第6回金沢創造都市会議

金沢創造都市会議2011 >セッション1

セッション1

■セッション1 「産業のRe」

●コーディネーター
佐々木雅幸 氏(大阪市立大学大学院創造都市研究科教授)
●ゲスト
高木 美香 氏(経済産業省クリエイティブ産業課 課長補佐)
服部 滋樹 氏(graf代表/デザイナー/クリエイティブディレクター)

 

 

 













世界の文化産業市場へ、売れる日本文化を。
   

(佐々木) 第1セッションの趣旨を、冒頭に少しだけ話させていただきます。
 この創造都市会議を、福光さんと1997に、KANAZAWA ROUND会議をどのように進めようかと話し合いをしていたことを思い出しました。当時、岩波書店の社長であった安江良介さんが、「21世紀になったら世界の都市に対して金沢的な在り方を広く問い掛ける、金沢というまちは、そういう社会的・歴史的責務を持った素晴らしいまちなので、世界中の方を招いてラウンドテーブル会議を開いたらどうだ」ということを亡くなる前に言われました。私は当時、「クリエイティブ・シティという概念がきっとこれから世界的に大きな意味を持つようになるから、日本で最初にクリエイティブ・シティ、創造都市ということで会議を開いたらどうだろう」ということを申しました。1回や2回やっても意味がない、取りあえず10年やってみようということで、2000年から10年というのを一つの目標に置いて、隔年ごとに創造都市会議を、間の年は金沢学会をクローズドな会議でをやろうということで合わせて計10回やってきました。
 この間、世の中は大きく変わりました。2008年のリーマン・ショック以来、世界大恐慌に落ち込みま、金融中心に展開してきた都市の在り方はもう駄目だということになりました。ニューヨーク型ではもういけないというわけです。もちろん2001年に9.11があって、2008年には9.15というこのダブルショックで、世界都市はもう駄目だろうというと、それに代わる言葉として「クリエイティブ・シティ」は、今や世界中の都市が目標とするようになりました。
 ユネスコが創造都市ネットワークを呼び掛け、日本の文化庁も、青木保長官のときに創造都市の応援をしようということで長官表彰を設けられ、現在の長官はそれを「創造都市ネットワーク日本」にしたらどうだと提唱されています。たまたま金沢で始めたことが今やグローバルスタンダードになりつつあるということで、金沢はこの分野においては先端を切ったといえます。

 ただし、先端を切ったけれども、この先どういう形でさらに進化できるかは、まだ何も担保されたわけではありません。私は10年やったら交代してもいいなと個人的には思っていたのですが、福光さんも元気になられたし、もう少し頑張ろうかということです。そして、市長さんも代わられたことですし、できるだけ若い方々をゲストにお呼びして世代交代がうまくいくようにしたらどうだろうかということを考えるようになりました。
 今回、「Re」という総合テーマですが、実は歴史的にもかつて三つのReがありまして、1929年の世界大恐慌があった年、33年にアメリカでルーズベルト大統領が出てきたときに三つのReを言いました。そのときはリフォーム、リカバリー、リリーフということでRでしたが、今回はリノベーションやリ・クリエーションといった意味で三つ、産業とまちと空間をテーマにやってみようということにしております。
 私のこのセッションは、東京と大阪から若い非常に魅力的なゲストをお招きいたしました。お一人は高木美香さん、もうお一人は服部滋樹さんです。
 高木さんは、経産省に今年7月1日にできたばかりのクリエイティブ産業課で政策の中心になって頑張っておられます。私は文化庁が創造都市を応援してくれるようになったことは大変うれしく思いますが、経産省もそのうち来るだろうと思っていたら、やっとクリエイティブ産業課ができました。ご承知だと思いますが、年末に政府が発表する新成長戦略の中で、クリエイティブは恐らく柱の一つになってくるだろうということで、今いろいろと勉強会をしております。金沢がやってきたことを高木さんにも知ってもらい、高木さんの方からも金沢の経済陣に対していろいろな問題提起をしてもらうおいと、お忙しい中を駆け付けていただきました。
 服部さんです。私は日ごろ、大阪でさまざまなクリエイティブな人たちと出会って交流していますが、服部さんは、実は金沢の21世紀美術館ができる前から深いつながりがありましたし、まちの中でさまざまなお店のリノベーションも手掛けています。そういった意味で、大阪にいても金沢のことが話せるし、金沢にいても大阪のことが話せる非常に得難い方です。
 今日はこのお二人と自由闊達な議論を交わしてみたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。では、高木さんからお願いいたします。

(高木) 今ご紹介にあずかりました経済産業省クリエイティブ産業課の高木と申します。今日は大変貴重な機会を頂きましてありがとうございます。
 実は、今日のタイトルは「クール・ジャパン戦略」ということで持ってきたのですが、経済産業省では2010年の6月にクール・ジャパン室というものをつくりまして、日本の文化にまつわるいいものを海外にどんどん売り込もうということをやってきました。
 8人のチームを立ち上げ、試行錯誤しながらやってきたのですが、2011年7月に、先ほど佐々木先生がおっしゃられたようにクリエイティブ産業課をつくりました。なぜそうしたかということですが、去年最初に立ち上げたときは、日本のアニメやポップカルチャーなどが海外で人気がある割には稼げていない、それをどうやって稼げる産業にするかということで小さなチームをつくりましたが、議論すればするほど、それだけではなくて国内で新しい文化産業、新しいクリエイティブ産業を生み出し続けるような仕組みをつくっていくことが必要ではないかということになりました。そして省内にばらばらと小さいチームで存在していた関連部署を集めて、今年7月に、今は60人弱でやっていますが、映画、アニメ、漫画、音楽といったようなコンテンツ産業と、それからデザイン、ファッション、伝統工芸、地域産品、それから観光と食を主にカバーしておりますが、クリエイティブ産業全般を推進する部隊をつくっております。
 私はず計4年くらいこれにかかわっておりますので、そうした話を今日はしたいと思います。

クール・ジャパンとは何なのかということが、定義されているようでいないのですが、最初に少しだけ事例をご紹介したいと思います。
 皆さんご存じかもしれませんが、フランスではJapan Expoというイベントが毎年あります。これは日本人がやっているものではなく、フランス人の「おたく」が始めたものです。ヨーロッパ中から20万人のいわゆるおたくの人たちが毎年コスプレを着て集合します。そこで日本の漫画を買ったり、コスプレをしてみんなで遊ぶというイベントになっています。Japan Expoは有名なのですが、こうしたイベントが欧米だけで年に150以上あるということを聞いております。
 それ以外にも、日本のラーメンチェーンがアジアに進出していたり、宅急便のきめ細やかなサービスが評判を得て海外へ行ったり、石川県の加賀屋さんも台湾の台北に出店していると聞いていますが、こうした日本のホスピタリティが注目されたり、職人技が海外でもてはやさりたりということがあります。

 クール・ジャパンと言ってしまうとちょっと表面的にも聞こえますが、私は、その心は、世界が共感する日本がまだまだあるということではないかと思っておりまして、こういうものを発掘して世界へ伝えていけるようなPR活動、それから海外進出のためのインフラ整備支援などをやっていきたいと思っております。
 では、どれくらいポテンシャルがあるのか、試算をしたのですが、2020年に世界の文化産業の市場は、消費額ベースで見て900兆円くらいになるのではないかと予測されています。1%取るだけでも9兆円になるのですが、現状で日本からの輸出額は2.3兆円くらいしかないのです。それを2020年までに8〜11兆円くらいへ持っていけないかということを話しています。
 これは農水省、観光庁、文化庁、外務省と連携してやっていく、特に伸びの大きい中国・インドといったアジアの新興国、それから、もともとかなりの規模を持っている欧米のトレンド発信拠点に、どうやって日本の文化を伝えていくかが課題になっています。

 もう一つ、クール・ジャパンというのはどういう産業が支えているのかということですが、国内でそういう新しい産業基盤をつくっていきたいと思っております。統計データを取ることが非常に難しいのですが、イギリスの定義に倣ってクリエイティブ産業の規模を推測しました。
 2004年の数字になるのですが、売上高で見て既に45兆円あり、自動車産業47兆円、家電産業40兆円と匹敵するような規模になっています。従業員で見ても215万人と、かなりの規模を誇っております。どの産業が伸びているかは、ひとえにどのように産業分類をするかで決まってくる部分もあるのですが、これまでの縦割り型の産業構造の見方の中ではあまりとらえられてこなかったクリエイティブ産業というくくりをどう考えていくかということは、非常に大きな課題になっていると思います。この中にはいわゆるサービス業としてのデザイン業、製造業としての伝統工芸、ファッションも含まれてきますので、分類の仕方自体を新しく変えていく必要があるかと思っています。

 では、そのクリエイティブ産業とはどういう産業かということが、このセッションの「産業のRe」と大きくかかわると思うのですが、私どもは四つの大きな特徴があると思っています。一つ目が、サプライサイドではなくディマンドサイドによった産業だということだと思います。例えば、車は500万台造ると、全部売れても500万台しか売れませんが、映画やアニメのコンテンツというものは限界費用がほぼゼロですから、売ろうと思えばニーズがあるだけ売れます。そのニーズを世界中のどこから探してくるかということが非常に重要に、つくる側というよりもどこにどういうニーズがあるのかということの把握の方が、より重要になっていると思います。生活における機会的な要求を満たすこと以上に、感性に訴える、感動を呼ぶという付加価値をどう付けるかということが重要な産業だと思います。

 二つ目に、創造と流通から成る産業だということです。これはクリエイティブ産業の専門家の方もよくおっしゃっていますが、どうやって新しいものを生み出すような環境をつくって、それをつくった人の権利を保護するかという話と、どうやってそこでつくられたものをより効率的・効果的に流通させて稼いでいくかという流通と、二つに分けて考えることができると思います。これまでのように、金型メーカーや、部品メーカーがあり、それをアッセンブラーがまとめて組み立てて売るという、バリューチェーンとサプライチェーンが一緒になった産業では必ずしもないので、創造と流通に分けていかにシステムをつくるかということが重要だと思います。
 三つ目に、領域融合型産業と書きました。ここに無印がやっているカフェの写真とユニクロと漫画の「ワンピース」が組んでいる写真がありますが、異業種のプレーヤーが組むことで新しく何かが生まれるということも、この産業の特徴だと思います。そういう機会、そういう場をどうつくっていくかということが重要だと思います。

 四つ目に、パイを大きくする産業だと私は思っております。TPPの議論等は、なかなか経済発展していかない現在の日本において、何かをすると誰かが得をして誰かが損をするに違いないという大前提の下で、政策もメディアも議論がなされていると思います。ただ、クリエイティブ産業というものは、先ほど申し上げたように500万台造ったら500万台しか売れない産業ではなくて、アジアなり世界なりにどんどん出て行けば、ニーズがある限り、そしてそこへ届けることができる限り、どんどん稼げる産業ですし、この産業を伸ばすことで国内で誰かが損をするということでもないのではないかと思っています。
 初音ミクの写真を描いておりますが、消費者、ユーザーがつくったものをどんどんユーザーが改変して、誰かのクリエイションからまた新しいクリエイションを生んでいくということもありますし、そうやって広がっていく産業の在り方ということを私どもとしてもきちんととらえていきたいと思っています。

 そのために経済産業省ではクリエイティブ産業課というものをつくったのですが、今、五つのことをしています。
 一つ目が「海外展開プロジェクト」で、クール・ジャパンプロジェクトと銘打ちまして、世界が共感する日本をPRして、世界にファンを増やしながら日本のものを売っていこうということ。
 二つ目が、「クリエイティブ・シティの推進」で、これは国内で金沢が一番最初にやられていることですが、創造的活動を促進するような場をどうやってつくっていくかということ。東京では少し取り組みを始めていますが、今後、各地域でもできることをやっていきたいと思っています。

 三つ目が「人材のグローバル化」です。いかに多文化のバックグラウンドを持つ人がやって来て、自由にクリエイションできる場をつくるかということが非常に重要だと思って、そのためにクリエイター向けのビザの緩和や、アジア諸国と、国と国とで提携を結んで、人材交流を進める。

 四つ目が「リスクマネーの供給」です。先日、産業革新機構という政府がバックアップしているファンドで、ハリウッド向けに日本のコンテンツを出すことを支援する、コンテンツファンドというものをつくりました。今後、それをコンテンツ以外の分野に広げていけるかどうかということを検討しています。

 そして最後に、新しい産業の在り方に合った政策を立てられないかと考えているのですが、これはなかなか具体的な政策に落とし込むことが難しいなと思っておりまして、今日のこのセッションでも幾つかヒントが得られればと思っております。

 今、申し上げた政策を簡単にご説明したいと思いますが私どもは今年度、海外において13個のプロジェクトをやっています。市場が大きくなる中国、インド、それからアジアの情報発信拠点としてのシンガポール、欧米で日本の文化産業をまとめて売り込むということをやっています。
 今までだと、業界ごとの施策を、業界団体を通じて国の補助金で支援することが多かったのですが、そうではなく現地の百貨店、現地のeコマースの会社、メディアなどと組んで、今後につながる取り組みをしていこうということです。「うちは日用品の担当部署だから日用品しかやりません」ということではなく、現地のニーズに合ったものを、日本のライフスタイルとしてまとめて持っていくことを大きな方針としております。

 もう一つ、国内でやっている話ですが、クリエイティブ・シティを全国でどんどん増やしていきたいと考えています。クリエイティブ・シティの要素は何なのかということが近藤長官の話にもあったと思います。少し似ていますが、私どもはその要素として、一つ目に表現の自由があること、二つ目に寛容性があること、そして三つ目にいろいろな分野の方が出会う交流拠点があること、そして四つ目にパトロンなり投資家なり、そこに金銭的支援をする主体がいることが大事ではないかと思っております。香港、シンガポール、ソウルといった都市がどんどん競争力を上げていく中で、日本国内の都市がいかに勝ち残っていけるかということを考えております。
 そのために、東京でCREATIVE TOKYOという構想を始めておりまして、11月4日に枝野経済産業大臣が東京をアジアのクリエイティブ・ハブにするということを宣言しました。この宣言には、都内のディベロッパー、百貨店、商店街、大学、あとは文化イベントをやっている団体の方々に連名で署名していただき、東京のまちの力を使って、公共スペースも開放し、アジア、それから世界から集まる才能ある人たちが、自由にクリエイティブな活動ができるような場所をつくっていこうという趣旨で合意しております。
 今、賛同してくださる企業の方々と、今後何をやっていくかという話をしているのですが、先ほどの話から考えますと、実は東京はどうしても中途半端に大きいかもしれません。映画祭があったり、ファッションショーがあったりといろいろな取り組みがあるのですが、それぞれその業界の人しか知りませんし、まちを歩いている人や観光客は全くそういうイベントの存在にも気付いてもいません。せっかくいろいろな要素を持っているのだから、誰がやっているものかに限らず、いつどこで何が行われているのか、そういったことを市民、海外から来る観光客やメディアにきちんと発信していきましょうということをやっております。他には、銀座の大通りでファッションショーをやるなど、規制緩和をしなければできないことに、私どもとしては積極的に取り組んでいきたいと思っています。

 人材のグローバル化については、クリエイターのビザの緩和を、今、法務省と協議をして進めています。大卒でないと日本へ入ってこられないという壁がありますが、クリエイターの方の中には実績のある人でも大卒ではなく専門学校を出ている人もいらっしゃいますし、そういう人が制度の壁で入ってこられないというのはおかしいので、直そうという話をしています。
 もう一つ、シェフのビザが実は日本にはないのです。インド人がインド料理店のシェフになるために日本へ入ることはできるのですが、日本食のシェフとしてのビザの制度がないので、これをつくりたいと思っております。金沢は本当に素晴らしい食をたくさん持っていらっしゃると思いますが、外国人で日本食を学びたい方はたくさんいるので、そういう方を受け入れて日本で修行してもらって、のれん分けなどの形で海外へ日本食をきちんとした形で伝えてもらうことを目指していきたいと思っています。
 各国とクリエイティブ産業の相互協力協定を結び始めています。9月には枝野大臣がシンガポールに行き、現地の文化大臣と共同声明を発表しました。シンガポールは、アート・デザインを中心としてクリエイティブ産業の育成にとても力を入れていて、例えばイベントをやるときにお互いの国の若いクリエイターの人が出展できるような場所を用意しましょうとか、相互の人材交流などの連携を進めていきたいと思っています。
 ここまでは、今まで私どもがやってきたことなのですが、最後に個人的な思いを少しだけお話しさせていただきたいと思います。
 去年、クール・ジャパン室を立ち上げてから、私が学んだことが幾つかあります。一つ目は、世の中の創造的活動や新しく何かを見いだしているのは、必ずしも組織ではなくて、個人的なネットワークによって生まれてきているのだなということを痛感しました。クール・ジャパン室をつくる前は、製造産業局の紙業生活文化用品課の中のデザイン・人間生活システム政策室という部署に私はいたのですが、そこまで細分化されてしまうと付き合う人もとても限定されてしまい、ほかの課でも業界団体とのお付き合いばかりしている課になると、それ以外のネットワークは本当につくりづらいのです。
 それがクール・ジャパン室という訳の分からない名前の課をつくったことで、実はいろいろな新しい方に出会うことができました。われこそはクール・ジャパンだと言ってアポなしで来てくださる方もたくさんいましたし、私どもは1年間で本当に多くの方々とお会いして、個人的なネットワーク、個人の才能、必ずしも組織の中にはまりきらない才能が世の中を動かしているということを痛感しております。
 もう一つが、今の話と似ていますが、世の中では、分類されるということはもうなくて、むしろ編集をすることがとても大事になっているということです。昔の本屋さんだと、科学、文学、参考書というように分かれていたと思いますが、私どもが今いろいろなことを一緒にさせていただいている松岡正剛さんがつくられた松丸本舗という本屋がありまして、そこへ行くと松岡正剛さんの本棚とか、何とかさんの本棚という、その人の本棚そのものをコピーした本棚が並んでいて、同じ本が隣の人の本棚にも入って売られていたりします。そこへ行くと「この人はこんな本を読んで、こういう思考をしているのね」ということも分かりますし、分類されないことによる新しい発見があります。日本は本来、こういう編集能力がとても長けている国だと思います。クール・ジャパンについていろいろ調べていても、外から受け入れた文化をどうやって日本で再編集してきたかということがよく語られますが、その力をむしろ世界へ出していけたらいいなと思っております。
 もう一つが「予定調和の世界から未知の世界へ」ということで、自分の思考の構造が三つあって、知っていることを知っている世界、知らないということを知っている世界、それから一番外側に知らないということすら知らない世界、unknown unknownという世界があります。特に役所の仕事はどうしても予定調和で、見えやすいゴールを決めてそこへ向かって分かりやすい段取りを組んでいくということをずっとやってきたと思うのですが、私どもは去年クール・ジャパン室をつくってから、本当に予定しなかった未知の世界へ自分たちの領域を広げられていっているような気がします。また、産業の在り方もそのように変わってきていると思います。
 もう一つ、クール・ジャパンと言って始めた結果分かったことなのですが、世界の人から見えていてクールだねと言われている氷山の一角、海面の上に出ている部分がクール・ジャパンだとすると、海面の下の部分、見えているクール・ジャパンを支えているクリエイティビティや文化、風土といったものこそが、重要なのではないかと思っています。
 そして最後にもう一つ思ったことなのですが、今、クール・ジャパンという
言葉には結構賛否両論あるのですが、私自身としては「日本対海外」という見方はもう捨てて、自分たちのフィールドをアジアくらいに広げてはどうかと思っております。経済産業省でも産業の空洞化ということはものすごく大きな課題として扱っていますが、同じアジアの市場の中で最適なロケーションを選んでいるだけだと思えば、自分たちのフィールドをそこまで広げれば、すごく大きな成功市場と未来が待っていると思いますし、1年間活動してきて、そういう目線でアジア市場へどんどん出て行かれている企業の方にもたくさんお会いしました。また、アジアだけではなく、そういう日本の文化を支えてくれている外国人の方にもたくさん会いました。そういう人とのネットワークをどうやってつくっていくかということを考えていきたいと思っております。私の話は以上です。ありがとうございました(拍手)。

(佐々木) どうもありがとうございました。役所も大きく変わろうとしているような予感がします。大いに後押しをしたいと思います。
 それでは服部さん、これまでいろいろなプロジェクトを試みられて、金沢との関係もありますしまず1回目の話をしてください。

(服部) 高木さんの最後の主観の話がすごく良かったなと思います。グローバルスタンダードからそれ以降の話で言うと、よく「グローカル」と言われたりするではないですか。“Think globally, Act locally”ということを最近はよく言いますよね。世界の目線で考えながらアクションはどこで起こしているかというと、地域や地方でということです。その価値観が何なのかということを最近よく考えるのです。これがもしかしたらコミュニティへの大きなコンセプトなり、軸になるのではないでしょうか。
 私たちgrafは大阪で活動しているのですが、異種格闘技戦のようにいろいろなメンバーと格闘してきています。私たちのgrafの組織は、クリエイティブコミュニケーションを主軸に組織を形成しているような形です。クリエイティブコミュニケーションとはどういうことなのかということを考えていくと、今、金沢創造都市会議で言われているようなお話が、もう少し目に見えるような形で話せるのではないかと思っています。
 今までのコミュニティは、一つの価値観で形成されることが主だったような気がします。どういうことかと言うと、両手で手をつないでいるようなコミュニティの形成です。ということは、すごく閉鎖的なコミュニティの価値観だと思うのです。21世紀のコミュニティの在り方はどういうものか。たくさんの価値観を共有できるのが21世紀のコミュニティではないでしょうか。
 例えば、A、B、C、D、E、それぞれさまざまな価値観があります。この中の、AとBとCは共有できるけれど、DとEは共有できない、そのときどうなっているかというと、別のコミュニティと接触を持っています。先ほど書いてくださっていた13ページのものです(笑)。勝手に利用させてもらいますが、この絵がまさしくそうだろうなと。これからのコミュニティは両手で手をつないでいるというよりは、むしろスポーツを始める前にみんなで円陣を組んで片手を中心に向けて「エイ、エイ、オー」とやるような、それが新しい21世紀のコミュニティの形ではないかと思うのです。片方の利き手はどこを向いているかというと、外です。外を向いた利き手が外からたくさんのものを円陣の中に放り込んできて、それが新しい刺激にも当然なっていきますし、そこで切磋琢磨されるという状況が繰り返される、それがこれからの21世紀のコミュニティではないかと思います。
 そのたくさんの価値観を共有するとはどういうことか、最近ポートランドの話を聞きました。ポートランドの市民は消費を基に価値を共有しているわけではないということです。どういうことかというと、逆の発想なのです。創造をコミュニケーションとして真ん中に持ってこられる人たちと一緒に生きる、それが一つの価値観だということをおっしゃっていました。創造することをコミュニケーションの軸に置いて話せる人々と暮らす。
 それを都市の軸にした瞬間にどういうものが必要になってくるかというと、コミュニケーションを取るために、まちなかの改修計画では1階には飲食店を必ず入れることになっていて、そのエリアの地区には必ずある。コミュニケーションを取るためにそのエリアにどういうものを要素として置いていけばいいかということは、それを軸に構成されていきます。
 そのポートランドの事例を見て、いろいろ考えました。生活するには、当然カフェだけでは足りません。例えばおいしい野菜を食べたいときにどうするかというと、一次産業である農家の方たちの新しい価値観を取り入れるためにマルシェを用意します。マルシェは1週間に3日運営されています。始めてもう18年たっているのですが、そのマルシェでは今、売上が8億円くらい、コンビニエンスストアと同等くらいの売上をマルシェが上げています。
 暮らしの中でコミュニケーションを一つの価値観に置いていくと、それぞれの生活感、それぞれの価値観がどんどん育っていくのです。人を育てるというより、暮らしを育てていく、それぞれが暮らしを育てる環境をどのようにつくるかということが、クリエイティブコミュニケーションをきっかけに生まれているような気がします。

(佐々木) それでは僕の方から質問したいのですが、grafという会社は大阪の堀江という、今のアメリカ村などと隣接しているエリアで、元家具のまちに最初あったのですよね。そこから新しいお店がどんどん出てくる中で、grafもインテリアデザインから始まってレストランやカフェなど、さまざまな新しいライフスタイルを提案していくような総合的なデザイン提案会社になり、今は大阪の中之島の国立国際美術館のすぐ横にある。そして、現代アーテイストの奈良美智さんと、クリエイティブコミュニケーションのようなことをしながら、金沢21世紀美術館でも展開してきたというようなプロセスがありました。金沢の人はgrafという名前は知らないけれども、あなたがやってこられたことは知っておられるかもしれないし、それから新竪町あたりの面白いお店の幾つかのリノベーション等ですか、金沢とのかかわり合いを、少し例を出して言っていただけますか。

(服部) 金沢とのかかわりというよりは、同じ価値観を共有できるメンバーがたまたま金沢にいたというのがスタートになっています。片町で、この金沢でコミュニケーションスペースをつくりたいというのが、彼の僕らへの依頼だったのです。金沢の伝統工芸を世界の人たちに伝えたい、そういうちょうどコミュニケーションスペースのような場所をつくってほしいという依頼を受けて、設計させてもらいました。それがちょうど13年前のことです。そのころから金沢との接点が生まれました。
 ちょうど金沢21世紀美術館がオープンするということで、準備室の方たちとコミュニケーションスペースとしての片町のお店でコミュニケーションを取りながら、「21世紀美術館はこうした方がいいよね」などと偉そうにも意見しながら、21世紀美術館ができることを楽しみにしていたという感じです。
 価値観の共有がなぜできたのかというと、その当時でも「現代アートが好きです」という一つの価値観ではなくて、「こういう生き方が大好きです」ということで構成されていたような感じです。どういうことかというと、「こんな音楽を聞きます」「こんなファッションを着ます」「こんな料理を食べます」「こんなアートが好きです」「こんなデザインが大好きです」、そういうものをすべて空気として感じた瞬間に、その価値観が体の中に入ってくる、それが答えを出しているような気がするのです。いいですか、そんな感じで(笑)。金沢との接点はそこからのスタートですので、何をきっかけに金沢との接点を話そうかと考えてしまいましたが。

(佐々木) 先ほどの「組織から個人へ」という高木さんのスライドで、今のgrafの服部さんの話にあるように、これまでのコミュニティのつくり方とこれからのコミュニティのつくり方は違うし恐らく産業の生まれ方も違う、そしてそれに対する政策のアプローチも違うだろうということで、高木さんがクール・ジャパン室を立ち上げてこれまでの間にいろいろな出会いがあったと思います。別に金沢ということではなく、日本全体でもアジアの中でも、例えばここは面白い、こういうクリエイティブコミュニケーションという形で何か生まれてきたということで印象深い話があれば。

(高木) 拠点のような話と、あとは国際的なネットワークの話を少しさせていただくと、拠点は結構いろいろなところにあると思うのです。金沢も市民芸術村をつくられていますが、すごく面白いなと思ったのは、東京にあるco-labという名前のクリエイター向けのインキュベーション施設です。ある出版社が持っていた使っていない建物を、固定資産税を払うくらいの賃料をくれればいいよという条件でクリエイターが借りて、ほかのクリエイターを探してきて安い賃料でみんなに貸して、作業するカッティングマシンやプロトタイプを作るための道具が一式そろっているのです。何が起きたかというと、特に地方の中小企業の人が東京のクリエイターの人に仕事を頼みたいとなったときに、いろいろな分野の人を入れたので、その建物の中だけでチームがつくれるのです。そうするとまさにこの図と同じで、組織ではなくてプロジェクトごとにチームを組成して新しい仕事をすることができるようになったようなのです。
 さらに面白いと思ったのは、実はそこに大手メーカーがオフィスを構えているのです。ここのオフィスは守秘義務や秘密も何もなく、天井まで届いているドアがないのです。何でも見られてしまうというくらいのセキュリティのなさなのですが、そこへあえてメーカーのデザイン部の人が常駐することで何か生まれると、メーカー側も思っているのだというのが、すごく面白いなと思いました。こういう事例が全国各地で本当に出てきていると思います。
 もう一つは、私は、結局、世の中は人のネットワークで動いているのだなと思うのですが、世界の会議に出るとみんな友達なのです。私はクール・ジャパン室に入る前に、デザイン室というところでプロダクトデザインの担当をしていたのですが、トリノ市が、これはユネスコではないのですが、2009年に世界のデザイン団体が指定するデザイン都市になって世界デザイン会議のようなものをやったのです。どうしても行きたかったので自分で応募して行ったら、名古屋市の人が姉妹都市なので来ていたのですが、それ以外、日本人は私だけでした。日本の代表だからパネルに出ろと言われて出るはめになったのですが、イギリスのデザイン監修の人、香港デザインセンターの人など皆さん来ていて、みんなお友達で、大体1年に3〜4回はどこかの会議で顔を合わせている仲間だったのです。そこに一度出るだけで、世界のデザイン界で今何が起きているかということが分かってしまいました。いまだにお付き合いしている人もいますが、やはりそういうところに日本人が、組織ではなくある程度個人として出ていく、そういうネットワークをつくるということは、非常に重要だと思います。

(佐々木) 服部さん、それについてどうですか。

(服部) 先ほどクリエイティブコミュニケーションという話をしましたが、もう一つ、クリエイティブなコミュニティフィールドをどのようにデザインされているのかということがあるのではないかと思いました。年に3回も4回も世界の同じ仲間と出会えるという環境とはどういうことなのかというと、もう既にさまざまなことは細分化されて、点としては見えているわけです。その点がどうやってつながっているかということと、あとはいつどのようにつながるべきなのかということが理解できていると、発展するスピードがすごいですよね。
 僕は今の話を金沢と連結させていこうと思ったのですが、例えばこれをクリエイティブコミュニケーションと今話していますが、クリエイティブ産業ではなくコミュニケーション産業という言葉に置き換えていくとどうなのか。例えば、伝統工芸がデザインによって、クリエイティブによってではなくて、コミュニケーションによって言葉を発しだす。それが次のステップにつながっていくような気がするのです。今まではもしかすると、待っていれば誰かが見つけてくれるということ、手を挙げると誰かがやって来てくれるということだったかもしれないけれども、次のステップに進もうと思ったときに、コミュニケーションをデザインすることでそれが可能になるのではないかと思いました。

(佐々木) 今の例でいくと、金沢の場合は伝統工芸、陶芸もあれば、友禅、漆器もあり、生活にかかわるものは大体そろっているわけです。従来は、これは和の生活です。その和の生活でいけば当然マーケットは限られているのですが、これを離れるのか、あるいは和を極めるのか、だいぶ違いがありますね。この辺りはきちんと、両方やれればいいのですが、デザイナーとして、あなたから見て、金沢の和を極めるのか離れるのか、その辺りはどう考えますか。コミュニケーションについてでもいいのですが。

(服部) すごく難しいですね。サッカー選手の中田英寿くんがGALAというオークションをやっているのですが、今年のオークションのテーマは和紙でした。彼のオークションのシステムは、工芸のすごく技術の高い方とアーティストをコラボレーションさせて作品を作り、それで一つできた商品がオークションのステージに乗るというものなのですが、例えば、その素晴らしい工芸の技術を持った職人さんが作った作品は、それが文化庁の賞を取った作家さんであれ、販売されるとなると58万円ですという話なのですが、アーティストとコラボレーションした瞬間にそれがどう跳ね上がるかというと、付加価値がその上に乗って200万円で競り落とされるのです。
 これが極めていくことなのか、外へ出て行くために誰かとコミュニケーションを取るとどういうふうに外へ向いていけるのかということかなと思ったのですが、極めるというよりは、むしろ誰とつくるかということも大事なのかなと思います。
 これはきっと消費者も同じだと思うのですが、今までは経済価値によって消費者の価値観が決まってきてしまったのですが、その流れの中で暮らしを豊かに過ごせる人たちが本当に育ったかどうかということは、問うべきかもしれません。例えば、本当の価値を理解できるユーザーがどれだけいるのだろうか。もしかすると、新たにユーザーが育つ時間が必要になるのではないかという気もします。その育てる時間をいかにつくっていくかということも、伝統工芸が負わなければいけない仕事なのかもしれません。どういうことかというと、ブレークダウンしたところから伝統工芸をどんどん積み上げていくというような時間を過ごさなければ、この先がないのではないかという気もします。コミュニケーションの相手をどう変えていくかというような。

(佐々木) だんだん面白くなってきたのだけれど、少しまた別の質問をしたいと思います。二つあります。一つは、職人とアーティストのコミュニケーションの質の問題です。例えば、奈良美智とgrafの間のコミュニケーションの質には、どういう特徴がありますか。それから、これは高木さんでもいいのですが、和紙の堀木エリ子さんは知っていますよね。彼女は武生の和紙の職人を使って巨大なインテリアの和紙の空間をつくり、上海万博などに出して成功しているのですが、彼女はアーティストではなくて、もともと大学を出て4年間銀行で働いて、ともかく伝統産業を復活したいという思いだけで飛び込んで、気が付いたら何となくアートをやっていたという人です。例えばその場合のコミュニケーションの質とはどういうことなのかと思って。少しマニアックな質問ですが、まず高木さんから、例えば堀木さんのようなケースはどうでしょうか。

(高木) 堀木さんは私も存じ上げています。彼女がどうやって伝統工芸の世界に入り込んでいったかまで詳しくお聞きしたことはないのですが、よそ者・若者・ばか者理論のような、大した理論ではないのですが、一言で言うとそういう人が世の中を変えているのではないかという話です。その話をするたびに、うちの上司が「経産省ではこいつがそういう役割です」と言って私のことを紹介しているのですが、結構そういう例はたくさんあるのだろうなと思うのです。何も知らないからこそできたことはきっとあると思いますし、伝統工芸の世界もきっといろいろな歴史があり、細分化された工程があり、それぞれの職人の方が「自分のやる範囲はここまで」ということでずっと受け継いできたものを、どうやって壊していくかという話もあると思うので。そういう人を受け入れる土壌があるかどうか、その土地の産業が伸びるときの重要な要素の一つなのかなと思います。

(佐々木) 服部さん、どうですか。

(服部) 堀木さんの作品はオークションで高く売れていましたよ。すごかった(笑)。
 奈良さんとのコミュニケーションというと相当難しい話なのですが、僕たちは彼とやりだしてからクリエイティブコミュニケーションということをすごく意識できるようになったというか。僕たちは、ものづくりで応えるということをやっていくわけですよね。例えば、環境の設計をやりました、環境ができました、そこへ奈良さんがやって来て、ひとまず驚くわけです。それにどういうふうに対応していこうか。創造性のコミュニケーションなので、こちらが何かを発しないと当然相手は響いてくれないわけで、こちらが一歩何を発言しているかということによって進んでいきます。ですから、逆に言葉ではない可能性も大きいです。ぽんと石を置いた瞬間にそこから始まることもあるかもしれないですし。奈良さんの場合はそういう感じですね。
 ただ、奈良さんだけに限った話ではなく、まず私は何であるかということを発言するというところからしか、クリエイティブコミュニケーションというものはスタートしないと思うのです。例えば、自分たちはどういうものを持っているかということを、出来上がったものをぽんと置くだけでは当然、こちら側の受け手がより敏感でなければ無理なわけです。そのぽんと置いた瞬間を説明するのではなくて、出来上がるプロセスをいかに説明できるかによって、クリエイティブコミュニケーションの質が変わると思うのですよね。先ほどの伝統工芸にしてもそうなのですが、プロセスの間にすき間をたくさんつくる、かかわりやすいすき間をどのようにつくるかによって、ユーザーが育っていくプロセスも同時に生まれていくような気がするのです。クリエイティブコミュニケーションにはそういうシステムもコントロールできるような気がします。

(佐々木) その場合、ユーザーと職人とアーティストの三者の、それぞれのコミュニケーションですか。

(服部) そうですね。その三者の価値観をいかに目に見える化するか。見える化するというのが、多分、形づくることだと思うので、その三者の価値観をいかに形にできるかというところのような気がしますね。

(佐々木) そのケースでいけば、grafというのはそれをデザインするという形ですかね。

(服部) そうですね。コミュニティが必要としているもので、コミュニティが問題だと思っているものを発見して、それを回答として形にするということだと思います。

(佐々木) デザイナーというのは問題解決する、提案するわけですが、逆にアーティストはそれを壊すわけではないですか。先ほど固定観念から離れるとか破るという話がありましたが、例えば和なら和を打ち壊すというアーティストがいて、どうやって打ち壊すのだといったときに新しいデザイナーが出てきて「では、こうしようか」と提案する。奈良美智というアーティストとgrafというデザイナーというのは、そういう関係だったのかなと思いましたが。

(服部) ああ、なるほどね。そうですね。テクニックも素材と見るか、目の前にあるものを素材と見るかで、大きな違いもあるかなと。素材と向き合うということがクリエイターの仕事だと思うのですが、何千年と地球上にある素材と闘ってきているのがわれわれだと思うのです。ですから、素材をコントロールできる人と闘うのか、素材と闘うのかというのは、大きな違いがあるような気がします。

(佐々木) きっと金沢というところは、伝統工芸、伝統芸能という素材がごろごろあるのですね。場合によるとそれはずっと手付かずできたり、形を変えずに素材なり伝統としてある。それからある意味、ある時代、ある時代に最先端を取り入れながら形を変えて、伝統であり先端であるような産業化もある。その意味でいくと、クリエイティブコミュニケーションというのは個々の対話などだったのだけれども、今度はまちとしてどう編集するかということになります。先ほど話がありましたね。編集の次に物語があります。まちとしてどうやって編集し、物語性までつなげるか、この辺りをどういうふうに。

(服部) 昔使われた言葉というか、今もよく使われがちなのですが、僕は「ライフスタイル」という言葉が大嫌いなのです。70年代にライフスタイルという言葉が生まれてから、その言葉が消費の細分化を促しているだけにしか見えないのです。こういう生き方の人だからこういうものを使うでしょう、こういうもので暮らすでしょうと。
 しかし、ライフスタイルの考え方をあらためてもう少し見直すとその辺も解決するのではないかと思ったのが、物を編集し、伝え方を物語化するわけです。先ほどの流れがまさしくそうだったと思うのですが。では、ライフスタイルといわれるものにどういう要素があるのか。単なる物だけの話ではなく、むしろ生き方としてどうなのか。そういう生き方の人がどういう物を使いながらどの場所で育っていくかということですよね。そこまでを伝えられるとすると、今困っているもの、物だけで困っている、事だけで困っている、人だけで困っているということも、すべて解決するような気もしました。

(佐々木) 高木さん、この辺りはどうですか。今の話。

(高木) まちのブランドという点で、この前、観光の専門家の人と話をしていたら、日本の観光地のブランディングが、その人から見て一番うまくいっている場所が高野山だとおっしゃったのです。高野山というのは日本で仏教が始まった場所で、あそこへ行くとそんなにラグジュアリーサービスのようなものはないけれども、お寺に泊まることができて、朝、お坊さんの話を聞いてお寺を巡って帰ってくる、精進料理を食べてきれいになった気がすると。「それはそうだな」と思う一方で、それはすごく極端な例でもあって、では中堅都市やそれこそ大都市においてそんなに明確なブランディングができるのだろうかということをそのときは思いました。
 先ほど、金沢市が作られたビデオを素晴らしいなと思って見ながら、ああいう映像を作るときに、やはりそういうことをものすごく考えるのだろうなと思っていたのですが、ビデオを見た印象は、やはり金沢は伝統や伝統あるまちなみをとても大事にしていて、そういう意味では昔から培ってきたものをどういうふうに見せていくかということをコアに考えていらっしゃるのかなというものでした。
 ただ、金沢の話を聞いていつも面白いと思うのが、まちの真ん中の、お城の横に21世紀美術館を造られて、現代美術の話とクラフトの話を同時に進めてこられたことで、きっとそこにいろいろなシナジーがあったのだろうなと思うのです。ビデオの中にもそういうことが表現されていたのだと思うのですが。
 多分、服部さんがライフスタイルという言葉が嫌いだとおっしゃったのは、私の解釈では、「あなたはこういうライフスタイルの人ですよ」と定義されて、そういうふうにふるまわなければいけないことが嫌だというような感覚もあるのかなとも思うのです。そういうことを行政が決める時代ではきっとないのだと思うので、まちづくりにおいて、みんなが欲しいオプションをどういうふうに供給しながら、多様な文化を見せていくブランディング戦略を取るかということのバランスが、すごく難しいだろうなと思います。

(佐々木) 「クリエイティブコミュニケーション」という言葉から始めて、今の組織から個、分離から編集、そして編集から物語性という中で、まちのブランドの在り方や産業の新しい育成のような、少し概念的な話をしてきました。
 僕は、創造都市とは、「イノベーション」と「インプロビゼーション」という二つの概念が出合う場所だという説明をずっとしてきました。イノベーションとは、産業的な革新だと従来語られてきました。インプロビゼーションとは、芸術の即興的なアイデアがわいてくる、ジャズのインプロビゼーションのようなものです。最近はそれに加えて、「セレンディピティ」という言葉を使って説明するようになってきました。
 この「セレンディピティ」という言葉は、調べていくととても面白いですよね。もともとイギリス人の政治家で、小説家であるホレス・ウォルポールという人が1754年に生み出した造語だそうです。『セレンディップの3人の王子』という話なのですが、要するにどういうことを言っているかというと、それぞれが予想もつかないような出来事に出くわして、その都度うまく新しいアイデアを出して乗り越えていくということなのです。ウォルポールが能力の一つとしてセレンディピティという言葉を使ったのが、最近、あちこちで使われるようになったのです。
 私の知る限りでは、アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)のメディアラボという新しい研究組織が「ソーシャルセレンディピティ」という言葉を使っています。つまり、予想もつかない新しい価値を見いだすような能力が生まれる組織というものをMITはあえてつくって、そしてあらかじめ計画しない、予定調和ではないもの、出会いをうまく価値の創造へつなげていく、そういった機能としてつくったそうです。
 私は、金沢は創造都市のいろいろな事業をやってきて、21世紀美術館もあり、おしゃれメッセもやってきているのだけれども、でもまだ何となく予定調和の中にあるような気がするのです。そうではない、全くこれまで思いつかなかったことが生まれるような場所、それこそクリエイティブコミュニケーションが頻発する、あるいは連鎖的に生み出される、そういう場所が欲しいなと思っています。お二人はどう考えるかお聞きして、そろそろ時間なので終わりにしたいと思いますが。

(服部) それはすき間があるということですよね。人がかかわれるすき間をどれだけ用意してあるかというか、むしろすき間をどうデザインしてあるかということの方が大事なのかな。今まで構成されたものは当然あったと思うのですが、すき間なく構成していたわけではなくて、すき間がある状態で極めていっていたのだと思うのです。極めてきた間のすき間というものが、きっと人がかかわるすき間になり、ここまで切磋琢磨してこれたのだと思うのです。
 これは都市の問題だけではなくて、実はプロダクトにもよくある話なのです。機能性豊かに物がつくられてきました。これはプロダクトです。ということは、人は無意識にそのもの自体をアフォーダンスの原理で使っていくわけです。無意識に使うとはどういうことかというと、不便であったことを意識しないということです。不便であったことを意識しないでいると、本来そのもの自体が何のために生まれてきたのかも分からないという状態になってしまう。ただ、不便につくられたプロダクトはどういうことになっているかというと、人がかかわらなければそのもの自体が完成しない。そこにすき間がある。人がかかわることによって、いかに人もプロダクトも成長していくか。僕は最近、21世紀のプロダクトの在り方とはというときに、すき間をどうデザインするかということでいろいろな話をしているのです。すき間をデザインすると人の成長も同時にスタートすると思っていて、これは都市もきっと同じだろうな、しかもそれぞれ歴史のあるまちでは不可欠な話なのではないかと思います。

(高木) セレンデピティというのは私もすごく好きな言葉なのですが、ただの偶然性だけではなくて、能力や、その大前提として意志のようなものがきっとあると思うのです。セレンディピティは生まれる人のところに生まれるし、生まれない人のところにはやはり生まれないのだと思うので、その差は何かというと、やはり意識のようなものがすごく大きいと思っていて、意識を持った人をどれだけ増やせるかということが大事だと思うのです。
 先ほどのスライドでご紹介した、東京をアジアのクリエイティブのハブにするという宣言を枝野大臣がしたときに、写真を出しますが、賛同してくれる企業の代表者の方を出してくださいと言って、出てきていただいたのです。結果として女性はパネリストだったレバノン人一人で、あとは全員男性になってしまって、結構年配の人も多かったのです。
 これを見ていた私の友人から、「クリエイティブ・シティと言っておきながら、全然今までと変わっていないじゃないか、みんなスーツを着ているじゃないか。これでは全然駄目だ」と、大変なクレームが来まして、すごく反省して、それ以来、活動というか、どうやってオープンな場所をつくるかということを私たち自身がやらなければということで、私のいるクリエイティブ産業課でも慌てて学生のインターンを採るなど、いろいろな活動をしているところです。
 どういうふうに見せるかということは、本当に重要だなと思いました。単に宣言をするだけではなくて、それをどこへ向かっていくものだとみんなが思うように見せていくかということを、私はもっと考えなければいけませんでした。それをどう見せるかによって、セレンディピティを生むような土台となるみんなの意識がきっと変わってくると思うので、私自身がこれから注意していきたいと思います。きっとクリエイティブ・シティをつくるというときにも、そこにかかわる人たちがどういう意識でかかわるようにしていくかということが、それこそ大きなブランディング戦略ではないかと思います。

(佐々木) どうもありがとうございました。すき間をどうデザインするかというのは、確かに難しいですよね。だけど面白いね。結局、金沢は余計なものをあまりつくらずに空間をいっぱい都心に残したので、それがとても良かったのですが、この後どうするかという、もっと楽しいけれども難しい話ですね。
 それから、金沢21世紀美術館はもっと進化してほしい、セレンディピティが生まれるような仕組みを中に埋め込んでいただけないかと思っていたりもします。この辺りは明日の全体討論でも取り上げることにして、取りあえず第1セッションはこのあたりで終わりたいと思います。どうもありがとうございました(拍手)。

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第一日目 12月8日

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