第9回金沢学会

金沢学会2018 >第1セッション

セッション1

■セッション@ 「まちを熟成させる」 
都市は常に時の価値観や国内外の政策の流れに対応してきた。しかし金沢は自らの 営みの中に流れを作り込む数少ない内発型であり、それ故に江戸以来の多様性を有す る都市になっている。次の時代の波、人口減少、高齢化、経済停滞、AI の出現、血縁 地縁の薄まり、クルマ離れなどへの金沢的対応はどのような姿なのか、これからのま ちの熟成を考える。

コーディネーター:水野 一郎 氏(金沢工業大学教授)
パネリスト   :大内  浩 氏(芝浦工業大学名誉教授)
竹村 裕樹 氏(金沢学院大学教授、KG 都市研究所長)
田村  大 氏(株式会社リ・パブリック共同代表)

 

 











都市の熟成にとって指標となるもの

(水野) テーマは「まちを熟成させる」です。金沢の街を熟成させるまちづくりという意味で進めたいと思います。
 都市計画やまちづくりで、今まで「熟成」という言葉を一度も使ったことがないので、その辺を少し議論していきたいと思いますが、一般的に都市の熟成度、都市の完成度のような話になると出てくるのが「都市力」という指標です。都市力については主に今、人口動態が増えているとか減っていると言っています。増田(寛也)さんが提示した「消滅可能性都市」という形で、人口の問題が非常にクローズアップされています。もう一つよく出てくるのが経済指標です。1人当たりの全生産額や、1人当たりの所得など豊かさを測る指標があります。それから、最近流行っているのがランキングです。住みよさランキング、あるいは住みたい街、住みたい都市ランキングがあります。
 古くは「シビル・ミニマム」という言葉があり保育や高齢者福祉についてその都市でどれだけサービスができているか、あるいは交通事情はどうか、1人当たりの住宅面積はといったことです。時々出てくる子どもの学力などもあります。そういう整備基準のようなものができているかという話です。
 それから最近では環境で、SDGsがどれだけ達成されている都市なのか、都市の完成度も出てきています。それからCO2(二酸化炭素)などの環境問題もあります。あるいは安心・安全に住めるかどうかということがあります。エネルギーの問題では、「スマートシティ」という一つの基準があります。
 このように都市を測る基準がたくさん出てきています。でも、こういうものは量的水準なので、熟成といえるのかどうか、われわれは事前に話し合いました。そこで、熟成といえる指標を探すために、この創造都市会議で積み重ねてきたことを少し振り返りたいと思います。

(以下、スライド併用)

 一つは、金沢は歴史的地方創生のまちづくりを続けてきたということです。戦国期から始まり、江戸、明治、大正、昭和、平成と営みが重ねられているまちが並存しています。すなわち伝統と創造、保存と開発がテーマです。
 もう一つは、内発的まちづくりです。外力で金沢をつくり変えてきたのではなくて、市民力のようなものでつくり変えてきました。自立的な起業、改革を進めてきた内発です。行動する市民、サポートする行政というまちづくりを進めてきたということです。

 「文化のあるまちづくり」です。江戸時代以来、天下の書府、尊経閣文庫、百工比照をはじめ、美術工芸が多くあります。兼六園周辺を文化の森と言っていますが、金沢の都心は、公園と緑地と文化施設です。普通は経済力や行政力、政治力などを示した施設が都心に建つものですが、それと全く違った都市をつくっています。最後に創造都市ということも書いてあります。

 あと、忘れてはならないのが自然の恵みです。犀川、浅野川ともに源流から河口までが金沢市内です。そこには、山から中山間地域の里山、それからまち・農地・海浜といった良好な自然があって、おいしい水・土・空気・緑・海の恵みがあります。これを何とかして継続しなければならないということです。

 そこには多彩な営みが蓄積されています。ここに書いてあるように、工芸から教育・福祉あるいはデザイン・音楽・舞踊・文学を含めてかなり広い範囲のものが存在しています。これらが金沢を形成していることは皆さんよくご存じのことと思います。一つ一つのお店あるいは建物の姿が目に浮かびます。そこの商いや営みも目に浮かびます。そこの主人たちも、私はいろいろ目に浮かびます。一つ一つの家業的な、マイナーではあるけれども質の高いレベルのものがそろっていて金沢を支えていることは皆さんもよくご存じだと思います。

 金沢の文化都市としての内容に対して、新たな時代の風が吹いてきています。これは外力として考えていいと思います。人口の問題、経済の低成長、AI、IoT、それから地球環境の問題はさらに大きくなるでしょう。国際的に覇権を競っているグローバル化の世界はいやおうなくやってきます。一方で、金沢のコミュニティも、地縁が弱体化しています。金沢の成熟をどう向かわせるのかということも考えていきたいと思っています。
 今日は3人のパネリストから、最初に自分の考える熟成する都市、まち、特に金沢はどうだろうかというお話を頂き、その後討論に移ります。大内先生、竹村先生、田村さんの順でご披露をお願いします。

(大内) 水野先生のお話を受ける形で、金沢のまちづくりのおさらいをしてみたいと思います。私は、1980年代前半から金沢のまちづくりのお手伝いをしているのですが、エポックメーキングなことが1966年にありました。通称古都保存法です。法律ですから本当のタイトルはもっと長いのですが、国が、まちあるいは街区の広い都市の単位でまちを保存することに踏み出しました。それ以前も文化財保存のようなことはいろいろあったのですが、まちというレベルで保存することに踏み出したのが1966年です。
 ただし、古都ですから奈良・京都・鎌倉が対象であって、金沢はその対象にはなりませんでした。確かに飛鳥の奈良であり、平安の京都であり、鎌倉は先輩格ですから。江戸のまちはみんなここから外れたのです。金沢の人たちは「金沢は古都ではないのだ」と言われてしまったわけです。それなら金沢独自にやろうということで、金沢市伝統環境保存条例というものを全く独自に制定しました。これは非常に力強い動きで、これが基本になってその後、金沢市の基本方向として保存と開発をどう調和させるかということが市是となりました。ということは、山出保前市長がつい最近書いた本にも書かれています。
 1970年代は60万都市構想が出てきましたが、世の中では例えばテクノポリスが全盛、金沢はそんなに元気が良くなくて、そこから取り残されるのではないかと経済界の方たちは心配していました。さらに、金沢は駅西に新都心を展開するのですが、これは450haという非常に広大な面積です。
 そうこうするうちに、金沢のあちこちに、古い黒瓦や落ち着いた町並みにはちょっと違和感のあるような建物がぽつぽつと外部資本によって建てられ始めました。それで経済界の方たちは「これは確かに適法ではあるかもしれないけれど、ちょっと違うのではないか」と立ち上がり、金沢都市美文化賞が創設されました。これは今でも続いていて、何が悪いということではなく、優れたものを表彰していこう、金沢にふさわしい建造物やまちづくりを顕彰していこうということでやっています。
 さらに、1985年には香林坊、武蔵ヶ辻の再開発事業が完成し、都心の骨格が出来上がったのですが、金沢はこの時点ではそれほど元気のある状態ではありませんでした。しかし、冬の金沢はなかなか食べ物がおいしいということで、ちょうどグルメブームの第1期でもあったので、何とかしようということで「風土」と「フード」を掛けて「フードピア金沢」を始めました。これも今でも続いています。
 それから1988年には「JAPAN TENT」が始まりました。世界各国から日本各地に来ている若者や学生たちが日本文化の良さを知らないまま帰ってしまうのは非常に忍びないということで、学生たちを呼ぶのは大変なのですが、ホームステイ先を石川県全域で見つけて、学生たちを招待する形で今でも続いています。
 オーケストラアンサンブル金沢も1988年に設立されましたし、伝統工芸ということで1989年に市が卯辰山工芸工房を開設しました。
 さらに、1989年には駅東広場あるいは駅通り線の整備懇話会ができました。新幹線はこの時点では確定していなかったのですが、金沢駅は随分みすぼらしい状態であり駅から武蔵まで続く通りが不便でした。整備懇話会は水野先生もメンバーでいらしたのですが、そこで再開発の下地が作られ、徐々に始まったわけです。そして、もてなしドームや鼓門が実現しました。駅を降りていきなりバス乗り場やタクシー乗り場があるのではなく、雨の多い金沢のまちを意識できるようなおもてなしの空間が欲しいということでできたわけです。その後、本当に評判のいい駅になったことは皆さんご存じだと思います。
 それから1989年に、「金沢市における伝統環境の保存および美しい景観の形成に関する条例」が制定されました。これは、1968年の条例を改正して本格的なものにしたわけです。伝統環境保存地区の区域と近代的都市の景観を創出する区域を設定する仕組みに変えました。

 これは水野先生は懐かしいと思いますけれども、真ん中の奥にあるのは「金沢伝統工芸街構想」で、水野先生の大力作です。1981年に出ています。私はこれを本当に感心して読みました。また、左の画像は金沢経済同友会が30周年誌として出した『金沢からカナザワヘ』です。あるいは、少し後になりますが、経済同友会が金沢のまちにまつわるさまざまな文化等を分かりやすく解説した『石川県って、こんなとこ』という本が講談社から出されています。

 金沢青年会議所(JC)の方たちが金沢の将来について話が聞きたいという話がありました。ちょうどその頃、私は国のビジョンづくりをお手伝いしていました。日本は将来、環太平洋諸国と協力体制をつくらなければならないということで、それがその後APEC(アジア太平洋経済協力会議)になっていったのですが、日本は当時経済大国で世界に対して大きな影響を与えていました。しかし、経済のパワーだけでこの国をつくっていく時代はそろそろ卒業なのではないか、次に日本が力を入れるところは何かというと、文化立国論で文化に大きく投資していくべきではないかと考えました。例えばフランスやイタリアなど、世界の文化先進国といわれるような国に日本もなる資格がそろそろできているし、そのための努力をしなければならないということで、その話をしに来たのですが、結果的に経済界の方たちも納得していただきました。
 一つのヒントとしてはボストンです。私がボストンに2年間住んでいたこともあり、ボストンには立派な学者たちもいますが、アートの世界でも大変有名ですし、そして非常に過ごしやすいアメリカの中でも非常にユニークなまちで、例えば伝統的なものと現代的なものが融合されていたり、ヒューマンスケールを大事にしていたり、あるいはアメリカの精神を一生懸命大事にしていたりします。当時、国際性というと全てカタカナにしたり、英語表記にしたり、あるいは外国のまねをすることと誤解されている向きもあったのですが、むしろ日本的であることを重視することが実は国際性であるというコンセプトでまとめました。

 次の1990年代から、いよいよまちづくりのアイデアが実現していきました。金沢市は、こまちなみ保存、屋外広告物、用水の保全等に関する条例を続々と制定しました。金沢市内には延べ150kmほどの用水が流れていますが、それを暗渠にしたものをはがして、もう一度用水がきれいに流れるようにしたり、用水の保全、あるいは斜面緑地の保存。いったん郊外に住んだ方がまちなかにもう一度定住されるのであれば、市の方で補助するというもの。寺社等の風景保全。あるいは、歩けるまちづくり。美しい沿道景観。あるいは、夜間の景観。後で夜の話が出てきますが、何でもかんでも明るくするのが夜間の景観ではないはずです。陰翳礼讃ではないですが、ある程度しっとりとしたメリハリのある夜間景観を形成しようということです。あるいは、広見です。金沢の旧市街のそこここにちょっとした空き地があって、非常に優れた空間を形成しているのですが、それを保存活用するという条例です。
 全国の自治体の中でもこれほどたくさん条例を持っている自治体はありません。外部から来られる資本の方たちにすれば、やたらたくさんあって面倒くさいという不満も聞かれるようですが、金沢のまちの性格をよく表しているという意味で、私は有効ではないかと思います。
 そして、1995年に、金沢は世界に打って出ようということで世界都市構想が発表され、さらに大和紡績跡地に職人大学校が作られ、同時に市民芸術村がオープンしました。あるいは、eAT金沢という、金沢がデジタルアートの祭典を展開していくのも非常に新しい試みだったわけです。
 1999年に、金沢で「ふらっとバス」が走り始めました。佐々木先生がボローニャにおられて、ボローニャで走っていたのがヒントになったものです。また、1999年に、金沢城址から金沢大学の移転が完了し、菱櫓・五十間長屋・河北門・橋爪門・玉泉院丸庭園、そして今は鼠多門が工事中ですが、そういう整備に移っていきました。
 それから、旧町名の復活です。それぞれの古いまちの歴史的なものを町の人たちみんなでもう一度顧みようと、主計町から始まり、下石引町、木倉町、六枚町、並木町等、旧町名の復活が実現していきました。
 2001年からは東山地区、主計町、卯辰山山麓、寺町台などが重要伝統的建造物保存地区に指定されていきました。
 2003年に県庁が駅西に移転した跡地が、しいのき迎賓館と緑地公園に転換されました。
 それから、金沢21世紀美術館です。金沢のような歴史都市こそ現代美術館が欲しいということで、オープンして大成功に至ったのは皆さんよくご存じです。
 それから2005年から「金沢検定」が金沢経済同友会によってスタートしました。

 さらに、2009年にユネスコ創造都市ネットワークのクラフト分野に登録されました。2011年には鈴木大拙館が開設し、2012年に公共レンタサイクルの「まちのり」が始まりました。2015年には北陸新幹線が開業してたくさんの観光客が来られ、外部資本による建設も急増しました。そして、クリエーターが移住したり、オーバーツーリズムへの危惧という事態まで起きています。
 そして今年は東アジア文化都市2018金沢、さらに2020年には国立近代美術館工芸館が開設されるという足取りです。

 では、熟成しないまちとは何でしょうか。例えば、あまりに一つの企業に依存しているようなまち、例えば鉱山のまちや重化学工業だけに依存しているまち、あるいは一つの企業城下町などで熟成しないまま終わってしまっているまちは日本にもありますし、私はアメリカなどでたくさんこういうまちを見てきています。住宅、ニュータウンというのも、単一世代であったり、同一の家族構成であるために、高齢化とともにどんどん要らないまちになっています。一世代でまちが死んでしまうあまりにも早過ぎるまちも出てきます。渋谷などがそうではないかと思いますし、東京のベイエリアもちょっと心配していますが、多様性や複合機能性が欠如しているために、熟成しないまま命を終えるまちは結構あります。

 金沢は熟成できるか。保存と開発の調和や、歴史文化と現在・未来を求める道というのは間違っていないと思いますし、武士のまち、寺のまち、商人のまち、芸のまち、水のまちということも変えなくていいと思います。互いを競わせ、より高い技術を持つものを優遇する百工比照の考え方も守るべき精神だと思います。
 ただし、熟成に失敗する可能性もあるのです。上方と江戸の文化が加賀でゆっくりと溶け合い、熟成されたわけですし、雅を極める公家の文化に対して、加賀は質実剛健の武家文化です。江戸の粋というのは頑固でありながら、気品を重んじる美意識があったわけです。急激に外部資本が流入したり、観光客の増加がまちを壊していく可能性があります。住む・働く・学ぶ・遊ぶの機能が適度な距離でないと、まちは熟成しません。
 地縁や血縁に必ずしも頼れない。日本は社縁という縁もあると思いますが、それが弱くなってきているときに、友達との縁、あるいは趣味を一緒にする友達との縁を活用する社会形成をしなければいけないと思います。ネットやAIの社会は、人や社会が立ち止まることを容認しないことが私はちょっと恐ろしく感じています。
 最後ですが、慌てず、品格を重んじ、かつ新しさを探すのが金沢の取るべき、熟成に向かう道ではないかと考えました。

(水野) 戦後の復興、それから経済高度成長の時期は、工業出荷額がどれだけあるかが都市力の指標だったと思います。周りの多くの都市が工業出荷額を競っていましたが、金沢はそれをしなかったのです。だから、立ち後れ感が非常にあったのですが、経済が低成長になって日本人のある種の豊かさが達成されてくると、いろいろな工業が20年、30年で交代していき、都市がいいときと悪いときでかなりはっきりしているのですが、内発的な都市というのはそれが割と安定し、一定してきています。そんなところに文化が育つのではないかというのが大内先生の話でした。その間、戦後一つずつ、金沢はいろいろな営みを積み重ねてきて今に至っています。この方向は間違っていないのではないか、この先にどう熟成を見ていくかというご提案だったと思っています。続いて、竹村先生、お願いします。

(竹村) 都市計画の視点から、具体的な提言までアプローチしたいと思います。確かに都市計画では成熟までは言うのですが、「熟成」はあまり聞かれません。私なりには、都市が成長して、成熟して、その上で熟成が来るのかなと考えています。

 金沢の成長というと、ご存じのように高度経済成長期にどんどんまちが拡大して、人口も広がりました。この頃、インフラがスタートし、50年間で3.5倍ぐらいに広がっています。
 それが終わると、成熟のときです。昭和50年代から平成にかけて、都市のインフラ整備を進めています。まさに都心軸構想や外環状道路の整備です。金沢の骨格がちょうどできたかなという頃で、これが平成の終わりごろに大体完成しています。これが金沢の成熟だと思っています。
 ところが、人口も頭打ちになって減少します。そして、高齢化がどんどん進んでいき、そろそろターニングポイントに来ます。車もモータリゼーションでどんどん増えましたが、これがやはり頭打ちになっているところです。
 新幹線が3年前に開通しました。ここが一つの本格的熟成を考えるときではないか。確かに新幹線という新しい外部刺激に合わせて、ハード面での受け皿は整いました。ソフト面でも景観や伝統工芸などいろいろなところがレベルアップしました。

 特にインバウンド、外国人旅行者が増え、観光文化施設がどんどん増えています。ホテルの建設ラッシュも進んでいます。ところが、成長期にはドーナツ化現象が問題になりましたが、今の都市計画の中ではスポンジ化が非常に問題になっています。人口が減って施設がだんだんなくなってきたときに、そこに小さいスポンジの穴のようなものがどんどん空いてしまうということです。これも併せて課題を解決しないと、熟成の解決にならないのではないか。確かに光としては、まちの構造がきちんとしたり、あるいは区分けの論理できちんと新旧良くなりました。ところが、影の部分としては、まちなかの人口が減少し、高齢化が進行し、商店などもどんどん減りました。具体的に見ると、まちなかの人口は7万人から5万8000人に2割以上減っています。人口密度もますます減っている状況です。市街地はどんどん拡大して、その分、密度が半分ぐらいになっています。今、1ha当たり60人ぐらいです。
 高齢化は、武蔵周辺で大体30〜40%台で、一番高い所で58%です。60%近い所も出てきて高齢化が深刻になっている状況です。当然、人口ピラミッドのグラフも、壺どころか、縄文土器のような形になっています。
 その結果、まちなかのスポンジ化の状況として、小学校の統廃合がこの30年間に13校あったのが、減る予定のものも含め8校に減っています。地域コミュニティでは、公民館が頑張っていますが、地域活動もかなり危機に瀕しています。当然、空き家、空き地が増えています。コインパーキングも増えています。
 やはり熟成のためには、この影の克服が必要で、今度は影を逆手にとって、既存ストックの活用や転用がまず要るということです。もう一つは、体のように、成長して、成熟して、エイジングならいいのですが、老齢化していくところも結構出てきています。実際、インフラの老朽化が進み、更新するか、長寿命化を図るかという課題も出てきています。
 そこで、とにかく今不足している機能や、何をしなければならないかを考えたらどうかと。私なりの考えをお話ししますと、熟成に当たっての基本的な視座としては、都市・市民・交流の三つが特に大事なのではないかと考えています。
 一つ目の都市の熟成については、例えば都市格としては国際都市の度量を持ってほしい。それから、やはり人間優先で、まちなかに人と活気、交友できる空間が欲しい。もう一つは、地域と歴史に本物志向でこだわってほしい、アイデンティティを持ってほしい。やはり金沢の魅力というのは、歴史文化の厚みと奥行きの深さがやはり一番だと思います。やはり都市格をきちんと備えてほしい。

 国際的には、パリなどは国際コンペなどで世界中の知恵を入れています。ルーブルなども現代的に格好良くなっています。
 ドイツでは、歩行者天国ですごくにぎわう楽しい風景がまちなかに見られます。

 市民の熟成という点では、市民ファーストという観点で「いんぎらーっとした(ゆったりとした)」日常生活が求められます。観光客がものすごく増えて、もうちょっと平穏な生活をしたいというようなことです。安全・安心も含めて、もうちょっといんぎらーっとしたいという気持ちが市民としてもあると思いますが日常生活を回復できるかどうか。
 もう一つは、日常の生活文化です。非日常のいろいろな生活文化はあります。九谷焼、輪島塗、金沢漆器、友禅といったものが根付いていますが、こういうものをわれわれは日常でもっと醸成、ブラッシュアップしたらどうかということです。
 三つ目、一番大事なのが地域コミュニティの絆です何といっても強化しなければなりません。日常の活動だけでなく、非常時・災害時の共助のときにすごくパワーを発揮するので、市民も熟成するということです。
 交流については、多文化・多人種・多世代が共生することが重要です。価値観などが全然違うものですから、それをお互い理解した上で共生できることが交流として一番大事だと思います。これは市民同士もあれば、来訪者との交流もありますし、子どもから高齢者までの多世代など軸を超えた交流が大事だと思います。

 最後に、まちなかのスポンジ化、まちの醸成の処方箋を駆け足で巡っていきます。まず、公共的空間の暫定利用、空き家、空きビルなどを公共的施設に転用できないか。人間優先の道空間に再編できないか。もう一つはハード・ソフトという文化の2way作戦です。この四つをざくっと書いてみました。

 公共的空間の暫定利用では、やはりコインパーキングが多いので、これをストップさせる。再編・集約して、その中にまちなか広場などいろいろな交流の場を設けたらどうかということです。長町で和服のお嬢さんが歩いているのですが、横がコインパーキングに挟まれています。これは先週写したのですが、こういう風景がたまたま見られます。
 これは福井でコインパーキングを臨時的にカフェにできないかと実験したものです。ちょっとしたたまり空間ができないか。フランスではこういう広場に花などのいろいろな市を設けてにぎわいを創出している例があります。
 ただ、公共的空間を暫定利用するときに問題があります。やはり土地の所有とその上の利活用が大事で、これをぜひ上下分離方式にできないか。民有のまま民営にしてもいいし、民有のまま公営にしてもいいし、あるいは水道で問題になっていますが、コンセッション(公設民営)もあると思います。やはり所有者の税や利用者の用途などいろいろな面を緩和してあげることは法的にも大事です。
 さらには多目的活用で、災害や環境などの面でプラスアルファの付加価値が出てくると思います。

 提案2としては、空き家、空きビル、統廃合施設を公共的施設に転用できないかということです。要するに、既存ストックを活用してコンバージョンしたいということです。目的は都心居住やコミュニティやにぎわいというところです。
 統廃合の小学校や施設は今、公民館などいろいろなものになっていますが、大学は全部郊外に行ってますが、学生たちに「どんな施設が要るのか」と聞くと、若者が遊べるスペース、若者が自由に何かできるスペースと言う要望があるので、第二の芸術文化村のようなものができればいいのではないか。

 もう一つは、金沢町家のコンバージョンです。金沢町家はどんどん減り、年間270棟減っています。これは小松の例ですが、ある九谷焼のご夫婦がリノベーションして、大学生のシェアハウスにしています。それから、カフェやレストラン、あるいは居住スペースなどいろいろな例が考えられると思います。

 これはオランダですが、倉庫を住宅街にしたり、飯田では商店街をリノベーション、コンバージョンして、オープンテラスにしたり、カフェにしたり、コミュニティにしたり、いろいろやっています。

 もう一つは、人間優先の道空間にするということです。街路を交通空間だけでなく、交流空間にもしたい。これは前回、尾張町のケースですが、車線数を減らして、歩行空間を広げ、人間中心の道空間にコンバージョンできないか。沿道の空き地などを活用して滞留スペースを設けたり、沿道の建物についてもファサードを開放できないか。実は2000年に県と市で交通実験を行い、国道の香林坊―片町間をバス路線と歩行者天国にし、オープンカフェなどの実験をしました。

 香林坊の例ですが、シャッターでびしっと閉鎖的にするのではなく、ホテルでは外に向けたところにファサードを開放すると、内外の交流が出てプラスになるということです。

 最後にハードとソフトの2wayと書いていますが、文化の昼夜の二毛作のようなことです。昼は歴史的な施設、夜はコンサートがあったり、お座敷遊びやナイトカルチャー、あとは、山中の「ゆめ街道」があります。県の街路事業ですが、非常ににぎわっています。今後もAIやITが進むので、ますますこういうマルチウェイ化の工夫が大事だと思っています。

(水野) 竹村さんは都市計画の実務にずっと関わってこられたので、金沢の今の状況の中で、新しい時代の問題をまず最初に幾つも挙げていただきました。金沢も解決しなければならない問題を抱えていて、いろいろ提示されたことを皆さんも実感されているのではないかと思っています。
 それに対していろいろな提案がありました。にぎわいであったり、交流であったり、あるいは文化であったり、コンバージョンやリノベーションであったり、あるいは歩ける道のような話もありました。いろいろなことで一つ一つ積み重ねていったという先ほどの大内先生の報告と同じように、これから先も一つ一つ積み重ねていったらいいのではないかということで20以上の提案を頂いたのではないかと思っています。
 私たち3人は、まちづくりのことを自分で日常にしている者ですが、田村さんは全く違って、システムデザイン、ソーシャルデザインなど、いろいろな形で社会のイノベーションを提案しておられます。よろしくお願いします。

(田村) 昨年、「趣都フォーラム」にお招きいただいたご縁からこういう機会を頂いたと思っています。北陸先端大の客員教授も務めており、金沢や石川とのご縁もあることをうれしく思っています。
 今日の第3部でお話しされる松岡さんと同じく、私は今、福岡に住んでいます。先ほど大内先生の方から「熟成しないまち」という話がありました。福岡はいつも「九州初上陸」を売り物にしていて、外力をかなりてこにして発展してきているまちだと思っているので、随分違うまちづくりのポリシーというか、そういう対比のようなものを感じるいい機会だと思っています。私自身のバックグラウンドがコンピューターサイエンスということもあって、スマートシティがコンピューター技術を使ったまちづくりということで最近話題になっていますが、そのスマートシティからエイブルシティへというテーマで少しお話しできたらと思っています。

 私は、リ・パブリックという会社を経営しています。リ・パブリックは、一言で「イノベーションの建築家」と自分たちを呼んでいます。要するに、イノベーションが持続的に起こり続けるような環境をデザインし実際につくり出していくようなことをしています。
 日本のいろいろな自治体や大学あるいは企業と一緒に、ある種オープンな環境で、いろいろなステークホルダーが集まって実際に関わっていけるようなプロジェクトを実施しています。特に北陸では、福井市と2016年から3年にわたっていろいろな取り組みをしています。
 今年は特に、福井市と一緒に「XSCHOOL」「XSTUDIO」という取り組みをしています。これは、地元福井の人材と東京や大阪といった大都市圏の人材が一緒になって、地域の魅力をつくり出していく取り組みです。
 特に「XSTUDIO」というプログラムは、福井の繊維産業を核に置いて、幾つかスタジオを持ち、このスタジオに都市圏のスタジオリーダーと福井ローカルのスタジオリーダーの2人が立って、ここにいろいろな地域の人々、都市の人々が関わりながら新しいプロジェクトを生み出しています。
 例えば「STUDIO A」は、エレファンテックというテクノロジーのスタートアップをやっている東京の会社の杉本雅明さんがスタジオリーダーを務めています。「STUDIO B」はウェブデザイナー、ウェブアーティストの萩原俊矢さん、「STUDIO C」はプロダクトデザイナーの吉行良平さんがスタジオリーダーを務めていて、それぞれ全く違うアプローチで福井の繊維産業と関わりながら新しい事業をつくっています。

 これまで「XSCHOOL」「XSTUDIO」から生み出されたものとしては、例えば暦というものが生活の中からなくなっていることから、暦とスケジュールの違いに焦点を当てて、子どもたちが毎日の探検に使える日めくりカレンダーのようなものを作りました。これは夏バージョンで、去年クラウドファンディングで出してかなり好評を得ました。

 これは福井駅と金沢駅で売り出されているのですが、「越前朝倉物語」という駅弁で、特にインバウンドの方たちが安心して食べられるような食の情報化のような取り組みです。

 それから、福井の絵巻物を使った味噌を、地元の老舗と一緒に作ったりした実績があります。

 私自身は、計算機科学者としてコンピューターの論文を書いたのは10年ぐらい前なので、今は計算機科学者とは言えないのですが、2004年にスーパーマーケットを情報空間としてどう構築していくかというプロジェクトを富士通研究所と一緒にやり実際に運用したりました。
 実際に店頭に持ち込み、お客さんの今までの購買履歴や今のロケーションなどに基づいて「こういうものはどうですか」とリコメンデーションし「どうですか」と聞いてみると、大体一様に「ちょっと面白いけど、これは使わんね」と言われます。「どうしてですか」と聞くと、こういうものを使って便利になるということを別に求めていないし、特に自分たちがお店の中で商品を手に取りながら楽しむところに買い物の面白さがあるので、それをわざわざ情報を通じて出してもらう必要はないという反応を頂くことがとても多かったです。
 私自身がコンピューターとの関わり方にすごく大きなショックを受け、実際に何かできる、便利になる、快適になるということを提示することで、お客さんの行動が変わっていく、人間の習慣が変わっていくのはなかなか難しいと思いました。それこそ先ほどの内発的という話と外力という話でいくと、外力によって人間の行動が変わるのか?というところと結構つながってくると思っています。

 例えば、福岡市が今すごく力を入れている「FUKUOKA Smart EAST」は、私自身も九州大学の教員として多少なりとも関わっているのですが、九州大学の跡地である福岡の箱崎地区に新しいテクノロジーのまちをつくる動きです。ここでスマートシティの一つのコンセプト、いろいろなテクノロジーによって人間がどういう快適な暮らしができるのか、便利なのか、安全なのか、安心なのかというあたりに焦点があるのですが、これが先ほど申し上げたようなスーパーマーケットの話とかぶってくるのです。
 安全で快適で便利で安心な暮らしが本当に人間の生活を幸せにするのかとか、より良い文化を築いていくのか、人間の生活環境を豊かにしていくのかということに対して、ちょっと疑問があるのです。

 スマートシティに関して、ある意味スマートシティを先駆けながら変わっていったまちの事例として、バルセロナの話を皆さんに話題提供できたらと思います。

 バルセロナはスマートシティとしては世界で最も先駆的に取り組んでいたまちの一つです。特に、これはポブレノウ地区という元工業地帯です。工業地区で「22@」というプロジェクトを立ち上げて、ここをバルセロナのスマートシティ化構想を進めていく場所として、産官学が協力し合いながら、いろいろな活動や実証実験などをしていました。
 これを進めていく中で、スマートシティというものが、技術の実証実験にはなるのですが、本当に人間の生活に対して何かもたらすのかということについては批判的な声がかなり上がってきました。

 そこで、新しいスマートシティの、ある種ポストスマートシティ的な政策を打ち出すときに、その中心になっていったのがバルセロナエコロジアです。日本語に訳すとバルセロナ都市生態学庁で、半官半民の都市政策のシンクタンクです。ここが中心になって、いろいろなポストスマートシティの政策をつくっていきました。
 昨今かなり有名になってきているのですが、スーパーブロックスという取り組みが既に始まっています。これはポブレノウから始まったのですが、今までバルセロナは碁盤目状の都市でしたが、まさに先ほど竹村先生がおっしゃっていた人間優先の道空間をつくっていくために、碁盤目状の九つのブロックを一つにまとめました。

 結果的に、真ん中にある緑色になっている道の部分が1車線になったり、あるいは時速10キロ以下でしか走れない所になり、基本的にここを車が通行できないようにしました。結果的にこの空間は人が優先される、あるいは歩くというまちになっていきます。
 これは市民からは非常に不評だったそうです。交通渋滞が多くなりますし、どうなのだろうという話がかなり上がりました。しかし、これはどういう効果を狙ったかというと、道路を車が走る場所から、市民の場所に変えていこうとしたのです。左側はまさに車が走る場所、いわゆる都市を輸送の一つのシステムとして捉えているのですが、車が走るポイントを減らしていくことによって、まちの中の多様性を高めていこうとしています。

 実際にこれはポブレノウの地区で実施されて、例えば公園が増えたり、カフェができたり、まさに先ほど大内先生がおっしゃっていたようなことが起こっていくきっかけになりました。結果的に面白かったのが、これは評価が分かれるところですが、ある種のジェントリフィケーション(再開発による居住地域の高級化)が進んで、ポブレノウや他にも幾つかスーパーブロックスが始まっている所の地価が上がったという話もあるそうです。

 これは、シミュレーションでバルセロナの都市生態学庁が出していたものです。道がバルセロナの都市の中で912km、広さにして1483.6haあったものが、全域にスーパーブロックスを入れることによって、道の長さが355km、つまり61%減になりました。道の面積が815haで、マイナス45%になりました。逆に、都市の中で人間が中心になっている公共空間が15.8%、230haだったのが、スーパーブロックスを入れることで67.2%、852haになりました。人が使える公共スペースが270%増えたという試算になっているそうです。
 まだ全体にスーパーブロックスが広がっていなくて、一部で始まっているもので、特にまちなか空間を中心にして進んでいるそうです。これを郊外に向けても広げていく計画で、都市生態学庁とバルセロナ市が一緒になって進めているそうです。

 都市生態学庁の一つの都市の成熟の指標になるのではないかというものをちょっとお持ちしました。これはスペイン語で分かりづらくて申し訳ないのですが、下のHというところがコンプレキシティ、つまりまちの複雑性や多様性を表す指標です。上の分子のEがエネルギア、要するにこれによって使われるエネルギー量です。普通、多様性が上がっていくと、エネルギーの使用量は上がっていきます。つまり、まちに人が出たり、車がいろいろ走り回ったりすることでコンプレキシティが上がっていくと、当然それに使われるエネルギー量も増えていきます。バルセロナ市と都市生態学庁の目論見としては、この数字を少なくしていくということです。つまり、エネルギー量を下げながらもコンプレキシティを増やしていくことによって、まちを人中心にしていこうということで、基本的にどうやってE/Hの数字を下げていくのかということに取り組んでいます。これはちょっと面白い視点だと思ったので、今日このインデックスをお持ちしました。

 もう一つのバルセロナの立役者が、IAACという新しい先端建築大学院です。IAACのユニークなところは、ファブラボというデジタル工作の工房が備えられていることです。世界のファブラボの中で最も重要なものの一つが、このIAACが持っているファブラボ・バルセロナというものです。
 そのファブラボ・バルセロナから始まったものに、ファブシティイニシアチブというものがあります。これは2014年にファブラボ・バルセロナが中心になって、第10回世界ファブラボ会議(FAB10)というものがバルセロナで開催されたのですが、そこでファブシティをつくっていこうということになりました。つまり、自分たちでものづくりができるようなまちをつくっていこうということで、人口1万人に一つのファブラボをつくっていくのです。
 結果、自分たちで自分たちの生活に必要なものをつくることができることになり、ここのスローガンは「Globally connected, Locally productive」要するにデジタル化されている知識を自分たちも出し、どんどん外からも取り入れていこうとしています。同時に、自分たちの手で地域の中で必要なものは地域の中でつくっていく循環系を生み出していこうということです。結果的に情報量が増えるのですが、ものが必ずしもそれに伴って増えるわけではありません。つまり、先ほどのコンプレキシティを下げていく方向で、なるべく地域の中でものの循環を回し、グローバルの知恵を生かしていく、デジタル技術を使っていこうというところが非常に面白い取り組みなのではないかと思っています。

 この辺がいろいろ重層的に絡みながら、バルセロナの新しいデジタル時代における都市の熟成が進んでいます。そういうところが、単純にデジタルの力、テクノロジーの力がまちの機能性を上げていくだけではなくて、人間がそこで可能性を高めていき、一人一人の生活を自分たちでつくれる範囲を高めていくという意味合いで、スマートシティから、技術が人間の可能性を高めるエイブルシティへと変わっていっています。 都市の知性を技術から人間へということで、技術の力を人間の力に取り戻して、これが都市の豊かさを高めていく一つのきっかけになるのではないかと思い、今日お話ししました。

(水野) デジタル化が人間の可能性を高める、都市の魅力を高めるという、私などから見ると少し飛躍もあってなかなか理解し難いところもあるのですが、バルセロナについてはこの創造都市会議でも過去に取り上げたことがあります。観光客が増え過ぎてバルセロナが困っていることに対して、ホテルを制限したり、いろいろ行うプロジェクトです。それから、スラムクリアランスに文化施設を投入して都心を変えていくようなバルセロナの報告を、この会議でも頂いたことがあります。今、スマートシティというデジタル技術による新しい発想について聞きました。

(大内) 確かに私たちはさまざまなデジタル情報によって、リソースも増えて、そして過去もそうですし、現在もグローバルに、あるいは歴史をさかのぼるという意味でもものすごく選択肢が増えています。ある意味、人間というのは選択肢が増え過ぎると、逆に私などは思考停止して、あまりに多いからそこでパニックに陥ってしまいます。
 それに対して、例えば私が日常的に携帯やPC上でどういう行動をしているかということ、例えばネットを通じてコンピューター側が学習し、たくさんあるネット情報の中から「あなただったらこれはどうですか」と勧めてくれる時代です。そういう意味では大変親切だと思いながら、私などは逆にあまのじゃくだから、そういう親切さで勧められたらそれを選びません。つまり、向こう側のお勧め品ということは、もうそこには新しさもないし、私が情報ソース側から「これがあなたへのお勧め品です」と言われたものを選んだら、多分私は失望するに決まっています。私はそれを選択肢から外す行動を取ります。しかし、世の中のかなり多くの方たちはそういう選択肢を素直に受け止めて、非常にいい情報、例えば都市の中であればこういう都市計画をしてはどうですかと言ってきた場合にそういう選択をするのだと思います。
 実は人間の中には、例えばコンサルタントの情報や都市計画のアドバイスやCC(クリエーティブコモンズ)と同等のアドバイスを提供してもらって、非常に素直に従ってくれる方と、私のようにそれとは逆に考える人がいると思うのですが、そういう場合はどうされているのですか。

(田村) デジタル化の一つのメリットであり問題点であるのは、フラット化を極限まで進めてしまうことだと思っています。例えば何かを買うときに、金沢のものを買うか、あるいは日本のどこでもいいのですが、九州のものを買うか、北海道のものを買うか、場合によっては外国から取り寄せることが同じようにできてしまうというのが、ネット社会が持っているある種の利便性だと思います。しかし、これが何を起こしてしまうかというと、先ほど竹村先生がおっしゃっていたスポンジ化に例えて言うならば、産業や文化のスポンジ化を進めてしまうということ。つまり、地域にあるもので、地域の中で賄える可能性があるものをスキップしてしまい、別に意識せずに東京にあるものや他の地域にあるものを使うことになるだろうと思います。
 例えばバルセロナがそこにちょっと釘を刺していてちょっと面白いと思ったのは、知恵として海外にあるもの、他地域にあるものはどんどん使いますが、地域の中で循環できるものはできる限り地域のものを使っていこうということです。そこに線引きをしたところが面白いと思うのです。自分の手によって、何かしら自分たちの生活に活用できるものを率先して作るためのカルチャーを生み出そう、そしてそのためのデジタル技術としてのものづくり技術を生かしていこうとしているのが一つのポイントではないかと思います。
 意識的に自分たちの生活、自分たちにとって引き継いできている内発的なものをどうやって進めていくかというときに、その武器としてデジタルを使っていくことに着目することは、実は自分たちの引き継いできているもの、自分たちにとって大事なものをデジタルの力のサポートをもらいながら、今の生活の中により良い形でバージョンアップしていくことになると考えています。

(水野) 内発的というのは市民一人一人の中にストックされているので、非常にマイナーなのです。その代わり、多様性があって、逆に言うと多様性でマイナーであるが故に、AI時代に割とふさわしいテーマになり得ます。AIでコントロールできるというか、ある程度概要が見えてくるという時代になったと思います。
 外力というのは国家的プロジェクトであったり、大企業進出であったりして割と単純なので、データ的にはそれほど複雑ではなく、多様性もありません。日本中のほとんどの都市がそうです。それに対して内発的都市は、先ほどからおっしゃっているように多様でしかも複雑です。だから、デジタルの社会に逆に合ってくるということがあるのでしょうか。

(田村) 多分そうだと思います。結局、自分たちが持っているものは何だろうと考えると、有形無形のものがあって、有形のものが生活を進めていく上で結構大事です。それは食べ物だったり、素材だったりすると思います。
 熊本の南小国町に行ったときです。林業の町なのですが、そこで生活している人たちが、実は小国の杉で作った家に住んでいなかったり、あるいは小国の杉を使った工芸品に触れていなかったりすることが非常に多いのです。それは、物流として回ってくるようなサプライチェーンが構成されていないからだというところに一つのポイントがあったのではないかと思います。これは実は、内的なものが社会システムや産業システムの「効率性」によって何かスポイルされるような状況が生じているのではないかと思っています。これは実は、人間が今まで営んできた都市の中での文化だったり、人間関係だったり、いわゆる社会資本のようなものがうまく反映されていないような社会システムになっています。
 そうだとすると、例えば自分の手元に杉がたくさんあって、たくさんある杉を自分たちの生活の中に経済効率を優先してわざわざ外で回すのではなくて、ダイレクトに自分たちの手で使うという方向に行くのが単純にいいのではないのかという話ができるようになったことが一つのポイントだと思います。

(水野) なかなか面白い話ですね。竹村さん、近代都市計画というのもある意味では、国が決めて全ての都市を平等に扱おうとしました。地域から見れば外力に近い存在です。ですから、金沢のまちはいろいろな機能、生産も流通も居住も文化もみんな一緒くたに混在している都市なのです。それを用途別に分けたり、車社会に合った都市計画道路でまちの骨格をつくったり、あるいは不燃化して木造はやめたり、戦後そういうことに対して従ってきました。しかし、竹村さんが先ほど話したものは違っていて、その地域に根差して地域のテーマを見つめていくと、非常にきめ細かなまちづくりが必要になっていて、今までの都市計画を作ってきた劣等生の金沢にとっては、そのことが逆にハッピーだったと思うほど、新しい時代に対応できそうな感じがしているのです。

(竹村) 今のスマートシティの話を聞いていて、今までの都市計画というのはアナログ的に来ています。例えば金沢でいうと、道路の決定というのは昭和5年(1930年)で、この前やっとできた道もあるわけです。これまでの都市計画は百年の計などと言って、ここは道路だ、ここは公園だ、これはこうだというかなり頑固に上意下達的にやってきたわけです。今、スポンジ化を見てみると、ではスポンジの穴をどうするかとなったときに、そういう硬直的なことはできないわけです。かなり柔軟というか、暫定的にこういうふうにやろうよとか、あるいはこれは将来の事業の種地に残しておこうよとか、当分は広場やゆとり空間にしたらどうかなど、今までになかった都市計画の発想が必要なのではないかと思います。
 都市計画そのものが、今まで人口がずっと増えていたときに立てられたものが、今度は人口減少という歴史上で初めての経験をしています。あと、いろいろフレキシブルに考えなければならないのは、今までは昼の都市計画しか考えていなかったのが、やはり夜もしっかり考えていこうということです。昔、石川栄耀さんが言ったような夜の都市計画のような話です。かなり学際的に、これまでの都市計画の発想を超えていくわけです。地域ごとのきめ細かな、トップダウンではなくボトムアップ的な要素がかなり出てくると思います。今のAIやITをいかにうまく都市計画に使いこなすかが重要だと感じました。

(水野) 時間も迫ってきましたが、3人の方から共通に出ていたのが、人にやさしい、車中心ではないまちづくりというテーマです。大内先生、私と竹村さんで一緒になって2カ月ほど前に尾張町計画というものを立てたときに、まだ進行途中の尾張町の車中心社会の都市計画をやめてしまって、人間中心に置き換えたらいいのではないかとか、金沢らしい木造のまちをつくったらどうだという提案をしたのですが、そのときお聞きになっていていかがでしたか。

(大内) そもそも金沢のまちができたときに車はなかったわけです。私は金沢に来るたびに、金沢を経験したことのない東京の人や外国人を必ずここへ連れて来ています。そして、取りあえず金沢の歴史と地図をお渡ししてから、「どこに行きたい?」と聞いています。そして、必ず歩くのです。ぱっと見ただけで、これは歩けるまちだということを完全に地図上から読み取ることができるし、降り立った時点でこれは十分歩ける距離だと分かります。30分ぐらい歩けばお城の先まで行ってしまいますし、犀川のほとりに行けるわけです。歩くことによって、はるかにたくさんの情報を得られます。自転車でもいいのですが、そういうレベルで動くことによって得られるものはものすごくたくさんあります。
 尾張町界隈は、今でも底地は自前で、金沢の方が持っていらっしゃるし、建物も自前で持っていらっしゃる方が金沢の中では非常にまれなくらい多い所です。元々歩いて暮らし、隣近所と付き合いながら歩いて熟成してきたまちの良さをぜひもう一度具体的に、それは何なのかを尾張町界隈でひも解いてみることができると思います。 今回、私たちは都市計画的に、とにかく今の4車線の道路を3車線ぐらいにして、もう少し歩道空間などをいろいろ使い勝手のいいものにしたらどうかという大変いい提案をし、これはぜひ市、県、あるいは国でも検討していただきたいと思います。そうすることによって、今のさまざまな接点が増えてきます。多分、そこから考えるヒントを得られて、尾張町の方たちが自らやる部分、あるいは私たちがそれを応援していくことを実証していけば、多分実現できると。そんなに急ぐ必要はないけれども、それほど時間があるわけでもないということは心得ないといけないと思っています。

(水野) 尾張町をモデルとした場合、先ほど田村さんから、バルセロナ全体のマップの話がありました。そこまで広げていって、都市構造を将来再編することもあろうかと思います。
 最初に大内先生から報告がありましたように、金沢が日本で最初の伝統環境保存条例を作って以来、伝統と創造、保存と開発という両面のまちづくりを進めてきました。これが成功したといっていいのでしょうか、新幹線時代を迎えて、まちとしては非常に評判のいいまちになったわけです。
 一方、竹村さんの報告にありましたように、内部ではいろいろな問題を抱えています。そういうものも一つ一つ解決していかなければなりません。都市として熟成させるまちづくりを進めるに当たって、30年、50年先の大きなテーマを作るのも非常に大事ですが、それに逆に縛られる怖さもあります。刻々と状態は変化するわけです。そんな中で、今までの金沢の歴史を見ると、やはり目先のことをきちんとわれわれ自身で解決してきているという歴史が、私は非常に強いと思っています。
 その基本的な方向が外力ではなくて、内発力、自分たちで決めてきています。都市美文化賞も伝統的環境保存条例も市民の意見からスタートしてきています。そんなことも含めて、市民力を期待しながら一つ一つ積み上げていくときに、いつもわれわれは歴史を振り返ったり、30年後、50年後を想像力を発揮して考えてみたりしながら、一つ一つ決めていくことが必要ではないかと、今日のお三方のレポートを見ながら感じました。
 その一つが、先々月行った尾張町計画なのかもしれません。熟成させる到達点はこれだと見えるわけではないのですが、今までたどってきた歴史の延長線上に持っていき、そしてわれわれ市民自身、あるいは行政も含めてつくっていく、外からの力ではなくて内発力で進めていくことは非常に大事だと思っています。
 AI時代、デジタル化時代を含めて、複雑な解を解く技術も活用しながら進めていきたいと思っています。









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