鼎談 2 「金沢をみる」
     
大内 浩
     
宮田人司 平田孝子  
   
(大内) 宮田さんには先ほどいろいろな話を伺って、さて、金沢をみせるということをどうしたらいいのかということを、やはり僕たちは考えなければいけないので、その話に移って、また勉強すべきことはしたいと思うのですが、ぜひお願いします。
 
(宮田) 今もちょうど先生のお話を聞いていて、では僕らだったら何ができるのかというところで、僕の仕事を例え話にすると、僕は肉とか野菜を売っているわけではなくて、スパイスや香辛料を売っていると思っているのです。今あるものをどうするかというのが僕の仕事です。今回、「金沢をみる」というテーマは大きなテーマだなと思いますが、みるには、みせる人が必要なのです。みせるというのは、普段僕らがやっているような仕事なのです。では、そのみせる仕事をやっていく上で僕らはどう考えるのかというと、まず、ものの見方を考えるのです。
 これはトマトなのです。昨日の夜、うちで撮影したのですが(笑)、コンビニでトマトの2個入りを買ってきたのです。

(大内) コンビニにしてはよく熟れている感じですね。

(宮田) これは写真の撮り方がいいのです。

(大内) ああ、そうですか(笑)。

(宮田) これを切ると、このようになるのです。よくハンバーガーに入っているような切り方です。これを横に切ったのです。
 これを縦に切ると、やはり絵柄が少し変わるのですよね。これが物の見方なのです。これが事実として昨日の夜うちにあったのです。
 これが事実であって、この後、僕は塩をかけて食べてしまったのです。ということは、この世からなくなったのです。だからこれはこの世に存在しないのだけれど、これは写真として残って、これがアーカイブなのです。このアーカイブというのは非常に大事なことで、今の金沢というのは、たくさん歴史もあって、時は放っておいても流れていくわけで、でも、そこを切り取っていくというのがアーカイブになっていくわけです。このアーカイブというのは、実は一人の人が作ろうとしたらすごく大変なことで、例えば行政がやってもとんでもない予算が掛かったり、これははっきり現実的ではないのです。でも、残していくというのは実は非常に大事なことで、先ほども先生は9.5ミリのフィルムのお話をされていましたが。

(大内) これはプライベートな話で申し訳ありません。かつて私の家に9ミリ半という映像フィルムと映写機があったのを残念ながら捨ててしまったのですが、今あればすごく貴重品だったのです。

(宮田) 先ほどその話を僕は聞いて、9ミリ半というのがあったのだと初めて知ったのですが、やはりこれは絶対残しておいた方がよかったのですよね。

(大内) どうもすみません(笑)。

(宮田) 今からでも遅くはないと思っていて、今いろいろな方々が金沢に住んでいらっしゃって、自分の歴史と各家庭の歴史があるわけですし、写真であろうが、語り部であろうが、いろいろなものというのは実はメディアとして各家庭に残っていて、これを何か残していく方法があるだろうと思っているのです。これは実は、楽しみながらやれば残していけるのではないかと僕は思っているのです。
 例えば最近コミュニティだとか、mixiという会員制のサイトだとかいろいろはやっていますが、あれは半分何となく楽しいからやっているのだと思うのです。無理強いされたら誰もやらないと思います。そういう仕組みというのを金沢でつくって、金沢に今住んでいる皆さんに開放してしまってもいいと思いますし、それがゆくゆくはアーカイブになっていくと思うのです。先ほどのトマトと一緒で、こんなことがあったよねというのが振り返られる。これを継続してやっていただきたいなと思うのです。要は、サステイナブルな展開というのが非常に重要だと思うのです。
 それは僕なりにどのようにしていったらいいのかというのを少し考えたのですが、若いうちに囲い込んでいくような楽しみをまず与える。学生の生活が終わった後の新しいステージというのを用意してあげる。これが社会人になってからの継続になっていくと思うのです。例えば年を取ってからセカンドライフを持続してもらう。これをずっとやっていけば、インエビタブル(inevitable)な存在になるのではないか。要は必要不可欠な、自分たちの身の回りにあって当然のような仕組みをつくっていくことで、一つの大きなアーカイブができると思いますし、それが外に対して「みせる」という、すごく壮大なコンテンツになると思うのです。こんなことは実は僕らはやろうと思えばできるのではないかと思うのです。

(大内) もう少し具体的に、実は金沢で、これは水野先生にお話しいただいた方がいいのですが、日本の建築事務所がいろいろな作品をデザインして、家庭で設計図面を描く。ところが、その設計図面が実はアーカイブとしてほとんどきちんと整理されていないという大変ばかなことをやっていて、どこもそれを引き受けられなくて、結局、金沢工大は大変なお金とスタッフを用意して、それでは工大でやりましょうということになって、今始められているのです。これは本当に大変なことなのですが、現実にそれぞれのアトリエで建築事務所をやっていらっしゃる方は、場合によっては場所が移ったり、あるいはキャパシティやアーカイブをしていく中で、最初に壊されるのは置く場所がないというので模型なのです。図面ぐらいといっても、昔は手描きの図面までありますから、これもとても丸めても置いておく所がないといって散逸してしまっていた。それを今からでも遅くないから集めようということをやっています。
 これはある種の本当に社会的な意味があるのですが、多分宮田さんがお考えのことは、学生を囲い込むというところから始まるので、もう少し私たちに身近なところからやろうとして考えていらっしゃるのだと思います。そこで具体的に、例えばこういうことだったら、今、創造都市会議が仕掛けて何かやれるのではないかという例を幾つか挙げてもらえますか。思い付きで結構なので。

(宮田) まず、参加してもらうことが一番大事だと思うのです。参加してもらう以上、それなりの見返りではないのですが、これはどのぐらい楽しいのかというのを見せてあげなければいけないと思うのです。それは例えば、今mixiなどがありますが、あれがふさわしいのかというと僕は少し疑問で、あれはコミュニティといわれているでしょう。最近SNS(ソーシャル・ネットワーク・ソサエティ)だとかいわれていますが、コミュニティというのは実はすごく閉鎖的なのではないかと思うのです。
 僕は最近、たまたま自宅を引っ越したのですが、東京から神奈川の葉山という所まで引っ越したのです。僕は少し人見知りなのもあるのですが、なかなか現地のコミュニティにはなじめないのです。例えばちょっと行ってみたいなというお店が海沿いにあって、この間、少し勇気を出して入ってみたのです。そうすると、地元の3、4人の若者みたいなのにじろりと一瞥されまして、何となく飯も頼みにくい状態で、それは実はmixiでも同じだと思うのです。例えばこのサークルに入りたいといっても、何となく発言もできなかったりとか。
 そういう閉鎖的なコミュニティでなくて、もっとオープンなものが金沢というくくりだったらできるのではないかと思うのです。ここに住んでいるのだから参加して当然だという前提で何かを提供してあげるとか。その中に、僕らが今すぐにできるものだったら、例えばドキュメントにしても、ムービーにしても、音楽にしても、写真にしても、そういったものをデータベースで提供するようなことはすぐできてしまうのです。

(大内) なるほど。これをもう少し説明していただけませんか。

(宮田) これは金沢に一つの大きなデータベースが出来上がって、その周りに携帯でも、HDのハンディカムでもカメラでも、例えば音楽でもいいし、自分の子供が生まれたときの声でもいいですし、自分のパーソナルなデータなどを統合して、誰でも簡単に使えるようなものにするわけです。

(大内) それをこのインディビジュアル・データバンクにアクセスしていて、だけど今度はそれはどういう面白さというか、アクセスして何を見返りとしていくわけでしょう。

(宮田) 要は、これはマルチメディアの素材なのです。これらを組み合わせて例えばこれは誰かに見せたいとか、これは誰かに送りたいとか。これは例えば写真にして、遠くに住んでいる誰かに送ることもできます。あとは、データベースですから、僕が金沢に住んでいたとして、そこに関連ある歴史や人間関係をビジュアル化してコンテンツとして見せるとか、データさえ集まれば、それを時系列でつないだり、それ以外のつなぎ方というのもありますが、いろいろなコンテンツの見せ方があると思うのです。

(大内) あえて申し上げますが、でも、それは金沢でやらなくても、宮田さんが葉山でやってもいいではないかと言われたら、それはどのように答えるのですか。つまり、金沢側にとってのメリットというか、金沢側のアドバンテージがどこかに生きなければいけない。そこはどうしたらいいのか。

(宮田) というのは、まだどこもそんなことはやっていないのです。

(平田) 実は今、私もファッション、モードの関連の仕事をしていて、コミュニティということでいうと、今世界中のクリエイターが、金沢21世紀美術館などもですが、素材を求めて、フィレンツェもそうですが、職人の文化というのが金沢という都市は残っていると思うので、その情報と自分たちのファッションに使える素材はないだろうか。小松空港の加藤和紙店という和紙屋さんは80近いおばあさまがやっているのですが、オノ・ヨーコさんがいらしたり、三宅一生さんがいらしたり、堀木エリ子さんという和紙アーティストで有名な方がいらしたり、世界中のクリエイターが素材を求めていらっしゃるような場所があるのです。私も「素材を求めて3000里」ではないのですが、それで香港に行ったり、いろいろな各都市に行くのですが、金沢というのは可能性がたくさんあると思うので、私たちが何か教えてほしいといったときに、ぜひ教えてくださるようなものがあるといいなと思います。

(宮田) そういうのがあるといいですよね。たまたま僕は金沢に結構長いこと来させていただいているのがあって、あそこにいる吉田さんに聞けば何でも分かるという状況はあるのですが、一般の外からポンと来た一は何も分からないのです。

(大内) そうですね。まず玄関先に入れてもらって、そこから何かが始まる。そこから先をできるだけクローズドにしない。

(宮田) 玄関を開けっ放しにしてしまうと大変なので、開けていい玄関をもう一個つくってほしいのです。

(平田) コンシェルジュみたいなものでもいいかもしれないですよ。金沢コンシェルジュとか。

(大内) そこである種のスクリーニングをしていくわけですよね。ちょうどいいお話で、今日、平田さんに何かお持ちいただいたものもあるので、ぜひ香りの世界で。

(平田) 長丁場になってしまいまして、皆さんに金沢らしい香りを。

(大内) 今、少しずつ皆さんにお配りして試していただきたいものがあるのですが。
 


(平田) こちらは弊社で使っているムエットなのですが、よく香水のメーカーで使う、スプレーしてにおいをかいでいただくための紙です。あと、能登ヒバをお持ちしました。これは金沢の皆さまでしたらとてもなじみのある、本当に石川県が誇る木だと思うのですが、こちらの能登ヒバのチップに香りをしみ込ませてまいりました。金沢の香りということで、金沢らしい素材を今日はご提案してみようと思っています。
 偶然、私はフィレンツェへ行く機会が多くて気が付いたのですが、金沢とフィレンツェというのは似ていることが多いのです。少し見ていただきたいのですが、これはたまたま金沢工大のアズビー・ブラウン先生に、いい地図はないでしょうかと資料を探していただいたところ、昨日下さいました。1876年の金沢の地図が皆さまから向かって左側で、右側がフィレンツェの地図ですが、金沢には川が2本あるのです。フィレンツェはアルノ川が1本あって、いろいろな地政学的なものも、都市としての興り方も大変似ています。フィレンツェというのはもともと毛織物や絹織物の都市でどんどん国際力を高めていって、その競争の中からメディチ家が一本抜きん出て金融都市になって、自由都市として発展していってフィレンツェ共和国というのができたのです。やはりその礎をつくったのは職人さんたちの力だったのです。貿易をやっていく中で金融業と、製薬・薬局業の二つでフィレンツェはどんどん繁栄していって、ルネッサンスでは花の都といわれて、あれだけの芸術文化が栄えたのだと思うのです。
 それで、こちらが金沢、こちらがフィレンツェですが、何か似ていませんか。私は気が付いてしまったのですが。

(大内) とんでもなく似ていますね。

(平田) 面白いことに時も大体同じぐらいなのです。尾山神社にいらっしゃる前田利家公と、こちらはメディチが誇るフランチェスコです。私は初めて尾山神社に行ったときに、何かどこかで見たことがあると思って。

(大内) これは初めての発見ではないのかな。

(平田) ぜひフィレンツェにいらしたら、アルノ川のほとりにありますので、探してみてください。
 フィレンツェは石で造った要塞都市なのですが、非常に堅牢で、マーブル模様というか。それと、尾山神社の何とも斬新なギヤマンと建物を見たときに、何となくフィレンツェの建築を思い出したのです。
 こちらはフィレンツェの街並みです。非常にシックなのですが、川が流れていて、また職人の文化が栄えていて、大変金沢と近いところがあるのではないか。ポンテヴェッキオ橋の上にはジュエリーのお店があって、恋人と一緒に行くと「買ってくれないと橋から飛び降りるわよ」と言われるので、男性はお金を持たないで行った方がいいという危ない場所なのですが、恋人たちが愛を語らう有名な橋で、ここは本当に昔から、ルネッサンスのころから栄えていた場所です。
 また、世界最古の薬局がフィレンツェで出来たことと、お隣の富山の薬売りが前田藩のそもそものインテリジェンスの機能を果たしていたというところにも共通性を感じました。実はメディチ家というのは香水と薬草を作って何をやったかというと、一番恐ろしいエピソードとしては、フランスの王家に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスという女性がいるのですが、その方がフランスにお輿入れするときにメディチ家が持っていったものが、イタリアの庭園、イタリア料理、皆さん有名な「ノストラダムスの大予言」のノストラダムスという占星術の占い師と、ルネ・ビアンコという有名な錬金術師で、香水を作ったり、薬剤師のような方なのです。
 何をしたかというと、当時は敵国に結婚して嫁ぐわけですから、カトリーヌ・ド・メディシスというのは非常に恐ろしい女性で、夫も夫のお兄さんも、自分の産んだ子供もどんどん虐殺していくのです。毒薬使いの名人だったのです。中世のルネッサンスというのは非常に生臭いのですが、それだけいろいろな意味での高い技術力を持っていた。今ではヨーロッパ文化というと、ベルサイユ宮殿やパリだと思うのですが、もともとの礎をつくったのはこのフィレンツェから始まっています。
 そういうところを見ても、金沢の持っている潜在的なポテンシャルはたくさんあるのではないかと思います。金沢も、金沢の雁皮の紙もとても有名ですが、フィレンツェもイタリアでいうパピエという紙の文化も大変盛んですし、共通項がたくさんあるように思います。
 今の写真は、今お配りした香りの能登ヒバなのですが、やはりこれに対応するようなものがフィレンツェにもありまして、イトスギなのです。フィレンツェはわざと人工的に石の都市にしましたから、郊外に行かないとないのですが、ゴッホもイトスギの絵を描いていて、トスカーナ郊外に行くとこういった景色が見えます。これは英語でサイプレスという香料で、やはり能登ヒバと同じような鎮痛や消炎や殺菌をする効果がありまして、ペストがはやった中世の時代には、こちらから抽出した香料で殺菌予防をしていました。
 もう一つ、フィレンツェのシンボル的な花がアイリス(ショウブ)なのです。古代ローマではイリスと呼ばれていて、イリスというのは虹ともいわれていたのですが、実は兼六園や卯辰山の菖蒲園などもありますね。今、金沢工大の先生がショウブで勝負をしようと一生懸命作っているのです。先ほども申し上げましたが、バラの香料と並んでショウブの香料というのは非常に高くて、薬効もあるのです。ショウブというのは大体どこの香料メーカーも、いまだトスカーナにしか頼っていないのです。でも、これがわが国で抽出できるとなると、これは非常に画期的です。

(大内) 日本で抽出していないのですか。

(平田) していないのです。例えばシャネルであったり、ゲランであったり、有名な調香師の香水メーカーであっても、原材料は皆、トスカーナ郊外で求めているのです。一流ブランドなどはわざわざトスカーナに畑まで持っています。そのぐらい、これは中世から続いているお家芸なのです。やはり戻す技術と、ワインなどもそうでしょうが、育つ土壌的な問題があると思うのですが、金沢工大の先生が今、一生懸命ショウブを応用しようとしています。
 こちらがショウブです。

(宮田) これも何か香りがするのですか。

(平田) 正直、あまりいいにおいではないです。これの根っこをスライスして蒸留するのですが、それは、はっきり言っていいにおいではありません(笑)。

(宮田) 鼻にきますね(笑)。

(平田) あまりいいにおいではないと思うのですが、これを上手に抽出すると、いい香りになります。戦国時代から始まった端午の節句で、皆さんが菖蒲湯に入られるときのあちらも、このショウブです。ただ、ハナショウブと香料の方のショウブというのは少し違って、サイトモ科なのです。ガマの穂みたいなものが咲きます。
 ただ、ショウブで勝負すると非常に金沢らしいのではないかというのと、それからもう一つ、能登ヒバも面白いのではないか。それで考え出された枕を一生懸命やっていらして、私はこの枕をパルファム枕(香り枕)と呼んでいるのです。スニーカーなどの材料に、このマテリアルはどうもお隣の福井のものらしいのですが、加賀友禅の作家さんに描いていただいた友禅と金沢の雁皮紙をパイピングして、中に先ほどのショウブと能登ヒバと、すべて金沢で作られたものが詰まっているのです。
 これは液体で香水ではないのですが、非常に理にかなっていて、もう一つ金沢で取れるミズゴケが入っているのです。ミズゴケというのは非常に面白いもので、第二次世界大戦のときに、ナチスもそうですが、日本軍もドイツからその技術を知ったようで、けがをしたときに負傷した人たちが包帯等がないときにこれを当てていたそうですが、湿気を大変取るのです。実際に香水を液体で作ったときも、ミズゴケを入れることで香水がカビなくなるとか、香りが長期保存できるといった大変優れた特質があります。私は香りの仕事をしていて思うのは、金沢は本当にローカルで地元で素晴らしいものがたくさんあるので、そういったもので勝負していただいて、金沢が香っていただいたらいいと思います。

(宮田) 金沢産の香水というのは、あるのですか。

(平田) ないのです。たまたま知っているもので言うと、京都の長岡京市が市の香りを作られるときに、京都の香道のところで、いろいろ市民の皆さんが投票したのですが、長岡京はすごく竹が多いそうで、結局、竹の香りを長岡京市の香りとして、市役所の人は名刺などににおいをつけて配ったと言っていました。そういう香りとか、例えば空港を降りたときににおいがするとか、そういったことがあったら。

(大内) 今、平田さんの言う能登ヒバと、雁皮を使ったりミズゴケを使って、すごく面白いなと思っているのですが、金沢で抽出して金沢の香りを作るといったら、今はもう既に幾つか挙がってきていますが。

(宮田) やはりカニではないですか(笑)。

(大内) 何か相当、即物的ですね。でも、カニでリラックスするのかな。

(平田) 香箱ガニもいいですね、香りに箱と書いて。

(宮田) 猫とか寄ってきそうですね。

(大内) 例えば僕らみたいな古い世代ではなくて、宮田さんみたいな世代が、ミントやコーヒーをやめて、代わりに先ほどの枕で、あるいは枕でなくてもいいのですが、幾つかの香りで、要するにIT人間がものすごくクリエイティブになれれば一番いいわけでしょうね(笑)。

(平田) 本当に金沢の香りが詰まった枕だなと思って、金沢工大の先生が一生懸命作っていらして、私が夏に体調を崩して入院したときに、この枕でないと眠れないと思って、病院にその枕を持っていったりしたぐらいなのです。職人さんたちが作れる数に限りがあるので、量産しない方がいいとお勧めしました。やはり手づくりのぬくもりもあって、ハンドクラフトの良さというか、職人さんたちの良さがあるのです。金沢の素材が全部詰まっているというところと、お隣の福井もありますが、ハイテクと温故知新というか、温かいぬくもりとが融合しているところが素晴らしいなと。
(大内) そうですね。まさに温故知新というか、今でいうとあまりいい言葉でないかもしれませんが、地産地消というか、要するにその風土に育って、本来は土地の人にとっては身近だったものを今忘れてしまっていて、それをもう一度見直して新しい形で作り直していくということですよね。
 先ほど平田さんからいろいろお話を伺って、時々戦争の話が出てきたり、ポンテヴェッキオの話が出てきて、金沢にも「宝石を買ってくれなかったら飛び込むわよ」という橋を造りなさいと言われるかなと思って、これは困ったなと思っていたのですが(笑)。

(平田) 友禅を買わないと(笑)。

(大内) 友禅を買ってくれなかったら飛び込むと(笑)。

(宮田) 先ほどのアーカイブではないですが、香りというのは、いろいろなことを思い出したりしますよね。僕は先ほどチップのにおいをかいで、死んだばあちゃんを思い出したのです(笑)。

(大内) そうですね。そろそろまとめに入りたいと思うのですが、私たちは香りというと、先ほども平田さんからのお話にもありましたように、もともと仏教の伝来と一緒に中国やアジアの方から香り、香道が入ってきましたから、どうしても私たちは、お線香臭いというか、お線香の香りというのがあるのです。しかし、残念ながら、まだそれほど一般化されているわけではありませんが、よくご存じのとおり、香あわせだとか、お遊びというか、ある意味では最高のぜいたくかもしれない。

(平田) そうですね。

(大内) それから、私は実はあまり明かしたくないのですが、人生いまだかつて一度だけ、ある女性から、文香というのですか、要するに手紙の中に香りの入った紙がしたためてあって、そこから先は言いませんが。

(宮田) そこから先が聞きたいですね(笑)。

(大内) それは後での話ですが(笑)、例えばそういう文化も日本にあるわけですよね。

(平田) やはり記憶に残ることというのが、香りがあることで長期記憶を可能にして、また来ようと思ったりするのです。今は特に空港がどんどん世界的になって、建築の先生方も今日はいらっしゃいますが、どんどん都市のグローバル化で、どこも金太郎飴のように空港が近代的な建築になりましたが、昔は、宮田先生もタイに住んでいらしたので多分分かると思いますが、アジア独特のもわっとしたにおいがしましたよね。

(大内) ありますね。

(平田) 調香師の方々が日本の空港に訪れると、「おしょうゆとみそと日本酒のにおいがする」と言うのです。私たちは無臭だと思っているけれど、彼らから言わせると、私たちの体臭はそういう香りがすると。

(大内) それは僕らが例えば韓国へ行くと、ニンニクの香りがきついなというのと同じかもしれない。私たちにとっては多分当たり前になっていて、漬物のにおいとかね。

(平田) 例えば金沢の空港へ降りたり、金沢駅へ降りた瞬間に何かそういう香りを。

(宮田) サインになる香りがあるといいですね。

(平田) そうすると、また金沢に帰ってきたくなる。

(大内) あの香りをもう一度味わいたいために、そこをもう一度訪れるという、そういう何かプレゼンテーションができるといいですね。

(平田) そうですね。

(大内) そろそろ時間なのでまとめたいと思うのですが、本当に今日は私も知らないことばかりを教えていただいて、ありがとうございました。
 考えてみますと、先ほど幾つか、例えば天然の香料が非常に貴重品になっているということがありました。実はもともとは多分今でもあるし、私たちはそれを人工的な力に、アーティフィシャルなものに頼りすぎたことで、ないものにしてしまったというカルチャーが、この20世紀に席巻したのではないかと思うのです。ただし、だからといって昔に戻ればいいという話では決してないと思います。
 私たちの現代の生活の中にまだまだ人間の持っている五感というのは、ものすごくセンシティブなパワーを持っているはずで、第一分科会は歌や音の分野ですから、耳の話だったかもしれませんが、二つ目の「みる」という世界では、目の話もあるのですが、まさに今日さんざん皆さんが学習したように、鼻、嗅覚の世界。それから字の話も金沢では十分やりました。あとは多分触覚みたいな、ちょっとした皮膚感覚みたいなもの、空気というか、そういう感覚みたいなものは本来人間というのは相当の潜在力を持っているはずで、そこの価値を見直さなければいけない時代が多分来ているのです。
 そして、その延長上に、先ほども平田さんから最先端の医療の世界でもそういうことが見直されているというお話もありましたし、宮田さんのような世界でも、そういうものと新しいIT文化のコラボレーションというのを多分宮田さんだったら何かやってくださるのではないかと思います。ぜひここにおられる皆さんも、今日はいろいろなヒントを得られたと思いますので、僕らとしても金沢の香りというか、あるいは金沢に来て初めて楽しめる香りであったり、あるいはそれと新しいアートの世界であったり、ITの世界から生まれる何かをクリエイトしたいと思いました。
 以上で、第2番目の箱で「金沢をみる」という鼎談を終わらせていただきたいと思います。宮田さん、平田さん、ありがとうございました。

 
 
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