総 括
国際文化研究センター教授
川勝平太

●経済人によるパトロネージのない文化は衰亡せざるをえない

日本は経済のための経済、エコノミーのためのエコノミーということでやってきたと思うのですが、我々が実感していますように、今、経済同友会は、アートのための経済という姿勢を明確に出されています。これは恐らく金沢が生んだ非常に特徴的な姿勢であると思います。恐らくこれは、さらに高い段階にいくに違いありません。それは恐らくアートとしての経済というものだと思うのです。ですから、経済と文化との関係では、経済に支えられない文化は衰退する以外にないと思うのです。もう少し具体的にいえば、経済人によるパトロネージのない文化は衰亡せざるをえないということだと思います。
一方、文化、ここでは今日は風情ということが出てきましたが、その文化のない、経済のためだけの経済は、人間の心をすさませるに違いありません。したがって、この両者は、車の両輪としていかなければならない。しかし、恐らく人間の感性に訴える、つまり理屈や宗教や文化に、それこそ国籍を超えて訴えるものはアートですので、最終的にはアートに仕えるのが真の目標になるのかなと思うわけです。
さて、昨年、金沢学会におきまして「これまで力の時代で来た」と。その象徴は東京だったわけですが、そういう力の都市東京に対して、美しい都市という金沢を掲げようということをここで申し合わせまして、四つの具体的な課題が出ました。そのときに課題として出された夜のあかりをどうするか、大手門の真正面 にある中町通りをどうするか、香林坊のカフェをどうするかという三つについて、一年たって、もう見事に回答というか実現の可能性についてのご報告を、先ほど短い時間でしたが、大内先生、あるいは金谷先生、そして経済同友会のお二人のかたが出されまして、実に感銘を受けました。
そのうち、あかりにつきましては、恐らくこれはもう少し調査をすれば、住民の金沢のかたがたの十分な理解を得られて、少し低めの、お年寄りにとっても安全で、そしてまた少しロマンティックなあかりがこの金沢の町をより一段と風格あらしめると思います。また、中町通 りは、今日、河北門とのかかわりで最先端の技術を駆使して、このようなイメージになるということを見せていただきまして、実に感動しました。そしてまた、香林坊のコーヒーカフェは、NPOが公園を管理するようにすれば、こういうカフェもできるという道筋も示されましたので、昨年の会議をやった甲斐があったと思った次第です。
実は去年はもう一つありました。花の道という実に美しい道を水野先生が提案されました。今日は花の道について直接お話はなかったのですが、皆様お気づきになったかどうか。水野先生が最後のところでおまとめになるときに、「金沢駅から港までの新しい都心軸が非常に大事だ。旧都心軸というか、その地域にあったものが、県庁を含めて少しずつ向こうに行っている」と。「これはやがて交流人口が増えて、そして新しいものが作られるときの受け皿を向こうに作っているのだ」という言い方をされました。金沢駅から港まで小一時間ほどで歩ける距離ですね。歩いてちょうどいい距離なのです。そして港、すなわちウォーターフロントは、どこに行っても、今、世界は津々浦々、港の造船業が衰退しているものですから、新しい港づくりということで、東京のお台場は典型的ですが、大変熱心です。それからまた、これまで港湾というものは防護や造船のためのものだったのですが、旧運輸省、今の国土交通 省が生活のための港ということで、方針を全面的に転換しています。ですから、いちばんの花は、突き当たりの港なのです。しかし、その港に行く過程、プロセス、歩く道が、東茶屋や主計町という所とは全く違う、新しい、いわばニュータウンとしての装いを試されるに違いないと。
今日は、山本先生が幾つかの建物について「あれは何だ」と。あのように明快に自分の哲学を言われるかたがいらっしゃる。しかも、自分で実践されているわけですから。いわば目利きですね。目利きが我々の学会の中に特別 会員としてお入りになることになりました。また、「あの一キロの素晴らしい道をどのように創造していくかは新しい課題である」ということを水野先生が言われましたので、この点でも、昨年の宿題についてはそれなりに、実践会議としての創造都市会議で出したのではないかということです。短い三十分ではありましたが、大内先生以下経済同友会の担当の皆様がた、実にいい仕事をしていただきまして、前回議長を務めた私として、会議全体を代表して心から御礼を申し上げる次第であります。

●美しい金沢づくりについて、これをどうしていくか

この創造都市については何となくなじみがないように思われるかもしれませんが、今ここで司会をされたというか対談をされました佐々木先生は大阪市立大学に変わったと言われましたが、実はもう一つ言われるべきだったのです。大阪市立大学大学院創造都市研究科教授になられたのです。創造都市研究科というのは日本最初で、この四月からスタートしました。ですから、これはもう、学問になったわけです。その実践の場がここです。しかも提案者は彼だというのですね。大阪市大は堺市のすぐそばにあって、大阪の外れなわけです。ですから、大体、国立大学ではぐれた、いわばつわものというか、野武士というか、梁山泊のようになっている大学なのです。ですから、そこではあまり古い旧習にとらわれるということがなくて、「あ、これだ」と思い切ったらバーンとやるのですね。
それをお認めになったのは、塩沢由典さんというかたです。このかたは京大理学部が生んだ数学の天才だったのですが、経済に乗り換えられて、マルクス経済学も近経も全部できるという大変なかたです。この人が今の院長でいらして、彼がバーンと決めて、「ああ、あなたの言うことなら任せる」ということで、創造都市研究科ができたわけです。しかし、それをやっているのはここですから。ここは新しい学問のいわば実践の場であり、事例研究として、これから大阪市立大学の大学院生がここに学びにくるだろうということであります。
さて、美しい金沢づくりについて、これをどうしていくか。都心居住ということが今回のテーマなのですが、冒頭の基調広告で、飛田さんが、世界遺産について触れられました。これは非常に重要です。世界遺産は、ご承知のように、自然遺産と文化遺産と、その二つを合わせた複合遺産の三つがあるわけですが、白山を自然遺産に、兼六園を文化遺産にということで、この四月くらいから、「美しい、あるいは風雅な風情のある金沢を世界遺産とする運動を起こしていく」とおっしゃいました。しかし、私は、これはまだだめだなと思っているのです。つまり、世界遺産といったときに文化遺産、自然遺産というカテゴリーにとらわれて、やはり点で選んでいるのですね。例えば最初、日本は十年前に、世界自然遺産で白樺のブナ産地をやりましたでしょう。ブナ産地だけやって、その周りは荒らしていますよ。中は荒らしていませんが。そのほかに、単体で姫路城や法隆寺があります。

●「加賀百万石」を世界遺産に

しかし、ここはどうですか? 加賀百万石でしょう。今日も、先ほど米沢さんが見せてくださいました大手門。あそこに中町通 りができると。そして、そこに入ってくると見事な石垣があって、そして河北門があって、石川門があって、五十間長屋があって、そこから兼六園がつながっていると。これは無縁でしょうか? 一体ですよ。尾山神社はどうでしょう? 一体ですよ。あるいは長町の武家屋敷はどうでしょうか? これは一体です。あるいは東茶屋。あるいは主計町はどうでしょうか? 全部一体です。用水はどうでしょうか? これは一体です。要するに、金沢の魅力はもちろん兼六園であり、また近世の絵図を見られれば必ず加賀と白山は一体となっていますから、白山を知らない人はいない。これは名山です。日本の胴体を見ると、上に飛騨山脈があって、木曽山脈があって、そして赤石山脈。北アルプス、中央アルプス、南アルプス。一方こちらに霊峰富士山がそびえている。こちらには霊峰白山が白山山地としてあるわけですから、これは対等のものです。ですから、そういうものとして白山を、あるいは白山を入れ込んだ加賀の風景と箱根の風景とは一体と言うべきであります。したがって、加賀百万石の中には自然遺産もあれば文化遺産もある。その中で傑出しているのはだれもが知っている白山であり、そしてまた兼六園である。しかしながら、それらを全部含んだ加賀百万石について「これが世界の遺産になる」という志を、私たちは持ったほうがいいと思いますね。そう思います。
そうした中で、都心居住といったときに、加賀百万石は何といわれたかというと、木下順庵の弟子であった新井白石が、ここを「天下の書府」と言ったわけでしょう。木下順庵はご承知のように、後に将軍の侍講になりますね。その人が、その前に、第五代前田藩主の前田綱紀のアドバイザーであったわけです。したがって、その弟子である新井白石も室鳩巣もいかにここがすごいかよく知っているわけです。「天下の書府」と言った。だから、金沢を「学都」と呼ぼうという運動をしていらっしゃるかたもいますが、まさに学都であると。それと同時に、楽しいという意味での「楽都」も書き加えることも必要かと思いますが、学都であると。そういう伝統があるということを踏まえて、都心居住を考え直すと。
先ほど永井さんのお話にもありましたが、小学校が新しい芸術館に使われるというやり方ができると言われていました。小学校は、それぞれ、どこの地域からもいちばん行きやすい所にありますから、そこは中心性を持つようになっているのです。お城もそうです。どこにも行けるのです。だから、そこに大学がもともとあった。それが、出た。出た跡をどうするかということと、その周りの県庁も出た、そしてまた中心街も、今、金融を中心にしてオフィスが非常にがら空きになっていると。どうするか。学都としての金沢のアイデンティティーをそこにどう出すかと。
先ほど水野先生に聞きましたところ、14の大学が金沢の町の中ではなく周辺にあるというではありませんか。皆様がたは若者を追い出したわけですね。ご苦労さま。そんなことをしていいのか。取り戻さなくてはいけません。しかし、学問をするのは、学問を愛するのは、あるいは芸術を愛するのは若者だけでしょうか? 違います。老若男女全員です。しかも、金沢市民、石川県民だけではありません。日本国民だけでもありません。ですから、アート、あるいは学問という普遍的なものを入れ込むというものにするのがふさわしいと思います。
そういう観点で、山本さんと三宅先生の最初の対談がありました。そこで、昭和30年、1955年に最初に集合住宅が日本住宅公団でできて、人々は密室に閉じ込められたと。そして、そこにプライバシーがあって、プライバシーがそこで閉じ込められて、家庭・家族の公共性を全部除外、阻害してしまった。これが根本的な誤りで、しかも人が住むところが商品になって、住宅産業として売られるようになった。これがそもそもの間違いだと言われて、彼は居住空間が見えるように、あるいはオフィスにもできるように、つまり家の中に公共空間ができるようにと、新しい汐留や中国のそれを紹介してくださったわけです。その教訓を踏まえるなら、そこで学んで単に建物を使うというのではなくて、そこに住むということを入れ込んだ形で使うことが必要です
今日は、食・住一体、あるいは食と住を自由に一体にしてもいいし分けてもいい、そういうことができるような建物・建築がこれからの時代だという山本さんのお話があり、その背景について三宅先生が理路整然と説明してくださったわけです。ともかくそのようなものとして、そこに芸術家がスタジオとして住み込むか、あるいは先生が住まわれているか。いずれも借家でしょうが、そういう形になりますと、これは、いわば塾になります。ですから、そこに、いわば学都といいますか、学問町というか、あるいは芸術町というか、そういうスクエアができますよ。そうすると、どなたかが言っておられましたが、そこに食堂ができる。あるいはサービス産業ができるということで、おのずと、そこににぎわいが戻ってくると。
戻らせるときに新しいものを作る。そして、それは、先ほどの山本先生のお話にある新しい住空間。言い換えると一九五五年に出たのでこれは五五年体制と言っていいと。つまり、自由党と民主党の政治的な合同による政治の五五年体制に対して、住宅の五五年体制がそのときにできて、集合住宅の中で皆集合しているけれども皆バラバラのものができた。これを、今、変えなくてはいけないと、彼は訴えられたわけですね。それを変える場所をそこに作るということだと思います。これは生活ないし住宅の五五年体制ということだと。これが日本人に対して持った悪影響は、自民党の一党支配よりももっと大きいと言うべきで、これをここで打ち破ることができるということではないかと思うのです。
それから、文化遺産ないし世界遺産についてですが、先ほど大手門については全然残っていないとおっしゃったでしょう? しかし、想像で作ればいいと思います。というのも、やはり山本さんと三宅さんの会話で、中国のすさまじい発展を我々は見せつけられました。意思決定も早い。日本のODAで6兆円も行っているので、空港も道路もどんどん造られている。高速道路でも14000〜15000キロですね。日本の二倍あります。ですから、空港もどんどん新しくなっている。「新空港が十年前にできた」と観光ガイドに書いてある。ところが、例えば西安、昔の長安ですね。そこへ行ったら、そこの空港は一か月前にできています。ピカピカなので10年もの間大事に使っているなと思ったら、実は十年前のものはあそこにあると言うのです。新空港はピカピカですよ。それから、片側五車線のような道路を造っているわけです。
そういうことをしている所なので、「中国、なるほど、西部大開発で貧しい所がある」と言うけれども、人口が何しろ13億〜14億ですから。ともかくその一割でも日本の人口より多いわけです。そういう金持ちがいる。ところが、ビザがあるので、我々の所に勝手に来られないわけです。ところがいずれ、2008年のオリンピックなどを一つの契機にして、恐らくもっと簡単に彼らが来られるようになったら、それはものすごい人が来るということになりますよ。実際、例えば中国の場合、中国への外国からのインバウンドの観光客がどれくらい来ているかといいますと、15年前くらいは200万、日本の2分の1くらいです。今どれくらいでしょう? 1300万ですよ。これは香港や台湾を省いてです。中国大陸だけで1300万もの人が来ています。
だから、彼らはもう観光が金になることを知っているのです。例えば西安で行くと秦の始皇帝稜がある。これは世界文化遺産です。兵馬俑がある。世界文化遺産です。それから、大雁寺があります。これは、唐の玄奘三蔵がヒマラヤを越えてサンスクリットの原典を持って来られて、それを完訳された、そのお経を納めた所です。ご承知のように大雁寺だけは残りましたが、中は新しい。そして、周りは全部文化革命の時につぶしたではありませんか。全部つぶしましたよ。
ところが、今行かれたら分かりますが、金ぴかの、いかにも7〜8世紀の唐の時代に造られたかのごとくに東西南北、南の方は大道路ですが、北に大伽藍を造って、世界文化遺産です。僕はあのようになっていなかったと思うのです。しかし、行ったらその規模にびっくりして、人はお金を出して見るわけです。そして、観光ブックなどを、実際は値段があってなきかごとき値段で買わされるわけですよね。そのようにして、それがすごい収入になることを知っています。外国から1300万人も来ていますが、実際に旅行しているのは、見たら分かりますが、ほとんど中国人です。ものすごい旅行ブームが起こっている。その人たちの一部は日本にも来られるだろうと。  西安の場合、これは長安といわれて、それを模倣して、平城京や平安京を造ったわけです。それがどういう歴史を持っているかを示すための歴史博物館も、この全日空よりもはるかに金ぴかの博物館があります。そこに行くと、日本の奈良や京都は長安のまねだということが分かるような展示がしてあるのです。京都は残念ながらそういうものです。
ここはどうでしょうか。近世のまちづくりは中国の模倣ではありません。中国から自立したものです。江戸時代以降の日本の景観は中国から自立していますから、城下町は向こうにはありませんので。ですから、これは日本独自のものなのです。長安が文化遺産的な試みを、なけなしの壊さなかったものをとおしてするのなら、我々は加賀百万石を。これは自然もあれば文化もあるので、世界複合遺産として大事にすべきものだと。そして、あまりよきモデルではありませんが、中国に倣って、我々がそれなりに科学的に推定できるところで、大手門も「おつくり」だっていいとさえ私は思うのであります。
そうすると、これはコモンセラピーなんだということになって、嫌が上でも人が来て、にぎわいが出てくると。しかし、そのときに、新幹線の金沢駅を媒介にして西は、西方に落日が落ちていく美しい夕日を見ることもできる夕日に向かっての道と。しかも、ものすごく新しい。こちら側は加賀百万石の堂々たる風格あるたたずまいを持つ、学都としてもたたずまいと持っている。そこに芸術家もいる、そしてまた学生もいる。しかもこれは、今は学問ということで生涯学習ですから、そのような人たちが真ん中に住んでいる。
そして少し先走っていいますと、大学跡をどうするかということで、今いろいろ意見が出ているでしょう。ここにいずれ単に県外の人だけではなくて、もうすでにジャパンテントは一七年めを迎えているように、卒業者も5000人を超えていますから、世界の200国近い人たちがここを知っているわけです。ですから、国際都市としての側面 を持っています。そこにはヒンズー教もいればイスラムもいればクリスチャンもジューイッシュも。クリスチャンといってもアメリカンとカソリックでは違いますし、それぞれ違う宗教の人が来ることになるのですね。その人たちは皆、信仰を持っています。我々が、あるいは加賀のかたが浄土真宗の、あるいは白山信仰を持っておられるように、信仰があります。人々がここに来てその信仰をどう自由に発揮できるか。モスクを造るか、ヒンズー寺院を造るか、あるいは神社を造るか。あるいは教会を造るか。そんなことにも増してできることがあると思うのです。それは、城の跡が緑の公園になりつつありますが、セントラルパークというアイデアを私は北国新聞で見たのです。セントラルパークと名前をつけると。

●県庁跡地は人々が集うセントラルパークに

セントラルパークは、ご承知のように、ニューヨークに百五十年ほど前に造られたものです。最初は全然ああいう所ではなくて、意図的に造ったものです。パークはイギリスの貴族のための狩猟場ですから、それとは違う公共の皆のための公園、パブリックのガーデンをと。何というかたか度忘れしたのですが、そのかたはボストンのエメラルド・ネックレスやシカゴのパークシステムなどを造られたかたですが、そのかたがパークと言われたので、今パークと言っているのです。  そのセントラルパークにはご承知のようにムスリムもいます。イタリアのカソリックもいる。それから、もちろんアメリカンのイギリス国教徒もいる。さまざまな人たちがいます。ジャパニーズもいます。それからベトナニーズも。コリアンも。チャイニーズも。皆いるわけです。それぞれが信仰を大なり小なり持っておられる。その人たちが自分の神を感じる所、そしてまた自分たちがニューヨーカーとしてのコミュニティーを感じる所はどこかというと、セントラルパークです。
一辺は800m、もう一辺は4kmです。あれほど空間がないところにもかかわらず、それを残してきているわけです。その周囲が、プラザホテルも含めて、いちばん高級なのです。あそこは高いビルを建てた、こちらは学都を作る。しかし、セントラルパーク自体は皆さんがそこで己の神を、また全体としてのコミュニティーを感じる場になっている。オノ・ヨーコさんが結婚したジョン・レノンが死んだ。その記念の一角を皆が愛している。宗教にかかわりなく、老若男女にかかわりなくここを愛することができる。いわば人類はそれぞれ自然に応じて神を作ってきましたので、自然というものに帰していくという思想をやはり持っていていいと思うのです。たまたま人がいなくなった、そこを皆が集える場所にしておくのがいいとも思うわけです。
以上、今回、基調報告で、世界遺産を目指そうと出ました。それからまた、都心居住について、丸の内の再開発においてシティキャンパス、あるいはアカデミック・スイーツですか。そういう内外の大学の人たちがそこでいろいろな人たちに研究や学問の成果 を披露でき、またそれを学べる場を作っているということが披露されましたので、それを我々が伝統として。東京はそういうものが初めから作られたわけではありませんから。ここはそういうアイデンディティーを持っていますので、そのようにした都心居住の学都としての再生というのが、金沢にふさわしいのではないかという感想を持った次第です。ということで、三十分ばかり時間をちょうだいしました。
明日のことですが、ピーター・マサイアスという先生の名前をご存じでしょうか。日本の皇太子の先生です。日本の浩宮徳仁殿下がイギリスで学ばれた先生です。その先生はコマンダー・オブ・ザ・ブリティッシュ・エンパイアです。CBEですね。向こうのそういう称号を持ったかたなのですが、そのかたがこの十一月三日に叙勲されました。その叙勲の式と披露が明日の午後、日本大使館で行われるわけです。祝辞をだれかが述べないといけない。その先生はもちろん学者であります。ですから、だれかが行かなくてはいけない。彼は自分の教え子の一人、浩宮が結婚した披露の席に、彼はそのときはケンブリッジ大学の学長だったのですが、そのたった一日のためだけに奥様とご一緒に飛んでこられて、「おめでとう」を言ってその翌日には帰られたのです。これがイギリスのジェントルマンですね。
実は日本人として皇太子殿下と私だけがその先生に習ったのです。また、私のほうが長く、皇太子殿下より前に習ったということもあります。この叙勲はガーター・オブライジングサンとか言うらしいのです。日本語の名前は度忘れしましたが。これは日本政府が差し上げたにしろ、恐らく日本の皇室との関係を推測しての、皇室の御礼ではなかったのかと私は思っているのです。私としても一平民として、向こうが騎士道でくるなら、いわばこちらは武士道でいくということで、こちらの会議の重鎮の皆様がたのお許しを得まして、明日の朝一番で何とか式典には間に合うように行けそうですので。明日は大内先生が代わりに全体会議の議長をしてくださるということで、その点、あらかじめ皆様がたのお許しとご了解を頂きたいと思います。どうもありがとうございました。
  




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