分科会2 「都市遺産で演じる」
     
小原啓渡
杉浦幹男
佐々木雅幸  
(佐々木) 皆さん、こんにちは。佐々木でございます。先ほど大内先生の話のまとめの中に、都市遺産を舞台にして、新たなる価値創造という方向性も出ているという話がありました。私どもはそこを受けまして、都市遺産をどのように見せるかとか、あるいは都市遺産にどのように新たなる価値を付加するか。そのような観点で、これをどういった舞台にしていくのか。あるいは、そこで新しい芸術、創造的な価値を生み出せるか。こういったことを少し考えてみたいと思い、今日は私の二人の友人を大阪と京都から招いて、現在、関西でいろいろ試みている実験のようなことを中心に話し合ってみたいと思っています。(以下、スライド併用)

●創造都市という言葉がだいぶ普及してきましたが、97年に本を書いたときは、このような概念として出しました。つまり、21世紀という新しい知識情報経済が主流になった段階での都市の在り方を考えていると。そのときのベースは、市民の創造活動がいろいろな形で発揮できるということです。それから、経済が大量生産ではないということ。先ほどもマスツーリズムの問題がありましたが、マスプロダクションやマスコンサンプション、マスツーリズムという21世紀的な大量主義から決別していく、質の高い経済であるということです。そして、都市の中でグローバルな視点を持ちながら、ローカルな問題を解決していく。そういった創造的問題解決を試みようということです。

●したがって、そのときの都市政策の中心は文化と創造性です。それを中心にした政策が育ってくるだろうと。これは、金沢でも今、創造都市会議を継続しながら、ここに市長さんがお越しになったり、あるいは県の担当者が来られて、意見交換しながらフレキシブルに、あるいはパートナーシップ型で、新しい都市の運営を行っていくことになってきた。決して中央政府がトップダウンで、一つのモデルを押しつけるやり方ではなくなってきた。これが金沢モデルで、先ほど三宅先生が言われたことだろうと思います。

●今回の「都市遺産の価値創造」というテーマについて考えてみた場合、まず、この会議が一貫して試みてきている「都市の記憶」という問題です。これは有形・無形の都市遺産ということになるわけですが、この場合に私どもは、都市遺産という概念を厳密な意味での文化遺産、つまり、非常に文化的価値が高くて、次世代に引き継いでいくものをトップのほうに置きながらも、いわば底辺といいましようか・・・。例えば先ほどから出ていますように、20世紀というのが一つの歴史段階になってきまして、20世紀の近代化、工業化というものが都市にもたらした負の遺産の問題もある。考えてみますと、隣の富山はコンビナートがあって、これが負の遺産になっている。それから、公害やさまざまな工業化に伴う負の遺産がありました。こういった負の遺産というものも、やはり冒頭に飛田代表幹事が言われたように、歴史は歴史として受け止める必要があるだろうと。そうしますと、負の遺産自体も次の世代への創造の一つの資産として、再評価できるということはないだろうか。つまり、工業跡地や造船所の跡地も、また負の遺産の再評価の中で、対象にして考えてみたらどうか。そういいますと、日本の都市はある意味ではそういったものがわんさとあるということになると思います。
 そして、そういった広い意味での都市遺産というものを、どのように活用していくかという時に、新たなる文化的価値をそこに付与していく。つまり、旧来の価値を単に保存していくのではなく、そこに新たな価値を持ち込んでいく。あるいは、新たなる概念を持ち込んでいって、それがその再評価につながっていくということができないだろうか。
 そういったものを、文化遺産から文化資本へという考え方として展開できないだろうか。ここにはアカデミックな先生方もおられますが、文化資本という概念は、フランスのブルデューという社会学者が唱えた説が有名ですが、この場合は主に個人の、世代にわたる文化資本というのが一般的で、これはかなり階層的格差があります。私どもが考える文化資本は、文化価値というものを体現した資本として、都市の文化遺産が文化資本へとなる、そういう経済価値とともに文化的価値を含んだ概念として考えてみようと思っています。
 そういった意味で、プラスもマイナスも含め、さまざまな都市遺産を舞台にして、文化創造の場にしながら価値創造を行う。となれば、そこには恐らく特別なマネジメントの観点を持ち込まなければいけないだろうと。どういう形でこれを創造の場に変えるかという、クリエイティブ・マネジメントとでもいうような観点が必要になってくるかもしれない。そして、それが何かクリエーションという形で事が起こる、あるいはパフォーマンスが起こる場合は、当然全体的なプロデュースをしていくプロデューサーといったものが必要になってきます。ある意味で、今日お話しになる小原さんは、そういうクリエイティブ・プロデューサーの一人であるかもしれないと思うわけです。
 そして、できることなら、これを新たなる音楽産業、映像産業、あるいはコンテンツ産業、またあるいは金沢市はファッション産業と言っておりますが、新たなる創造産業、クリエイティブ・インダストリーの育成に向けられないか。そういった視点で、今日はお話をしてみたいと思っております。
 私が用意したものをあまりやっておりますと時間を食ってしまいますが、簡単に流れだけ。

●とりわけこのテーマはヨーロッパで進んでいます。それは、特にヨーロッパの都市文化政策というものが、この20〜30年に大きく転換してまいりまして、従来、国が担ってきた文化政策というものを都市が担い、しかも1985年以降、欧州文化都市の実験が各地でやられて、さまざまな文化産業の発展があり、文化が教育や医療や社会問題の解決に役立つといった認識が生まれたと思います。

●今日このあと、杉浦さんもお話しになりますが、例えばフランスではナントという町の文化政策が大変ユニークであります。特にリューという名前のビスケットを作っていた工場が、リュー・ユニックという芸術センターに生まれ変わっております。これは劇場で、大した施設は何もないですが、こういったカフェレストが深夜の2時まで開いている。例えばアムステルダムでは、都市ガス工場を芸術センターに変えているということがあります。いずれにしても、こういった工場跡あるいは公害などを発生したような施設をアートセンターに変えていく。これは単に古いものを見せているのではなく、新しい実験的なアートに使う。

●同じように、私も横浜の市長さんにいろいろアドバイスもしておりますが、横浜では銀行をバンクアートという形で使っており、二つの使われなくなった銀行の建物をアートNPOの人たちに貸して、2年間の実験的プロジェクトを始めています。このうちの一つが、映像産業ということの可能性が今言われていますが、東京芸術大学の大学院の映像研究科が、北野武研究科長という形で進出することになったわけです。したがって、創造産業という領域は東京大学大学院の浜野さんたちもやっておられますが、この創造産業というものが発展しようと思いますと、中心のところにありますクリエイティブ・コアという、かなり実験的な創造性の高いアートプロジェクト、あるいはクリエーションをどのように作り出してくかということになってきます。ここは、商業性あるいは営利性が低い、マスプロダクションになじまないという実験的な要素があるので、そういった実験的なアートプロジェクトが、いっぱい起こってくることが必要になってきます。私は、そういった要素を含んだ創造の場というものを、都市の中にたくさん作れということを言っておりまして、その創造の場を作るポイントが三つあるだろうと。一つは、創造的な個人の問題、創造的な組織の在り方、都市そのものを創造性にするということです。その際に、アーティスト、クリエーターという人たちとプロデューサー、コーディネーターとのネットワークが必要になる。

●それから、特にアーティストやクリエーターだけが創造的であるというのでもまずいので、市民全体を巻き込まなければいけないという問題です。

●それから、三番目に伝統的町並みや、今日これからお話ししますような近代の産業遺産です。これは、21世紀の負の遺産も含めて、そうしたものを再生利用しながら、創造、クリエーションに向けていくことが新たなる創造の場、創造産業に向かう。そのときに、今日はこれからインプロビゼーションが起きるという期待を込めていますが、あらかじめシナリオを作らないで、その場の雰囲気で感じながら、お互いが創造性を引き出しながら議論を進める形です。そうした要素が必要だろうと思っています。
 ここまでが、まず私の前置きということして、杉浦さんからお話を頂きたいと思います。杉浦さんは東京芸術大学を出られたあと、銀行系の研究所にお勤めです。私は今、大阪で創造都市研究科という大学院を担当しておりますが、そこにも一緒に来ていただいていますが、世界各地の、特にヨーロッパ、フランス、イタリアの都市の文化政策と創造の場について大変たくさんの情報をお持ちです。そして、それを基に関西でのさまざまなプロジェクトにかかわっておられる。そういう点から、最初に自己紹介を兼ねてお話しください。

(杉浦) ご紹介に預かりました杉浦です。よろしくお願いします。UFJ総合研究所というご紹介を頂きました、銀行系のシンクタンクに勤務しております。名前がこの3年で2回変わっておりまして、また1月1日に変わる予定ですので、名前を覚えていただくと、どこか分からなくなってしまうということがありますので、忘れていただいて。基本的には調査研究を生業にしておりますが、それとは別に、関西で文化産業、クリエイティブ産業が興せないかということで、会社に一応許可をもらいながら、コンテンツ産業のプロデュースをやっております。(以下、スライド併用)

●今回、私に与えていただいたお題が、ヨーロッパの事例を紹介することで、フランス、イタリア、特にフランスの文化政策を調査・研究する機会をよく与えられておりますので、二つの都市の事例を紹介させていただきたいと思います。

●一つは、先ほど佐々木先生からもお話がありましたナントです。非常に面白い取り組みをしております。最近フランスの雑誌に住みたい町のランキングが出ましたが、その中で堂々の1位を獲得して、ここ5年ぐらい、ずっと住みたい町の1位になっている町です。

●場所は北西部になりますが、ロアール川が大西洋に流れ込む手前のロアール地方の最大の都市で、ナントの勅令で有名な歴史都市でもあります。近代以降、工業都市、貿易都市として発展した町で、砂糖工業が非常に盛んであり、イメージとすると砂糖を作っているという甘いイメージがあるかもしれませんが、実際に作っている現場は甘くないらしく、非常にロアール川の河川の水質汚染を出した公害の町というイメージがもともと強かったという町です。

●こういう町並みですが、歴史都市にふさわしく、大きなオペラ座があったり、いわゆるフランスの古いタイプの文化施設がある所です。右側にLRTがありまして、環境に配慮した格好でLRTを通すことによって、市民の足、利便性を向上させると同時に、環境に配慮したまちづくりというか、都市のイメージを今売り出しているところです。

●今回ご紹介させていただきたいのはラ・フォル・ジュルネというものです。「熱狂の日」と訳されるもので、ナント音楽祭と呼ばれているものでもあります。開催は、1月20日過ぎの週末を挟んだ数日間になっていますが、5日間であったり一週間であったり、大体1月の終わりで、ちょうど何も行事がなく、バカンスシーズンでもなく、町が非常に暗くなって、市民も退屈している時期に開催しています。ナント市内に大きなコンベンションセンターがありますが、その中に8つのコンサート会場を設定して開催しています。

●まずこの大きな特徴は、1年にいろいろな作曲家やいろいろなものをプログラムとしてかけるのではなくて、一つのテーマを決めています。例えば、最初に始まったときはモーツァルトでしたし、ベートーベン、シューベルト、ブラームス、99年はフランス音楽ということでベルリオーズ、フォーレ、ラベルという音楽家を扱ったと。バッハ、ロシア音楽、ハイドンとモーツァルト、イタリアンバロックというふうに、1回ずつ一つのテーマを決めて、その曲をやることが一つの特徴です。

●もう一つの特徴がありまして、プログラムを組むときに、大体1プログラム45分ぐらいで、1時間以上にならないようなプログラムを組んでいます。なるべく多くの人に聴いてもらいたいことが一つと、もう一つは、後ほども申し上げますが、クラシック音楽で例えばワーグナーとかすごく長いものをかけられても、普通の市民はまず聴きに来ないだろうと。普通の市民が気軽に足を運んでもらえるようなものにしようということが、この音楽祭の当初からのコンセプトで、大体45分ぐらいの設定でプログラムを組んでいるというものです。

●右側が観客の動員数ですが、95年が340万人ぐらいでしたが、2002年に1700万、2001年が2100万で2000万人を超える。大体そのあとも2000万人ぐらいで推移していますが、主催者側の数え方が変わったりして、今、数字の確認を取っているところなので、2003年以降は入っていませんが、順調に観客が増えているというものです。そういう意味で、音楽祭としては成功している事例といわれています。

●これが演奏会場ですが、コンベンションセンターの中にたくさん部屋がありますので、その部屋の中でコンサートをやると。もちろん部屋の中は撮影できないので撮していないですが、真ん中のちょうど入り口のロビーの所に、大きなステージを作って演奏しています。この入り口では演奏を無料で聴けるようになっています。
 右側の写真に、おばあちゃんと子供がいると思いますが、もう一つの特徴として、未就学児童も入っていいことになっています。途中で泣いたり嫌がったりすることもありますが、それはそういうものということで、未就学児童が入れることも一つの特徴になっています。ですから、家族で気軽に1時間ぐらい立ち寄って、音楽、コンサートでも聴いてみようかということが可能になっています。

●これはカフェですが、ちょうどナントの名物にミュスカデという白ワインがありますが、それが2ユーロという非常に安い金額で一杯飲めるということで、名産品のプロモーションも同時に行っています。また、バスに看板をつけたり、周りを見ていただくと分かりますが、冬のフランスは非常に暗いのです。特に、北西部は暗くて、けっこう陰鬱な気分になりがちですが、その中で音楽祭をやって、地域を盛り上げようとしています。

●財源は、全体で200万ユーロ、2億6000万で、40〜50%がチケット収入で、市が25%、民間のメセナが1%で、後で申し上げますが、ほかの都市の音楽祭への提供で、また収入を得ています。

●チケットの販売方法は、1月に入ってから一斉に販売しますが、初日だけが地元のみの発売です。無理矢理、パリからナントにチケットを買いに来る人もいるらしいですが、基本的には地元でまず発売して、そのあとでインターネットサイト、それから音楽祭の会場で販売するようにしています。運営主体が「シテ・デ・コングレ」というコンベンションセンターですが、そこが会場を貸すという意味で主催者になっています。

●もう一つ、クレアというアソシエーション、日本で言うNPO団体になりますが、ここがマネジメントを担当します。というか、ここが実際に企画をして運営しています。1979年に設立された団体です。このルネ・マルタン氏という笑顔の写真が映っていますが、この人がフォル・ジュルネのまさに立役者で、そもそも音楽コンサートのプロデューサーというところで、現場でずっと立ち上げてきて、たまたまナント市に呼ばれて、音楽、文化、都市文化政策で何か面白い企画ができないかと問いかけられて、この音楽祭を企画した人物です。
 もしかすると後ほどの話のネタになるかもしれないので、少しルネ・マルタン氏についてお話ししますと、非常に落ち着きがない人なのです。僕も周りから落ち着きがないと言われることには自信がありますが、その僕をもってして、落ち着きのなさはすごい人です。どういうふうに落ち着きがないかというと、単に話題が飛ぶということではなくて、非常に細かい人なんです。芸術監督は、普通は会場でふんぞり返っていればいいのに、自らドアを開けに行ってしまったり、気づいたらチケットを切っていたり、あいさつに立たなければいけないのにいないと思ったら、どこかでパンフレットをたたんでいたり、非常にまめな人です。
 ただ、全体が見えないかというとそうではなくて、皆、彼は落ち着きがなくてしょうがないと思いながらもついていって、全体に対する的確な指示をマルタン氏が与えているということです。これは、後ほど小原さんにお話しいただいて「プロデューサーってどんな人」という話になったときに、彼のようなキャラクターを見ると、いつも「プロデューサーってこういう人なのかな」と思ってます。

●フォル・ジュルネのもう一つの特徴は、先ほどほかの都市の音楽祭へのサービス提供が収入になっていると申し上げましたが、45分で細かいプログラムを組んで、一つのテーマを決めて音楽祭を開催するというものを、一つのビジネスモデル、ビジネスパッケージとして、海外に輸出しています。2000年からリスボン、2002年からビルバオで、今年の5月には東京で開催されました。このパッケージ自体を「ラベルナント」と名前をつけて売っています。

●今ここに写真を載せているのは、東京の開催のようすです。やっぱり子供が入れるイベントも含めてパッケージとして売っているので、ちょうど今年のゴールデンウィーク中に東京で開催されましたが、圧倒的に家族連れが多くて、皆が気軽に楽しめるイベントということで、それ自体を一つの商品として輸出しています。来年にカナダでやると言っていますし、また南米にも売っていきたいということで、収入になると同時に、ナントの都市イメージを上げる効果も上げています。

●文化政策の効果ということで、これは市の側で聞いてみましたが、もともと工業都市であったものが、マイナスの地域イメージから脱却して、文化や緑、交通の先進地域になっていったと。それに伴って人口も地価も増加していますし、ほかの周辺地域、ロワール川流域で新しいプロジェクトを立ち上げる予定もあります。いちばん大きいことは、文化のイメージがついたことによって、ヨーロッパ最大のパフォーミングアートの雑誌の編集部がナントに来たりしています。また、海外に音楽祭、フォル・ジュルネ自体を売っていくことによって、世界的なイメージアップも図れています。もう一つの効果という点でナント市が非常に特徴的なのは、市民の参加を重視している点です。世界的に有名な音楽祭は、例えば日本国内で有名な音楽祭の80〜90%は、東京や大阪の大都市圏のクラシックが好きな人が行くケースが多いですが、フォル・ジュルネというパッケージというかこのやり方は、非常に気軽にみんなに見てもらえるやり方になっておりまして、観客の80〜90%は地元の市民が来ている状況が出ています。
 もう一つ、市民がクラシック音楽を通じて文化に興味を持ってもらうことによって、アソシエーション、NPO団体がたくさんできたということで、879団体あり、そのうちの353団体が音楽関係の団体になっています。

●もう一つ、リールというまちの事例を紹介させていただきたいと思います。先ほど佐々木先生がおっしゃっていましたが、2004年に欧州文化都市が「リール2004」ということで開催されました。もともとこれは欧州文化都市の開催都市になろうと思っていたわけではなくて、2004年にオリンピックを呼びたかったのです。ただ、国内の立候補都市の選挙に負けて、何か別のことをやろうかということで、文化に目をつけた経緯があります。「メタモルフォーゼ(変貌)」ということがテーマで、まさに今回のテーマにそぐうと思いますが、都市の中でイベントをやることによって変貌させて、違う顔を見せることがテーマとなっております。駅前の再開発がありましたが、そこに草間さんの彫刻を置いたり、ちょっとゲートも変えたりしています。
 ただ、再開発のインフラ整備も非常に大きな要素としてあったと思いますが、それ以上に、旧市街のグランプラッセという中心街の大広場ですが、そこに観覧車を置いたりステージを作ったり、右側は駅の中ですが、駅自体を開放して、文化イベントも開催していました。
 左側は、やはり同じ中心街の広場ですが、そこに大きな森を作ってみたり、目抜き通りにアーチを作って、一晩変貌させてみるということです。それから、パレードをやったりしています。あと、最近アジアでもはやってきていますが、光のイベントで建物に直接光を投射して、町の表情をいろいろ変えてみるということです。それから、かつて巨人が住んでいたという伝説がこの辺りにはあるらしく、それを見つけてきて、巨人人形祭りのようなことをパレードとしてやっています。あと、建物をステージ化したり。最後に面白いのは、燃やしてしまったケースが多いのです。パッと終わらせようということで終わりにしています。
 もう一つの特徴は、子供のためのアートということを非常に意識して、子供が遊べるような現代美術を町中に置いたり、そういった取り組みをしています。

●我が国の示唆というほどのことはないですがナント、リール、それからほかの所も見てきて常々私が思っていることは、一つは市民力ということです。市民を巻き込んでいくことによって、継続するイベントができる。そのためには、「文化のムーブメント」という言い方をしていますが、一つの運動論のような格好で展開していくことも必要であろうと思っています。もう一つは、「継続していくための産業化」と書いてありますが、市民がやって、文化は文化だから文化をやることは偉いということではなく、それなりに採算を取って、産業として成立させていくことも重要であると思って、常々活動しています。以上です。

(佐々木) ありがとうございました。ヨーロッパの町は、先ほどの例もありましたが、特に中心部が文化ゾーンで、りっぱな古い建物を保存していますが、そういう所を舞台にしてやっているわけです。小原さんは京都の三条通りという、けっこう古い通りだけれど、最近はずっと元気のない通りがある。そこのアートプロジェクトを手掛かりにしながら、最近は大阪が一番日本で元気のない都市になっていますが、その大阪の造船所跡を舞台にして事業をやっておられるということで、京都、大阪で幾つかのアートプロジェクトをやりながら、都市遺産の価値創造をやっておられるのではないかと思いますので、その話をお願いします。

(小原) こんにちは。小原啓渡と申します。私は研究者ではないですし、あまりこういう場に慣れておりません。ちゃんとした発表をさせていただいたことがありませんので、失礼な形になるかと思います。全くの現場人間でして、とにかく現場で実践する。とにかく実践の中で試行錯誤していくやり方をずっとやっております。(以下、スライド併用)

●まず、簡単にご紹介させていただきます。最初にやり始めたのが、京都三条通りに毎日新聞社の京都支局だった、1928年に建った古い近代建築がありました。ここをつぶすとかつぶさないという話になったときに、建築文化財に指定されていた部分もありまして、この中に講演会をやるためのホールがありました。これは昔の写真です。当時の写真ですが、アールデコ調のホールがありまして、「これはもったいないじゃないか」ということで、ぜひ僕に運営させてほしいと。それで、ここを現代的なスペックも対応できる、全然電源もなければ何もないという何の設備もないようなホールでしたが、これにいろいろ設備を入れて、多目的に使えるホールにしていこうということで、1999年にオープンしました。

●今はこういう形です。現代は中がこういう形になっています。窓がけっこうありますが、これを完璧に遮光できるような形にしており、2階席もあります。写真展をやったり、こういうエキジビションなどをやりながら、ファッションショーがあったり、ダンス公演があったり、あるいは演劇があったり、ショーをやったり、そういうことを手掛かりに始めました。このショーもそうですが、ファンドを募りたくさんの人から小口で資金を集めて、そのお金で公演を打つ。その公演が成功するとリターンを返すという形の公演を始めました。それで、何とかうまく12%や8%のリターンを返すことができました。これも、その公演の一つです。これはショーで、大体1ヶ月ぐらい公演を打ちますが、ある集客の分岐点を超えますと、エンジェルやバッカースの方たちにリターンがどんどん入っていきます。

●これはショーではなく演劇ですが、演劇の公演もファンドでやり、一応リターンが返せました。

●まず、そういう劇場プロデュースから始めて、1928年に建った古い建物を再利用する形が何とかうまくいったということで、次はアーティスト・イン・レジデンスというものを始めました。もともと西陣につぶれた繊維会社が女子寮として使っていた古いビルがあったのです。これがそうですが、3階建ての古いビルで、オーナーが「つぶしが利かないんだよ」という話になりまして、「つぶすのも金がかかるし、この女子寮の状態では誰かに貸すというわけにもいかないし、困ってるんだよ」という話だったので、「では、僕に貸してください」ということで借りました。

●うちがまた技術の会社を別にやっておりまして、照明・音響・舞台という技術員がおりまして、その舞台の人間が中を自分たちで改装するわけです。中は、現状復帰しなくてもいいということだったので、どんどん壁をつぶしたり、床をフローリングにして、こういうように1階は皆が集えるスペースにしました。2階、3階は個室ですが、本当に畳があるだけの部屋です。テレビもなければ何もない。だから、皆さんが全部下に降りてくるという好条件で、逆にそれがよくて、いろいろ海外の方がいらっしゃいます。
 大体一泊2500円で、長く滞在すると安くなり、11日以上になると一泊1500円で泊まれます。こういうアーティト・イン・レジデンス、AIR京都というものを始めますと、意外と、特にアジアのアーティストの方たちには、1500円で泊まれるということで非常に喜んでいただきました。

●これはこのあとで紹介する造船所跡地です。これは大阪ですが、大阪の造船所跡地の話を先にしたらいいと思います。非常に面白い場所がありまして。実は、たまたま僕はこの場所に行ったわけです。ここは北加賀屋という場所にありますが、もともとが造船所通りと言って、三つか四つぐらいの造船所が当時はありました。ただ、だんだん造船不況で、今は中国特需でまた盛り返していますが、一時期造船が不況に陥り、どんどん造船所がつぶれていった、撤退していった所の一つです。
 ここは名村造船所というところがやっていた造船所ですが、ここにたまたまオーナーの社長に連れていかれて、行ったときに僕は非常に感銘を受けたわけです。

●これは対岸の中山造船所ですが、こういうものがドンと目の前に見えて、こういう施設がたくさんあるのです。大体4万平米ぐらいありますが、「これは何に使っているんですか」と聞いたら、「別にこんなもの使わへんがな」という話で、「ほとんど使い道がないんだよ」と。逆に、遺産というよりもスクラップというか、そういう考え方をオーナーは持っておられたようです。
 ただ、僕からすると、こんなに魅力的な所はない。「そうなんか」と驚いておられましたが、「こんなところがええんか」みたいな話から、「とりあえずやらせてください」ということで、ここでいろいろなプロジェクトを始めることになりました。

●最初にやったことが、これはこの間できた水上ステージですが、3×5mの水上ステージを作りました。造船というものは、船を実寸大で設計していたのです。だから、こういうドンとした柱のないようなスペースがあったり、そういうことがありますが、最初に僕がやらせていただいたのが、「ナムラ・アートミーティング」ということをまずやりました。それは、とりあえずこういう場所があると。クリエーターやアーティストといわれる人たちの感覚はよく似ているので、きっと僕が「おもろいな」と思ったところは、皆も「おもろいな」と思ってくれるのではないかと思いまして、「とにかく皆呼んだれ」ということで、「ナムラ・アートミーティング」ということで、36時間、夜中もぶっ続けで、いろいろな企画をここでやりました。

●このクルーザーなどに乗って、工業地帯を回ってもらう企画とか。このクルーザーも、オーナーが持っていたので貸してもらって、かなり高級なクルーザーを1000円で皆さんに乗ってもらったら長蛇の列で、30分ぐらいのクルージングを皆さんに楽しんでいただいて、この工場地域を見ていただいたり、これはシンポジウムです。シンポジウムをやったり、これは、今年やりましたナムラ・アートミーティングで、磯崎新さんなどに来ていただきました。

●そして、クラブイベントもやりました。これがクラブイベントのシーンです。こういうクラブイベントを映像のインスタレーションなどを含めて。これはドラッグクイーンと言いますが、こういう形でやりました。

●あとは、屋外カフェという形です。36時間ぶっ続けなので、皆さん食べたり飲んだりする必要があるので、こういう屋外カフェを設けて、36時間ずっと営業している。あるいは、外側に、そこら辺にあった材木を使って屋外舞台も作ったり。割と暗い場所なので、大きなミラーボールを一発吊りまして、このミラーボールの灯りだけで夜は過ごすということです。また、そのミラーボールはクレーンなので、いろいろな所に場所を移動できるわけです。移動して、高い所にやったり海に突き出たり、手の届きそうな所にやったり。
 そういうことを、ナムラ・アートミーティングは毎年一回という形でやっておりますが、毎年一回だけでは面白くないということで、今年はそのリノベーションというか、倉庫のうちの一つをリノベーションして、ちゃんとしたスペースを作ってやりました。今年の10月にオープンしたのですが、この棟の1階、2階をぶち抜き、こういうアートスペースを作りました。これは、こういう形でダン床も含めて200人ぐらい入れる劇場にもなるし、今はクラブイベントに箱のまま使ったり。また、ギャラリーを併設して、動線を考えたバーとか。

●また、これは楽屋ですが、ホワイエがあります。これは、バーで飲んだり。

●これは練習室というか、ミーティングルームがあります。

●これは地下というか、1階のアウトサイドにあるオープンのタバコを吸う所。ここは工房で、いろいろな舞台制作工房をやったりしています。これは一つの象徴として、抜いた瓦礫を飾っております。常に工事中、プロセスであることを象徴するために、これをあえて捨てずに、ライトアップして名村の象徴という形でやっております。

●名村にもレジデンスがあります。名村のレジデンスに関しましては、劇団の子たちなど、とにかく安く泊まりたいという人のために、八つぐらいベッドだけが並んでいるような・・・。これも一応はレジデンスです。

●こういう部屋とか、「こんな所ではかなわんよ」という人は、一応ウィークリーマンションをその土地の持主が経営していたので、「ここをレジデンスに開放してよ」ということで、これはちゃんとした部屋のあるちゃんとした施設です。これがすぐ隣にありまして、こういうレジデンスを併設させる形で総合的な、長期滞在しながらアーティストがいろいろなものを作れて、発表ができるものを大阪でやっております。

●僕の場合は事例ばかりになってしまいますが、大阪でこの辺りに関係するものでは、名村造船所跡地は梅田、大阪の中心部から、どうしても電車で30分ぐらいかかってしまいます。ただ、中心部からボートで送迎したりしています。自主企画の公演をやったりするときは、梅田の中心街からボートを出してお客さんを送迎するということをやったりしています。

●中心街には、これは僕がやっているサロンですが、これは外に看板などは出していません。一般の方というか、一見さんが来られる所ではないですが、僕の大阪事務所の1階を改装してサロンにしました。ここに、いろいろなクリエーターやアーティストが夜な夜な集まってきて、いろいろな話やプロジェクトなどをお酒を飲みながら語り合える場です。最近は、ここにいろいろな政財界の方たちも来られるようになりまして、政財界の方たちとアーティスト、クリエーターたちが酒を飲んでざっくばらんにという場です。また、バーだとどうしても片方になってしまうので、これはカウンターを取り囲んで会議ができるような仕組みにしました。

●あと、お話しできそうなことは、創造ということに関してですが、10年ぐらい前からずっとフリーペーパーを出しております。そのフリーペーパーは、舞台評論という分野が関西では弱かったので、舞台評論家の発表の場ということで、舞台評論を書いておられる方を集めて、1994年からフリーペーパーを出しており、その巻頭インタビューをずっとやっております。それは、テーマが「創造とは何か」「クリエイティビティーとは何か」ということをずっとアーティスト、クリエーターに、僕がたまたま仕事を一緒にして面白いと思う人に、インタビューを同じテーマでずっとやってきていたのが、ちょうど10年で50人ぐらい集まったので、それがこういう一つの本になりました。
 自分の本なら恥ずかしくて宣伝できませんが、僕が書いたのは前書きと後書きだけで、ほとんど僕が全部インタビューして、「あなたにとって創造とは、クリエイティビティーとは何ですか」ということを聞きました。50人分で、海外の方も3分の1ぐらいいらっしゃいます。これは、非常にいい本です。別に売りたいという意味ではないです。たかだか5%ぐらいの印税しか入りませんので、そういうことではなくて、アーティスト、クリエーターに1〜2時間話を聞きますが、原点というか源泉的なところがなかなか出てこなかったりしますが、とことんそれが出てくるまで粘るという。「この人の創造の原点はここだな」と思うところだけを抽出して書いております。これは非常にいい本です。僕が書いたものではないので、推薦したいと思います。
 創造性は非常に大切で、今まではクリエーターやアーティストの特権のようにいわれていたところがありますが、今からはたとえ製造業であれサービス業であれ、どういう産業であれ、創造性を持った人材がいるかいないか。それが企業の力になったり、将来性やポテンシャルにつながったり、あるいは国家の活力、市の活力につながっていくと思っております。
 そういう意味で、アートとは一体何かというと、僕はある意味で、クリエイティビティーではないかと思っております。そういう意味で、都市もクリエイティブな人間がたくさんいてこそ、都市はクリエイティブであると思いますし、国もそうであると思います。そういうところで、アートという手法をいろいろと用いながら活動しているということです。

●あと、市民巻き込み型で、市民をどういうふうに巻き込んでいくかとか、あるいはアートをどうアウトリーチしていくかという試みの一つとしてご紹介したいことが三条通りです。アートコンプレックス1928がある通りですが、ここで「あかりプロジェクト」をプロデュースしております。これは文化博物館ですが、三条通りは古い近代建築が多く存在している通りです。これはうちのビルですが、近代建築のいい建築をライトアップすることと、それだけではどこでもやっているので面白くないということで、このようにビルに映像を照射することをやっています。いろいろなビルに、プロジェクターを使ってどんどん映像作品を照射していくのです。今年は50ヶ所の映像照射をしました。何が面白いのか知りませんが、16万人ぐらいの人が来て、道は車が通れなくなってしまったということです。
 ただ、僕のやっていることは別に行政に頼まれてやっているわけでもないですし、バックに企業がついているわけでもありません。全部プライベートでやっていますが、この「あかり景色」に関しては、PFI、プライベート・ファイナンス・イニシアティブという手法がありますが、このPFIの手法を一度やってみたいと思ってやってみました。もともとPFIとは行政の委託である事業ですが、今、民間提案型のPFIが可能になりました。実はこれは全くお金がかかっていないのです。去年もこれだけ3日間やりましたが、実は全くお金がかかっていないのです。これは、光のインスタレーションをしました。
 どういうやり方をするかというと、みんなが持ち寄るやり方をしました。例えば、うちの場合はプロデュース手法や技術員がいて、照明音響舞台や機材を持っています。そういうものを僕が持っているので、僕がそれを出そうと。あるいは、例えば町村会(まちむらかい)というものを作りましたが、例えば酒屋さんでは、ビール箱を積み重ねてプロジェクターを置いたりしていますが、「ビール箱はおれが持ってきたろ」と。あるいは、雑誌を編集している人が、「1ページ分、広告をただで出したろ」とか。あるいは、ポスターはデザイナーの方が「僕がただでデザインしたるよ」とか、印刷会社の人は「しゃあないな、ただで印刷したろ」とか。そういうように皆が全くの持ち寄りで、予算ゼロで始めた企画です。それが、去年は3万人ぐらいしか来ませんでしたが、今年はなんと16万3000人ぐらいの人が来ました。

●そこには、大学教授の方たちが自分のゼミの生徒を寄こしてくれて、市場調査とか通行量調査とか、これは昼間に案内ガールズという、これも京都の古着屋さんが着物を提供してくれて、「若い子に着せて案内させたらええやんか」という話でした。Tシャツを皆が着ていますが、Tシャツもデザイナーがして。そういうことで、三条の「あかりプロジェクト」をどういう雰囲気でやっているかは、DVDであるので、これはけっこう楽しいDVDです。そろそろ皆さんお疲れのところだと思うので、気晴らしにこれを一度。どういう雰囲気でこのあかりプロジェクトをやっているか。延べ300人ぐらいのボランティアがなぜか集まってきてやったもののDVDです。これは全部僕が作りましたが、DVDをちょっと雰囲気だけを見ていただければと。(以下、DVD再生)

●これは、去年のものです。これは全員ボランティアです。
 そこには電源もないので、町の人の電源を借りなければいけないわけです。一軒一軒店を回りまして、「電源を引かせてください」という形の中で、町の中にコミュニティーができていったのです。プロジェクターも全部ただで集めました。「大学が3台持っているから、そこから貸してよ」とか、個人的に持っているプロジェクターがあれば集めろということで、50台全部を集めました。僕もちゃんと仕事しています。京都は学生が多いので、このようにボランティアで参加してくれる方が大勢いらっしゃいました。
 こういう感じで、映像照射するわけです。招待の映像、あるいは公募をしまして大体3〜5分ぐらいの映像を作って。これはライトアップしている所に映しているので、ちょっとあれですが。これは、かなり大きな映像です。大きなビルで、いたる所にこういう映像を散りばめて・・・。ちょっと見るだけでは分からないと思いますが、これもかなり大きな映像です。
 シャッターに映したり、水の中にスクリーンを作って映したり、こういうものを50ヶ所ぐらいやりました。「こんなことをやっていますよ」という話です。




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