基調スピーチ

金沢創造都市会議開催委員会副会長
社団法人金沢経済同友会代表幹事
飛田秀一

 

金沢らしい「風情」の視点を

●白山、兼六園の世界遺産登録を目指して
第二回「金沢創造都市会議」を開催するに当たり、基本的な考えをお話しさせていただきたいと思います。金沢経済同友会は、先日、白山と兼六園を世界遺産に登録する運動を提唱し、世界遺産登録推進特別 委員会を設置しました。
ふるさとが誇る霊峰白山は、全国に白山神社が2700社を数えることからも分かるとおり、白山信仰によってこの地域のみならず、日本人の精神風土に大きな影響を与えました。
兼六園も、日本を代表する大名庭園として、世界に発信できる素晴らしい文化遺産です。東京に行くと、石川県を知らなくても金沢は知っているという人が多いです。そして、「金沢といえば兼六園」という人が、これまた圧倒的に多いのです。兼六園のすばらしさに気がついていないのは、金沢の人かもしれないと思うことさえあります。そういう観点から、金沢経済同友会は、兼六園を観光客の皆さんからは入場料を頂きますが、県民には無料で開放し、いつでも見に行けるようにしてはどうかと提言を続けてきました。
石川県はこの提言を受け、県民が無料の日を徐々に増やしてきていますが、一部に金沢経済同友会は、兼六園を観光客も含めて全面 無料開放にせよと主張していると誤解している人がなきにしもあらずです。金沢経済同友会は、観光客からは入園料を取ってもいいが、保存・保護の経費を税金で負担している立場の県民は無料で見ることができるようにすべきであり、そのことによって、県民がもっと気軽に兼六園を見て、わがふるさとの文化財に触れ、その価値を理解してもらうようにすべきだといっているのであります。
金沢経済同友会は、白山、兼六園の世界遺産登録を目指す運動を展開していきますが、これもまた、白山、兼六園を観光地として売り出そうと考えているのではありません。わがふるさとには世界遺産があるという自信と誇りが、ふるさとを愛する気持ちを育んでいくという観点に立ち、提唱をしているのです。
兼六園を何代にもわたって整備してきた加賀前田家には、日本最古の造園指南書『作庭記』が伝わっています。東京農業大学の学長で造園学の権威、進士五十八氏は、「この『作庭記』には一つの理想となる風景を想像して全体像に思いを巡らせ、自然を十分観察し、そこから学んで庭を造るべきだと書いている」と指摘した上で、「日本の景観構成や空間構成は、都市づくりの模範であり、庭から都市への発想が庭園都市につながる」と述べています。これを金沢に当てはめると、都心に世界遺産の兼六園があり、隣に金沢城があり、ここを中心として町が広がっていくという図式が描けるのではないかと考えます。

●「風情」をキーワードにすすめたい都心整備
金沢の都心整備を進めるに当たり、忘れたくないキーワードを提唱したいと思います。それは、「風情」という言葉です。「風情」は「風」と「情」と書きます。辞書を引くと、「独特の趣、味わい」という意味だそうです。都市づくりにあたっては、金沢らしい独特の趣を大切にしたいと強調したいのです。
先日、県の広坂通り中央公園再整備計画策定PI委員会の会合があり、広坂通 りの中央を流れる辰巳用水を、旧の石川県庁側に付け替えるための案が提示されたという新聞報道がありました。旧県庁の敷地内に付け替えるのか、旧県庁側の歩道に沿う形で付け替えるのかがポイントでした。しかし、この案に欠けているのは、「風情」だと思います。広坂通 りは、金沢のシンボル道路です。単に「辰巳用水の付け替え場所はどこがいいか」ではなく、それによってどのような「風情」を生み出すのか、検討されて然るべきだと思うのです。
金沢市は、藩政期初めごろに金沢城の防衛のために造られた総構堀(そうがまえぼり)の文化財登録に向けた調査に乗り出しました。調査の結果 は、来年3月に学会形式で市民に報告される予定と聞いていますが、登録のあとに予想される保存・保護・整備に当たっては、金沢らしい「風情」という視点を加えてほしいと考えます。
「風情」を保つ、「風情」を残す、そのために大事なのは「感性」です。人間の脳は、五感でとらえた感覚が送り込まれ、それに反応する仕組みとなっています。したがって、「感性」は、脳の作用になるわけです。同じ情報が入力されても、「感性」によって出てくる反応や行動は、大きく違ってきます。この「感性」というものを働かせて町づくりに取り組むことによって、全国どこに行っても同じような、金太郎飴のリトル東京ではない、独特の地方都市が形成されていくのだと思います。  さて、金沢経済同友会が積極的に取り組んでいる旧町名の復活について、山出金沢市長は、金沢経済同友会の提言を受け、来年三月の市議会に旧町名復活促進条例を提出する方針を打ち出しました。地名研究家の楠原祐介氏は、「近代国家で統治者側が一方的に地名変更したのは、ナチスドイツと旧ソ連ぐらいである。長い歴史を育んできた地名を、その地域に住む人々が誇りに思って、大事にしなくて、町の新しい歴史を作れるはずがない。その意味で、日本中で昭和37年に行われた住居表示は、失敗の典型例である」と述べております。

●歴史や文化、伝統に、新しい息吹を吹き込みつづけるのが創造都市
日本のコミュニティの源ともいうべき向こう三軒両隣の文化は、地名への誇りが育んできたものであると考えます。金沢経済同友会が旧町名の復活にこだわるのも、こういう考えからです。すでに旧町名が復活をした主計町、飛梅町、下石引町、木倉町、柿木畠、それから来年復活する六枚町にしても、犀川と浅野川に挟まれた旧の城下町にあります。人口の郊外流出で、いささか元気がなかったところに旧町名の復活によって活気を取り戻し、わが町の振興にお互いが努力をしあおうというコミュニティ再生の動きが出ています。
創造都市とは、砂漠にこつ然と現れる人工的な都市のことではありません。都市の歴史や文化、伝統に、新しい息吹を吹き込む努力を続けていくことが創造なのです。住民が自分たちの根っこを意識し、確認をしながら、都市づくりの活動を続けるために記憶に学ぶことが大切なのです。
今回の金沢創造都市会議で、開催委員会が県中央公園に開設したオープン・カフェの実験結果 が報告されます。北國新聞社が編集した『おもしろ金沢学』という本に、大正から昭和にかけて、金沢の香林坊は、当時のモガ(モダンガール)とモボ(モダンボーイ)からまねて「リンボウ」と呼ばれ、文章ではわざわざローマ字で「RINBOU」で表記されて親しまれ、カフェ文化がにぎわいを見せたそうです。そのころのカフェは、今でいうキャバレーに当たるのでしょうが、その近代的な雰囲気が、官庁やビジネス街のサラリーマンを引き付けたそうです

●都心ならではの開放感を楽しむために
最近、オープン・カフェ風の喫茶店が金沢でも人気を呼び、にぎわっているそうです。青空の下で椅子に腰掛け、ゆったりと飲み物を楽しむことができるのが人気の秘密のようです。人の目を気にすることなく、開放感に満ちた空間は、都市ならではの雰囲気があると思います。オープン・カフェが町のアクセントの一つになって、にぎわいを生む方策の一つになる可能性があるようです。
県中央公園について、石川県と金沢市は、オープン・カフェを整備するため、来年度政府予算の町づくり交付金で整備費を申請し、民間からオーナーを募集する方針だと、これもまた新聞報道されています。
しかし、金沢は雨も多く、雪もあり、民間の経営でオープン・カフェが成り立つとはとても思えません。施設は行政が整備をしますが、運営は例えばNPO(民間非営利団体)でも作って、多くの皆さんが志を持ち寄って、これを維持するという発想がないと、経営はできないと思います。何でもかんでも行政頼みではなく、町づくりに心ある人々がいささかでもお金を出し合う、こういう発想がいわゆる「町衆」の心意気というものでもあります。
来年10月に開館する金沢21世紀美術館にも、レストランから庭に広がるオープン・カフェがあればいいと思います。平成17年度に完成する近江町市場再開発地域にもオープン・カフェがあるというのも、ちょっと楽しい思いがするのであります。
都心に住む楽しみとは、何も利便性だけではなく、そういう施設がいつでもどこにでもあふれているということではないかと考えます。藩政期の金沢には、人がぶらりと外に出かける遊山の文化がありました。物見遊山という言葉があるとおり、遊山には気軽に遊びに行ける場所や心のゆとり、非日常性を感じる奥行きが必要なのです。
以上、いくつかの提案もさせていただきましたが、今言った視点も加えていただき、さまざまな論議を行い、行動を続けていけば、我々が目指す金沢らしい「風情」のある都市づくりができると強調させていただいて、基調のごあいさつといたします。

  
 
トップページへ戻る