第5回金沢学会

金沢学会2010 >第3セッション

セッション3

第3セッション「クラフトを活かす」

●ワークショップ報告 
水野 雅男氏(金沢大学大学院教授)
●コーディネーター  
佐々木雅幸氏(大阪市立大学大学院教授)
●パネリスト     
橋爪 紳也氏(大阪市立大学21世紀科学研究機構教授)
鷲田めるろ氏(金沢21世紀美術館キュレーター)
          
          









クラフトツーリズムによる、工芸の魅力の紹介を

(佐々木) 昨年、ユネスコの創造都市ネットワークに金沢市が世界で初めてクラフトという分野で登録をされました。現在、世界で27の都市がネットワークに入り、来週から中国の深?で27の都市全体が集まる大きな会議が開かれようとしています。私も出席する予定にしております。金沢市がクラフトビジネス機構を来春に立ち上げるということもあり、それからツーリズムとクラフトを結び付けた「クラフト・ツーリズム」という実験を始めているということもありまして、その実験を担当されている水野雅男さんから最初にご報告をいただいて、そして、冒頭の飛田代表幹事が言われたように、21世紀美術館は奇跡の美術館だという話があったのですが、そのまさに若手のホープ、キュレーターの鷲田さんに最近取り組まれている新しいクラフトの方向性をお話しいただき、そして私の同僚でありましたが橋爪紳也さん。金沢には今回初めて登場します。ともかく忙しい男で、世界中を飛び回っているので、今日も先ほど小松空港からやってきたところです。上海では大阪館のプロデューサーもやっておりましたし、世界の創造都市、アジアの創造都市についても大変詳しく情報を知っておりますので、ともあれ全体の話をまとめるようなことをしてくれよと頼んでいますから、楽しい話が聞けるのではないかと思っております。では早速始めましょう。お願いします。

(水野) 私は、金沢クリエイティブツーリズムというものの社会実験を始めたことについて簡単にご紹介したいと思います。
 この背景としまして、今佐々木先生からご紹介がありました、金沢市が創造都市ネットワーク・クラフト部門に昨年6月に登録されました。ちょうどその前後に二つ市民セクターで動きがありまして、一つがアートグミというアートの拠点が新たにできました。これは近江町市場の北國銀行の3階の空間をギャラリーとして活用する活動で、始まったのが昨年の4月からです。これはNPO法人金沢アートグミがその企画運営をやっています。
 そしてもう一つ、チャリdeアート。ここでも紹介したと思いますが、これがNPO法人をつくって活動を始めたのが昨年の5月です。これは21世紀美術館を核として、まちなかのクリエイティブなアートスポットを移動するためにコミュニティサイクルを用意して、それを自転車だけではなくてアート情報も提供しようということで立ち上がったわけです。それとアートグミと連携して新しい形で金沢クリエイティブツーリズムを起こそうということで活動が始まりました。昨年からそういうことで動いたのが今年度に入りまして文化庁の支援を受けることになり、具体的に金沢クリエイティブツーリズムという形の社会実験になったわけです。
 その原点としては、私が7〜8年前から何度か通っているカナダのソルトスプリングアイランドという芸術家や工芸家がどんどん集まってくる島があります。人口1万人くらいの島ですが、そこにスタジオツアーが数年来繰り広げられているわけです。小さな島の中で、今年は34件の工芸家やアーティストがスタジオをオープンにし、そこを自由に回ってもらうというものです。それはアート作品を見るだけではなくて、そこで制作しているアーティストや工芸作家の暮らしぶりや制作空間、そして考え方や人となりなどを探検して回るというようなスタイルになっています。月曜日だったら何時から何時まで空いていますという情報がWeb上で公開されていて、それを見てスケジュールを立てて回るというようなスタイルになっています。
 作品を手に取って見る、あるいは作っているところを見せてもらうだけではなくて、意気が合えば、そこでアーティストと一緒にお茶を飲んで人生観なりも含めて語り合う、そのようなスタイルがあったわけです。それを見て、これは金沢でもそういうことができると思いまして、呼びかけてクリエイティブ・ツーリズムという形で試行してみませんかということで始めたわけです。
 推進体制としまして、実行委員会は美大の教員2人と私、3人の教員で文化庁に申請をし、その後、21世紀美術館秋元館長とも相談申し上げましたら、若い方でアートやツーリズムにかかわっていらっしゃる方とオープンな形で議論するようなプラットホームを作って進めたらどうですかというアドバイスをいただきました。実行委員会のメンバーをここに挙げていますが、これもオープンなのでまだまだ増えてくる可能性はあります。そういうメンバーで企画・運営をし、それを評価していただく組織として評価委員会というものを、これからなので、これはあくまでも予定なのですが、こういうメンバーで評価をしていただきながら進めていく。その実動スタッフとして金沢アートグミのスタッフ・メンバー、あるいはサポートメンバーに加わってもらって進めていくということを考えております。
 何をするかということですが、一つはオープンスタジオデー、市内にあるアーティストや工芸家のスタジオ、アトリエを公開して、そこを見学したい方は自由に見学してもらう。先ほどのソルトスプリングアイランドと同じようなスタイルです。これは1回目は、今年の10月に行いました。来年2011年の2月にもう一度、2回目を行いたいと思います。
 そのほかに、いわゆるガイドツアーです。その一つが金沢アトリエ訪問です。アーティストのアトリエを案内役、エスコート役と一緒に訪ねて作品や仕事場を見学させてもらうというものです。
 もう一つが金沢建築訪問。近代建築や町家、茶室などを訪問して、普段見られないような内部まで見ようというものであります。今月の11日に1回目、来年2月に2回目を予定しています。こういう三つのプログラムをすることよって、いわゆるクリエイティブなスポットの情報を蓄積していく。そして、どういうツアーのシステムが良いのかということを試行錯誤していこうということを考えています。
 このデータを蓄積していって、最終的にはアートコンシェルジェというものに持っていきたい。金沢のクリエイティブなところを回りたい方のそれぞれの要望に合うような形でプライベートツアーをアレンジして提供しようということを想定しています。その準備として、今オープンスタジオデーやアトリエ訪問、建築訪問を重ねていくという段階にあります。
 オープンスタジオデーは10月16日・17日の両日行いました。アーティストのアトリエを公開してもらって、そこを訪ねていく。個人のところがあれば、美大で制作をしている3人のアーティストもいました。ほかに一軒家を借りて、そこは壊してもいいような家だから何をしてもいいよと言われたところがありまして、3人の女性がシェアして制作活動をしています。それで、襖などにも絵を描きまくったり、階段にも色を付けて彼女らなりのワールドを作って、そこで制作をしているようなところもありますし、工芸家の卵が一軒家を借りてそこで制作しているところ、自分の作品で音楽を演奏してくれるとか、いろいろ制作空間を楽しむことができました。
 アトリエ訪問は1回目は11月21日に行いまして、これはエスコート役が21世紀美術館館長の秋元さんで、コーディネート役に鷲田めるろさんになっていただいて見学をしました。
 一つは、大野で制作活動をしている山本基さんのアトリエを訪ねることをしました。もう1軒は、牛島孝さんのアトリエを見学させてもらいました。ジャンボタクシーをお借りして移動し、タクシーの中でも参加者同士がいろいろ歓談することもできました。帰ってきてアートグミでも意見交換をさせてもらうことができました。そのようなことをやりながら今後情報を蓄積していきたいと思っています。12月11日の金沢建築訪問は、先ほどもお話が出ていましたが五十嵐太郎さんにエスコート役になってもらいまして、村野藤吾さんの設計した北國銀行と中島商店、そして内藤廣さんが設計された中村卓夫さんのアトリエとご自宅を回るというようなプログラムを予定しています。映像でそのときの様子を見てもらいます。少しまだ編集が粗いのですが、そこら辺はご勘弁ください。(ビデオ上映)

 

 



これが美大で制作しているアーティストのアトリエです。このときは佐々木先生にも回っていただいています。訪れる方と制作者とどういう考えで作品を作っているのかということをディスカッションする。それはすごく興味深いものでした。

(佐々木) 私も一緒に回って、とても面白かったですね。普段、アーティストの現場はなかなか入れないので、若い人と対話するというのは面白かったし、アートコンシェルジェのよいな、お世話をするところがうまくできると、かなり可能性があるなと思いました。
 鷲田さんの方からは、それも含めて、あなたが取り組んでいる新しいクラフトの提案みたいなことをお願いします。

金沢の持つ文化ストックのネットワーク化を
(鷲田) 金沢21世紀美術館でキュレーターをしています鷲田めるろと申します。今日は、第3セッションのテーマが「クラフトを活かす」ということでしたので、私はクラフト(工芸)とデザインというものがどういう関係を持ち得るのかということの一つの事例を紹介したいと思っています。
 最初に自己紹介をしたいのですが、私はもともと京都に生まれて、今も実家は京都なのですが、高校生まで京都にいました。私の祖父は西陣で組みひもの卸の仕事をしていました。大学は東京大学だったのですが、そちらで美術史を勉強して、その後、金沢に来ました。ちょうど11年ほど前です。そのとき、15年前に懇談会があったという話が今日はありましたが、その後、1999年に21世紀美術館の準備室というものができまして、そのときの学芸課の最初のスタッフとして金沢に来ました。5年間ほどは開館のための準備の仕事で、レアンドロのプールを担当しました。そして2004年に開館した後は、キュレーターとして展覧会の企画などを行ってきたのですが、その中には21世紀美術館の中で行う展覧会もあれば、まちで行った展覧会などもあります。そのまちの展覧会の中で、例えば町家の改修を学生たちと一緒に行ってきました。
 それで今日ご紹介したいのは、茶箱プロジェクトというものです。これは今年の5月から6月にかけて「金沢世界工芸トリエンナーレ」という展覧会が行われました。これは金沢21世紀美術館の館長の秋元雄史がディレクターを務めて、それで大樋年雄さん、伊東順二さん、金子賢治さん、チャン・チンユンさん、秋元雄史の5人のキュレーターがキュレーションをして行った展覧会です。私はこの展覧会にコーディネーターとしてかかわりました。それで今日ご紹介したいのは、この中の一つのプロジェクトなのですが、金沢の工芸作家とデザイナーがコラボレーションした事例です。ここに「工芸作家とデザイナーのかつてなかった」というように、少し大げさに書きましたが、それはどういうことかといいますと、デザイナーが形を決めて、それに対して工芸作家が技術を活かして物を作るというようなコラボレーションのパターンというのはよくあると思うのです。ところが、このプロジェクトではデザイナーというのは一切形は決めなかったのです。何を決めたかというと、その比率を決めました。
 このプロジェクトは、金沢21世紀美術館のロゴをデザインしたデザイナーの佐藤卓さんと金沢のさまざまな素材を使って作品を作っている工芸の作家たちのコラボレーションとして行われました。佐藤さんは21世紀美術館のロゴ以外にも例えばこちらのガムのパッケージのデザインや「おいしい牛乳」のデザインなどをされています。一方、金沢の作家は陶芸の作家であったり、竹の技術を使った人だったり、漆を使ったり、さまざまです。それで金沢の作家たちが茶箱、ポータブルなお茶のセットを作ろうというプロジェクトを立ち上げたのです。ところが、佐藤卓さんは形を決めてくれなかった。代わりに提案してきたのが拡大と縮小の比率です。「普段、お茶碗として作っているものをそのまま拡大してみてください。それから、それをそのまま縮小してみてください」というお題を出されたのです。これはあまり普通されないことだと思うのですが、それによって作家たちが非常に悩んでいます。
 それで作ってみたものを持ち寄って、それを並べてみた様子というのがこちらの写真です。一番向こうは木で作った箱、それから竹で編んだカゴです。それから紙の上に漆を塗ったもの、ガラスの器、そして陶器の器が二つ。そして一番手前に金属の錫を使った草のような形をしたもの、こういったものが出来上がりました。
 一人の人が5種類の大きさのものを作っています。大体五つ並んでいるうちの真ん中のサイズのものが通常見られるサイズのものです。茶碗だったら普段作家が作っているサイズのものに当たります。それを佐藤卓さんの指定する比率によって拡大をしたり縮小したりしました。
 これを作っているときに、やはり普段作り慣れているサイズと違うものを無理やり作らないといけないということで、作る側としては非常に居心地が悪いというか気持ち悪いという感じだったのですが、そのことによって、これが茶碗だというような、そういう機能から開放するということを試みたわけです。

 この展覧会の期間中、毎週1週間ごとに違う人にお願いをして、これらのものの中から選んで自分の茶箱というのを組み上げてくださいというようにお願いして、それで組み上げられたものの例がこちらに四つ挙げたものです。
 左上のものは裏千家の奈良宗久さんに組んでいただいたもので非常にベーシックな形になっているのですが、箱の中に茶碗が収められていて、その上に茶杓に見立てられた金属の青木さんの作品が載っています。
 ところが一方で、その左下の写真になりますと、これは全体をご覧になって、道具屋の平沢さんという方が組まれたものですが、ちょっと冗談めかして、これでお酒を飲んでみたいというようなところから組まれて、そうすると、先ほどの茶杓がマドラーになったりします。
 右下のものは、つる幸の若女将にお願いして組んでもらったものですが、先ほどの茶碗だったものが大きくなったものというのは、今度は水を入れる水差しに見立てられて、その上に葉蓋というような設定で先ほどのマドラーが置かれているというような使われ方になります。
 ここで、佐藤卓さんが考えたことというのは、工芸というのは技術や素材などと密接に結び付いた形を持っている。これをデザイナーが全然違う形を提案するというやり方ではなくて、その形を活かして見せられないか。一方で、使われ方の可能性をもっと柔軟に考えられないだろうかということを佐藤卓さんは考えられたのだと思います。それで、使われ方を自由に考えると、それは見立てということに通じると思うのですが、それはお茶などにおける伝統的な使い方の発見ともつながってきているという、そういうプロジェクトになったのではないかと考えています。このことによって、これが製品化するということに直接つながるようなものではないのですが、このことを通じていろいろな柔軟な発想というものが生まれてきたり、それが頭の体操になるというようなことが非常に重要ではないかと思っています。
 それで工芸というものは産業というものと密接に結び付いているものではあるのですが、もう一方で今金沢で重要なこととして、創造都市とクラフトというものをつなげて考えていくということは重要なことになってきているのではないかと考えていまして、果たして創造都市というのはそもそもどういうものなのかということを考えていくと、創造的な都市というのは一般的には議論の中では多様な他者が共存するまちというようにとらえられています。
 このことについて以前、佐々木先生とお話しして教えていただいたことというのがあって、創造都市の考え方には大きくは二つの型がある。一つはヨーロッパ型、これは行政が主導してさまざまな人を社会的に包摂していくというような方法。もう一方でアメリカ型として、自分たちの都市の競争力を高めていくために創造都市ということをうたってどんどん多様な他者が共存するようなまちづくりをしていくというような方法がある。そのときに、ではアジア的な創造都市というものを提案することができるのではないかということが佐々木先生のお話の中にあって、これは私は非常に面白くて重要なことだと思ったのです。
 それで、アジア的な創造都市ということを考えたときに何が一番の他者になるか。これは例えばパリのまちに行ったときに、そこで感じる、いろいろな人がそのまちの中にいるということと比べて、それをそのまま金沢に持ってくるということはなかなかうまくいかないかもしれない。でも、アジア、あるいは日本、金沢の中で一番大きな他者というのは、西洋的な近代と東洋的な伝統という非常に大きな断絶、これが常に共存してぶつかりあっている状態というのがアジアにおける最も大きな他者なのではないかというように考えたときに、そのところが常にコンフリクトを起こしていて、そこから何か新しいものが生まれてくる、そういう都市になっていくということが重要なのではないかと考えました。先ほど紹介したのは、新しいという言い方をしましたが、それは一つの事例であって、いろいろなデザイナーと工芸作家の関係を試し続けるということが重要ではないか。なおかつ、そういう試みを許すような土壌をつくっていくということが非常に重要なことだと考えています。
 そういったアジア的な創造都市のモデルというのを、金沢はきっとつくっていけるだろう。それをアジア的な創造都市のモデルとして世界に示していくことができるだろうというように考えています。このことを進めていくことが金沢の役割でもあるし、自分の役割でもあるというように考えています。以上です。ありがとうございました。

(佐々木) どうもありがとうございました。私の投げかけた問題に見事に答えていただいて、アジア的創造都市のモデルとしての金沢の役割と、それがまさに西洋的近代と東洋的伝統を共存し、衝突し、新たな生み出す仕掛けとしての21世紀美術館、そこが今非常に沸騰してくるというか、エネルギーをためていくということがすごく大事で、エネルギーをためるときに、今日宮田さんにお話しいただいたいろいろなメディアが有効に活用されるのではないかと思っております。
 さて、橋爪さんは、まさにアジア的創造都市といった場合に、いろいろなタイプの爆発している上海も、あるいは、それを追いかけているソウルもご覧になっているし、そういったことから金沢に対して何か提言やアドバイスを最後にまとめてくれるとありがたいなと、自由にお願いします。

(橋爪) 橋爪でございます。よろしくお願いいたします。ツーリズムおよびアジア的なクリエイティブネスということを研究の一つの柱にしております。今日は、クラフトとツーリズムを考えようということで、冒頭に1点申し上げたい。一つは、クラフトとツーリズムを掛け合わすという概念を考えたときに、クラフト・ツーリズムという考え方と、ツーリズムとクラフト、この中身はかなり違うと思っております。クラフトというものを活かしたツーリズムと、新しいツーリズムをクラフトのごとく生み出す。従来なかったようなツーリズムをわれわれはまさに工芸的に生み出すということを考えると非常にクリエイティブな都市になる。この点を冒頭に申し上げたいと思います。
 今もご紹介がありましたように、アジア都市の創造力ということを、そもそも中国のフィールドワークに入ってからは20年くらいたちますが、創造するアジア都市ということでまとめております。先ほどご紹介あった、ヨーロッパ型、アメリカ型に対してアジア型というものをわれわれは生み出さなければいけない。それはメード・イン・アジアではなくて、クリエイテッド・イン・アジアというものをわれわれはアピールするのだ。ところが、アジアのほかの都市の状況をわれわれは把握しなければいけないということを申し上げます。
 後で時間があれば上海万博を紹介いたしますが、上海万博にかかわったプランナーたちは、1970年万博等の大阪の様子を非常に勉強しました。かつての大阪のごとく上海万博をやろうと考えました。ただ、彼らが見ていたのは、万国博覧会を成功させることだけではありません。その後、われわれ日本の都市、例えば大阪がどのようなポスト万博の時代を経て現在に至るのかということもリサーチをする。彼らがいつも言っているのは、上海、あるいは中国の都市は今爆発的に経済成長している。ただ、今後10年ほどしますと高齢化が始まり、少子化社会が起こり、日本のわれわれの都市の経験の後を彼らは付いてきます。われわれはキャッチアップの対象です。
 しかも、上海の専門家が私に言ったのは、1970年の後に大阪で起こった40年間を私はリサーチしていると彼は言いました。ただ、大阪で40年起こったことが上海では10年で起こるだろう、3倍速で起こるだろう。だからこそ大阪が1970年高度経済成長以降経験したことの中で、良いことは学び、日本が失敗したことは一切学びたくない。われわれは先行しているモデルになっております。
 金沢もまさに、先行するモデルとしてアジア各都市から見られています。クラフトで、クリエイティブシティでこれから進めるということを、例えば5年かかる案件があれば、彼らは瞬く間にアジア中の都市が金沢モデルを模倣するでしょう。速度も速いし、意思決定も速いので、あっという間にキャッチアップしてスルーされて追い抜かれます。われわれは何をしなければいけないかというと、絶えずキャッチアップをしようとするアジアの都市の先を走らざるを得ないということを申し上げたい。クリエイティブシティに関しては、アジアにおいてもすさまじい都市間競争があります。その中で独自性を語るということは、従来型のものではなくて、絶えず新たなものを生み出さなければいけない。ツーリズムに関してもそうだと思います。
 若干ご紹介しますが、私が大阪でかかわっている、この2〜3年でプロデューサーなり企画委員長なりでやりました。小原さんのアヒルが若干出ますが、「水都大阪2009」、私が総合プロデューサーでやらせていただきました。今、大阪商工会議所の二つの委員会の副委員長をしていまして、大阪を知る検定試験を私がまとめ役でやっています。大阪府橋下知事の政策アドバイザーとして「大阪まるごとミュージアム」の構想を私がアドバイスしております。大阪市の観光政策で大阪の中の体験型ツーリズムをこの間展開をしています。
 今日の先ほどの話と絡むのが、「大阪あそ歩」というもので、大阪市内300コース、まち歩き体験型のツアーを組もうと。3カ年で300コース、マップを作ってやり遂げようとしております。各地域でされているまち歩きガイドの人たちを、横でネットワークを作ろう。これは大阪商工会議所の方でアイディアを出して議論をし、大阪観光コンベンション協会の方で受けたものです。実際、最近どんどん新しい体験型ツアーを、単に、そういう嗜好のある人だけではなくて、大手旅行代理店等で販売してもらえるようなパックを作ろうとしています。
 大阪の体験型のツアーで社会的に認知されたのが、上方落語の落語家さんが案内してくれる船で大阪市などをめぐるものだとか、最近はしていませんが、ヒット曲のない演歌歌手の方が一緒に歩いてくれる大阪の演歌の名所めぐり。想像してください。40人ぐらいの人がぞろぞろ歩いています。法善寺横丁に行きます。『月の法善寺横丁』大合唱。宗右衛門長へ行きます。『宗右衛門長ブルース』を大合唱。御堂筋に行きます。欧陽菲菲の『雨の御堂筋』を大合唱。それをプロのガイドとヒット曲のない演歌歌手の方が回る。これはほかではあり得ないのです。絶対ほかではあり得ない、まち歩き体験型というのを考えれば考えるほど、そういうものになってきます。
 これは場所性以上のものとして、誰がもてなすのか、誰が案内するかということに尽きるのです。外から来たわれわれは、その土地の言葉で、その土地の人に案内してほしいわけです。ほかのまちに行って、ほかのまちから来た人が、このまちはこんなのですというのは客観的で、わがまちの話にならない。大阪では、ともかく大阪のカリスマガイドが案内する大阪の、そこでしか体験できないということにこだわる人たちがいっぱいいますので、そういうツアーを連打して旅行ネットワークを作ろうということをしています。ですから、先ほど申し上げたようなツーリズムそのものをクリエイトする、クリエイティブ・ツーリズムという概念の中にクラフトのツーリズムというものも新たにあるだろうということがとても大事だと私は思います。
 もう1点申し上げたいのは、そういう視点から考えて、私が中心で最近まとめた京都市の今後5カ年の観光のビジョンがあります。そこでは従来の量とか、どれだけ波及効果があるか。金沢でいいますと北陸新幹線ができて、どれほどの人が増えたり、飛行機の量が減ったり、波及効果がどうなるのか、どの業界がダメージがあるのか、そういう世界で議論するだけでは全然駄目です。クオリティの問題をツーリズムにおいても問わなければいけないと考えて今年の春にまとめました。
 京都は年間5000万人の観光客を突破しました。5000万人ということは1日当たり割っていただくと15万人ぐらいの人が毎日外から来られます。人口140数万人の京都で15万人ですから、毎日住民に加えて1割の人が外から来ます。この人たちをどのようにもてなすのかということを考えよう。もはや量的にはキャパを超え観光公害だらけで非常に苦情があります。とりわけ嵐山や東山の紅葉、桜のころは、京都駅からタクシーで行くと3時間かかる。東京から2時間半で来て、なぜ嵐山までで3時間かかるのだというような非常に異常な観光地になっております。
 それと女性がやたら多くて、しかも40代、50代以上のうるわしき女性が多くて、男性客がどんどん減っている。10回以上のリピーターの京都ファンは山のようにいる。これはいかがなものか。かつてのマーケティングで、若い女性が行くと男も付いてくるという、わけの分からないセグメントの議論がありました。若い女性も徐々に年を取られます。なおかつ男性がほいほい付いていく年ではなくなってきた。若い世代が京都に来ない。また男性が来ない。これをどう見るかで、今年JR東海さんが、お父さんやおじいさんと孫が一緒に来る京都というプロモーションを始めました。うまくいっているかどうか分かりませんが、従来とは違うマーケットを考えていく。
 ツーリズムというのは「イズム」と付いています。ツアーのイズム。これは理念というか、哲学というか、主義主張といいますか、移動しなければいけないという新しいメッセージを絶えず送っているからツーリズム。これは観光と全然違います。旅行、旅、観光というような迫力のない言葉ではない。ツーリズムというのはイズムです。「行かねばならない」。最も古いツーリズムは、例えばローマの兵隊が遠征するとか、あと宗教的なもので巡礼に行かなければならない。これはツーリズムなのです。ボランティアの方が、どこそこの海岸が汚れたと。そこをきれいにしましょう。ボランティアツーリズム、イズムなのです。主義主張、信念、確信を持ってそこに行く。クラフトのツーリズムということは、クラフトのために金沢に来なければいけないという強い信念を多くの人に持ってもらうということにほかなりません。京都で私が申し上げているのは、そういう強い主義主張をどういう人たちに求めていくのか。

 2点ございます。まずは1点。世界における富裕層にターゲットを当てよう。中国を含めて富裕層に対して魅力的なまちにしなければいけないということを強く考えております。それと、現状では京都ブランドがどんどん劣化していくので、京都のブランドをもう一度きっちり確立しないといけない。これは京都に観光客に来られた方がかなりの割合で不満を持って帰られます。「人が多すぎる」「渋滞だらけだ」「見たいところが見られない」「サービスがもう一つだった」。京都はあこがれの対象なので、あこがれて来た人が、それに満足しない確率がかなり出てきているのです。それが京都のブランディング上非常に問題があるので、それを変えようということを言っています。

 あと私が強く京都市長に申し上げて、観光こそ次世代のエンジン産業であります。これは日本中の商工会議所がおっしゃっているエンジン産業という概念を観光も基幹産業だということを強く申し上げて入れていただきました。
 申し上げたいのは、京都観光振興計画の本質は何かというと、クオリティであります。旅の本質をわれわれは世界に提案しますということを強く掲げました。何を言いたいのかというと、観光のスタイルのクオリティを高めます。京都の滞在は世界のほかの都市とは全然違う滞在の仕方ができますよということを示していきましょうと。結果として、京都の観光都市としてのクオリティを高める。何万人来たとか、波及効果何億円とか、どれだけのという評価だけではなくて、いかに多くの観光客に来ていただいて、彼らが京都に来て良かったと。これは市民に対しても、観光客が来れば来るほど京都のまちは良くなったというように思っていただかないと、将来がないのです。市民とともに滞在者が観光客にツーリズムが進行することによってまちのクオリティが高まっていくのだということのコンセンサスを得たいということで、こういうプログラムを掲げるための冒頭のメッセージを示しました。
 幾つか具体の案件は今日は時間もないのでパスをしますが、特に京都の場合だと、従来の旅館、ホテルでは駄目だと。町家やお寺に対する泊まりたいという方が多いので、できるだけ多様な宿泊施設を用意しようということを言っております。
 今日特に申し上げたいのは、今回の京都市のビジョンの一つで私の思いが一番こもっているのがここなのですが、日本中の子どもたちで京都に修学旅行に絶対来ない地域があります。どこかというと、京都です。京都の子どもたちは、日本中の人が知っている修学旅行のメッカに行ったことがありません。あと、紅葉や桜のきれいなときの一番美しい京都は、観光客だらけです。
 観光に関するプログラム、これはよく郷土の歴史を勉強してもらおうというプログラムはよくありますが、欠けているのが、いかに外から来た人をもてなすのか。多くの人にわがまちに来てもらえれば、どれほどまちが素晴らしいということをアピールできるのかという、アピールの仕方をトレーニングをしないといけません。金沢の知り合いは何人もいますが、皆自信満々で、こんな素晴らしい、世界で一番良いまちは金沢だと言う人はすごく多いので、このまちは安心かと思っておりますが、京都の場合は意外とそうでもない。多くの人が京都は良いまちだと褒めますが、「はあ、さようか」と言って実は観光客が行くような場所へ行ったことがないのです。説明もできない、案内もできない、穴場がどこかを知らない。東京の人が穴場をやたら知っています。こういう状況をどうしたら変えていけるのかというようなプログラムを用意します。
 以下、新しい京都の従来なかったツーリズムを興そうというようなプログラムを考え、クオリティの話に向けようとしております。
 アジアの話は後ほど時間があれば少し申し上げますが、もう1点だけ、今私がプロデューサーでやっている案件を簡単に2分ほどでご紹介をいたします。
 従来なかった観光のアイディアで、大阪の寝屋川で新たなプロジェクトを起こしました。寝屋川というのはご存じでしょうか。寝屋川市の市会議員が北海道などへ視察に行きます。現地の方から寝屋川とはどこですかと聞かれます。どう答えるかというと、「菊人形で有名な枚方の隣」。しかも、去年菊人形が終わりましたから、「菊人形で有名だった枚方の隣」と、要は、わがまちの個性を語れる金沢は幸せで、日本の大多数の都市は、ほかのまちで、わがまちはどんなまちだということを端的に魅力的に語るという術を持ち合わせていません。逆に金沢はたくさんありすぎて、当然、日本中の人が金沢は魅力的なまちだと知っているという前提の下に話をします。両方とも一長一短ですが、寝屋川という何のアイデンティティも語れない一住宅都市に、これは市長の英断でブランド戦略室というのができました。私がそこのアドバイザーになりました。いろいろなことを考えて、いわゆるヨーロッパ型のシビックプライド型でやっているのですが、一つがインナー向けのコミュニケーションのツールで、「わが家寝屋川」というちゃぶ台の上から見て市民が皆仲良く座っているというようなマークを作りまして、前から読んでも「わがやねやがわ」、逆から読んでも「わがやねやがわ」というような作戦を考えました。これだけでは全然駄目で、幾つか多くの人の気持ちを集めるようなアイディアを出そうと。

 







特急「びわこ号」 寝屋川市公式HP : http://www.city.neyagawa.osaka.jp/index/soshiki/brand/biwakogou.html

 いま、私が提案し、うまく進み始めているのが、特急「びわこ号」復活プロジェクトです。これは京阪電車という民間の鉄道会社が1930年代に走らせていた特急電車です。非常に変わった車両で、大阪から京都までは一般の線路を走ります。京都から路面電車に乗り入れて大津まで行きます。ですので、そもそも出入口が二つあります。上の方はプラットホームから乗り込む用、下は路面電車のホームから乗り込む用。なおかつパンタグラフとポールが両方あります。大阪-京都間はパンタグラフで走り、三条京阪という駅でパンタを下ろしてポールを付け替えて浜大津までちんちんと行っていました。なおかつ路面電車が急カーブなので、二つの車両の真ん中にも車輪があります。これがあるので急カーブを曲がれるという非常に変わった車両。1930年代風の非常にレトロで流線型の珍しい車両です。これが寝屋川車庫に残っていました。
 ペイントし直すと昔風になってきれいなのですが、車輪や車軸が完全に壊れていて走らせることができない。さあどうしようと。これをできるだけ多くの人の力を集めて、何とか復活させて京都から浜大津まで、もはや路線がつながっていないのでどこをどう通すか分かりませんが、1930年代の鉄道を地元の4大学の大学生にアイディアを出してもらい、実際手を動かしてもらい、さまざまな専門家と相談し、日本中の鉄道ファンから一口幾らかのものを集めながら、これを復活させて走らせたいと。来年の春からいよいよ本格的に募金活動に入れる状態まで何とか、これは3年がかりでここまで用意をいたしました。
 多分5年もしてこれが走りだせば、日本中で寝屋川といえば市民の力で幻の特急列車を復活させたあの寝屋川かと言われると私の思いは成功だと。でも、これは車両基地で車両工場なのです。現役の生きている車両基地です。一般人は普通入りません。危険なので入れない。ここをいかに魅力的な人が集まる場所にするのか。蒸気機関車を復活させて走っている場所は日本中何カ所もあります。1930年くらいのモダニズムのころのものをみんなの力で復活させようなどというアイディアはなかなか出てきません。これは産業観光であり、鉄道の観光だと見えるかもわかりませんが、私はこれはクラフトシップだと思っています。さまざまな技術、さまざまな工芸の方々が協力してもらわないとインテリアから何から昔どおりにならないのです。みんなの力を集めることで何か復活させて、何年か先にこれが人の目の前でリアルに走るところを共有できる場をつくるというのが新しいツーリズムの一つの事例です。
 これも京阪電車と寝屋川市が例えば5000万円ずつぽんとくれたら多分半年でできるだろう。それでは全然面白くない。一口100円とか1000円の浄財をみんなの思い、みんなの技術、ボランティアをどれだけ集めて夢のある幻の列車復活を盛り上げていくのかということを考えております。だから新しいツーリズムを起こすということが地域から遊離して世界中いろいろなところから来ていただくということだけではなくて、その地域において新たな人の動きをあたかも工芸のごとく生み出すというのもクラフト・ツーリズムの中にあってよいのではないかということを申し上げて、ひとまずの話題提供といたします。
 後ほどもし時間がございましたら上海の例を申し上げます。

(佐々木) どうもありがとうございます。久々の橋爪節を聞いて楽しく。クラフトという言葉をツーリズムと結び付けるというか、新しいツーリズムをクラフトのごとく再生するというか、まさにそこにクラフトマンシップということになってきて、そういうことでいうと金沢はいくらでも資源が眠っているような感じですね。新しい社会実験をいつも水野さんがやっておられるのだけれども、今度もに実際どういう感想を持っておられるか。もう少し良かった面も悪かった面も含めてお話しいただけますか。

(水野) 単にアート&クラフトだけではなくて、和菓子屋さんとか町家も職人の技の集積したものですし、いろいろな形でクリエイティブなものというのはまちなかにたくさん点在していると思うのです。それをめぐるようなことをやりたい。21世紀美術館までは国内外からたくさんお客さまがいらっしゃるわけですから、まちに開かれた美術館というのがありますが、美術館からまちへ出て行くような流れを作りたいということがあります。
 もう一つは、もう少し名称は考えなければいけないかもしれませんが、コンシェルジェによる、オリジナルのツアーを作ってあげて提供してあげて、町家をめぐってもらうということ。それも既成のモデルコースを作って回りましょうというのではなくて、その人に合った形のものを作っていくという意味でも、それもクリエイティブだと私は思っているのです。そういう意味で、コンシェルジェというサービスはぜひやらなければいけないと思います。今も京都でありましたように、観光客数を求めるのではなくてクオリティだと思うのです。もちろん団体でいらっしゃる方も必要な面もありますが、もっととんがった形のツーリズムをぜひ金沢で実現させたいということがあります。
 もう1点付け加えるとすると、ガイドツアーをやりました。建築訪問もそうですし、アトリエ訪問もそうですが、エスコート役がキーポイントです。エスコート役が触媒となっていろいろな訪問先のアーティストに刺激を与えたりするわけです。そのエスコート役をどう選んで訪問先と組み合わせるかということ、そういう意味でコーディネート役という方の役割もすごく重要だと思います。そうやって受入側も意義あるガイドツアーにしていきたいと思っております。

(佐々木) 今言われたエスコート役の重要性というのは、僕もそう思うのだけれども、先ほど橋爪さんが言った、まさに地元の小中学生が地元のことを知らないのですね。修学旅行はほかへ行ってしまうからね。結局、エスコート役は地元の人たちが引き受けたときに地元にあるものを再発見するでしょう。そういうプロセスというものをうまくインタラクティブにするというのがアートコンシェルジェを作るときに大事かなと今聞きながら思いました。
 それから鷲田さんは、21世紀美術館の中で、これも秋元さんもやっておられるわけなのだけれど、アートプラットホームという形で、美術館は一つのベースで、ここに来た人たちがさらにまちなかにいろいろなアートのスポットを見に行く。それで、まちの中にいろいろなプラットホームを作ってしまうという面的な広がりを随分やってこられたし、先ほどの話もとても面白いです。このあたりを金沢でずっとやってこられて、その中での手応えや可能性、あるいは限界などもお話しください。

(鷲田) 私は金沢へ来て最初の5年間、金沢21世紀美術館をつくり、そしてオープンしましたが、それでも美術館はまだまだ点でしかないという状況の中で、それをどう面的に広げていけるかというのは一つの課題でした。
 もう一つは、金沢アートプラットホームの展覧会でも、テーマとして自分たちの生きる場所を自分たちでつくるためにというテーマを掲げていたのですが、美術館がまちへ出て行くというよりは、美術館がまちへ出て行ったことが触媒となって、まちの人たちが自分たちでどういうかかわりができるかということを発見し、そこでかかわっていくという状況をつくり出すということを目指していました。これはクリエイティブツーリズムに私がかかわっているときにも考えていることなのですが、クリエイティブツーリズムというと、クリエイティブな場所がもともとあって、それを見に行くのはクリエイティブツーリズムだというように思われることはよくあると思うのですが、それだけではなくて、ツーリズムという仕組みのあることによってクリエイティブな場所が生まれていくことが非常に大事なのではないかと思っています。

 21世紀美術館で仕事をしていて学生たちともよくかかわるのですが、美大の学生たちが卒業した後どうするかというときに、非常に不安を抱えていると思います。東京に行かないと情報に乗り遅れるのではないか、このまま金沢にいても埋もれてしまうのではないかという不安を非常に抱えていて、ただ、その中で金沢に残って制作を続けて金沢に居続けるということが、まちをクリエイティブなところにしていく上で非常に重要なことになってくると思うのです。
 そのときに、でも金沢で制作していてもクリエイティブツーリズムという仕組みがあって、常に自分たちのやっていることは、途中の段階であっても見てもらえているというような感触を実感として持つことによって作家が金沢に住み続けるということが起きてくるのではないかということを考えています。作家たち、それからクリエイティブなことをしている人たちが自分たちが金沢で実験していけるような土壌ができて、その実験を誰かがきちんと注視しているという土壌がつくられていくことがクリエイティブなまちであり、21世紀美術館、クリエイティブ・ツーリズムということがやっていかなければならないことだと考えています。

(佐々木) もう1点、今日の前段の話なのですが、工芸作家とデザイナーがコラボしたときに、特に佐藤卓さんが出したお題というのが、形は変えないで、比率を変える。その比率というものがある意味で工芸作家からすれば変えられないものと思っているものを変えなければいけない。そうしたときに、そこでものすごく大きな発想の転換が迫られるわけですね。そのことを通じて、それを仕掛けている、あなた自身は何か新しいものが生まれる予感というのか、あるいは金沢のクラフトが変わるかもしれないというような、そのあたりはどんな実感がありますか。

(鷲田) 私としては現場に一緒に立ち会っているような感じなので、一緒にとまどまってしまうというような部分も実際にはあるのですが、そのことで自分自身もいろいろ気付かされること。例えば、ただ大きくするといっても、では厚さは変えないかとか、では大きくしたときに焼いて割れないのかとか、そういう技術的な限界にもかかわってくることになりますし、そのときに、ではどの大きさを基準にしたらいいのかというようなこと。実際に物を作ろうとすると細かいことなのですがいっぱい問題が出てきて、その問題を一つ一つ具体的に考えていくときに、いったん、器とは何だろうか、工芸とはどういうことだろうか、この技術はどういうことだろうかということに立ち返って考えないといけないことに自分自身もなって、それを考え続けることが非常に面白いことで、物事を根本的に考え直すきっかけになると思うのです。
 もう一つは、そうやって出来上がったものが今までのプレゼンテーションと違う形で見る人たちに対して提示されるというときに、同じ形であっても少し違ったアプローチで技術や形に目を向けられるということが起きると思うのです。そういうことによって、こういうものが金沢にあったのかというように再発見することにつながっていくと思いますし、工芸を外から映像で撮って伝えるというのと同じようなパラレルな仕掛けが作品の中に組み込まれているような形になっているのではないか。それは非常に面白い方法だなというように私自身はっとしたというのがありました。

(佐々木) どうもありがとうございます。橋爪さんが言い残しておいた部分ですね。時間もそんなにないのだけれども、ユネスコのネットワークの中でも、今年に入って上海とソウルが入ってきたのですね。27のうち8つがアジアなのです。日本が3つ、中国が3つ、ソウルが2つ。恐らく来年になるとアジアでもっと増える。そうしたときに、アジアの創造都市の中で金沢というのはどういうポジションを占めていくかと。これは先ほど鷲田さんも言ってくれた話なのですが、上海やソウルはものすごい爆発力があって大きな都市だけれども、それとまともにぶつかる必要もなくて、金沢は金沢の独自のポジションがあるわけだけれども、そのあたりをお願いします。

 

沸騰するアジア都市との競争と連携

(橋爪) 中国ではクリエイティブインダストリーのことを「創意工夫」の「創意」と訳します。産業政策の場合は文化創意産業と言います。例えば先ほど佐々木先生がおっしゃった深?では、毎年文化産業の大展示会が行われています。中国各都市、例えばアニメ、マンガなら杭州が国家が主催するアニメ・マンガの大展覧会を毎年やっています。明らかにキャッチアップ型で5カ年計画でやっている国々・都市とわれわれは対等に戦うのか、違う土俵を持つのか。
 例えば深?の交易会は何をやっているのかというと、中国中の都市、あるいは省が、例えば上海はデザインでいきたいのでデザインのブースを出しています。吉林省やそれぞれクラフト系や民族的な素材のところはそれぞれがそれぞれの物産と地域の情報を出したりしています。各地域の大学が従来型のカリキュラムではなくて新しい文化創意産業に関する大学のプロダクトをどんどん出してきています。
 例えば旅行に関する建築の専門の学校で「未来のホテル」というプレゼンテーションをやります。伝統的な芸能をいかに産業化するのか、エンターテイメント化するのかということにも力を入れている都市があります。あるいは、家具とかにも力を入れている地域が中国の至るところにあります。
 要は、伝統を活かして現代的なテイストで世界で売買できるような商品開発を競いあっています。私がしばしばフィールドに行っていた河北省の呉橋というまちは地域の地場産業がアクロバットで、数千人のアクロバットをやっている人たちがいて数十のサーカス団があります。そういうスケール感のところとわれわれは対等に考えなければいけない。
 彼らの考えは簡単で、2007年のときにはこういうモニュメントがありました。「文化と創意工夫で金がもうかる」。非常に分かりやすい。最終的に、きれいごとではなくて、あくまでも産業振興と文化芸術、クリエイティブなものというのは一連のものだというのが当然のごとくアジアの各都市の考え方で、アジア的なクリエイティビリティや創造性を言うときにそこを抜くわけにはいかないというのが私の申し上げたい1点です。
 例えばソウルの話をしますと、今年、ソウルが2010年にワールド・デザイン・キャピタルでイベントをしました。2年ごとに世界のデザインの首都を持ち回りでやり始めました。かつてのオリンピックの競技場でデザインオリンピックというのをやります。ここで子どもたち向けのデザイン教育のプログラムなどは本当にすさまじい、デザインに関するありとあらゆる展示と体験型を提供していました。国際デザイン財団の連中に聞くと、デザインの単なる一都市のイベントに予算が数億円規模です。私が驚くのは、デザインという概念が単なる文化・芸術やクラフト等の分野に限らず、都市デザイン全般をソウルのシンボルの事業にしようという上位概念です。だから、清渓川(チョンゲン)の高速道路を撤去したのもデザインであります。
 私が一番驚いたのは、2年前にできた世界最大の噴水で、500m×500m、長さ1kmの噴水が漢江(ハンガン)のところに落ちています。これが音楽とともに照明で非常に美しく踊るというエンターテイメントのある噴水をドイツの会社が造りましたが、アイディアはソウル市が市役所の中の職員にアイディア募集をして、土木の担当者がこのアイディアを出して実現しました。彼は何階級か特進したらしい。それがクリエイティブな在り方だというのがソウル市のやり方です。
 こういうレベルのところとわれわれは戦っています。ご存じのように、上海や北京はこの数年でクリエイティブインダストリーのクラスターを至るところに造りりました。北京で有名なのは共産党の武器工場の跡をギャラリーや工房にしました。これは個人がそれぞれやっていたやつを後付けで行政がクラスター的に認知していくというやり方ですが、「毛主席万歳」とか落書きのあった工場をギャラリーにしていて、これは当然のごとく観光ガイドブックに載ります。上海でも同様のところが至るところにあります。有名なのは工場の跡にアーティストが住み込んで、アーティスト街になったエリアが当然のごとく観光地になっていて、おしゃれなカフェなどがあって非常にいい雰囲気の場所があります。あるいは、建築家の人がよく入っているのは8号橋など、工場をリノベーションしたアート拠点みたいなものが至るところにできてきて毎年増えています。
 上海市政府が自前でやったのが家畜を屠殺していた屠殺場をリノベーションしてギャラリーに替えた1933という、1933年にできたモダン建築なのですが、かつて豚か牛か知りませんが追い込んで殺していたところがおしゃれなギャラリー群になったり、レストランになっています。これは上海市のクリエイティブインダストリーのセクションが直営でやった第1号です。わずか数年で数十カ所のクリエイティブ拠点をつくるというのは、上海という大都市だからですが、これをモデルに、5カ年計画という計画経済の下に中国中の都市がやっています。ソウルや釜山のモデルを韓国の都市も見ている。そういう中で、アジアのわれわれのクリエイティブネスということを考えると、絶えず一歩先を走らないと何か新しいアイディアを出したら、多分2年後にはどこかで、何倍かのスケールでされているリスクがあります。そういうことを最後に1点申し上げたい。
 もう1点、上海万博で私がやった大阪の写真ではありませんが、ぜひ金沢でチャレンジしていただきたいのも幾つかあるのです。例えばこれはヨーロッパのパビリオンでかなり意欲的なのですが、時間がないので私のお気に入りのやつだけちらっとだけ見ていただけますか。

 

 







上海万博公式HP スペイン館外観

 最も私が好きだったパビリオンはスペイン館で、ガラスと鉄の構築物の外側に籐のござのようなやつをざざっと張ってパビリオンとしています。日本の消防法では、いかに不燃化していてもあり得ない外装材ですが、博覧会だからできたのです。
 大阪の日には、この前でうちの知事が盆踊りしながらパレードしていましたが、キングギドラがのた打ち回って死んでいるような、これが非常にインパクトがあって、中はマルチスクリーンの映像と、あとインテリア側にもカゴの籐の材料が見えて、スペインの有名な赤ちゃんのロボット化は、とても不気味にかわいいみたいな。
 何を申し上げたいのか。現代的な最先端と伝統的な素材の組み合わせで、どれだけチャレンジングなことができるのかというのを金沢21世紀美術館に続く第2弾、第3弾のたまを金沢は出すべきだと思います。奇跡は何度も起こすべきだと。一度だけではすぐ追いつかれる。申し上げたいのは、今のように伝統と新しい技術のテクノロジーの融和なのです。
 最後に1分だけ。上海万博で一番目に付いたのは、LEDの技術をいかにファサードや壁面展開するか。見たこともないデジタルサイネージだらけでした。右が黒龍江省、左が浙江省のパビリオンですが、いろいろな形にLEDを付けて、デジタルサイネージというのが至るところに付いています。多分中国の未来の盛り場はまちじゅうこのように光り輝いていると思うのです。
 ぜひとも先端の照明技術等とクラフトの融和に挑戦していただければということを申し上げて終わりたいと思います。以上です。

(佐々木) どうもありがとうございました。今日は、冒頭の飛田代表幹事のお話から含めて、金沢の都心にどんな力を新たに付与するかという話があったのです。金沢の場合は、21世紀美術館ができたことによってこれまでのイメージを全く変えた。今度はそれをさらにいろいろな意味で活用していく、あるいは広げていくアイディアが必要で、それは一つはソーシャルメディアであるし、あるいは学生の力であるし、そしてまた今出たようなクラフトの見直しであり、あるいはツーリズムをクラフトのように作ってしまうというようなアイディアがあって、今回は若い世代のスピーカーにも登場いただいたし、市長さんも若くなるし、世代を超えて、あるいは世代が交代していくといったことでリニューアルを金沢がしていく、そういった方向性というものが明らかになってきたのではないかと思いました。
 今日は、どうもありがとうございました。皆さん、どうもありがとうございました(拍手)。

まとめのスピーチ
(米沢) 今日は、はからずも飛田代表幹事の基調スピーチから、第1、第2、第3と本当につながってしまって、自分でもびっくりしているのですが、そういう意味では、これまで創造都市会議・金沢学会に何回目かのご参加をいただいた先生方と、そして新たに参加していただいた先生方とスムーズに結び付いて、本当にありがたく思っています。非常にいろいろな切り口をたくさんいただきました。これを明日どのように表現するかというのは、座長の佐々木先生にお任せするしかないなと思っていますが。明日は12月10日から新市長になります山野さんをお迎えしています。選挙のときにいろいろな政策を発表していますが、皆さんの明日の意見がこれからの新しい金沢の政策に反映するものだと思っていますので、彼にとっても初めての公式の場で非常に良い刺激を受けると思いますので、ぜひ、そういう意味からもご発言をしていただければと思っています。
 それでは、今日は本当に長時間ありがとうございました。明日の討論をまた楽しみにさせていただきたいと思います。(拍手)。
 

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