全体会議
     
進行:佐々木雅幸(大阪市立大学大学院教授)
   

増渕敏之
●ちょっと、ずれちゃうかもしれないですけれど、テクノミュージックを作ってみちゃったんですけど、発表するまで、さすがに不安でね。なんか期待されているものを提示していないのかもしれないな、ちょっとあったりもしていて。それで今考えていることなんですけれども、業界をずっと長くやってきていて、いきなり五月でクビになって、こっち側に移ったんですけれども、今まで、いかに産業の中にいて、「産業蛸壺症候群」の中にいたかいうことが、なんとなく、やっと分かってきて、佐々木先生の先ほどおっしゃられた、価値の問題ですよね。例えば、経済的価値、文化的価値とか固有価値とか、という問題で、自分がコンテンツなり、もしくは芸術品・・僕はあんまり向かい合わないですけど芸術品は。向かい合う時の、自分にとっての価値が、かなり揺らいでいるんですね、今。だからきのうも不安だったんです。僕たちは良いと思っているんだけれど、はたして受け入れてくれるのかなとか。自分の中に揺らぎが最近あって、周辺の環境の変化が一番大きいと思っていますね。
 だから、マスメディアが寡占してきた時代がとうとう終焉を迎えつつあります。これは全世界的にそうです。僕たちがマスメディアから与えられて1つの価値というのもかなり揺らいできている。そうすると、これは断片ですが、例えば、コミケがありますよね。コミックマーケット、お台場の。あれはなんていうかな、マスの中に取り込まれることを、一部拒否した人達の経済的な集団と僕は理解していて・・・。

佐々木●同人誌的な要素?

増渕●あれは、あれで1つの経済団体として、位置づけることは可能なんですね。
 例えば、新潟のスピンオフモデルのガタケットというのが、これが地方のコミケの中では最大で・・そういった、僕らと全く乖離したところでの、価値損失が生まれてきている。
 それから、三年前に鳥取大学との共同研究で、うわさが何日持つかの研究をやったことがあって、ブログの3000ぐらいのサンプルでやった時に、うわさは2日しかもたないという・・衝撃的な事実ですね。揺らぎの中で、私たちが価値をどういうふうに固定させていくかということで頭を痛めている最中です。先生なにか、ご助言を。
佐々木●逆に聞いてどうするんですか。いや、なかなか本質的なおもしろい話で。実は先ほど、大樋さんがいみじくも言われたけれど、バブルの時なら、オークションはみんなね、すごくやりやすかったでしょ。これだけ経済状態悪くなったら、底なしですよね。
 かの有名な、村上隆も「もうアカン」とこれまでがおかしかったんだと言ってますよね。それは、明らかにトレンドが変わっていて、一番揺らいでいるのは、経済的価値ですよ。ドルがどこまで下がるか、ドルが大暴落するのは間違いないんだけれど、どこで止まるかという話でしょうね。
 その時に、地域の価値とか、工芸の価値とか、芸術価値、これは揺らがないのか。経済的価値にある程度、裏打ちされないと、具合が悪いけれども、文化的価値のない、経済的価値だけでは絶対にもたない時代に入っているのではないかなというふうに、私なんかは、思っていまして、そのあたりで一言。

福光●増渕先生の話、今、非常におもしろかったです。工芸という言葉の時に、作品とか思い浮かべて、工芸とやっていると、やっぱり議論が、ドン詰りになるんですわ。これは、ずっと「おしゃれメッセ」の課題で、私も、あれが売れるようにならないと市長さんから、仰せつかって、がんばっているんですけれども、なかなか名案が出ないのは、まともに、工芸を工芸として把握し過ぎてるな、いう感じを、今ここで聞いてまして思うんです。
 それで、浅野さんがお店のこと言われたけど、私も真似して東京に店を出しましたけど、うちは酒を売っているわけですけど。うちの店は浅野さんの店より、もっと赤字かも知れないですけどね。お酒を店の1年の売上の中で、4割を越えてはならぬと、決めてあるんです。ほかのものを売れと。それは何を売るかというと、金沢を売ってもいいし、お酒のある食卓を売ってもいいし、食文化を売ってもいいし、もちろん、靴を売れとか、それは極端なんで。きのうでテクノ売ってもいいかと思いましたけど。
ようするに、そこはかとないものが登場する文化を売る、というショップをしようとしているわけですね。
 これはショップだけではなくて、会社をそうしたいと思っているんですけど。どういうことかと言うと美大のサロンで黒川先生に呼ばれた時に、お話したことですけど。私の場合は、1つ上のランクに抽象化できないかいうことを、いつも考えるわけですね。そうすると、その時にもう1つ上から下ろしてくると、もっとおもしろいことが考えられるんじゃないか。
工芸というのを、狭い意味の工芸で、この同じ標高で、同じ土俵で議論してても、ドン詰まるんで、1つ上にいい土俵ないですかと、そう思ったら工芸とは何なのか、暮らしを豊かにするということなのか。大樋さんの、湯のみ茶碗をわざわざ買って、加賀棒茶を使って番茶を飲むということは、どういう価値があるかというと、1回、1つ上に抽象して、もう1回下ろしていくと良いと思うんで。僕は、多分、創造都市としてのクラフトというのは、そういう方が良いと考えるんですね。工芸的考え方、工芸的生産というので、だから、工芸的生産というと、1つ概念が上がってますから、色んな産業分野に応用できるんです。米沢くんの会社でも、工芸的電気屋というのがあり得るわけです。いや、あり得るですよ。実際、前からやられたし。メイド・イン・カナザワというのもあり得るわけです。これは小杉さんはJCの時にやられた。それからずっと課題になっているし。水野先生も大内先生も、ずっとその時から、付き合ってわけですけれど。同じことで、ずっと同じこと言っているようだけれど、その都度、その都度、1つ上の抽象化概念が時代伴に変わっていくとこが、おもしろいんでね。
 いくら不景気になっても、人間は不老長寿とか、男の場合、不良長寿とかですね、そんなことには、どんだけでも金を払おうと思うわけでね。そういうことに関しての文化展開ということは、本来、金沢は大得意じゃないかなと思うで、ちょっとそういう視点からも議論されたらどうかなと。お願いします。


水野一郎
●先ほど山口さんから、買う側の視点と、今の福光さんの話と似てくると思うんですが、創造都市の市民としては、クラフトというと、いつも売る側をいっているけど、使う側という立場が、見えてこないと創造都市になりえないと思います。今、世界がめちゃくちゃになっているから、チャンスですね。買うチャンス。コンテンポラリーアートの伝統工芸の最大のチャンスだと思いますね。株と同じように。
 実は、アートマーケットとか、アートオークションとか、金沢は、めちゃくちゃすごい時期があったんですね。明治40年ころから大正5年ぐらいの10年間。多分、その10年間で金沢倶楽部とか、尾山倶楽部で売買が成立したのは2千万円だろうと言われているんですね。2千万円て、どういうお金かというと、大正5年の金沢市の予算が403,014円92銭なんです。その50倍が10年間で売れているんですね。売買が成立している。それは金沢の財界人たちが、3分の1を美術骨董に投資して、それをまた、転売して儲かってくるというそういう時代でして、東京、京都、金沢というのが3大マーケット市場ということがアート史上あったわけです。
 ですから、今、石川県の文化財保護審議会の会長は誰かというと、見ると、ずっと財界人なんです。財界人が、一番目利き、見立てのできる人たちがいるという信頼があったというのが、金沢だと思うんです。それは非常におもしろいことなんですね。
 きのうもあった、企業市民というのが出てくるといことが、今そういう、財界人的パトロンというのは、なかなかできない。大だんなたちがいなくなっちゃった中で、どうやって、やっていくかというと、市民が買うとか、企業市民が買うとか、あるいは、行政が21世紀美術館で買うとか、そういったことの積み重ねが、この地域を育てるというふうに、もう1回、理解し直さないと、伝統工芸とか、美術とか、創造都市といったものは、ないんじゃないかと思うんですね。それを自分の企業のモノづくり、商いの仕方を含めて、先ほどの工芸的な商いというものが、成立してくる基になるんじゃないかと思います。
 そういう意味でいうと、もう少し、みんな、プチパトロンになって買って、1年に1度良いことがあったら買ったりなんかして、それはサイレントオークションでもいいですよね。何でもいいから買ってみるということが、非常に大事じゃないかと思います。ぜひ買う運動というのを、一方で進めていく。そういう場所を作るのも、1つの仕掛けかと思いますけれども。大事じゃないかと思います。
 サンタフェ行っても、みんな買いますよね。サンタフェには、作家たちが、皆、住んでいますよね。1番住みたいところで、アンケートで1位になったことがある。なんかこう、クリエイティブなところに、住みたいなという、人を惹きつける力がある。それはなんとなく、市民自体が豊かさを持っていないとならないというところ。この辺が非常に大きなことじゃないかと、私は思います。


黒川雅之
●今のことでいいですか。すごく良いところに、話がきたと思うんですけど。使う側というと、話は、買うということにつながり、実は売れるということにつながるんですね。売るという産業側からの言葉ではなくて、市民の側からの言葉ですと、売れるという言葉になると思います。
 ですから、作ったものを売るという、そちらからの流れじゃなくて、欲しがられ、そして売れて行き、すなわち買われて行き、使われて行くという、その裏側からの考え方の筋みたいなものが、僕が使うという言葉を代表させて、すごく良いキーだったと思いますね。きのうの宮田さんのお話も、ソフトウェアをどうビジネスに結びつけるか、ではなくて、タダで放り投げておいて、それが気がついたら、人々が使い始めていて、使い始めたことから、ひょっとするとビジネスにつながるかもしれないなと考えていくと、考え方と、僕、ジャストイコールだと、思うんですけどね。

佐々木●宮田さん、振られたけれど、どうです。


宮田人司
●今、お話ずっと聞かせていただいて、福光さんの方から、工芸的という言い方をされていたんですけれども、まさに、僕らのやっている、ソフトウェアを作るということは、工芸と同じだと思っているんですよね。
 ただ、やっぱりそういうふうには見られてなくて、ソフトの歴史というのは、もう30年とか40年とか経っていて、ある程度の長い歴史はあるんですけれども、このままいったら、今の話のような、工芸というような認識はされないで、このまま100年とかいっちゃいそうな、気がするんですよね。
 僕らが今やっている作業というのも、やっぱり、使っていただくために、いかに使いやすいインターフェイスを作るとか、使っていった後に、何が残るのか、それを使っていただいて、生活がどう変わるとか、やっていることは、工芸製品とあまり変わらないと思っているんですよ。
 ソフトウェアは、まだ100年とかいう歴史はないですけれども、ここから先なくなることはないと思っているので、これを新しい、工芸というか、産業というか、残していくために、さらに何ができるんだろうということを、非常に考えさせられました。とはいえ、ソフトはそれだけで成立するわけではありませんで、人に使っていただいて、生活の中に入って、なんぼのものだと思いますので。
 僕は金沢という場所で、僕はすごく、学んだ気がするんですね。金沢に来て10年ぐらいになりますけど、それ以前はあんまり考えたことなかったです。ここに来るようになって、生活の中で使われる、モノを作っていくには、どうしたら良いんだろうと考え始めるようになって、今回作った、メモリーツリーというソフトも、金沢という場所でなかったら、思いつかなかったと思うんですよね。
 今、黒川さんからも、まず使ってもらってと言っていただきまして、まさそのとおりで、生活の中に、どう溶け込んでいくか、使っていただいていくうちに価値のあるモノになっていくものと思います。
そういったものを意識しながら、新たなものをつくりだしていこうというふうに、本当に深く考えさせられました。

佐々木●現代の工芸的生産という話になってきたんですけど、山岸さん。

山岸●すいません。もう1つ思いついたんですけど。大樋さんの器はですね、カタログでしか知らなかったです。1度大樋さんの美術館を拝見にいった時に、大樋さんが「お茶でも飲んでいきなさい」とおっしゃってくださって、靴下に穴が開いているにもかかわらず、大樋さんのところでお茶を呼ばれたんですね。初めて、持った感覚とか、そこですばらしさが、体験的に理解したんです。少しだけですよ。まだ全然分かっていないです。だから、用がある、機能があるものは使ってみないと分からないんですよね。そういう機能があるものは、使わない限りは近付いても分からない。職人さんというのは、ものすごい時間を掛けて、あるいは1人前になるまでに、20年かかって、やっと1人前になって、それを1年がかりで作っていくというような、長い、長いストーリーがあるわけなんで、その事をキャプションに書いてあっただけでは分からないと思うんですよ。
 それは、さっき申し上げた、買う側、使う側に対しての訓練、あるいは、エデュケーションが、としても必要で、そのストーリーも一緒に売っていく。大樋さんの美術館にお邪魔したら、初代の大樋焼きの方が、大樋さんの顔と掛軸がそっくりで、そこまで10何代続くっていうことは、そういうことなんだなっていうことが、よく分かるわけなんです。ですから、ストーリーと伴に売っていく。
 それから、時給換算したら、いくらになるんだ。この塗り物ということを、はっきり分かりやすく、口伝でいいですけど、伝えていくということが、もっとモノを売りやすくするということだと思うんです。

佐々木●そういう、ストーリーとか、体験とか、感動を感じてもらうような、ツーリズムとね、合わせないと、広がらないんですよね。そういった意味でいくと、水野さんのやっている、町家再生というのもね、つながっていくんじゃないかな。思うんですけど、いかがですか。


水野雅男
●私も、きのうのプレゼンテーションを聞きまして、いくつか、色んなツールを使って都市を発信するということをお聞きしてました。私は、誰が発進するのかという視点で、ずっと聞いていたんですね。最初の第1とか第2で紹介された、ご当地音楽とか、メモリーツリーとかというのは、どっちも遊びですよね。遊びを通じて情報発信するということで、これは若い人が楽しんでやる、若い人が参加できるというのは、すごく大事なことだし、それは市民セクターの方々が主体的にやるというものだと、聞いてました。そういう、市民の方々が活躍する場、そういう発信の仕方なんじゃないかなと思いました。もう1つ、今、町家のこととか紹介いただきましたけど、そのクリエイティブツーリズムを通じまして、単に工芸とかアートとか、作品だけを世界に持っていって売るわけではなくて、やっぱり金沢に来ていただいて、街の中で、それを観賞していただいて、お買い上げいただくという仕掛けが必要だと思うんですよね。
 それは、工芸全般をというよりも、やはり、とんがっているものを売り出していく。それは企業市民なり、民間セクターが担うべき役割だと思います。
 町家も都市の資産として、重要な資産でして。確か遊休化している町家は数百棟あるかも知れません。それをいかに活用していくかということですし。町家とアートとか、町家と工芸というものを対峙させて、その中で町家と空間のすばらしさ、逆に工芸とかアートの素晴らしさを際だたせるということが、必要だと思います。
 そういう意味で、今年、21世紀美術館がやられました、アートプラットホームの中で、町家を舞台にした作品展示なりがありましたが、ああいう取り組みは、すごくおもしろくて、注目しております。我々がやっていた事業も、少し市民の方々にも広まって、こういうとこに、空き町家ありますよという情報が、どんどん集まってくるようになりまして。
 それで、私たちは、NPO法人だけではなくて、金沢町家という事業組合を作りまして。それは何かといいますと、町家を技術のある方が修復して、活用するために協同組合を作りました。
 それは、市長がつくってくださった、金沢職人大学校を卒業された、歴史的建造物修復士という、こういった方々が仕事として修復に携われるように、修復士の方々が設計を担い、施行するといった仕組みを作ったんですね。それは現代生活の場として活用するだけではなくて、アートとか工芸の職人さんなり、作家の方々がその町家の空間でクリエイティブな作業をしていただくようにも、もっていったらいいんじゃないかなと思います。
 いずれにしろ、それは民間セクターが、がんばるべきだと思います。その基本となるベースの部分を行政セクターに、これまで通り、やっていっていただければいいんじゃないかなと思います。

佐々木●どうもありがとうございました。藤井さんは、きのう大変素晴らしいDJぶりを発揮していただいて。実は「イート金沢」で、すでに5〜6年前から金沢に来ておられて。それでやはり、作詞の方もそうだけど、金沢の印象をうまくつかんでいらっしゃいますよね。直感的にね。若い方がとがった感覚で、印象的に発信していくというかな、そういうことが今考えていることと全部結びついているんじゃないかと思うんですけど。感想でもなんでも。


藤井克仁
●ちょっとずれちゃうかもしれませんが。きのうから作品とか見させていただいて、自分が思ったことを話させてもらうと、工芸品とかジュエリーとか色々あったんで、バラけるかもしれませんが、自分が買うというキーワードから始まるとすると、自分が買うとしたら、どういうものを買うかなと考えた場合、工芸品であっても、ジュエリーであっても、使い勝手を想像させる範ちゅうというところになってくると思うんですね。そうなるとアート作品なのか、商品プロダクツなのかという、ところを明確にしていかなければならない。もちろんそれぞれが判断できる範ちゅうであれば、それはいいんですれけども。それができないレベルだと、見るものがオブジェとしか扱えなくなってしまうので、そこの判断を、客観的判断を、誰がしていくのかということが、すごく重要だなと1つ思っています。
 既に、やられていることかも知れませんけど、使い方を想像させる範ちゅうで、使えると判断したものを、まとまった見せ方で見せるということが1つ重要なことかなと。
 例えば、バリふうの家の空間と、家のファニチャーとかも、よく日本人でもお金持ちの方がやられてて、こんな空間にしちゃって、使い勝手があるのかなと思うこともあるんですけど、好きな人は本当に好きで、そこの空間を楽しむということも、やられてるんで、使えるものを、使える形で見せるという提案の仕方が1個あって、流れって、そういうものを引っ掛けていく。売るということに引っ掛けていくとすれば、今どきのデザイナーの人とのコラボレーションが、上がってくるのかなと思うんですね。そういう人たちと一緒にやって見えてくるものって、そのためには、寛容性と言うか、受け取る側の寛容性も、作る側の寛容性も必要だと思うんですけど。
 例えばアディダスとかも、普通のスポーツメーカーで、まあユージュアルなものになってますけど、1人、ステラ・マッカートニーさんポール・マッカートニーの娘さんを、デザイナーとして入れることで、デザイナーの人が見にいって、そのプロダクツはどうなのかと、改めて見に行くということもあったりするんですね。
 それって、やっぱり重要ことというか、ブランドが、普通のものになっていってしまったときに、次のアクションを起す時の、必要な原動力となるのに、新しい、そういうものを加えていくという・・売るという視点になっていくと、そういうことになっていくのかな。
 一方、工芸品を海外へというところで、金沢と、海外という目線で今までやられているところがあるとすれば、やはり、海外でも売るぐらいの勢いでやるのであれば、山口さんが提案した中にも出てきた、例えば、コレットというフランスのセレクトショップ。ここは世界のデザイン的なものを一部集めて、ある種、見せること中心に・・そこだけではビジネスになるほど扱っていないんですけど、日本のモノも多いですし、どちらかというと、日本人が多いんですよね。おとずれている人が、日本人が多いんです。
 例えば、あるブランドが、日本のファッションブランドが、そこにモノを1個、2個置けることで、パリに行った観光客が、そこで見るわけです。それ見て、ここのものは一流のブランドのものなんだと思って帰ってきてということが、起るわけです。そういう人たちっていうのは、ファッションに興味があったり、デザインに興味があったりする人だったりするんで、そういう引っ掛け方もできるんです。そこではお金にならないけれども、そういうふり方っていう、そういう見せ方を作ってコレットとかにプレゼンして、1個でも2個でもコーナーに置いてもらうということができれば、そういうこともできるかなと、いうことができますね。たまたま今、僕の家に居候しているフランス人がいるんですけれども、そことつながりを、持っていますから、つなぐこともできます、余談です。
 ジュエリーの方でいうと、デザイナーとのコラボレーションもあるんですけれども、ジュエリーはエンターテイメントとすごい結びつきが過去から、古い時代から、映画とか、映画に出てくる女優さんが、ジュエリーを身に着けて、それが、話題になって、みたいになって、ブランディングができてくるということが、できるんじゃないかなと思うんですけど。
 そういうふうに考えると、そういうデザイン性の強いものとか、ある意味では、一般の人たちが、ちょっとがんばらないと、つけられないものが出てきたときには、アートとして強いものとかは、世界の女優さんを日本でも女優さんを、かかえているような、マネージメントにプレゼンして、そういう人たちにつけてもらうことを最初にアプローチするところから入っていくというのも、1つの手かなと思いました。
 全体的に言えるのは、売るということがキーワードなんであれば、顧客を創造して、できたらそれをキープするという部分、アートと商品が近いものであればあるほど、デザイン性の強いものになっていくパターンが多い。デザイン性の強いものが、できたとすれば、それを好きという人は限られてくるので、そういう顧客を囲い込むような、顧客とのお付き合いの仕方を確実に捕らえていく。そこに新しいものが出ましたという、インフォメーションとか・・微々たるものかもしれないけれど、もし、売るということに、困っているのであれば、そういうところを、重点的にやったらいいんじゃないか思いました。すいません、長くなりました。


大内浩
●きのうからずっとお話をうかがって、自分も色んなことお話して、大きく20世紀が作り上げてきた、私たちのライフスタイルを変えるときが、今きているなというのが実感なんですね。確かに20世紀というのは、大量文明社会というか消費社会を作ることによって、それ以前の渇望感というか、モノもなければ、病気もあったり、色んな苦難。戦争があったりそういう中で、私たちがそうではない社会を作ったことによって、みんなはある意味で、舞い上がったというか、それに豊かさを感じた。そういう時代だったと思うんですが。
 今、ある意味で非常に多くのものが、あふれる時代になってきて、一方で自分は、どういうことにこだわって、ライフスタイルを築いていくかということを、みんな、今、考え初めている。そういう時代なんだろうと思うんです。
 きのう、現代音楽の話をしましたけれども、ある意味で自分達の中で、突き詰めすぎて、自己矛盾に陥って、そして、表現を失っていったというのが、現代音楽の分野があるんですけど。彼らも、もうちょっと前に、違った人たちとのコラボレーションがあれば、何らかの展開ができた可能性もあったんですね。
 最近、私、イギリスで作られた、ラフ・ガイル・トゥー・ミュージック・オブ・ジャパンという変なCDをみつけて、手にとってみて、40曲ぐらい、実は、入っているんですが、ほとんど、ミュージック・オブ・ジャパンの中味はですね、いわゆるクラッシックからポップスまで色々入っているんですが、かなりの部分が沖縄の音楽と、アイヌの音楽なんですね。
 もう一度、なにか、私たちの歴史から、民族から編集し直すというか、ものの見方を変えてみるという動きが、今、明らかにあって、客観的にみれば、そういうこと。サンタフェが、フォークアートにいかに魅力を持ったか、サンタフェに住んでいるアーティストたちはニューヨークでも活躍している人たちだし、彼らがセカンドハウスというか、自分達の工房を持っているわけですね。そういう魅力だと思うんです。
 金沢が、これから、サンタフェと共にクラフトの分野で、ユネスコに処されていくことになると思いますので、そういう意味では、金沢が持っている様々なアート・クラフトの評価というものを、サンタフェの人たちにしてもらう。逆に金沢の人たちが、サンタフェの様々な活動をする。お互いにしあう。ということで、その過程は、先ほど山口さんの言われた、サイレントオークションのようなことでも良いのかも知れませんし、色んなやり方がありうると思うんですね。そういうことを、お互いに協定として、やったらいいと思うんですね。
 そういう過程で非常に大事なのは、やはり、金沢は消費者のプロダクツに乗っかっていかない。場合によっては、藤井さんがキープと言われましたが、お客様をきちっとキープしていく。例えば、宮田さんが作っていただいたソフトを利用するのもいいと思うんですけど。「この前は、お客様はこのような作品を、こういうふうに買っていただきましたね。それから、どういうふうに使われてますね。」という情報を蓄積していくことができるわけですね。
 私が今までも、非常になじみにしている、ある料亭がありますけれども、それは非常にありがたいなと思うのは、全部、私がかつて食べたものを、彼らは記録しているんですね。全く同じ素材で、この前、おいでになった時は、こういうふうに召し上がられましたね、今日は違ったものが入ってきたので、違ったふうにお出ししましょうという、ものすごくありがたい。例えば、そういうことが、すごく大事で。
 この前、フィレンツェで街づくりをやった時に、ちょっとフィレンツェが心配だなと、彼らが言っていたのは、あまりに多くの観光客と、あまりに大きな消費文化の中で、ある意味ではフィレンツェを売り過ぎてしまったために、フィレンッェの街の中に、もともとのフィレンツェの人たちが逃げださなければ、いけなくなってしまった。土地の価格が騰がったり、色んな理由があるんですね。これではまずい、今、ちょっと焦りはじめているんですね。今ちょっと、日本の京都なんかでも、同じことが起こり始めていて、本当に職人さんとして、永年、培っている人たちが街を出ざるをえなくなってしまった。これは相当深刻なことですから。
 これから、先ほどの、クリエイティブツーリズムというのは、すごく大事なコンセプトであるし、そういうことをやるべきだと思うんですが。そろそろ、金沢として、私たちがサンタフェと金沢がどういうふうにやりとりをするべきか。あるいは、クリエイティブツーリズムというものを、これから、どういうふうに進めていくかという時に、どういうふうに戦略的にやるか。ある種のプロ的な、長いお付き合いをすべきマーケットと、もちろん大衆マーケットもあると思うんですね。それぞれに、きちっとした戦略を立てないと、気がついてみたら違った方向に行ってしまったという可能性がありますから。次の私たちの課題は、そういう、クリエイティブツーリズムなり、あるいは、金沢が創造都市として立候補し、立ち上がって行く時の戦略づくりをそろそろ考えないと、まずいなと言う感想をもっております。
 

佐々木●まとめ的発言いただいて、ありがとうございました。やはり、これからのユネスコの認定がおりるのは間違いないと思っているんですけれど。それは1年先か1年半先か分からないですけれども。もう、既にユネスコの創造都市としての実態を作っていくべきだと思うですね。当然、市長さんも様々な思いを持っておられますので、よろしくお願いします。


山出市長●僕は、やっぱり市長ですから、どうしても下司な話になるんですけど。
 やはり、日本の都市状況から見ましてね、よその街に負けたくないと、元気にしたいという思いは、どうしても強く出てきます。それじゃ、友禅の着物は売れるかと?売れない。漆の美術品は売れるかと?特別な富裕層は別。富裕層は富裕層としての戦略があって、一般の市民には、別の戦略を考えなさいよと、今、大内先生はおっしゃったように聞こえたんですけど。
 売れない。売れないということは、後継者もできないということなんであります。これが、私にとって大変つらい。今、金沢で消え失せんとしているのは、和傘の職人なんです。友禅の着物を作っていて、そして、アンブレラというわけにはいきません。シューズを履くというわけにはいきません。そうすると、草履も足袋も必要。
 その職人がどうして作るかというのは、やっぱり現実の仕事をする市長にとって、我が身には重い、重い、課題なんです。
 和傘の職人のところに、何度か行っているのですが、「おやっさん。跡継ぎ作ってよ」と言うと、どういう答えが返ってくるかというと「食べられんものを、そんなの、市長、世話できるかい。この言葉に尽きるわ」そうすると、僕はしょぼしょぼと帰っていくということの繰り返しなんであります。まあ、まだやろうと思っておるんですが。
 そういう状況からどうやって出るか、いうことなんでありまして、そういう意味で「おしゃれメッセ」をやってくださった金沢の経済界。福光さんに申し上げておるのは、「福光さん確かに金沢は友禅作家、人間国宝、作家の皆さんがたくさんいらっしゃる。漆の人間国宝もいらっしゃる。しかし、どうやって、そういったものをビジネスにつなげていくかという、福光さん、考えてや」こういうことを、口すっぱく言ってきまして、それが、「おしゃれメッセ」という型で、出てきていますが、やはり、芸術と産業との間の問題を、どういうふうに考えてクリアしていくかというのは、私にとっても大きな命題なのであります。
 冒頭に私は、「奇をてらっちゃいけない」、色々議論している中に、不動なものにまとまっていけば良いと申しましたが、こういうことを実は感じているが故の発言なのであります。黒川先生が、芸術と産業との間に、少し間合いをおかなければいけない。こう申されましたが、私も、そんなことを実は思っております。そうすると、間合いを埋めるものは、何かな?ということになるわけなんですけれども、さきほど、おっしゃっていただきました、デザイナーの存在というのが、大変、大きいと思っています。知的な感性というものが、大変大事だし、そういう人たちの人材育成も金沢では欠かせないなと思っていまして、そういう場に今日の場がなるということであれば、大変ありがたいわけで、今後ともお力をお願いしたいと、このように市長としてお願いをいたします。
 サンタフェとの交流なんかも、お話でございまして、そういたしますと、これからも、国際フォーラムなんていうのは佐々木先生も、きっとお考えでしょうが、時折は開くということを続けていきたいなと、こんなふうに思っております。
 やはり、創造都市ネットワークというのは、そういうことを言うんだろうというふうに思っています。お互いに、ちゃんとした都市が集まって、そしてネットワークを組んで、お互いに良くなる方法を話し合う。そのためのネットワークだと思っておりまして、市長として、創造都市ネットワークに登録したいと思って行ってきましたと、こういう表現をいたしましても、なかなか市民の皆さんには分かりづらい。そこを、噛み砕いて説明していくかということに、今、苦慮をしている段階だと、こんなふうに申し上げたいと思います。
 工芸というと、分かりにくい。工芸という言葉自身にも色々、議論があるということであれば、ユネスコに行ってきたんですから、ユネスコクラフト都市と。まあ、こんなことで当面は我慢していただいて、そのうち、みなさんで良い知恵を出して、良いネーミングをしてくださったら、ありがたいなとこのように思っています。よろしくお願いします。(拍手)

佐々木●ありがとうございました。また、なんか宿題をたくさんいただいたようなところでありまして。福光さんも宿題いただいたんですが、何か。

福光●宿題は、いつもたくさん頂いたほうがよろしいので。
 ワークショップとしては、クリエイティブツーリズムで、お受けしようと思っています。金沢学会で、創造都市会議で、金沢ならどういうクリエイティブツーリズムを世界と創造都市のネットワークの中でね。ということを「合わせ技」でやっていった方が、売れる話につながるだろうと、そういうふうに思いましたんで。 それに、色んな情報やら、音楽やら、色んなことが必要となりますので、また、お手伝いの程も、よろしくお願いしたいと思います。
 そろそろ、宣言をと思いますが。

佐々木●私の方にも、宿題があるので、やはり、ユネスコ創造都市とのお付き合い。国内外ですよね。創造都市との交流という、そういったことが、次年度も何か、お役に立つようであれば。
 この金沢創造都市会議と、推進会議と、また別に車の両輪で動いていくという、そんな感じでしょうか。そういう形で、同友会の皆さんの力添えを、ぜひいただきたいと思います。それでは、宣言をお願いいたします。
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