分科会2 「都市遺産で演じる」
     
小原啓渡
杉浦幹男
佐々木雅幸  
(佐々木) どうもありがとうございました。冒頭にお話ししましたように、いわゆる都市の文化遺産という非常に普遍的価値の高い文化財から、逆に、工業化時代の負の遺産のような、先ほど見ましたが、ブラックチャンバの瓦礫の山がありました。ああいった瓦礫の山と対峙しながら、何かクリエーションしていくという意味でいくと、都市遺産といっても非常に幅が広いし、有形、無形、目に見えないものもあると思います。私は、先ほど磯崎さんと浅田彰さんと柄谷行人さんの三人が鼎談されている場に居合わせました。大阪という非常に汚い、元気のない町が、かつて水の都と言われて、八百八橋、全部民間が架けた橋があるという、いわば近世にあっては非常に創造的な都市であったことが、逆に、ああいった瓦礫の山と相対峙しながら浮かび上がってくる。
 そこで一つの気づきがあるというか、今日の飛田さんのお話との関係でいけば、そこに居合わせた人たちは皆、そういった意味で一つの都市の記憶を共有する。それが、このアートの一つの役割ではないかと思っています。その辺が、小原さんがやっているいろいろなプロジェクトに、皆が面白いと思って集まってくるポイントがあると思っています。小原さん自身は、そういうことを意図してやっているのかどうかと思いますが。

(小原) そうですね。もともと「おもろいな」と思うことをやっているだけで、あまり難しいことは考えていません。「こういうことをやったらおもろいんちゃうかな」ということで、自分ができる方法を見つけ出す。金がなければ金がないで、どういう方法があるのだろうと。それから、人のネットワークです。こういう場所があるという情報があると、「それ、やりたい、やりたい」みたいな感じです。
 とにかく創造性は、金がなければないで、何か方法を見つけ出すことが創造性かなと思ったりするのです。金がなければ、金がなくてもやれる方法を考えるとか、人がいなければ、人がいなくてもできる方法を考えるとか、とにかく「何かが足りないからできない」という考え方は、逆に面白くないと思っています。「何かやりようがあるやろう」「何か方法があるやろう」ということを実践して、「失敗してもええやんか」ということでやっていく。これが、一種のクリエイティビティーではないかと思っております。
 そのクリエイティビティーとは何かということを、僕は10年間、いろいろな方からお話を聞いてきて、また言います。『クリエーター50人が語る創造の原点』という本が論創社というところから出ていますが、これはけっこう勉強になりました。本当に、いろいろな方のお話を聞いて。そこに、楽しみがあるのです。見つけ出すことの楽しみというか、創造するというか、楽しみながらやっているという感じです。

(佐々木) ある意味で、あなたは京都の三条通りの旧毎日新聞の近代ビルのプロデューサーとして最初の仕事をされたわけですが、考えてみると、金沢以上に京都は日本の文化財、都市文化遺産に非常に恵まれていて、従来はそれを保存することにかなりウエートがかかりすぎていた。それこそ現在の河合文化庁長官に言わせると、「京都は遺産過多だ。遺産ばかりで、どうにもならん」と。「いわば新しい芸術創造は、全部東京に行っちゃうんじゃないか」ということがずっと言われていたわけです。そのような中で、逆に従来は文化遺産としていわれていたものではなくて、普通のビルや女子寮を何かアートのクリエーションに結びつけていく。これは、とても創造的な事業だと思いました。幸い、私はあの本の中に入っていないのでいいですが。
 杉浦さん、ヨーロッパの場合も、非常にやはり歴史的都市が多くて、歴史的な文化遺産、つまり都市遺産がいっぱいある。それを活用していくこと自体もありますが、意外に従来は文化遺産として評価されてこなかったものを活用していく、そういったことについて、幾つか話ができますか。

(杉浦) 先ほど佐々木先生のパワーポイントの中にも、リュー・ユニックがありました。あれはもともとビスケット工場で、まさに汚染を生み出していた側の工場だったものを改修して、多目的に市民に開放された文化施設に変えていったということとか。イギリスでもそうですし、グラスゴーでもサード・アイ・センターという単なる廃墟ビルを現代美術のセンターに変えていったりとか、そういった取り組みが80年代以降、ヨーロッパではたくさんやられていると思います。
 ただ、いつも思いますが、共通していることは、大体そういう所は工業都市なんです。すごくイメージが悪い所が多くて、中心部に人がいなくなって、捨てられたビルが出てくることが特徴としてある。グラスゴーにしてもナントにしてもそうですし、リールというと、リール工業地帯という言葉しか思い浮かばないような所だったはずですが、町の中心部にすき間ができることで、小原さんのようなプロデューサーの方々が活躍する場が、逆にすきとしてできてくることが、大きな特徴としてあると思います。

(佐々木) そういう意味では、実は金沢でも、やはり伝統文化の町でありながら、同時に繊維産業があったり機械工業があったり、そして地方の金融センターとしての機能を持っていた。それが今大きく変貌していくというか、工場跡、銀行の跡がいっぱい増えてくる。そうすると、すき間がいっぱい増えてくるわけです。そのすき間にこそ、何か新しい価値を創造するということです。つまり、既存の価値がでんと座っているような所ではなく、その端っこに、何か面白いことがあるという共通点があるのかなと。それは、小原さんは京都ではどういうふうに思いますか。

(小原) やはりニッチというのが非常に面白いということと、先ほども言いましたが、ある業種の人が「こんなんスクラップや」と思うものを、違う感性の人が見ると、宝物に見えたりする。今日の基調講演でもおっしゃっていましたが、気づくとか見つけるということの中で、ある業種の人にとっては普通であり何でもないものが、ある業種の人にはすごく面白いものであると。そういう意味でも、いろいろな業種の方との交流が必要だと思うし、そういう中ですき間が見えてくるという、そういう意味でのすき間ということがある気がします。

(佐々木) 私があなたの話の中で特に面白いと思うことは、行政に頼らない。そして、特定の企業にも頼らない、むしろ市民に頼ると言われた。できるだけいろいろなところから、いろいろなタイプのお金を集めてきて事業化される。それは、従来の日本ではあまりなかった気がします。あるいは、古いやり方ではあったのかもしれない。
 一方で、杉浦さんに聞きたいですが、フランスのナント市へ行きますと、素晴らしい多様な文化政策をやっていますが、これは市の予算の10%を超える事業費が文化に投じられるわけです。金沢市の文化予算は、1%にも満たないわけです。日本の自治体で、1%いっているところは少ないわけです。しかし、フランスでは10%やっても当たり前という国です。これはアメリカとは全く状況が違いますが、日本でフランスのように、一気に10%の予算を投じなくてもいいと思いますが、やはり日本には日本なりのやり方があるだろうと思います。
 そういった意味で、こういうクリエイティビティーを高めるための都市の遺産を上手に使いながらというやり方について、まず杉浦さんから、いわゆるヨーロッパ型と、これから日本でどういう形がいいだろうかと。幾つかあったら。

(杉浦) すごく難しいですね。確かにフランスという国を取ると、やはり文化大臣にアンドレ・マルローという人がいて、2%法というものがあって、文化予算にかなりの金額を投入し続けてきた歴史があるわけです。
 ただ、一方で、それをずっと認めてきたフランス市民、国民というものがいて、それがフランスの財産だと思います。それは、市民革命があって、フランスという国を自分たちで作ってきて、それを一つの国家のイメージとして認識しているという意識の高さと、高い低いで言うと怒られますが、文化に対する意識の高さは確実にあると思います。
 これが日本でできるのかということですが、私は別に行政の仕事も請けていますし、自治体や国の仕事で調査研究をやっている一方で、自治体の文化事業のプロデュースもやっています。調査研究をやる分にはお金をもらって研究するわけですから、普通にやればいいという話になりますが、文化事業をやるときに、とんでもないことを提案すると、行政の人に「それは前例がないからできない」と言われるのです。「前例がないからできない」と言われてしまうと、新しい文化事業は全くできずに、手も足も出なくなってしまって、前と同じようなことをやらざるをえないということです。仕様書に載ってないことをやると、「仕様書以外のことはやらないでくれ」と言われたり、そういうことがあるわけで、クリエイティビティーとは全く真逆のところにある。
 そういう意味で、日本でフランス型の文化行政を自治体の方々に「やりなさい」と言っても、多分わからないと思うんです。こんなことを大きい声で、僕の立場で言っていいかどうか分かりませんが、まず小原さんがやられているように、それが一つの力ということを、民間ベースでやっていくことが重要だと思います。
 例えばナントも、最初はあのやり方がいいとナント市の人たちが思っていたわけではないのです。ただ、それを任せたルネ・マルタンの人格を先ほどご紹介しましたが、とにかくそれを引っ張っていくカリスマ性ではないですが、推進力のようなものを持っているプロデューサーがいて、そういう人たちに任せてみるというところが必要だと思います。まず、そこから始めるという感じです。

(佐々木) ルネ・マルタンと小原さんを比較できるかどうかは分かりませんが、先ほどとても落ち着きがないと言われました。これはあらゆることに好奇心を持っているということかもしれないですね。そのあたりは、小原さんはプロデューサーというものですね。特にこういう実験的アートプロジェクトの点ではどうですか。

(小原) プロデューサーとは日本語で何と訳すかということがあると思いますが、僕は一つには仕掛け人だと思います。これが正しい訳ではないと思いますが、イメージとしていろいろなものを仕掛けていく。
 実際に、僕はほかにもいっぱいやっていますので、「そんなの、一人でできるのか」という話になりますが、最初は全部、僕がやります。レジデンスの管理人も、3ヶ月は僕が泊り込んでやっていましたし、もちろん最初は全部、現場で自分でやります。それで、それをスタッフにどんどん渡していく。これは、スタッフが優秀だからできることなので、僕が優秀だからではないですが、どんどん預けられるスタッフが育っているので、次々といろいろなことを仕掛けてやっています。うちのスタッフは、次は自分に絶対に任されるという気でいるので、「次は何ですか」という感じになっています。
 そういう意味で、落ち着きがないといえば落ち着きがないと思いますが、ただ、自分は仕掛けていく、立ち上げていく、生み出していく。今、杉浦さんがおっしゃったように、行政は前例のないことをやりません。だから、「僕が前例を作ったろやないか」というノリでやっています。実際にいろいろな行政の方が見に来られたりしていまして、それが前例となって、次につながれば、それはそれでいいのかなと思っています。

(佐々木) もう一つは、先ほどの話の中であまり触れられませんでしたが、いわゆるブロードウェイ方式のファンドです。三条通りをブロードウェイのようにしたいということでしたが、その考え方と今の段階は。

(小原) そうですね。やはり夢のあることでないと、皆が盛り上がらないじゃないですか。今、大阪も北ヤードということを大阪の北側でやっていて、僕は「あそこもブロードウェイみたいにしたらどうや」と言いますが、皆がワクワクするような計画というか未来計画みたいなものが。
 僕の場合は、僕のプロデュース手法は決まっていまして、例えば「あかり景色」も、やる前から「投影箇所を200ヶ所にする」と言うのです。今は50ヶ所ですが、「ここに200ヶ所の映像が、この通りにばらまかれたらどう思う」と言うのです。「世界の有名な映像作家から映像を提供してもらったら、これはなかなかおもろいんちゃう」ということを言うわけです。だから、現時点の現実的な話をするのではなくて、「5年後には200台にするぞ。そのことを考えてくれや」という話です。今は50台で、「まだしょぼいな」と思っているけれど、「ここに200台の映像ができるんか」と思ったら、「おお、ちょっとやってもええな」みたいな感じになったりしますし。
 皆がワクワクするような、うそでも「10年後にはこうすんねん」とか、「5年後にはここまでいくぞ」みたいなことを、僕の場合は先に言ってしまうのです。そういう意味では、ブロードウェイと言っていますが、皆に話すと「それ、おもろいな。おもしろそうやんか」というところを喚起しないと、なかなか人って動かないじゃないですか。金が、ものすごく儲かるなら別ですが、僕らがやっていることは全然金なんか儲かりませんので。

(佐々木) このセッションは、いわば伝統的な文化財や伝統的な価値観を保存するということではなく、むしろある意味では20世紀の負の遺産、あるいは工業化した社会のマイナスの側面に直面しながら、そこに新たなる価値を付け加えることが、逆にいうと、先ほど出ましたが、伝統的な価値観をまた浮かび上がらせる。そして、都市遺産という観点から見ると、実に多様な歴史的な広がりです。近代以前の価値と、近代の新しい価値あるいは負の遺産を、どのように21世紀にまた新しく作っていけるかということだろうと思います。やはり我々は、それを客観的に見据えて、と思っています。
 今日はその意味で、金沢という町は、ある意味ではとても美しい町で、美しい金沢ということが一つの在り方として議論される。しかし、今、大阪について「美しい大阪」とはだれも思わない。つまり、吉本のギャグでしかないわけです。逆に、「本当に美しいか」という問いかけが、また大阪的なのかもしれない。逆に、金沢は本当にトータルに美しいのかという問題が投げかけられるし、ある意味で、金沢の一つのステレオタイプから見る価値観からは抜け落ちているスポットに、何かもっと新たなる価値を見出すような遺産が隠れているかもしれない。
 そういったものをどのように引き出していって、それを価値の創造につなげるか。そういったプロデューサーが、果たして金沢に育っているのかという問題が、あるいはこれから議論されることになるかもしれないと思いましたので、今日はお二人にわざわざ大阪、京都から出てきていただいた次第です。どうもありがとうございました。

(司会) 大変ありがとうございました。もう一度、三人の先生方に拍手をお願いしたいと思います。どうもありがとうございます。

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