基調スピーチ 「都市の生命力」
創造的な文化の営みと革新的な産業活動を連関させる
金沢弁のまちづくりを

金沢創造都市会議開催委員会会長
社団法人金沢経済同友会代表幹事
飛田秀一

 



旧町名の復活や金沢検定試験も、
いわゆる金沢弁のまちづくり
この都市の生命力を高め、都市を元気にする

私は普段、あまりテレビを見ないのですが、たまたまNHKのハイビジョン放送をつけたわけです。皆様もよくご存じの大作曲家の船村徹さんが大変味わい深い栃木なまりでいろいろ話をされていたのです。私は以前、どこかの会合で船村さんがゲストスピーカーになって話をされているのを聞いたことがあるのですが、大変含蓄のある話をされます。奥さんは、金沢出身の歌手です。これは全然関係ありませんが。
 彼は作曲家で、デビュー当初は作詞家の高野公男さんとコンビを組んでいたそうです。二人は今の東京音大、昔の東洋音楽学校の同級生でした。お二人とも北関東の出身です。北関東の出身といったら何ということはありませんが、東北を除くと、かなり言葉になまりのある地域で、船村さんが栃木県、高野さんが茨城県、そんな関係で親しくなったそうです。
 
 在学中に作曲家、作詞家としてデビューしたそうですが、なかなかヒット作が生まれない。そんな中で、高野さんが「このままでは我々はいつまでたってもヒット曲を生むことができない。自分は茨城の出身だから、茨城弁で詞を書く」。茨城弁で詞を書くといっても、茨城特有の言葉が出てくるというわけではなくて、茨城風の詞を書く。「そこで船村さんよ、君は栃木県だから、栃木弁で作曲をしろ」と。茨城弁で詞を作り、栃木弁で曲を作る。そして出来上がったのが、皆さん、ちょっとお年を召した方なら分かると思うのですが、春日八郎の大ヒット曲である「別れの一本杉」だったそうです。いわゆる茨城弁の作詞、栃木弁の作曲で出来上がった曲なのです。テレビでは、どんなふうに栃木弁の作曲をしたかということをギターを使っていろいろ説明していて、なるほどなと大変感心しました。
 
 その話が今日のテーマと何がどう関係あるかといいますと、まちづくりというものは、やはり標準語であっては駄目だと思うのです。まちづくりというのは、やはり金沢であれば金沢弁のまちづくりであらねばならない。金沢弁のまちづくりをすることが、この都市の生命力を高めるというか、都市を元気にすることにつながっていく。こんなふうに考えるのです。
 
 いろいろ振り返ってみますと、金沢市が旧町名の復活を、これも経済同友会の提言が最初にあるのですが、ともかく旧町名の復活をやった。これもひとつの金沢弁のまちづくりではないでしょうか。この間、金沢検定試験がございました。いろいろな自治体で検定試験をやっておりますが、金沢経済同友会が検定試験をやるということも、私は金沢弁のまちづくりだと考えるのでありまして、これからどんなことをしていくか、金沢弁でやるかやらないかということが、極めて大事になってくると私は考えているわけです。
 
 先ほど福光さんからも紹介がありましたが、今年は金沢にとって、都市の生命力、まちづくりに深くかかわる二つのニュースがありました。福光さんがおっしゃられたとおりで、1月に歴史都市の認定。金沢市は第一号の歴史都市になりました。つまり、都市が歴史景観の形成というもののいろいろな事業をする場合に、国が積極的に応援をするという趣旨で、金沢市がその第一号になったのです。当時はまだ民主党の政権でありませんでしたから。自民党だからやったのか、民主党だとらやらないといったことは分かりませんが、ともあれ自民党内閣のときです。平成20年の1月ですが、10年間にわたって、歴史景観の形成に関するいろいろなプロジェクトをお出せば、それに対して国が積極的に財政支援をしましょうと、こういう法律に基づく歴史都市の認定であったわけです。

 これに関する予算に関しては、今度の仕分け人の論議の対象にはなっていないのです。なっていないのは、何も行政刷新会議の仙石さんという大臣に理解があったわけでも何でもない。仕分け人の論議の対象にする四百数十の事業というものをリストアップしたのは財務省のお役人ですから、行政刷新会議に理解があったわけでも何でもないのですが、ともかく今度の仕分け人の論議の対象にならなかった。ならなかったから予算が付くというわけでもありませんし、来年以降、論議の対象にならないというわけでも全然ありませんが、私はこれは大事な事業だと思うのです。
 
 こういうことを含めてまちづくりに関して、今度の仕分け人の論議の中で、基本的に国が関与をするのではなくて、事業を推進する役割を自治体に移行しましょうと、そんな論議があったように側聞をしております。私は直接聞いたわけではありませんから。しかし、そのとおりであるならば、それはそれで私はベストだと思うのです。問題は、地方がやって、それに財源が付いてこなければ、これはベストではなくてワーストだと言うことです。私はまちづくりに関して、別にベストでなくてもベターでもいいと思うのです。要は何をやるかが重要であって、それを自治体がやるからベスト、国がやるからワーストという乱暴な論議が横行するのは、極めて残念だと思うのです。しかし、現実にそんなことを一生懸命やって、世論の支持も高いわけですから、それはそれで仕方がないことかもしれません。そんなことが現状であります。
 
 歴史都市の認定に関して言いますと、金沢市は、鞍月用水の整備や無電柱化の推進という事業を、歴史都市認定の法律に基づく事業として国に予算付けを要請して、昨年度予算で計上しています。今年度はどうなのか、来年はどうなるか、この辺は定かではありませんが、こういう事業を積極的にやろうとしている自治体は、そんな多くないはずです。無電柱化というのは何となく標準語のような気もしないではありませんが、これも実は経済同友会で提言したことの成果です。ヨーロッパやアメリカの都市では無電柱化は当たり前ですし、東京はかなり進捗しています。しかし、日本を含むアジア地区は、残念ながらまだまだそういったインフラの整備が遅れています。そういう中で、それを積極的にやろうとしている数少ない自治体の一つとして、特に金沢市の場合は各町の実情に応じて地下に埋設したり、事業費が安くつくということで軒先というか、家の後ろの見えないところに電線をはわせたりという金沢方式なるものを考えて、無電柱化を推進しようとしているわけです。これも私は金沢弁のまちづくりだと思います。その予算が、権限移譲で予算ごと地方へくればベストです。しかし、国にこの予算があるからワーストということにならない。こういうものに予算をつけないことが、実はワーストなのです。しかし、そんなことはなかなか一般の方には理解できない。そのことが本当は残念なのです。世の中そんなものと言えばそんなものですが。こういう歴史都市の認定というものがありました。
 
 
多少の気恥ずかしさを持ちながらも、
創造的な文化の営みと革新的な産業活動を連関させる、
そんな地域をつくらなければならない
 
 それから平成21年6月にユネスコの創造都市ネットワークに、クラフト部門、工芸分野で登録されました。世界で5年前に創造都市ネットワークという制度をユネスコがつくり、文学や音楽、工芸、デザインなど、七つの分野に分けて世界の都市を登録しています。金沢の登録で、19都市が創造都市ネットワークに登録されたことになります。工芸では、世界で金沢が始めてです。ここまでは、一般の方も大抵はそれなりに理解されています。
 では、この創造都市というのが一体どういうことなのかということを、少し詳しく話をさせていただきますと、ユネスコの定義によると、「創造的な文化の営みと革新的な産業活動の連関によってまちを元気にしている都市」、そういうところが創造都市だそうであります。何か分かったような分からないような、だけど、分からないようでいて少し分かるような、そんな定義であります。
 金沢が工芸分野で世界で初めて創造都市ネットワークに登録されたということで、金沢をこの定義と照らし合わせますと、一つ私がなるほどなと思うのは、「創造的な文化の営み」という点です。これは私の想像ですが、金沢市の申請書に、創造都市会議なるものが開かれている。今年が5回目で、2年に1回でありますから10年も前から開かれていて、こんなことを中心に創造的な文化の営みがなされているという理由が書かれていて、そんなに詳しいことは決める人も分かりませんから、そのことがまあまあそれなりに評価をされたのではないかと思うのです。しかし、今一つの「革新的な産業活動」というものは、金沢にあるのかなと。それは伝統産業がそれなりに頑張っています。頑張ってはいますが、革新的な産業活動と言うほど熱気あふれるものかということになると、いささかという気がしないでもないです。ですから、正直に言うと、ユネスコから創造都市ネットワークに登録をされたことは、まじめに考えるとちょっと気恥ずかしい感じがするのです。
 
 ただ、この気恥ずかしさを持つということも、私は大事だと思うのです。話が飛びますが、日本の政治家はあれもこれもあんまりねという感じがしている人が多い。日本の政治家の何がどうおかしいのかと、私は考えてみたのです。それで思い当たったのは、気恥ずかしさを感じる人がほとんどいないということです。何を言っても平気。もっとも、そういう人だから選挙に出られるのですが。私が船村さんのインタビューを聞いておりまして感じたのは、彼は話をしているときに常に気恥ずかしさもいっぱい、謙虚さもいっぱい持っているということです。恥じらいがある。含羞があるというか、そこに味わいがあるのです。日本の政治家には渇ききって、砂漠のような人たちが多いから、あまり政治に信頼がないのかななどということを、私は勝手に思っているわけです。そんな意味で、創造都市に認定をされたことに、そんな立派なのかと少しぐらい気恥ずかしさを持つことも、私は必要だと思うのです。
 
 ただし、鶏か卵かという話があるでしょう。創造都市ネットワークに登録されるのが先なのか、実態として革新的な産業活動が活発に行われることが先なのか。これは鶏か卵でどっちが先でもいいではないですか。そんなふうに考えますと、私は多少の気恥ずかしさを持ちながらもユネスコからの今回の認定を大変うれしく受け入れて、そういう認定に値するような、創造的な文化の営みと革新的な産業活動というものを本当に連関させる、そんな地域をつくらなければならないのではないかという感じがしているのです。
 
 そのためにも、私は行政の役割も大事だと思うのです。本当は政治の役割も大事と言いたいのですが、あまりにも渇いた方が多いので、別に何党とは言いませんが、砂漠のような人が多いのであまり期待せずに、もう少し湿っぽい人たちに期待をしたい。本当にそうです。また全然話が脱線しますが、時々、テレビに東京都の知事などが出ると、何となく興味を持ちます。彼の話は何が面白いかというと、非常に極端でエキセントリックでもあります。だけど、常に彼は恥ずかしそうにしゃべるでしょう。あの恥じらいがやはり文学者だなと感じさせるのです。だから非常に興味深い。そんなことは全然関係ないのですが、ともかく創造都市という名前に値するように、私ども民も官も努力を続ける。金沢弁のまちづくりをしていくと、金沢という都市が元気になるということです。
 
 そうしないとどうなるか、我々は明治時代にそれを経験しているのです。明治になって、武士階級を中心に、どんどんみんな金沢から東京へ出て行きました。幕末のとき、金沢は日本の5大都市だったのです。その前は3本の指に入ったかなというような存在であったにもかかわらず、どんどん人口が減りました。人口がすべてではありませんが、都市の勢い、都市の生命力ということになると、人口は重要な要素です。明治45年の間に、日本全体の人口は恐らく2.5倍以上になったでしょう。ところが金沢は、明治年間に、最初の方が特に多いのですが、どんどん人口が減り続けて、幕末の人口に戻ったのが大正に入ってからなのです。このハンディが大きい。つまり、金沢という土地には人口はそんなに多くない、45〜46万人の中型都市です。しかし、文化の厚みは相当ある。普通、人口の多い大都市に文化の厚みがあるのは当然なのですが、人口はそう多くないのに文化の厚みがものすごいというのは、ここからきているわけなのです。
 都市の勢いが非常に衰えた。災害にも遭わない。戦争の被害も受けなかった。それはそれで幸いなことだったのです。だけれども、今から振り返ると、明治という時代、日本中が活気づいて、日本中が何か坂の上の雲状態であったような感じがしないでもないのに、何か金沢は坂の下の雲のような状態で、それが戻ったのが大正時代だったと。こんなことなので、二度と金沢がそんなことに将来ならないためにも、金沢弁の金沢まちづくりというものが大事だということを強調させていただきまして、あいさつにさせていただきます。皆さまの熱心な論議に期待します。ありがとうございます。

 
 
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