鼎談 3 「金沢をあそぶ」
     
水野一郎
五十嵐太郎
     
山口裕美 秋元雄史  
   


  
(水野) ただ今、秋元さんのお話が出ました。会場に来られているのですが、フロアゲストとして前に座っていただいて、皆さんからアドバイスも頂きながら、秋元さんのご意見もお伺いしたいと思います。

(秋元) では、席に座らせていただきます。

(水野) 五十嵐さんや山口さんに質問したいのですが、金沢ではつい2週間ほど前まで日本伝統工芸展というのをやっていたのです。そこの入場者がかなり多いのです。ファンが多くて、毎年来るのです。私なども毎年行っているのですが、例えばお年寄りの夫婦で来られて、「この埼玉の人は、今年はいいのを作っているね」などと、ものすごく詳しいのです。この形はどうのこうのとか、色がどうのこうのとかいろいろ言いながら見て回っておられる人が非常に多い。そして、街へ行くと伝統工芸の店も多いし、お茶会が開かれると、そういうところの道具が出てきたりするのです。
 そういう意味だと伝統工芸展というものは、先ほどの漢字の金澤のものとしてきちんと根付いて定着しているという感じがするのですが、金沢21世紀美術館のコレクションを見ると、全く分からないという人もいるし、黙っている人が多いのです。例えばヘルシンキのキアズマやポンピドーもそうですが、やはりみんなでわあわあ作品について言い合っています。それはちょうど日本伝統工芸展でこちらの人が言っているのと似ている形式なのです。そういう意味で言うと、まだ現代アートが、われわれのものになっていないというか、街のものになっていないというところもあろうかと思うのです。
 一方で、山口さんのようなキュレーターや、五十嵐さんのような批評家がこの中にまだ育っているわけでもないし、画廊が全く見えないし、街と21世紀美術館というか、街と現代アートがまだ始まったばかりで、本当の現代アートであそんでいるかと言われると、まだかなという感じがするのですが、その辺はどうでしょうか。

(五十嵐) 今の話で、コレクションについては、実は僕はあまりきちんと理解していないので、それについてはコメントしづらいのですが、美術を見る態度というか場なのですが、今の話で思い出したのは、上海に行ったときに、上海美術館でしたか、競馬場か何かをリノベーションした美術館があったのです。それを見たときに、現代美術展をやっていたのですが、見に来ている上海の人たちが大騒ぎしながら見ているのです。絵の横で記念撮影とか、日本の美術館では絶対に許されないようなことをしていて、悪く言えばマナーがよくないとも言えるわけです。でも、それを見ながら、何て自由に鑑賞しているのだろうとは逆に思ったのです。
 日本の美術館の中に入ると写真を撮ることが基本的には許されないケースがほとんどだし、わあわあ騒ぎながら、本当にマナーが悪い人もいたのですが、でも基本的には、それは単に見る態度というか鑑賞態度がなっていないとも言えるし、でも逆に言うと、われわれに照らし合わせて見たときに、美術に触れるときには黙って、難しい顔をして考えないといけないというふうに訓練させられてしまっているのかと、また問い返したくなるところがあります。だから、現代美術に関しては、どう鑑賞するかということがあって、多分、今まで学校で連れて行かれても、騒いでいると怒られるという記憶ばかり残るとそのようにならされてしまうわけです。教育の問題というか、どのように美術に触れるかという問題にもかかわるような気がします。

 (山口) 全く五十嵐さんがおっしゃる通りで、私たちは残念ながら、美術というのは上から来た感じがして、黙ってありがたく鑑賞して持つなら鉛筆みたいな、そのように習ってしまいましたが、本当はそんなことはなくて、私たちは好き勝手に言っていいと思うのです。私はよく、どのように見ればいいかという質問を受けると、まずは、「くれるのだったらもらってもいい一点を選んだらどうか」と答えるのです。それは国宝でも何でも、おうちのどこかに飾るのだったら、「くれるのだったら、あれをもらってあげてもいいわ」というものを一個選ぶとか、「あれが最悪、一番嫌い」というものを選んでみるとか、本当に自分の側に引き寄せて鑑賞してしまっていいのではないかと思うのです。
 結論から言うと、現場を見てきた私の経験では、現代アートというのは別に答えではないので、本当に問い掛けなのです。アーティストがバンと投げたボールで、それをこちらがどのように受け取るかというのは自由で、きっと解釈は何でもいいのです。しかし、何か持って帰るというか、美術館を出るときに、少し何か引っ掛かるものがあったり、何であんなに感動したのだろうとか、ものすごく腹が立ったのだろうとかいう、何かを持って帰ったというその記憶だけで、本当は美術館はいいのではないかなと私は思っています。

(水野) そうですか。五十嵐さん、私はこの間ソウルから帰ってきたのですが、先ほどソウルも出ていましたが、仁寺洞(インサドン)という古い伝統工芸のストリートがあるのですが、そこは20年ぐらい前に行ったときは伝統工芸がほとんどでしたが、この間行ったら、現代アートの方が多いのです。要するに、ある意味で韓国の人たちは現代アートに対して極めてインティメートな関係を持っていて、われわれ建築で言うと、例えば50億の建築を建てたら、その1パーセントの5000万円をアートに入れなさいという法律があって、その辺もあるのかもしれませんが、非常に現代アートに近づいている感じがするのです。
 金沢美大にも韓国から留学生が来ているのですが、私はあるときに漆芸科、漆の卒業作品展を見たときに、日本の漆芸家の人はこういう箱を作って細かいことをしているのですが、韓国の人は、運動会のボールみたいなものを4つか5つ作って、それに落ち葉をいっぱいくっつけて、それに漆をパタパタと塗って、それをドンと出しているのです。これはすごいなと思ったのですが、美やアートに対しての志向のようなものが韓国は随分変わってきたような感じがするのです。金沢21世紀美術館によってわれわれも変わる必要というか、変わっていくのかどうか分からないのですが、その辺についてどうですか。

(五十嵐) 僕が金沢21世紀美術館を見たときに、もう一つ感銘を受けたのは、僕が行ったときだけたまたまそうだったのかもしれませんが、「みんな結構楽しそうな顔をしているな」と思ったことです。というのは、妹島さんの建築というのは建築界の中でも批判も結構あって、とても人間が住むような空間ではないとか、すぐ雨漏りがするとか、やっかみも含めていろいろなことが言われていて、でもある種、すごく斬新な建築でもあるのです。
 建築の理屈の中では、なぜかいいかというのはいろいろ言うことは可能なのですが、でも、それを全部抜きにして、見に来ている人は別に建築の専門でもない人が、それまで触れたことがない空間というか、場に遭遇する。特にそこに置いてある作品の性質もあると思うのですが、すごく生き生きとしているというか、楽しそうな顔をしているのを見て、「ああ、建築のやっていることはちゃんと伝わるんだ」ということに、また僕は感動したのです。
 ただ建築の歴史において新しいからいいというのは、それはそうなのですが、見に来ている人は、リテラシー、読み書き能力というか理解能力を別に要求されなくても、そういう空間や場に触れたときに、顔が変わるというのは、建築をやっている人にとっては心強いというか、物を造ったらちゃんと伝わるのだというのは思いました。多分そこに触れると、考え方はきっと変わるというか、そういう力を持っている場なのではないかとは思います。

(水野) 秋元さん、21世紀美術館が子供たちの教育を一生懸命しようとしていますね。その辺の意図や成果については、いかがですか。

(秋元) よかったです、発言できる機会を頂いて、本当にほっとしています。このままずっとここに被告席のように座り続けて、最後「死刑」とか言われたらどうしようかと実は思っていました(笑)。
 お二人には、専門家の立場で褒めていただいて本当に感謝していますし、水野先生が指摘していただいた、金沢の伝統文化を守っていく姿勢とどういう関係にあるかというご指摘は、実に私の日ごろの悩みであり、楽しみでもあるのですが、二つほどエピソードをお話しさせていただきます。
 この間、ある偉い先生方を数人、グループの視察ということで美術館をご案内しました。そのときにコレクション展をご案内したのですが、先ほど五十嵐さんからもあった、コンビニのようなとか、楽しく体感的なというような作品が並んでいました。びしっと背広を着られて、公式な視察の対応だったので、できるだけ和らげるようなつもりで作品解説をしていたわけです。
 ところが、1点1点先に進むに従って、どうも眉間にしわが寄ってきまして、言葉に初めのうちは反応していたのですが、だんだん口もへの字に曲がり、それ以上どうやってこの場を乗り切ったらいいのかというのが分からないと思っていました。そのころ、ちょうど「ミュージアム・クルーズ」、今、子供たちの鑑賞授業というお話がありましたが、それをやっていて、これは年間通しでやっているので、大体美術館には子供たちがいます。小学校4年生が今、金沢市内に5000人ほどいるのですが、その子たちか大体一年を通して30人ずつぐらいが来ています。
 そのちょうど鑑賞の時間のときでした。私が次に言葉をどう話そうかと思ったときに、パタパタと入ってきて、ちょうどビデオ作品の前で、これは空中で曲芸師のようにアーティストがくるくると回ったり変な格好をしているビデオでした。これは私が一番言葉に詰まる、つまり、作家は何を表現しているのですかと言われたときに困るタイプの作品なのですが、そこにはたといた瞬間に、パタパタと入ってきたのです。それを見た瞬間、子供たちは、そのビデオの中で描かれている落下するアーティストと同じような格好を始めたわけです。つまり、アクロバチックにいろいろな格好をそこでやって、床にも転がりながら自分で動いているわけです。前衛舞踏のような格好をしていました。
 そのときに、5、6人いた方の一人がふと笑ったのです。やはり子供がすぽんと作品に入っていくというような場面を見て、がらっと状況が変わってきたわけですが、現代美術に接するというのは、こんな感じなのだなと思ったのです。このように見ればいいのだなということで、その後、私は非常に展開が楽になったわけです。その子供たちに助けられて、その後はうまく回っていきました。ですから、やはり見る側の心持ちというのは非常に大きくて、例えば芸術というのは、襟を正して見なければならぬとか、いろいろな過去の芸術についての教えのようなものが身に付きすぎてしまっていると、今の前で展開しているものがうまくキャッチできない部分はあるだろうなと思うのです。
 もう一つが、今、うちの美術館は夜10時で店じまいなのですが、展示の方は、週末でもない限り大体6時なわけです。つい先日、寒い金沢で、私は外出から帰っていくところでした。そのときに、美術館に入って行く人がいるわけです。館内は開いているといっても展示の方は閉まっているので、その時間にわざわざ館内に入るというのは奇妙な風景なのですが、その人にとってみると、公園を歩いていくというのと同じ行為なのです。先ほどあったように、まさに本当に通り抜けられる構造なのですが、公園を歩いて、かつ、少し暖かくなれる。何となく日常と少し変わった感じがあるということで、普通に通っていくわけです。
 私はそれを見て、これも一つの金沢21世紀美術館の建築が持っている力なのだと思うのです。芸術の場でなければならぬというような思いが、あまりにも見る側で強すぎてしまうと、やはり見落としている部分が随分あるだろうと思いますし、逆に私は館長として金沢の中でやらなければいけないことというのは、いかにその部分をうまくつないでいくか。つまり、伝統的な芸術と、今、21世紀美術館で展開しているものの間に、どのように橋を渡していくかということです。
 私は、無理に融合する必要はないと思っているのです。町の中にいろいろな価値観が混在している方が面白いし、それが金沢の魅力になるだろうと思うのです。それを無理に「分かってください」とか、「お互いに歩み寄りましょう」とか言うと難しくなるので、いろいろなものがあっていい。それによって、金沢にいろいろな人たちが訪ねてきてくれて、結果として金沢が豊かになるのであれば、私は多様な金沢の魅力として、われわれ金沢の人たちは、21世紀美術館を自分たちのものだと思った方が得だと思うのです。

(水野) 金沢の金沢らしいところは、多様な時代の重層性みたいなもので、多様な時代の価値観、多様な時代の美意識があるということですね。そういう意味では、今までなかった現代のアートを持ち込んだということは、金沢をあそぶのに少し深みが増えたというように理解していいのでしょうね。
 山口さん、先ほど、「A to Z」の話がありましたが、それをご披露していただけますか。

(山口) これからの金沢21世紀美術館への期待というような話も出ると水野先生から伺いましたが、最近見た展覧会の中で2006年に弘前市で奈良美智さんと大阪の家具集団grafが行った「A to Z」展の成功例というのは、なかなか素晴らしいものがあったと思うのです。このたび成果が出たのですが、「A to Z」展は、2006年7月29日から10月22日まで75日間行われたのですが、参加者延べ人数が8万人でした。
 この展覧会の素晴らしいところは、この展示はもともと酒造メーカーが持っていた赤レンガの巨大な倉庫に、AからZまでのアルファベットの数ぐらい、本当は40個以上あったのですが、小屋を造っていった。その小屋を制作するに当たってボランティアを募りまして、日本全国からボランティアが弘前まではせ参じて造っていったのですが、ボランティアが述べ人数で850人参加しています。この経済効果が18億5800万円という結果が出たのです。
 青森県出身の方がいたら大変失礼かもしれませんが、青森県というのは行くのが大変なのです。新幹線が八戸までしか行っていないし。それから、どちらかというと優位に立っているのが青森市で、弘前はずっと2番手にいたわけです。ところが、このときに開館した青森県立美術館と同じ時期に開館して、それで両方見られるということもあって、ボランティアが遠い所からでも駆け付けるということがあったのですが、特徴的なのが、8万人来たうち日帰りの人は2万3000人しかいないのです。ですから、宿泊した方が5万6000人いたわけです。その参加者が地元に落としたお金が、日帰りの方が大体3万7000円、宿泊なさる方が5万6000円ぐらい落とす。そういうことが最終的な18億となっているのです。
 それで、奈良さんが「A to Z」展のコンセプトとして造ったのは小屋があるのですが、小屋というのは建築法に関係しないので、縛られないのです。

(水野) そんなことはないですよ。建築法に関係すると思います。

(山口) ある程度自由度が高いというように奈良さんはおっしゃっていたのですが。

(水野) こういうのはほとんど大丈夫ですね。

(山口) つまり、違法建築みたいなものでも、ある程度場所を選びさえすれば、いろいろな所に置く可能性が高い。だから、奈良さんご本人は、この40個以上造った小屋をセットで、バラバラにしないで、例えば1億円ということにして、世界のいろいろな所に売りたいと思っているのです。先ほど五十嵐先生もおっしゃっていた、ヤノベケンジさんや三沢厚彦さんなどのアーティストも参加していて、コラボレーションした小屋もあるのです。
 それで、収支決算書の中に「アーティスト出資金」というのがあって、備考欄に「オークション」と書いてあるのです。これはどういうことかというと、奈良さんが自分の作品をオークションに出して、資金を集めたんです。だから確実なものにするために自分でお金を稼いだわけです。最終的にご覧いただくと分かる通り、これは黒字になっておりまして、この黒字で出た分は、ユニセフを含む3つの団体に寄付して、その上で、実は残ったお金で、この倉庫の前に奈良さんが記念碑を今年になって造られたのですが、そのお披露目会も犬のお誕生会という名前で、日本全国から600人の人が弘前に集ったのです。
 この中で私が思いますのは、美術館も、もちろん自分の庭先のように使うというのは大事なのですが、「私がどうにかしないと美術館は駄目なのだ」と、半歩自分が入り込んで、「私が支えないと」という、それでこそ私の美術館というようなことになると思うのですが、それがgrafと奈良さんの「A to Z」展では成功している。実際にはボランティアで、どんな人が来るのか分からない850人をマネジメントするのはとても大変で、スタッフの人たちが苦労しながら、メールがある人はメールで、メールもない人は電話やファクスでやっていたのです。だから「A to Z」展の事務局では、どんなボランティアが来るかというのを全部書いてあるわけです。マニュアルですから、切って張ってという感じで、「今日来た」「キャンセルがあった」というようにやっているのです。
 実際、マンパワーをエッジで使うので成功しているのは、超サーカス集団のシルク・ドゥ・ソレイユというのがありまして、あれはもともとカナダ出身のスーパーサーカス団で、今世界中で7公演ぐらいやっています。あれはプリマ級の人たちがいたり、特殊な技術ができる人は世界で何人かしかいないし、その人たちをローテーションで、休みを取ったりしながらもやるというので、シルク・ドゥ・レイユは特殊なプログラムを開発して、人材が抜け落ちたりしないようにやっているわけなのです。
 奈良さんもgrafも、ゆくゆくはそのようにしてやって、もっと完璧な形でボランティアをやりたいとはおっしゃっているのですが、実際にはそのシステムを作っていくのはとてもお金が掛かることです。でも、本当は芸術の現場にそういうソフトが早く開発されてできるようになると、もしかしたら金沢21世紀美術館も設営のときにかなりいろいろなボランティアの方が日本全国から集ってきて、そういう方たちをエッジで使っていくことができる可能性が高いので、この試みというのは経済効果だけではなくて、スタッフのマネジメントという点でも、とても大事な展覧会ではなかったかと思っています。

(水野) どうですか、秋元さん。

(秋元) 昨年の暮れぐらいから今年の頭にかけて、奈良さんの展覧会をやったのです。

(山口) Moonlight Serenadeというやつですね。

(秋元) そうです。その後、今度は日比野克彦さんの展覧会を4月から11月までやりました。その中で、朝顔プロジェクトということで、朝顔の苗を美術館の外周の円形部分を使って育てるというのをやってきました。それは奈良さんのボランティア数に及ぶかどうか分からないのですが、数としては全国12カ所の人たちに苗を育ててもらったので、数百人の方たちがかかわっていると思うのです。
 そういうものは基本的に、最近私はアートのアクティビティーということを考えていて、アートというのは一つのスタティックな作品ではなくて、アートがもたらす活動性のようなものも含めてアートであるという見方をしようと思っています。それが、21世紀美術館には非常に合っているだろうというように思っています。

(水野) 五十嵐さん、今のアートのアクティビティーという言い方がありましたが、なかなか魅力的な言葉ですね。

(五十嵐) 今のを聞いて思ったのですが、要するにお祭りですよね。新しい形のお祭りで、伝統的なお祭りが少なくなっている時代に、逆にそういうのに年に一回参加する。例えば越後妻有アートトリエンナーレの新潟のものも、「こへび隊」というボランティアスタッフがすごく動いていたし、多分参加する方も、そういう祝祭性のようなものに自分がかかわることをすごく楽しんでいると思います。

(水野) 最近金沢でも、今日の新聞にも出ていましたが、竹やぶであそぶとか、要するに竹やぶに自分の作品を作っていくとか、川でやっていくとか、あるいは、この辺の街の中の明かりのプロジェクトをやるなど、21世紀美術館の影響もあろうかと思うのですが、街や自然の中でアートを展開してあそんでいる風景が増えてきたというのは事実です。これはなかなかいい影響だろうと思います。そういった形でみんなが身近なものとしてアートであそぶ、金沢をあそぶということが起こりつつあると思います。
 ただ、先ほど少しありましたように、まだいろいろな周辺の経済効果を含めて考えた場合、単なる観光客としての宿泊ではなくて、アートの情報がここから出て行くような出版、ビデオ、あるいはさまざまなイベントの企画などがあります。山口さんや五十嵐さんが金沢に住んでくれたら、それこそ非常に面白いことになるだろうと思うのですが、そういう人がこの地域から生まれてきたり、現代アートを扱うような画廊が出てきたり、本のコレクションがきちんとそろうといった基盤が出てくると、金沢が本当に現代アートであそべる所になろうかと思うのです。今のところ伝統芸工芸と比べて、そういう意味ではまだ本当のパワーになりきっていない、成長過程にあると考えていいのではないかと思っていますが、その辺を成熟させるというか、促進させるというか、元気づけるというか、山口さんのチアリーダーではないのですが、方策はないものですか。

(山口) 今、水野先生のお話で二つ思ったのですが、一つは、そんなに急ぐ必要はないのではないのかなと思うのです。今年は7の付く年で、2年に一度のベネチア・ビエンナーレと、5年に一度のカッセルのドクメンタと、10年に一度のミュンスター・スカルプチャー・プロジェクトが全部合わさる年で、ヨーロッパは現代アートが大集合だったのですが、私はその中で一番地に足が着いていてちょうどいい狭さという点でいうと、ミュンスターがすごくいい感じで、これは10年に一度なのです。式年遷宮は20年に一度ですが、それこそ前回は10代で見た人が結婚して28になっているとか、そういう時間の経過がとても穏やかな感じで、なおかつ、一番下っ端の若手だった人が中堅になっていて、その次にはもっと成熟しているとか、それがとてもいい感じがしたのです。
 それと、ミュンスターという町は、第二次世界大戦でほとんど跡形もなくなったのですが、それをレンガで全部積み重ねて復元した町なのです。カッセルというのは全く逆で、あの町はやはり壊滅的になったのですが、ナチスの計画したようなシンメトリカルな人工滝を造ったりしていて少し不思議な町なのですが、それで造ったのでリング状に道路があって、そこをみんな散歩しながら見るとか、自転車で見て回るというのがあるのです。だから、例えば金沢も、これからエコな時代だとすると、例えば自転車でいろいろな建物や名所旧跡を見て回るためのレンタサイクルなど、既にあると思うのですが、もう少し分かるように教えてもらえたら、自転車などはすごく健康にいいのにというのが一つです。
 二つ目に、実は現代アートは今、世界的に高騰していまして、日本のアーティストも国際化の波に押し寄せられていますので、脅かすようで申し訳ないのですが、日本の若いアーティストたちの値段というのは、私は、この1、2年のうちに多分手に入らないぐらい値上がりするだろうと思っているのです。だから、美術館はこれから、できるだけ彼らの代表作となるものはコレクションしていただきたい。金沢21世紀美術館にも、ぜひ今のうちに買える作家をコレクションしていただきたいとすごく思うのです。そうでないと、中国のアーティストも韓国のアーティストも値段がとても高くなっていますから、日本の美術館にはほとんど買えなくなってしまう。個人でも難しいという時代が来ると思うので、海外流出してしまうのではないかと私はとても心配しています。
(秋元) 21世紀美術館はできてまだ3年で、人の年齢にすれば3歳なのです。今、金沢がある町のストックであり、金沢の町を支えている伝統的な文化といわれているものは江戸時代からあるわけで、200年、300年という長期スパンの中でわれわれは乗っかっているわけです。200年待ってくださいとは言わないのですが、10年過ぎていく中でストックされていく知恵のようなものがあるでしょうし、現代美術といっても日々忘却していくわけではないので、そこに歴史性のようなものも生まれてくると思うのです。そういう中で出てくる、それが例えばデザイン的な展開とか地場の産業的なものに展開していくということは、私は全くないわけではないと思うのです。
 それから、山口さんは非常にマスな目で見られているので、アートマーケットの中での現代アートの状況という視点でコメントしていただいたのですが、美術館としてはマーケットが高騰するとどんどんつらくなっていくわけです。予算が非常に限られている中でコレクションしていかなくてはいけないということがあって、消費社会との戦いというか、アートマーケットとの戦いの中で美術館運営はしていかなくてはいけないという側面もあって、だんだん現場制作型になっていくだろうと思うのです。つまり、マーケットで売り買いされているようなものはなかなか手が出せない金額になって、ゼロが一つ違うというか、門前払いを食らっていくような状況です。ですから、志のある、例えば先ほどの奈良さんのように、一方をマーケットの中で生き抜き、もう片一方で自分の作家としてのある種の良心の中でしっかりしたアートを作っていきたい。その中で青森のああいう活動をやっていくというようなアーティストの真摯なアート活動の中できちんと見誤らないように美術館運営していかないと、即、活動とお金が直結していないという話になってくると、自分で閉塞させていくだろうと思います。

(水野) 今、山口さんおよび秋元さんからお話がありましたように、焦らないでじっくりいっていいのではないかと思います。金沢の場合は、先ほどから言っていますように、伝統的な部分、漢字の「金澤」、平仮名の「かなざわ」、ローマ字の「KANAZAWA」、いろいろな部分のアートがあって、それが多分金沢という都市を創造力ある都市、もう一つ言えば、都市間競争で一つの強い面を持った都市に成長していくのだろうと思います。
 そういう意味で、多様な美意識や価値観を蓄積した都市として進んでいくためには、先ほどのボランティアの話や子供たちの話を含めて、もう少し参加しながら自分たちのレベルを上げていかないと、結局よそものになってしまうと思います。ですから、ぜひ金沢市民の人たちも積極的に鑑賞してみて、自由に言い合ってみて、伝統工芸のときにみんながしゃべっているように、現代アートについてもたくさんしゃべりながらやっていくことが多分創造力を高めていくのではないかと思います。
 今日は、これ以上ない3人目のパネラーも加えまして、大変活発な話になったかと思います。これにて終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
 
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