全体会議
     
進行:佐々木雅幸(大阪市立大学大学院教授)
   


福光●皆さんおはようございます。昨日の内容は北國新聞朝刊にも抄録を載せていただいておりますので、ご覧になった方もいらっしゃると思います。冒頭にきのうの復習をやりすが、それも含めて、議論にご参加いただければと思います。どうぞよろしくお願いします。
それから、恒例によりまして、2日目の全体会議に、山出金沢市長にお越しいただいています。どうもありがとうございます。(拍手) 
 さて昨日ですが、飛田代表幹事の基調スピーチがあり、「合わせ技」というキーワードを出していただきました。その後のセッションには「合わせ技」に関わることがたくさん出てまいりました。前回の金沢学会が「都市の引力」というテーマでしたが、その引力に、いいエンジンをつけて発信力にしてくださいという基調スピーチでした。それから10月29日に、ユネスコの創造都市ネットワークに申請書を持っていかれました市長さんの思いも受けまして、今後、市民や地域に浸透させていくのに、分かりやすい言い方をしたらどうかということで、たとえばすでに1つの旗印になっておりますが、「世界工芸都市」のような言い方に分かりやすくしたらどうかという提案も基調スピーチにございました。
 それを受けてきのうは「ご当地音楽」、金沢はどんな音楽がいいのかという議論が第1セッションでありました。第2セッションは、宮田さんから、新しいソフトウェアを利用した、インターネットによる金沢の情報発信装置が提案されまして、3つ目が、デザインを売るという言葉で議論をしていただきましたが、基本的にはこれは、工芸をどう今後売っていくのかという話に入っておりまして、「おしゃれメッセ」の去年と今年の特別企画事業のディレクターをしていただいた黒川さん、伊東さんからいろいろ苦労話も含めてご提案をいただいております。きのうは時間切れで十分な議論ができておりません。今日はそのことも全体会議の大きなテーマではないかと思います。工芸を売るということは、金沢を売るということでありまして、今後、世界工芸都市として文化が経済化できるかどうかという・・これは大事なことなので、後でそれを議論していきたいと思います。少し朝早くて頭がはっきりしない方もいらっしゃると思いますが、第1セッションでは、テクノミュージックという分野で増渕先生と藤井さんに活躍していただいて、1つの提案をしていただきましてたので、目覚まし代わりに、素晴らしい歌詞とメロディーラインを作っていただきました。テクノらしいので、ちょっと流していただいて、今日初めてこられた方にもお聞きいただきたいと思います。お願いいたします。
【音楽】
 少し目がさめましたでしょうか。テクノミュージックという曲が編集技でできあがるということで、最初は、穏やかないい金沢のお歌で、後の方がいろんな金沢の古いものを包み込んだ、おもしろい印象でありまして、こういう方向の音楽のあり方について、後でまた少しお話いただきますけども、ワークショップを継続していきたいと、そんなふうに思っております。ご関係の方は、よろしくお願いいたします。それから第2セッションでございますけど、宮田さんからおもしろいソフトを使った、金沢のインターネットサイトの提案がありましたので、ちょっとダイジェスト版で見せていただきます。お願いします。



宮田人司
去年ですね、この場所で街のアーカイブをしていきましょうという話をさせていただきまして、それのひとつの形を、きのう発表させていただきました。金沢21世紀美術館でアート作品として、まず出したんですが、街のアーカイブをしていくにしても非常に手軽にできる方法ないだろうかというところで創ったソフトウェアがこれです。これは今話題のAppleのiPhoneという携帯電話を使ったソフトウェアですが、どういったものかといいますと、「memory tree」という名前でして、思い出をみんなで共有しあって、アーカイブしていこうというコンセプトのソフトウェアです。これはインターネットサービスでいうところの「コンテンツ」という言葉を「思い出」と言い換えたところに非常に意味があります。これは今までの無機質なインターネットの世界を、もっともっと情緒的に人の心に訴えかけるようなアプローチで作ったソフトです。という意味では、今のインターネットのアンチテーゼでもあるのですが。バックグラウンドの背景で動いているテクノロジーは防災科学研究所と産業技術研究所が開発した「DaRuMa」という災害時用の位置情報を共有しようというテクノロジーを使っているので、災害時には市民の掲示板として使われることもできると。それで、非常に簡単なソフトで、どうやってやるのかというと、ジェスチャー、いわゆる体の動作だけですべてのことが完結するというになっています。これも1つ意味がありまして体を使って動かして情報をつかむというのは、この場所に来て情報をつかんでもらう、この場所に来て情報を発信してもらうということで、非常に大きな意味があります。実際どうやってやるのかといいますと、今から簡単に実演したいと思います。【操作説明】
 これだけ手軽に情報発信ができると。イメージ的には、金沢の街のあちこちに思い出が漂よっておりまして、それが時空を超えて降ってくると。上手にキャッチしてもらうのが、このプロジェクトの醍醐味です。「思い出の降る街」とイメージで考えていただければと思います。金沢でこのシステムを拡張して、思い出を軸とした情報の共有ですとか、音楽,動画配信などが行えます。このソフトは、そういったものが情報として共有することができるソフトとなっています。



福光●ありがとうございました。これもまたワークショップは続きますので、また、どんなふうに実現化していくのか、考えて進めていきたいと思います。セッション3の方はデザインを売るという議論でしたが、さっき申し上げましたように、「おしゃれメッセ」でずいぶんご苦労いただきました、黒川先生、伊東さんから、苦労話を交えて、一種のお叱りもいただきまして。山口さんからも色々と話をいただきましたが。これは後で工芸を売るという、はっきりと変えた議論で、もう1回やりますので、よろしくお願いいたします。
 そんなことできのうは行いましたですけれども。まず最初に、ユネスコの創造都市ネットワークへの申請につきまして、それに至った道程などを、佐々木先生から少しご説明いただいて、市長さんの思いを少しご説明いただいてから、全体議論に入りたいと思います。


佐々木雅幸 
●おはようございます。きのうから大変内容の濃い会議要旨できまして、ちょっと今日は角度を変えて、創造都市に関しての世界的な動きなどについてお話をしたいと思います。(以下、映像で説明)少し年表風にしてみますと、こういうふうになっています。
 まあ、手前味噌ですが、私、1997年に「創造都市の経済学」という本を出して、これに金沢のことを書いたのですが、この前後に金沢では世界工芸都市会議が行われ、新設された市民芸術村でやりました。世界工芸都市宣言は1995年だったと思いますが、この流れが貴重だったと思います。そして99年の3月に、金沢創造都市プレ会議が始まりました。私がボローニャの留学から戻りましてから、「創造都市への挑戦」という本を出しましたが、その年に第1回目の創造都市会議を開催することとなりました。そして第2回が金沢学会であります。ちょうどこの時期に、世界でジャル・ブランドリーというイギリス人とリチャード・フロリダというアメリカ人が、それぞれ、欧州、アメリカを中心とした、創造都市に関する本を書きまして、大変話題になったわけであります。
 これを受けてユネスコが2004年に「創造都市ネットワーク」というものを提唱いたします。
横浜市は創造都市推進課という部署を市役所に置きまして、金沢の後を追いかけるかたちで、創造都市に突き進む。そして、大阪市が翌年、戦略を策定する、札幌市が創造都市宣言を行う。そして昨年、名古屋市、神戸市がユネスコのデザイン部門の申請を行うということになり、2008年に世界創造都市フォーラムを金沢で開催し、10月29日に市長さんがユネスコに行かれて申請をする。これに前後して、名古屋と神戸がアジアで最初のユネスコ創造デザイン都市として認定されると、こういうふうな流れがあると思います。
 よく言うことですが、世界都市と言う言葉から、創造都市へという非常に大きな時代の転換がありました。創造都市という・・これは私の定義ですが、様々に定義されてひろがっております。そしてその共通点というのは知識・情報・経済の時代に入って、創造性というのが社会を動かす大きなエネルギーとなってきたということがあります。
 イギリスでは「クリエイティブ・ロンドン」という形でロンドンがニューヨークを、しのぐ勢いになってきているわけであります。「沸騰する都市ロンドン」アメリカではリチャード・フロリダという方が、ゲイが集まる街が創造的だという非常におもしろい説を出しした。例えば、サンフランシスコなどが創造都市の代表である。同じようにバルセロナなどなどがあるいうことであります。
 ユネスコは2004年に、このどういう考え方でネットワークを始めたか。グローバル化というのはプラス面だけではなく、マイナスの面もある。例えば、金融中心に行き過ぎた、市場経済化が進むということが、文化面に悪い影響を与えるのではないか。特に力の弱い国の文化がなくなったり、伝統工芸や言語が、どんどん減っていくということに、大変危惧をいたしまして、グローバル化の中でも文化の多様性を世界的に確保しなければならない。生物多様性という言葉がありますが、文化多様性を広げようというのが、創造都市ネットワークの基礎にあります。2005年に文化多様性条約というのが批准されるということになります。このなかに様々に創造都市として認定をしていく。
 こうした時に、ユネスコは7つのジャンルを指定しまして、そのジャンルで都市を認定するということになったわけであります。例えばスコットランドのエディンバラは文学で、イタリアのボローニャは音楽で、ドイツのベルリンがデザインなどなど、こういう形であります。そしてサンタフェとアスワンはフォークアートと書いてありますが、このフォークアートのジャンルの中に、今年になってから「クラフト」というジャンルが新たに付け加わりました。そしてその1つが独自のジャンルとなりまして、現在、金沢市は「クラフト」日本語でいえば、「工芸」ということになりますが、この分野で手を挙げた最初の都市だということになっております。
 例えば、今年の金沢の創造都市世界創造都市フォーラムに、ユネスコの都市として3つの都市を招いたのですが、例えばベルリンという都市を挙げてみますと、ここは東西ベルリンの合併後、旧東ベルリンが大変落ち込んでいるので、そこを1つに統合していきたい。それから街の古いビルの一角に若いデザイナーがいっぱい集まってきている。非常に活動しやすいし、ある意味、旧社会主義と資本主義という2つの体制の、はざまにあって、非常にカオスのようなものが、創造性を刺激するということで、このデザイン分野で新しいベルリンの新しい経済的なエンジンを作りたいと。ベルリンの場合、デザイン産業を振興するという強い方向性が出ておりますしので、そのために若いデザイナーが住みやすいように、スペースをどんどん提供する、あるいは小さいビジネスが立ち上がりやすいコーディネーションを行政が積極的にやるということをやっております。
 それから、サンタフェというアメリカの都市ですが。ここは小さな街です。ボローニャも小さい街ですけれども非常に大きなアートマーケットがある。もともと、クエブルインディアンがいたということもあって、様々なフォークアートから現代アートまで、非常に大きなギャラリーや美術館があり、アーティストが活動しやすいという条件があって、ベルリンほど大きな都市ではないので、積極的に他の都市からお客を招いていく。
 その時、「クリエイティブツーリズム」という考え方を提唱しておりまして、クリエイティブな体験や感動を軸にしたツーリズムだと。それは例えば、アーティストやデザイナーの交流であったり、一般市民ですけれども、マスツーリズムではなくクリエイティブツーリズムを提唱しまして、今年の9月に世界的な会議をやり、ぜひ、この場に金沢も、その中に入って欲しいということになりました。
 金沢がユネスコの創造都市に認定された場合、同じジャンルで近い都市と仲よくしていきたいということがありますので、このサンタフェの提唱はというのは意味があるというふうに思っております。
それから、これは私の留学先であったボローニャでありますが。このボローニャがやはり音楽を軸にして創造都市になったのですけれども、これは単に音楽だけの都市ではないということで、やはり職人を軸にした創造的モノづくりで、黒川紀章さんが翻訳された、ジェン・ジェンコブズの書いた本があるのですけれども、ジェン・ジェンコブズが言っている創造都市というのが、このボローニャなのですね。ボローニャは、職人が主体の経済だと。様々なジュエリーだとかバイオリンとかフォトグラフだとか職人がいますが、あわせてドゥカティだとかフェラーリの街なのですね。そういう先端的なモノづくりも部品1点、1点を職人が作っていく。こういう街だと。一方でおもしろいのは、ホームレスも組合を作って色々リサイクル工房をやっているといったようなこともあります。ボローニャでは文化的観光都市としての地位を確立する。文化の生産と創造的発展だと、こんような形でユネスコ創造都市に向かっているわけです。
 こういう流れの中で、御承知の通り金沢で様々な取組みがありまして、街並み保存があり、伝統景観をきちっと守りながら、同時に、職人型の産業を育成して・・・これは私、福光さんと考えたのですが、文化を産業に生かす、文化的生産モデルというものを、もっと具体化していきたいと考えています。
 今回、ユネスコの申請には、金沢が、文化と経済が非常に仲良く発展している街だということを第一に打ちだして、ここが評価されるかどうかだろうと思っております。それこそ、大量生産を超えた、きのうの黒川雅之さんのお話にありましたように、中世の工芸的生産から、近代の大量生産、そして現代はもう一度文化的生産という、まあこれは1品生産ということになるかと思いますが、文化的付加価値の高いモノづくりができる街へということがそうした流れだろうと。それで、芸術村では、世界工芸都市会議を開催してきた経緯があり、世界工芸コンペなどもやはり、市長さんと一緒にボローニャでフラットバスに乗り色んなことをしたのですが、こういう流れをさらに強めていくことになってこようかと思います。
 ここで、横浜のことに触れますと、横浜が金沢に比べておもしろいのは、行政の中に文化芸術都市創造事業本部を置きまして、創造都市推進課という部署を置いたことです。行政としては大変スピードが出るということでして、金沢市も今後どうされるか、ということがあろうかと思います。シンボルデュオとしては、銀行でアート活動をするという、非常に矛盾した概念ですけれども、これがまた大変話題になったということであります。
 これからの創造都市に向けてということですが、やはり工芸文化で最初のユネスコの都市になりますので、金沢が世界で様々な分野に働きかけていくことが必要なので、伝統工芸の保存、再生も大事だけれども、現代の工芸ということを金沢から提案していく。そして工芸を軸とした、国際交流があるます。
 それからやはり、アジアの創造都市という場合に、アジア的な価値とは何か。例えば、環境調和型ということが一言で言えるかと思います。ユネスコが金沢に期待しているのは、アジアの途上国に工芸とか様々な、最新のテクノロジーを積極的に伝えていくという役割。それから、一番ポイントとなるのが、創造都市のネットワークが、どんどん広がりますので、そこと、どのようにお付き合いしていくのか、ということが大事であろうと思います。クリエイティブツーリズムという考え方は、金沢にぴったりかなと思うんですね。この創造的な体験、今の経験価値ということが、経済学でも言うようなりました。経験とか体験という事を、前に打ち出していって、一般市民やアーティスト、工芸作家が交流していきながら、そこでアートマーケットというものをどのように作っていく。金沢におけるアートの価値が、あるいは工芸の価値が、確立してくるとしたら、そういった中からだろうと。ちょっとこれは、写真が写っておりますけれども、こういうことで、私は写真を写しておりましたので、これから1年後ぐらいには認定はおりるのではないかと思います。どうもありがとうございます。(拍手)
 今回、市長さんに、ユネスコの創造都市に申請されるという背景というか、きっかけについてお話いただきます。



山出市長
●今日も、ご遠方からも先生方にお越しいただきまして、感謝を申し上げたいと思います。
 創造都市会議というのは、2001年に作られて、かれこれこれ7年経ったわけであります。最初の時は、僕は何のことか分かりませんでした。毎回呼ばれますけれども、だいたい文化に縁遠い市長が、こんなところ来て発言をさせられることの辛さ、こういうことを思って、ずっと来ているのですが、まあ、大きい視点からいえば、識者が金沢に集まってくださって、わいわいがやがや、言ってくださる。その中から、奇をてらっちゃいかんけれども、基本の土性骨の座ったような物が出てきたら大変ありがたいなという思いを持ちながら、毎回出席させていただいた次第なのであります。
 7年経ちまして、先般、佐々木先生にお供させていただく形でユネスコに行ってまいりまして、やっと少し前に出たかなという感じを率直にもっております。世界が少し近づいたかなというふうな思いであります。
私にしますと、今、創造都市という言葉を一般の市民の皆さんにどうやって分かりやすく、お話できるのかと。僕自身もそんなに深い研究をしているわけではございませんし、しかし、私よりも、もっと、日常の市民の皆さんに分かりやすく説明する時には、どういう表現をしたらいいのか。これは、やっぱり、市長として外で話をする時に一番気になる事であります。どういう言い方をしているかといいますと、実は、左手を挙げて、創造的文化活動というものがなきゃいかん。右手を挙げて、片方、革新的な産業活動がなきゃいかん。この2つが連関をして、そして連関の結果として街が元気になったよ。そういう都市を私は創造都市と言っているのだろうと思っています。こういう言い方をしています。
 今度、ヨーロッパに行きまして、創造都市ということは、案外知られているなという体験をしました。こっけいに感じられるでしょうけれども、ソルボンヌ大学に行きまして、サークエ教授と話をしましたら、創造都市と言う言葉が、さっと出てきまして、私に学生に創造都市についても話をしてほしいと。文化的活動と、片方に経済活動と連関して結果として街が元気になって。その都市が創造都市と呼ばれていて。ユネスコはこの創造都市をつくって、ネットワークを組んで、そのネットワークを組むことで文化の多様性を実現したい。そして文化の多様性を実現することで、世界の平和に貢献したいのだと。そういう考え方で創造都市ということが言われているのです。ということを、僕は一般の市民に分かりやすく言わなきゃいけないと思っているのです。
 そして創造的文化活動という時の文化に、ジャンルが7つあるのですよと。音楽であったり、映画であったり、デザインであったり、クラフトであったりするのですよと。我々金沢はその中で、クラフトで創造都市のネットワークの仲間入りをしたいと、こういうことを申し上げているのです。こう言っているのであります。金沢がクラフトでということは、私は実は佐々木先生とお話することがありまして、佐々木先生から「市長どうだろう。デザインというよりも、クラフトがいいのではないか」というご提案がありまして、私は即座に「先生それや」と。こういうご返事をしたことは事実なのであります。
 今、日本で2つ、仲間入りをしました、神戸と名古屋はデザインです。私はきっとその次、横浜もデザインで行くだろうなと想像しています。そうすると、私どもは、世界でクラフトを申請したところは無いですし、しかも金沢のクラフトの内容というものは多様ですから、これは大変おもしろいと。創造都市推進委員会を立ち上げまして、福光さんが委員長で、そして佐々木先生が副委員長で、そしてこのメンバーには工芸の皆さん、大樋先生なんかも入ってくださっておるんですが、ここで色んな議論をしてまいりまして、申請書を作り上げた。かなり時間を掛けてきましたし、私はいいものができ上がったはずだというふうに思っています。
 今、写真でもお見せしました通り、この申請書そのものも、二俣和紙を使いまして、そしてちょっと右肩に水引を入れて、まあ、あんなこともして、少しでも関心をひいてやろうと下司な考え方もして、そして先生と一緒に松浦局長にお渡しをしてきたということなのであります。松浦さんは、世界のユネスコの事務局長でございます。そのほかに日本のユネスコの事務局もありますし、フランスのユネスコの事務局もありまして。近い所にあるのですが、その二つにも顔を出しました。日本のユネスコ大使は外務省出身の山本さんで、金沢にお越しになったこともあります。フランスのユネスコ大使は、コロナさんとおっしゃるんです。この人にもお会いができました。そしてお三方とも、応援をいたしましょうという表現をいただきました。
 今、先生のお話もありましたけれども、これから審査がはじまります。これからの審査の結果を待ちたい。本当にそう思っております。私にとりますと、経済界と一体となって、今日まで進めてきておることということも、これ大事なことなのでありまして、文化活動や、革新的な産業活動が必要なんだということもありますから、経済界との関わりということも、有力な条件であり、そういった関わりが求められわけでございます。
 ちょうど今年の4月に国連大学のオペレーティングユニットというものが、金沢市にできました。県と市で作ったのですが、その活動というものと、これからの創造都市の営みというものが、うまく絡まっていったら大変良いというふうに思っております。
 とりあえず、これだけのことを申し上げておいて、後、またお話を承りたいとこう思っています。また先生方のお力添えをお願いしたいと思う次第です。(拍手)

佐々木●ちょうど昨年の創造都市会議の後で、市長さんと色々お話をしている中で、ユネスコのこの大きな流れに、ぜひ金沢市も加わっていこうと。こういう強い要請があって、そこで7つのジャンルがあるものですから、どこにどういうふうに提案していくかということが、一番難しい問題でしたが、結局今年に入って、工芸(クラフト)が新たに加わりましたので、私は元々、金沢にとって工芸とはシンボル的にも、金沢の街のたたずまいからしても、意味があると。漢字で「工芸」と書くときに、工業の論理と、芸術の論理と、両方が矛盾しているものがくっついているわけですよね。これ言い換えますと、経済的価値と文化的価値、これをどういうふうに作品の中に融合していくか問題なのですけれども、ずっとこの街の中でせめぎ合っているというか、だからこそ金沢は工芸で提案していくっていうのが、非常に説得力があるのではないか、こう考えたのですけれども。
 きのうから、ジュエリーとか様々な伝統工芸というものを現代的に再評価していく、あるいはそれをプロダクションのシステムに乗せていくという議論が行われてきたわけですけれども、さらにそのあたりを突っ込んで皆さん方と、きのうもう一度、言い足りなかったこととか、あるいはきのうの討論の中から、インスピレーションの沸いたことがありましたら、ぜひお話いただきたいと思いまして。実は、水野先生は、きのうずっと聞き役で疲れたと。ぜひ俺にしゃべらせろと。こういうふうに言っておられましたので口火を切っていただこうと思います。よろしくお願いします。
 


水野一郎
●伝統工芸というのを少し調べた時期がありまして、大正の終わり頃から、伝統工芸産業をどうしたらいいかという報告書が出ているのですね。県の商工労働部とか市町村の商工課とか、通産省とか。この中に5つの項目が必ず出てくるんです、新商品の開発、販路の開拓、後継者の育成、原材料の確保、海外への進出、この5項目が必ず出てくるんですね。60年ぐらい前から毎年出てくるんですね。これで、この中にみんな、はまり込んでいるのだな、ということを逆に感じるわけです。その時は、輪島だったのですけれども、どうしたら輪島が元気になるかという話を受けた時に、その5つの項目は一切辞めましょうという提案をして、それで少し変えたのが、輪島がその時、一番の手作りの漆器の出荷高を誇っていました。調べてみますと、世界の中で日本が一番手作りの漆器を作っているのですね。そうすると、輪島は世界のなかで、一番手作りの漆器を出している産地であるということに気が付くわけです。漆器産業のこと、漆のことなら輪島へという、情報化社会の戦略ができるはずだと。ということで世界の漆器を集めようというところから入って、自分達の漆器がどういう位置にあるのか、理解しようという運動を始めた。
 タイ、ミャンマー、韓国、台湾、色々なところの漆器の収集に入ったわけですけれども、そういうことも含めて、その時、1つ思ったことは、そのころちょうど、国の施設を地方に移そうという動きかありまして、そんな中で、国立の工芸博物館が東京九段にあるんです。昔の近衛師団の官舎みたいなもので煉瓦造りの古い建物なのですけれども、誰も知らないんです。ほとんど行かないんですね。死んでいる組織になっているので、それを金沢のお城の中に持ってきたらどうか、という提案しながら、新しい外からのエネルギーを工芸クラフトに与えていったらどうかいう提案をしたことがございます。きのうの話を聞いていても、伊東さんのお話でもコンダクターみたいなコーディネーターが必要だというお話でした。それから、黒川先生のお話も、プロダクツというものに入って、新しく外から、新しい感覚でデザインをする。それと工芸が持っている素材、技術、感性そういったものを、コラボレーションして新しいものを作っていったらどうかという提案をされましたけれども、そのことを含めて、良いものがあることは間違いないのだけれど、それを転換できないで、新しい時代に表現できないでいると言った方が、逆に良いのかも知れません。素材が良いのだけれども、成長できないでいる、そういう状況の中でどうしたらいいか、ということではないかと思います。
 今、私が具体的にやっているのは、金箔が・・最近仏壇を作らなくなったので、金箔の最大需要が仏壇だったのですけれども、それが駄目になったので少し建築に使おうということを始めまして、この間、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。東の茶屋街の中に金箔の蔵に全部金箔を貼ってみたら、結構、取材が来たり、賞を頂いたりして、みんな待っていたのかなと思いまして。そんなふうにして、もしクリエイティブシティだとしたら、この金沢市に来る色んなクリエィター達がこの素材を使って、金沢のクラフトの素材を使って、新しく広げていくという、それが生まれるのが創造都市的じゃないかと思ったわけです。そんなようなことを思いながら、ちょっと言ったのですけれども、全く時間がなくて終わってしまいました。ちょっと今日、発言させていただきました。


黒川雅之
●きのうも、本当は2時間程あればお話できるのだがと、思いながら。それでも予定以上オーバーしたかも知れません。一番大切なことは、僕は間違いなく、芸術、工芸、産業と、あまり経済といった正反対と思われそうなものが、掛け算されるかのごとく、成長していくことだと思うのです。いつも主張していることなのですが、同時に大切なのは、芸術が経済や産業や商売しようだとかということに、背中を向けて、徹底的に深いところに、芸術や美術の深みに入っていくことにより、逆に経済や産業につがることができるという、もう1つの事実を忘れてはいかんだろうと思うのですね。それがきのう申し上げた、お金を追いかけるとお金は逃げていくけれど、お金のことを考えないで正しい人生を過ごしていると、お金がついてくるよという話に、僕は象徴させたように、あまり早い、短絡的な芸術と産業の接近というのは大変危険があるというふうに思うのですね。
 ですから、先ほどの佐々木さんのお話の工芸の解釈はとても興味深くおもしろい考え方でそのまま賛成なのですが、どこまで距離を離して1つになっていくか、これを実現するために、行政の立場からいいますと、どう産業化するか、どうお金に換えるかいうことが市長としては、きっと市民に理解をされやすいと、思いがちですが、そうではないのだ。もちろんそうなのだが、そのためには、素晴らしい作品作りに作家達、工芸作家達がまい進できるように、優れたものに賞を出したり、優れた芸術作品に対して、それを保存する美術館を作ったり奨励したりということにも、負けず劣らず力を尽くしていただければいいのだが思っています。
 それからもう1つ。最近体験したのですが、昨年の「金沢ごのみ」で作らせていただきました、木をくりまして、ぐにゃりとした、くものような型をした金箔を貼ったお皿を作ったんですね。それを僕のオフィスのショールームに置いたりした時に、お皿を見る人が2種類いることに気がついたのです。1つは「日本的な殿様なんかの豪華な雰囲気ね」という方と、「グスタフ・クリムトの接吻とか抱擁の中にある、あの金箔」と見る人もいるのですね。それは僕自身がデザインという要素を取り込むことによって、金箔に単なる日本のものではない、どこか現代的なものという雰囲気をもたらしたせいかも知れませんが。
 それから、僕はクリムトの絵の横にそれを置いてみるということを考えたりしたのですね。単純なことですけれど、物の中にはたくさんの文化が忍び込んでいる。例えば、マッキントッシュの椅子を西洋の空間の中に置くと、西洋がそのまま見えますけれども、マッキントッシュを日本的な空間の中に椅子を置いた時に非常に東洋の椅子に見えたことがありまして、マッキントッシュの椅子の中には中国・・この場合中国ですが、日本を含む文化が、この中に忍びこんでいて、隣に何があるかによって、それが滲み出してくるという要素があるので、金沢から発見される美術と芸術の深い部分というのが、深いところで国際化していくこと、表面的ではなくて、深いところで国際化していくという方法を見つけ出すことが一番大事かなと思ったりしております。

佐々木●ありがとうございます。私も芸術の論理と、経済の論理というのが最初は対立するし、激しくぶつかりあわなければ、いけないと思っているんですけれども。
 そこで、金沢的価値と言うのでしょうかね、それをどういった方向で深めていくのか、それぞれ、「おしゃれメッセ」で昨年と今年と様々にプロダクション、ご指導いただいたわけですけれども。伊東さん、そのあたり今回どのように、お考えでしょうか?いかかでしょうか?


伊東史子
●いくつかきのう今日で考えたことがありまして、今回、工芸の作家さん達とジュエリーを作らさせていただいて、その作ること自体ものすごく楽しかったので、きのうも言いましたけれども、金沢の魅力の一つは実際モノを作っていて、それ自体を楽しんでいる方たちが、この街の空気というか、オーラを作っている。もちろんそれが、生活をしたり世界に売れたりと、それに越したことはないんですが、まず作るということの魅力があるのだろうと思います。
 今、女子大で非常勤講師をしているのですけれども、一番ジュエリーが好きなお年頃なので、授業でスライドにて見せたんですね。そしたらレポートに「超、かわいい」「欲しい」とか書いてあって、一度見せる機会をつくってあげなきゃいけないと思いまして、私の小さな事務所に学生を呼んだんですね。ちらっと見てすぐ帰るだろうと思ったら、ぎっしり狭い事務所に女の子が詰まったまま、なかなか帰らない。その彼女達が普段何を持っているかというと、携帯に、びっしりスワロフスキーの人造ダイヤを貼っている娘達なのです。「先生、これ本物のスワロフスキーだよ」って言うのですけど、スワロフスキーというのは人造ダイヤなわけですよね。何が本物かっていうのが、本物の人造ダイヤって、今のことだなと。何に価値があって、何が素敵かということが、ものすごく複雑になってきている。それを、実際に手を使って作るところから、ひも解いていけるのかなという気がしています。
 もう一つは、ちょっと矛盾したことをいいますけど、これだけ物があって、余っている現代の社会の中で、これ以上物を作る必要があるのでしょうかという・・・。それはすごく素朴な、それは難しいこと考えている人ばかりでなく、一般市民の感覚になってきていると思うのですね。そうすると、いい物作って遠くまで売ろうというようなことが、1つの夢ではなくなってきちゃっているという感じがある。そうすると、今度、物を売ったり買ったりという行為はすごく楽しいことなので、自分の持っているものを違う人と交換するというような、シンボリックな行為というのは、ずっとなくならないし、一番楽しいだろうと。そうすると見たりすること、買ったりすること、持っていること、モノじゃなくて、コトの方に価値があったり、あるいは資源を搾取しないで、そこに経済的な価値が生まれていく方法っていうことが求められているのかなと。それは、工芸の世界にも何か応用する方法があるのではないか、というふうな気がしました。物はいらないという、シンプルなことにすると、やはり経済が沈滞して食べられない人が、いっぱい出てきちゃうので、次のところで新しいプラットホームで・・全部解決してしまうような気がしますけど、新しい、ことにしていくような、つまりきのう、宮田さんのお話でちょっと、とんじゃうかもしれないけれど、飛ばしたり、受け取ったりというモーションが、行為が楽しい。そこが、あのソフトを動かしていくドライビングフォースになると思うのですけれども、こういったことから、工芸というものの、モノとコトの動きみたいなものが見えてくるんじゃないかなという気がしました。
 最後なのですけれども、自分もフィレンツェに住んでいる時には、ジュエリー職人として、毎日、自分の彫金台の中に世界を作っていける人になりたいと思ったわけなんですけれども、今は、世の中そんなに単純ではなくなってきたので、芸術と芸術的な作品を作る人が深く作品を作って、経済とはまた別のロジックだと言うのは、もっともなのだけれども、経済であったり、社会のシステムだということが分からない人が、モノを作るというナイーブなことが、これからあるのは、ちょっと問題なんじゃないかと。そうすると次元であったりロジックが違ったとしても、モノを作る側の職人と言われているような人達が世の中の仕組みだったり、新しい価値のでき方とかみたいなことを学習していくとか、それを知りつつやるような、あるいはそういうことを学ぶような機会も必要なんじゃないか。そこに新しい教育の機会があったり、啓蒙的な共有するスキルや知見とかといったものができてくるのではないかと思いました。ずいぶん、と散らかったことをいいましたけど、今回参加させていただいたことの感想です。

佐々木●どうもありがとうございました。先ほどのスワロフスキーの話じゃないですけど、人造ダイヤでも、そこにあるデザインは本物なのですよね。
 素材は絶えず変遷していくけれども、そこに加わっていく人間的な創造力という点での本物性というのでしょうか、それは金沢が一番得意とするべき点かなと思っていますね。
 やはり、この時代にとって必要なことは地球環境との関係で素材とかエネルギーが、いかに節約しながら持続可能な素材を選んでいくか、あるいは、そういった生活スタイルを消費者が選べるかというような型だろうと。それは多分、工芸の世界に元々備わっていた要素だと思うのですね。そういうものを再編集していく、現代の生活の中で最低限、提案していくということが、必要なのだろうな。今のお話の関係でいきますと、これは黒川さんも提唱されているのですけれども、職人とそのコーディネーション、まあ、イタリアに行くとインパナトーレという言葉があるんですねえ。山頂をつないでいく。独特のシステムがあるんですね。京都では悉皆屋というのがあったのですけれども、そういう、マーケットと職人の間に立って、様々にコーディネートしていける人達が今、非常に弱くなっているのかもしれません。
山口さん、チアリーダーからコーディネーターへということになるのか、少しお話ください。


山口裕美
●その前に、きのうの私の発言の中で、1つだけ補足させていただきたいのですが、きのう、村上隆さんの世界戦略の話をさせていただきました。金沢21世紀美術館は、村上さんの立体の代表的なものと平面の代表的なものと、2点収蔵されておられます。これは日本の国内の美術館ができなかったことで、まだ日本の国公立の美術館は村上さんの作品を購入できていません。新作が1億円という時代になっておりますので、購入は、これからは無理だと思います。金沢21世紀美術館が村上さんの作品を2点収蔵されているということに、とても私は敬意を表したいと思います。きっとこれから、この2点を貸し出すことによって若いアーティストの作品を購入する予算を確保するであろうと思っております。
 今日のこの話で、ぜひ紹介したいという事例を紹介しながら申し上げたいのですが、売るという話が出ていますが、一方で買うための訓練も必要なんじゃないかなと私は思います。
 提案したいのは「サイレントオークションというのを、1回ぐらい、やってみたらどうでしょうか」ということを申し上げたいです。サイレントオークションというのは、出品作品の最低価格だけを提示し、紙に書いて入札し、その中で一番高い金額を書いた人に、その作品が落札されて渡されるということなのですけれども。ちょっとおもしろい例があって、団団という組織、これ全くの任意団体なのですけれども、麻生総理の義理の妹の麻生和子さんが主催している団体で、それは若いアーティスト達を出入り自由にして応援している組織なのです。麻生さんはエグゼブティブクラスの方なので、銀座にあるシャネルビルのネクサスホールでサイレントオークショを彼女自身が中心になって主催しました。その際、シャネルの社長と交渉してシャネルマークを使わせてもらうことをお願いしたわけです。それによって会期は2週間でしたけれどもサイレントオークションの作品のどこかに、必ずシャネルマークが入っている。あるいは、ココシャネルに関する何かが入っている。という1つの縛りがあってサイレントオークションの作品を30人ぐらいの作家が参加して作りました。
 それはどういうことが起ったかといいますと、もちろん、現代アートが好きな人が半分、それからシャネルビルに買物に来た全くアートに興味ない方が、「シャネルマークの入った展覧会がありますよ」ということで来場し、これが買えるということが分かったために、新しい客層が出会うことができたんですね。実際には完売ももちろんしましたし、想定していた3倍ぐらいの収入になったと聞いています。そういうやり方が、買うためのエデュケーション。買う側の敷居の低さというか、私でも金額だけ書いて入れればいいわけですから、簡単にできるのですね。それは1つのやり方かなと思います。
 それから、もう1つの試みとして、今、三菱商事がやり初めているんですけれども、若いアーティスト。30歳前の作家の作品を、どんな大きさでも10万円で買い上げる。それをオークションという型にして、10万円は最初に負担しておりますので、それから先、1万円で売れようが、いくらで売れようが、アーティストには10万円が渡っておりますので、そこそこ、心配せずにオークションの行く末を眺めていられる。それも同じように最低価格は決めない型でやるのですけれども、オークションということに挙手していて参加するという経験をするということがあるのです。
 私は、大変僭越なんですけれども、当事者意識を持つかどうかということが、きっと、現代アートのファンになってもらえるかどうかの、瀬戸際だと思っております。売る話をここの円卓でしていても、自分が買う消費者の1人だということ、どこかの誰か、大金持ちがいて、いっぱい買うとかですね、どこかで人気があると言うよりは、自分も買う側の1人として、私は、色んな出会いをさせていただいた金沢には恩義もあるので、帰るときには、金沢の工芸を買って帰りたいと思っておりますので、そういう当事者意識も大事にしていきたいと思っております。

佐々木●なかなかおもしろい具体的な提案だったと思います。今回の会議が、きのうからとてもおもしろいのは、実験をこの場でやっているのですね。音楽(テクノミュージック)を作ったり、メモリーツリーの実演があったりね。次回か、その次にサイレントオークションをやってみますかね。大樋さんそれどう思います。

大樋年雄●オークションについてですか? 僕はオークションと言われると、今、ゾッとしているのは、とんでもない良い作品が、信じられない値段でオークション出たりするのがインターネットで出ているので、すごく恐がってオークションというのを見ているのですけれども。
 今の話聞いていて、僕も作り手で考えていることが色々ありますけど。おそらく、つい最近まで、数寄者と呼ばれている人達がいる時には、茶道というのは、産業でも隠れた産業になっていて、作る人もお茶というものを分かっていて、新しいものや古いものを作っていて、使っていた人たちもお茶を知って使っていたというのが、現実なんですけど、今は多分、「使えないよね」と言う人は、実はお茶も知らないで使えないと言っている。使えないものを作っている作り手は、お茶も知らないのに作っている、という現実なので、どうしたら、そういうものが昔みたいに戻るのかな、僕自身も課題だとは思っているのですけれども。やっぱり実際の、「まつりごと」が減っているという、・か・・・いらいだけのお茶会になっているので、その原点を感じるようなことがなかったらいけないのかなと。それから、黒川先生が金額とか売れるとか買うということを、考えすぎると良くないというのは、確かにそういう側面がよくあると思います。
 ただね、金沢に、考えられないようなVIPがプライベートジェットでここ(金沢)は着陸するところがないので、富山空港に着陸して、富山を素通りして金沢の旅館に泊まって、おいしいものを食べて、初めて色んなものが出てきたら、これはほしいということになって、2度目にやって来る。献上する姿勢というかね。僕らがあげるものを、あげるのではなく、差し上げるという気持ちになって、僕だったら、茶碗を作った人がいて、箱を作った人がいて、綺麗にラッピング・・水引ですよね。それが総合的になるようなことになると隠れてビジネスになるかも知れない。なんかしなければいけないなとは本当に思っているので、何かというのは、外部の人が新しい知恵をくれたり、市長さんにクラフトということで努力していただいているので、クラフトというのは外国で色んな意味で取られているので、僕らはあえて、英語はクラフトですけれども、工芸という言葉をとても大事にして、新しい考え方と、古い考え方が、両方あるみたいな、そんなふうになっていったら、いいなと思っているのですけれども。いきなりマイク廻ってきて、ちょっとびっくりしたのですけど。

佐々木●そしたら、先ほど、金箔の話も出たし、浅野さん一言いかがでしょうか。

浅野●きのうから色々と勉強させていただいて、ありがとうございます。私は、モノを金箔の工芸品から作くってきましたけれども、やはり黒川先生と今回これだけきちっと、いいマーケティングの話を聞いたということ、そして私がずっと32年間、モノを作って悩んできたこと、ぴったり当たっていたので、私たちも海外に商品を持っていってマーケティングしているのですけれども、逆にそれをひろげてやろうと思うと、行政の力を借りずに、やろうと思うと本当に難しいことなんです。
 金沢には本当にいい芸術がいっぱいあって、私たちみたいに、伝統産業を企業としている会社にとっては、この芸術家と企業とが、売るために良いものを作っていきたい。そして、売れるために、何を作っていくかということは、商売をやるためと、自分達の作品を残していくためと、はざまの中で私たちも葛藤していることがたくさんございます。私は芸大出たわけでもなく、美術をやっていたわけでもなく、だけどもモノを見たときに、素晴らしいとか、これは売れるなとか、これは手にとっていただいて、相手さまのどこのところに、この商品を、手のぬくもりの中で置いていただけるかなということが作り手の論理だと私は思います。アクセサリーも含めて、どういう状態で作っていただいて、誰が買っていただけるのか、その先を想像しながら、今、商品作りを私たちもさせていただいているんですが。
 素材があって、金沢がユネスコにクラフト(部門)をやっていただける。私の地元は京都ですが、京都と金沢というのが、地域の中の素晴らしい宝物がありすぎてて、商売している方も、作り手も、ありがたさに乗っかっている気がしすぎているんです。要するに、観光バスがどんどん入ってきて、買っていっていただける。それに甘んじている街が金沢の観光の中にも、あるんではないかと、すごく懸念しているんです。東山の界隈にも店がいっぱい並び、金沢の産地でないものが、ただ売られている。売られているから、売れているから良いものだ、という勘違いを私たちしているような気がします。
 東京にお店を出しました。確かに大きな経費で、利息も背負っています。だけども社員に言っているのは、金沢で売れているものが東京で売れると思ったら大間違いだって。観光として甘んじて、来ていただける言葉に、金沢は甘えていないかというのが、社長としての私の気持ちです。そして(東京表参道の)骨董通りにお店を出しました。やはり、まだ、色んな人に来ていただいているけれども、大赤字でございます。店を出したからといって、決して売れるものと(は限りません。)大事に残していただいて、残していただいても博物館に行くのではなくて、残していただいて、毎日使っていただくもの。これを考えるのは、すごくこれからの私たち、モノづくり、伝統工芸産業企業としてやっていく一番大きな課題でないかなと。そんなふうに思っています。海外に出すのは、正直いって本当に難しいです。黒川先生にその点を指摘されて、私も資料をいただいて、もう一度やりたいなと。そんなふうに思っております。ありがとうございます。

佐々木●きのうも、今も話に出たんですけれども。海外から金沢の工芸というものが、どのように評価されるというのか。日本の工芸というのが、どういう評価を受けるのか。これも大事な点ですが。
 たまたま私、市長さんとパリに行っている時に、セーヌ川の一番新しい、ケーブラリィ美術館というのがオープンしているんですけれども、世界のプリミィティブアートというものを全部見せるという考え方なんですが、そこで今、民芸展をやっているんですね。まさに柳(宗悦)さんの話ですね。ちょうど、日仏通商150年ということもありまして、非常にたくさんの日本イベントがありましたが。
秋元さん。美術館として、そういうふうに金沢の工芸を館としてどういうふうに扱う。あるいはアートマーケットとして将来どんなふうにブランド化していくかとか、カテゴライズしていくのかの話を、もし、お考えがあれば。


秋元雄史
●そうですね。なかなか難しい質問ですよね。
 先ほどから出ているように、芸術の問題ということ。芸術としてどのように扱っていくかいう問題と、もう1つ、産業として、経済活動として、どういうふうに継続していくかということは、まさに黒川さんが先ほど言われたのは、位置関係としては非常に正しいだろうと。あまり(芸術と産業を)必要以上に近付けすぎて、両方殺しあってもしょうがないわけですし、それ自体が分断されていても、人の営みなので、それはどこかで絶対つながっているわけですよね。
 1つ、工芸のデザインを含めてなんですけれども、純粋美術との一番の違いは、最近は現代アートそのものも、マーケットの距離感というのは、ずいぶん近づいてきてますけれども、一般的には、デザイン工芸と純粋芸術との違いというのは、そこにある種、経済活動の距離間というのがあると思うんですね。デザインとか工芸とか、ずいぶん生活に近い分、モノの売買というのが含まれて成り立っているだろうということがあります。そこには、適正な価格とかですね、それがある程度、1品といってもですね、純粋芸術みたいに、ただ1つ、それが飾り物のようにあるというのではなくて、それが何らかの型として生活の道具としてあるというようなところがある。
 ある時期、例えば美術館の中で工芸を見せるというふうに、そうやって、ある工芸の持っている、芸術的な価値みたいなものを評価していくわけですけど、その時、芸術作品を評価するがごとくですね・・純粋芸術作品のごとくにですね1点のある種の精神的な産物として見るという、非常に偏った歴史みたいなものが、あると思うんですよね。その中で生活の部分を切り離して、オブジェクトなものとして、形態の美しさや、そういったものを見ていくということが続いている。
ここのところが、ちょっと変わってきているというのが、それがもっている、生活の中で使われてきたとか、どのような時代背景の中で使われてきたということが、ある種、民俗学的であったりとか、文化人類学的というか、都市人類学的というか、もう少し、生活の中での位置付けていく、単に純粋芸術的にだけ見せていくというのではなく。そういう側面もあると思うんですね。
その中で、民芸とかあらためて評価されてきている。ちょっと長い前置きだったんですけれども。
 民芸はある種の、近代的なものに対する反動的な芸術活動のように見えることもあるんでしょうけれども、同時に、西洋化と日本的なもののバランスを、どうやってとっていくのかということでは、ある回答にもなっていると思うんですね。非常におもしろい、単に漆の問題とか、1つのジャンルの問題ではなくて、ある生活の仕方そのものも提案してるようなところもある。
 例えば・・金沢美術工芸大学で、柳宗悦さんの息子さんの柳宗理さんが非常に大きく関わって、美大を初期段階で牽引していっているわけですよね。柳宗理さんの仕事っていうのは、もう少し近代的な、社会システムの中で、生産されているんだと思うんですけど。このあたりって、金沢の工芸とか芸術を考えて行くうえでは、大きく関わってくる部分だろうと・・例えば、単に美大と言わずに、美術工芸大学といっているあたりとかですね、あとそこに、柳宗理さんが、大学の中に関わってやっていて、ある部分では、お父さんがやってきた、民芸的な動きというものをベースにしつつ、新しい時代の提案をしていっているとかですね、そのあたり、理念的に金沢というのは使っていくことは可能だろうと。
 工芸といった時に、色んな広がりを持っていっちゃうわけなんで、どのあたりをベースにして金沢は選んでいくかということが、重要だと思うんですね。特に美術館でやっていくことは、理念的にどういうふうにとらえていくか、ということもあると思うので、例えば、片一方で経済活動として、どういうふうに製品を今の時代に定着させていくか、ということと、対極のように見えますけれども、一方で美術館の問題・・大学もそうですけれども、理念を作り上げていく場として考えていくとすれば、例えば、柳さんがやっている仕事とかをベースにしつつ、今の金沢で行われていくことを整理していくとか、具体的には・・・まあ、アイデアですけどね。あると思うんです。

佐々木●ありがとうございました。金沢21世紀美術館については、例えば設計者の妹島さん自身が、ルーブルの別館をやっておられて、ご縁でルーブルともこれから提携ができたり、色んな企画を交流するような可能性がひろがってますよね。
そういった時に、金沢の工芸をどのように位置付けてブランディングしていくかということも、1つのアートマーケットにつながるような戦略もあるのかなと。私も、その辺、楽しみに見ておったんですけどね。
 先ほどから出ていますように、私もサンタフェがね、小さい街ながら、アートマーケットが大きい。アーティストがたくさん集まってくる街だというところと、伝統とコンテンポラリーが巻き合っている。このあたりのクリエィティブツーリズムといいましょうか、金沢も観光でいって、というところまで来ているけれども、創造的な体験とか、経験価値みたいなものを、どのように打ち出しながら、いわば「合わせ技」ですね。きのうからキーワードになっている。工芸があり、クリエイティブツーリズムあり、そしてまた、新しいテクノミュージックがありとかですね、そういう広がりみたいなものに視点を移していった時に、どういうことが言えるのか。
 増渕さんが、一生懸命、湘南のブランドって、地域ブランドって言っておられましたけれども、きのう、具体的に汎用性の高いテクノミュージックというのを聞かせてもらったですが、そのあたりを、もうちょっと今の話とひっかけながら。
 

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