基調スピーチ

金沢創造都市会議開催委員会副会長
社団法人金沢経済同友会代表幹事
飛田秀一

 

「気づくこと」「大切にすること」「見つけること」



 今回は「都市遺産の価値創造」という大変大きなテーマです。価値創造というのは何か。天地創造なら神話に出てくるわけですが、価値創造というのは一口でいうと一体どういうことなのかを考えてみました。皆さんによって、その受け止め方はさまざまあると思いますが、私が独断と偏見で価値創造というものはイコール何かということを考えてみました。つまり、遺産というもの、都市の遺産というものを財産に変えるということが、私の独断と偏見で言えば、価値創造ではなかろうかと、このように思った次第であります。
 ただし、これは大変難しいことです。例えば、その昔、錬金術というのがありました。錬金術というのは、釈迦に説法になるかもしれませんが、いわゆる卑金属、卑しい金属をいろいろ混ぜ合わせたり加工したり、いろいろなことをして、金や銀といった貴金属にしようという試みであったと思います。古代のエジプトからずっと中世のヨーロッパに至るまで、いろいろな人がそれにチャレンジをして、ことごとく失敗をした。したがって、私は、この遺産を財産に変えるということは、錬金術と似ていて、こうやれば財産に変えられるということはないと私は思います。
 しからば、価値創造ということはどういうことか。もともとないものからいろいろなテクニックを労して作り上げるということは、まさに錬金術であって、実際にそんなことは不可能です。この地にあるものの価値を見いだすことが、この価値創造ということになるのではないかと認識した次第です。
 そこで、これをもっと分かりやすくいいますと、この都市遺産というものに気づくことが私は大事だと思います。なかなかこの地に住んでいる人たち、それから外部の方々を含めて、気づくというのは、簡単なようでいて、そう簡単ではない。気づくことというのは、まず第一に大事だと。次に、やはり、そういったこの都市遺産というものをかりに気づいても、そのもの、そのことを大切にしなければいけないというのが、これまた重要なファクターだと思います。それから、それなりにその道に通じた人が積極的というか、評価をしているけれども、あまり一般的に評価をされていない、遺産そのものの価値の割には評価が低いものもあると思います。そういったものを積極的に見つける、このことも大事です。勝手に名前をつけさせていただきますと、価値創造の三要素というのは、つまり、「気づくこと」「大切にすること」「見つけること」、ということではないかと考えるわけです。
 そこで、まず一番目の「気づくこと」に関連して具体的に話をさせていただきます。経済同友会の皆さんの大変なご支援、というよりもボランティア参加によって、先週日曜日に金沢検定試験を開催しました。約3000人の方に受験を頂きまして、第1回目の金沢検定としては、成功したといえるのではないかと自画自賛をしているところです。全国には京都をはじめ、ご当地検定が行われています。私の知る限りでは、この金沢以外はほとんどすべて、検定試験の前か後ろに観光という言葉がついていたと思います。金沢の場合は、同友会の理事会等でも何回も話をしましたが、そういう観光という言葉をつけない、観光よりも受験をすることによって、その受験者がふるさとの歴史や文化、その他の厚みを認識することが極めて大事だということを主張していました。そこで、観光という言葉を外したその結果が、先日の試験であったわけです。
 受験をした人たちに話を聞きますと、大変難しかったという話です。もっと簡単なほうがいいのではないかという声がなくはないのですが、あまり簡単だとふるさと教育にはならないと思うので、あの程度にならざるをえない、むしろ、難しいと感じたということは、つまり、受験をされた方が本当は受験する前、全部が全部といいませんが、相当数の方は、自分なりに金沢というものの歴史や伝統、文化というものをそれなりに知っているという認識であったと思います。それが試験を受けた結果、極めて問題が難しかったということは、知ったつもりでいたが、実はあんまり知らなかったということに気づいてくれたことだと思います。そういう歴史・伝統・文化というものを、そんなにご存じないということに気づいてくれたというのは、私は大変なプラスだと思います。今後、問題集や解答集というものも発行する運びになると思いますので、そういう方々は、さらに勉強される、そして、再度また挑戦する。これは、都市遺産というものに気づくことに大変役立つと思います。
 事務局からまだ結果を聞いておりませんので、正確には分かりませんが、推測するに、恐らく初級なども、京都検定に負けてたまるかということで、京都検定の合格ラインが70点だったから、70点では恥ずかしいということで、これをあえて80点にしました。80点にしたというのは、これはなかなか大変です。問題を100問出されて、正解が80なければいけないわけですから、これはなかなかハードルが高い。高い結果、難しかったということにもつながったのですが、恐らく、合格率は初級で1割は無理ではないかと。ましていわんや、中級をお受けになった方は、1割に満たないどころか、それをはるかに下回る数字になるのではないかと推測しています。そういったことで、知らないということ、具体的な問題を通じて知らないということに気づいたというのは、私は大変プラスだと思います。こういった試みをこれからも続けていくということが、都市遺産の実態に気づくことであります。「気づくこと」、すなわち、価値創造の大変な手助けになると考えているところです。
 三要素の中の二つ目に申し上げたのは、「大切にすること」です。この「大切にすること」で経済同友会として具体的な動きをしたのは、金沢と白山の世界遺産運動です。これも釈迦に説法になるかと思いますが、世界遺産登録に向けて運動する、世界遺産登録を目指すということ、すなわちこれは、都市遺産というもの、白山は必ずしも都市遺産ではありませんが、ともかくこういう歴史が積み重なった遺産というものを大事にしていこうということです。保存をし、後世に伝えていくということが世界遺産登録運動になるわけですから、これは大切にするということで、私は大変重要な運動だと認識しております。
 実際、金沢経済同友会が提唱をして、シンポジウム等を何回も開催をしたおかげで、文化遺産というものを文化財という財産に変える準備が始まっているわけです。史跡指定に向けて、石川県教育委員会が、金沢城、戸室山の石切丁場、金沢市が辰巳用水惣構堀と野田山の前田家墓所の調査を始めたわけです。遅かったといえば遅かったわけですが、いろいろこの時代背景というもの、それから石川県というか、金沢市が現在に至るいろいろな歴史の過程に対する認識の違いといいますか、都市が形づくられた歴史というのは大事にすべきであって、その中にこの部分はよくないとか、この部分はいいと、そういうことを論評してきた過去を、私は素直に反省をしなければいけないと思います。歴史というものは、そのまま、いろいろなことを、確かにこの地方は戦災は受けておりませんが、戦争であるとか、平和であるとか、いろいろないいことも悪いことも連綿と続いてきて現在に至るので、この部分はだめ、この部分はマル、そんな歴史認識では都市遺産の価値創造にならないと思います。
 少し抽象的かもしれませんが、分かっておられる方は分かっておられると思います。そういうことで、やはり史跡指定というものは大変遅れた。これだけの世界的といいますか、日本最大級といいますか、そういう史跡のいろいろな遺産の数々が、史跡指定を受けずに放置されているといいませんが、半ば放置されてきた驚くべき実態があったわけです。そういうものを、私どもから見るとほとんど大切にしなかったということだと思います。この運動を通じて、そういう歴史認識への反省を含めて、この都市遺産を大切にするという空気を醸成していく、行政はそういう空気を背景に具体的に動いてもらう、このことが大事だと思います。
 ただ、スタートが遅れたぶん、なかなか大変なようです。史跡指定をしようにも、例えば辰巳用水の上流部分の地権者などになると、相続もきちんと行われていない実態がありますから、これを全部調べていくのは大変な難作業です。しかし、この難作業をすでに、嫌々であるか、積極的であるか、心の底は分かりませんが、ともかく金沢市のほうでそういったものもすでに着手しているわけです。一定の時間は、絶対かかると思います。勝手に、「はい、ここは文化財ですよ」と、この日本では乱暴にできるわけではありません。ただ、そういう歩みを解消したということは、私は大切にするという価値創造の二つ目の要素といいますか、そういうことで極めて重要であり、私どももできるだけこれを応援していかねばならないと考えるところです。
 それから、いま一つは、「見つけること」です。見つけることというのは、これは別に今、急に遺跡を掘り返して、こういうものがあった、あんなものがあったということを指すのではなく、極めて客観的にいうと、歴史認識とかではなく、高く評価されてしかるべきものが、そんなに評価をされずに、この地に住む人たちがそう重要なファクターだと考えていない、こういうことがあると思います。
 具体的な例を申し上げますと、禅を世界に広めたのは金沢市生まれの鈴木大拙です。ところが、鈴木大拙の存在をこの地に住む人が広く知っているのかと思うと、これはあまりご存じない。これも経済同友会の提言で、せめて中学生に分かりやすい副読本でも作り、無料で配布すればどうかということで、この部分は実現しました。しかし、何せ難しい。哲学ですから。中学2年生向けで、私も読んでみましたが、まあ大変りっぱな内容だったのですが、私も頭が悪いせいか、なかなか難しかったという感想です。難しさに気づいたわけですから、それはそれでいいでしょうが、もう少し鈴木大拙という人物のことを、世界で知られた日本の偉人はそれなりにいますが、私は最も知られた日本人の偉人だと思います。今も鈴木大拙という人は欧米では有名です。欧米では有名ですが、地元ではさほど有名ではない。ふるさと偉人館へ行くと鈴木大拙さんのコーナーは確かにあります。かといって鈴木大拙さんの記念館を造ればいいというものではありませんが、やはりそういう目に見えるものがないと、やはり外から来た人も、それからこの地に住んでいる人も、そんなに認識を深めるということにはならないと思います。そういうものを造ったらどうかということも提言しておりますが、これはまだ実現していません。私は、こういう方の存在をもっと広めるということ、みんなが認識するということを、極めて大事だと考えます。
 それから、金箔というものもあります。金箔の日本での生産の99%がこの金沢です。99%ということは、金沢が唯一の産地であるということとイコールだと思います。この金箔も、ただここが産地になったわけではありません。これも知っている人は知っているでしょうが、多くの方は、恐らく、藩政時代から金沢は手仕事が盛んだから、箔打ちの職人がいっぱいいたのだろうと解釈する人が多いと思います。実はこれは違います。徳川幕府になってから、加賀の箔打ちは禁止されました。そして、幕府は大阪・京都で箔打ちというものを奨励して、江戸時代の間、徳川さんの時代の間は、この加賀の箔打ちというのは禁止されたわけです。ですから、隠れ打ちといいまして、密かに隠れて職人さんが箔を打っていたと。明治になって、隠れ打ちが表に出て、幕府から公認されていた大阪や京都が廃れてしまい、金沢だけが残るということになりました。
 私は、金箔産業が当地に栄えたのは、こういった歴史を考えると、ほかの工芸品などいろいろなものとは違う、完全な一つの奇跡だと思います。こういうことはありません。どうして禁止したとか、そういうことは知りませんが、ともあれ、想像するに、隠れ打ちをやっていた関係、隠れ打ちをやれば当然これは値は張ります。商品とすれば、恐らく京や大阪と勝負できなかった。したがって、これは品質でいく以外にないということで、大変薄いといいますか、技術的に優れた製品、しかし値段は高いということであったのではないか。それが公認されたことによって、隠れ打ちをしたおかげで京や大阪以上の技術があったということではないかと。これは推察で、本当かどうか私は分かりません。しかし、そんな奇跡というものにも、この地の人たちはもっと気づくべきでしょうし、経済同友会もそんなことに対して皆さんが認識するように、こうした関連の提言も続けていくことが大事ではないかと思うわけです。
 ともかく価値創造とは、錬金術に似ており、こうやれば、ああやればということはないわけです。今言いました三つの要素を積み重ねることによって、結果的に金沢という都市の持つ遺産が光り輝いて、そして財産となって、日本全体にアピールできるように、さらには世界にアピールできるということに通じるのではないかと思っております。
 まことに雑ぱくでつまらない話であったかもしれませんが、今言ったようなことも多少ご認識をされたうえで、分科会等でさらに論議を深めていただければ、まことに幸いであるということを申し上げて、私のスピーチとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました(拍手)。
  
 
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