全体会議 | |||
世界に向けてユネスコの世界創造都市ネットワークを活用した、世界への発信やデジタル系の新しい手仕事による新産業と人材の育成 | |||
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全体会議
(福光) おはようございます。昨日は活発な討議をしていただきまして、大変ありがとうございました。今日は恒例の山出市長さんをお迎えしての全体会議ということでございまして、どうぞ具体的なアクションプランにつながるような活発なご発言を賜れれば、大変幸いでございます。佐々木議長に今から進行をお願いいたします。よろしくお願いします。 (佐々木) 昨日の大変刺激的な議論に続いて、昨晩はおいしいお酒もお料理も出て、まさにシンポジアを経験いたしまして、さらに頭の回転が上がった方もおられるし、今朝は少しお疲れの方もおられるかもしれません。私も最近だんだん記憶力が弱くなってきたので、昨日の私なりのメモをとっておりますので、ちょっとそのメモで昨日の議論を振り返っておきたいと思います。 今回の創造都市会議は、都市の生命力、いわゆるアニマです。これは体力も精神力も全部要るのですが、最初に飛田代表幹事が「恥ずかしさも大事だけれども」と言われながら、創造都市というのは創造的な文化の営みと革新的な産業活動が連携する都市だと。これが本質的な要素の一つだろうと思います。それをあえて、今の金沢がすべてこれを実現しているわけではないが、引き続き目標にしたいということをおっしゃいました。 そして第1セッションは、創造都市の新しい生命力を吹き込む活動をどのように考えたらよいかということで、その都市固有の、例えば金沢にしかできないアート作品をプロデュースできる、そういった人材の誘致や育成ということがとても大事だろうと。これは、相馬千秋さんが東京や横浜のアートプロデュースをされた中で、金沢への提言としておっしゃったことです。 それから、傍士さんのお話の中で私が印象に残ったのは、世界のユネスコ創造都市にはいずれもプロスポーツが立派に根付いていて、文化とスポーツが相まって都市の魅力を高めているのだというお話がありました。 増淵さんは、もうすっかり金沢創造都市会議の準常連といいますかメンバーになっていただいておりますが、音楽産業などを取っても、隠れた素材の発掘は地方にあるわけで、それと中央にあるメディアのノウハウというものをうまく結合しないと文化産業というのは発展しないのだということを言われていまして、今、金沢版のご当地ソングのようなこともさまざま手掛けておられますが、新しい文化産業をどのように興していくかということの提案をいただきました。 そして大内先生からは、創造都市には新しい価値創造を挑発する仕掛け人が大事だろうというようなおまとめをいただいたかと思います。 そして第2セッションでは、歴史都市の健康増進ということで、まず、あん・まくどなるどさんが、まちの健康というのは市民の体力と健全な精神から始まるのだと。それはどこから培われるかというと、まさに金沢の銭湯文化をきちっと復活することが大事ではないかと、町家にお住まいの中で提言をいただきました。 京都、大阪でアートプロデュースの活動をしておられる小原さんからは、コンビナートや古い町家やオフィスなどの近代産業の遺産に現代アートを吹き込むと、これがまた新しい都市の文化資本として再生してくるのだというお話がありました。 京都の町家倶楽部ネットワークの小針さんからは、町家の保存・復活ということを大前提に運動するのではなくて、そこに暮らすことの楽しさをお互いが共有するということが町家が新しくよみがえってくることなので、そういう中でアーティストとアーティストに町家をお貸しする家主の信頼関係というものがなければ、物事はそもそも始まらないのだというお話をいただきました。 その上に立って、新しいアニメーションやデジタル産業など、創造産業を発展させるためのインキュベータには、むしろ伝統的な町家がふさわしいのではないかといった宮田さんからの提言が続きました。 水野先生からは、歴史との対話の中で新たな価値や新しい施設を付与することで、歴史都市は現代によみがえると。 私どもは創造都市と歴史都市という二つの概念を切り口、手がかりにして、これの相互作用の中から創造都市・金沢のこれからの10年というものを検討する素材を幾つか出したというようなことだと思います。 今日は、この上に立って、昨日言い残されたこと、あるいはお互いにインスパイアーされて新たなる展開をお話しいただきたいわけですが、私の方から申しますと、つい先週、ユネスコのネットワークの担当者のドユン・リーという方が金沢にお越しになり、市長さんや私どもともお会いしました。そのときに、金沢はまだこの6月に登録された、ネットワークの19都市の中では最も新しい都市ではあるが、間違いなく世界の中で、あるいはネットワークの中で、中心的な役割を果たし得る都市であるというような感想を持って帰られまして、ぜひ近いうちにまたお会いしたいということでした。従って、19の都市の一つとしてというより、むしろ中心的な役割を金沢が担うというようなことが期待されているのではないか。あるいは、それにふさわしい力もあるのではないか、ポテンシャルもあるのではないかと思います。 (大内) 今、非常にコンパクトに佐々木先生にまとめていただいたのですが、若干具体的に補足させていただきたいと思います。 今回集まっていただきました相馬さんは、フェスティバル東京という一つのターゲットを基に、前衛の演劇を企画・制作されている方で、ご紹介いただいて非常に面白かったのは、一つは横浜で吉田町という、正直言って普通で言えば魅力的と思えないようなまちを会場にして、そこに一体自分は通行人なのか、あるいは逆に見られている側なのか、よく分からない。要するに、見られる側と見ている側、あるいは演者の側と鑑賞する側というのが渾然一体となるような一種のアート作品というか、そういうパフォーマンスを仕掛けられて、非常にたくさんの市民たちというか全国からも注目されたものを一つご紹介いただきました。 それから、東京では、トラックという現代の物流を支えている非常に代表的なもの、実は私たちの知らないうちに東京を動かしているもの、そこに観客を乗せてしまって、ガラスの箱のトラックなのですが、そこへ乗るのが実は一つのアート作品で、トラックに乗っかっているということは、トラックに乗っかっている人たちがガラス越しに東京のさまざまなところ、いろいろなことに気が付いて、いろいろな会話をしていく。会話をしていくこと自身がある意味で作品になっていく。そこでどんな会話が交わされるか、いろいろな驚きがあるか。そして逆に外側から彼らを挑発していく世界もあるわけですが、これは例えて言うと我々の現代というものが、例えば皆さんよくご存じのコンビニというのはほとんど倉庫を持っていなくて、よく言うように「倉庫は実はトラックなのです」という言い方があるわけです。バックヤードを全く持っていない。そういう中で物が動いているということを象徴するような、現代の社会を象徴するような作品をご紹介いただきました。 これはある意味で非常に過激な、前衛的なもので、それが一体アートと言えるのかどうかということにすら議論があるわけですが、そういう中からいろいろな方たちが何かを考えていく。つまり、彼女は公共のお金を使わせていただきながらやっていますので、あくまでもその土地のことを考えながら、そこに合った形で皆さんが何をこの時代の中で考えてほしいのかということをアート作品に託して、現代アートで問いかけるということをずっとやっていらっしゃる。そんなご紹介がありました。 それから、もう一つ面白い紹介がありました。現代を代表しているような、個室都市。私は実はそんなに知っているわけではありませんが、個室ビデオ店みたいなものを擬似作品として池袋に作ってしまったのです。もちろん豊島区からは、そんなものを作ってもらったら豊島区のイメージが悪くなるからやめてくれという話はあったようですが、確かに個室ビデオ店というのは現代が生んだある種の文化で、そこへ擬似的なものですから別に現実の個室ビデオではないのですが、そこに入っていろいろな質問をしたり問いかけをされているビデオを見る。そのあとインストラクターに招かれて、いつの間にかマクドナルドの上にあるコーナーがあって、そこへ連れていかれると、今度は逆に自分が相手から問いかけられる立場になる。つまり、現代というのはほとんど会話のない形で、まるで目の前にいろいろなシーンが流れていくように我々は現代の都市を見ているわけですが、一方で、それに対して自ら問いかけられたときに多分うろたえるのだろうと思うのですが、そういう中で自分たちが一体現代都市は何なのだ、どういうものなのかということを考えさせるというような作品のご紹介がありました。 傍士さんも非常に面白い、いろいろな活動をされているのですが、例えば、ご当地ナンバー、石川ナンバーが金沢ナンバーに替わるというようなことですが、全国でそういうことを仕掛けられた張本人でもあり、私は富士山ナンバーがあるというのは知らなかったのですが、そういう形でもう少し、行政の仕組みではなく、それぞれのまちが素直にそれぞれのまちを上手に誇っていけるようなご当地ナンバーのようなもの、例えばエンブレムやいろいろなマークを上手に使うというようなご紹介がありました。ヨーロッパのまちなどの場合は、例えばこれも私は知らなかったのですが、まちなかに置いてあるベンチにはみんな寄付された人のエンブレムが付いているとか、ルフトハンザ機には全部それぞれの町の名前が付いているそうです。金沢に就航してくれている全日空とJALとほかのエアラインにも、場合によっては小松に来るときにはエンブレムを付けて飛んでもらってもよいのですが、例えばそういうことまでやっている。 それから、増淵先生は、実はもともとソニーミュージックのプロデューサーをされていた方で、まさにJポップをつくり上げられてきた方であるわけですが、今現在は例えばマンガのようなコンテンツを使った観光マップを作られたりするということもやっていらっしゃるようですが、そこに至るまで、特に音楽のメディアの世界では人材の発掘という非常に難しい問題があって、確かに必ず良い人材が発見できるわけではなくて、数千人の中からヒットを出せるような人が生まれてくるわけです。そういう途中の苦労をいろいろやられていたわけで、その中である種の時代といいますか、時代状況よりも少し早い人たちを発掘していかなければいけないわけです。今は時代がものすごいスピードで進んでいきますので、そのときに、もしかするとこの人たちの作品が次の時代をつくるかもしれないというものを発見する目を持つことがプロデューサーの役割であって、そういう方たちを発見しながら、どういう方を実際に今まで発掘されたかということを、具体的にお話しいただきました。 さらに、プロデューサーの役割というのは、増淵先生の場合には主に音楽の分野でありますけれども、いわゆるクリエイターの人たち、創作意欲のある人たちの気持ちが、プロデューサーはよく分からなければいけない。彼らが何を表現したいのか、どういうことをやりたいのか。実際には、例えば奥尻島の支援のときには、地震の被害があったあとというのは電気が使えませんので、その電気が使えない中で、例えば確か泉谷さんだとかいろいろな方たちがライブをされました。在来型の楽器を使って演奏をせざるを得ない、逆にそういうことをすることによって、人と人とが音楽で対話することができるわけです。クリエイターたちはいつも、何かの機会のときに、電波であるとか在来型のマシンを通じる音楽ではない形で人と人とが音楽でつながりたいという意識をどこかで持っている。そういうものを上手に引き出してあげることもプロデューサーたちの役割で、そういう方たちをこれからどうやって育てていくか。確かにコンテンツをどうやって全国なり、あるいは全世界に配信していくかというノウハウは今は中央にあるかもしれないけれども、幸いインターネットほかいろいろなメディアが発達してきていることによって、ローカルにいるクリエイターたちを上手につないでいって、彼らを発掘していくということが今可能になってきています。しかもクリエイターたちの中には、自分たちの作品の創作活動は必ずしも東京のようなところではない、違うところでクリエイティビティを発揮したいと考えている人たちが、明らかにたくさんいる。金沢にもいるわけですが、そういう方たちの気持ちを上手にプロデューサーたちは引っ張り出しながら、彼らを支援するという仕組みが必要なのだろうと思います。 私が最後に少しお三方のお話を聞きながらまとめのようなことを言ったのは、そういう方たちを、挑発という言葉を使ってしまいましたが、上手にそそのかしていくというのが、ある種のプロデューサーたちの役割で、これから金沢が創造都市として成長していくためにはどうしても、どういう具体的な演者に金沢の創造都市を演じてもらうかということも大事だし、そのための場をどうやって用意するかということも大事ですが、やはりそれを仕掛けていく人たちのレベルを上げる必要があるし、そういう人たちの支援というか、そういう人たちを上手に育てていかないといけないということが確認されたということではなかったかと思います。 (佐々木) どうもありがとうございました。では水野先生、何かまとめというか、付け加えるようなことがあれば。 (水野一郎) 4人のパネラーの方々は、それぞれまちなかでいろいろ興味深いことをしておられまして、そのご報告は先ほど佐々木先生からしていただいたで、少し簡単にまとめたいと思いますが、例えば大阪でいろいろなことをやってこられた小針さんの話がありましたが、200DOORSは大阪の人たちの目立ちたがりやのところをうまく引き出していましたし、大きなアヒルを浮かべていたのは「水都大阪」のときで、その作品を作ったのはオランダです。オランダも水都です。そういう都市の性格に合ったものをされているわけですが、それを歴史都市として見ると、もしかしたら金沢の方が舞台は多いのかなと。江戸もあるし、明治もあるし、昭和もあるし、それから新しいまちもある。そういう意味で言うと、小針さんは大阪というところで自分のやれることを引き出してきているけれども、金沢というシーンで、もう少し引き出してもよいのではないかということを感じました。 それから、小針さんの方から町家の話が出たのですが、町家に住みたいというのは、京都の場合だと、単に住みたいのではなくて、町家に住んで何かをやってみたいという、クリエートする部分が非常に多い。だからアーティストが非常に多く住んでいる。工房だったり、アトリエであったり、あるいはブティックだったり、何か自分を表現する場所としてアトリエに入っているということで、これはなかなか刺激的な発言ではなかったかと思っています。それはやはり町家というものが持っている、ある時代のきちっとした価値観で作られている、あの空間が今の人に何か語りかけてきて、「おまえ、これを超えられるか」などという感じできている。そのようなことを自分で問いながら、その空間の中でクリエーションしているのではないかと思いました。 宮田さんの方からは、金沢の町家の中でデジタルな仕掛けが生まれてこないのか。それは大都市の普通のマンションやオフィスビルから生まれる話とは全然違う厚みがあるのではないかと。それはあんさんがおっしゃっていた、朝起きると道を掃除している人がいる。隣で煮物を炊いたり会話している、そんなものを感じる。そして川の音がし、料理のにおいがし、非常に濃密な人間関係と、それから空気や水など自然の関係、それから歴史的な関係、その空間にいると、そんなものを感じる感性豊かな人間に自分がなっていく。それがちょうど宮田さんのお話とつながってきて、非常に面白いなと思いました。 金沢の場合、いろいろな時代の価値観や美意識を積層しております。そんな中でいかに対話していくか。そして、その対話を通して私たちが過去の時代を乗り越えることができるかどうかということを問われているのではないか。歴史都市であることと創造都市であることというのは一緒ではないかというのが、第2セッションで感じたことです。 (佐々木) どうもありがとうございました。 (大樋) 昨日から作家として、職人として聞いているのは多分僕だけなのかなと思って、この創造都市会議の中でも工芸の話などを自分のサイドで考えて聞いていたのですが、1997年に世界工芸都市宣言というものを、僕は最初に市長さんに「宣言したいのですけれど」と相談に行ったら、それは市長さんがすることではなくて議会がすることだということで、職人と作家で自民党やほかの政党に全部陳情して、満場一致で宣言してもらったのですが、まさしく昨日の話のとおりで、プロデューサー不足で、宣言はしたのですがその後どうしたらよいかと、ずっと世界工芸都市会議などコンペみたいなものをやってきたのですが、昨日お話を聞いていて、金沢弁というのはいい発言だなと僕は思いまして、作家というのは何なのだろうというと、ここにしかない技術を持っている人や、ここに来ないと会えない人とか、昔からここだけにあったものとかというものをやり続けていることが大切なのだなと、昨日つくづく思いました。ただ、希少という言葉に置き換えると、世の中から必要ではないものということとほとんど今はイコールで、和傘なども85歳の松田さんという方がやめられたらみんななくなるという心配なところに来ています。その記事を読んで、僕は自分のアシスタントとか、それにかかわれそうな作家を全部集めて、みんなで学んでおいた方がいいなというような気もしました。希少な人たちからなくなりそうなものを学んで、みんなでまた覚えておいたら支え合えるのかななどという気も、昨日からしております。 (佐々木) という感想なり希望も出されていますが、いかがでしょうか。どうぞ。 (小原) 確かに歴史的なものというのは非常に大切で、歴史的な町家というのもものすごく大切だと思うのですが、昨日あんさんが銭湯の話をされていました。僕も佐々木先生に教えていただいて初めて知ったのですが、全国の銭湯の経営者の、非常に多くの方が石川県の出身だということを聞きまして、僕はびっくりしたのです。「ええ、どういうこと?」ということで、それが非常に気になりまして、昨日ホテルに帰ってから調べたのです。 昨日、調べてみたら、金沢市の中に50近い銭湯がまだあるということで、銭湯も今おっしゃったように、だんだん消えていく文化です。どこの都市でもそうですが、だんだん消えていく。でも、コミュニケーションやコミュニティということがよく言われる中で、非常にもったいない一つの場であるのではないか。しかも、金沢、石川県というのは銭湯文化のある意味発祥であるということを考えますと、ここに手をつけない手はないだろう。今、ホープ事業というのがありまして、大阪などでも始まったのですが、ある近代建築を改装していくのに、行政が補助金を出していくというようなシステムがあったりもしますが、別に行政が支援するかどうかは別としても、本当の意味で一つ一つの、例えば50でなくても10個の銭湯でもアーティストがリノベーションする。 あと、意外に外国人も銭湯には非常に興味を持っています。僕もレジデンスを京都でやっていたときに、黒人のダンサーの方が来られて、近くにいい銭湯があったもですから、「銭湯へ行かないか」と言ったら、やはりちょっと恥ずかしがられてなかなか行かれなかったのですが、ぜひ行ってくださいということで女性の日本人ダンサーに勧めまして一緒に、無理やりのように連れていったのですが、それから毎日行くようになったと。銭湯というのは素晴らしい文化だということで、外国の方にも日本の文化として受け入れられる、あるいは興味を持たれる、そういうコンテンツではないかと思うので、ぜひ一度その辺で実際に具体的に動いていただいたらどうだろうかというのが提案です。以上です。 (佐々木) 小原さんが来て幾つか仕掛けてもいいし、今日はあんさんがおられないので残念ですが、確かに私が金沢大学に赴任した最初に、行政の委員会で仕事をしたのが公衆浴場の関係だったので、これも何かの縁で、詳しく調べたことがあります。 (傍士) 大内さんのお話の経済と文化というところで、私自身は今の日本は経済と文化が決勝戦を戦っていて、どちらが勝とうとしているかという時代で、もし経済が勝てばこの国は滅びると思っているのですが、創造都市のメンバーであるエジンバラというところは、実は経済学の祖アダム・スミスが生まれ、お墓のあるところで、彼は「人間が人間らしく生きる社会をつくるための手段が経済である」ということを明確に言っています。その人間が人間らしく生きるというのがまさに文化であって、それは多分、日常の中にあるいろいろな楽しみ。その日常も、昨日申し上げたように、10年に1回という日常から、毎日というところまで、いろいろな日常が多分あるのだと思うのです。 私には変わった趣味があって、ヨーロッパで生活しているときに市長さんのところへ行って、「よその市長さんからもらったおみやげは、その後どこにしまっておられますか」と、何を大事にしているかということを調べたのです。そうすると、一番大事にしていたのは、まちの紋章が付いたペナントです。それは大体、市長さんの部屋の壁に張られているわけです。わけの分からない人形や木彫りの何とかというのは、「どこにいったのですか」「倉庫にあります」ということで、やはり共通する価値観のものというのが、まずそのまちの扉を開けてくれる。そうすると、「ああ、このまちはこんなに素晴らしいのか」というところがそこから出てくる、そういうことをお伝えしたいと思います。 (佐々木) どうもありがとうございました。テトメデスは扉になるか。これはあとでまた市長さんにも伺いたいと思いますが。手仕事という共通する価値観。いかがでしょうか増淵さん。 (増淵) 皆さんのお話を楽しく聞かせていただいております。プロデュースというか、その辺について少し補足なのですが、先ほど佐々木先生がおっしゃられた慣習というのがありますよね。売れるものというのは、基本的に慣習だと僕は思っているのです。ちょっと気恥ずかしいもの、ここに手を出せるか出せないかというところがポイントで、僕らの音楽の商売でもやはりそこがすごく重要だったのですが、少し話を変えて、4年前から札幌で北海道マンガ研究会というのを立ち上げたのです。 一つは中央への人材流出をどうやって阻止するか。それからもう一つは、地域での経済化をどう図るか。そういう形で立ち上げたのですが、当初、札幌市の方が違う方向を向いていたものですから、私たちの研究会にも札幌市からレギュラーで3人来ているのですが、なかなかうまくいかないところでありまして、デジタルアートの方に舵を切ってしまっているものですから、アナログマンガというのは一応視野には入れているのですが、あまり本腰が入らないのです。それで泣かず飛ばずのままここ2〜3年きたのですが、ようやくトヨタ財団の支援を受けることもできて、来年から社団法人化するかなという方向になっています。また、うちのメンバーの中で、地元の専門学校でマンガを教えている先生たちも何人かいて、ちょうど今年、ポーランドのクラコフにマンガ学校ができたので、そこに一人教員を派遣することになりました。ポーランドでマンガというのは最初は意外だったのですが、一つ一つの小さな形は作れてきています。 (佐々木) そうですね。ポーランドのクラコフというのも歴史都市ですよね。そこにマンガ研究所ですか。なかなか面白いですね。金沢では今、デジタルでもアナログでも手仕事で共通性があるという形の議論を起こそうとしているので、アナログマンガであれ、デジタル化されておれ、それはどちらも職人的な手仕事だということで、金沢はそういうものを育成したいと。もう一つの問題は知的所有権のことで、このあたりは地域できちっと確立していく。あるいは、それに対する支援をする。その辺が大事になってくるのでしょう。 (宮田) 知的所有権のお話もしたいのですが、ちょうど先ほどたまたま銭湯の話が出たので、一つ面白い例を知っているので。僕のコンピュータを画面に出せますか。 これは東京の経堂というところにある「さばのゆ」というカフェです。別にここは銭湯ではないのですが、お湯文化をテーマにしたカフェなのです。ここは何が面白いのかというと、経堂というのは少し辺鄙というか、中心部から離れた場所にあるのですが、連日たくさんの人が、若い人から中年からお年寄りまで集まって、ここでいろいろな話をしたりして、要はコミュニティのようになっているのです。ここに著名人の方もたくさん来るし、一般の方もたくさん来るし、そこで毎日いろいろなことを話し合って新しいものがどんどん生まれていっているというような場所になっているのです。 僕はこのお店のことは、最近、インターネットではやっている、ツイッターという一言つぶやくというブログのすごく短いようなものがあるのですが、それでたまたま松尾貴史さんという芸能人の方がいるのですが、その方もここに毎週行っているというようなことが書いてあって、僕も面白そうなので行ってみたのです。そうすると本当にまさに先ほど言っていた銭湯というのが文化になって、そこで人々が集って新しいものが生まれていくというようなコンセプトで造られていて、本当に全然お金をかけていないような店なのですが、毎日たくさん人が来る。たくさん人が集うとういうことが、ややはり大事なことだと思います。 少し話を戻しますが、昨日少しお話しさせていただいたeATガニゲセンター、「ガニゲ」というのはマンガの「ガ」にアニメの「ニ」にゲームの「ゲ」、これを総称して、しりあがり寿さんが名付けた言葉で、僕は新産業の総称といいますか、分かりやすい言葉だなと思うのですが、eAT KANAZAWAで今まで培ってきた経験やつながりというのが非常に大きな財産である、これを文化を産業にしていくというところにつなげていきたいという思いでeATガニゲセンターというものを提唱しているのです。 (小原) すみません、ちょっとだけ。昨日、打ち上げの席で福光さんとお話をしておりまして、「なぜそんなに肌がつやつやしているのですか」とお伺いしたら、「お酒を入れたお風呂に入っているんだ」というお話で、「えっ? そんなお風呂があるのですか」「いや、それがすごくいいんだよ」という話もあったりしたので、そういうのは僕らかすると聞いたこともない話だったので、お酒湯みたいなものもあればいいのかなと、ふと今思い出したので。 (小針) 京都では大正時代に建った銭湯の廃業に伴って、そのあとを活用して「更紗西陣」という名前でカフェとギャラリーと毎月一回のライブをしていて、とても多くの若者を集めている、集客のある場所もあります。先ほど作家さんとしての目、それからプロデューサーの目でお話をいただきましたが、京都ではそれがとてもあいまいなところでいつも揺れ動く出来事がありまして、伝統産業という名前の中で、芸術と産業としてのアートというのが混在されてしまう。それはイコール、作家と職人の間だったりすることもあるのです。つまり、自分でプロデュースできる人たちと言われたものを作るだけの人たち、そこが混在していて自分でプロデューサーできるようになって作家となったりする。でも売れてしまうと、それは商品という言われ方をする。そこは周りの人が見極めてあげて、プロデュースするときに、大量生産になって商品になるから価値が下がるのではなくて、そのまま作品がたくさん出ているというように周りが押してあげることがとても大事だという経験をしました。 今度はミニマムなお話をしますと、一昨年に京都市と国交省と一緒に、人というのは善し悪しで動くのではなくて面白いかどうかで動くという、そこら辺に少し着目しまして、良いから残しましょう、大事なものですから残しましょうという説得よりも、もっと好きになってもらおうという観点で起こした一つのプログラムがあります。それは題して「私の家物語」という名前なのですが、各立候補されたおうちに専門家(大工、庭屋、石屋、建築屋さん、歴史の分かる学校の先生、カメラマン、フリーライター)を派遣しまして、そこのおうちの見るツボ、解説書を作りました。A4で10ページ、それぞれのおうちにオーダーメイドでそのおうちのガイドブックを作ったのです。そのガイドブックというのはきれい事ではなくて、そこのうちがいつ建って、誰が建てて、何をしてきて今に至る。その中の9ページほどは材料から造り方の解説から、褒めちぎるのです。最後はきっちりとした図面を起こして1冊を作りました。 例えば私でしたら「私の家物語〜小針家編〜」というような形で作ったのです。そうすると玄関から入って、この柱はスギ、上がりかまちは桜の一枚板でできている。奥に入ったときの主の部屋には床の間があって、床の間の材は何。ここでタケノコのように切ってあるところの目もちゃんと奇数になっているので、これは立派な数寄屋造。それで、数奇屋とは何々というような形で、全部解説したのです。 実は大きな人生の中で、おうちを建てたときとお葬式のときというのは、とてもお金がかかります。でも、お金がかかるくせに、あまり自慢できないのですね。新築で家を建てても3日ぐらい自慢するだけで、あとは普通になってしまう。それでもやはりおうちに愛着があったり、誰かが来て「すてきですね」と言われたときに、「何でもこれはモミジで造られているらしい」とかと言えたら、ちょっとカッコ良かったりするのですね。そうすると、おうちが好きになっていく。 面白いのは、先々月ですか、ニューヨークの方で、京都の西陣の町家が、世界文化的危機遺産というものに登録されました。産業としてのユネスコは前向きなのですが、どちらかというと絶滅危惧種に指定しますという形に京都の町家はしていただきまして、向こう3年間ほどいろいろな企業から残すための基金を集められる対象になるのです。若干マイナス要因でございます。だから、そこら辺もいろいろなやり方はあるのですが、好きになりましょう。 (佐々木) どうもありがとうございました。小針さんとも付き合いが長いのですが、その都度新しい話題を出してくれるので、また次に会うのを楽しみにしているのですが、水野さん、お聞きになっていかがですか。 (水野雅男) はい。今の家物語、すごくいいですね。私たちも来年やります。 (小針) よろしいですか。その家物語のことなのですが、京都というのはすごく高飛車なところがあるのです。「来たかったら来てもいいよ」という態度をとるのです。「見たかったら見せてあげるよ」という態度をとるのです。そのくせ、神社仏閣の案内地図を見ますと、ご利益が全部書いてあるのです。非常に商魂も強いのです。私は着いた朝に金沢の地図をもらったのですが、お寺とかいろいろ細かく書いてあるのだけれど、このお寺は何に効くよというのが意外と載っていないのです。京都は間違いなく、「嫌な彼と別れられるお寺」とか、「ここは恋が成就するお寺」とか、非常に面白いのは、「子どもの夜泣きが止まる神社」とか「お乳の出の良くなる祠」とか、いろいろなことが書いてあります。そうすると人が行くのです。ですから、そういう意味では若干商魂たくましさもあってもいいのかなと。それと気持ちをぐっとつかむような「私の家物語」と、両方もいいのかなと思いました。すみません。 (水野雅男) ありがとうございます。私は町家研究会で町家のことを調べたり、町家巡遊というイベントを通して町家の良さを知ってもらおうということをやっています。そういう中で、金沢は歴史都市に認定されましたが、お城や兼六園、用水などは歴史都市の骨格に当たるのではないかと思うのです。それを取り巻く町家というのはそこに付いている筋肉のようなもので、骨格だけでは駄目で、健康増進で考えますとやはり筋肉も鍛えていくことが必要ですし、毎年300棟ずつぐらいなくなっていくというのは、歴史都市の体力がだんだん劣っていくということなのではないかと思うのです。そういう意味で町家というものにもう少し着目して、それが活用されるようになっていったらいいなと思います。 今回作っていただく町家職人工房は、そこで作るだけではなくて、訪れる方にも見てもらう、ギャラリー機能も持たせるという意味でも、まちに魅力を高められるのではないかと思います。住まいということも大事ですが、レジデンスするというニーズもあると思うのです。金沢21世紀美術館も、美大もあります。そういうところに来られるクリエイターやアーティストが短期滞在できるような形で利用するための町家というのも、あっていいのではないかと思います。 もう一点は、クリエイターと、外国人だと思うのです。私たち教員グループで、町家ドミトリーという取り組みを少し始めてみましたが、まちの中にドミトリーが点在していると、高齢者だけのコミュニティに勢いが出てくるといいますか、活性化すると思うのです。そういうクリエイターと外国人の方を受け入れる場として、町家を活用していったらよいのではないかと思います。 信用ということで言いますと、先ほど紹介しましたドミトリーは、我々教員が借りるので貸してくださいと言うのです。学生が借りるから貸してと言うと、なかなか敷居が高くて抵抗感があると思うので、我々は教員グループでやったのです。ドミトリーはそれでもいいと思うのですが、クリエイターの方に入ってもらうときに、やはり何か信用してもらうような、仲介する組織があったらいいのではないかと思うのです。それはどういう言い方がいいのか分かりませんが、金沢創造都市会議の、あるいは金沢創造都市応援団でもいいのですが、何かそんな組織があると、オーナーの気持ちがそちらに動いてくれるのではないかと思います。 (佐々木) 今の信用を与えるということでいくと、小針さんと一緒に組んでおられる妙蓮寺の佐野住職。京都ではお寺さんがいると信用されるのですね。大学の教師は信用されませんが、お寺さんだと大丈夫なので、それは圧倒的なパワーがありました。 (大内) 京都続きで言うと、私もいろいろと怒られたことがあって、「おぶでもおあがり」と言われて、のこのこ入っていくようなやつは二度と付き合ってもらえないといいますか。「おぶでもおあがり」というのは、「お茶でも飲んでいけ」ということなのですが、いきなりそれで、「はい、はい。ありがとうございます」と言ってお茶を飲んだりすると、京都ではまずは信用してくれない。あるいは、京都でいろいろな行政施策を考えると、お坊さんを敵に回してしまったり、お寺のおかみにぼろくそに言われたりすると何も動かないというのが私のよく知っている世界で、非常に怖い世界です。逆に言うと、そこに都があったという京都の性があって、そして非常に都をあてにして全国各地からいろいろな人たちが来るわけです。その中には、必ずしも京都としてはウエルカムでない人たちも来ますから、そういう方たちから見事に自分たちを守るために彼らはそういう仕掛けを作って、人の足下を見ると言えば嫌な言い方ですが、それをせざるを得ないというのは、まちの長い長い歴史がそうさせたのではないかと思うのです。 最近少し気になることが私の大学などにもあって、それは何かといいますと、お年を召した方が、それなりの遺産を持っているのだけれども、自分は遺産は冥土に持っていけないので、できれば何らかの形に上手に使ってくれるのであれば寄付したいという方が結構おられます。そういう方たちが相談に来ることが今大学などでもあるのですが、大学は、寄付はそのまま免税で寄付することができますので、そういうことをお考えになるのだろう思います。私は文化やスポーツというのは、ある種のパトロンというか、あるいは篤志家の篤志によって支えられるべき性格がどこかにある、そういう仕組みをそろそろきちっと考えていかなければいけない時代だと思うのです。 では市は民間に全部任せればよいかというとそうではなくて、2番目の話なのですが、ヒントになることで、実はアメリカはまだまだ文化的にはヨーロッパに劣るみたいなところもあるのですが、アメリカという国は20世紀の前半に特に大恐慌のあとにものすごく文化人が失業して食えなかった時代に、ニューディールの一環でもあったのですが、カーネギーであるとかロックフェラーが大変な財団をたくさん作っていて、そして食えないアーティストたちを支援しました。 そういう方たちをサポートしますので、やはりマジョリティがごく一般の人たちであったり、市民の人たちのお金であったり、そういう人たちの意見でもって支えられている仕組みというのが本来あるべき姿であって、それを上手に、49%がよいのかはともかくとして、アメリカの場合は49%という考え方があるのですが、そういう形で市なり公共がサポートしていく仕掛けというのは、なかなか面白い考え方ではないかと思うのです。 つまり、この分野というのは、昨日もご紹介いただいたように、特に前衛アートというのは一般の方たちに理解していただくまでにはひょっとすると何十年かかったり、あるいはだいぶあとになって評価されるものですので、スタートの段階では場合によっては相当物議を醸すようなものについても挑戦していかなければいけないという種類のものです。ですから、そういう形で新しいタイプの財団みたいなものを考えなければいけないのではないかと思うのです。従来型の財団ではなくて新しいタイプのもの。神社・お寺もなかなかうまいお金の集め方をしていますが、それとも少し違う何か仕掛けを考えなければいけない。そういう形で民間の意志ある方たちの資金を上手に集めて、そしてそれを上手にプロデューサーとして使っていくというような仕組みを、そろそろ考える時期に来ているのではないかというふうに私は思いました。以上です。 (佐々木) 文化事業なり文化産業を発展させるためにどういった形のファイナンスがあるかという話ですが、10月に金沢の創造都市の世界フォーラムをやったときに、ゲント市からカトリーヌ・ラポルトさんという代表の方がお話しになった中に幾つか新しい動きがありました。 (増淵) 今の大内先生と佐々木先生のお話は、非常に理想的でいいなと思いました。ただ、私は福岡で一度ポピュラーミュージックの基金のようなものを作ったことがあるのですが、なかなかうまくいかなくて、それから福岡や小樽などで、ミュージシャン中心ですがアーティストバンクみたいなものをやったこともあるのですが、それもなかなかうまくいかなくて、行政と乖離したところにシステムを作らなければいけないのかなというのが僕的な考え方です。 やはり各都市で、この領域でいろいろなアプローチがされていますが、大体議論で欠落しているのが、アウトプットの問題なのです。人材を育てます。だけどその育った人材をどうするのかという議論がほとんど欠落していて、札幌もそうなのです。インキュベーションを作って、国際短編札幌映画祭をやって、3500本ぐらいフィルムビデオが集まって、その一等賞、二等賞をつけるのはよいのだけれど、では、そこからビジネスにどう結び付けるかというスキームが欠落しているのです。だから金沢の場合はプロデューサー的な役割を担う人が、いわゆる地元での活躍の場を与えるのと同時に、中央や海外のあるマーケットとのマッチングのような機能を果たす人材が必要なのかなという気がいたします。以上です。 (小原) ファンドということなのですが、私も今まで文化支援ファンドというものを3回やってきまして、一応、平均のリターン率が10%を超えています。なので、すべてがうまくいっていないということではないと思います。 (小針) 京都で今動いている出来事としましては、京都市がやっている税金投入型の助成金が一つあります。もう一つは、個人の寄付を基にしている助成金、その二つがありまして、伝統的建物群保存地区の網掛けエリアで建物の外観を伝統建物的な町家に戻す場合、50%上限600万円が頂けます。網掛けエリア以外の人たちは、町家ファンドという名前で、実はファンドというのはリターンしなくてもよかったりするのです、基金という意味なので。ですから、時々みんな勘違いをされる。だからその名前を変えなさいと言っているのですが、町家ファンドという名前の寄付を基にしたあげっぱなしの助成金というものもあります。それも同じく50%までで上限500万円。毎年20軒ぐらいの単位で、おうちを直したいという人への助成を始めています。相当数が元の形に戻り始めました。ただ残念なのは、中で動いている人たちへの個人的な助成がなかなかできないことです。それは行政がなかなかしにくい。ちょっと作文力のある人たちは、芸術文化振興基金など、いろいろな民間団体で助成してくれる人たちとのマッチングはうまくやっていますが、実はそれがないとできないでは駄目なのです。なくてもできること、それを頂けたらより良くできることということにマッチングしてあげると、非常にすてきなことができるのかなという形だと思います。 (佐々木) かなり専門的な話も出てきました。 (小針) 今のおまけで、町家ファンドの寄付の話のですが、京都では町家バナナというものが売られています。バナナメーカーと提携をして、一房買うと1円が町家に寄付されるというようなバナナがスーパーや八百屋さん等で売られていまして、町家のマークが張られているバナナがあります。そんなことも、今、動き始めています。 (水野一郎) 少し違う面ですが、10年たって、創造都市として進むときに、やはり内から想像力が出てくる営みがそろそろ必要な時代に入ってくる、それが次の10年ではないかと思っているのです。私は建築の分野でいろいろやっているつもりなのですが、それ以外でも、例えば歴史都市という点で言うと、八日市屋さんの蓄音機館を市長さんと一緒になって、日本のあちこちを回ったりしながらあのストックをPRしているのですが、そもそもあの蓄音機館については東京辺りでは知っている人がかなり多いということがあります。それから、レコードがなくなってテープになって、今また違う媒体になっていますが、そのレコードを集めようというので、ポピュラーミュージックだけでもう23万枚ぐらい集めているのですが、これはスポンサーを金沢工大にお願いしています。もう一つ、私がどうしてもやりたいと思っている歴史都市の厚みとして考えているのは、今は建築の設計図面は全部CADになってデジタル化しているのですが、その前までは全部手書きだったのです。丹下さんのも黒川さんのもみんな手書きなのですが、今それが捨てられつつあるという状況にありまして、日本建築家協会でそれを何かしなければいけないという提案をして、ずっと10年ぐらい学会でも言っていたのですが、スポンサーがゼロなのです。欧米を調べると、国家が支援しているのですが、日本では国家が全然動かない状態で、多分、仕分け人に簡単に捨てられてしまう状態ではないかと思うのです。ちょっと考えても、すぐ1億円ぐらい金が要るのです。しょうがないから、きっかけだけで今集めていまして、50人分ぐらいの図面が集まっているのですが、工大に置いてもらって人を付けてもらっているのですが、「将来の金はないぞ」と言われておりまして、そんな中でどうやって金沢に日本中の図面が集まるかという仕掛けを作るか、今ずっと頭を痛めているのですが、こういうのも歴史都市としての厚み、金沢へ行けばこれが見られる、金沢へ行けばあるなどという話ができるのですが、なかなか調整が難しいというのが現状です。 (福光) これからの10年の創造都市ということで、いろいろなお話を出していただいているのですが、少しお話の仕分けをしなければいけなくて、要するにイベント的なものがあったり、町家のような歴史遺産の再活用の話があったり、いろいろあるわけですが、基本的に金沢の場合は、これからファンドなど、よほどうまくいけば別ですが、なかなか難しいとすると、基本的に地場産業がいかに創造都市風になるか、あるいはアート化するか、あるいはもっと簡単に言うと付加価値を高めるかということが非常に重要だと思うのです。 それを、この金沢の会社の集団だと、できないところもありますが、できるところも結構あると思うのです。そういうところをもう少し組織化してというか群を組んで、市としては21世紀美術館にお金を出していらっしゃる。その格好のままの形で企業にアートの影響がどんどんいくようになるような、そういうことができないだろうか。例えばお豆腐屋さんのおいしいのがあるのですが、非常に規模が小さいのです。それはそのままでもいいのだけれど、もう少しすてきにしたらもっといいというような話はいっぱいあります。こういうのを、それこそ町家を使ってもいいし何を使ってもいいのですが、金沢の中で解決できないか。そこに一点、アーティストや面白い仕掛け人がぱっと入ってくる。もうそういう仕組みでやっていこうということは10年議論して決まっているわけで、それをあとどうやってうまくやるかということだと思うのです。 創造都市の定義が文化と産業の連携であるということは素晴らしいことなので、それを本当に地道に一社ずつ増やしていくように実践をするというのも、経済界からの発言として非常にまともだろうと思っています。それは、例えば極端に言うと、21世紀美術館が関与するような方式もいくらでも考えられるのではないか。そんなふうにちょっと思います。それが地場の既にある産業の創造化というか、クリエイティブ化ですし、それからもう一つ、宮田さんから言っていただいたのは、金沢にあまりない産業を金沢につくるという話で、eATというイベントが14年目になって、ものすごいネットワークと人の付き合いを持っております。このeAT関連の人たちが地場の産業に影響を与えるのも、今申し上げたような方式の一つだと思いますが、別の産業として、デジタル系の手仕事である、ガニゲとおっしゃった、マンガ、アニメ、ゲームに象徴されるような新コンテンツ産業を、eATの人たちとの付き合いを使って、いよいよ本当に金沢のまちの中にそれらの産業化を育てていくということをすればいいし、もういくらでもできるところまできているような気がします。 いずれにしても、伝統的な企業を活性化することと、新しい産業をつくることをやっていくこと。それらのプロセスの中に、さまざまなアート事業、アートイベントがたくさん生まれてきて、それらが一体になって金沢というものが外に見えるというようにすべきではないかと思います。 そして今度、発信するときに最も良い方法というのは、いろいろあるのですが、やはり今金沢にとって一番良い方法は、ユネスコの創造都市ネットワークそのものを大いに活用することではないかと思っております。つまり19の都市、日本の名古屋、神戸もありますが、これからもっと増えるようですし、そのネットワークの都市と直接・・・。今度の創造都市ネットワークでよかったことは、何も東京のお役所と関係なく、金沢市がユネスコと直接仕事ができたことだということを、市長さんがはっきり言っておられるわけで、このネットワークは、多分、都市と都市との直接の付き合いになるので、このネットワークの全体会議みたいなものが2年に一遍あるようですから、ぜひ近いうちの全体会議を早めに金沢に招聘してしまって、全部の都市との付き合いをいっぺんに作ってしまうと、金沢のやっていることをいっぺんに紹介できるし、いろいろな都市のやっていることがいっぺんに入ってきて、そこでまた良い知恵が生まれる。それがネットワークの使い方の最も重要なこと、あるいは最も基本的なことではないかと思います。 (佐々木)市長さんお願いします。 (山出市長) この中で一番野卑な男が僕で、こういうアカデミックな雰囲気の中にいるということ自体が本当は間違いなのですが、呼ばれましたので来ました。 同時に、銭湯の話が出ましたが、僕はずっとそんなことばかり思ってきました。裸のお付き合いの場をどうやってこのまちに増やしていくかということが一番大事であると思っておりまして、先ほどの映像は、落語を喫茶店みたいなところでやっていましたが、僕自身も銭湯に落語を呼べないかと。プロの人を呼ぶとお金がかかるので、大学へ行って頼めと。大学の落語研究会を頼んで呼べば、金は安く済むはずだと、こういうことも言ったりしたのですが、なかなか実際にうまくはいっていません。家庭の風呂が増えてきたからうまくいかないのですが、あんさんが銭湯へ行かれることは事実です。私もよく聞いていまして、やはりああいう雰囲気というのは大事だなと思います。 このまちには、実はコミュニティの場というのはたくさんありまして、用水はまさにそうだと思っているのです。洗濯して、大根を洗って、近所の噂をしたのは用水なので、それにふたをかけて車を置くから駄目になる。広見というところもたくさんありまして、その広見の機能をなくしたのもやはり車で、車が入ってきたからコミュニティというものがなくなっていったと思っておりますし、神社の境内もそう、お寺の境内もまさにコミュニティの場であったわけなのですが、そういうものもなくなった。 そういう意味で、この創造都市会議も、このまちのコミュニティというものに視点を置いてくださると、私にとっては大変ありがたい。こういうことを言うということは、市長が甲斐性がないから言うということにもつながるのですが、私自身はまじめに考えて、やはりまち全体をみんなで手を取り合って作っていくような雰囲気というものを絶えず意識していないと駄目だなという思いがあるのです。 (佐々木) どうもありがとうございました。そろそろまとめの時間に近づいているわけですが、米沢さん、一言お願いします。 (米沢) 実は今、ツエーゲン金沢というサッカーチームがありまして、全国で今4チーム残っていまして、今週末、そこで2位に入りますとJFLというランクへ行きます。そうすると、先ほど傍士さんがおっしゃったように、18チームあるので17都市を回る。要するに、ツエーゲン金沢というネームのチームが17都市を回る。また、17都市からの選手とサポーターが一緒に金沢に入ってくるということになりまして、そういう意味ではツエーゲン金沢自体が一つのワークショップでもあるのかなと。そういう意味で、今週末の結果を楽しみにしておいていただきたいと思います。 (佐々木) どうぞ。 (傍士) 先ほど市長が盛んにお使いになっていたコミュニティという言葉自体、コムと頭に付いた言葉は、日本語では実は訳しきれていないのでカタカナになってしまう。コミュニケーションやアイデンティティもそうなのですが、結局、日本にはなかったので日本語で訳せない言葉、本当はそれが一番共通語なのかもしれないなと思います。 (山出市長) 僕はスポーツの枠というものを、コミュニティと結び付けています。 水野先生もちらっと先ほどおっしゃいましたが、このところ外国のお客さまがこのまちにかなり増えてきてきまして、10年前と今とを比べますと、このまちで外国のお客さまの顔を見ることが全然不思議でなくなりました。そこはこの10年間の大きな違いだというように思っていまして、そうすると、僕は町家の再生というものも、外国のお客さまが使ってくださる手もこれからどんどん出てくるのではないか。あん・まくどなるどは、まさにその一人だったわけでありまして、これからそういうことも十分考えられると思っているのであります。こうやって毎年、毎年、会議に呼んでいただいて、お話を聞きながら、10年の間にやはり進んでいる、このまちは少しずつ変わっていると感じます。私は、まちは革命的にある日突然変えては駄目だ、失敗すると思っておりますし、趣味でまちをつくったり、奇をてらったまちづくりをしては終わりだという思いがありまして、そういう意味で、日本の知恵者が集まっていろいろな意見を交わしていただきまして、それをうまく我々がこなしていくことが、一番大事ではなかろうかと思います。 金沢弁のまちづくりといいますと、近江町市場はまさに金沢弁の集約されたところでありまして、そこの再生をしたわけなのですが、この仕事の背景には水野先生に随分ご苦労をかけたのであります。なぜご苦労かけるかといいますと、ああいう再開発については、必ず東京のコンサルの人たちが入るわけです。ところが、あの雰囲気を残すことは、そういう人たちではなかなか難しいので、ひょっとしたらデパートの延長みたいな市場になりかねない。そこは一番気を遣ったところでありまして、水野先生がいわばコンサルと地元との間に立ってくださって調整をしていただいた、こういうことがあったわけでございますので、私はそういう扱いというものを絶えず意識していかないと、いいまちにならないと思っています。以上です。 (佐々木) どうもありがとうございました。これでほぼ今回の会議は終わりになりますが、最後に宣言をまとめて発表したいと思います。 |
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