全体会議 | |||||||||
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増渕敏之 ●ちょっと、ずれちゃうかもしれないですけれど、テクノミュージックを作ってみちゃったんですけど、発表するまで、さすがに不安でね。なんか期待されているものを提示していないのかもしれないな、ちょっとあったりもしていて。それで今考えていることなんですけれども、業界をずっと長くやってきていて、いきなり五月でクビになって、こっち側に移ったんですけれども、今まで、いかに産業の中にいて、「産業蛸壺症候群」の中にいたかいうことが、なんとなく、やっと分かってきて、佐々木先生の先ほどおっしゃられた、価値の問題ですよね。例えば、経済的価値、文化的価値とか固有価値とか、という問題で、自分がコンテンツなり、もしくは芸術品・・僕はあんまり向かい合わないですけど芸術品は。向かい合う時の、自分にとっての価値が、かなり揺らいでいるんですね、今。だからきのうも不安だったんです。僕たちは良いと思っているんだけれど、はたして受け入れてくれるのかなとか。自分の中に揺らぎが最近あって、周辺の環境の変化が一番大きいと思っていますね。 だから、マスメディアが寡占してきた時代がとうとう終焉を迎えつつあります。これは全世界的にそうです。僕たちがマスメディアから与えられて1つの価値というのもかなり揺らいできている。そうすると、これは断片ですが、例えば、コミケがありますよね。コミックマーケット、お台場の。あれはなんていうかな、マスの中に取り込まれることを、一部拒否した人達の経済的な集団と僕は理解していて・・・。 佐々木●同人誌的な要素? 増渕●あれは、あれで1つの経済団体として、位置づけることは可能なんですね。 例えば、新潟のスピンオフモデルのガタケットというのが、これが地方のコミケの中では最大で・・そういった、僕らと全く乖離したところでの、価値損失が生まれてきている。 それから、三年前に鳥取大学との共同研究で、うわさが何日持つかの研究をやったことがあって、ブログの3000ぐらいのサンプルでやった時に、うわさは2日しかもたないという・・衝撃的な事実ですね。揺らぎの中で、私たちが価値をどういうふうに固定させていくかということで頭を痛めている最中です。先生なにか、ご助言を。 佐々木●逆に聞いてどうするんですか。いや、なかなか本質的なおもしろい話で。実は先ほど、大樋さんがいみじくも言われたけれど、バブルの時なら、オークションはみんなね、すごくやりやすかったでしょ。これだけ経済状態悪くなったら、底なしですよね。 かの有名な、村上隆も「もうアカン」とこれまでがおかしかったんだと言ってますよね。それは、明らかにトレンドが変わっていて、一番揺らいでいるのは、経済的価値ですよ。ドルがどこまで下がるか、ドルが大暴落するのは間違いないんだけれど、どこで止まるかという話でしょうね。 その時に、地域の価値とか、工芸の価値とか、芸術価値、これは揺らがないのか。経済的価値にある程度、裏打ちされないと、具合が悪いけれども、文化的価値のない、経済的価値だけでは絶対にもたない時代に入っているのではないかなというふうに、私なんかは、思っていまして、そのあたりで一言。 福光●増渕先生の話、今、非常におもしろかったです。工芸という言葉の時に、作品とか思い浮かべて、工芸とやっていると、やっぱり議論が、ドン詰りになるんですわ。これは、ずっと「おしゃれメッセ」の課題で、私も、あれが売れるようにならないと市長さんから、仰せつかって、がんばっているんですけれども、なかなか名案が出ないのは、まともに、工芸を工芸として把握し過ぎてるな、いう感じを、今ここで聞いてまして思うんです。 それで、浅野さんがお店のこと言われたけど、私も真似して東京に店を出しましたけど、うちは酒を売っているわけですけど。うちの店は浅野さんの店より、もっと赤字かも知れないですけどね。お酒を店の1年の売上の中で、4割を越えてはならぬと、決めてあるんです。ほかのものを売れと。それは何を売るかというと、金沢を売ってもいいし、お酒のある食卓を売ってもいいし、食文化を売ってもいいし、もちろん、靴を売れとか、それは極端なんで。きのうでテクノ売ってもいいかと思いましたけど。 ようするに、そこはかとないものが登場する文化を売る、というショップをしようとしているわけですね。 これはショップだけではなくて、会社をそうしたいと思っているんですけど。どういうことかと言うと美大のサロンで黒川先生に呼ばれた時に、お話したことですけど。私の場合は、1つ上のランクに抽象化できないかいうことを、いつも考えるわけですね。そうすると、その時にもう1つ上から下ろしてくると、もっとおもしろいことが考えられるんじゃないか。 工芸というのを、狭い意味の工芸で、この同じ標高で、同じ土俵で議論してても、ドン詰まるんで、1つ上にいい土俵ないですかと、そう思ったら工芸とは何なのか、暮らしを豊かにするということなのか。大樋さんの、湯のみ茶碗をわざわざ買って、加賀棒茶を使って番茶を飲むということは、どういう価値があるかというと、1回、1つ上に抽象して、もう1回下ろしていくと良いと思うんで。僕は、多分、創造都市としてのクラフトというのは、そういう方が良いと考えるんですね。工芸的考え方、工芸的生産というので、だから、工芸的生産というと、1つ概念が上がってますから、色んな産業分野に応用できるんです。米沢くんの会社でも、工芸的電気屋というのがあり得るわけです。いや、あり得るですよ。実際、前からやられたし。メイド・イン・カナザワというのもあり得るわけです。これは小杉さんはJCの時にやられた。それからずっと課題になっているし。水野先生も大内先生も、ずっとその時から、付き合ってわけですけれど。同じことで、ずっと同じこと言っているようだけれど、その都度、その都度、1つ上の抽象化概念が時代伴に変わっていくとこが、おもしろいんでね。 いくら不景気になっても、人間は不老長寿とか、男の場合、不良長寿とかですね、そんなことには、どんだけでも金を払おうと思うわけでね。そういうことに関しての文化展開ということは、本来、金沢は大得意じゃないかなと思うで、ちょっとそういう視点からも議論されたらどうかなと。お願いします。 水野一郎 ●先ほど山口さんから、買う側の視点と、今の福光さんの話と似てくると思うんですが、創造都市の市民としては、クラフトというと、いつも売る側をいっているけど、使う側という立場が、見えてこないと創造都市になりえないと思います。今、世界がめちゃくちゃになっているから、チャンスですね。買うチャンス。コンテンポラリーアートの伝統工芸の最大のチャンスだと思いますね。株と同じように。 実は、アートマーケットとか、アートオークションとか、金沢は、めちゃくちゃすごい時期があったんですね。明治40年ころから大正5年ぐらいの10年間。多分、その10年間で金沢倶楽部とか、尾山倶楽部で売買が成立したのは2千万円だろうと言われているんですね。2千万円て、どういうお金かというと、大正5年の金沢市の予算が403,014円92銭なんです。その50倍が10年間で売れているんですね。売買が成立している。それは金沢の財界人たちが、3分の1を美術骨董に投資して、それをまた、転売して儲かってくるというそういう時代でして、東京、京都、金沢というのが3大マーケット市場ということがアート史上あったわけです。 ですから、今、石川県の文化財保護審議会の会長は誰かというと、見ると、ずっと財界人なんです。財界人が、一番目利き、見立てのできる人たちがいるという信頼があったというのが、金沢だと思うんです。それは非常におもしろいことなんですね。 きのうもあった、企業市民というのが出てくるといことが、今そういう、財界人的パトロンというのは、なかなかできない。大だんなたちがいなくなっちゃった中で、どうやって、やっていくかというと、市民が買うとか、企業市民が買うとか、あるいは、行政が21世紀美術館で買うとか、そういったことの積み重ねが、この地域を育てるというふうに、もう1回、理解し直さないと、伝統工芸とか、美術とか、創造都市といったものは、ないんじゃないかと思うんですね。それを自分の企業のモノづくり、商いの仕方を含めて、先ほどの工芸的な商いというものが、成立してくる基になるんじゃないかと思います。 そういう意味でいうと、もう少し、みんな、プチパトロンになって買って、1年に1度良いことがあったら買ったりなんかして、それはサイレントオークションでもいいですよね。何でもいいから買ってみるということが、非常に大事じゃないかと思います。ぜひ買う運動というのを、一方で進めていく。そういう場所を作るのも、1つの仕掛けかと思いますけれども。大事じゃないかと思います。 サンタフェ行っても、みんな買いますよね。サンタフェには、作家たちが、皆、住んでいますよね。1番住みたいところで、アンケートで1位になったことがある。なんかこう、クリエイティブなところに、住みたいなという、人を惹きつける力がある。それはなんとなく、市民自体が豊かさを持っていないとならないというところ。この辺が非常に大きなことじゃないかと、私は思います。 |
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佐々木●まとめ的発言いただいて、ありがとうございました。やはり、これからのユネスコの認定がおりるのは間違いないと思っているんですけれど。それは1年先か1年半先か分からないですけれども。もう、既にユネスコの創造都市としての実態を作っていくべきだと思うですね。当然、市長さんも様々な思いを持っておられますので、よろしくお願いします。 山出市長●僕は、やっぱり市長ですから、どうしても下司な話になるんですけど。 やはり、日本の都市状況から見ましてね、よその街に負けたくないと、元気にしたいという思いは、どうしても強く出てきます。それじゃ、友禅の着物は売れるかと?売れない。漆の美術品は売れるかと?特別な富裕層は別。富裕層は富裕層としての戦略があって、一般の市民には、別の戦略を考えなさいよと、今、大内先生はおっしゃったように聞こえたんですけど。 売れない。売れないということは、後継者もできないということなんであります。これが、私にとって大変つらい。今、金沢で消え失せんとしているのは、和傘の職人なんです。友禅の着物を作っていて、そして、アンブレラというわけにはいきません。シューズを履くというわけにはいきません。そうすると、草履も足袋も必要。 その職人がどうして作るかというのは、やっぱり現実の仕事をする市長にとって、我が身には重い、重い、課題なんです。 和傘の職人のところに、何度か行っているのですが、「おやっさん。跡継ぎ作ってよ」と言うと、どういう答えが返ってくるかというと「食べられんものを、そんなの、市長、世話できるかい。この言葉に尽きるわ」そうすると、僕はしょぼしょぼと帰っていくということの繰り返しなんであります。まあ、まだやろうと思っておるんですが。 そういう状況からどうやって出るか、いうことなんでありまして、そういう意味で「おしゃれメッセ」をやってくださった金沢の経済界。福光さんに申し上げておるのは、「福光さん確かに金沢は友禅作家、人間国宝、作家の皆さんがたくさんいらっしゃる。漆の人間国宝もいらっしゃる。しかし、どうやって、そういったものをビジネスにつなげていくかという、福光さん、考えてや」こういうことを、口すっぱく言ってきまして、それが、「おしゃれメッセ」という型で、出てきていますが、やはり、芸術と産業との間の問題を、どういうふうに考えてクリアしていくかというのは、私にとっても大きな命題なのであります。 冒頭に私は、「奇をてらっちゃいけない」、色々議論している中に、不動なものにまとまっていけば良いと申しましたが、こういうことを実は感じているが故の発言なのであります。黒川先生が、芸術と産業との間に、少し間合いをおかなければいけない。こう申されましたが、私も、そんなことを実は思っております。そうすると、間合いを埋めるものは、何かな?ということになるわけなんですけれども、さきほど、おっしゃっていただきました、デザイナーの存在というのが、大変、大きいと思っています。知的な感性というものが、大変大事だし、そういう人たちの人材育成も金沢では欠かせないなと思っていまして、そういう場に今日の場がなるということであれば、大変ありがたいわけで、今後ともお力をお願いしたいと、このように市長としてお願いをいたします。 サンタフェとの交流なんかも、お話でございまして、そういたしますと、これからも、国際フォーラムなんていうのは佐々木先生も、きっとお考えでしょうが、時折は開くということを続けていきたいなと、こんなふうに思っております。 やはり、創造都市ネットワークというのは、そういうことを言うんだろうというふうに思っています。お互いに、ちゃんとした都市が集まって、そしてネットワークを組んで、お互いに良くなる方法を話し合う。そのためのネットワークだと思っておりまして、市長として、創造都市ネットワークに登録したいと思って行ってきましたと、こういう表現をいたしましても、なかなか市民の皆さんには分かりづらい。そこを、噛み砕いて説明していくかということに、今、苦慮をしている段階だと、こんなふうに申し上げたいと思います。 工芸というと、分かりにくい。工芸という言葉自身にも色々、議論があるということであれば、ユネスコに行ってきたんですから、ユネスコクラフト都市と。まあ、こんなことで当面は我慢していただいて、そのうち、みなさんで良い知恵を出して、良いネーミングをしてくださったら、ありがたいなとこのように思っています。よろしくお願いします。(拍手) 佐々木●ありがとうございました。また、なんか宿題をたくさんいただいたようなところでありまして。福光さんも宿題いただいたんですが、何か。 福光●宿題は、いつもたくさん頂いたほうがよろしいので。 ワークショップとしては、クリエイティブツーリズムで、お受けしようと思っています。金沢学会で、創造都市会議で、金沢ならどういうクリエイティブツーリズムを世界と創造都市のネットワークの中でね。ということを「合わせ技」でやっていった方が、売れる話につながるだろうと、そういうふうに思いましたんで。 それに、色んな情報やら、音楽やら、色んなことが必要となりますので、また、お手伝いの程も、よろしくお願いしたいと思います。 そろそろ、宣言をと思いますが。 佐々木●私の方にも、宿題があるので、やはり、ユネスコ創造都市とのお付き合い。国内外ですよね。創造都市との交流という、そういったことが、次年度も何か、お役に立つようであれば。 この金沢創造都市会議と、推進会議と、また別に車の両輪で動いていくという、そんな感じでしょうか。そういう形で、同友会の皆さんの力添えを、ぜひいただきたいと思います。それでは、宣言をお願いいたします。 |
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