第7回金沢学会

金沢学会2014 >第1セッション

セッション1

■セッション1
「大人の金沢らしさ」


●コーディネーター  
大内 浩氏(芝浦工業大学名誉教授)
●ゲスト       
伊東史子氏 (デザインマネジメント/ジュエリー職人)
柴田文江氏 (プロ ダクトデザイナー)
奈良宗久氏 (茶道裏千家財団法人今日庵業躰)

    

大内
 「大人の金沢らしさ」をテーマにさせていただいた背景を説明します。先ほど、福光委員長からも北陸新幹線金沢開業までちょうど100日という説明がありました。私の周りでは、たぶん金沢の人たちが想像する以上に金沢への旅に期待をしています。今までは北陸というと、ちょっと遠いという感覚があったのです。でも、それが近くなりますので、ぜひ行ってみたいということなのです。
ただ、福光委員長が紹介されましたが、山出前市長が心配された通り、観光客が増えて金沢の経済が潤うのは有難いのですが、そのことで金沢の人たちが400年間大切にしてきたものまで失われてしまう、あるいは日々の暮らしを無理してまで変えてしまうことであってはいけない。どのような事態になろうと、守るべきものは守り、さらに新しい文化の発展の地にして行きたい。それはいったい何なのかということなのです。

伊東
 私はデザインマネジメントの仕事をしておりまして、同時にジュエリー職人を名乗っています。2008年に30数人の金沢の方たちとジュエリーを中心にしたものを作らせていただきました。それがとても楽しかったのを覚えていますし、企業のデザインマネジメントを手伝う大きな転換期になりました。
 私にとって金沢は、十分に別格の大人の街なのですが、都市のOS(オペレーション・システム)「金沢仮説」ということで、今日のディスカッションの種になるようなことを挙げさせていただきます。
(1) おもてなしより社交力を
私が旅行する時、下にも置かないようなお客様扱いをされるより、かけがえのない出会い、一期一会を幸せに感じます。それが都市の力になって行くような気がします。
(2) 観光よりも滞在を
 物理的な空間を移動する時に、快適より愉快、快楽をテーマにしています。住んだような気持ちになれる滞在ができる都市になれば素敵ですね。
(3) 貨幣より時間を
時間を融通できるようになれば、より豊かで成熟した関係になるのではないかと思います。自分のスキルを若い人、弱い人たちに還元していく時間の使い方が大人ではないでしょうか。
(4) 成長より成熟を
何かの1番、中心になって行くことより、かけがえのないものになることです。発酵、熟成するような方向の価値が金沢にはあるのではないでしょうか。

柴田
 私はプロダクトデザイナー、言い方を替えれば工業デザイナーの仕事をしています。金沢はまだ5回目ですがあまり詳しくないので、通りすがりのデザイナーとして、世界に注目される金沢に対して、1つか2つ助言できればいいなと思っています。
 デザインを感じないのが良いデザインだというのも1つの考えです。新幹線が開通して、色々なイベント、企画が持ち上がる時に必ずデザインが介在してくると思います。判断基準の1つとして「デザインをしない」「デザインを感じない」というのを持っていると、考え方が変わってくると思います。
 私の生まれは山梨県の富士吉田市で、山中湖と河口湖の間です。幼いころは両方ともとても素敵な湖で、朝方などは怖いほど神秘的でしたが、70年代後半からタレントショップが建ち並び、今や原宿のような湖畔になっています。昔の姿を知っている私としては悲しい思いです


(プロジェクターに自作の「体にフィットするソファー=人をダメにするソファー」の写真)
 金沢には色々な施設があって、個々を主張したくなる気持ちも分かりますが、それによって全体が平らになって行くのはつまらない。それは、金沢が世界に発信していく時のポイントになるのではないでしょうか。
(プロジェクターに新潟で製造されている包丁の写真)

 積極的に主張するデザインを要求される一方で、こんな仕事もしました。とてもよく売れている包丁ですが、私がしたことは、柄の素材を決め、若干の形とパッケージを作ったというだけです。その工房の良い点を私が「見つけ」て、形に投影しました。金沢は伝えなければならないことがたくさんあるので、作り出すというよりは、「見つけ」て、伝えて行く方がデザインと言えるのではないでしょうか。
 私は京都にカプセルホテルを造ったことがありますが、景観条例で役所にさんざんたたかれて大変な思いをしました。どこからも見えないのに、京都には三角屋根が絶対必要ということで、9階建てのビルの一番上を三角にしたのです。機能しないような方法で縛るのではなくて、ユニークなものを残していくために使いたいのです。景観条例というのは、押さえ込むような、消極的なデザインの手法なので、金沢では出来るだけ制御しないで、ユニークな街をつくるためには、ポジティブに内側から変えて行くことが重要なのではないでしょうか。
(プロジェクターにオムロンの体温計の写真)

 私が10年位前にデザインしたものを最近リニューアルして、同じような形で作ったオムロンの体温計で、140万本売れています。今となっては、どこのコンビニでも見る普通の体温計なのですが、出た当時はとても変わった形で、体温計としてはとてもユニークでした。ただ、計るところと読み取るところを伝えたいということで考えました。何もかもおとなしく仕上げるということではなくて、本質的なところを伝えて行くことで、ある種のユニークさを作って行けたらいいなと考えました。
 10年後にモデルチェンジをしましたが、ほぼ同じ形です。機能は良くなっているのですが、せっかくモデルチェンジするなら形を変えて、買い替えてほしいというのが企業の論理ですが、この体温計は家庭用医療機器メーカーのシンボルだったわけで、積極的に形を継承した事例です。もしかしたら、街にもヒントになるのではないでしょうか。


奈良
 お茶の指導で地元と京都ならびに全国に行かせていただいています。金沢の文化をお茶を中心に述べさせていただきます。お茶は今から1200年以上前に中国から禅とともに入ってきますが、信長、秀吉がお茶を使っていったわけです。千利休が重宝されるわけですが東を西に、山を谷にと言われるくらい当時の価値観をすべて逆転したというほどでした。その利休の元にすべての武将がお茶を習いました。金沢の藩祖前田利家もその中の1人でしたが、特に加賀藩3代藩主前田利常、5代藩主綱紀は特に文化政策に力を注ぎ、当時一流の人たちを京都や江戸から加賀の地に招きました。千家4代の仙叟を茶道奉行として迎えましたが、仙叟の足跡は大きなものでした。
(以下、裏千家の国内、海外での活動などをプロジェクターで紹介)

大内
 3人から大切なキーワードが出たと思います。いくつか私の方から問いかけてみたいと思います。伊東さんが最後の方で「成長より成熟を」とおっしゃったが、ジュエリーの世界の成熟とは、どういうふうに理解したらよいのですか。

伊東
 そもそも人間はなぜ、ジュエリーを身に着けるかということですが、ジュエリーではお腹が膨れないし、温かくもならないし、走りもしない。私の師は、「人類はどんなに貧しい時も、空腹の時も、戦争の時も、自らを美しくすることを放棄したことは一瞬たりともなかった」と言いました。人類が持っている、自らの存在を確認する性質は、機能が満たされた先にあるものと考えています。

大内
 「用の美」という言葉がありますが、ファーストフードの文化の反省ともいえるスローフードと同じような考え方ですか。

伊東
役に立つ「用」の観点から、柴田さんにうかがってみたいところですが。

柴田
役に立つものをデザインしろといつも言われていますが、今は必需品というものはありません。プロダクトもある種、自分が美しくあるためのものであるという側面があります。
大内
 「見つける」ということをおっしゃったが。

柴田
 私はネイルをよくやってもらうのですが、ネイルデザインは、はまって行くとすごくなって行くのですよ。すごく憧れている女性の記事を読みましたが、「あの人は爪もきれいだった」というぐらいがネイルデザインとしては完璧なのだそうです。その一言がデザインに近いものだと思いました。
 奈良さんの話を聞いていて思ったのですが、大人っぽいものはどこか分かりにくいというイメージがあります。金沢の街はコンパクトだから、かなり分かりやすいので、ことさらに分からせることはないのではないかと思っています。分からないことで、よりはまって行く仕組みにならないでしょうか。お茶も「分かりにくくないですよ」と言われるんですけど、難しいですね。

奈良
 質問されると「簡単ですよ」と言います。「楽にしてください」と言うのですが、実際は楽ではないと思います。男性でも足が痛いです。しかし、楽しむにはある程度の苦というものも大事なのかも知れません。

柴田
 何もかもが至れり尽くせりというのは、そこにはまって行かないのじゃないかと思うのです。

奈良
 何でも見せるというのは良くありませんね。ある程度見せるのは大事かもしれませんが、見せすぎることはしない方がいいですよ。

大内
 外国では、どうされているのですか。最近、日本茶のブームとともに、薀蓄を語りながらやっている人がおられますが。

奈良
 お茶事というと、もてなされる側も覚悟が必要になります。ただ、「もてなします。来てください」というのではなくて、来る側もやはり緊張感が大事です。静かな世界というか、会話はないけれど、鳥のさえずり、風の音、釜の煮える音など、五感を研ぎ澄ますということが大事なような気がします。

大内
 本当の茶事は4時間くらいだそうですね。

奈良
 過ぎてはいけないので、4時間以内です。

大内
 人間として、そこですべてがあらわになるのですね。

奈良
 だから、一期一会、和敬静寂だと思うのですが。先ほど、柴田さんがデザインしないとおっしゃっていましたが、どちらかと言えばそぎ落とす世界なのです。全部そぎ落として、コアな部分を大事にするのがお茶の世界です。

大内
 デザインしない、すごくシンプルなところへ行くまでのプロセスはどうなのでしょうか。

柴田
たまたま今回は3つともそれぞれの企業の代表的な商品なのですけど、その会社に合わないものは生産できないのです。似合わない洋服は何回着ても似合わないので、その人の本質から出ているものを抽出することが「見つける」の意味なのですが、まず、企業のテクノロジーなどに共感するポイントを探すのです。共感しないと、物は作れません。
 金沢はまだ、そんなに見ていないのに好きなのですけど、ちょっとお茶みたいな「よく分からない」という役割があるのです。お茶はできないけれど、出来るようになったらいいな、というイメージがあります。東京で私は、金沢通の顔をしているのです。金沢はけっこう難しいのですが、来るたびに、だんだんと深度が増して行けるといいな、と思います。全国の色々な街に行っているのですが、金沢のように入りたいけど難しそうな街、敷居が高い感じの街というのが共感ポイントといえるでしょう。2015年という、金沢が成熟した時点で華々しいものはいらないし、皆が憧れている都市のまま伝えて行けるのではないか、そこを増幅させてもらえば、と思っています。
伊東
 確かに金沢には、あまり華々しく、遠くへ行ってほしくないなという気持ちです。私たちはもう、20世紀的な経済発展の失敗のないような成熟した時代に入ってきているので、モデルケースのような街になるだろうな、と思います。若い人たちの中には、自分の家に他人を呼び込むような仕組みを考える人がおり、空間を自分のものにしたかのような楽しさがある、新しい滞在型の街としてあるのではないかと思います。

大内
 金沢として、やろうとすればすぐにできるようなことが3人の話の延長上にあるのではないかと思います。このセッションのキーワードは「静けさ」です。ヨーロッパでも、それなりにいいな、と思える街に入った時に、ゾッとするくらい静かな街がたくさんあったと思うし、そこに共感を覚えます。そこには普通の生活があり、旅人としていいなと感じます。
今、外国人向けのガイドブックなどで問題となっているのは、兼六園の団体客に解説をされているスピーカーの音です。ボランティアの人たちも含め努力されており、申し訳ないのですが、そろそろイヤホン化を考えてもいいし、市内のいたる所に流れている疎水の音を聞きながらの散策などは、他の都市では真似ができません。逆に、近江町市場や市街地などの賑やかさとの対比で陰影がある街づくりは、今からやってはどうかと考えています。

奈良
 金沢というのは、静けさが大事だと思います。テーマをいただいた時、男が1人で主計町やひがし茶屋街を歩いているイメージがありました。寂(静けさ)は大事ですが、静けさだけでは静かなだけなので、陰と陽、静と動がいいのかなと思います。あと、工芸を考えれば、師弟関係が希薄になっているので、これを改善することが大事です。また、色々な施設や寺社などを含めて、人と人との距離感のなさが金沢の良さと言えるでしょう。

柴田
 金沢はすごく大人っぽい街でありながら、21世紀美術館が持つ開放的なイメージとのコントラストが好きです。21世紀美術館へ行くと、近所の人たちが外で犬の散歩をさせているのがすごくうらやましくて、旅行しているのに、金沢に住んでいるように錯覚してしまいます。日本の街の中にはイメージ先行型というのがたくさんあります。興ざめポイントは標識、サインです。空港から市街地までの間に、金沢という街をサインがなくても成立させることができないかな、と妄想していました。先ほどのスピーカーの話にもありましたが、中心部はスマホやGPSなどのテクノロジーで実現できるのではないでしょうか。

伊東
 奈良さんの、お客の方にも心構えが必要という話になるほどと思ったのですが、ソファーでリラックスしながら飲むコーヒーだけが良いかというと、そうではありません。緊張感があったり、粗相がないようにドキドキしたりする中で味わう時間、空間は魅力的なことなのだと思います。金沢に来たと感じられるのは、たまたま会った地元の方たちのお洒落だと思っていますし、その中で個人的な対話が楽しめる要素があればいいな、と思います。

大内
 遠来の客に対してもてなしをするという心構えを失ってほしくないですね。今日の意見で共通していることは、今ある金沢の良さを見直さなければいけないということであるし、その良さは金沢の人自身も意外に気づいていないらしいのです。それを少し大人目線で見直し、若い人たちにも伝えて行くことが大事なのではないでしょうか。
 都市計画をやっていると、「金沢の町が分かりにくい」という質問を時折受けます。それに対して私は「そりゃそうです。この街は江戸時代の武家が、外敵に対するためにわざわざ分かりにくく造ったのですから。どうぞこの意地悪な街を歩いて、逆に楽しんでください。それでも分からなかったら、聞いてください」というアドバイスをしたいと思います。

福光
 社交力についてはどうなのですか。

伊東
 ただ、馴れ馴れしい人がたくさんいるということではありません。瞬時にして相手に目線を合わせられるような力は、ある程度社会的な訓練がされているのではないかと思います。やっとしゃべれるようになった3、4歳児でもファーストネームで話しかける場合があります。これは、いきなり出来るのではなく、こういうときはこうしゃべるというような教えが親や先輩からあったわけで、それが社交力でしょう。
福光
 もてなしと社交力というのは、反対概念じゃないですか。

伊東
 そうですね。

福光
 お茶でいうと、もてなしとは何ですか。

奈良
 もてなしだけでは「ようこそ、来てください」という側だけのような気がします。やはりお茶は行く方もある程度、緊張感が必要です。

伊東
 奈良さんの話で気が付いたのですが、循環する関係が出来たら社交になるのではないでしょうか。一方的なサービスになってしまうと、片思いになってしまいます。

大内
 親しい外国人は、いつもお客様扱いされて、本当の付き合いに発展しないのはちょっと寂しいねと言います。もう1つは、もてなしを若い人たちに教える時、昔は大人の会合を子供たちが見る機会がありましたが、最近のようにその機会が少ないと、なかなか教えられません。

奈良
 お茶で言うと、お迎えする人のことを思うということが、もてなす側の心構えではないかと思います。
 

 

 


   





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