第8回金沢学会

金沢学会2016 >第2セッション

セッション2

■第2セッション
「KOGEIの世界展開―石川・金沢を拠点に― 」


●コーディネーター
水野 一郎氏(金沢工業大学教授)
●パネリスト   
林田 英樹氏(日本工芸会理事長/The Creation of Japan代表理事/元文化庁長官)
外舘 和子氏(工芸評論家)
久世 建二氏(陶造形作家/前金沢美術工芸大学学長)
活動報告    
●志甫 雅人氏(石川県デザインセンター事務局長)

工芸館の誘致から、新たなKOGEIのステージを

(水野) それでは早速、セッションAを始めたいと思います。全体のテーマが「金沢ネクスト・ステージ」でございます。セッションAのテーマは「KOGEIの世界展開―石川・金沢を拠点に―」となっていますが、これもやはりネクスト・ステージというふうに考えていいのではないかと思っています。
 石川県あるいは金沢といいますと、伝統工芸が大変盛んです。しかもその中で、伝統産業としての産地形成があちこちにあります。石川県は現在、36品目を伝統産業として認定しております。その中で、経済産業大臣指定の伝統的工芸品が10品目あります。加賀友禅、九谷焼、輪島塗、山中漆器、金沢箔、七尾仏壇などです。このように、伝統産業としての工芸力をこの県土は有しております。
 一方、美術工芸も盛んです。歴史的に見ましても百工比照がありました。大変有名な加賀藩細工所がありまして、伝統産業から美術工芸へレベルアップする作業がずっと行われてきました。その成果でしょうか、例えば日展や日本伝統工芸展になりますと、入賞作家数が大変多い歴史を持っております。現在もその力を有しております。しかも人間国宝あるいは文化勲章、芸術院会員といった数もかなり多いところです。また、その市場(しじょう)というのか、市場(いちば)というか、骨董店、伝統工芸品店、あるいは美術クラブを含め、市場も成立しております。そのような金沢でございます。
 一方、現代工芸も非常に元気です。金沢美術工芸大学あるいは卯辰山工芸工房を出た現代工芸の作家たちが、あちこちで活躍を始めております。21世紀美術館もその刺激に非常に貢献しておりまして、21世紀美術館そのものも工芸を近代美術や現代美術の中に位置付けて、未来工芸展覧会などを企画されて世界を巡回しております。
 今日リポーターとして来ていただいています志甫さんの方からも後ほどお話いただきますが、石川県が国際漆展、あるいは国際ガラス展を過去9回ずつ、10回以上ですか、開いてきており、30年近い実績があります。このようにして現代工芸についても非常に努力しております。
 しかし去年から、国立工芸館が金沢へ来るという移転話が起こりました。そうしてみますと、われわれは今までは金沢や石川を視点に置いて、工芸をどうすれば元気になるかをずっと考えてまいりましたが、国立工芸館がここへ来るとなると、金沢は日本のレベルで工芸をどう考えたらいいのか、あるいは世界の中で工芸をどう位置付けたらいいのだろうかというネクスト・ステージに入ったというふうに言っていいのではないかと思っております。
 すなわち、地元中心の工芸から、日本のための工芸、あるいは世界へ羽ばたく工芸というステージに変わってきたというふうに思っております。このステージの変わり目をどう考えるかというのが、実は今日のテーマです。
 先ほど福光さんの方からも、その辺については別の視点からお話しいただいたかと思いますけれども、そのようにして金沢の役割の変化、あるいは金沢に期待されていること、あるいは金沢がやらなければいけないことも含めて考えていきたいと思うのですが、やることは多分10項目、20項目とたくさんあろうかと思います。そこで、少し視点を絞りたいと思いまして、国際化に視点を絞って少しネクスト・ステージを考えてみたいと思います。
 国際的なアートシーンの中で、日本の工芸がどのような役割を果たすのか、あるいは国際的な工芸のために日本の金沢で何ができるのかというようなことも含めて、この会議は創造都市会議ですので、ユネスコに認定されたクラフト部門のものです。その意味からも、国際的な役割が加わってきたというふうに言っていいのではないかと思っております。
 そのネクスト・ステージのために、今日3名のパネラーの方をお呼びしております。それぞれ非常に個性的です。久世先生は作家ですし、元美大の学長でもあります。外舘さんは工芸評論であったり、あるいは美術館の学芸員として全国的に活躍されております。それから林田さんは、元文化庁におられまして、先ほどちょっと謝りましたけれど日本工芸会ですね。今日のパンフレットには日本工芸協会と書いてあったようでございますが、日本工芸会でございます。その理事長でありますし、国立新美術館の館長も5年前に退任されましたが、務めておられました。そのような意味で、広い視点から工芸についてお話しいただけたらと思っております。
 それでは早速、久世先生、外舘さん、林田さんの順序で、できましたら1人15分以内ぐらいでご意見を頂きたいと思います。久世先生、お願いします。

(久世) 皆さん、こういういい会にお呼びいただきまして、本当にありがとうございます。ここしばらく職を離れて、自分のアトリエにこもっておりまして、人様の前でしゃべると言葉がなかなか出てこなくて困ることがあります。ものづくりの徒でありますので、そうしゃべらなくても、物をお見せすれば分かってもらえるだろうということで長年続けておりました。今日は自己宣伝に参りましたので、まず作品を見てやってください。
 ただし、その前提として、少し私の生い立ちのようなものの関わりが随分濃いので、その辺を5分ほどお話しして、後ほど映像を見ながら合計15分、30分まで延ばさないというやり方でやっていきたいと思います。
(以下、スライド併用)
 私は1945年に福井県の芦原温泉で生まれています。父親は2代目のいわゆる窯焼き、茶碗屋のおやじでもありました。初代は明治末から大正初めに芦原温泉が湧いたときに、金沢の県立工業の日本画の教師をしておりまして、板谷波山などと同期で教員をしておりました。南画風の絵をよく描いておりました。それが温泉土産のようなものを作ろうというので、いろいろ県立工業の内紛に巻き込まれたという話もあるのですが、福井の方に移動して窯を築きました。
 私が子どもの頃には既に大きい登り窯がありまして、袋が五つありました。大体2昼夜ぶっ通しで、ようやくその五つの窯が焼けて、まきでいうと1500束を焼くという窯でありました。職人さんが5〜6人いて、ろくろをする人などがいて、土作りから成形まで全てをやっていたわけですけれども、それなりの専門家がそこに集って、割烹食器や茶道具を作っておりました。
 そういうところで育ったものですから、土が目の前にあるのは当たり前のことでありまして、戦後の生まれなのですが、特に昭和20年代などというのは子どもは家で手伝うのが当たり前ですから、高等学校に行く頃、大学進学直前ぐらいには、職人さんと並んで仕事をしておりました。ろくろも引きますし、釉薬の調合もしましたし、いろいろな雑多な仕事を手伝っておりました。
 それで、九つ上の兄がおりまして、跡継ぎでありました。福井から県立工業の窯業科へ進学して、後に美大の陶磁科に行って、北出塔次郎さんに指導されて、卒業してすぐ家に帰ってきて跡を継いだわけであります。3代目になるわけです。そういう中で育っていって、私は親から「兄貴と同じ仕事をするな」と子どもの頃からよく言われていました。男兄弟が3人いたのですけれども、私は真ん中でありまして、商売でいろいろ苦労している親たちからは、「次男坊は違うことをやりなさい」というようなことを言われました。
 もともとは建築志望だったのですが、近くにそういう大学がなかなかなくて、いろいろ調べてみると、国公立でなければいけないと言われまして、金沢美大にデザインの専攻があるので、兄も専攻は違いましたが同じ大学を出たものですから、工業デザインだったらインテリア関連の仕事もあるだろうということで、そこを受験し、工業デザインを専攻することになりました。
 その間、デザインとなると、当然のようにドイツのバウハウスの教えが基礎教育の中にあるわけです。これは、基礎教育の中にいろいろな造形的な美術の表現要素がちりばめられていて、そこを過ぎてから徐々に建築に進んでいき、最終的な到達点は建築家になるのですが、そういう教育制度の中で学びました。その影響によって、後々美術教育に携わること、それからクリエイティブなものづくりを終生続けていくのだという基本を植え付けられました。
 その後、1968年に卒業しているのですが、愛知県立瀬戸窯業高等学校に参りました。瀬戸は焼き物の町ですので、窯業の中でも特にデザインを指導してほしいということでした。そこで教員をしながら、バウハウスの先生たちを思い出すのです。パウル・クレーやワシリー・カンディンスキー、モホリ・ナギなど、建築家はいろいろな人たちがそろっていました。そういう人たちは、現場で自分で仕事をしながら教育をしていました。やはりそういうところで指導する場合は、私も作り続ける必要があるだろう、常にクリエイティブな制作風景を生徒に見せ続ける必要があるだろうということがきっかけで、作り出したわけです。
 まず私は、幼い頃から見続けていた実に伝統的な焼き物や器の世界から離れようとしました。祖父に始まって兄のところまで、いろいろなものを間近に見せつけられていて、当たり前の器、当たり前の表現というふうにくみ取っていました。もちろん、今でいう魯山人調のものや、京風のものや、伊万里のような磁器ではなくて陶器、土物といいますが、そういうものが日常の中にあったものですから、そこから脱出して違うものを作ろうとしました。それは、デザインの教育を受けているものですから、新しいアイデアを生み出すアイデアデベロップメントのような授業もありましたので、それを応用して早速オブジェを作り出しました。
 1960年代というと、アメリカから抽象表現主義やポップアートが日本に上陸してきた時代であります。特にアメリカの西海岸辺りから、いわゆるジャンクアートのようなもの、ファンキーアートなどというものがありました。ファンキーとは、くだらないとか、冗談だというような表現ですけれども、そういうジャンクアートといえば廃棄物、簡単にいうとごみを集めてアートの作品を作るようなものでありました。そういう影響がありました。
 ポップアートというのはポピュラーアートですから、俗にまちにあふれている商品がモチーフになり、それがそのまま題材として表現されていきます。そういう影響が初期の頃、1960年代後半の作品に表れてきます。
 左側の器二つは直径50cm以上もある大きな鉢です。瀬戸へ行った途端に見せつけられたのが、ろくろの名人たちの仕事でした。巨大なガーデンウエアのようなものを作っていました。どこへ行っても、ろくろの回転体で作っていました。それを早速、写しといいますか、僕もろくろを引けますよという調子で見せたのがこういう表現であります。ただ、そこに加飾としたのは、上の鉢の場合は織部といいます。桃山の頃から盛んに使われていた釉薬でありますが、そういうものをかけて瀬戸の人たちにどうだということで見せたわけです。
 ところが、いくら作っても同じようなものしかできません。共通したものしかできません。技術的には職人にはかないませんので、それと違うものを作り始めたのが、右側の清涼飲料水の瓶や一升瓶などをかたどりして、そのまま焼き上げたものであります。これにタイトルが付いて、「パッケージシリーズ」と言っています。
 手前にあるのは、ほとんどコカ・コーラの瓶を直接石膏で型を取って、トレーの中に入れた。ちょうどこの当時、トラックの無蓋車、雨ざらしのトラックの後ろに、木のトレーの中に1ダースごとのコーラの瓶を並べて配達していたのを見て、そのまま作品化したものです。
 パッケージというのは、包み込む、封じ込める、閉じ込めるというような、いろいろな暗喩といいますか、そこに流れる言葉が隠されています。つぼのようなもの、鉢のようなものもパッケージなのです。容器というものは、そこに空間があって、何かがそこに収まるという意味です。
 土でできるパッケージのシリーズを次から次へと作り出します。右側のものは高さが70cm、左側は50cmぐらいの大きさです。かなり焼き物として大きいものです。こういう複雑な形を、瀬戸窯業高校の重油窯、今どきそのような窯はほとんどないのですが、石炭窯や重油窯で焼いたものであります。一緒に窯に入れると、時々中で爆発するものですから、周りに誰も入れたがらない。技術的に及ばない大変厳しい状態のところでした。
 これが1970年代初めの頃です。左側にあるのが高さ50cm、横50cmぐらいの大きさです。これは、ついこの間の4日まで、東京国立近代美術館工芸館で展示された「革新の工芸」というものに出品されていました。1971年、私が26歳の頃の作品です。近代美術館のコレクションになっています。
 右側が1972年に作った作品です。左の作品より2回りほど大きいものです。高さが1m近くあります。ちょうど人間があぐらをかいて座ったような状態で、それを縛り上げている。こういうものを作っていました。これはイタリアのファエンツァ国際陶芸展で銀賞をもらい、向こうのコレクションになっているものであります。今も常設されています。
 これもパッケージシリーズです。家族が4人になったときの肖像です。一番大きいのが私で、左側のスマートなのが家内、別に体を合わせたわけではないのですが、手前が息子と娘という家族の肖像です。おのおのが何らかの形で縛られている状況です。
 これはトレーの中に金塊がぎっしり埋まった状態です。これも1辺が45cm、50cm、高さが25cmぐらいの大きさです。
 まだパッケージシリーズが続きます。
 時間がありませんのでちょっと飛ばしていきますが、この赤い部分は木材を削って塗装をしてはめてあります。その他の黒い部分と金彩の部分は焼き物です。
 先ほどから金銀が出てきますけれども、金の場合は、まさに金です。リキッドゴールドというのですが、樹脂酸の中に金粉のような状態で混ざっているものを塗って、800℃で焼き付けるとバインダーが消失して金が残る。原始的なメッキです。

 これは西田幾多郎記念館のコンクリートの壁に並べたものであります。かなり剛直な強い壁で、なかなか厄介でした。
 これは焼き物の素材ですが、表面は二俣の和紙です。金沢で今もすいていますが、そこの和紙を張ったものです。
 以上です。こういうふうにいろいろな作品の変遷があるのですが、おのおのが海外の展覧会に出品したり、または向こうに出掛けていっていろいろな情報を仕入れて刺激を受けたりして、工芸的な素材を使っており、私の場合にはファインアートの世界だというふうに思っています。
 学生たちの目の前で常にクリエイティブに作品を作り続け、発表し続けるためにも、自分のエクササイズも含めて、今日まで作り続けているわけであります。もう少し他にお話ししたいことはたくさんあるのですが、後ほどに回して次に譲りたいと思います。ありがとうございました(拍手)。

(水野) 先ほどお話がありましたように、金沢へ来ることになった工芸館で12月4日まで展覧会が開かれていましたが、そのときの久世先生の作品です。「パッケージシリーズ」がここに載っております。
 ところで先生、自分のことを陶芸家や工芸家とは言わないで、造形家と呼んでいるのですが、工芸とか陶芸ではないのですか。

(久世) 私の作品を見ていただけば分かるのですけれど、陶芸家というと、「茶碗屋さんでしょう」と言われるのです。それと同時に、私は「くぜ」と名乗っていますが、兄貴たち、家族、兄弟は「くせ」と言っています。私は兄との区別化、差別化をきちっとするために、作家名も造形作家というふうに言っています。丁寧に説明するときには、陶造形作家というふうに伝えています。別に工芸が嫌いなわけではないのですが、工芸ではないという意味でそういう使い方をしています。

(水野) 土の性質を生かすということと、焼くことでどうなるかということと、その二つが大きなテーマであるようですね。

(久世) そうです。

(水野) そうすると、それは造形というふうに、工芸よりも造形の方が強いという先ほどファインアートだというお話をされましたけれど、そういう領域ですかね。

(久世) そういうつもりでいます。ですから、学生たちには「決してファインアートにこだわることはありません。何でもできる人になるというのが一つの目標ですよ」ということは伝えていました。
 ですから私は、授業の中でろくろも指導していました。釉薬の調合も指導していました。別にオールマイティだとは思っていませんが、要するに私の教え子たちはつぶしが利くというふうに思っていました。どこかで身過ぎ世過ぎができるだろうというつもりで、陶芸家や造形家になる人もいます。指導者といいますか、教育に携わっている人が比較的多いのですが、それだけでは飯が食いにくいという部門でもありますね。

(水野) 工芸と現代美術の間にいる存在で。

(水野) 外舘さん、続いてお願いします。

(外舘) 私は毎年10回ぐらいは審査に行くのです。それで伝統工芸展の審査に行って、去年初めて日展の審査にも行きましたが、どこでもやはり石川県の作家が非常に活躍していて、国内では大変評価も高いし注目されているのです。では、世界の中での石川県の作家たち、あるいは工芸の国際化、国際性とは何だろうかということを、私は1990年代の終わりぐらいから海外の美術館や大学が主催する展覧会をいろいろお手伝いして、図録を書いたりレクチャーをしたりしてきたので、その事例を基にちょっとお話ししていきたいと思います。
(以下、スライド併用)

 この20年ぐらい、日本の工芸に対する評価が大変高まっています。注目すべきは、現役の作家が評価されつつあるということです。日本の古美術ですとか、いわゆる明治の超絶技巧のようなものは、当初の明治の頃から、宮川香山が生きているときから評価されておりまして、欧米の美術館にもたくさん入っております。
 それは今現在ももちろん、あらためて日本人が再評価するぐらい評価されておりますが、一方で、若手を含めた現役の工芸作家の作品が今、海外の美術館、ギャラリー、あるいはアートフェアで取り上げられて、コレクションされてきているのが事実であります。
 90年代の半ば頃、私は美術館の学芸員をしておりましたけれども、その頃は海外のキュレーターが来てはよく、「日本人の現代工芸のコアとは何でしょうか」という質問を受けました。これを説明するに当たって、用途があるとかないとか、それはあるものもないものもあるのですが、そういうことを別にして、「その作品が素材や技術に根差した実在表現、作者自身が素材と直接向き合って表現するものであるかどうかが日本人の考えている工芸性ではないかと思います」と説明してきました。
 英語でいうとHands on Artです。作者自身が実際に素材を扱うということです。丁寧に言うとすれば、素材や技術に根差したということで、Hands on art,based on material and processという言葉を使って説明してきました。技術というのを工程と訳しました。そういうものに根差して表現するものであるということです。
 これは美術史の一方を展開しているコンセプチュアルなアートとは、ある意味では対極のアナログ表現ということになります。しかし、これに対する関心が20世紀の終わりから非常に集中してきております。
 20世紀の終わり頃からの動向の中で、二つのポイントがあります。一つは、容器のような形であっても表現であるという見方をされるようになってきている。それからもう一つは、今まで普通に現代美術というふうに思われていたものの中に、それが持っている工芸性を評価するようになった。例えば久世先生の作品を、いわゆる一般的に現代美術と見るのではなくて、工芸的に面白いという評価することではないかと思います。

 2002年に伊藤公象展をやるということで、イギリスの国立の四つの美術館の一つ、テート・セント・アイヴスに呼ばれまして、カタログを書いたり、レクチャーをしたりしました。伊藤公象さんは、お父さんが金沢の彫金家で加賀象眼を手掛ける方でした。ここで展覧会、特に会場で一般のお客さんにレクチャーもしたのですけれど、テート・セント・アイヴスという所はいわゆるリゾート地です。イギリスの風光明媚な場所で、観光客がいっぱい来るような、ごく一般のお客さんが来るような場所です。兼六園に来るお客さんとある意味近いかもしれません。
 そこでお客さんに話をしたところ、質疑応答なども積極的にあるのですが、伊藤公象さんはもちろんベネチアビエンナーレ出品作家であり、いわゆる現代美術の第一人者的な方なのですが、お客さんは伊藤さんが作っている土の有機性や、それを作者が引き出しているという面白さにきちんと注目してくださいました。
 テート・セント・アイヴスのキュレーターの考え方もあるのですけれども、伊藤さんの前にマーチン・スミスという陶芸家の展覧会をやっていました。作品はやや筒型で、一見英語でいうポップスというか、陶器の形をしているけれども、入れ物と思って紹介しているわけではないのですとキュレーターがおっしゃっていました。やはりイギリス人も、表現としての器というものの存在を認識してきているというふうに感じました。
 その伊藤公象展を通して、焼き物の素材感や、あるいは焼き物を通してこそ表現できる世界に非常に興味を持たれていると。一般的な美術というだけではなく、プラスアルファで工芸性が評価されてきているということです。
 その前の展覧会になりますが、イギリスのビクトリア・アンド・アルバートで、日本のスタジオクラフトを紹介する展覧会がありました。これが画期的なのは、伝統工芸も日展も無所属もみんな一緒に現代工芸の作家を紹介しております。これは図録の表紙で、右は漆の栗本夏樹さんです。
 この展覧会の中に、もちろんそうそうたる人間国宝も並んでおりました。しかし一方で、こういう無所属のいわゆる前衛といわれた世代の人たちのものも紹介しております。
 そしてまた、木工、バスケタリーの中では、例えば真ん中の氷見晃堂さんは金沢生まれの木工芸2人目の人間国宝です。金沢は非常に人間国宝の産地といってもいいほどたくさんいらっしゃいますが、氷見晃堂さんやバスケタリーの関島さんといった人たちのものが一緒に紹介される。村山明さんは今、京都の木工の人間国宝ですけれども、こういうものが一緒に紹介されるということです。
 竹では、こういう巨匠中の巨匠が紹介されておりました。
 他に漆だと、やはりこの辺も人間国宝を中心とした巨匠たちですね。非常に精度の高いものが紹介されております。
 また、日展系ですけれども、高橋櫛郎さんのパネルは漆ですね。これも紹介されています。
 染色はどうかというと、これもやはり森口邦彦さん、北村武資さん、いわゆる人間国宝の着物も紹介される一方で、いわゆるファイバーアートやファイバーワークといわれる小名木陽一さんや久保田繁雄さん、それから熊井恭子さんなども紹介されております。
 金属、メタルワークはどうか。外国はメタルワークとジュエリーを足してきますけれども、ここにいわゆる人間国宝クラスの人たちのものが並んでおります。金工の中でも石川県の作家としては、中川衛さんのものが紹介されておりました。非常に端正でかっこいい器ではないかと思います。
 他にも金工は、もう亡くなっている宮田藍堂さんや、こういうジュエリー系の平松さんなどいろいろな方が紹介されている。
 ガラスはどうか。藤田喬平さんのような巨匠から、イワタルリさん、そして今ばりばり多摩美大で先生をされている高橋禎彦さんなどの作品が一堂に紹介され、工芸の表現として面白い、美しいと見なされるようになってきているのが20世紀の終わりぐらいなのです。

 これも、アジアで日本の工芸を紹介しました。私も図録や展示に立ち会いに行きましたけれども、国際交流基金が入ったものでもあります。
 深見陶治さんなど。ちょっと見えづらいですね。
 人間国宝の前田昭博さんなどのものもあれば、田嶋悦子さんのようなばりばりの陶芸オブジェの人もいる。こういうふうに捉え方が非常に広がってきている。
 あるいは、SOFAです。日本には工芸に特化したフェアはないのですけれど、アメリカには1994年からもう、どちらかというと美術や骨董を含めてなのですが、現代工芸に特化したアートフェアがシカゴとニューヨークで開催されております。
 例えば木工作家のものがポスターになっておりました。1300アーティスト、それから100のギャラリーがブースを出し、18カ国の作品が一堂に見られるというふうに書いてあります。
 アメリカはやはりガラスが盛んで、半分ぐらいはガラスのギャラリーなのですが、このデイル・チフリというポスターになっている人は、富山に美術館ができましたが、あそこの常設の中で紹介されている人の器型の作品です。私は計算が皆さんのように得意ではないのですが、一抱えぐらいの器が、日本円に換算してみると1000万円でした。このぐらいのガラスの器が大体1000万円でフェアで取引されるということです。
 他にもオブジェあり、器ありで、こういうものを総じて現代工芸としてアメリカがSOFAで紹介しております。
 陶芸の重鎮などもいます。
 日本人はどのような人がいたかというと、萩の三輪和彦さんなどは2007年ですけれど、今年はまた別の人が紹介されておりましたが、伊村俊見さんや、あるいは金美の先生もされていましたけれど金沢が気に入って半分金沢で仕事をしていらっしゃる板橋廣美さんという磁器と金属の作家です。
 それから木工作家の川島さん。
 あるいは染色では福本繁樹さんのパネルとか、漆では藤田敏彰さんも紹介されておりました。
 アメリカでもガラスの次に盛んなのは陶芸なのです。非常に地域も幅広く、金重さんという備前の作家、それから森野泰明さんは、ちょっと見えづらいのですが、京都の芸術院会員の方です。私の中では前衛の作家なのですが、世の中の方は芸術院会員と思って見るかもしれません。
 でも、そういうふうに見るのはむしろ日本人だけで、海外の人たちは「面白い焼き物を作る人」とまずは見るわけです。あまり芸術院会員とか人間国宝という肩書から入らないのが海外であります。
 そして、そういう人がこの右の若手です。日野田崇さんとか重松あゆみさんと一緒に並ぶ。どれもそれぞれに面白いと思うのが海外の捉え方であります。つまり、器的な形かそうでないかというのは無関係に評価されます。森野泰明さんの作品も花器といえば花器なのですが、表現として面白い。
 あるいは、日野田崇さんというフィギュラティブなものが、村上隆さんみたいなものとは違う面白さとして理解されているのです。つまり、創作的な表現であるということ(クリエイティビティ)と工芸的な魅力がセットで評価されるというのが今の状況になりつつあります。
 特に、日野田さんは直接土を扱って作ります。村上さんはどちらかというとファクトリーアート的にフィギュアを作ります。もちろんどちらがいい悪いではなく、優劣ではないのですが、日野田さんを扱うニューヨークのギャラリーの方は、日野田さんが直接土を扱っていることを認識して、日野田さんの作品を扱っています。
 そういう、物の背景みたいな、どうやってこれは出来上がったのかという点も評価の対象になっているのです。見た目の面白さという意味では、村上さんも日野田さんもそれぞれに面白い。しかし、そのギャラリーが日野田さんを扱う理由は、日野田さんが土を通して表現していることを理解して扱っているということです。
 海外というのは肩書やキャリアは後情報であり、若くてもチャンスがある。日本の若手は特に技術も表現力も、卯辰山や金美の大学院生を見ると分かるように、かなり優秀です。そこが第一に評価される可能性を持っています。作品そのものの力が問われる時代になってきています。
 もうちょっとご紹介しますが、去年ちょっと図録を書いたのですが、中国は今、漆に力を入れています。美術館も造りました。日本の作家、主にアジアのいろいろな作家を紹介した展覧会なのですが、栗本さんや、それから石川県では山村慎哉さんですね。金美の先生をしていらっしゃいます。非常に端正で美しい箱ですが、非常にクリエイティブな箱であります。
 こういう箱、あるいは小椋範彦さんのような伝統工芸で活躍中の作家のものです。そういうものと、金沢でいえば田中信行さんや村本真吾さんといった造形性豊かな作家が同じ土俵で評価されつつある。これを知っていただきたいところであります。
 さらに、これは2014年ですけれど、ニューヨークのギャラリーで、別に石川県の作家ということではないのですが、見てみたら石川の作家がたくさん入っていました。吉田美統さんや、徳田八十吉さんは亡くなった3代も現役の4代も出品していました。それから、吉田さんの息子さんの幸央さんも出しておりました。
 こういうものがちゃんと表現の器として捉えられている。特に、ちょっとカタログに私は書かせていただいたのですが、伝統工芸というのは伝承工芸ではないということをまず理解していただこうと思いました。つまり、昔あったものをただ再現する工芸ではなくて、昔ながらの素材や技術を工夫して駆使して作るのですけれども、その歴史性に新しさ、もうちょっと言うと、その作家らしさが加わって初めて伝統工芸になるのですという、伝統工芸が単なる伝承工芸ではないのですということを、テキストには書かせていただきました。
時間がないのでぱたぱた見ますが、伝統工芸系の方、あるいは現代美術から参入してきた方、その人の実用的な陶磁器、このようなものは日本では逆に見られないのです。前衛的な作家のものは、もう前衛的なものしか日本人は見なかったり、美術館もするのですけれども、アメリカの人たちは、ではその人がお皿を作ったら、組み皿を作ったらどうなるのだろうみたいなことも楽しんでくれます。
いろいろな美大系の作家たちがたくさん出ておりました。
特に、岸映子さんという海外で人気の作家ですけれど、この人がどのような材料を使っているかとか、その物が生まれてくる背景をセットで紹介しようとするのです。ここが非常に私はうれしいというか、どうやって作者がその表現にたどり着いたのかということまで含めて関心を持ってくれている。
あるいは、この展覧会に北村鶴代さんという日展の作家も含まれておりました。いろいろな方が、ちょっと私が一緒に写っていますが、矢島さんですね。
本当に若くて、1978年生まれという人まで含まれております。
最後に竹工芸の状況をちょっと紹介します。これは2013年にボストン美術館から頼まれて、アメリカのコレクターが日本の竹工芸と陶芸を物故作家から現役まで近現代ずっと見たら、歴史をたどれるような作品群なので本を作りましょうということになって作りました。
 表紙は40代になったかなというぐらいの若い女性作家で、竹の方は大分の産地のベテランです。日本は産地にいい作家が集中しているという特徴もあります。
7章が竹の作品で、こういう重鎮で亡くなってしまった方から、そうそうたる人たち、藤沼さんは人間国宝になりましたけれども、ちょうど書いている途中に人間国宝になりまして、ボストン美術館のキュレーターも喜んでくださいました。
この辺もちょっと造形性が強いのですけれど、実は伝統工芸系の作家ですね。
それから、日展の鳥居さん、それから新潟の本間さんですか。
それから女性作家、特に伝統工芸で期待されている人たちであります。
あと、漆もありました。漆はもはやアジアのものだけではなくなりつつあります。こういう、ベトナムでやる人。
それから、これは石川県の、今は金美の先生になりました青木さん。京都系の人。あるいは韓国、中国、この辺は日本人です。最後にこれは、やはり海外評価の高い富山の畠山さん。この人も金沢美大の出身ですが、この人の作品に、腐食による金属の景色ができるのです。そういう景色などというのは焼き物から来ているのですが、西洋の人たちも日本人が楽しんできた美意識の世界、金属の景色、焼き物の景色というものを楽しむようになってきている。これもなかなか面白いと思います。
 最後にまとめますが、海外の人たちの工芸の見方がだいぶ変化しつつあります。工芸とは何かと聞かれたときに、「Hands on artなのです」「Based on material and processなのです」ということを、取りあえず端的に言うときに、私はよく使っております。素材や技術に根差した実在表現なのですよと。
 海外の人たちが、作品の成り立ちに注目してくれてきています。それから、箱であっても器であっても、あるいはそうでないものでも、その辺はもうどちらでもいいのですけれども、作品そのものが面白いかどうかという表現力、特に独創性、クリエイティビティについては西洋人は日本人より厳しいです。
 箱であろうと、造形的なものであろうと、既視感があると思うとどうかというふうに、ちょっと引かれてしまいます。伝統工芸的であっても、日展系の方であっても、無所属であっても、やはり個々に自分らしさを表現していくことが国際的に認められていく、あるいは注目される要素ではないかなと思います。その上で、日本人の持っている技術、産地で培われてきた技術は、非常に武器にもなると思います。以上です(拍手)。

(水野) こうやって見ると、氷見晃堂さんや松田権六さんみたいなものと、それから久世先生や田中信行さんみたいなコンテンポラリーなものが非常にフラットなのですね。

(外舘) そうです。そうなりつつあります。

(水野) このフラットさが、今日随分見て、もっともっと見たいという感じになりました。

(外舘) そうですね。いっぱいあるのですけれど、短めに。

(水野) ありがとうございました。だいぶ時間も詰まってきました。林田先生。


(林田) ご紹介を頂きました林田でございます。今日はこのような会にお呼びいただきまして大変ありがたく思っております。先ほど来のお話を伺っていて、金沢の地というのが、本当に文化立国を目指す次の日本のありようを示しているのではないかなというような気がいたしまして、大変心強く思っております。
 私は、文部省に入りまして、文化庁で文化財保護部長、文化庁次長、長官を務めさせていただき、2000年に退職いたしました。もう退職してからだいぶたちますが、その当時、文化財保護法に基づいて、日本の伝統文化を保護するのは国の責務として法律上で定められたことがございまして、文化庁はその担当として仕事をしていたわけで、この中では日本の伝統工芸を守っていく、要するに伝統を守っていく仕事をやることを主眼にして、役所としては仕事をしていたわけです。
 もちろん、今のお話にもありましたように、工芸の世界は大変幅広いですから、経済産業省が担当している中には、法律に基づいて伝統的工芸品としていろいろな援助措置を講じ、伝統工芸士という形で産業としていろいろな応援措置を講じている分野があります。
 それから、日展は工芸美術とおっしゃって、これもまた独特の分野を築いていらっしゃいますし、今もたくさん出てきましたけれども、いわゆる現代美術、前衛美術ともいわれるような分野で仕事をしている方もいらっしゃいます。特に秋元先生が21世紀美術館の館長として「工芸未来派」という名前をお付けになって、大変世界にもアピールなさっていらっしゃるということで、いろいろな分野があると思います。
 しかし、私が今日ここへお呼びいただいたのも、来年秋にこちらで開催したいと思っております工芸の祭典、「21世紀鷹峯フォーラムin石川・金沢」についてご紹介させていただくのがよろしいのではないかと思い、そのことに絞ってお話しさせていただきたいと思っております。
(以下、スライド併用)

 今ここにございますように、私の肩書としては日本工芸会理事長で、これは去年から担当しております。今申しましたように、文化庁が日本の伝統工芸を守っていくための組織として、伝統工芸の作家の皆さんで組織されました社団法人ですけれども、ここに文化庁から支援金を頂きまして、日本伝統工芸展を毎年、三越本店でやり、全国12カ所を回って、金沢にもこの間巡回してきたところだと思いますけれども、そういうことをやる仕事が理事長としての今の仕事です。
 一般社団法人ザ・クリエイション・オブ・ジャパンというのは、実は3年ほど前、日本工芸会の理事長になる前に、今お話しなられたように、日本の工芸が世界で頑張っていろいろ努力していらっしゃって、成功していらっしゃる方々もありますけれども、全体としては非常に日本の工芸が心配な状況にあります。
 産地として日本の伝統的工芸品を作っていらっしゃる産地のデータをいろいろ見ますと、本当にここ20〜30年の間に3分の1になった、5分の1になった、10分の1になったという話を聞くので、工芸の世界ではかなり幅広く心配されるような状況があるということで、何とかして改善していかなければいけない。
 そのための活動をぜひやっていこうというので、できるだけ幅広く、先ほど言いましたようにいろいろな分野でいろいろなことが行われておりますけれども、工芸全体として何とか日本の工芸を盛り上げていくような活動をしなければならない分野がいろいろあるのではなかろうか。
 例えば、社会に対して工芸について認識を広めていただくことをやっていったり、子どもたちに教育をしていったり、さらには世界に発信するためのいろいろな仕掛けをしていったり、さらには素材と道具をどうやって確保するかというようなことも非常に大きな問題になっているわけですが、こういうことに取り組んでいくためには、それぞれの団体ではなかなか限界がある。従って、幅広く連携して取り組んでいきませんかということで始めた一般社団法人がこの団体です。
 その中で、実は去年から文化庁の補助金を頂きまして、「100年後の工芸のために普及啓発実行委員会」というものを作りまして、私はその副委員長をやっておりますけれども、活動を始めました。そういう立場で、100年後に残る工芸のために今何をすべきか、そのためには石川・金沢の地でもぜひ私どもと一緒になって、全国連携でこういう活動をやっていきませんかということをお話しさせていただきたいと思います。
 今日頂いております課題は、工芸文化を世界に発信して、国際的に評価を受けることが必要ではないかということが一つ。それからもう一つは、日本の工芸が世界に通じる新しい美を創造していくには何が必要かということ。それから、展開拠点に石川・金沢が育っていくには何をすべきか、国立工芸館の移転を含めて考えてみたいというお題を頂いているわけです。主としてこういうテーマになるべく特化してお話ししたいと思います。
 先ほど言いました団体をなぜ作ったかと申しますと、世界に誇るべき日本の工芸の将来が危ぶまれる状況になっているのではないか、今動かなければ取り返しがつかないことになるのではないかという危機意識で始めたということです。
 ザ・クリエイション・オブ・ジャパンの役員では、私が代表になっておりますけれども、民間企業の代表の方や、特に一番私が気にしましたのが、役所が文化庁だけでは限界があるということを非常に痛感しましたので、経済産業省の次官をなさいました松永さんや、外務省の国際交流基金の理事長もなさった藤井さんなどにも入っていただいて、あとは商工会議所の方にも入っていただいたりして、このような体制を作ったということです。
 その他にアドバイザーとしては、秋元先生であるとか、そうそうたる工芸の世界の素晴らしい方たちにご協力いただける体制ができたということです。
 特別なスポンサーはありませんので、個人会員と法人会員の他、年20万円の賛助会員ということで、四苦八苦しながらやっているというのが今の状況です。
 それで、今私どもがやろうとしておりますことは主題が三つありまして、一つが「工藝旦那衆の会」というものを作っています。要するに昔いらっしゃったような、素晴らしい作品を集められるようなコレクターといいますか、旦那衆がいなくなっているのを、何とかして親しんでいただく方を作ろうということをやっております。
 それからもう一つは、最後になりますけれども、「日本工藝ポータルナビゲーション」ということで、日本の工芸に関するあらゆる情報を国際的に発信していくことを頑張ってやっていこうとしております。これはまだちょっとお金も掛かることですから、準備中でございますが、目標にしていることです。
 もう一つの柱が、「21世紀鷹峯フォーラム」です。真ん中に幾つか書いてありますけれども、「『100年後に残る工芸のために』円卓会議」では、関係者が集まって課題を洗い出し、これから取り組んでいく方向性をはっきりさせて、一緒になって取り組んでいくような動きを作っていこうとか、先ほど言いました「絶滅危惧の素材と道具」ということで、いろいろなところで心配なことが起こっているけれども、一方ではいろいろ頑張って新しい取り組みをやっていらっしゃる方もあるので、そういう方々の活動が全国に知れわたるようにしたいとか、それから「つくるフォーラム」というのは、例えば島津製作所が社員が25周年記念に何かいいもの、京都らしいものを作りたいけれど、いい提案を求めたいいったことの公募いたしまして、審査委員会を設けて、注文主と相談していい物を作ってもらってビジネスにするような、新しいものづくりのスタイルをつくるようなことも始めております。
 3年前にスタートいたしまして、工藝旦那衆の会を八芳園や明治神宮の桃林荘、それから五島美術館などでやっております。それから、鷹峯フォーラムは昨年、琳派400年の記念の年でしたので、京都でオール京都工芸の祭典というような打ち出し方でやりまして、これも短期間の準備期間でしたけれども、大変たくさんの主だった機関が全て参加してくださるような会になりましたし、特に子どもたちに工芸に親しんでもらうようなことをもっとしなければならないということが大きなテーマになりましたし、ぜひ東京でもっとこういうことを続けてほしいという話がありましたので、実は今年は東京、来年は金沢でやるような方向で取り組んでおります。既に準備も始めておりますけれども、後でちょっとまたご報告します。
 「鷹峯とは」というのは、先ほど申しましたような趣旨で、400年前に本阿弥光悦が京都鷹峯の地で職人たちの理想的な環境を作ろうとしたというコンセプトで、ぜひ現代にそういう活動を復活させようということでやっております。
 1人では解決できない課題に対して、みんなが当事者になって、いろいろな分野が協力して、オールジャパン、オールジャンルで解決策を取り組んでいこうとしています。
 東京では、右の方にありますように、今は110になりましたけれども100以上の機関が300ぐらいのイベントをやっていただいております。要するに、工芸に対してぜひ幅広く認識してもらいたい、ある面では問題点も認識してもらいたいということです。
 それから、いいものを作り続けていくために、先ほどのような「つくるフォーラム」のようなことをいろいろやっていって、次につなげていって、3年間でこれから取り組むべき課題を洗い出し、具体的に取り組むべきことを焦点を絞ってやっていきたいと思っております。

 この写真は昨年、京都国際会館で開いた様子ですけれども、先ほど言いましたような提言を頂いて、今年度は東京で来年1月29日にミッドタウンでやることになっております。なお、今年は何をやっているかについては、ガイドブックが皆さんのところに配られておりますから、これをちょっとご覧いただいて、1月29日までいろいろなことをやっておりますので、ぜひ東京にいらっしゃったらご覧いただきたいと思います。実は来年、規模はこれより小さいかもしれませんけれども、金沢でこのようなことをやろうとしているので、そのご参考にご覧いただければと思っております。
 それで、先ほど言いましたような子どもの工芸ワークショップがいろいろと行われていますが、どのようにやって、どのような成果があったか、どのようなところに気を付けなければいけないかということを、ぜひ誰でも取り組めるように、学校の中に専門家がいなくても取り組めるようなレシピのようなものを作っていく形で、ご協力をお願いしています。
 それから、これもお手元にチラシをお配りしておりますけれども、先ほど来お話ししておりますように、「絶滅危惧の素材と道具」は工芸を語る上では大変大事なことになっております。12月13日、来週の火曜日ですけれども、東京で絶滅危惧といわれているようないろいろなものに対して、いろいろな対応策を具体的にやっていらっしゃる人や機関で、例えば漆ばけや膠(にかわ)、胡粉、筬(おさ)、それから日本刺繍針、国産コットンといったものを復元しようとしている方々にも実際に物を出していただいて、いろいろな話を聞けるようにしようと。その試みを全国になるべく情報発信していこうとしております。来週の火曜日ですから、まだ間に合いますので、ご関心の方はぜひおいでいただきたいと思います。
 これはまさに今回の話題になっております、日本の工芸を海外に広めるために輸出のための障壁を取り除こうということで取り組んでおります。いずれにしても日本の工芸を何とかしていくためには、先ほどの先生方のお話にもありましたように、既に外国へ行っていろいろ活躍なさって、紹介もされている方々もいらっしゃいますけれども、昔に比べてそういう活動をしてくださる問屋さんのような活動が非常に力が落ちているのではないかという感じがしますので、みんなで力を合わせれば、そういう形を何とか少し再建できないだろうかということを狙いまして、12月12日、来週の月曜日になりますけれども、これもやろうと思っております。
 ここでは、いろいろな工芸について、海外でどういうものが必要になっているか、海外に売るにはどのようなバイヤーとどういう交渉をしなければいけないか、それは国によっていろいろと違う状況もあるので、そういうものをどうやったら関係の皆さんに伝えられるか。場合によっては、本当に個人や小さい業界でなさっている方もいろいろあるので、そういう方々の後押しをするためのいろいろな情報を集めていこうということで、12日は日本の工芸品を海外輸出に向けたいろいろな取り組みの成功例や体験談をご紹介する。
 それから、もう一つ大きな課題は、日本の工芸品の中にはEUの法的規制の対象になっているようなものが使われていることがかなりたくさんあって、それが日本の人たちには分かっていないことが非常にありますので、ここを何とかしてJETROの協力を頂きまして、JETROの専門家にも参加いただいて、そういうことをご紹介いただくと同時に、なるべくその情報もいろいろなところへ流せるような形にしていきたいということを今やっておりますので、これもご関心のある方はぜひお寄りいただきたいと思います。
 こういう活動をさらに広げていくことが、今日のテーマのようなことにつながっていくのではないかということで、考えているものです。
 来年、石川・金沢で、10月1日から11月26日ということでおおよそ相談しておりますけれども、「百万石ものがたり 工芸の祭典」ということで、2カ月弱ですが、計画しております。石川県立美術館の嶋崎館長に中核館になっていただきまして、関係者の方々にご協力いただいて、今そのような準備を進めております。
 連携の各機関、美術館、博物館、百貨店、ギャラリーなどにいろいろな展示をしていただくようなことを中心に、各機関に参加していただきながらやっていこうと思っております。
 それから、先ほども話題に出ましたけれども、石川県立美術館では「百工比照」の特別展示をやっていただくとか、金沢美術工芸大学でも「平成の百工比照」を展示していただくということを考えておりますし、既に石川県で行われております「工芸フェスタ!」「金沢21世紀工芸祭」「日展」「日本伝統工芸展」「金沢漆芸会50周年記念展」といったような活動とも連携することによって、いろいろな広報活動が併せてできますので、そういう横の連携を図る機会として、ぜひお使いいただけたらありがたいと思っております。
 実行委員会でやろうとしておりますものには、こういうものがいろいろありますけれども、ちょっと特徴的なことを申しますと、「工芸館に期待する」シンポジウムのようなことも考えておりますし、それから「石川の工芸巨匠による座談会」ということで、先ほどから話題になっております人間国宝、芸術院会員、それから文化勲章受章者もいらっしゃるということで、そういう懇談会もやろうと思っております。
 それから、石川全土のクラフトツーリズムという格好で、研修機関や工房巡り、ラグジュアリーツーリズム、バイイングツアーという打ち立てて、金沢市内だけでなく、輪島なども含めて、そういうものを専門会社と相談して考えようと。それぞれの関係機関のご協力を頂かなければできませんけれども、そういうことも考えております。
 それから、工芸品のデザイン研究についても何とかいい活動ができないかと思っております。
 志浦さんのところで、建築・街並みのシンポジウムもやっていただける計画になっておりますけれど、そのようなことをやろうとしております。
 それから、私どもの主催事業としては、先ほどの「つくるフォーラム」、それから「モリタテ!工芸塾」ももう少しインバウンド、アウトバウンド、工芸コンソーシアム交流会ということで、実際に売り出していくためのノウハウと人のネットワークといった商業環境を作っていきたいというふうなことをやっておりますし、先ほどの素材と道具については、ずっと継続してやっていくつもりでおります。
 それから、JETROさんとは今、生活産業品の海外バイヤーを招聘して、国内受注会を金沢でやってほしいというお願いをしておりまして、割と好意的にご検討いただいているのではないかと思っているのですが、そのようなことを考えております。
 ちょっと急ぎましたけれども、今回の私どもの期待は、工芸全体を興隆するための連携を何とかしてもう少し強められるようにならないだろうか。それをベースにして、全国的な連携の輪の中で、石川・金沢が中核になってやっていただくことをぜひお願いしたいと思っております。
 東京国立近代美術館工芸館がこちらへ移転することになりましたけれども、これは本当に皆さまのご尽力のおかげであり、私もお喜び申し上げたいと思いますし、正直言って工芸館というのは非常に地味なところだったと思いますけれども、皆さまのご活動のおかげで、工芸館というものがあるということについても相当に関心を呼んだのではないかと思います。
 それともう一つは、これまでややもすると工芸館は、産地とあまり縁のないところになっていたのではないかという気がします。しかし、今後金沢に参りますとやはり、いろいろな形での交流が深まって、産地の実情なども相当考えながら仕事をしていく形になるのではないかとも期待しておりますので、ぜひそういう形で連携を深めていただきたいと思います。
 あと、国際的な交流の中では、やはり国立の美術館、工芸館の価値、意味というのは非常に大きいものがあると思いますので、ぜひ工芸館を通じて国際的なつながりもいろいろやっていただくようなチャンネルにしていただくことをお願いしたいと思っております。
 あと、国際的に発信していくための大事なポイントを、お二人の先生もおっしゃいましたけれども、特に現代工芸といいますか、現代美術的な形で、かなり今いろいろ評価されている面もありますし、外舘先生がおっしゃったように、外国で私もいろいろ詳しく聞いて、あちらで工芸がそんなに評価されていると聞いて、大変うれしく思っておりますけれども、やはりそのためにはそういう語り部が必要なのだと思うのです。
 われわれも、日本工芸会で10年ぐらい前に大英博物館でやった展覧会があるのですけれども、このときも「日本伝統工芸展をそのまま、Traditional Crafts Exhibitionにしても、人は来ないよ」というあちらの方からのアドバイスもあって、「Crafting Beauty in Modern Japan」という名前にして、大変たくさんの人が来てくださったようなことがありました。
 それから作家のストーリー、作品のストーリーを語らなければならないと非常におっしゃっていましたけれど、それを私も非常に感じました。
 藤沼先生が先ほど出ていましたけれど、藤沼先生の作品は1000万円単位であちらで売れるような方でいらっしゃいます。「やはりストーリーを語らなければ買ってくれないよ」ということを非常におっしゃっていましたけれども、そういう専門家を介しながらアドバイスができる体制を、もっと先生のような方をたくさん増やしていって、いろいろな方が相談できるような体制を作っていくことが非常に大事ではないかと私は思っております。ちょっと長くなってしまいまして申し訳ありません(拍手)。

(水野) 大変頼もしい応援団ですね。こういう応援団が東京におられて、ぜひ金沢からも、そういう大旦那衆はいないかもしれませんが小旦那衆でもいいから作って、少し応援団を養成したいというふうに思っております。
 最初の計画では15分ずつと言ったのですが、やはりどうしても皆さん目いっぱいおしゃべりになって、それも何か途中でやめるのが、コントロールするのがもったいないようなシーンがいっぱいありまして、もう時間がだいぶ来たのですが、志甫さん、最後にぱっとお願いします。

(志甫) どうも皆さんこんにちは。石川県デザインセンターの志甫と申します。よろしくお願いいたします。
(以下、スライド併用)
 今年、国際ガラス展を開催いたしまして、皆さんにはその画像を見ていただいております。国際ガラス展のスタートは、もうかなりさかのぼりまして昭和59年です。現在は3年ごとのガラスの国際公募展として継続して開催しておりまして、先ほど水野先生が間違われましたけれど、今回が13回目となります。
 今回の応募状況ですけれども、結構集まっておりまして、40の国・地域から374点の作品応募がありました。一次審査は画像審査なのですが、そこを通過しますと入選ということになるのですが、通過したのが21の国・地域で73点です。これらの現物が金沢の方に送られてきております。
 実物作品の本審査では、審査基準として、先ほどから先生方が言われていますように、表現の独創性あるいは発想のユニークさといったところに重きが置かれまして、17の受賞作品が決定しております。
 最近の傾向として言えますのは、日本の作家の受賞が多いことです。今回も17の受賞作品のうち12点が日本の作家の作品であったという結果に終わっております。さらに言いますと、そのほとんどが30代を中心とする若手作家でありまして、他の分野でもそうなのかもしれませんが、女性作家の圧倒的な台頭ぶりが目立っております。また、偶然なのか必然なのか分かりませんけれども、日本の受賞作家のほぼ全員が、金沢の卯辰山工芸工房もしくは富山のガラス造形研究所の修了生であったことが今回の結果でありました。
 これらの入賞作品を見ていますと、大変コンセプトがしっかりしておりまして、これは私の意見ですけれども、作品のクリエイティビティの高さを強く感じることができたと思います。
画像をちょっと止めますけれども、これが大賞作品です。無数の細いガラス棒を埋め込んだ神奈川県在住の広垣彩子さんの作品となっています。一言で言うと、これがガラスかと思うような、全くこれまで見たことのない極めて不思議な物体が出現したという感じです。
 この後、この展示室Aでは17の受賞作品を展示していたわけなのですが、順次これらの作品を見ていただきながら、ちょっと総括的なことをお話ししますと、国際ガラス展を長く継続開催していることの成果として言えることが二つほどあると思います。
 まず一つが、若手の作家を中心に、石川県および富山県といった北陸地域にガラス作家が多く集積していることが大きく言えると思います。
 それからもう一つは、今日のテーマの国際性ということもありますけれども、例えば審査会の後にすぐ、ドイツのガラス専門誌で「ニューグラス」というものがございまして、いち早く受賞作品の特集をかなりのページ数を割いてやってくれたりしました。何が言いたいかというと、自画自賛みたいな感じになりますけれども、金沢が国際的なガラスコンクールの地として定着してきているなという印象を持っている状況です。
 時間の関係もありますのでちょっと割愛させていただきますが、これが今お話ししましたドイツのガラス雑誌の特集記事です。こういう感じの表紙の中で、17の全受賞作品を6ページにわたって展示しておりますし、今の時代ですと、これが全部ウェブ版になって配信されている状況です。
 続きまして、国際漆展の方に話を移します。こちらのガイドラインをお話ししますと、まずスタートが平成元年です。こちらも3年ごとの漆の国際公募展として開催しておりまして、2014年が前回の開催です。ガラスよりは回数は少ないのですが、このときが10回目というふうになっております。
 作品もやや少なくなりますけれども、このときは15の国・地域から207の作品応募がありました。結果として入選作品は11の国・地域から71点の作品が金沢に集まっています。
 もう一つガラスと大きく違いますのはやはり、国際漆展が産業振興の視点にかなり重きを置いているものですから、アート表現だけではなくて、デザイン部門とアート部門という2部門制にして審査しております。
 大賞ですけれども、輪島市在住の彦十蒔絵、若宮隆志さんの「犀の賽銭箱」というアート部門の作品が受賞しています。大きく見えますけれど、体長が23cmですから、かなり小さな作品です。からくり漆器となっていまして、ちょっと見にくいかもしれませんが、こういうふうにサイの首の部分がぴょこっと跳ね上がりまして、中から賽銭箱が出てきます。かつ、「サイの賽銭箱」という非常におじさんギャグ的な駄じゃれがあります。これは青銅器に見えるかもしれませんが、やはり変わり塗りの一種です。こういった作品が大賞を射止められております。
 また、節目の第10回展記念特別賞は、準グランプリの位置になりますけれども、金沢市在住のデザイナー、東康弘さんという方が射止められました。「蓄音木ピアノブラック」というデザイン部門の作品です。ご覧のとおり、スマホを差し込むと、無電源でスピーカーになる。共鳴ですね。かつ、漆を塗ることによって中高音の再生がかなり良くなっているというものです。実際に音楽を聴いてみますと、結構いける状態ですね。
 漆展の方ですけれども、石川県は輪島塗、山中漆器、それから金沢漆器の三つの漆器産地がありますが、最近の傾向としては、デザイン部門を中心にこういった産地から多くの作品が入賞・入選している状況です。
 最後になりますが、比べる必要もないのですけれども、国際ガラス展と国際漆展をあえて比較してみますと、当たり前といえば当たり前なのですけれども、ガラスの方がやはりグローバル性といいますか、そういったところの強さを感じますし、漆の方が悪いという意味ではなくてリージョナルといいますか、そういった方向性を感じるといえるかもしれません。私からの報告は以上です(拍手)。

(水野) 予定の時間が来てしまいました。久世先生にはいろいろお聞きしたいこともいっぱいあるのですが、また明日、特に「国立工芸館の学芸員にポンピドゥーセンターから呼んだ方がいいよ」などという話を聞いたときは、これは面白いなと思ったので、そのような話とか、それから外舘さんには、工芸性や実在物の話をもう少ししてほしいなというふうに思いました。それから林田さんには、市場をどう創造していくかということがよく出てきましたけれど、伝統工芸は金沢にショップも骨董店もいっぱいあるのですけれども、現代美術や現代工芸についてはほとんどないのです。目にする機会がなくて、ほとんどの市民も、見て買おうというチャンスがないのです。そういう現代ものに対する市場性みたいなものはどうしたらいいのかなと思っていますので、もし明日の全体会議でご披露いただければと思います。そうか、明日はおられないのですか。

(林田) あまりそちらの方の専門家ではないのですが、確かに石川・金沢は伝統工芸の非常に確固たる歴史もあり、現実にも素晴らしい方々がいらっしゃるので、皆さんの関心がそちらに非常に高いという地域ではあるのかなとは思います。でも、今おっしゃったように、いろいろな先生方が現代的なものをお作りになったり、金沢21世紀美術館で新しいものを奨励するような活動をいろいろなさっていらっしゃいますから、流れはもう相当に変わりつつあるのかもしれないというぐらい、逆に伝統の皆さんも頑張りましょうというふうに言いたくなるような気がするのです。
 やはりその辺は多分、日本全体でいうと、かなり現代的なものに対する若い人の関心が非常に高いと思いますし、秋元先生がお書きになった本なども非常にあちこちで話題になって、いろいろな講演会のようなことも開かれているようですから、そういう面でもまだ広がっていって、両方で頑張っていただきたいと思いますし、ビジネスの方は、どこでどうなさるのか、私も現実がよく分かりませんけれども、可能性としては今、広がりつつある段階ではないでしょうか。

(水野) ありがとうございます。来年2017年、鷹峯フォーラムを金沢でやっていただくことになっております。よろしくお願いします。

(林田) どうぞよろしくお願いします。

(水野) それから、2018年には東アジアですか、文化プログラムがあります。2019年は工芸サミットですか、それがあります。2020年にはオリンピック・パラリンピックに伴って文化プログラムがあります。いずれにしろ、毎年こういう形で工芸に絡むイベント、あるいは工芸として金沢はどうあったらいいかと考えるシンポジウム、あるいは実際の発信行為のようなものが連続して起こるようです。
 そのような中で、今日3人のパネラーおよび1人の報告者から頂いた内容を頭に入れながら、さらに1歩進む。われわれが一種の旦那衆になれるかどうかは分かりませんけれども、やはりわれわれ自身もそれを理解して応援隊になるというふうに市民のレベルが上がることが、金沢が工芸の中心地になり得る一番の近道かもしれません。そのようなことを思って、ちょっと尻切れとんぼになりましたけれど、これで終わりたいと思います。どうもありがとうございました(拍手)。


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