第9回金沢学会

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全体会議

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議長:大内 浩 氏 ( 芝浦工業大学名誉教授)











 
(福光会長) 昨日の三つセッションについては、後でコーディネーターの方にまとめていただくのですが、例年に比べて第1日が頭の混乱につながったという感じがあり、この全体会議ではもう少しフォーカスしていく必要があると思いますので、円卓の方は特にご意見をお出しいただくようにお願いします。それから、ご参加の方でぜひ発言したい方がおられましたら挙手を頂ければと思います。
 それでは、大内先生に議長をお願いします。よろしくお願いします。

(大内) それでは早速ですが、最初に復習したいと思います。昨日はセッション@「まちを醸成させる」、セッションA「ものづくりを醸成させる」、セッションB「夜を醸成させる」という分科会が行われたので、それぞれの分科会で大体どういう議論がなされたかについてのまとめを各分科会の議長に5分ぐらいの見当でお願いできればと考えています。
 水野さんからセッション@「まちを熟成させる」についてお願いします。

(水野) まちづくりで熟成という概念は今までほとんど経験したことがありませんが、都市力という形でよくいわれます。住みよさランキング、あるいは住みたい都市ランキングであったり、あるいは人口の増減であったり、人口構成で高齢化しているか、あるいは市民の総生産額(所得)、GDPやGNPが多いか少ないかという経済力で比べたり、かなり昔からシビルミニマムといって、施設の整備率のようなもので比較したりしていました。それで、熟成という概念はどんな概念なのだろうかということを、3人のパネラーから報告していただきました。
 大内さんからは、金沢が戦後歩んできたさまざまな個性的な施策・成果に関して報告がありました。1968年に日本で最初の伝統環境保存条例を金沢市が制定したことは、歴史的な伝統を守ろうという姿勢を明確に示したことといえます。その後、都市美文化賞ができたり、あるいはフードピア金沢がスタートするのですが、それも経済人を中心とした民間から出てきた発想で、金沢の都市の性格づくりに大いに役立ったのではないかという指摘があり、その文脈で伝統と革新、保存と創造といった古いものと新しいものの両者併存の方向性が金沢にでき、これから先もそういったことを積み重ねていくことで、金沢が独特の個性と薫りを持つのではないかというご指摘でした。
 その後、竹村さんから、具体的に都市政策として今どんな状態にあるかという報告がありました。一つ面白い指摘があったのは都心に空き家が生まれている、あるいはコインパーキングがたくさんできているのは、スポンジの空間のようなものだという指摘です。それから、郊外へ行くと人がいなくなって、空き家が増えてきています。郊外には農地がまだたくさんあるのですが、その農地も完全な農地ではなく、単なる空地になってしまっているところもあるということです。それから、田園地帯にも耕作放棄地があるし、山の方に行っても山林に手が入らなくなってきていて、あらゆる所でスポンジ現象が発生しているので、これを何とかしないといけないのではないかというご指摘と、どうやってスポンジ状の所を埋めていくかといういろいろな提案がありました。そんな中で、人間中心の都心につくり変えていく、要するに人に優しい交通体系を含めて、人が集まる仕掛けをつくる必要があるのではないかというご指摘がありました。
 それから、田村さんからはスマートシティという概念について、バルセロナをモデルとしてご報告いただきました。エイブルシティ、人間の可能性を引っ張り出したり活性化させたりする内発力を生むようなスマートシティの政策がシステムとしてあるのではないかということでした。クルマ社会から人間中心の社会へ切り換えるという具体的な提案もありました。
 このように熟成という概念はいろいろ出てきたのですが、ゴールはなくて、時代の風を受けながら常に変身していくというか、永続的にいろいろな営みを重ねていくことで熟成という概念が見えてくるのでは、そういった一つ一つの積み重ねが都市によっていろいろ変わってきて、その変わってくることが都市のアイデンティティや個性、品格、薫りになっていくのではないかということでした。
 近々の課題としては、この創造都市会議が尾張町計画を、去年と2カ月前にも会議を積み重ね提案してきました。一つは、クルマ社会から人中心の社会へ、歩ける道へ、あるいは公共交通の交通手段へということです。その大きなところは、AIとともにマイカーの時代が終わり、自動運転、カーシェアリング、レンタカー、公共交通といった別の交通手段になっていく。そうすると、今までの日本はほとんどクルマ社会に対応する都市計画を作ってきたのですが、これから20年先を想定すれば、全くそうでない都市をつくる必要があることから、尾張町をモデル都市として人に優しいまちにつくり変えたらどうかということです。
 もう一つ、日本の都市がほとんど燃えないことを前提とした不燃化を進めてきました。ところが、金沢は戦災にも遭わず、歴史もあるので、木造建築がたくさんあり、木造都市というものを継続できないかということが尾張町計画の二つ目の提案でした。そんなことを具体的に近々の課題として進めていきたいと思っています。
 その他に、最初に福光代表から提案がありましたが、跡地計画です。近々の話題としては日銀の跡地をどうするのか、あるいは昨日、NHKの新館へ行ってきましたが、旧NHK金沢の跡地をどうするのか、あるいは近々、県立図書館が移転されますが、金沢の都心は空地と公園と文化施設、庭園といったもので非常にユニークなものになっています。そのユニークさをますます高めていくことが考えられるのではないかという跡地計画です。近々そういったことに挑戦していきたいと思っています。

(大内) 水野さんからご紹介いただいたように、今日は昨日の議論を受けた形で少し具体的なことに踏み込んでいきたいと思います。ぜひ皆さんも、少し具体的なところ、プロジェクトあるいは地域をイメージしながら議論を進めていきたいと思います。
 それでは、セッションA「ものづくりを熟成させる」についてですが、三石さんと米倉さんのお二方にいろいろプレゼンいただいたのですが、コーディネーターを宮田さんに務めていただいたので、宮田さんからまとめをお願いします。
(宮田) お二人には後でいろいろお話を伺いたいと思うので、私からは少し短めに、どんな話をしたのかを発表したいと思います。
 「ものづくりの熟成」というテーマだったのですが、オルツの米倉さんは、今世の中で非常に話題になっている人工知能(AI)の分野の第一人者です。去年も来ていただいたのですが、昨日も最新研究の発表や、米倉さんが作っている技術がこれからどうなっていくのかというお話を頂きました。それともう一方、今回初めて参加していただく三石さんは、歴史学者と名乗っているのですが非常に多彩な方で、昨日もかなりの情報量のお話を頂きました。金沢の歴史に関してもかなり突っ込んだ深いお話まで頂いて、ものづくりの歴史もお話しいただきました。
 最先端の事例と歴史から見るものづくりの話を頂いて、かなりコントラストの強い話だったのですが、そんな中で昨日のお二方の話を聞いて感じたのは、歴史的に新しい技術が発明されて、それを使いこなすことで伝統は育まれてきたのだなと思いました。「使いこなす」という言葉の「こなす」は熟成の「熟」という字を書くのですが、「使いこなす」とはそもそもどういう意味かというと、身に付けた技術や知識を使うことで、困難で手間のかかる事柄をうまく処理していくことなのです。うまく処理するということを考えると、AIは処理する技術なので、今のテクノロジーの話にも通じるところがあると思います。
 「こなす」ということには非常に修練が必要であり、修練を積んでいくことで伝統が育まれていくという最初の話に戻るのですが、まさに新しい技術や今言われた伝統工芸というものも、常にその時代時代の最先端のテクノロジーだったのではないかと思います。これをずっと歴史的に育んできたのが金沢であって、これから先はAIによって仕事が奪われるなどといろいろいわれていますが、そうではないという話が昨日の結論だったと思います。ここに関して、後でお二方にまたおさらいをしてお話を伺いたいと思います。
 こうやって使いこなしていくには、一体いつからやればいいかということで私からお話ししたのは、現在私がやっているVIVITAという子どものためのものづくりの場があります。私は、子どものうちから新しいテクノロジーなどをどんどん身に付けて、これからのものづくりをさらに発展させていくことを金沢を挙げてやっていきたいと思っています。また、VIVITAを金沢でも展開したいという話を私はしたのですが、この辺も後ほどお話ししたいと思います。私がVIVITAを展開しているのは、子どもたちがこれから21世紀を生き抜くために絶対に必要なスキルは何だろうと考えたときに、ものづくりというところに行き着いたからです。私はものづくりとは何かと考えているかというと、これからの生き方や働き方なのではないかと考えています。昨日はこんなお話をしました。

(大内) また不十分なところにお気づきでしたら、それぞれの方からフォローしていただければ幸いです。
 それでは、セッションB「夜を熟成させる」、佐々木さんからお願いします。

(佐々木) 簡単に私から報告します。お二人の話で私が一番気に入ったところと、それらを踏まえてさらにお話ししたいと思います。結局、金沢の夜というのは、日本の都市の中では十分に成熟していると思うのです。熟成するためにどんな新しい要素が要るのかと考えたときに、お二人の話の中で、一つは太下さんから、世界の都市が取り組んでいるナイトメイヤーやナイトタイムエコノミーなどさまざまなものを紹介いただきました。その上で、夜のパブリックなクラブがあってもいいのではないかということに引っ掛かりを持ちました。
 それから、松岡さんからは、ご自身の建築設計の考え方を踏まえて幾つかの事例をご紹介いただきました。この中で私が最も気に入ったのは、福岡と博多というのは、商人と武士という二つの性格が異なる都市で、その真ん中を流れる那賀川で分かれています。その日本海を望む突端のポイントに新しいスポットを作られました。女性が何となく夜、そこにたたずんでいるだけで絵になるというか、豊かな気持ちになるようなスペースを提案されたことはとても印象的でした。
 さて、世界の創造都市の流れを見たときに、例えばウィーンにはカフェツェントラルというのがあります。ここでは世紀末ウィーンの時代に、哲学者、芸術家、政治家などいろいろな人が集まってきて、芸術の革新あるいは哲学の革新を起こしました。その後、パリではソワレがあって、そこにさまざまなジャンルのアーティストが集まってきて芸術的な都の夜を熟成したのだと思うのです。
 金沢ソワレというのはあるのだろうか、金沢のソワレはどういう所にどんな形で回れるのかということを考えていました。金沢では21世紀美術館が2004年秋にオープンし、そこから歩いて10分もかからない距離に鈴木大拙館がオープンしました。間違いなくこの二つは、世界的な評価を受けるコンテンポラリーアートと禅を中心にしたスピリチュアルな空間です。この周辺に、また新しい散策コースができました。そして、私は金沢大学に15年間いて、その前半の7年間は城内にいたのですが、あの城の中にたち込めている歴史の重みというのはすごいものがあり、その鼠多門橋の周辺をつないでいきます。ちょうど「東アジア文化都市」のオープニングは金沢ナイト散歩、ナイトツアーでしたが、そういうものとソワレがうまく組み合わさっていくと、何となく金沢らしい夜の熟成になるのではないかとも思っています。あとお二人からさらにご提案が続くと思います。

(大内) 福光太一郎さん、金沢青年会議所(JC)の方で一つ企みがおありのようですので、ちょっとご紹介ください。

(福光太一郎) ありがとうございます。青年会議所の理事長をしている福光でございます。この「とおりゃんせKANAZAWA FOOD LABO(フードラボ)」というのは、JCで今年企画して、お金を集めて、別に運営会社をつくって立ち上げるのですが、ちょうど来週12月13日にオープンします。一言で言うと、金沢らしい現代版屋台村というイメージです。

 背景としては、新幹線が開業して観光都市になりつつあり、地元の人にとって、まちなかににぎわいが少しずつ失われつつあるのではないかということを考えていました。そして、駐車場が増え、空き地が増えて、昨日の話のスポンジ化につながっていると思いますが、生活関連施設や昔の商店がどんどんなくなっていって、中心市街地に観光客だけしかいないのではないかという状況になりつつあると考えています。
 今、地域コミュニティの規格化なども問題になってきていることがあって、地元の人たちが楽しめて、にぎわいを創出できるような場所を何かつくれないかということを考えました。

 これはいろいろなデータですが、金沢で飲食業やサービス業が少しずつ減ってきていることや、空き地・空き家が増えていること、駐車場が増えていることをデータにしています。

 目的としては、まちなかのにぎわい、交流を創出しようということで、金沢には夜、人が集まれる場所がないのです。私が20歳ぐらいのときはナイトクラブが10軒ぐらいありましたが、今はほとんどつぶれてありません。気軽に人が交流できる場所がとなかったということもあります。

 アプローチとしては、私も全国、海外にも行きますが、金沢の食は皆さんかなり期待してくれていますし、食を楽しみにしていろいろな所から金沢に人が来ているので、食というものを何か使えないかと考えました。あとは、中心市街地活性化の手法として、全国でかなり豊富な成功事例があるということで、横丁というか、屋台村の事業をしてはどうかと思いました。1店舗が小さくて、8〜9席、3坪ぐらいの空間なのですが、カウンターのお客さん同士がコミュニケーションを取れる小さいお店にしようということも考えていました。

 場所は、片町という金沢の繁華街にあり、エルビルという本当にど真ん中にある、飲み屋がたくさん入っている有名なビルがあって、そのちょうど裏、ここは神社だったのですが、今は駐車場になっている場所を使っています。昔、とおりゃんせ通りという名前で地元の人に親しまれていたので、そのまま名前に「とおりゃんせ」と付けました。

 これが当時の神社のときの様子です。
 コンセプトと特徴ですが、実験というテーマを一つ掲げていて、フードラボという名前を付けました。大きな店舗では、一般受けを狙わなければならなかったりするのですが、小さな店舗なので、どんどん尖ったコンセプトを持った料理人が集まってくれれば面白いと思いました。

 こういうイメージでいろいろ作っていて、赤ちょうちんにビールケースを裏返して座るような横丁イメージではなくて、もっと金沢らしく洗練されているけれども、にぎわいはしっかりとつくっていきたいということで、こういうイメージで作っています。

 

 この外観は手描きの絵なのですが、こういうイメージで2階建てにして、小さい店舗が12店舗あります。
 このようにVの字になっていて、1階に6店舗、2階に6店舗、小さいお店が12店舗集まっている状態です。なので、本当に気軽にはしごできるようになっていて、前面もガラス張りで、中がにぎわっている様子が分かるようになっています。

 特徴は、出店者の出店コストを限りなく抑えて、家賃も1階4万円、2階2万円とかなり安いです。要するに、出店者にとって低リスクになるようにしています。基本的には2年間でお店を出ていただく予定で、ここで練習して、実際に金沢で独立して自分のお店を持っていただくことをゴールにしているので、開業支援や起業家の育成という部分の意味もかなり含まれています。

 これは、先ほども申し上げましたが、尖ったコンセプトを持って出店していただきたいと思っていて、万人受けする必要はありませんので、本当にこだわりのコンセプトでぜひ出店していただきたいと思っています。今決まっている店舗では、例えば中華料理とシェリー酒のペアリングに特化したお店やエビの専門店、メニューがなくて食材しか並んでいないフレンチレストランといった面白いお店が多く決まっています。

 現金を利用できなくして、キャッシュレスシステムを導入し、クレジットカードか電子マネーしか使えないことにしました。最初はいろいろとクレームがあったのですが、実は出店者にもかなりメリットがあって、日々の会計処理が不要になって本業に注力できるということもありますし、従業員やアルバイトとの金銭トラブルなども防げると思っています。

 民間企業から事業主を募集して、5社から手が挙がり、そこから選考して新たに運営会社を設立しました。地元の企業30社に出資いただき、この事業をつくっています。今からクラウドファンディングなどで市民の皆さまの広い支援を頂こうと思っています。

 運営会社として大切にしていることは、もちろんまちなかの活性化と、あとは地域コミュニティを活性化すること、そして金沢の情報発信基地になればいいと思っています。そして、若手の企業家や料理人を育てること、日本一おいしい屋台村を目指すことです。これが実現できると、金沢が食で面白いまちになるのではないかと思っていて、金沢はかなり食の注目を浴びているので、世界中から食を求めて金沢に人が来るようなまちになればいいと思っています。
 今からクラウドファンディングで、若手の工芸作家と組んでこういうことを募集しています。

(大内) この種のものは、競合するところが全国にも相当ありますし、世界にもあるので、既にお考えのとおり、さすが金沢、これは将来熟成するぞということに、ぜひ若手の経済人の方たちには努力していただきたいと思います。浅田さん、この分野では大先輩格ですが、何か一言。もしご感想があれば。

(浅田) 夜の熟成というテーマが今回三つ目に入ったきっかけは、予備の会議の段階で、うちは世界各国の富裕層に多くお越しいただいているのですが、新幹線以降、外国人客がどんどん増えて、年間4割以上が外国人なのです。そして、うちはなぜかアジアの方がお泊まりにならないので、欧米で4割超えです。今年4月は99.9%が外国人だったというぐらいですが、お客さまの声としては、夜の食事が終わった後にすることがないということを聞きます。「どこへ行ったらいいのか」「何かすることはあるのか」とよく相談されます。それで、ひがし茶屋街やにし茶屋街、主計町を提案するのですが、ご夫婦でいらっしゃる場合、「それは嫌だ」と言われることが多いです。「では、他に何かないの?」と言われたときに片町を紹介するわけにはいかないとも思います。
 お客さまの声としては、「夜の散歩コースはないのか」というのがあります。例えば珍しいアーキテクチャーをライトアップしていて、それを見て回るマップやツアーのようなものはないのかと言われるのですが、食事を終わるのが大体10時ぐらいで、金沢城や兼六園のライトアップは10時で終わってしまうのです。そうなると、10時以降にライトアップされているようなお勧めできる散歩コースがありません。例えば時間延長するとか、これは条例があるのかどうか知りませんが、ライトアップされているといっても照度が非常に暗いと感じます。ライトアップバスを旅館組合で運営していますが、ライトアップバスも別にバスの中を真っ暗にするわけではありません。普通のバスで、普通に弱い照明の四高記念館などを回るだけで、あまりお勧めもできません。
 金沢市にはとても優秀な建築が幾つかあると思っていて、谷口吉郎さん、安藤忠雄さんなどいろいろな有名で素晴らしい建築があるのですが、例えばそれらをライトアップして夜に回るだけでもとてもすてきだと思うのですが、なかなか行われません。夜の散歩コースがあるといいなと思います。夜の景観づくりというのが1点あります。
 昨日、松岡さんにお示しいただいた五つのステップというか、背景があって、着想があって、課題があって、プロセスがあって、成果があるというのが非常に勉強になったのですが、例えば日銀跡地、NHK跡地などいろいろな跡地問題がある中で、これは着想点ですよね。それをどうするかというゴールがあって、でもそれぞれのNHKや日銀には背景があるし、課題もすごくあると思うので、これはきちんとプロジェクトを組んで、誰が組むのかは知りませんが、進めていかなければならないと思うし、私の立場からすると、そこに夜の景観を課題の一つとして組み入れるとよりいいなと思いました。
(大内) 実は金沢市は夜間の景観条例を持っているのですが、それもこの会議から出てきました。その頃はちょうど商店街がシャッター街化していて、これはまずいということで商店街のシャッターを一部シースルーのシャッターに変えることに対して、市が助成金を支援する制度もできました。それから金沢城周辺で、ただ明るくするのが照明ではないので、むしろ落ち着いた照明をということで、陰翳礼讃の話を当時したことをよく覚えています。そんなこともこの会議から出たことです。
 さらに議論を進めたいのですが、金沢の市内に幾つか、さまざまな跡地があったり、先ほど福光太一郎さんからあった屋台村もそうですが、スポンジ化しそうな、あるいは建て替えが迫られているような所について、どうしたらいいかを検討している方もおられます。
 浦さん、現状で踏み込める範囲でお願いします。

(浦) 「熟成する金沢」というテーマなのですが、昨日の宮田さんのセッションでもあったように、金沢は「革新と伝統」とよく言います。やはり革新があって、その中で伝えられて統(す)べられていく中で伝統ができると思うのです。金沢は元々そういう都市だと思うのですが、必ず若々しい一つのものがあって、それと並行して伝統的なものをきちんとつくっていくというか、その対比のバランスのようなものが、実は熟成する都市になっていく上で非常に大事だと思います。
 新しいものの象徴として、実は当社ではスポーツ・文化の複合施設のようなものを、国から助成金を頂いていろいろ検討しています。金沢の場合は、長らくMICEをどうしようかという話もあります。先ごろ、JCも地方都市で初めて世界大会を呼び込みましたが、元々そういうオーダーが多くて、しかも金沢でやると集客も何パーセント増しが見込めるということです。ホテルも駅の近くに集積していて、新幹線も通っているということで、今かなりのMICE、コンベンションを断っている状況です。
 一番大きなMICEの課題は、何といっても人がたくさん入る大きなホールがないことであり、先ごろJCも結局、産業展示館に金沢のホテルから全部呼んできてパーティーをするということでした。私も実は、泉丘高校の同窓会さえもたくさん来過ぎたら入るところがなくて困る状況です。一方で、例えば福井は1万人規模のサンドーム福井があって、新潟には朱鷺メッセがあります。
 実は研究していく中で、日本で最大のコンベンションの誘致会社が言っているのですが、金沢のようにこれだけホテルが駅の近くに集積しているところはないのだそうです。そこに大きな箱が一つあれば、日本ナンバーワンといってもいいだろうし、日本有数のコンベンションシティをつくれるといわれています。それに加えて、見本市等は、もちろん産業展示館もあるのですが、結構老朽化しているところもありますし、そういった部分でもそういう施設があれば拾っていけると思います。
 あと、コンサートなどエンターテインメントに関しては、先ほど福井で1万人と言いましたが、いろいろな有名な音楽事務所、企画会社等をいろいろ当たったところ、もし1万人規模のものがあれば、例えば嵐や外タレなどいろいろなコンサートを北陸でやるなら当然、金沢1択になると言っています。もしそういうものが必要ならば、運営に関して出資してもいいと言っています。そういった状況で、コンサートの方も需要が非常に見込めると思います。
 加えて言うと、屋内スポーツです。バスケットボールもありますし、ハンドボールもありますし、バレーボールもあります。そういったものを複合で一つ持つことによって、この先非常に変わってくるのではないかと思います。それは何もただ拡大するのではなくて、社会がシュリンクしていく中で、北陸の一つのゲートウエィになって拠点を集積していくことは、時代の流れと必ずしもバッティングするものではないですし、あるいはMICE機能、あるいはエンターテインメント×観光のような、新しい産業も呼び込める可能性があると思います。
 今言ったのはのびやかなエンターテインメントの場所であり、例えばまちなかにはもう少し高級な、先ほど鼠多門橋や県立図書館跡地の話もありましたが、あの辺りは世界でもかなり稀有な文化地域になれる可能性があるので、それらが一体化したゾーンと少しにぎわいのあるゾーンを、駅を挟んで2面に分けて考えていくことは、これからの観光客のリピーターも含めて重要ではないかと思っています。

(大内) 非常に具体的な事例を浦さんからご紹介いただきましたが、いろいろな需要が明らかにあることがここで少し分かってきたと思います。それに対して、行政あるいは経済界としてどう対応するか。後ほど市長さんからもコメントを頂きたいと思いますが、その前にセッションAでもう少し具体的なことを聞きたかったので、米倉さん、三石さんからコメントを頂きたいのです。子どもたちや広い意味での教育についても、これからAIの時代を含むさまざまな展開を深めて、一方で伝統・歴史を重視しながら、そういう視点でやっていく必要があると思うのですが、何か具体的なご提案や、こんなことから取りかかってはどうかということをお二方から一言ずつ頂けるとありがたいと思います。

(宮田) 教育の話では先ほど私がお話ししたVIVITAのお話があるのですが、今回ものづくりという結構大きなテーマがあって、昨日、三石さんから興味深い歴史のお話を幾つか頂いて、工芸に関して過去にどういったことが行われてきて、工芸の世界はどうだったかというお話もあったので、そこをもう少し深掘りして聞いてみたいと思います。

(三石) 「熟成する金沢」というのは、環境的な側面も非常に大きいと思います。もし金沢が太平洋側にあったなら、恐らく城下町も残っていませんし、工芸は残っていなかったと私は思っています。明治以降、殖産興業で太平洋航路による輸出が盛んになります。ですから、太平洋側に行くと、殖産興業で工場主になるというパターンがあるのです。殖産興業は、酒で言うなら火落ち菌のようなものです。そういう面において日本海側は非常に遅れたといわれていますが、遅れたが故にかえって変な菌が付かず、金沢らしく熟成できたと考えています。
 そうはいいながら、工芸の未来を考えていくときに、マネタイズが非常に重要なポイントになってくる。明治のころ、海外輸出品として九谷や、大聖寺で焼いた大聖寺伊万里が輸出品目のトップに挙がっています。これはどのように興ってきたのかというと、優れた媒介者(インターミディエーター)がいたからです。現地に常駐させて、なおかつ国際的な展覧会に果敢に出していきました。出すだけではなく、実際に作った職人をそこに派遣して、西欧を肌で感じて今何が必要なのかというニーズを持ち帰って再び作成させることまでしていたのです。出す一方で、吸収して帰ってきたということが大きな展覧会の効用だったと思うのです。
 それで、なぜうまくいかなかったのかというと、うまくいったのですが結局、明治30年以降、陶磁器や工芸品の輸出が落ちていったからです。しかし、それでもジャパン九谷は輸出もし続け、なおかつ内需を高めていきます。外が駄目だと思ったら、ちゃんと内側に転換していきました。外側に出すときにはコーヒーカップやソーサーを作り、国内に出すときには日本版として生活用品に転向していったということがあります。
 ここまで遅れを取ってしまった工芸全体の問題として、理由は三つあると思います。一つ目は、標準化されていった生活用品の普及に対して工芸が対応できていなかったことです。特に明治以降の近代化の中で工芸が対応できませんでした。特に高度経済成長以降、それが決定的になっていきます。そして二つ目には、だんだんと良き媒介者が「今これを作ると売れますよ」とか「今こういう流れがありますよ」というふうに双方向で学ぶ機会が失われてしまったことです。三つ目に、固有性が均質化してしまったことだと思います。ジャポニズムに対する慣れが生まれていったと思うのです。日本というのはああいうものでしょうというプロトタイプ的なものになって、向こうが慣れてしまったのです。やはりジャポニズムというのは、自分たちの文脈に元々なかったが故の衝撃だったわけです。なので、新しい個性を確立していくことが必要だと思うのです。革新と伝統なのですが、まさに海外が見ても、日本人が見ても、「何だ、これは」と思うぐらいの固有性の確立が工芸に求められているのではないかと思いました。
 近代に登場してくる新技術には二つの効用があると思います。一つは、数量を作れて、なおかつ誰でも作りやすいことです。もう一つは、遠くに飛ばすということです。つまり、空間的近接性です。遠くにあっても、空間的な意味を持たなくなるわけです。電話、ラジオ、インターネット、そしてAIによってさらに情報量が増えていくわけですが、これをいかに使っていくかということです。工芸に対してここまで考えているのは、恐らく金沢のこの瞬間が初めてだと思うのですが、この辺を含意した上で何か新しい未来をつくっていくといいのではないかと思います。

(大内) 米倉さん、今、AIの話が出てきました。

(米倉) 伝統とAIというテーマの中で、AIはどちらかというと逆の立ち位置と思われるかもしれないのですが、先ほど三石さんがおっしゃっていたように、伝統は破壊と創造の繰り返しでつくられていきます。破壊と創造における破壊とは何なのかというと、過去に起こっている創造がない限り、破壊のしようがありません。つまり、破壊があってはじめて次の創造物が作られて、また破壊対象が作られていくのだと思います。
 今、語られている伝統の部分の要素として非常に重要だと思っているのは、「残したい」という考え方です。今までの「残したい」という思いが、テクノロジーを使うことでデータとして確実に残すことができると思っています。現状、伝統工芸をやられている方々がどういうお気持ちでやられているか分かりませんが、例えば息子さんに継げないという問題があると思います。しかし、息子に継げなくても、必ず誰かに拾ってもらえることをテクノロジーで保証することができるのではないかと思っています。AIと伝統工芸をマッチさせる一つの取り組みとして、残したいものに関して徹底したデータを残していく動きを試みるのは面白いのではないかと思っています。
 昨日、私はAIのお話をしたので、また恐怖心をあおったのではないかと思っているのですが、ガートナーの発表で米国の雇用者の47%が10〜20年後までに半分ぐらいまで減るという発表がありました。それと併せて、2020年にはAIによって消える仕事が180万件であるのに対して、230万件の仕事が創出されると言っているのです。私はこれを実際に体感しています。
 当社では、言語処理といって、対話エンジンのような、話しかけると返してくるようなロボットを造っているのですが、コールセンターで導入が進んでいます。コールセンターの中では、本当にベテランの方と新人の方のレベルの違いがすごいらしいです。けれども、年間で90%ほど入れ替わってしまうぐらいの転職率の高さがあります。では、どのように熟練者のノウハウを全員に行き渡らせるかということで、AIが使われていて、熟練者のコミュニケーションに関する完全なコピーを作って、それを新人たちが全部自動的に見られる環境をつくって、新しい質問が来たらそれを見て回答する形を取っています。
 その会社はセールスをやっていて、コールセンターで販売しているのですが、セールスの結果が今までの平均より2%上げることができました。これは誰が上げたのかというと、熟練者が上げているのです。熟練者がノウハウをみんなに伝えられる要素としてAIを使っていて、それを新人たちが学習して、さらに自分たちを次のレベルに上げることができているのだと思っています。これも小さなお話ですが、まさに破壊と創造の繰り返しを小さなところでやっているのです。これを繰り返していくことで、その空間自体がある種の伝統文化のようなものをつくっていくのではないかと思っています。
 これを金沢の中でどのようにやっていくかということに関しては、私がお伝えしたように、伝統として残していきたい部分を明確化していくことを試みたらいいのではないかと思っています。

(大内) 冒頭に福光委員長が「昨日は余計混乱してしまった」という思いを述べていらっしゃいましたが、私たちも「あれっ、これはどう熟成の話につながるのだろう」と恐れていました。今、セッション@、セッションAの皆さん、それから何人かの方から補足的にいろいろと説明していただいたり、あるいは金沢での具体的な新しい動きについてもご紹介いただきました。多分、全体の方向として決して間違ったことをしているわけではないのですが、もしかするとかつてとは違うやり方が可能になってきているのかもしれません。そのことについて十分に熟知した上で、間違った方向でない方向に行かないと、ひょっとすると逆に熟成せずに危機を迎えてしまうかもしれないということが、今日の前半の議論である程度見えてきたと思います。
 この辺で山野市長さんにご感想等を頂いて、後半はもう少し具体的なことに議論を進めていきたいと思います。それでは市長さん、よろしくお願いします。

(山野) 前半の皆さんのご意見をお聞きして、私の考えをいま一度整理してお話ししたいと思います。
 ついこの間まで、ヨーロッパに行っていました。皆さま方も仕事であったり、プライベートで行かれると思うのですが、行くたびに思うのが、夜8時ごろから普通に食事会になったりするのです。そして、9時、10時ごろに食事を終わって外に出ます。いわゆるオープンカフェのような所で寒かったのですが、コートを着てビールを飲んでいる様子も決して少なくなく、拝見していると基本的に文化が違うのかなと思ったりもします。一方では、夜の楽しみ方をよくご存じだと思ったりもしますし、大きな課題だと思っています。
 浅田さんから一次情報的なお話も頂きました。切実に感じていて、浦さんがおっしゃったようないろいろなコンベンションは少しお金も時間もかかると思いますので、まずは既存の資産を有効に使っていければと考えています。金沢市のまちなかには鈴木大拙館、ふるさと偉人館、能楽美術館などがあり、役所が管理しています。大体夜6時で閉まるのですが、私が市長になった翌年の2011年度から、時間延長しています。ただ、あのまま時間延長しても人は来ないので、ミニコンサートやミニ講演会などを開催しながら、少し時間を延長することを実験的に2011年度から始めました。元々、音響などが充実している施設ではないのですが、私はだいぶ定着しつつあると思っています。ただ、元々が大コンサートホールではないので、10人から多くても20〜30人しか入れませんから、それほど大々的なものではありませんが、今はゴールデンウイーク期間中、夏休み、秋ごろにも実施していますし、さらに充実していかなければならないと思っています。
 ライトアップについても問題意識をずっと持っていて、例えば2年ぐらいかかりましたが、浅野川に架かっている浅野川大橋、梅ノ橋、中ノ橋の三つの橋をライトアップしたり、武家屋敷のライトアップも当然ギンギラギンのライトアップではなく、金沢らしい、しっとりとした、落ち着いた、浮き上がるような、暖色系を意識したライトアップを、少しずつではありますが行っています。
 特に今年度から、都心軸にランドマーク的なライトアップを意識して、金沢駅の鼓門であったり、北國銀行さんのご理解を頂いて北國銀行武蔵ヶ辻支店のライトアップをしました。来年度には尾山神社の神門などでも実施します。こうした都心軸のランドマーク的なものは、夜12時まで実施しています。ただ、浅野川の橋や武家屋敷は、今おっしゃっていただいたように、食事を終えた後、楽しめるような時間にできているのか、そしてきちんと告知できているのかをいま一度確認しながら、十分伝わっていないならば、きちんとお伝えしなければなりませんし、時間をもう少し工夫しなければならないならば、工夫していかなければならないと思います。そこを整理することによって、まずは金沢が今持っている資産を有効に活用した夜の楽しみ、ナイトエンターテインメントに取り組むと同時に、浦さんがおっしゃったような課題に対応しながら、充実していかなければならないと思っています。
 もう一つは、跡地の話が出ました。実は先般、東急電鉄の常務さんに市長室にお越しいただいて、いろいろと意見交換をさせてもらいました。日銀の跡地は今現在、日銀の所有なので軽軽なことを申し上げることはできませんけれども、将来跡地になるであろう所は、単体で議論したら多分マンションかホテルができて終わってしまうのではないかと思います。それはそれで大事なことなのですが、東急電鉄さんは皆さんご存じのとおり、東京の二子玉川などを30〜40年かけていろいろやっていらっしゃいます。
 厳密には会社が違いますし、グループ会社でしょうけれども、ホテルがあって、東急スクエアがあって、映画街だった所は今大きな駐車場になっています。間に用水があります。時間がかかるかもしれませんが、その辺りを全体として見ていくことが大事なのかなと思います。日銀はすごく趣のある建物でもありますし、ある種ランドマークになっていますが、幸か不幸か、今の日銀がにぎわいを生んでいるかといったら、生んでいないものでもありますし、そこは少し丁寧に話し合いながら、少し広いエリアでどんなことができるかを皆さんで話し合っていくことが必要なのかなと思います。浅田さんから「誰がやるのか」という話がありましたが、ここはやはり行政が、行司役という表現は失礼かもしれませんが、そんな形で市が入っていくことが大事なのかなという思いを持っています。これは議会の皆さんや中心商店街の皆さんのご意見をお聞きしていかなければなりませんが、そのようにやっていかなければならないと思っています。
 あと、NHKさんの跡地もありますが、県立図書館の跡地の話も出ました。隣に社会福祉会館もあります。一義的には石川県の当局の方でお考えだと思いますが、当然、石川県当局が単体で考えるのではなくて、鈴木大拙館もあるし、中村記念美術館もあるし、ちょっと上れば県立美術館もあるし、県立美術館の横には工芸館も造っています。そんなことを考えると、県にとっても市にとっても、あそこはエリアとして考えていくことが大切だと思っています。日銀もそうですが、エリアとして考えていくことによって、跡地になるであろう問題に対応していかなければならないという思いを持っているところであり、これからいろいろな皆さん方と意見交換をしながら、どんな方向に進んでいくかを考えていきたいと思っています。

(大内) 金沢らしく味付けをしながら、夜の景観、あるいは夜のまちをどうするかということについて、そしてさまざまな跡地がこれから出てくるわけですが、そうした跡地について、市長さんの立場もおありですが、私からすると随分踏み込んでお話しいただきました。市長さんのコメントに対して、何か。水野先生、よろしければご発言ください。

(水野) 大変前向きで挑戦的なご意見を頂いて非常にびっくりしているというか、うれしい限りです。金沢の都心は、普通の都市の都心と全く違った姿を35年ぐらい前から見せていて、兼六園周辺文化ゾーンという形で始めて以来、文化施設が集積され、そこには歴史的な集積と現代的な集積もあります。それから庭園や広場といった緑地がたくさんあります。こんな都心は日本では珍しく、ヨーロッパにもあまりない事例です。われわれが自慢したいこの場所に、さらに日銀などいろいろなものを加えると、この都心が本当に熟成する方向に向かうのではないかと思っています。ぜひ皆さんの知恵を結集しながら、金沢が持っている歴史的情操性や文化的まちづくり、あるいは自然の恵みを生かした地域づくりなども含めて、ユニークな都心を築いていきたいとますます思います。

(大内) 相当先を見据えながらも、今まで引き継いできた金沢のいいところを踏まえながら、慎重かつ確実に前に進むステップを踏まないと、今のお話は下手をすると大失敗する危険もあるわけですから、そこはぜひ考えていきたいと思っています。米沢さんからどうぞ。

(米沢) NHKの跡地は来年3月に入札と聞いているのです。それについては、どうなさいますか。せっかく大手門の中町通りをいい感じでつくり変えて、用水も流していただいたし、あの真ん中の500坪にマンション等ができると、せっかくしてきたことが台無しになると思います。河北門からずっと出て、主計町やひがしまで歩くにはとてもいい通りだと思っているのですが、あの500坪はなかなか大きいと思います。NHKの発表によると、優先順位としては、公共に買っていただくのが一番いいと発表されているのですが。

(山野) 申し訳ありません。情報をきちんとつかんでいませんでした。お城のすぐ横でもありますし、金沢市にとっても、石川県にとっても、北陸にとっても大切な場所ですので、問題意識を持ってすぐ調べます。

(大内) ありがとうございます。後半は少し具体的に、都市的な広がりもイメージしながら議論を進めていきたいと思うのですが、清水さん、半田さん、本山さんあたりから、昨日の議論を踏まえて、あるいは今日の具体的な議論から、どなたからでも結構ですが、何かご発言いただけますか。

(半田) 1968年に「金沢市伝統環境保存条例」ができました。50年前なのです。1968年は、カルチャーもすごくキーワードになっていて、既存の価値観を破壊したり、新しい創造というものが出てきています。写真などを見てもこれまでのきれいな写真ではなくて、わざわざ粒子を粗くしたような、森山大道や中平卓馬といった人が活躍したのが1968年です。学生運動もあったわけですが、それから、いわゆる銀塩写真はなくなってしまって、ほとんどのものがデジタルになっています。だから、現像することはありません。ソフトでいろいろな色味に簡単に変えられますし、スマホなどにもAIが入っていて、それなりにきれいに撮れて、インスタ映えするものが自動的に撮れるような時代になってしまっています。一つは、そういったことでAIとアナログ的なものが非常に融合していると思うのです。
 それともう一つは、最近アナログに再び価値観があるのではないかというのが結構出てきました。CDはどうでもよくなって、今はレコードが新たに発売されてきています。宮田さんがおっしゃっていたように、ものづくりであるとか、インバウンドの観光でも体験型であるとか、経験のようなものの方がインバウンドに人気が出てきているのではないか。そうすると、デジタルはデジタルで、ITやAIがものづくりや技術の基本的なところにあるのですが、最後はやはり人間としてアナログの部分が非常に大事になってくるのではないか。金沢はデジタルやAIを基本にしつつも、最終的にはアナログの世界を大事にしていくことが熟成につながるのではないかと思います。
 「夜を熟成させる」ということですが、金沢でも割とインバウンドの方に音楽を聞かせたり、いい意味でジャズやいろいろな分野のバーが結構夜遅くまでやっていたりするので、そういったものを紹介できる態勢があればいいと思います。ソウルの昌徳宮(チャンドックン)という世界遺産は、週末に数十人規模のナイトツアーを実施しています。それも、1日は外国人だけのツアーなのです。インターネットで申し込むのですが、私も行ったときには全部埋まっていました。そのように、金沢城や兼六園などでも、インバウンドの客に夜景を含めてゆっくりと楽しんでいただけるものも、やろうと思えば案外できるのではないかという気がしています。
 跡地利用について市長さんにお願いしたいのは、小学校を統廃合して、小学校の跡地がこれから結構出てきます。そこが全て単なる建売住宅になってしまって、非常に惜しいと思います。もう少し校下のコミュニティができるような跡地利用も考えていただきたいと思っています。

(清水) 自分は郊外に住んでいます。スポンジ化の話があったのですが、自分が住んでいるのは大乗寺丘陵に囲まれた高尾台というまちで、全部で700世帯ありますが、班ごとに人口構成や高齢化率が全く違うのです。全部で30の班があるのですが、高齢者人口比率が8%ほどの班から最大58%の班もあります。まちなかに出掛けていくと、中心部がにぎわって、歴史・伝統も含めてどんどん豊かになっていき、心洗われるようなまちになることで人がどんどん集まります。結局、自分もまちなかに出ていって楽しむ方ですが、一番長くいるのが自分の住んでいる周辺です。
 その自分のコミュニティをどう活性化しようかと考えると、水野さんが「きめ細かなまちづくりは極めて大切だ」とおっしゃっていましたが、自分の住んでいる地域に落とし込んだ上でやらなければいけないと思っています。特に災害などを考えた場合、自分の住んでいる周辺できちんとしたコミュニティをどう保っていけばいいかという中で、幸いなことに2014〜2018年の5年間で、自分の地域は人口が19.5%伸びているのです。まちなかのスポンジ現象以外に、細かな面でやっていく必要があるという部分でヒントが欲しいなと思って、自分のことしか考えていなかったのですが。

(本山) 文化やアートをマネタイズし、世界に通用するマーケットの場所を金沢につくるために、KOGEI Art Fair Kanazawaを昨年から立ち上げて、今年2回目を迎えることができました。工芸の分野で世界と直接つながって、かつ自ら発展する場というのは、作るだけではなくて流通する場でもあるし、人が集うことで知識が集積していく場にもなり得るので、非常に重要なプラットフォームを構築できるのではないかと思っています。
 アートや工芸品を見るということは、対AIではないのですが、究極のリアルの体験にもつながっていきます。あえてこのまちでフェアをすることで、あえて金沢にやって来る、わざわざそのために金沢のまちを訪れるという相乗効果も生まれると思うので重要だと思います。
 取りあえず昨年、そういう場所はつくったという状況で、それはまだ孵化したばかりです。さらに金沢のまちにマーケットをつくっていくためには、さらなる熟成を目指して成長を醸成していかなければならない段階に入ってきていると思うのですが、さらに発信、プロモーションに力を入れなければならないと考えています。
 フェアの質を落とさず、高めていくのは当然なのですが、金沢の工芸と食というフックもあるし、そういうイベントの組み合わせであったり、さらにはキュレーションの21世紀美術館や県立美術館などコレクションを持っているところ、さらには2020年には国立の工芸館もやって来ます。そういったところと協働する形でフェアの発展形というか、金沢だからできるタッグの組み方もできたらいいなと思っています。
 ナイトカルチャーに関してですが、山出市長が2011年にナイトミュージアムという形でいろいろな事業を立ち上げたときに、金沢近郊にあるアートスペースの集まりで金沢アートスペースリンクという連携があるのですが、金沢の芸術創造機構からお声掛けいただいて協働する形で、2012年と2013年にナイトギャラリーを開催しました。発想はとても面白いのですが、連携が中途半端だったり、新幹線開業前でもあり、インバウンドのイの字もないときでした。しかし、夜の文化を楽しむというか、飲食以外でのコンテンツとしての可能性があると思うので、官民超えての相乗効果で、例えばギャラリーだと若い作家を囲んで新作を見ながらお酒を飲むような、ある意味で豊かな文化の場所が創出されると思うので、ナイトミュージアムやギャラリーの広報など、相互乗り入れの形で発信していくような協働体制が取れたらいいなと思っています。

(大内) イタリアに行くと、いい時間になるとパティオにみんな集まって、音楽会を開いたり、飲んだりしている世界が当たり前になっています。
 この後、続いて松岡さん、昨日は建築家として福岡の話をご紹介いただきましたが、金沢についても、今の話も踏まえて何か一言頂ければありがたいです。

(松岡) ナイトライフ担当なので、かなり責任を感じているのです。私は昨日、五つのステップの話をしたのですが、課題が何なのかというのがあまり語られていないような気がしています。インバウンドの課題もあれば、例えば工芸で、作り手と消費者との間のブリッジのようなものが薄かったり、または都市的な課題もあります。例えば中心部で、一人住まいの高齢者が増えていったり、スポンジ化した場所ができたり、住み手である市民にとっての課題がまだ全部洗い出されていないような気がします。
 これをナイトライフというふうに袋を作って、その中に課題を一度全部投げ込んでみて、設定する必要があるのかなと思います。例えば子どもの夜の過ごし方というのも、もしかしたらゲームにすごくはまっていたり、文化的に育つ環境がなかったりします。最終成果物が何なのかというのは、すてきな夜間景観だけではないのではないでしょうか。例えば金沢の場合、情緒や歴史性がしっかりある所なので、むしろ闇を楽しむこともあるかもしれないし、浅田さんのお客さまで言うと、金沢は雨が多いので雨を楽しむ夜があるかもしれません。
 そうすると、まちなかの駐車場問題とそれがどう関わるのか。もしかしたら金沢で月に1回、真っ暗な日をつくったら、子どもが天文や星にすごく興味を持って、「金沢の子は天文学をやる子が多いよね」ということになったりするかもしれません。課題の設定と最終成果物の次元を上げていくというのは、食育や知育というように、例えば闇を育てるとか、闇の暗さや闇の意味を子どもに教えることに転嫁していくというのか、そういうことを総称して金沢のナイトライフだと思うのです。インバウンドはインバウンドで市民の課題であり、そういうことをきっちりと議論することは、金沢にはベースがあるので、今お話ししたようにいろいろな展開があるのではないかと思いました。
 例えば夜のパーキングは車があまり止まっていないと思うのですが、駐車場に水琴窟があって、夜に駐車場を歩くと水琴窟の音を聞けるのもいいでしょう。思いつきですけれども。お金を使う場所や、食が素晴らしいというのはもう金沢にしっかりあるし、それはあまり課題ではないという気がします。もしかしたら工芸と消費者をつないだり、また作家をつないだり、買い手としては実は物の美しさだけにとらわれるのではなくて、作り手のストーリーや背景をもっと知りたいですよね。では、それをどうつなげていくのか、夜につなげていくのか、ブリッジ役を育てていくのかという気がしました。

(太下) 他の分科会のコメントもよろしいですかね。今日はそういうことも考えていかなければならない場面だと思うのです。水野さんが先ほどセクション@の報告で、金沢は木造都市なのだという指摘をされていました。例えば東京のような都市の不燃化とは違う知恵が必要だという指摘で、とても重要なことだと思って聞いていました。日本の都市防災を考えると、エポックメーキングは今から300年前で、テレビドラマで有名な大岡越前がいろは四十八組の町火消を作りました。これが本格的な都市防災のスタートであると考えると、2年後にちょうど300周年になります。こういう節目の年をめどに、金沢らしい新しい都市防火・都市防災の在り方を金沢から世界に発信していくことも、非常に面白い取り組みになるのではないかと思いました。
 セクションAが先端的なテーマだったので、他の分科会との結び付きが悩ましいところなのです。AIについては言いたいこともあるのですが、ちょっと置いておいて、ブロックチェーンの話もありました。ブロックチェーンというのは、今はもっぱら仮想通貨を支える技術として知られていますが、私は別に仮想通貨だけに使える技術ではないと思っています。ブロックチェーンというのは、昨日のプレゼンテーションにもありましたが、非常に低コストでセキュアな台帳を作る、情報をストレージできるところが一番のポイントだと思います。
 そういった意味ではセクション@とも関連してきて、まちづくりの情報は今、登記簿などの非常にアナログな形で保存されていますが、ブロックチェーンに全部移してしまうと、非常に低コストで、しかもセキュアです。しかも、例えばブロックチェーンの情報の中に登記簿情報の他、法規制や土地利用データ、賃貸借、担保の情報を全部載せることができますから、公開・非公開の区分も含めて非常に運用しやすい形になるのではないかと考えています。多分、世界中でそんなことをやっているところはないのですが、もし金沢でそういう社会実験ができたら面白いと思いました。
 あと、JCの福光理事長から、新しい食の提案として「とおりゃんせフードラボ」の話がありました。そういう実際に体験できる新しい飲食の場も必要なのですが、文化都市金沢として考えると、実際に食べる場だけでなく、私は食文化のミュージアムがあるべきではないかと思っています。私は最近あちこちで言っているのですが、2015年にミラノであった万博は総合博覧会としては史上初めて食をテーマにした博覧会で、ご案内の方も多いと思いますが、その中で日本のパビリオンはものすごく高い評価だったのです。最後には金賞も受賞しました。当然、大人気だったのです。
 万博の仕組みは、大まかに言うとディズニーランドのような感じで、メインゲートがあって、中に各パビリオンがあります。朝10時に全てオープンするのですが、10時の時点でメインゲートの外にずらっと行列ができて、ゲートが開くと皆さん目当てのパビリオンに走っていって、10時10分ごろには人気のパビリオンの周りには行列ができる仕組みです。私はちょうど終わり間際に行ったのですが、日本パビリオンの列の最後尾に待ち時間の表示が出ていたのです。これは何分待ちかというクイズなのですが、絶対当たらないクイズで、「540分待ち」という表示が出ていたのです。あり得ないですよね。9時間です。だから、朝10時に並んでも夜7時にならないと入れないのに、みんな並んでいるのです。私は最初、イタリア人をはじめヨーロッパの人は割り算が苦手なのかなとも考えたのですが、そうではなくて実は日本人が気づいていないのだけれども、日本の食文化に対する熱烈な需要がそこにあるのです。ちなみに万博の入場料は大人5000円ほどかかります。5000円を払って、一日を棒にしても体験してみたいコンテンツが日本の食文化なのです。
 私はそのような食文化のミュージアムが日本に幾つかあってもいいと思うのです。もちろんその中で筆頭に上がってくるのが、この金沢ではないかと思っています。これはインバウンドの一つの魅力施設になると同時に、先ほど松岡さんが教育の話をされましたが、子どもの食育の機能も持ち得ますし、ぜひこれを真面目に考えていただけないかと思います。
 そのことを考えるときに、先ほど山野市長も米沢さんもおっしゃっていましたが、エリアで考える必要があります。ご案内のとおり、金沢の中心地は本当に特殊なエリアです。他の都市にないようなミュージアムとして21世紀美術館、鈴木大拙館、県立美術館、歴史博物館、そして2020年には国立の工芸館ができて、お城もあれば庭園もあります。そういうエリアにさらに食文化のミュージアムがあると、本当に世界に類を見ないような文化ゾーン、ミュージアムコンプレックスになるのではないかと思います。さらに夜間も活用していくといいと思います。
 ただ、私も国立美術館の理事を務めていて思うのですが、ミュージアムの夜間開館は全く割に合わないのです。まず現状、人は夜にミュージアムへ行く習慣がないので、人は来ませんし、皆さん経営者なのでお分かりだと思いますが、開けておくと人件費や水道・光熱費など経費がかかります。だから、誰もやりたくありません。*官邸も夜開けろと言っているから、しょうがなく開けるということを進めているのですが*、例えばナイトタイムだけスポンサーを付けて、金沢中心部のミュージアム全部をライトアップしながら開けるとか、夜だけの特別な対応を考える形で新しいマネタイズ、ファンドレージングをすることもあり得るのではないでしょうか。いろいろな知恵を出しながら活用していくことがこれからは求められると思っています。

(福光会長) 松岡さんが昨日、「ナイトカルチャーを価値転換して考えなければ駄目だ」とおっしゃっておられたのは、先ほど言われたことでいいのですね。

(松岡) これを話そうと思ったら3時間ほど話せると思うのですが、単に享楽的というか、または消費行動にすぐつながるようなことだけがナイトライフではないのではないかと思います。

(福光会長) ナイトカルチャーという意味ですか。夜の文化を捉えるというのは、飲食も含むのですか。

(松岡) そうだと思います。飲食ももちろん含まれると思います。

(福光会長) そういう意味では、大体そう違っていないのだろうと思いますので、私が思ったことを話します。今、太下さんから大変いいお話が出ました。県で鼠多門橋を付けると、本多町からずっと上がっていって、工芸館へ行って、県立美術館へ行って、兼六園へ入って、兼六園の中をずっと回って、尾山神社、長町までつながります。あのルートを夜、素晴らしいルートにすると大きなきっかけになるのではないかと思うのです。それは常設的にすべきなのですが、それができたら、できたときの記念としてスタートしてもいいのですが、ナイトカルチャー月間のようなことをして、今おっしゃったように、スポンサーも取って、県も市も一緒になって、各文化施設のナイトミュージアムやナイトギャラリーなど全部一遍に、夜のプロモーションをやってみることがまず最初のステップではないかと思います。それでうまくいくようだったら、だんだん期間を延ばしていけばいいし、一回やってみて分かることは結構たくさんあると思います。そういうやり方で飲食ではない夜の過ごし方をうまくやっていくことがまずスタートではないかと思いました。
 もう一つ、食文化ミュージアムのことをおっしゃっていただきました。これが跡地を中心にした核になっていくものだと思います。食文化ミュージアムと工芸ミュージアムがないのです。今、「平成の百工比照」は美大で収集してあるので、あれはしまってあるのです。あれは創造都市のときですよね。国際会議のときに集めてきたものが今、美大の倉庫に入っていると思います。常設化すると、工芸ミュージアムの核になると思います。百工比照のことを言うと三石さんが何か言われるかもしれませんが。ですから、食と工芸の核としてのミュージアムはしっかり考えていくべきではないかと思います。

(大内) 山野市長から、立場を離れてでも結構ですけれども。

(山野) 先ほど偉そうにナイトミュージアムと言いましたが、元々それほど広いところではありませんから、たくさんの方にお越しいただくのですが、やりながらもう一つパンチがないという思いはありました。太下さんがおっしゃったように、役所が抱えているからそうなのかもしれません。そこは市だけではなく、県や民間も含めてやっていくことで、パンチというか勢い、発信力が出てくるのかなと感じました。

(大内) 先ほど浅田さんからも、欧米の方が夜に独特の興味をお持ちだという話がありました。欧米から来られる方で、ある種の教養をお持ちの方たちはほとんど必ず、谷崎純一郎の『陰翳礼讃』を読んでいます。あれはペーパーバックになっていますので読んでいますし、岡倉天心の『茶の本』であったり、鈴木大拙の『禅の研究』なども必ず読んでから来られて、あれをイメージしながら日本を観光している方たちがおられます。そういう方たちを失望させないためというか、そういう方たちにこそ来ていただくと、「ああ、これが谷崎が言っていたことか」という喜びや発見があるのではないかと思います。
 それだけではなくて、具体的に都市計画的なことで、竹村先生にお願いします。公だけでなくて民の力というか、例えば都市計画でも、必ずしも公が全て行う時代ではなくなってきています。かといって、民間の力を安易に入れてそれでいいかということでもないので、具体的な例をご紹介いただきながら、民民や官民の仕組みのことをご紹介いただけますか。

(竹村) これまでの都市計画は行政主導で、トップダウン的なところはありました。それがだんだん市民からボトムアップして、フラットな関係で官民協働していく形で進めていくべきだと思っています。スポンジ化がどんどん進んでいるときに、人間ということとコンバージョンしていくということの二つが、今のスポンジ化では大事になっていると思います。
 昨日の熟成の話で、特にこういうことを進めていくときには、都市の核も確保しなければならない、市民も醸成していかなければならない、交流やにぎわいも醸成しなければならないというふうに三つの視座を言っていました。最終的な提案として1時間分を15分でお話ししましたが、公共的空間に変えていく、例えばコインパーキングなどもまちなか広場にしていく、あるいは先ほどあった人間優先の道のように、道空間にコンバージョンをしていくようなものというのは、人間がいるからコミュニティもあり、交流があり、それが最終的にまちづくりにつながっていくのだと思っています。
 人間優先でコンバージョンというのは、歴史・文化などこれまで蓄積した非常にいいものがあるので、小学校の統廃合であるとか、金沢町家や空き店舗をしっかり、スクラップ・アンド・ビルドだけではなくて、それを生かしていくことが必要です。コンバージョンといっても、破壊というよりも非破壊的創造というか、破壊しないでその上に積み上げていくことです。コミュニティは壊れたらそれで終わりですから。そういうところを対応していくと、新たなニーズや交流によって新しい文化も生まれスパイラル状に高まっていって、まち全体の熟成がなされると思います。

(大内) 佐々木先生、どうぞ。

(佐々木) いろいろな角度から、熟成についての具体的な案がかなり、それこそ熟成してきました。われわれがこの会議を開いて間もなく20年になります。当初、福光さんとは取りあえず10年やってみようということで始めたのですが、そのときの社会情勢と今を考えると、紛れもなくIoTを超えてAIの時代になっています。そのことで創造都市という考え方が古くなるかというと、逆にもう一度光が当たっています。そういったことを受けて、宮田さんのVIVITAがあります。VIVITAというのは、AI時代の新しい子どもの育ち方を目指しています。そうすると、そこにはこれまでと違い、もっと自由でのびやかに感性や美意識を育てないと、AIを使い回すような人が生まれないのです。そうしたことがアートの表現にも影響を与えてきました。
 逆に言うと、コンテンポラリーアートというのは絵画から完全に離れつつあって、さまざまなインスタレーションに変化していき、映像表現になり、そしてつい最近はもう一回、工芸というか、手で造形していくところに戻ってきているのです。そのことは、例えばイギリスではアーツカウンシルがずっと芸術の支援をしてきたのですが、クラフトカウンシルというものが新たにアーツカウンシルの中にできたのです。これは2005年のことです。そのことに影響を受けて、アジアで最もビビッドに影響を受けるのは韓国です。韓国政府は、クラフトデザインファンデーションをすぐつくり、クラフトトレンドフェアを始めました。
 2週間前、私はソウルに招かれて、そこで初めて国際シンポジウムが組まれて、行ってみたら金沢をケーススタディとして最初にやることになっていたのです。びっくりしたのは、大樋長左衛門さんがいたのです。私と大樋さんが第1セッションで問題提起をしました。なぜ金沢はクラフトによって創造都市になっているのか、都市を変えてきたのかということです。これをソウルの財団のトップがどこで知ったかというと、2015年にここで創造都市会議を開いたことが一つのきっかけになっています。
 その後のセッションは、スペインのロエベという企業の財団が2年前に世界的な工芸のアワードを始めたのです。そこの財団のトップは創業者の孫娘です。この方がじきじきに来て、自分たちが考えること、なぜ今世界的な工芸のアワードが必要かということを言っていました。そして、イギリスでは、クラフトカウンシルが始めたコレクトという展示会があるので、そこの担当者が来ています。そして、フランスのエルメスが世界中で展開しているメゾンエルメスが、この中でどういうふうに工芸にアプローチするかという話をしていました。
 そうなると、実は一昨日、東アジア文化都市のクロージングをやった中で講評したのですが、欧州文化首都という一つの目標があります。それで、東アジア文化都市事業を金沢は成功させました。その成功の成果をどうするのか、レガシーをどうするかといったときに、世界工芸文化首都というもっと尖った目標をこの際出していったらどうか。もちろんそのときにはcraftという英語でいくのか、あえてわれわれはKOGEIと言っていますが、どちらでいくのかというのは難しいところですが、これを例えば来年、ユネスコ創造都市認定10周年という一つの大きな節目に当たって、世界のさまざまな有力な創造都市が集まって、あるいは市長を呼んでそこで宣言するのもありかなと思います。
 間もなくこの会議自体が20周年です。先ほど太下さんが300年の話をしていましたが、何か節目の年に当たってさらに一歩深めていくことが工芸と食文化で熟成することなのであれば、そうした方向にいろいろなイベントや構想をつなげていくようなことをぜひお考えいただけないかと思っています。

(大内) 世界工芸文化首都というのを、もう少しお願いします。要するに、金沢が宣言するということか、そういうネットワークをつくるということか、どちらですか。

(佐々木) 両方です。

(大内) まず宣言するということですね。要するに、欧州文化首都みたいな、欧米アジア文化都市みたいなことですね。

(佐々木) 実は「世界工芸文化首都」という言葉はありません。だから、先に言わなければなりません。それぞれの国の工芸都市はあるかもしれませんが、工芸首都という考え方はなかったと思います。例えば石川は工芸王国だといっても、これはドメスティックな話です。われわれは、工芸は伝統工芸だけではなくて、現代工芸があり、未来工芸があるということを展開してきました。そういったことが今や金沢モデルとして評価され、世界的に認知されつつあることを踏まえて、次のステップに行くのです。

(大内) ちょっと議論してみると、要するに金沢市が世界工芸文化首都を宣言した上で、幾つかの都市を選んで「工芸文化首都」という仕組みをつくる。それを後で文化庁が何かしてくれるということでしょうけど、そこが大事ですね。

(佐々木) 文化庁は2020年に世界工芸サミットを石川県で開くと決めているのです。その前段に工芸館が2020年に来るわけです。だから、その組み方なのですよ。来てから手を挙げるのではなくて、準備していくということですね。

(山野) 東アジア文化都市事業が先般、金沢は閉幕し、今は釜山広域市の閉幕に合わせて副市長をはじめ市の職員も行っています。今週、佐々木さんとお食事であったり、立ち話であったり、こういう会議などで3、4回お会いし、いろいろなヒントをもらって、今度の議会でこんな話をできればいいなと思っていたことを今、全部おっしゃっていただきました。でも、方向性としては間違いなく、その方向性で進んでいくべきだと私は思っています。ただ、手続きや仕組みづくりはいま一度精査しなければなりませんが、大きな方向性としては、そうだと思っています。
 2015年の世界大会があって、2018年の東アジア文化都市事業があって、2020年は、先ほどおっしゃっていただいたように、文化庁が石川県で世界工芸サミットを開くと発表しています。そんな流れの中で、決して流れに流されるという意味ではなくて、きちんと捉えた上で金沢の主張をしていくことはとても大切なことだと思います。ヒントを頂いたことも踏まえ手続きを取りながら方向を進めていければと思っています。
(浦) 「熟成する都市」というテーマなのですが、中から見ていた金沢は熟成させていかなければならないのですが、一方で視点を上げると、日本がこれからどんどんシュリンクしていく中で、金沢は今まで災害もあまりありませんし、2022年度には北陸新幹線が福井まで開通して、2035年には関西圏まで開通します。これだけ災害も少なくて、日本海側の一つのルートができると、日本海側の拠点都市として金沢は、いろいろな国ともやりとりをしている中で期待がものすごく高いと思っているのです。
 金沢が日本海側の一つの拠点になっていくような意識で取り組むかどうかです。取り組みたいかどうかではなくて、これは日本、北陸の一つのゲートウエーとして金沢を考えていくことは必要かなと思っています。その中で、今日は市長も来られて、先ほど竹村さんからコストというか、官民連携のような仕組みのことも言われました。今日のいろいろな議論の中では、やはり全部がコストがかかることだと思うのです。それを全て公が担っていくわけにはいきません。JCのプロジェクトには私も協賛しましたが、民間で若者らしいトライアルだなと思っています。その中で、先ほどのスポーツ・文化施設の方もぎりぎりまで予算を詰めて、何とか官民連携の形をつくっていくときに、先ほど言った金沢の将来的な立ち位置を考えると、実質的にコストをどうしていくか、官民連携の仕組みをどうつくっていくかが「熟成する金沢」のもう一つの課題だろうと思っています。

(大内) 金沢学会としての宣言をします。
 皆さんのお話を聞いていて、昨日の一番最初に福光さんから、熟成に失敗した酒を「ひねた酒」という話を聞いて、そういえばそんな言葉があったなと思いました。ただ、熟成という言葉をどのように捉えるかというのは、今日もいろいろと議論があったし、その中からそれぞれが考えなければならないのですが、発酵していく世界というのは、それぞれの蔵に付いた酵母菌のように、見えないもの、科学的にもよく分からないものが実は大きく作用していることは確かです。私も東京から見ていて、同じ夜の問題、あるいは人間中心のまちづくりの問題、あるいはAIをどのように金沢で導入していくか、とんでもないアーカイブというか、記録ができる社会になるようですが、多分それをやっても、金沢が元々持っている酵母の力が働いて、さすがに金沢でやるとこうなるのだというところを私は見てみたいし、そういう努力をしてみたい。ただ、それは科学的によく分かりません。分からないけれども、ここに流れる風土や歴史に根付いた何かがある。その何かというのは、科学的に証明しない方が面白いと思いますが、その味付けのような世界がこの金沢にあることを大切にしながら、ぜひ皆さんそれぞれのお立場で前に進んでいただけるとありがたいと改めて思った次第です。 今年の金沢学会は「熟成する金沢―文化都市を深める―」というテーマで2日間にわたり、皆さんのご協力の下で大変意義のある時間を過ごせたと思います。ありがとうございました。

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