第6回金沢学会

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全体会議

全体会議

世界に向けて金沢が何を発信しうるか?

(福光)おはようございます。昨日も長丁場で議論をいただき、また、議論をお聴きいただきまして、本当にありがとうございました。2日目は、さらにいろいろとお聞きいただいた上で、また今後知恵も出していただければと思います。先生方におかれましては、昨日お話しいただきましたことにこだわらず、全体の議論にご意見をいただきますように、心からお願いをいたします。全体会議の進行議長は、水野一郎先生にお願いします。どうぞよろしくお願いします。

(水野) 全体会議の進行を務めさせていただきます水野でございます。よろしくお願いします。昨日は長い時間かけて皆さんのご意見を聞いたのですが、たくさん内容があり大変でした。今日も濃い2時間にしたいと思っております。
 まず昨日の経過について、少しお話ししたいと思います。飛田代表幹事より開会のご挨拶がございましたが、その中で創造都市会議が始まって、いろいろ議論を重ねた中で創造都市というユネスコ認定を受けたという経過がございました。創造都市会議の実行委員会を形成している経済同友会、金沢市を含めて、このシンポジウム等を開いていることにも敬意を表しています。
 私が35年前に金沢に来たとき、金沢経済同友会と商工会議所が、先頭に立って用水の保存運動をしていたのです。金沢は用水を大事にしなければ駄目だと言ってやっているのです。2〜3年たつと、今度は都市美をやろうといって、経済人が都市美運動を始めて、都市美文化賞を出そうなどとやっているわけです。そして、この辺りに古い、大正とか明治の建物で、東京駅を設計した辰野金吾さんが設計した日本生命金沢支社という煉瓦造の建物があって、その保存運動を展開したのですが大学関係者は誰も付いてこなかったのですが、金沢経済同友会が私より前へ前へどんどん進んで行ってしまうのです。「経済人というのですか。私は、そのときに金沢には旦那衆がたくさんいるのだと思ったのです。旦那衆の力みたいなものが、ずっと今まで続いていると思っています。
 その中で、昨日、菱川さんが、この会議に若者がいないではないかという話があったのですが、この会議は金沢経済同友会とか金沢市とか、あるいは少しバックアップしてくれた北國新聞とか、そういう方の内輪の会なのです。この学会は、そういう若者から見たら年寄りというか、菱川さんから見たらずっと年寄りの、しかも背広集団が来ているという景色ができてしまって、それをある意味で当然だと思ってやっていたところ、ぽんと言われたのでびっくりしたということがございます。
 福光さんからは今回のテーマ「遊学都」に関する説明がございました。「遊学都」は知と感性の交流拠点として考える。学都金沢という言葉がありますが、金沢都市圏には16の大学、短大等、高等教育機関があるのですが、学都だと、例えばお花もお茶も工芸もあるのだし、能もあるのだし、料理教室もあるのだし、いろいろな市民芸術村みたいな活動もある、いろいろなものを学ぶという意味で言うと、学都は大学みたいなことになってしまうので、もう少し楽しいものにしたらどうだということで、遊学都になったというお話しがございました。
 半田さんからはワークショップの報告があり、町家のリノベーション特区として約600軒の空き家の町家が、金沢の都市・旧市街地の中にモザイクのように転々とちりばめられているわけですが、何と一つのものとして結んで、再利用できないものかという発想で特区が出てきたわけですが、非常にユニークな試みです。
 長期滞在型ツーリズムとか、クラフトツーリズムとか、いろいろなツーリズムが入ってきて、まちの中のいろいろな点に、どうやってアプローチしていけばよいかということだろうと思います。金沢が持っているソフトウエア、力量とかをどうやって見せたらいいだろうかという話があったかと思います。
 その後三つのセッションについては、それぞれのコーディネーターの方からご報告願いたいと思います。それで、は第1セッションの宮田さんの方からお願いします。

(宮田) おはようございます。昨日は、私と林信行さんと、東北大学の本江教授と3人で、「金沢を遊ぶ」というお話しをさせていただきました。遊ぶには、今はインターネットの情報が非常に重要なポジションを占めていまして情報を発信をしていく上でも人材と技術が非常に重要なのではないかというお話をしました。今、金沢市でどんな取り組みをしているのかというお話しもさせていただきました。
 金沢市は、私も幾つか関わらせていただいていて、人と産業の創出に関するいろいろな活動させていただいています。クリエイティブベンチャーシティ金沢(CVCK)という活動をやっていて、さまざまなジャンルのトップを走る方々に講師として金沢に来ていただいて、何か新しいことを起こしたいという若い人たち向けに、最先端の技術や情報といったものを勉強していただいています。
 今、見ていただいているのは、シリコンバレーで今、最も成功して注目されている企業にEvernoteという会社があるのですが、その中枢の方々に金沢に来ていただきました。
 今日来ていただいている菱川勢一さんにも、最先端の映像やメディア関係の授業をしていただきました。これが非常に面白かったのは、これからの映像というテーマでメディアの授業を週末の金・土・日に開催したのですが、県外からの受講生が非常に多くて、しかも家族連れで来沢されて、お父さんの勉強中にご家族が観光を楽しむというスタイルも見受けることができた。これは非常に面白い現象だと思いました。単に勉強しに来るだけではなくて、ツーリズムにもつながる新しいスタイルのことが金沢ではできているのではないかと思います。やはり金沢の魅力があるから、お父さんが金沢へ行くけど、おまえら来るか?みたいな流れになったのかとも思います。
 こういった教育の部分と、実際にアイデアを発表して評価するというクリエイティブベンチャーコンテストを10月の26日に金沢で開催したのですが、ここでグランプリを取った若者たちが、金沢大学の大学院生と独立したばかりの人の二人が受賞したのですが、彼らはめでたく10月に二人とも起業しました。会社をきちんとつくって、これからしっかりやっていくという流れになっています。これは非常にスピード感ある、いい流れだと思います。金沢市が主催しているわけですが、ほかの都市ではあまり見ることができなくて、独自の生態系をこれからつくっていけるのかなと思います。これらの活動で人と産業を、どんどん創出していく、市の取組として金沢をベンチャーで活気のあるまちにしていくということで、スピード感を持って実現していけていると思います。
 この流れの中で大きなものとして、公衆無線LANというお話を昨日させていただいたのですが、今、金沢市は公衆無線LANの整備を進めています。あらゆる観光客、市民が手軽にその場で情報を受信、発信できるような、ビジネスチャンスを創出していこうというところでやっていますが、問題点として市中でWi-Fiが使いにくいという話があります。実際にいかに使いにくくなってしまっているのかを、昨日問題提起させていただいたのです。Wi-Fiのチャンネルという部分で大きな問題が生じていて、これは金沢だけでなく全国的な問題です。どんなふうに問題になっているのか可視化しようということで、NTT西日本にいろいろご協力いただいきました。Wi-Fiチャンネルに13チャンネルあり、上手に使うときれいな山形になって電波が発信されています。ここに余計な電波というか、無計画に電波を誰かが発信し始めると互いに干渉して携帯がどの電場を拾っていいか分からなくなって、無線LANが使いにくい状況になるのです。実際に金沢の都市部である片町がどうなっているのかをお見せしたいと思うのですが、今お話ししたように同じ空間で理想的な環境を実現するには、同じ場所で最大3チャンネルが理想です。
 金沢の片町周辺では、今どうなっているのかというと、NTT西日本に測ってもらったところ、こういう状況になっています。iPhoneやiPadなどで無線LANを使おうと思っても、どこに接続していいか分からない状況なわけです。今、電波干渉は都市部ほど不安定な状況になっています。これでは便利どころか電波で迷子になってしまいます。
 金沢は、この問題にしっかり取り組んだ方がいいのではないのかというお話で、見えないものにも景観的なルールをつくる。金沢はまちの美しさに非常に気を遣っている場所ですから、みんなが気持ちよく美しい環境の中で楽しく遊べる都市になるのではないかということで、これから公衆電波のルールづくりをする電波景観コンソーシアムというものを作っていこうというお話をさせていただきました。

 ここから、林信行さんからも幾つかお話をいただきまして、海外の事例とか、本江先生からも海外の幾つかの事例をお話をさせていただきました。ボストンとロンドンでエリクソンが無料の公衆無線LANを敷設するにあたり、あらゆる調査をして、その調査の中からここは少し電波が飛びすぎているのではないかとか、ここはこういうふうにした方がいいのではないかというふうにきちんとルールづくりをして、誰もが快適に使えるような整備をしているというお話がありました。
 以上で昨日の第1セッションの大体の概要を終わらせていただきたいと思います。

(水野) ありがとうございます。それでは第2セッション、佐々木先生のお願いします。

(佐々木) 私はメモを取りながらお二人のゲストのお話を、自分のアイデアと接合しようと思っておりまして、これからの21世紀の経済のあり方は創造経済だと私は思っていますが、創造経済の都市の形が創造都市なのだとご説明しました。もちろん世界中の都市が、まだ20世紀的な産業都市を狙っていたり、20世紀的な金融都市を狙っていたりするのだけれども、幾つかの都市は、創造経済の時代の都市のあり方を考えているということです。
 また、昨日、菱川さんの文芸的演出について、メルセデスベンEクラスの非常に素晴らしい映像を見せていただいて、そこで少しだけ昨日の図を変えました。消費のところを昨日は、創造経済では個性的・文化的消費と言っていましたが、感性的・文化的消費という形で、もう少しとがらせようかということにしています。
 都市の優勢にはクリエイティブな人材や業や知恵や文化を保存して活用していって、市民が容易に新しい産業に結びつけることができるような拠点が必要になってくるわけです。
 ゲストの川島蓉子さんからは、和菓子の虎屋についてお話があり、「伝統は革新の連続である」。職人の感性を刺激する創造性あふれる空間づくり、使う豊かさとインテリジェントの消費を実現する、そしてやはり不易流行なのですが、変わるものと、変わらないものの区分けというか、ここら辺がビジネスにとっても大事だし、都市にとっても大事だし、当然それぞれの市民にとっても大事なものなのですが、こういった問題に私は同感いたしております。
 札幌の創造都市ラボの会議があるので、ゲストの武邑先生は今朝帰ってしまったのですが、幾つか衝撃的な問題提起がありました。一つはアムステルダム国立美術館が、レンブラントの絵画とか、収蔵品のすべての著作権をフリーにするというものすごい決断をする。こうなると、あらゆる世界的な文化的コンテンツを、さまざまに利用可能になってきます。これに3Dプリンターが加われば、容易に、これまで想像がつかなかったような絵画上のいろいろなものが、まさにものづくりとして、しかも個人の自宅の上で作れてしまうことになってくるわけです。
 したがって、まさに膨大な市民がクリエーターになるし、プロダクションとコンサンプションと分かれていたものが、プロサンプションになると一体化してくる。そこではプロシューマーが登場してくるというのが、21世紀経済になってきたときに都市や企業はどういうことになるのかという話です。
 そういった問題を先を読みながら展開していく場が必要になってきて、札幌では創造拠点としてメディアアートラボをつくりました。これは伊藤穰一さんがやっているMITメディアラボを札幌版にしているものなのですが、彼のアイデアは札幌全体をメディア化して創造資本にするという思い切ったアイデアになってきています。
 私は、そこから金沢の創造拠点として金沢21世紀ラボというものを考えたときにどういう展開があるのかと思っていて、これは札幌と金沢を比べた場合の優位性は明らかに、昨日も歓迎レセプションで「学生のまち市民交流館」に行きましたが、あれは札幌にないのです。金沢には、まさに「百工比照」からある、膨大な文化的資産もあり、先ほどは電波景観の話がありましたが、文化的景観があるわけです。金沢固有の遺伝情報や、これは言い換えると文化資本なのですが、これが特定の人が利用している、あるいは前田家だけが持っているというのではなくて、市民が創造的に活用できる場になってくると、とんでもないことになってくるわけです。
 そうするとコンテンポラリーなまさに電波景観が広がっていくわけですが、コンテンポラリーな21世紀美術館もあり兼六園もあるという、つまり同時代性と同時に歴史性があるという、この二つの軸でうまく場をつくり出すことになっていったときに、とても面白いことになってくるだろうと。実は大内先生の師匠でもある、私どもの尊敬する梅棹忠夫氏が、博物館は情報産業であるということを30年前に言っていて、博物館はあらゆる文化的支援を保存して、保存するだけではなくて発信するのだと。今ある情報産業は、発信はするけれども保存はできないわけです。保存して人々が容易に活用して、取り出せて、そして発信できるという機能が都市の中心的な機能になります。
 金沢21世紀ラボは、そういった意味では21世紀ミュージアムなのです。アートミュージアムとは別の意味で、そういった装置をどうこの会議から発展させてつくることができるかが、第2セッションを聞きながら考えたことです。以上です。

(水野) ありがとうございます。全体の総括のようで助かりました。それでは、第3セッションの大内先生、お願いします。

(大内) 昨日、「時を過ごす」というテーマで、平野文さん、菱川勢一さんに、大変具体的で面白い事例を挙げていただきお話しいただいたと思います。平野さんは、もともと劇団で活躍されたり、アニメの声優等々でご活躍だった方が、ひょんなことから築地に嫁ぐということを体験されて、そこからさまざまな新しい発見があったという話があったと思うのです。築地はもともとプロの魚屋さんの取引の場所だったのですが、今皆さんもご存じの、一般の方たちにも人気の、東京の中でも今、最もにぎわうような場所に今変わっているわけです。その背景にはいろいろな面白いところがあって、まず平野さんが発見したことは、実はあそこは東京つまり明治以降つくられた近代的東京ではなくて、江戸そのものだ。江戸っ子が持っている義理人情だったり、けんかっ早かったり、一方で何かすごく熱い心を持った男衆たちがつくり上げた文化であることを発見されて、その中でさまざまな工夫があったことが重要な問題提起だったと思うのです。具体的には三代目、築地は約80年近く、今の築地に移ってから関東大震災以後ですが工夫があった、もう少し前のプロ集団から三代目と四代目が協力して今日の築地をつくり上げてきた、そのときにいわゆる市場の持っている面白さ、まさに歩きながらさまざまな食材を探し、同時に会話のある、お互いにお客様と店主たち、あるいは店主同士、あるいはお客様同士という、お互いに会話のある、現代の私たちのスーパーマーケットとか、そういうファストフードの文化にはない、何かものすごく人間くさい、そしてひょっとすると私たちの現代社会では忘れられたようなことを今でも体感し、味わうことのできる空間に築地がなっている。そのことが築地を今の人気に仕立て上げたのだろうということを、お話ししていただきました。
 そのときに大事なのは、三代目が四代目、今の若いちょうど30〜40代ぐらいの方たちを後ろから、さまざまな仕掛けで後押しをしてくれた。今までのプロ集団から、もう少し一般の方たちとの会話ができるように、あるいはそういう売り方ができるように、商品の構成の仕方や商品そのものも、売り方も変えてきている。そのことが、今の築地を人気のものにしているという具体的なお話がありました。今は市場の移転とか、いろいろな問題を抱えて、ある意味で築地にとって危機的な状況はあるのですが、それを逆に生かす取り組みの具体的なお話がありました。それから最後に、すごく衝撃的なことをお話しいただきましたが、三代目に嫁いだ平野さんが、二代目、あるいは一代目の方たちから、「人間は最後は色気と食い気だ」と言われたという話もすごく印象的で、確かにそうだなと思いますし、一方で、大事なのは子どもたちが後を継ぎたいような、要するに次の世代が親の後を背中を見て育つ、そういうことをしていかなければいけないということを、嫁いだ平野さんが教わったということも、僕らにとってもあらためて思い起こさなければいけない大事なことだと教わりました。
 菱川さんは、CM等々の分野でも最先端のことをやっていらっしゃって、今回は金沢の夜景の撮影でいろいろと試行錯誤されているようですが、時をどう演出するかというときに、ある種の光と闇をどういうふうに上手に演出するかが大事だということからお話がありました。
 そして一つのキーワードとして、金沢にふさわしい演出の仕方として文芸的演出というキーワードを提示させていただきました。
 その文芸的演出というのは、こういう歴史があり、さまざまな自然文化、あるいはさまざまな工芸の文化等々の営みのある中、ある種のストーリー性のある、あるいは感性に訴えるような演出が必要なのだということで、具体的な事例として、菱川さんが手掛けられたdocomoのCMや東京駅の再生・復元のCMであるとか、メルセデスから非常に高い高級車のCMを作るときにいわれたのは、ある意味でまさに感性に訴えるということです。そこにたくさんの言葉とか、情報をつぎ込むのではなくて、まるでそのストーリーの中に引き込まれるような、そういう感性に訴えるCM、結果的にそれが非常に効果的だということを、私たちも見せていただきました。私たちは若い世代が大丈夫かと上の世代の私たちは心配しているようですが、実は若い世代たちは非常に感性豊かなものを持っていて、その感性豊かなことを上手に彼らを後ろから押してあげれば、多分上の世代にはない才能を発揮していけるのだろうと最後におっしゃって、平野さんの、三代目が見守る中で四代目が市場という空間を見事に変えていったという事例もありましたし、そしてメディアの世界で新しい若い世代が要するに育っている、そういうことの事例を話していただきました。
 私自身は、伝統も結局は前衛から始まったというのも、そういう趣旨だったのですが、新しいものを作るときには場合によっては古い世代からは、なかなか大丈夫かという心配があるのですが、実は若い世代が新しいものに挑戦するということを続けない限り、逆に伝統も歴史もつくれないわけですから、そういう意味でときをいかに過ごすかというか、演出するかも単純に、今日は後から朝から夜までということも議論したいのですが、そういう1日の「時」だけではなくて、もっと長い長い歴史とか、現代と歴史との関係とかも私たちは上手に演出することを考えるべきではないかということで、第3セッションが終えたと思います。以上です。

(水野) ありがとうございました。以上、昨日の経過を開会の挨拶から、ずっと第3セッションまでたどってまいりました。
 もう一度、私の感想を交えて振り返ってみたいのですが、第1セッションでは本江さんが、モンペリエで、中庭をコンテンポラリーアートで飾りながら中庭を巡る、まちを歩く、それと同時に地元の人が自分の町を発見するイベントでもあったと。来た人も、自分たちも、住んでいる人も、モンペリエはいいところだなという感想で終わったという話、これはなかなか感動的でした。
 実は金沢でも、ここにおられる浦さんなどが、「趣都金沢」という形で、町家の中に転々と石川で生まれた工芸品を展示して、それを巡るという企画を立てて、3年目ですが、やっています。そのことによって石川の工芸、金沢の工芸を理解するとともに、町家をみんなまた歩いて回る。何かそういうことは非常に面白いと思っています。
 それともう一つ、本江さんがおっしゃったことの中に、仙台スクールオブデザインというのがあって、そこでコラボしながら地域を元気にしていく、デザインしていく試みをしていて、スタジオ型教育のようなものでアクションを起こす前の段階というのですか。コンセプトをつくったり、企画を立てたりすることで教育をするということで、150人卒業したというお話がありました。
 それから、札幌のメディアアートラボは、特別な施設や学校を持っているわけではないのだけれども、いろいろな大学の余った空間などを借りながら、地域課題と向き合う市民ラボをつくっているという、やはりこれもアクション型のラボです。先ほど佐々木先生から、21世紀ラボ、金沢のラボについてお話がありました。それは少し博物館型のミュージアムという言い方をされていましたが、どういうラボを創造するか、今の仙台、札幌、金沢と考えた場合に、どのようなものがあるのかなと思いますが、金沢の場合は今まで何度も議論が出ていますように、過去の蓄積が非常に大きい。今も何か新たな蓄積を加えつつある。そういう中でさらに前進したいということでしょう。これについて福光さんの方から、何かご意見等ありましたら、お願いします。

(福光) 昨日問題提起でお話ししましたように、今回は略称21ラボ、多分、金沢21世紀ラボが戦略的にいいネーミングだと思いますが、それを実現していこうという話になるのが、一番好ましいということを申し上げていました。これまで、こういう議論を重ねてきて、それから提言して実現できるようなことはもう既にいろいろと、市と県と協力して実行に移してきているわけですが、やってみるとどんどん課題が複合的になっていくわけです。
 つまり、ある面からはデジタルテクノロジーのような話に聞こえるけれど、本当は人づくりの話だったり、人づくりの話が実はその方向性がまちづくりだったり、要するにもう縦割りではできなくなっていて、いかに横でかけ算していくかという場が必要なわけです。ある意味では昨日、川島さんからご紹介いただいた虎屋さんなどは、あの大きさだと企業としてやっておられるわけですが、金沢の場合はあれをまちでやっていくという、伝統は革新の連続であると、たまたま私の会社と全く同じ社是であるという不思議なことですが、結局歴史を重ねると、他に言いいようがないのだろうと思いまして、金沢のまちは、虎屋さんよりは若いのですが、うちよりは古いので、そういうことで伝統は革新の連続でなければいけないわけです。それを「伝統も初めは前衛であった」と大内さんが言っておられるので、つまりいつも前衛をやっていけるかどうかを問われているということなのです。
 江戸の話を平野さんからお聞きしたら、いろいろと江戸のことを随分思い出しておりましたが、江戸の町そのものが随分創造都市であったのはご承知のとおりであり、この21ラボのような機能として、「連」という暇な武士から豊かな町民からみんなが集まって面白いことを発明したり、企画をして実行したりするようなものが、町にたくさんできていました。ですから、言ってみれば今の金沢で21世紀へ向けての、江戸的に言うと「連」を、まち全体が一つの老舗だと思って虎屋さんのような考え方をしていくことになると、必然的に21ラボが必要だということになるのだと思うのです。
 いろいろな見方があるようですが、佐々木先生がおっしゃった博物館的なというのは、実際正しい意味の博物館的なという意味で、未来型の、梅棹忠夫先生がコンセプトをつくられたような話を言っておられるのであって、この21ラボはどの型でもなく、金沢型ではなければいけないと思うのです。それでどういうことかというと、ここのラボはテクノロジーも当然扱う、デザインもアートも扱う、金沢のまちづくりも行う、そして人材を育てる、そして21世紀美術館をうまく連携して大きな発表をしていく、そういう構想だろうと思うのです。
 もっと簡単に言うと、金沢学会や創造都市会議のようなことが日常的に行われるような機構になっていく、多分、そういうことだろうと思います。それができれば、さまざまにすることがありまして、とにかく人材を集めなければいけない、交流拠点都市を市長が打ち出されるわけです。とにかく素晴らしい人に集まってもらう、その人たちが21世紀ラボを拠点にして地元とかけ算をする、コラボをする、あるいは何かるつぼの中に入ってもらう、そこからいろいろな創造が生まれていく。当然、われわれも地元の若い人たちを含めて人材をつくらなければいけないので、今やっているクリエイティブベンチャーシティ金沢構想などももう少し大きく考えて、このラボと大いに連携して、来ていただく人材が若者を教えていただくような連携はいくらでもできますので、教育機関を持つことがいくらでもできる。そして、そこにデジタルテクノロジーも含め、3Dプリンターも含め、しかし工芸の話も含め、ものづくりの広い意味での未来性について大いにチャレンジしていく、こういうタイプのことだろうと思うのです。
 もう一つ重要なことは、このラボは、昨日菱川さんから教えていただいたような、このまちをどのように演出していくか、ストーリーとエピソードと言っていただきました。山ほどコンテンツがあるのに、エピソードをつくっているのかと、勝手にできた雪つりしかエピソードがないのではないのか、ここの部分がいわゆる未来博物館的な部分に転換できるところだろうと思います。ですから、既に工芸技術としては現代の「百工比照」のようなものに既に着手していますが、もう少し広い意味で演出的に「百工比照」のようなことをしなければいけない。
 それで、私が昨日、問題提起のときに申し上げたように、世界から見て金沢が、完全にパリや京都から区別できるかどうかというところが問われるので、それをどうしていくかが重要なことだと思うのです。そういうことをしながら、いろいろな意味を集積していって創造が生まれ、産業が生まれ、人材が生まれ、金沢が個性的に世界都市化していく。そういうことになるための、いわゆる交流拠点都市のスーパーエンジン、それを金沢21世紀ラボというものに託すというのが、非常にいいことだろうと思います。
 その構築には、まだこれからいろいろ設計をしなければいけませんが、今日来ていていただいている方々を含め、これまで金沢創造都市会議や、金沢学会でいろいろと知恵をいただいた方々もさらに巻き込みながら、大きな21世紀のるつぼをつくっていこうというのが一つの提案です。

(水野) 大変大きな構想です。われわれがこれから十分に議論して、煮詰めていかなければいけない課題です。
 それでは、少しパネリストの方にお話しをお伺いしたいのですが、林さん、昨日、京都の「花なび」とか、バルセロナが無線LANをコントロールしているとか、ミラノサローネの話も含めて、情報IT化が世の中を変えていっている動きがたくさん紹介されたのと、今回の学会の情報をもうfacebookで既に全国に発信されているということを後でお聞きしたのですが、今の21ラボとか、金沢は2年後に新幹線が開業で、今どうしようかと考えている、あるいは行動を起こしている時期なのですが、何かアドバイスがございましたら。

(林) betaに来日して講演をされた、Evernoteの外村仁という日本法人の会長がいるのですが、彼がよくギブアンドテイクの法則と言っています。それは何かというと、自分が興味のある話題や、自分の関心が強いものを外に対して情報を発信すると、作用・反作用の法則のようにして、自分が発したものと同じものが外からも返ってくる、どんどん自分のそこの部分が加速されていくと、よく言っていました。実際、ブログなどでも、例えば僕がアップル関係の情報を発信していると、僕が知らない情報でも、こんな情報もあるのですよ、どうですかという形で知っていくので、例えば食のブログを書いている人は、周りの影響もあってどんどんそういった情報が集積されやすいということがあると思います。
 そういった意味では、僕が昨日一番印象に残ったのは、川島さんの虎屋さんの話の中で、そもそも20代の若い方が、虎屋をこれからこういうふうにしていくのだと言って、反発もあったけれど、その中でいろいろな議論があって、そもそも虎屋とは何かという本質を一回見極めたということです。僕も今、よく企業に行って、これからの企業はどういうふうになったらいいかという話をするときに、今こそ本当に立ち止まって自分自身は何なのかという本質を見極める、福光さんのお話にもあったように、金沢は京都とどう違うということを海外の人たちにも分かるような形で見つめ直して、金沢ならではのものを世界に対して発信すると、そこに共感する人がどんどん集まっていて、その部分が増幅されていくのではないかと思ったりしています。
 3Dプリンターの話にもありましたが、今はまさに19世紀初めぐらいに、蒸気機関車や電話などが発明されたのと同じぐらい大きい革命が起きようとしているのです。今、この瞬間われわれは、3Dプリンターが珍しい最新の機械ぐらいにしか見えていないかもしれませんが、そのうち3Dプリンターで自分に移植できるような臓器もできあがってくる、そもそも3Dプリンターは、これまでのものづくりは外側の型を作って、そこに流し込んで外の形しか作れなかったのが、内側の構造まで作れてしまうので、中に人形が入っている状態のマトリョーシカをそのまま出力すれば、中身が入った状態で出てくるような3Dプリンターは、本当に物の作り方を根本から変えてしまう。
 スマートフォンも、ただの電話だと思っているかもしれませんが、そもそもスマートフォンの登場によって漁師の漁のやり方も変わってしまえば、農家の方々の農作業も変わってしまうような革命も起きていますし、ソーシャルメディアも電話とは全然異質の個体、マス、世界との情報のやりとりもできるので、本当にあと10〜20年ぐらいの間に、世の中は大きく変わってしまいます。
 そういうときに、そもそも金沢の核がどこにあるのかを見極めていないと、一様に埋もれてしまうことになってしまう。そもそもほかの都市に比べると、金沢はしっかりとした核を持っていると思うのですが、いま一度核を見極めて伝統とモダンというか、これからの21世紀の後半とのかけ算の接点部分を見極めていっていただければいいのではないかと思っていました。

(水野) 金沢とは何だという自己確認の作業は、過去随分やってきたのですが、これはずっとやらなければいけないでしょうね。いつも自己確認しながらやっていくということを、川島さんからもいただいたと思います。川島さんの話の中で、私が印象的だったのは、伝わると伝えるの間とか、伝統がきちんとある中で、もう一つのものを作りたいとか、非常に刺激的な言葉をたくさん聞いたのですが、そのことも含めて、何かさらにおっしゃりたいことがあればどうぞ。

(川島) 昨日から、とても私はたくさん勉強させていただいている気がして、大変ありがたいと思っています。本当に私が虎屋の人間のようになっている気が昨日からしているので、2分だけ違う企業の話をしたいと思います。
 仕事柄、とにかくいろいろな企業の方に会い、いろいろなお話を重ねているので、林さんがおっしゃったような今の日本企業が固まっているような状況を、ぜひ金沢市が打破してくれたらば大変ありがたいと思っていて、少しだけエルメスの話をしたいと思います。エルメスについては、金沢にもう何度も訪れていると聞いていますし、おれたち知っていると言われると思うのですが、私も負けずに本社を2年間取材しておりますので、エルメスの話をしますと今、林さんがおっしゃったような理念のような核を、実はあえて作らない企業なのです。エルメスには「遺言なき相続」という言葉が代々受け継がれていて、要は社史を残してはいけない、企業理念を文言化してはいけないということが脈々と、180年しか歴史がないのですが、その180年の歴史の中で続いている企業です。
 では何をするかというと、トップが繰り返し、いろいろな言葉で語り継いでいくわけです。それをトップだけではなくて、社員が身に染みて感じて、また次に語り継いでいくということが、全世界グローバルで行われているのは、なかなか珍しい企業ではないかと思います。ですから、聞いていくと、やはり伝統は革新の連続なのです。でも、それをいろいろな言葉で言い換えていて、大きくなってもいいけれども、太ってはいけないとか、要は何かをやるときには、とても慎重に考えて無駄を省かなくてはいけない、そういう宝石のような言葉がたくさん存在している企業です。
 あとは、できれば金沢市にやってもらいたいのは、単に文言化したり、書物化したりするのではなくて、やはり形にして何か外に向かって出していってほしいということです。エルメスが何をしているかというと、とても変わったことをしていて、ぜいたくです。例えば世界中から選んだ180人をローマの広場に集め、全員スカーフを身に付けるのです。どこでもいいのです。首でもいいし、手首でもいいし、そしてダンスを一斉に踊らせるのです。それによって、恐らく遺言なき相続を体で感じることができるわけですし、普段接していない職人と、例えばパリの職人と日本の販売員が一緒に隣で踊るわけです。ものすごい高揚感と、ものすごい一体感。すみません、熱くなるのは今朝もずっとその原稿を書いていたので、それが乗り移って話してしまうのですが。ソニーの品質管理チームが社員を10名送り込みました。ソニーの品質管理チームがエルメスに行って、スカーフを売るみたいなこともやってしまうのです。それがまた都市を超えて出入りが起こる形にすることは、重要な気がします。
 最後に辛口の話を一つしますと、エルメスは実は金沢を訪れていて、漆であるとか金箔であるとか、そういう技術を多分たくさん見ていったと思います。その事実に対して本社がどう言っているかというと、日本は大変素晴らしい、ものすごい精緻な業と高度な技術を持っているが、要は、そこから革新に踏み込むための決断ができない国である。「もっとこうしてほしい」と言っても、「それはできないのです」と簡単に言い切ってしまう。やってみてから言ってほしいみたいな話で、結局は中国に流れてしまい、中国の上海と組んでシャン・シャというブランドを出し、中国の伝統技術を盛り込んだお店を上海と北京とパリに、この秋オープンする予定です。
 ですから、お願いしたいのは出入りしていると金沢市は、いろいろな人が入ってきている、交流しているイメージが私の中でできてきました。ではなくて動いていて、それが外に出て行っているのだとか、交流しているのだというイメージが、形として広がっていったらありがたいと思います。すみません、少し言い過ぎだったかもしれませんが、ぜひ良くなってほしいと思います。

(福光) 今、いいお話をいただきまして、必ずしも金沢市に何か物を申す会ではありませんので、金沢のまちがそうなるべきだということと、言っておられた中で、実は伝統は革新の連続だというのは、何も言っていないのです。変われと言っているだけなのです。ですから、まさにそうなので、分かるようで難しいのは、変わるものと、変わらざるものがあってという話、あれは本当にいい加減な言葉で、変わらないものはないのです。変わらないものと思っていることを変えなければいけないほど難しいことはない、これが伝統は革新の連続だという本意で、金沢のまちなども何が変わらないものか、そんなものはないわけです。やはり、それを作っていかなければいけないというところだと思います。

(水野) 情報IT化が変わっているだけではなくて、先ほど佐々木先生の方から、産業、工業生産型から創造経済へ移ってきているとか、あるいはクラフター経済へ移ってきているとか、それを含めて経済の形も随分変わってきている、要するにいろいろなことのパラダイムが転換している、シフトしている、そういう時期にあって金沢がどう対応していくかという話だろうと思うのですが、今の川島さんの話は、そういうときに金沢は対応できるのかなという感じが少しして、どきっといたしました。
 それでは次に平野さん、私は実は築地の魚河岸の出なのですが、ですから本籍が日本橋なのです。

(平野) 伺って驚きました。

(水野) 江戸時代から魚屋で。

(平野) 何か磁力に呼ばれたように、ここに座っているのではないかと思いました。

(水野) 懐かしく話を聞きましたが、朝早いですよね。

(平野) そうですね。築地は仲卸の旦那衆たちが競りをやるところから始まります。東京の夜の静寂、空気がぐっと下の方に漂っている、それを2時、3時にマグロがトラックからどんどんと降りてきたようなものを、ひっくり返して競り場に並べていると、築地の男衆が勢いよく、おれたちが東京の朝を目覚めさせてやっているのではないかというような行動を多分、無意識のうちにしていて、そのような行動でお天道様に逆らわない暮らしをしているのではないかと、私は嫁に入って初めて見たときには、非常に衝撃的だったのです。
 そういうところで築地衆が動いているのを見ると、いわゆるすてきなこととか、新しいこと、とんがったことは築地の中でも一生懸命やっているのですが、その中で懐かしいものとか、ほっとするものが、多分、築地にあるので、皆さんが磁力に引かれていらしてくださって、結局元気が出るというのは、そういうことではないかと思っているのです。
 昨日もずっとお話しを伺っていて、知性と感性というところでの金沢が何てすてきなところだろうと思いました。少し言葉は悪いですが、「そうだ京都、行こう。」というキャンペーンがありますが、あれは、京都というのは、よいしょと心構えをして行かなくてはいけないという感じがしますが、金沢のすてき加減というのは、「ちょっと金沢へ行こう」という感じで、そうしたらもっとすてきなところがあって、ああ、よかったねと、そういうものがあるようなまちのではないかと、昨日のお話もずっと伺っていて感じたのです。
 しかも、食べ物の話で申し上げると、箱根の山を境に赤身圏と白身圏に分かれるのです。つまり、赤身圏は箱根の山より上はマグロ、赤い魚、マグロの方がメーン、サケが好き、塩ザケがある、でも、京都は白身圏ですから、アマダイやタイやハモ、サケもあまりないです。だから余計にわれわれなどは、「そうだ京都」というよりも、「ちょっと金沢」の方が、同じ魅力であったら、もちろん欲張りだから両方欲しいのですが、いいのではないかなと、昨日から少し、少しではなくかなり、トラップの「ト」ぐらいまで、私も入り始めています。
 昨日、伺ってもっとすてきだったのは、21世紀美術館のようなすてきな美術館がある。でも、一方で昔ながらの町家を修復して、しかもそこを宿にしてしまおうというワークショップのご報告があって、そこは私もそそられると、そそられて泊まりたいな、でも、あれ? ご飯はどうなっているのだろう、そこでご飯は食べられるのかしらと思ったときに、では外に行けばいろいろ気軽なお店がきっとある。でも、もうちょっと踏み込んで、その町家の雰囲気そのもので、どこか普通のおうちで朝ご飯は食べさせてもらえないだろうかと、金沢ならではというご飯はあるのかしら、治部煮は知っているのだけれど、多分、治部煮は家庭料理ではないかもしれない。でも、われわれは、やはり地魚も魅力だし、いわゆるおばあの味というか、金沢の別に普通のお茶漬けでもいいのですが、普通のおうちで泊まらなくてもいい、ご飯を提供してくれるようなところがあると、また女子会で女子グループで2〜3人で行って、「お邪魔しまーす。ああ、ここがお台所ですか」とかと言いながら、おばあちゃんとかお母さんが家庭の味を教えてくれる、そういうのも魅力ではないかなと。
 あとは築地の話で申し上げると、今はカニが時期です。うちなどでも、おいしいと主人がすぐにみんなに「おいしいぞ、おいしいぞ」と説明するのですが、その中の一つに加能ガニが登場してきているのです。加能ガニは、いわゆる加賀の加に能登の能。でも、その話をすると、築地衆のプロでさえ知らない人がいらっしゃるのです。こちらに来るとカニはズワイではないよ、加能ガニだよと。地魚という、ここでしか食べられない、もちろん築地とか、ほかの料理屋でも食べたことはあるけれども、ここだったら加能ガニがうまい、いいよねというのが、また口コミで広がる、そういう小さなことでも普通のことも、特に食にまつわってそんなこともやっていただけたら、もっと「ちょっと金沢へ行こう」という魅力が出るのかなと、昨日思いました。
 おしゃれな、すてきなことと、ほっとすることが、多分、金沢では共存できるのではないかと感じました。

(水野) 本当に一緒に楽しい生活ができそうな感じ、旅ができそうな感じになりました。半田さん、今の町家特区のソフトウエアの方の話について、どうですか。

(半田) 今の平野さんのお話は、まさに着地型観光の目的みたいなところがあって、旅行に行ったときに地域の人々と同じような生活だとか、特に決まった高い料亭とかではなくて、地元と同じような体験をしたりというのが、着地型観光の目的というかスタイルだと思っています。
 平成19年に、官公庁がニューツーリズムということで着地型観光のモデル事業を何年間か、全国から募集をしてやりました。割合と地味なといいますか名所旧跡を見るのではなくて、地元をガイドを付けて回るとか、割と地味めなものだったのですが、結果的に全国的になかなか集客がというよりも、7〜8割地元の人が参加したという結果が出ていますが、われわれが知らない地元の魅力がたくさんあるということだと思うのです。
 金沢学会のテーマで「金沢を楽しむ」、われわれ自身が本当に金沢を楽しんでいるのかどうか、地元に住んでいる人が楽しめなければ、外から来られた人も楽しみ方が分からないとのではないかと思って、今の話を聞いていました。
 創造的なこと、新しいもの、古いもの、それがミックスされたものが人を惹きつける、本当に金沢ならではのことがあるかと思いますが、この会議自身1年に1回やっているわけですが、いろいろな方の意見をお聞きしたり、われわれに対してもすごくモチベーションになり、次の1年間何を考えてやろうかということに非常に参考になると思っています。ありがとうございました。

(水野) 菱川さん、文芸的演出とか、それから感性を目いっぱい動員して文芸的演出に取り組むとか、今までの話を聞きながら何かご意見、ご感想があればお願いします。

(菱川) そこと直結するか分からないのですが、最近注目されているものに、コロンビア大学の白熱教室というものがあります。その中で、アイエンガー教授という教授が行った講演で、「幸福になるための技術」というものがありました。その内容をざっと簡単に要約すると、アイエンガー教授は、幸福になるための技術として、「例えば数値化できることに惑わされないこと、それには直感が上げる声を聞き逃さないこと、特に障害を避けることに対しての直感の信頼性は高いとおっしゃっています。後は時として私たちは欲しいものが分からなくなってしまう、目の前のものに直感は弱いからです。将来のことを考えられるのは理性だけ、直感と理性のバランスが重要であるともおっしゃっています。もう一つは幸せを求めると、とかく物やお金に目標が向かいがちであると、その幸せの中身をもう一度考えてみることが重要であると、ものやお金は手段であって、本当の目標ではない。幸せをもたらす本当に価値があることに、お金は関係がないことが多い。最後に教授が締めているのは、直感はいつも誘惑に負けやすい。理性によって計算して振る舞っているかに見えていても、そのときの直感にそそのかされ、間違った選択に導かれてしまうことも多い。直感が下そうとする選択には、明日のことは考慮されていない。
 つまり、一番冒頭に言った、数値化されていることに惑わされないことという、例えば僕自身も広告に携わっていて言うのも何なのですが、たくさん売れているから皆さん買いましょうという誘い文句、これはその人にとって、いいか悪いかではないのです。ただし、そこに惑わされやすい、僕自身は広告に携わっていながらも、同時に一方ではこういうデザインにまつわる行動心理学を大学の方でやっているものですから、ある種の誘導するような言葉についてはすごく慎重で、そういう広告を作らないように心がけているのですが、やはり見回すと、数や量を差し出して誘導することが圧倒的に多いのです。しかし残念ながらそこで喜ばれているケースは、それほど多くないと思うのです。
 もう一つ、大学で研究している行動心理学は、デザインとすごく密接に関係があるのです。選択の法則としてよく言われるのは、人は7つ用意すると少し足りないと感じ、20用意すると満足度が上がる。ただし、20用意すると選択できないというある種の矛盾した心理がそこにあるのですが、今、金沢を見回したときに、20の方になっていはしないかと、ちょっと思ったりするような点もあるのです。たくさんコンテンツをそろえました、さて皆さんどうぞここで満足してください。そこが満足に直結しているかどうかというところで、今度は7の方に目を向けて、ある種、皆さんにエピソードを持ち帰ってもらうための策が何か必要なのではないかと思うのです。ここ2日間だけでもたくさん話されていて、この中でやはり重要なものを、よく精査してそこに集中していくことが急がれているのではないかと思います。

(水野) その精査がどれだけできるかが、われわれ金沢の力量なのでしょうね。そのあたりはどうでしょうか。

(菱川) そうだと思います。僕は今、具体的には夜景にプロジェクトとしては関わっています。営利目的ではなくて、例えば、金沢の夜景は世界でスペイン、オランダに次いで3位に表彰されたのだけれども知ってる? みたいな。

(水野) 去年ですね。

(菱川) そうですね、去年です。それぐらい、しかも日本で初入賞だったという、これだけ誇らしいことが金沢で起きている事実をまず知らしめたいなということと、やはり夜景については共有物という、物ではないのですが初めから共有のイメージがあるので、ここに営利目的のコマーシャルのようなイメージは、それほどないのです。
 素朴で、純粋に夜景を見たいという思いがあると思うのです。僕が勝手になのですが、個人的にですが、金沢の夜景というFacebookのページを今朝がた立ち上げました。ああ、そうだページがないやと思って立ち上げたのです。立ち上げて、どこにもPRしていないのですが、先ほどからイイネ!が、すごく集中してきています。まだ記事も二つぐらいしか上がっていないのですが、多分、この勢いでいくと、今日中に数百なるのではないかという勢いだと思います。ここに何のコマーシャルのイメージもないのです。
 ただ皆さんがいいと思った夜景を共有しましょうよというもので、出ますか。つい1時間ぐらい前に作ったやつです。これは、やはり投稿を待っているのです。そういうところで多分誘導しなくても、いい夜景とか、感動した夜景とか、そこに家族で行った思い出とかを書き添えながら投稿していくと思うのです。そこにはエピソードがありますし、今、夜景という一つの大きなコンテンツをいただいて、ここは大事に育てていく必要があると思っています。それが選択というか、精査というところにどれだけつながるかというところがなかなか難しいところではあるのですが、皆さんが知っている金沢の夜景をどしどし投稿してみんなで共有しましょうと言っている非常に純粋なページで、まだ二つぐらいしか上がっていませんが、要するに金沢の夜景は胸を張れるほどのものだということです。カバー写真になっているのは卯辰山から僕が撮ったもので、撮ったところはちゃんと、ここで見ましたよみたいな感じでgoogle mapにマッピングしておきました。これはある種の誘導なのですが、ビジネスとかコマーシャルということではないところでも、特に金沢市民だけではなくて金沢に来た人、もしくは金沢のファンというところで広がっていけばいいなと思っています。特にこういうところは、割と若者たちが結構面白がってやってくるのではないかというところもあります。ネタが夜景という割と地味な内容であっても、大事にしていきたいと思う点です。

(水野) ありがとうございます。それでは、今日はパネリスト以外の方のご出席もありますので、少しお話を伺いたいと思います。水野雅男さん、お願いします。

(水野雅男) 「時を過ごす」ということについて、少し考えてみたいと思います。何度も通っているまちは、どういうまちなのかということを思い浮かべると、国内・国外を問わず、友人がいるところだと思うのです。先月、佐々木先生にご紹介いただいて丹波篠山に行きました。創造農村を目指しているところです。私は4度目ぐらいなのですが、今度、行きますよと行ったら知人の金野さんが迎えてくれて、一緒に晩ご飯を食べて、翌日、まちを案内してくださったのです。泊まったところは集落丸山というところで、いわゆる古民家をリノベーションしてゲストハウスにしているところで、そこの集落は4世帯しかなくて限界集落なのですが、そこにフレンチとそば屋さんがあります。そば屋さんはミシュランにも紹介されているところなのです。
 金野さんはその翌日、この2年間で、こういうところは町家を改修してこういうお店になっているとか、若い人が入ってきているとか、いろいろご案内してくれたのです。そういうふうにエスコートしてくれるというのはすごく有意義だし、いろいろな刺激を受けることができる、エネルギーをもらうことができるわけです。そういう知人がいる、あるいはエスコート役がいるところは、すごく何度も行きたいと思うところではないかと、私は思いました。そういう意味で、一緒に時を過ごしてくれるということです。
 私が携わっているアート&クラフトの市民活動を振り返ってみると、一つはクリエーターを金沢から出さない、あるいは、金沢に来てくださっている方、菱川さんとか宮田さんとかがいらっしゃいますが、出さないように蔵とか町家をコンバージョンしています。町家ドミトリーとか、町家共同アトリエ、それぞれ2棟ずつ、この2年間で作っていますし、これからもまだまだ需要があるので、美大などを卒業した人が金沢で制作する、金沢で制作して世界で活躍してくれることが、すごく重要だと思って取り組んでいます。
 それから、アートスペースをつなぐということでは、金沢アートグミというアートのNPOが中心となって、金沢アートスペースリンクを立ち上げて、ギャラリーなどをネットワークして情報を共有化しているわけです。それと物理的にまちを散策する意味で、チャリdeアートという取り組みも行っています。
 もう一つ、三つ目は、アーティストとかまちの資産を紹介したりエスコートすることにも取り組んでいて、昨日も紹介がありましたが、普段は入れないようなアーティストのアトリエとか、あるいは普段は入れないようなお庭とか、茶室とか、そういうところを案内するガイドツアーを、金沢建築訪問とか、金沢アトリエ訪問と銘打って、毎月1回10人ぐらいを案内することもしています。いついつ行きたいので、こういうことに興味があるとリクエストをいただいたら、それに合うようなツアーを企画してあげて、エスコートはしないのですがアポイントメントを入れてあげる、アートコンシェルジュというものにも取り組んでいます。そういう仕掛けが少しずつできてきて、21世紀美術館に来るアートファンがまちなかに染み出していくような仕掛けを試行錯誤して、2年ぐらいになります。
 これを、もっと展開すべきだと、私は思っています。私も友人が来たらエスコートしますし、皆さんもやはりエスコートされると思うのです。そういう資質と言うとおかしいですが、そういうものを持っていらっしゃるわけで、これはソーシャルキャピタルというよりもシチズンキャピタルだとすると、シチズンキャピタルを束ねて発信するような仕掛けを、これからはやっていかなければいけないのではないかと思います。すごく地味な取り組みですが、そうやってファンを少しずつ増やしていくことがこれから求められるのではないかと、昨日の意見を聞いて思いました。以上です。

(水野) 大変努力されています。ここ20年ぐらい、水野雅男さんの力によって、いろいろなところがよみがえったり、空間が面白くなってきています。それから、いろいろな人が活躍、アクティビティを高めています。そういう意味では、実質的にやっておられて、昨日、林さんから、楽しく面白いことは必ず伝わるという話がございましたが、雅男さんの活動について、最近いろいろなところで、「金沢には面白い人がいるね」ということを聞く機会が増えました。清水さん、いかがでしょうか。

(清水) 昨日からずっと共有している時間が10時間以上たっています。言葉であったり、映像の魔法のような部分に魅了されて座っていたのですが、実は自分の緊張感は、夜一杯の酒を飲んだらぱっと溶けてしまって、随分コミュニケーションが取れました。懇親会のとき隣に、東北大教授の本江さんが座っておられて、そのときに初めて本江さんが富山ご出身だと知ったのですが、本江さんから「金沢はどうしても気取って見える」と言われて、やはりどう金沢をお見せしたらいいのかというときに、こんなものがあります、あんなものもありますということで、菱川さんからも言われましたが、20も出し過ぎているとかと。どうやって金沢を知ってもらうか。それから、ほっとしたという部分のところは、例えば築地の人は自信を持って「俺らはイナカモノだから」と言う。では自分は金沢の人間だということを、外に行ったときにどう表現してやろうかというのが、そのまますっと受け入れていただけるような言葉が、座っていて見つからない。
 今、自分は行政の中にいるのですが、やはり行政の仕事では、あるものを全部、あまりにもかしこまった形で出そうとして、本当のらしさが伝わってない部分があるのかなと。昨日、3Dプリンターのお話が出て、菱川さんの方からドローイング&マニュアル15周年記念というプリントをもらったのですが、やはり行政のやる部分は、これだけすごいまちなのだからということで、道具を提供して、それで遊んでもらう。その道具の一つが3Dプリンターだと言われたのかなと思いました。
 二つのことを思ったのですが、自分は金沢の人間なのだということをどう表現したらいいのか、多分、富山の人に「俺はイナカモノだから」と言ったら「ばかこけ」みたいな感じで言われるだろうし、そのあたりと、それからどうやって道具を皆さんに提供して、金沢の本当の部分のところを楽しんでもらうのかという道具立てというか、そこをもう少し行政としても考えなければいけないのかなという気がしました。それが21ラボの中でできることなのかもしれませんが、とにかくすごい時間を共有させてもらったので頭がパンクしてしまいましたが、本当にありがとうございます。

(福光) 清水さんに反論するのだけれど、富山出身の本江さんから「気取って見える」と言われて、ひるんだのではないですか。ここはひるむところではなくて、「それがアイデンティティだ」というふうに、気取るということを良く変換しなければいけないところなのです。それをまた、では金沢がいかに庶民的になればいいかと考えると元も子もなくなるので、ここのところは大事なところで、平野さんからは「ちょっとでも行ける」と先ほど言っていただいたわけで。京都はどうなのですか。

(平野) コピーで言うと「そうだ京都、行こう。」で、やはり構えて行かないとという、そこですよね。

(福光) 構えなくても行けると言っていただいているところで、富山の方々からは気取って見えるというのは、正しいポジショニングだよね。それはそれでいいと思うので、八方美人をやってはいけないので、ベンツはベンツなのです。ああいう女性に売りたいということでああいうCMが作られたわけであって、どなたにでもあれを買ってもらおうと思ったら、あのコマーシャルは菱川さんにお願いしないわけだから、そこのところは金沢がよく考えなければいけないことだと思います。

(水野) では浦さん、いろいろ金沢を元気にする仕掛けをたくさんやっておられますが、そのことも含めて。

(浦) 先ほど水野先生から少しご紹介がありましたが、金沢青年会議所が主宰していて、私と21世紀美術館の秋元館長が監修という形で、金沢の町家という背景に新しい工芸を入れ込んで、新しい見せ方をするという取り組みを、3年ほどしています。
 昨日から、いろいろ本当にお話をたくさん聞いて頭の中がいっぱいなのですが、先ほど金沢のアイデンティティ、水野先生も先ほどおっしゃっていましたが、金沢って一体何だろうかということを問い直す機会になったかと思います。私は大阪にずっと就職でいて、20年前に金沢に帰ってきたのですが、やはり21世紀美術館ができたことが非常に大きくて、それまでどちらかというと伝統が強すぎる感じがしました。文化は人がつくっていくものであるということで、21世紀美術館ができたことによって、いろいろ金沢は新しい展開があって今につながっています。2年後に新幹線が来るわけですが、新幹線が来なかったから残った題材がたくさんあって、それをうまくコントロールしながら見せていく、あるいは新しいものにくっつけながらやっていかなくてはいけない、消費されてないで新しいものに転換をしていくのが多分必要で、その役割が一つ21世紀ラボの役割になるのではないかと思っています。
 昨日、ブランディングではなくてエピソードメーキングだというお話もありましたが、金沢を考えるときに、石川県の地理的な、全部海に面している、そして東アジアに近かった、私は非常に能登が好きなのですが、能登は700年代から渤海という唐の属国と交流があって、金沢は500〜600年のまちだとすると、石川県全体で考えると1300年以上の歴史があります。今、NHKで「平清盛」をやっていますが、その後、平清盛の義理の弟の平時忠が能登に流れてきてとか、あるいはその後、北前船という歴史があって、金沢は前田藩の歴史だと思われがちなのですが、その前に浄土真宗と結びついて百姓の持ちたる国ということで、多分、日本初の自治都市であったという歴史とか、そういうものを紡いでいくと新しいエピソードメーキングがさらにできるのではないかと思いました。
 新幹線が来るに当たって、やはり金沢の共通の目標が要るのではないか。先ほど、京都と金沢の比較をしていただいて、金沢が外国人にとって京都、東京の次の第三のデスティネーションになるという目標をつくって、昨日、学生が少ないという話がありましたが、何かそういうものを総動員しながら新しい目標に向かっていくようなことが、これから必要なのではないかと思いました。以上です。

(水野) ありがとうございます。大体一通り皆さんのご意見をいただいて、最後、米沢さんだけ残っておりますので。

(米沢) 昨日も申しましたとおり、創造都市会議と金沢学会で話されたキーワードをヒントにして、これまでワークショップをたくさんつくってきました。昨日からずっとお話を聞いていて、たくさんありすぎて本当にどうしようかなと、どれをワークショップにしようかと思っていたのですが、そういう意味では今、福光さんがおっしゃったように21世紀ラボは、こういう創造都市会議とか金沢学会が毎日行われているような場所だとすると、今まで、われわれ金沢経済同友会が、メンバーを集めてワークショップをずっと動かしてきたのですが、このまちはもうそんな状態ではなくて、日常そういう会議があって、次々とワークショップを何十も並べて、このまちに付け加えていかないと間に合わない時代かなと思っていました。昨日からお伺いしていて、劇的に時代も変わってくるので、こういう1年に1回、ワークショップで実験するのでは数が足りない。常設の21世紀ラボはどうしても必要だと、本当に実感させていただいたので、ぜひとも受けていただいて、市長も考えていただけないかと思いました。

(水野) 全員が終わった最後に市長さんに、また問い掛けがございました。全体の感想も含めて、最後のお問い合わせも含めて、お話をお願いします。

(山野) 先輩方のたくさんいらっしゃるところで。第6回金沢学会ですが、実は僕は第5回も出させていただいて、そのときはここに今、金沢市長と書いていただいていますが、2年前は選挙が終わって、おかげさまで当選させていただきましたが、まだ就任する前に呼んでいただきました。そういう意味では、まちづくりのことを、直接市長であるということを明確に意識してお話をお聞きしたり、自分の意見を述べた出発点だと思っていますので、この金沢学会は金沢市長として、創造都市会議もそうですが、しっかりと勉強させていただければと思っています。
 実は今は議会の最中で、12月議会の冒頭、提案理由説明の中で、先ほど来話が出ている、これからの都市ということで交流拠点都市ということに触れさせていただきました。まだまだこれから議会の皆さんや、多くの市民の皆さんと詰めなければいけないところはありますが、これは私が市長に就任してから、いろいろな外部の方であったり、特に今年に入ってからは金沢経済同友会、商工会議所、また大学の学長さんにも入っていただきながら、新しい都市像について、いろいろと議論をさせていただいて、もちろん私の思いも聞いていただきながら議論をしてきました。白熱した議論があったり、時には表現が適切ではないかもしれませんが、いろいろな先輩方からのご叱責というか指導もいただきながら、一つのキーワードとして国際交流拠点都市ということを挙げさせていただきたいと思っています。
 先ほど来お話がありますように、金沢は伝統であったり、文化であったり、また、新しい文化、デザインやアート、テクノロジーもあります。先ほどお話もありましたように、金沢および近郊には多くの高等教育機関があります。学生さんがいらっしゃるということはもちろんそうですが、当然、先生方もいらっしゃいます。また、先生方や学生さんが勉強する、さまざま教室というだけではなくて、研究する環境も整っていると思っています。また、私は本当に生活環境も、すごく充実していると思っています。教育の分野や医療の分野、福祉の分野も、相当充実した都市ではないかと思っています。
 これからは多くの方たち、人や物や情報が集まってくるでしょうし、集まってくるだけではなくて、その中でさまざまな議論があって、そしゃく吸収し、また消化していく中で発信していくことが、これからの金沢の目指すべき都市の方向性ではないかという思いで書かせていただきました。金沢は先ほど言いましたような事情等々で、日本の中で、世界の中で、間違いなくそういう都市になり得るという思いでいます。
 少しハード的な話をすると、新幹線が間もなく来ます。小松空港は広さの関係がありますから、国際線がどれだけ増やせるかという議論はあるかもしれませんが、小松空港から金沢市内まで約40分で来られます。金沢港も先般、国の拠点港にもお認めいただきました。これから具体的な形で金沢港の活性化も出てきますし、港からまちなか、まちのいわゆる繁華街といわれているところまで4〜5kmで、そのようなところはそれほどないということを国交省の方からもお聞きしました。空からも海からも陸からも、道路事情も充実してきました。移動という物理的な意味でも国際交流拠点になり得ると思っていますし、それが目指すべき方向ではないかという思いでいます。
 金沢が日本の中で、世界の中で、そういう都市にならなくてはいけない、そうやって発信をしていかなくてはいけませんが、今度は金沢の中で拠点となるものが必要になってくると思っています。交流拠点都市金沢の中で、さらに拠点になっていくのが、先ほど来話が出ている名称は21ラボか、21世紀美術館ラボか議論はあるとしても、いわゆる今出た21ラボが金沢の中でその拠点になっていかなければいけないと思いますし、そのためにまた議論をしていきながら、せっかく21世紀美術館という光り輝く個性もありますし、連携をしながら21ラボを皆さんと議論をしていく中で、具体的なものが見えてくれば、大変うれしいと思っています。
 選挙が終わってから、当選したらマスコミの方がいろいろ来て、いろいろな質問をするのですが、口をそろえて皆さん言うのが、「山野さん、無線LANはどうなるのですか。マラソンどうなるのですか」と、この二つばかりです。ほかにも僕はいろいろなことをたくさん言っているのですが、やはりまちなかの公衆無線LANには、報道の方たちだけではなくて多くの市民の皆さんに大変関心を持っていただいているテーマだということを、あらためて痛感いたしました。
 行政が全部、何もかもお金を出してスポットを作っていくのも一つの方法かもしれませんが、金沢の場合は民間の皆さんが積極的に投資もしていただきながら、地方都市の中では間違いなく充実した環境ができていると思っています。また、今日もホテル関係者の方がいらっしゃるかと思いますが、ホテルも恐らく比較的地方のホテルは、ロビーはできるかもしれませんが、全館でやったり、会議室でやったりと、部屋はなかなかそういう環境がないところが多い中で、私は金沢のホテル、シティホテルは精力的にそれに取り組んでいただいているとお聞きしていますし、そういう環境ができつつあるのではないかと思っています。
 また、先ほど宮田さん、電波景観というのはいい言葉ですね。宮田さんの造語ですか。

(宮田) はい。

(山野) そうですか。本当に金沢は昭和40年代から全国に先駆けて、いわゆる景観条例をつくって景観にずっと取り組んできた都市ですが、今、無線LANの環境がそれぞれ民間の皆さんが精力的に投資をして、充実してきたのは大変好ましいことでもありますが、一方では電波による障害が起きてきた。それをきれいにしていくこと、電波景観をそろえていくことがまさに金沢らしいところで、僕もここは大切なテーマだと思っています。
 先ほども全国的なテーマだというお話が出ていましたが、そのとおりで、国の方でも無線LANビジネス研究会という名称のものを設けられ、先ほど来話が出ている電波の障害対策とか、アクセスポイントの整備について、いろいろと議論をされています。この夏に一定の報告書が出たということもお聞きしています。また、来年度は、国の方でICTを活用した新たなまちづくりについての実証実験のための予算を取っているとお聞きしているので、ぜひ民間の皆さんと力を合わせて、その取り組みに金沢は入っていきたいと思っています。
 北陸総合通信局の齊藤局長と話しても、金沢の無線LANの取り組みは、総務省も大変注目しているというお言葉もいただいていますので、国との連絡も密にしながら民間の皆さんと力を合わせて取り組んでいきたいと思っていますし、地方都市の一つのモデルケースとして実現できればいいと思っています。
 町家のことも、先ほどからいろいろ出ていますので、これに触れて終えたいと思っています。議会の初日の提案説明のときに触れさせていただきましたが、3月議会までには名称ももう少し詰めなければいけませんが、金沢町屋条例というものをつくっていきたいと思っています。きちんと保存するだけではなくて、活用をしていくことも含めた形での取り組みをしていきたいと思っていて、条例をその一つの核として、条例を具現化する中で、町家をしっかりと守っていきたいと思っています。人が長い期間にわたって住まいにしてきたのは、まさにそこに伝統や文化だけではなくて風習も残っていると思いますし、目に見えるかどうかはともかくとして息吹も感じられる空間が金沢の町家であり、それは金沢の個性ではないかと思っています。そこに実際、生活する人もいれば、そこをお店に活用する人もいれば、これは去年の創造都市会議で出たかもしれませんが、特区を活用して、町家を宿泊施設としてうまく活用していくことができないかという議論もさせていただいていますし、今、国の方にも特区申請をしているところです。これからも働きかけていきながら、具体的なことを提案していけば、ここで議論していることが具現化できるのではないかと思っています。
 町家は基本的には個人の持ち物なので、そこは行政としてやりますというものではなくて、持ち主の皆さんにご理解いただきながらやっていかなくてはいけません。ただ、持ち主の皆さんにしても、当然、初期投資がかかるわけですから、初期投資を思い切ってできるような環境をつくっていくのがわれわれ市の仕事であり、国の方で特区を認めめていただくべく努力をしてご理解いただければ、まさに行政としてそういう環境をつくっていくことが、町家という金沢の大変分かりやすい個性を光らせていくツールになるのではないかと思います。私の方からは取りあえず以上です。

(水野) 力強く前進する雰囲気が十分伝わってまいりまして、うれしく思っております。だいぶ時間も迫ってまいりました。コーディネーターのお三方、過去の自分のセッションの報告だけあったのですが、個人的なご意見を少しいただいてもいいかと思いますが、宮田さんの方から。

(宮田) 今回の会議は、本当に僕はすべて面白くて、すべて聞き入ってしまったのですが、その中で21ラボというお話がまとまってきました。これは実は2年ぐらい前からここでお話ししてきた内容だと思うのです。まず重要なのは人づくりですし、そこからまちづくり、ものづくりというところ、すべて全方位でやっていくことが重要だと思いますし、金沢は実はそこを今実際にやっていると思うのです。やっているのですが、それをもっと分かりやすい形で可視化していくことが、このプロジェクトなのかなと思います。
 僕もまちづくりに少し関わらせていただくようになって、僕はずっと20年以上自分で企業をやっているのですが、今、それとまちのあり方、つくり方は全然違うものだと、思っています。まちは生き物なのでそこがどんどん変わっていく、変わっていく部分をしっかりと軸を作ってやっていくことが非常に重要なのだなと思っていますので、21ラボという形で可視化していけると、結果をどんどん残して未来をつくっていけるかと思いましたので、非常に今回はそういう意味では僕の中でもいろいろなものが整理ができたと感じました。ありがとうございます。

(水野) 佐々木先生。

(佐々木) 今、いろいろな仕事、文化庁とか経産省とか、総務省とお付き合いをして、私どもが金沢で10年以前からやってきていることが、多分、これしか日本の再生はできないだろうということを、心あるリーダーの方々が理解できるようになってきたと思うのです。ですから、来月、1月13日に「創造都市ネットワーク日本」というのが立ち上がることになっていまして、もちろん山野市長以下、福光さん、皆さんご尽力いただいて、30都市ぐらいが、一部県も参加されますが、ネットワークをつくります。カナダに100ぐらいの都市を集めた「創造都市ネットワークカナダ」というのがあって、トロントやバンクーバー、モントリオールがお互い切磋琢磨して動いているのですが、金沢の問題と外側で動いている大きいうねりみたいなことがある。したがって、ポジショニングはとても大事になってくると思っているのです。
 片方でユネスコは今、アメリカの問題があって少し事業のスピードを落としていますが、しかしユネスコネットワーク自体に今世界で34入っていて、40ぐらいが審査中ということで、しばらくしたら100ぐらいの創造都市ネットワークになるだろうと思われます。そうすると、例えば2015年と考えると、そのときまでに金沢が何が示せるか、先ほどからずっと形にしていきたいという話が出ていますが、その形をもう具体的にタイムスケジュールに置いてやっていかなければいけないなと。
 もちろん、こういう会議が年1回では少ないと米沢さんが言われましたが、ただこの会議を準備するのにも相当なエネルギーをかけているので、本当に頻度が上げられるかということはあるけれど、多分、頻度の上げ方は、われわれがやる会議だけではなくて、当然、青年会議所の皆さんとか、ほかのNPOの若い人たちの会議とかがありますから、それらが連携しながら動きだせば、それぞれアプローチが違ってもいいと思うのだけれども、かなりの密度で共通項を頑張れれば、この会議自体は年1回でもいいのだけれど、さまざまに同時併発というか動いてきているという関係がいいなと思いながら聞いていました。
 それから、これは菱川さんの提案があるのですけれど、僕はアンダー40ぐらいがいいと思うのだけれど、例えば21世紀ラボのコンセプトメーキングのときに、どの年代の人たち、どういう人たちに加わってもらうか、これは考えておく必要があると思います。もちろん、市の関係者もそうなのだけれども、かなりスケジュールを考えながらポイントになるものをきちんと形にしていく、そして、どういうアプローチで進めていくかを考える。つまり、今までは割とのんびりと社会実験を1年ごとに繰り返しながらやってきた、でも、多分に21世紀美術館を上回る、あるいはさらに包括するような大きな拠点的な機構を作るとなると、それは相当に時間を意識しながらやっていくことになるかとな思いながら、うーんという感じですね。

(水野) 大内先生。

(大内) 私は二つ感想というか、私自身が普段から考えていることを申し上げたいのですが、一つは前衛をやり続けられる度胸と度量があるかよということなのですが、常に新しいものにチャレンジするのはリスクがあるわけです。リスクのことを心配していたらチャレンジなどできないのですが、若い人たちによく言うのは、「最大限のチャレンジをして、要するにそれぞれのパワーを出し切るところまでチャレンジすることをしない限り、僕は評価しないよ。ただし・・・」とよく言うのですが、「君たちが溺れそうになるまで僕は助けないよ」。本当に死ぬかどうかとなったら助けてあげるかもしれませんけれども、「溺れそうになるまでは僕は君たちをけしかけるかもしれない、僕はその前に手を差し伸べることはしない、それでも君たちはチャレンジしてほしい」とけしかけるわけです。
 つまり、新しいものにチャレンジするときにはどうしてもそういう姿勢が必要で、初めからこうしたら失敗するのではないかとか、こんなことをやってはいけないみたいなことを、ああだこうだと、例えば私たちは今まで心配しすぎだった、そういうことをやっている限り、やはりチャレンジできないし、新しいものは生まれない。そのあたりの非常に、一見冷たいようだけれども、特に私たちのようにというか、私などはもうそろそろ大学も定年でリタイアなのですが、僕らは遠くから見守っていてあげて、本当に溺れそうになったら助けてあげるか、あるいは彼らに対しても本当にチャレンジした後は、それなりに帰るところがある、つまり帰るところがあるから逆にチャレンジできるというところもあるわけです。完全にノマド(遊牧民)や、コスモポリタン(地球市民)になってしまって、どこにも帰るところがない人に今まで私は何度か会ったのですが、帰るところがないのは非常につらいことです。
 つまり、歴史があるとか、文化的蓄積があるというのは、ある意味で帰るところがあるということで、そこは生かすべきなのです。逆に帰るところがあるからチャレンジしていいのだよとけしかけていく姿勢が大事だというのが私が言いたいことの一つ目です。ですから21世紀ラボも、やはりかつて前田利常らがやったことは、まさに「百工比照」で、日本中のいろいろな人たちを集めてきて、そそのかしたというか、やらせて、いいものができたら買い取ってやるとか、そういう環境整備はしてあげた。でも、出来が悪かったらどうぞお引き取りくださいという冷たい、冷厳な話が実はあるのです。そこは忘れてはいけないというのが、一つ言いたかったことです。
 もう一つは、これから私たちはいろいろな意味で、政策の分野もそうですが、さまざまなプライオリティ付けをしなければいけません。ビジネスの方たちは、常に優先順位を判断しているのですが、今まで右肩上がりだった高度成長の時代には、パイが増えていくのでそれほど優先順位を気にしなくてよかったのですが、これからは明らかに優先順位を付けなくてはいけません。行政の世界もそうで、非常にしんどい話ですが、これとこれとではどちらが優先順位が高いのだということを常にやらなくてはいけないし、そこにバトルがあるわけです。そのことを恐れていたら、金沢らしい感性、知性を生かした金沢らしい世界はできません。
 今まで行政の方たちは、僕も随分いろいろな仕事でお付き合いしていますが、非常に先回りされて、ご心配されることがよくあって、ある意味で一見どうも本音を語っていないなというようなことを市民から言われるのだけれど、一方で、行政は結果について、ものすごく心配されているわけです。それは結果についていろいろ問われるからなのです。しかし、私の本にも書きましたが、政策には常に意図と結果があって、何かの意図があって目的を掲げてるのですが、その意図のところはほとんど実は記録として残されていません。私たちは、まさに次の世代の金沢をつくるために21世紀ラボをつくり、チャレンジしたいという意図なわけですが、意外にそういうところが語られなくて、意図から判断すると結果はほとんど落第点しか付かないのです。前衛的なチャレンジは、場合によっては成功率は1000分の1かもしれない、そのくらいの確率でしかないのです。そういう中で、ものすごく突き抜けたパワーがあるから、実は100年たっても評価されるものがあるので、そういうことを私たちはこれからやっていかなければいけない。もちろん、今日も電波環境の話もありましたが、基本的には一人ではできない、みんなで共有してやらなければいけないインフラの整備や、安全のためであるとか、便利な生活のためのベースを整備することが、行政の責任だと思うのです。ですから、あまりチャレンジングな危なっかしいものまで支援するのは、行政の立場としてはなかなかできにくいということは、僕たちもみんなも理解してあげなければいけません。ですから、そこは産業界なり、あるいは心ある方たちが裏から押してあげる。今日の先ほどの話で三代目が四代目を押してあげることもそうですが、そうやって市民の方たちであったり、産業界の方が後ろから押してあげることは、必要なのだろうと思うのです。
 ただ、難しいのは、何を規準に置いて、誰の意見でプライオリティを付けるかが、時代の中で少しずつ変わりつつある。今までは、ある程度、行政の考え方だったり、あるいは国の方針であるとかをベースにプライオリティを付けるということでよかったのですが、市民的センスから言うと、それでいいのかなと今みんな疑問に思い始めてきていて、場合によってはFacebook等でいろいろなリアクションがある。そういうものをベースに、あるいは市民参加という言葉でもそうですが、そういう形でプライオリティを付けるということを、これからしていかなければいけない、行政の側はむしろチャレンジ、新しい仕掛けをつくっていくことをしなければいけないなと、つくづく感じるということです。以上、二つが私の意見です。

(水野) ありがとうございます。予定の時間がまいりました。私は全体会議の総括しなければいけないのでしょうけれども、もう時間が来たので、お三方にやっていただいたのですが、一つだけ申し上げたいと思うことがございます。それは6人の今日の外から来られたパネリストの方々から、それぞれ非常にクリエイティブで、しかもクオリティー高いご提案をいただいています。
 私は金沢で今、実際にクリエイティブな仕事をしようとしている建築家の一人ですが、そういう目で見ると、例えば金沢で言うと金沢市民芸術村がグッドデザインの大賞を、建築が初めて受賞しました。家電製品や文房具、自動車というものに対していつも大賞が出ていたのですが、建築が初めて受賞しました。それから先ほど、菱川さんがおっしゃったのですが、照明で世界で第3位になったとか、それから21世紀美術館は実は瀬島さんとSANAAのグループでやったのですが、建築界のノーベル賞といわれるピューリッツァー賞をそれで受賞しました。金沢海みらい図書館が、やはり世界で有数の図書館としてリストアップされました。金沢駅の東ドーム、駅が、やはり世界の美しい駅に日本から唯一選ばれました。
 要するに、現代のわれわれがやってきたことも、過去の歴史に積み重なってきているのです。このことが、私は一番この創造都市会議が果たしてきた大きな役割ではないかと思っています。そういうふうにクオリティーを求める気持ちがみんなの中に出てきていることが、非常に大事だと思っています。ですから、これを継続したいのと、今皆さん方が自分の家や自分の社屋をつくったり、自分のまちをどうするか考えるときに、いつもクオリティーを求めていくことが続くならば、金沢の歴史が新たに付け加えてくる、要するに先ほどから言っている、もしかしたら前衛なのかもしれないし、新しい創造なのかもしれません。そういうふうにして、それぞれの市民一人一人の営みが重なっていくことが非常に大事なことではないかと、それがクリエイティブシティの本当の目的ではないかと思っています。
 そんなことですが、いつもこの会議では宣言をします。その宣言は、ここで出たことを実行するという、単なる討論ではなくて実行するということが付いてまいります。その宣言について、福光実行委員長の方から報告願います。




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