全体会議
   
■議長
 大内 浩(芝浦工業大学教授)

 

  
「歴史や文化遺産は舞台装置、それをどう演じるか」

(福光) それでは、全体会議ということで、昨日の基調スピーチから分科会、そしてまとめのスピーチ、今日の金沢学会、創造都市会議のこれまでのワークショップといいますか、宿題の報告を受けまして、フリーにディスカッションしていただきたいと存じます。「都市遺産の価値創造」というのがメーンテーマであることは間違いありません。
 この全体会議からは県から産業政策課長の菊川さん、市から都市政策局長の武村さんにもお入りいただいておりまして、金沢青年会議所の竹村理事長にも参加していただいております。皆様よろしくお願いします。
 このディスカッションの進行そのものは大内先生にお願いしたいと思いますので、私は横にいてサポートに当たりたいと思います。大内先生、よろしくお願いします。

(大内) ありがとうございます、早速ですが1時間半ぐらい、皆さんと一緒に昨日の議論、そして今日の議論、さまざまな例を頭のどこかに置きながら話を深めていきたいと思います。
 最初に私から勝手な提案を申し上げます。昨日いろいろな形で都市遺産というものをどうやって使っていったらいいか、あるいは都市遺産というものを、舞台装置のようなものと考えて、それをどう利用し、そのうえで演じていくかという大きなテーマでありました。三つ目はそうした都市遺産から我々は何を学ぶか、さらにそこから何の刺激を受けるかという大きなテーマですが、若干全体が少し抽象的なこともありましたので、できるだけ今日の最後の全体会議では具体的なことを考えたいと思うのです。今、私から皆さんに二つ問題提起をさせていただきたいので、それぞれのお立場から何かいろいろご発言を頂きたいと思います。
 一つは、昨日、杉浦さんから「市民力」という言葉も出てまいりましたが、やはりこの都市遺産というものをもう一度再評価するなり、再発見するなり、あるいはその利用のしかたをどうするかというのを、いわば、その市民全体の問題として考え、そして市民が直接参加していくという仕組みをもっとしっかりしたものにしなければいけないのではないか、それについてどうしたらいいかということについて、皆さんにもう一度、何か具体的なご提案があれば、ぜひ頂きたいということです。
 もう一つは、そういったさまざまな新しい動きをどうやってサポートしていったらいいか。裏でサポートしていく、舞台の上で演じる役者はそれはそれで重要ですが、一方で舞台裏でサポートしていく仕組みをどう作るかというのも、創造都市会議のメンバーの考えるべき非常に重要なことではないかと思います。県、市の立場からもサポートしていただきたいということもあるのですが、そんな二つの大きなテーマで議論していただきたいと思っております。
 最初にアングルベール先生から面白いパンフレットを昨日頂いて、拝見しましたので、それを紹介していただきたいのです。ベルギーのリェージュで、ある意味非常に気楽な感じで市民が参加していくためのプログラムをお持ちなのです。それについて少しご紹介いただけますか。

(アングルベール) 昨日、私からベルギーのリェージュにおいてはどのような取り組みがなされているかということについてご説明しましたが、その中でワロン政府によってたくさんの刊行物、出版物がなされて、都市遺産の保護活動に対する援助を行っている、広報活動を担っているということをご説明しました。
 そして今回、全6巻から成るパンフレットをお持ちしました。まず、第1巻目というのが都市遺産を守っていくうえでのアクターになる人たちはだれであるかというものです。これは昨日お話ししたことでもありますが、建物をどのように保護していくかという手法について説明したパンフレットになります。そして3巻目が、建築物が傷んでいくのに対してどのような奉仕活動を行っていくかというものです。昨日はこのことについて、あまり詳しくお話ししなかったのですが、4巻目は修復活動というものの具体的な内容についてです。5巻目は、これはとても重要なことだと思われるのですが、政府が都市遺産の保護について、財政的にどのような援助をするかということです。こうした財政支援というのは行う団体の税金の控除などということも考慮されています。
 ほかにも公的な援助というのが幾つかあります。例えばベルギーではビールの製造というのがとても有名なのですが、そのビールを造る製造業者というものが都市遺産の保護にも資金援助するということを行っています。
 今回、こういう事例をお持ちしましたが、きっと金沢でも同じようにこの事例が皆さんにとって考慮の役に立つかことができるかと思っております。

(大内) ありがとうございました。今ご紹介いただきましたほかにも、都市遺産について、リェージュ地方、あるいはリェージュ市がどう考えているかということについて、市民がアクセスできる、あるいは市民が簡単に手に入るたくさんのパンフレットをお持ちいただきました。そのパンフレットの中には、必ずしも専門家ではない、ごく普通の一般の市民がそういうことに関心を持った場合に、どういう分野に、例えば建物の修復・保存に直接関与できるためにはどうしたらいいかとか、あるいは、どこからか何かの支援を受ける場合にはどうしたらいいかということについて、さまざまな情報開示がされていると同時に、逆にそういうことを、積極的に市民に知らせて、市民が参加してくることを支援する、市民の参加を促すための仕組みがたくさんできているということが言えるのではないかと思うのです。
 そういった広い意味でのエデュケーショナルな市民が、必ずしも今までそういった都市遺産に興味なかった人たちまでもそういったことに関心を持つようなことを促すための仕組みを、私たちはこれから作っていかなければいけないと思うのです。
 木下さんは、昨日からずっと来ていただいて、今回わざわざお呼びしたのですけれども、建築家でいらっしゃって、海外でいろいろな仕事をされているのと同時に、最近は昔の住宅公団ですか、日本のお役所的なところとも関係しながら、いろいろなことで活動されています。昨日からずっと聞いていただいて、昨日の議論や今のエデュケーショナルな話も含めて、いろいろなお話を伺えるとありがたいのですが、よろしくお願いします。

(木下) 総体的な話から入ってもよろしいですか。昨日、今日といろいろお話を伺っていまして、川勝先生は随分前から言われていたのですが、「美」という視点から、都市を見る時代が訪れたなということをすごく実感しています。一つには景観法が今年の6月に全面的に施行されたというのは、非常に大きなことだと思います。やはり国がいよいよ建築物にしろ何にしろ、今までは建築基準法や、高さ、用途地域などというもので都市をある種定量的に規制してきた手法に対して、今度はもう少し定性的な見方で町を見ていこう、都市を見ていかなければいけない、逆にいうとそういう時代になってしまったのだなということを痛感しております。
 今、ご紹介いただいたように、私は4月以来、都市機構という元住都公団で都市デザインチームというものが発足したものですから、そこの責任者として、今後の都市に対する考え方ということについていろいろ考えるチャンスが増えてきました。それまではどちらかというと、現場主体の物づくりの建築家だったのですが、もう少しグローバルな視点で建築と町というのを見るチャンスを与えられました。
 そこで考えたのが、20世紀の反省と今後21世紀はどうしていかなくてはいけないかという点で、順不同ですが、昨日の議論を伺ったあとで五つぐらい考えてみたのです。今日の話にも出てきていた視点が多いと思うのですが、一つは、20世紀の時代は「用途分離」、これはさっきもお話が出ていたと思うのですが、やはり住居は住居、そして商業施設は商業施設、働く所は働く所として用途分離をするような形で都市が造られてきて、それが理想的な都市の造り方だということで20世紀は進められてきたと思うのです。しかし、やはりそうではなくて、用途分離すると、夜と昼の人口が全く逆転してしまいます。夜はゴーストタウンになってしまうような町の中心街がどんどん生まれる中で、やはり「用途混合」「複合用途」というようなものが、今、ここに来て見直されているように感じます。
 二つ目に、「車と人の関係で安全な造り方」というものが大前提にあって、そして歩車分離を推奨してきました。ところが本当にそれがよかったかというあたりで、車と人を分離してしまうと、結局、目の行き届かないような死角になってしまうような場所もできてしまいます。「安全」だけで造られてきている町が本当にいい町なのかというあたりも、ここに来て見直されているような気がします。やはり柔らかい管理体制というものを今後どう作っていくかというのが、21世紀の考え方ではないかと感じています。
 三つ目に思いついたことが、高層高密度化です。これについて今でも東京は、私はすごく疑問に思っているのですが、バブルでそれに一時期滑車がかかったものが、バブルのあとに景気が低迷したのに対して、それに刺激を与えようとした経済政策がうまくいきすぎたというのかもしれないのですが、今でも東京は高層高密度化のものが全く疑問視されずに、どんどん造られていきます。ランニングコストはどうなのだろう、メンテナンスに対するエネルギーはどうなのだろうということをよくよく考えたときに、本当にそういうものがいいのか。ここにきてコンパクト化とか、コンパクト・シティーということが言われています。それが三つ目です。
 それから四つ目に、ハード設備に頼るということです。これもエネルギーに関係するのですが、機械設備に頼る生活というものがものすごく一般化して普及しました。それに対して、21世紀になって、「環境をもう少し見つめ直そうではないか」というスタンスになってきています。
 それから五つ目としては、非常に定量的なまちづくりの方法で、大規模開発というものがとにかく推し進められてきて、そして法規制のマックスを使い果たして、容積率を消化して、とにかく事業性ということを主体に進められてきたものというのが、ようやく景観への関心が出てきて、そして、量だけではなくて、もう少し中身(コンテンツ)、美しさ(エステティックス)、「美」というものについて考えようではないかという姿勢が21世紀ではないかと思うのです。
 このようなことを五つぐらい思いつくなりに挙げてみたのですが、私の住んでいる東京は、技術力とスピードを武器にして、とにかく新しいものに飛びついては開発を行ってきました。ところが、少し前にバルセロナ、ビルバオを訪れるチャンスがあったのですが、ヨーロッパの都市は、技術力とスピードに乗らなかったのか、乗れなかったのか、乗らずにいたのが、ここに来て、昨日から語られている都市遺産というものをきちんと保護できたのではないかというのをつくづく感じたのです。
 例えば路面電車一つにしても、東京は私の子供のころにはまだ都電が通っている風景があったわけです。それが全部地下化してしまいました。バルセロナ、ビルバオに行くと、「トラム」という形でまたそれが普及しています。人が把握できるような大きさの町として、それを造っているなというのをつくづく感じました。
 そんな中で見ていくと、私は金沢という町は、東京のように技術力とスピードだけでそれに乗っかっていった町ではないと、この会議に最初に参加したときも感じていたのです。今回二度目にこの会議に参加させていただいて、さらに今回の都市遺産というものの価値について、昨日の分科会での議論を伺いながら、むしろそれが金沢の武器ではないかとすごく感じています。
 昨日のお話で三つぐらい力というか、パワー、ポテンシャルというものを感じたのですが、一つは昨日来から語られている既存のものの持つ力です。それは、都市遺産という言葉で表現してしまっていいものなのかどうなのか。そして昨日来、既存の持つ力をどう評価するかというところまでやはり考えなくてはいけないというのが、次の課題ではないかと思います。
 それから、先ほど大内先生が言われた市民の力。ただし、この市民力というものに対しては、多数決が必ずしもいいかというと、そういうものでもなくて、ある講演会に行ったときに東大の篠原先生が言われていたことは、多数決はどちらかというと無難なほうに落ち着いてしまうと。ですから、このあたりをどう見定めるかというのが次の課題になっていくのではないかと思います。
 三つ目は、昨日立川さんがおっしゃっていたと思うのですが、メディアの力。確か中国の都市が映画によって非常に世界的に有名になって、そのために観光客が訪れるようになり、そしてそこの土地に住む人もプライドを持てるようになったと。それはある種メディアの力と言ってしまうと、メディアを利用するという意味にとらえられてしまっては逆効果なのですけれど、やはり、それはすごく重要だと感じています。逆の言い方をすれば、情報発信と言うのでしょうか、だから、もう一つの課題としては、金沢から情報発信する仕組みというのが三つ目の力になるのではないかと感じています。
 これも昨晩、大内先生とお話ししたのですが、保存再生といったときに、英語で言うとリノベーション、レストレーションになるのでしょうか、その本来の意味というのを探る、語り合うというのも次の課題かなと思っております。今、私も都市機構は本社が横浜にありまして、その関係で横浜の町を見て歩くチャンスが多くて、横浜についても語り合うことが多くなったのです。やはり横浜も歴史的な遺産をたくさん持っているのですが、その保存のしかたにおいては、やはり先ほど申し上げた定量的なものとか、法規制とか、容積消化が勝ってしまって、そこにあった既存の建物が非常に悲惨な姿で、一応顔だけ生かされて、中身はすべて別物になっています。物によってはすぐ後ろに超高層が建ってしまって、本当に張りつけられただけのファサードになっています。そういう姿で、それでも保存かというときに、私はやはり反論したくなってしまって、建築家として建物を造っていて、その建物が何か私に訴えてきている、「何とかしてよ、救ってよ」と言っているのが聞こえてくるような気持ちさえするような保存のしかたをされているものがあって、それを非常に残念に思っています。
 ですから、ここで都市遺産を持つ金沢がやはりどういうふうにして、「保存」という言葉の意味をとらえて、今後どう取り組むか、これはすごく重要な要素だと思って、重要なもう一つの課題だと思っています。
 そして最後に、この動きをサポートする仕組み、これもまた非常に重要になってくると思うのです。今日の四つでしたか五つでしたか学会の発表を伺っていて、やはりこの町はスケール的に団結できる大きさだということを感じました。ですから、何かをやるにしても、何かまとまりがつく大きさ、町は小さすぎても大きすぎてもいけなくて、すごく適正スケールがあるというものを感じています。大学もあります。全く大学がないと、これまた刺激が幾らあっても若いパワーがついてこないのですが、そういう若いパワーと、それから、歴史的にきちんとした遺産を持っている、その物理的な遺産と、その歴史を理解している人たちという、若いパワーと理解しているかたたちのそのパワーをいかにドッキングさせるかというのが、これも次の課題かと感じておりました。少々長くなりましたが、私の感想です。

(大内) 大変うまくまとめていただいたというか、問題提起していただいて、木下さんに司会を頼めばよかったと今反省している次第です。今、木下さんからも非常に重要な指摘がありました。ここから先はぜひ皆さんからそれぞれのお考えがあると思いますので、自由にいきたいと思います。立川さんどうぞ。

(立川) 今の木下さんの話と大内さんの話とつながるところで少しだけお話しすると、昨日飛田さんがおっしゃって、今日、大内さんもおっしゃっていましたが、「歴史や文化遺産は舞台装置である、それをどう演じるかということが非常に重要である」と。今、木下さんが非常にいいことをおっしゃっていたのですが、やはり今「美しさ」というのももう一度考えなければならないと。
 多分、今日集まっている中で、小原さんと私が一番ソフト側の人間だと思うのです。こういう議論をなされたときに、やはりハード面からのディスカッションがすごく多くなっていくから、そこは私の側からこう思ったのだということをお話しします。
 卑近な例で言うと、昨日終わってレセプションで鏑木さんのところに行ったのです。元武家屋敷を非常にうまく使っていました。二つびっくりしたのは、あれだけうまく中をリノベートして、輸出された九谷を買い戻してやっているところなのに、「あの明かりは何だ」と。あんな明るすぎるのをだれも疑問に思わないというのも非常に変であったのと、ジャズが流れていたのですが、「何でここでジャズなの?」。
 今、日本中、ちょっとおしゃれだとか、自分たちはきちんとやっているという所に行くと、その二つの間違いが至るところで行われています。徳大寺さんに『間違いだらけの音楽選び』という本を『間違いだらけのクルマ選び』のパロディで書こうかと言うと、「早く書け」と言われたのですが、なぜ音楽が必要なのかと。昨日など音は本当に要らないわけです。だから、明かりを落とそう、音を消そうみたいなことで考えて、どんどん変えていったときに、これはやらないほうがいいのです。だから、足し算でどんどん考えていくのではなくて、どこかで引き算をしなければいけない部分があるのです。
 例えば映画音楽の仕事をしていて、やたら音楽をつけたがる監督がいます。分かりやすいように言うと、夏にお葬式の帰り、非常に暑苦しいところを喪服の人たちが歩いてくるわけです。そのときに「音楽をつけてくれ」「音楽は要らないと思う」「何かないと寂しい」。では、セミの音を鳴らせば、多分やるせない感じが出るのではないかとセミの音を選び、やってみると非常にうまくいきます。
 だから舞台装置というのを、皆さんがすごくうまく考えたときに、それをどう使うのかというときに、いろいろな方法論がある中で、今、木下さんがおっしゃっていた、ちょうどいいスケールというのに金沢はぴったりだと思うのです。
 昨日、飛田さんが鈴木大拙の話をしていましたが、多数決というところでいくと、大勢の人が言わなくても、金沢は泉鏡花がいて、多分、日本のある程度の大きな都市の中で、これほど日本的なデカダンとか、ある美しさを表現できる町があるだろうかと考えたとき、市民力というのは分かるのですが、多数の人のやるものと、すごく少数なのだけれども、非常に発進力のあるものを作るバランスがとれたときに、もしかしたら初めて都市の力というのがあると。ですから、あまり分かりやすいものに行かないほうが私はいいと思いますし、やはり「美」を追求するというのは、片側で相当レベルの高いものをやるプロジェクトというのを、市民のものとは違う形で・・・。もちろんそこに市民が入ってはいけないというのではないのですが、やっていったほうがいいと思います。

(大内) 大変面白い視点からというか、重要な視点からのご指摘で、うなずいている方も。反論してもいいのですが。佐々木先生、どうぞ。

(佐々木) さっきバルセロナとビルバオの話が出ました。私もこの数年間ビルバオも3回ぐらい行きましたし、バルセロナは4回ぐらい行っています。私はこれまで、ずっとボローニャを創造都市のモデルとしていました。特に金沢とボローニャは規模がよく似ているし、ボローニャの場合は、恐らくヨーロッパで最も早く都市景観保存のボローニャ方式を採用して、完璧に壁の中を保存してきました。それも、市民の同意を得てやってきたというのが素晴らしいことなのです。
 それだけ議論し尽くしたという、そこに市民力があると思ったのです。つまり、都市遺産として町全体を残そうと思うと、芸術家の力も要るしアートディレクションも要るのですが、それを支える日常的な生活文化の厚みがないと、うまくいかないような気がします。
 バルセロナで特に印象的だったのが、1976年にフランコ独裁が崩壊して、そこから急激にバルセロナの都市再生が始まります。いわばマドリードが東京だとすると、バルセロナは大阪なのです。第2の都市です。フランコ支配の時にバルセロナは徹底的に痛めつけられたので、アンチ・マドリードなのです。それが今もレアルマドリード対バルサというサッカーゲームを見ると、ものすごいことになっているわけです(笑)。
 実は昨年、「ユニバーサル・フォーラム・オブ・カルチャー2004」という、私は素晴らしいイベントだったと思うのですが、141日間にわたる文化イベントがありました。そして、ちょうど新市街地のオリンピック選手村から海岸線に持っていった所にパビリオンができたのですが、そこである意味グローバルな文化を通じた対話というのを掲げてやったのです。
 今年は愛知万博があって、私も万博の企画案で一つイベントを出したのですが、それはクリエイティブ・ジャパンということで、まさに金沢がリーダーになってもらって、日本の15ぐらいのクリエイティブ・シティーを標榜にしている都市を集めて出したのですが、万博というのはかなり行き詰まっていると思うのです。それに対して見ると、文化やアートや芸術を語る、それでもって今の世界のテロリズムがある、緊張している社会を何とか解きほぐして、別の方向に持っていこうという試みは非常に意味があると私は思っています。
 やはり価値観が非常に異なってきて、一種、市場原理主義対イスラム原理主義でしたか、いろいろな原理主義とのぶつかり合いになっていますよね。そうするとそこで、お互いのアイデンティティーを認め合いながら、同時にそれを乗り越える、マルチプル・アイデンティティーという考え方が提唱されたのですが、とことん対話をし抜く、ディベートで相手をやっつけるというのではなくて、対話しながら何か新しい価値観を見いだすということが目標になったのです。例えばそういう会議が行われるということです。
 その前提にバルセロナの土地再生が一番注目されたのは、小さな公共広場をいっぱい造ったのです。これは市民の間からたくさんの要求が出てきて、広場を造りました。金沢市もたくさん広場を造っているのですが、その広場が単に子供が遊んでいるとか、大人が遊んでいるとか、老人が集っているのではなくて、そこに劇場があり図書館があり、日常的なさまざまな討論が起こるということなのです。
 つまり、対話や討論が日常的に起こってくる創造的な、騒々しい、うるさい町、そこが市民力を培養していくのではないかと思うのです。そういったものがベースにあり、それが様々な、いわばガウディの建物などというのもある意味では非常にグロテスクだと思う人もいるかもしれません。しかし、それを許容する、違った価値観の人たちをお互いに許容し合うというか。コンテンポラリーアートというのはある意味では金沢の伝統工芸の人たちから見れば、「あんなものはごみくずだ」というわけですが、それでもお互いに違う価値観をぶつけ合って、そこで何らかの討論が行われていくという、そういうことが大事だろうと思うのです。
 これは昨日の話との関係でいけば、とんでもない瓦礫の山でもそこはアートスペースに変わるし、かなりコンテンポラリーなアートの話ができます。そういったことが日常的に起こってきて、そこで討論が起こるということが、私は市民力を上げていくことになると思うのです。
 だから立川さんの話というのはそういう形で受けたいと思うのです。つまり、スタティックに現在もし投票したら、つまらないものが選ばれるかもしれない。しかし、その先に、これはふるさと教育もそうですが、一種教育プロセスのようなものがあって、討論が起こってきて、市民の文化的、芸術的価値に対する判断力が上がってくるということですね。こういったプロセスを入れてこないと、先端的なアートを受け止める力にはなってこないのではないではないかというふうに、私はこの二つの概念をつないで考えているということです。

(大内) ありがとうございます。徐々に話が核心に触れてきますが、杉浦さんから手が挙がっています。

(杉浦) ちょっと反論をしようかと。反論というか、「市民力」をいう言葉を最初に使ってしまったので、お話をしようかと思ったのです。市民力というと何か民主主義的な言葉と理解をしがちなところが、少し誤解を生んでしまったのかなと思っています。どちらかというと、私の意図としては市民の文化力、市民全体が文化に無関心ではいられない、もしくはその文化を通じて都市全体、自分の住んでいる町に関心を持つ、もしくは文化の多様性と最近はよく言われていますが、多様性というものを認め合う力というのを持つということなのかなと。
 ほとんど佐々木先生におっしゃっていただいてしまったのですが、一つ全然違うことを言うとすると、やはり立川さんがおっしゃったように、目利きの能力というのが要ると思うのです。それがいいか悪いかというのは、多分だれも判断できないと思いますし、それは後で考えればいい話なのかもしれないですが、とりあえず、今ここでこういうことをすると、波紋が広がるとか、刺激があるとか、摩擦が起こるとか、そういう何か面白いことだと思う目利きの能力、仕掛けの能力というのは必要なのかと思います。
 もう一つは産業というか、資金を集めるという、支える仕組みということになってくると思うのですが、資金化や産業化という視点でいうと、やはり市民の理解を得ていないものというのは、なかなかファンドも作りにくいですし、観客として、市場としても考えにくいというのがあります。私などは文化事業を続けていくためには、自分たちで趣味でやっていく分にはかってにやってくれればいいのですけれども、行ってお金が回っていく仕組み、大きい循環ではないかもしれないですけれども、小さい循環でも回っていく仕組みを作っていかないと、なかなか長く続けられないのかなという問題意識があります。そういったファンドを作っていくとか、産業化していくという意味でも、その市民の文化に対する支持を得るというのは必要になってくるのかなと思っています。
 ただ、いわゆるポップカルチャーのように、広い循環を作るだけが正義だとは思っていなくて、小さい循環でもいいので、外にアウトリーチしていくぐらいの産業化の仕組みというのは必要なのかなと思っています。以上です。

(大内) ありがとうございます。小原さん、昨日、三条でというようなお話も伺っていて、やはりあれで相当ある意味で、あの周辺の人たちの意識は変わったわけではないですか。別に小原さん自身はそれを目指してやったつもりはないのだろうと思うのですが、結果として何かいろいろなものを変えてしまったということは言えるわけですね。

(小原) そうですね。ある意味「三条あかり景色」のプロジェクトに関していいますと、かなりゲリラ的にやった部分もあります。それなので、最初の年は「一体、何をすんねん」というほどで、非常にけげんがられました。
 「電源をお借りしたいのですが」「プロジェクターを置かしていただきたいのですが」と、例えばビルがありますので、ビルに映すためには、こちら側のあるマンションの一室からが一番いい角度だとなると、そのマンションに行くわけです。それで「こういうことをやるのに、ここにプロジェクターを設置させていただけないですか」と部屋の窓から映したりするのです。そういうことをずっとやったものですから、「何をすんねん」と、逆に心配がられたというところが最初はあったのですが、実際にやってしまうと、「何や、おもろいやんか」と。
 最初は1年しかやる予定ではなかったのですけれども、たまたま交通量調査や売り上げ調査なども大学の協力を得てやって、数字が出ていたということもあるのだろうと思うのですが、売り上げが上がる、交通量が上がるということもあったのだろうと思うのです。
 逆に今度は「来年もやるのだろうな」という話が町の方から出てくるというようなところは確かにあったかと思います。それに対して行政なども「ぜひ来年もやってほしい」というような形ができたりなどしたのです。
 金沢のことに関して一言だけ僕の思いを言いますと、例えば、僕が市長になったら、どういうことを提言するのだろうかということを考えるわけです(笑)。僕も海外はいろいろ行く機会が多くて、いろいろな町、国に行くのですけれども、もちろん景観が美しい所、自然がたくさん残っている所、素晴らしい町、国があるのですけれども、自分が何に、どの町が今までで一番良かっただろうかと過去を思い返すと、やはり「人」なのです。「あそこのあの町は人が良かったよな、優しかったよな」とかいうようなことが、一番印象に残っていたりするのです。
 それで、もし僕が金沢市長になったとしたら、何を言うかというと「優しさのまちづくり」みたいな、優しさって何なのだろうかということをとことん市民全体で考えていくという、そういう提言をするのではないかという気がするのです。昨日も金沢経済同友会の皆さんは非常にホスピタリティーがあるというか、心遣いというか、優しさみたいなのがありまして、僕なんか気持ちよくこの2日間を過ごさせていただいているのです。
 やはり「優しさ」というのはいろいろなものを大切にしようという気持ちだと思うのです。これが都市遺産やいろいろなもの、自然に対してもそうですし、人に対してもそうです。それはやはりコミュニケーションというものにも繋がっていくと思うのです。コミュニケーションが活発にあるところはいろいろなことが生まれてきます。そういう意味で教育の現場でもとにかく「優しさ」って何なのだろうと、何かにつけ「優しさ」というのをテーマに、例えば僕たちがやっている演劇とか、そういうものでも、そういうのを一つのテーマに、常にそれを絡めて教育も行政も、文化、芸術すべてにおいて、そういうものを徹底的に市民の意識の中に埋め込んでいくという活動をする。そういうことで気持ちのいい町になっていくのではないかなと思います。

(大内) 金沢でいつも思うのは、「おもてなしをどういうふうにしようか」ということについて、金沢の皆さんはすごく気にされていて、やはり遠来の方たちをどうおもてなしするかということについて、ものすごく配慮があるし、そういう意味での気持ちよさというものをものすごく感じているのですが、果たしてそれが具体的に中に入っていって、場合によっては対等の関係になっていくということになってきたときに、「優しさ」というのは何かというと、少し変わってくるわけです。
 先ほどのお話でいうと、初めは「何をすんねん」というところから、そこは金沢は受け入れてくれそうなのですけれど、そこから先は「じゃあ、やってみなはれ」と、そして、それを裏側から逆に押していくというかサポートしていくとなると、割に慎重なところがこの町にはあって、場合によってはけっこうやりにくい場合もあったりします。
 私などはあまり利害関係がないから、けしかけ役になったりすることがあるのですが、水野さんは実際に大野で若い人たちの「しょうゆ蔵」の再生を手伝っていて、あれは必ずしも金沢の人ではない若い人たちも参加していますよね。その辺はどうお考えですか。

(水野) 昨日のお話を聞いていて、私も小原さんの活動を聞いてすごく刺激になったのです。それと、先ほど「優しさ」とおっしゃいました。私は金沢はもう「優しさ」はいいのではないかと思っているのです。もっとアグレッシブになっていくということが必要なのではないかと思っているのです。
 振り返りますと、大野で遊休化した蔵をリノベーションしてアーティストのギャラリーやアトリエに変えたり、あるいはその町でフィルムや芝居を作ったりいろいろやっていたのです。当初は一つだけやれればいいということで、ある意味ゲリラ的にやっていたのです。そのときはけっこう面白くて、ワクワクしながら、一つうまくいったから、では二つ目、三つ目、四つ目ぐらいまではぐっと行ったのです。しかし、今は実際には少し停滞しているのです。
 それは何かなと昨日から考えていたのです。やはりある意味、組織を開いてやっていたのですが、何となく異分子が入ってこなくなったというのが停滞の原因かなと思ったのです。もっと異分子を入れていくということが、すごく大事だと思うのです。もう1回ねじを巻いて、組織や活動のしかたをもう少し見直してみないといけないと思っています。
 さっき報告したオープンカフェの社会実験についても、学生たちが中心になって「チャリdeアート」というレンタサイクルの活動をやってみてと入れたり、あるいはiPodで音楽を貸し出して町を散策してもらおうと別のNPOの団体に「任せますからやってください」としていたのです。
 ある意味、任せるのでいろいろぶつかり合うのです。面倒くさいのですが、そのほうがイメージした以上のことが出てくるので、そういう面では、すごく面白い取り組みであったと思います。
 そういう意味で、オープンにするということとか、任せるということとか、いろいろなやり方は必要だと思いますが、そういうトライアルをもう少し重ねていくことが必要だと思います。
 そして、誤解を恐れずに言いますと、何となく、まちづくりのいろいろな活動が行政寄りであったのではないかと、私自身の反省を含めて思います。小原さんの話を聞いていると、もっと経済界と結びついて自立してできるのではないかと。それだけの人が金沢にいらっしゃるので、そこにもう少し重きを置いてもいいのではないかと、誤解を恐れず行政の方を前にして言いますが、何となくそう思うのです。
 何となくこぢんまりしていて、硬くて重い感じがしていたのです。もっとダイナミックで実験的なものをどんどん取り組むとか、あるいは仮説的なことについても、いろいろトライアルしてみるということで、若い人の力を引き出すことができるのではないかと思います。
 学生は学生、アート関係の人はアート関係。経済界の人はどうしたらいいか分からないという感じになっているので、そこをうまくコーディネートするということと、ある意味でファンド作りとということを含めて考えますと、プロデュースする人をこれから作っていく、育てていくことが必要なのではないかと思います。漠然としていますが、何となくそういう刺激を受けました。

(大内) 米沢さん、どうぞ。



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