全体会議
   
■議長
 大内 浩(芝浦工業大学教授)
■パネリスト
 水野一郎(金沢工業大学教授)
 永井多恵子(世田谷文化生活情報センター館長)
 蓑原 敬(蓑原計画事務所主宰)
 米谷恒洋(金沢経済同友会副代表幹事)
 大樋年雄(陶芸家)
 赤穂敏広(金沢市助役)
 木虎 徹(三菱地所設計常務取締役)

金森千榮子(メディアプロデユーサー)
金谷末子(金沢工業大学教授)
三宅理一(慶應義塾大学大学院教授)
長谷川孝徳(石川県立歴史博物館学芸専門員)
浅野弘治(金沢青年会議所理事長)
米沢 寛(金沢経済同友会理事)
八日市屋典之(金沢経済同友会理事)
福光松太郎(金沢経済同友会副代表幹事)
水野雅男(金沢経済同友会幹事)
半田隆彦(金沢経済同友会理事)

  
金沢創造都市会議2003宣言(全文)

一、金沢らしい町づくりや、都心再生には、金沢の歴史、文化、伝統を現代に生かす戦略が必要である。兼六園の世界遺産登録に向けた運動が始まろうとしている今、「感性」を働かせ、金沢独特の趣、すなわち「風情」ある都心づくりに取り組む。
一、金沢学会で提言された、金沢の夜景デザイン、大手門中町通りの再生、香林坊界隈の賑わいづくりの一環としてのオープン・カフェ開設が動きだした。こうした町づくり事業は、行政頼みではなく、こころある経済人や市民が、資金を出し合って支える、町衆の心意気が必要である。

 2003年11月28日  金沢創造都市会議開催委員会

文化、芸術を再生の核に

● 大内:最初に、それぞれご感想をお願いしたいと思います。

● 水野一:金沢の武蔵ケ辻、南町、香林坊に至るメーンストリートにおけるコンバージョン自体は技術的には可能だと思います。コンバージョンに対する補助を住宅以外にも適用できるような広げ方ができれば、それを促進できるのではないかと思いました。

● 永井:私がお話ししたのは小さな事例ですが、この小さな事例なりに文化というものの運営のきつさを、ある一面 でご理解いただけたかと思います。恐らく、この金沢でもいろいろなアートのシーンをお作りになりたいということだろうと思いますが、その場合、人脈をどれだけ集め、それを支援する人々の力がなければ、生き残っていかれないということを申し上げたいと思います。

●大内:この会議は、パブリックな議論の場で、すごくいいわけです。例えば具体的に空いているビルや、空いている住宅、あるいは虫食いのような状態になった地域を再生させていくときに、一体だれがどういう責任を持ち、どういう権限を持ってやっていくかということを示さないと、具体的な方法論につながらないと思います。そういうときに蓑原先生はNPOに期待する時代が来たということを書かれていますが、どのように考えたらいいのでしょうか。

●蓑原:NPOに関してですが、例えば、市なり企業がある程度フォローアップできるような構造になっていれば、住宅NPOはアドバイザー的な機能なり、テクニカル・アシスタンス的な機能で足りるかもしれません。住宅の事情や、社会におけるいろいろな物の考え方というのは今は非常にバリエーションがありますから、これを画一的に議論するのは意味がないのです。むしろ現場の具体的プロジェクトの中から、必要な組織をどう組み上げるかという方向で議論した方がいと思っています。

●大内:香林坊から武蔵の空いている空間を一体これからどうしたらいいかかということに、議論を集中したいと思います。この通 りに本店を持つ、北國銀行の米谷さん、いかがですか。

●米谷:私ども北國銀行本店の窓にシャッターがあるのですが、これを全部取り払うつもりです。そして、何らかの形で照明を入れるなど、一つずつ具体的に実行に移していきたいとは思っています。もう一つ、武蔵の角に村野藤吾さんが設計された、支店があるのですが、これについては今の武蔵開発の中で三m下がらなければならないので、支店としての業務は実はあきらめています。あの建物をそのまま後ろへ移動しまして、近江町開発と合わせて建物はぜひ残したいと思っています。場合によっては、市へ寄附した方がいいのではないかとも考えています。

●大樋:僕は橋場町に住んでいます。そこも二〜三年すると、道路のサイドが三m近く下がって、電柱もなくなって、歩道に変わるのです。兼六園からひがしの茶屋街の方にもいい道路が確保できるようになっていくと思うのです。金沢の町というのは、兼六園から片町や南町へ行ってひがしの茶屋街ぐらいを歩くと、すごく遠いなと思って、車に乗る方が多いと思います。ヨーロッパに旅行したとき、恐らく一日にその二、三倍は歩いていると思うのですが、ポイント、ポイントにいろいろなものがあるから、歩いても疲れないと思うのです。金沢にはそういうものがありません。皆が一個ずつ何かポイントを作っていけば、観光客も地元の人も歩いて回れる町になると思います。

●大内:水野さん、南町界わいのにぎわい回廊についてお話をいただけますか。

●水野一:市のプロジェクトで、にぎわい回廊の委員会があります。その中で長期計画、中期計画、短期計画とあって、長期計画でやはりコンバージョンをせざるをえないだろうと考えています。それから、中期計画ではバス停や歩道、街路樹、街灯、照明を含めて、改造しなければいけないだろうととらえています。

●大内:そういった計画に対して、金沢市はどのようにとらえ、どのように支援されるか、助役さんお話しいただけますか。

●赤穂:コンバージョンを具体化するためにはやはり、ソフトが必要だろうとか、あるいは住宅だけでない方がいいだろうとかの議論が出ています。こういった議論を踏まえて、来年度以降どのように政策をてこ入れしていくか、まさに喫緊の課題になっています。もう一つは、この通 り以外に空いているビルがありますので、コンバージョンに行かないまでも、例えばウイークデーに学生が実業家の生のお話を聞くような教室を開くとか、あるいはアートプロジェクトということで、ビルの空いた空間でアート活動をやっていただくといったことをやっています。しかし、これはあくまでパイロット的な試みですから、それを継続させる仕組みをどうやって作っていくかというのが多分これからの課題になってくるのだろうと思っています。

●大内:どうやって継続的に支援するかということで、木虎さんにお願いしたいと思います。

●木虎:今、赤穂助役さんがお話しされたように、確かにアイデアはいろいろあると思うのですが、それを継続するには、その地域でどういった催しをしていくか、そういったものを周知させる機能とかが、大きくは地域経済の活性化に働くのです。それから、例えばサインとか、そういうものについても目を光らせていくということです。そういったものは、形としては官と民の間がいいのではないかという気はしています。例えば、銀行店舗を仮に普通 の店舗にしましても、歩く雰囲気が悪ければ、単発的な話になるのではないかと思います。金沢というのはいろいろな施設がありますから、そういったものを結びつける回遊性のある道として、車道も歩道も同じような舗装にして植栽をどんどんしていきますと、周りが逆に変わらざるをえなくなるのではないかと思います。

●大内:金沢もふらっとバスを走らせたことによって、思わぬ方があれを利用するようになったと聞いていますが。

●金森:確かにふらっとバスというのは金沢市政の目線が前に行ったというものの例の一つだと思います。昔懐かしいとか、町内を回っていくというものは残しておくべきですね。それから、やはり私が今でもいつも思い出すのは、北國新聞社の提唱で一年に一回、中心地のちょうど武蔵辺りから歩行者天国になる日があるのですね。初めてのときに香林坊というど真ん中で、能登からみこしか何かを持ってきた青年がごろっと大空を見上げて寝転がって「ああ、金沢に来た」というのを聞きました。例えばそういう感動性のあることを体を通 して知るような町づくりがほしいと思います。

●大内:金谷先生に今回、照明の社会実験で専門家としておつきあいいただきました。あのとき、協力された学生の反応はどうだったのでしょうか

●金谷:市民の方に見ていただけるならということで、学生たちはすごく興奮しました。大学の中だけでなくて外の町に出たという意味で、無形の刺激を受けたのではないかと思います。一回だけでなくて、やはり継続が力になると思いますので、ぜひそういう形に持っていきたいと思っています。

●大内:三宅さん、ヨーロッパの例を話していただけませんか。

●三宅:たまたま三日ほど前にナンシーにいました。ナンシーの町というのは最近ライトアップを非常にきれいにやっています。特にあそこは十八世紀の宮殿があって、広場があって、非常に風格のある町で、やはり風格にはそれなりの照明、お化粧が似合うという感じがしました。面 白いのは、金沢がすごく面白いと向こうの人は言っているのです。何度も来ている人がいますので、金沢は恐らく日本の町の中でも非常に優れたモデルとして、ヨーロッパ人は議論しているということをちょっとご紹介しておきたいと思います。

●大内:一方で歴史の持っている重みなどを僕は無視してはいけないと思うのです。長谷川さん、武蔵と香林坊というのは歴史空間としてどのように理解したらいいのでしょうか。

●長谷川:あの通りは北国街道なのです。江戸時代は尾張町が現在のちょうど南町に当たるような位 置づけだったのです。大手門から出てきて、江戸三度飛脚の問屋場とか、そういうのがある場所が尾張町です。武蔵ケ辻から南町を通 って香林坊へ行くという通りはどちらかというと商店街になるわけです。本来は金融街は尾張町方面 という流れです。

●大内:浅野さん、JCの立場からご発言いただけますか。

●浅野:金沢市周辺には多くの高等教育機関があって、石川県内は十万人当たりの学生の数というのは日本でも有数です。これは明らかに強みですから、学生さんを何とか一つの起爆剤に町づくりの活性化事業ができないかということで、八つの四年制大学の皆さんの中から有志を募りまして、九月二十八日に学都金沢文化祭をやらせていただきました。 そのときに我々も感じたのは、やはり回遊性の問題です。中央公園では実は一万二千人以上の方に来ていただいたのです。それだけのにぎわいができても、もう一本向こう側の通 りというのは、我々が何かアクションをしないと、そこからの人の流入がなかなかないという状態です。通 りの方と中央公園の部分は全く別離しているような感じだったのです。その意味で、戦略的に通 りを生かすような何かを持っていないといけないのだろうと思います。

●米沢:香林坊の通りは、土地の所有者が地元の方ではないほうが多いのです。外資もけっこう持っています。やはり面 での町づくりということを考えると、この町に愛着があって、その思い入れがないとなかなかできないということです。だから、今金利が低くなっているので、所有権を取り返すことから始めないと、どうもうまくいかないなと思います。

●大内:八日市屋さん、何かヒントはないですか。

●八日市屋:尾張町に蓄音器館が市の力添えでできました。あの前がオープンスペースになっているものですから、どうやってお客さんをたくさん入れていくかという案をいろいろ考えているのです。カフェという話が出ましたが、あそこでカフェはどうかなと思いながらも、「和風」となったら、赤い毛せんを敷いて、傘でも大きく出してやるのも一つかなということを感じたりしました。

●大内:なるほど。福光さん、発言があるようですが。

●福光:パブリックという言葉を随分聞かせてもらいましたが、これを金沢弁で翻訳すると「町衆」という言葉だと思うのです。  この町衆の仕組みを香林坊から武蔵までの道の中で、市も、場合によっては銀行さんも、同友会もJCも一緒になって、どこか一カ所のある建物を一つモデルにして、そこに知恵を集約して、どうコンバージョンしたら、あるいはどのように素敵なソフトでそこを作ったら、そのモデルができるだろうかという、その具体的なモデルケースを皆でやってみるということです。何か共同で、あの通 りのどこかでちょうどいいものを見つけて、本当にそこに知恵を集中するというのが一つのブレークスルーになるのではないかと思います

●水野雅:今の提案はすごく素晴らしいと思います。具体的な行動を起こすということをぜひ町衆でやられたらいいと思います。一つの拠点を造ることがきっかけになって、町のイメージを変えていくことにつながるといいと思います。やはり、供給側の視点で今までやってきたと思うのです。利用する側、入居する側の視点をもっと取り入れてこれから検討すべきですし、若い人、あるいは高齢者、リタイヤした方々とか、ある程度ターゲットを絞って、ああいう町なら行きたいというものを、香林坊から武蔵にかけてはこういう生活ができますよ、すごく豊かな生活ができますよというイメージを明確にすることが大事です。いわゆる町のブランド化を図るということになると思いますが、それをぜひ推し進めていくべきです。

●半田:県、金沢市などそれぞれの立場で県庁跡地の問題などに取り組んでおられるわけですが、例えば回遊性とかということを考えた場合に、どこかの場でトータルにコーディネートしていかないと、整合性がうまく機能しないのではないかと思います。これは行政と我々、さらにはパブリックといものがうまくつながれれば、非常にいい結果 が出てくるのではないかと思っています。

●大内:最後に水野さん、ご提案か問題提起をいただけますか。

●水野一:私が緊急にほしいなと思うのは、例えば日銀のバス停のところに雨の日でも雪の日でもたくさん人がいますね。近江町のところも。ああいう人たちがすっと入り込んで休んで、そこで待てる空間みたいなものは、すぐできるのではないかと思います。その空いているところを、どういう形でかは分かりませんが。そのことによってバスが便利で快適だというのを作って、車を減らして歩道を広げる話とか、そういういろいろな都市戦略に使っていったらいいのではないかと思います。それから、今は六十歳で定年になっていますし、あるいはご婦人がたも含めてですが、生涯学習に対する熱意がものすごく多いのです。空きビルをそういう学習センターにしてしまうとか。そうすると、日曜も夜も必ず人が来ているのです。そんなようなこととか、アイデアはたくさん出てくるのではないかと思います。そのアイデアを出す場所を作っていく、そういう何かサロンみたいな形ができるといいなと感じています。

●大内:やはり具体的に何か問題を考えてやろうというのが一つ大事なポイントだろうと思います。「町衆」という言葉がありましたが、実際に私たちが声を上げ、プランを練り、それも単なる手段を持たないものではなくて、かなり具体的な手段まで検討した上で、こういうことをやろう、あるいはこういったことをお互いに協力しようというような形で町づくりに貢献するという時代が、いよいよ本当に来たと思います。



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