありますよね。

(三浦) ああ、そうなのですね。

(大内) 私は金沢にかかわり皆さんといろいろと楽しい思いをするようになって30年ぐらいになるのですが、最初の金沢の感想は、「このまちは償却コストがかかっていないまちだな」ということだったのです。
 つまり、東京というのは、実は私も先祖は日本橋で、日本橋の堀留で商売をやっていて、結局全部焼けてしまったのですが、太平洋戦争だけではなく関東大震災でも破壊されて、そこからまちをつくりましたので、常に走り続けていなければいけませんでした。要するに、常に新しいものからつくってきて、それも自己資金があってではなくて、まさに金融のメカニズムの中に入って、借入資金でもって建物を建てていきましたから、オフィスが一番家賃収入が高いのでみんなオフィスにしていって、結局、住む人をどんどん追い出していったのです。けれども、日本橋ももともとは、私の家もそうでしたけれども、そこに住んで、私の親父やおふくろは、親父が明治45年でおふくろが大正4年だったのですが、今思うと非常にうらやましい生活をしていました。仕事が終わると着替えて、今日は演舞場へ、今日は歌舞伎へ、今日は明治座へという生活をしていたのです。私の親父やおふくろはオペラをやっていて二人一緒になった、そういう生活が実は戦前にあったのです。
 今の話にもう一つ、吉祥寺が面白くなくなってきているのは、要するに不動産開発で、しかも裏側に、ある種の金融資産がサポートして、あるいは住宅ローンなどという形でどんどんマンションができている、そういうメカニズムは確かに20世紀にアメリカが生んだものです。でも、それに僕たちは勝てないというか、結局そこからみんな追われてしまっているわけです。要するに、先ほど水野さんや三浦さんの話にもありましたが、本来、都市というのは働く場であると同時に住む場であって遊ぶ場という、三つの機能がワンセットであることによって成り立っていたものが、機能分解してしまったということが多分最大の罪だったのだと思うのです。今はそれが少し違う形で限界が来たということで、そういう意味ではチャンスだという話ではないかと思うのです。
 水野さん、何か今のお二方のプレゼンから。金沢はどう考えても日本橋よりずっと元のものがいいのです。東京は、確かに神田のお祭りや日本橋も一部、人形町や水天宮など古いものも残っていますが、何といっても2回破壊されているという致命的なものがあるので、それは金沢とは違うのですね。

(水野雅男) そうですね。二つのドミトリーは大幅に改修して居住空間として再生したわけですが、最後の染物店に関しては直前まで住んでいらっしゃったのです。そこを多少、雨漏りしたりすきま風が入ったりする部分は改修して、あとは入居者が勝手に改修してもいいという条件で借りています。どうせ壊す物件だったので、原状復帰して返さなくていいということで借りているので、クリエイターの人たちがいろいろな形でその空間を楽しめるわけです。その町家という空間を楽しんで制作のインスピレーションをもらったりするし、お互いに触発しながら今度はこういうことをやってみましょうかというコミュニケーションが生まれているのです。まさに先ほどお話があったクリエイティブコミュニケーションという場になっていると思います。 R不動産の方々も、商業ベースに乗るものはそうやってやってくださっているので、われわれはそこに乗らない、もう少し非営利な活動としてああいうものにトライアルしているということです。

(大内) なるほど。それは確かにそうですね。そういう意味での役割分担というものもあると思います。
 明日、市長さんもおみえになるし、僕たちは来年また金沢学会もあるということで、単なる問題提起や評論だけしているわけにはいかなくて、できれば具体化的なことをやりたいのです。やはり今までの都市計画の制度、あるいは建築の仕組みは、多分、リノベーションやシェアに合っていないのです。そこを部分的にでもいいから、例えば特例措置でもいいし、できれば本格的に、リノベーションなどでもう一度ストックを上手に活用していくような形に変えていかなければいけないと思うのです。その辺について、考えるならこんなことをやったらどうかということを、一言ずつ何かありましたらお話しいただきたいと思います。

(馬場) 僕はリノベーションをずっとやっているので、日本のいろいろなところにリノベーション特区をつくってくれと、いろいろなところで言いってるのですが、金沢に特化して僕が思うことがあって、いろいろな地方都市の中で、やはり創造産業が豊かなので来る機会が実際にものすごく多いのですが、そのときに、最も幸せな都市生活を体現できる、象徴できる都市の可能性を、すごく感じるのです。
 コンパクトで、美しい川が二つあって、遊ぶところもあれば勉強するところもあれば、そしてちゃんと産業もあって、人口も45万ぐらいある。ヨーロッパに行けば、金沢は大都市なのです。マンチェスターは40万人ぐらいしかいませんから、それよりでかいわけです。そして、この美しさがある。しかも、町家という居住空間がある。宿泊空間と言ってもいいかもしれません。僕もホテルに泊まりますが、時には町家に泊まってみたかったりするわけです。
 京都には、町家に泊まれるシステムがあります。それは法律を柔軟にいじって、話すと長くなるのですが、そういう方法があると思うのです。僕は、せっかくあるまちの資産を有効に活用するデザインとシステム、そしてそれを掘り起こす、ちゃんとそれをさせてくれる不動産屋などという経済の仕組みも要ると思うのですが、町家に泊まれるような仕組みや、シェア的に、短期間ならハワイなどにあるバケーションレンタル制度、海の近くではないけれど、いい都市にバケーションレンタルする方法論など、そういうステイする時間が長かったり短かったりの伸縮に耐えるようなシステムのようなものがこのまちで実現すると、金沢にはもっといろいろな人が来て、いろいろな人が住んでというまちになっていくのではないでしょうか。どこかの都市にずっと住み続けるというところから、僕たちの世代は流動的に住むという世代になってくる気がするので、そういう都市になるといいなと思って、よく金沢を見ていました。

(大内) ありがとうございます。もう一つ建築家の方からお話を聞きたかったのですが、馬場さんに先ほど紹介していただいた物件は、転用に伴って新たな建築確認を取っているわけではないのですか。

(馬場) 取っています。用途変更していて、それにものすごく苦労しています。

(大内) それをもう少しやりやすくするということも、明日少し議論したいと思います。

(馬場) 規制緩和してほしいです。

(大内) そうですね。三浦さん、どうぞ。先ほど、似たようなことをやりたいとおっしゃっていましたけれども。

(三浦) 先ほど馬場君から、小さなもののつながりによって面になっていくという話がありましたが、馬場君よりもさらに若い建築家が、巨大な開発やビルを建てて結果としてどうなるかはあまり関係なくて、小さなものを造り続けることに魅力を感じている、そういう時代になっているのです。
 ですから、銀座もすごく小さな店の集積と路地の集積をビルにしてしまったわけですが、きっとこれから求められるのは逆開発のようなもので、どかんと建ってしまっている大きなものを、もう一度小さく分解していくようなことが魅力を持ってしまうのかもしれません。なぜ大きなものが必要になったかというと、もちろんそれは経済合理性もあるわけですが、結局、経済合理性というのは最大公約数ですよね。みんなが共通してこれくらい必要なはずだというのでものをつくってしまう。その方が効率的で、効率を追求すると、どかんとでかいものを造ることになる。ところが、先ほどのリノベーションの例では、でかい倉庫を小さなオフィス群に変えたりしている。つまり、分節化して、むしろ都市化しているわけです。巨大な単なる倉庫という単機能の空間の中に、小さな路地付きのまちをつくってしまったという感じがするのです。
 やはりクリエイティビティには、巨大な均質な最大公約数的な空間は向かない。小さな多様なものが分立している方が、刺激があるわけです。今日の全体的なテーマである創造都市という意味でも、いかに多様な小さなものが分立するように造るかということで、これはまさに料理と一緒ですよね。小さなものがいろいろ出てくる。そういうことを感じました。
 あと、先ほど、シェアハウスで1カ月1万円ぐらいで住めないかという話をしましたが、例えば僕の仕事ですと、1カ月間東京にいなくても大丈夫なのです。金沢に来るたびに1カ月ぐらいいたいなと思うのですが、ホテルに住んだら30万円かかってしまうし、知り合いの家というわけにもいかない。シェアハウス的に1カ月契約できたら、5万円とかで結構広いスペースが借りられて、1冊本を書くぐらいの時間住める。そして、毎日カニを食うということで、金沢にもっとお金を落とすことができると思います。
 今日の話とはあまり関係ないですが、私の本によく出てくるニューアーバニズムの物件で、フロリダのシーサイドという住宅地があります。ここは住宅地ですけれども、実際にオーナーが住んでいる期間は夏休み期間などの2カ月くらいで、あとは貸すのです。例えば、新婚旅行に3週間来るというような人に貸したりするらしいです。新婚旅行で金沢に来る人はいっぱいいると思いますが、1カ月住まわせるということはないと思うので、そういうことも可能性があるのではないですかね。

(大内) ありがとうございます。では、あまり時間がないのですが、水野さん、一言。

(水野雅男) 私たちは、若い人たちが金沢から離れないように、こういう活動に取り組んでいます。東京などから人を呼び込むことも大事ですが、金沢美大などを卒業した人たちが金沢で制作できるようにする、バイヤーやコレクターがこちらに来るような流れに持っていきたいと思っています。
 金沢市にはいろいろな補助メニューがあって、すごく手厚いと思います。それを活用させていただいているのですごくありがたいのですが、若い工芸家の支援はあるのですが、アーティスト、アート関係は弱いということを若いアーティストの方からよく聞くので、そういう面も美大を卒業するクリエイターの人たちを支援するような形になったらいいのではないかなと思います。

(大内) ありがとうございます。最後に私から一言だけ。全部更地にして、そこに新しい建物をあるコンセプトで建てるということよりも、使い回しをしながらあるものを使うことの方が本当はものすごく高級な趣味といいますか、歴史に対するそれなりの敬意を持たなければいけないと同時に、実はすべて既製品のものは場合によっては使えない、そこでものすごく工夫が要って、知恵が要るわけです。それを楽しむということを、もっともっと金沢の方たちが、われわれも含めてやるということが、多分、一番の大事なことではないかと思いました。この第2セッションを終わりたいと思います。どうもありがとうございました(拍手)。

 

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第一日目 12月8日

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