基調スピーチ「都市の発信力」
金沢創造都市会議開催委員会会長
社団法人金沢経済同友会代表幹事
飛田秀一
都市の引力を推進していくために

 前回の金沢学会のテーマは「都市の引力」でした。確か、ニュートンの万有引力の法則の話をさせていただきました。それぞれ都市というのは引っぱり合っていて、ぼーっとしていると引っ張られっぱなしで、吸い込まれてしまうという、そんな話を基調スピーチでさせていただきました。
 今回の「都市の発信力」というテーマは、つまり都市の引力というテーマにエンジンを付けたら、都市の発信力というテーマになろうかと思います。引力プラス具体的施策、それに相当の馬力を加えて、そして推進をしていくと。そんなことが都市の発信力というテーマになるのではないかというような解釈をしています。
 三つのセッションでいろいろな論議が行われます。一つ目は、「ご当地音楽」です。私なりに勝手に解釈をしますと、ご当地というと、条件反射的にすぐイコール邦楽になるような感じがします。別に邦楽が悪いわけではないのですが、ご当地音楽というものは、ご当地ソングでもいいと思うのです。川中美幸の「金沢の雨」というのはかなり大ヒットしましたし、それから「輪島朝市」という曲は、水森かおりという女性が歌ってヒットしました。昔からいろいろな歌がございます。これもご当地音楽であります。それから「ラ・フォル・ジュルネ金沢」でいろいろな演奏会がありました。クラシックですが、金沢風に味付けをすれば、それはそれでご当地音楽になるのではないか。邦楽ももちろんそうですが。
 そこで、金沢経済同友会に直接は関係ありませんが、私ども北國新聞社が主催をしている行事の一つに、「金沢おどり」があります。毎年9月の連休のときに、金沢の三つの茶屋街の芸妓さんに踊ってもらうという企画です。前回も芸妓さんの話をしましたが、やはり金沢というとどうしても、代表する文化の一つとして芸妓さんが挙げられます。その金沢おどりで、今年総踊り曲というものを新しく作らせていただきました。「金沢風雅」というものです。
 金沢おどりも今年で5回目でして、最後に三郭の芸妓さんがすべて出てきて踊ってもらうという曲に、これまでは「金沢小唄」というものを使用してきました。昭和の初めですか。いろいろ過去の新聞を見てみますと、北國新聞が募集をして「金沢小唄」というものを作って、そして総踊り曲というような形で大勢の人たちが踊るということで、昭和の初めから当地で演じられてきたのです。そこで、新しいものも必要ではないかということで、平成の金沢小唄と作ろうという考えになりまして、去年直木賞作家の村松友視(本来の表記は「視」の旧字。「示」に「見」)さんに作詞をまず依頼しました。村松さんは確か東京生まれの東京育ちであったと思います。ただ、大変な金沢ファンでありまして、この三つの茶屋街にもしばしば顔を出されており、いろいろな金沢の事情にも通じている。金沢学会のテーマで言いますと、金沢の引力に吸い寄せられて金沢ファンになった。その金沢ファンの村松さんに、何か歌を作ってほしいということで作詞を依頼しました。
 村松さんがお考えになったキーワードは風でした。金沢市内に浅野川、犀川という二つの川が流れている。その川面を風が通り抜けるとか、そんなような発想で、その風とともに太鼓や三味線の音色が、その風に乗って伝わってくるといいますか。そこに金沢というものをイメージして、そして「金沢風雅」という総踊り曲の作詞をした。曲は大和楽の家元に作曲をしていただきました。振り付けは西川流の家元である西川右近さん。にし茶屋街は西川流でありまして、にし茶屋街の踊りを指導されています。そういう関係で振り付けを西川さんに依頼をしました。大和楽というのは、邦楽の中でも古典とそうでない中間にあるような、ハイカラな古典といいますか、そんな邦楽でありまして、その家元に曲を付けてもらったわけです。そして今年になりまして、芸妓の皆さんは、大変な練習をしまして、今年の9月中旬に披露させていただきました。私が見ておりましても、自画自賛もあるかもしれませんが、大変歌詞もいいし曲もいいし、それから評判も良かった。まあ、悪い評判は私の耳に入ってこないという、こういうことかもしれませんが。ともかく、私の耳に入ってくる限りは極めて評判が良かった。
 金沢おどりで「金沢風雅」というものを作ったことによって、これまでの4回と違う、極めて違うというのは、東などから皆さんお越しになると。、今年は東京の赤坂、新橋、浅草、そういう東京の主要な花街の芸妓さんが大勢見に来た、京都の芸妓さんも来た。それから名古屋の芸妓さんも来たということで、全国的の芸妓さんの中では、関心を集めて、大勢の方が見に来られたと。これが今までと違った形で、かなり東京等でその後1〜2回、全国の関係者が出席する会にも出ましたが、この金沢風雅をやったおかげで金沢が随分話題になるのです。それは恐らく想像するに、村松さんだとか、西川流の家元さんですとか、大和楽の家元さんが、東京等の茶屋街に時折顔を出されるということも関係するのではなかろうかと勝手に想像はするのでありますが、随分これが話題になりました。金沢から来たということが、何かそのことだけで、この間から何回も大勢いる中の話題の中心になっているので、「ああ、これも金沢を発信する上でかなり役立っているな」ということを実感をしたのです。だからご当地音楽というのは、何もこれが良くてあれが悪いとか、そんなことはないのであって、私はやはり合わせ技でいいと。今これも邦楽ですけれども、邦楽であってもいいし、それが演歌であってもいいし、クラシックであってもいいし、それからまた違うジャズであってもいいし、何であってもいいと思うので。合わせ技ということが大事ではないかということを私なりに考えているので。合わせ技ではなくて、どうしても背負い投げでなくてはいけないとか、そんなことを決める必要はないように私は思います。これが、ご当地音楽についての私の勝手な意見でございます。
 それから、第2セッションの「KANAZAWA BAND」。金沢に関するインターネットの専用サイトを構築しようという提案です。ただし、情報発信というのはいろいろな手段があって、これも先ほどのご当地音楽と一緒で、新聞もあれば雑誌もあれば、テレビもあればラジオもある。そのような旧来のメディア。それからインターネットによる専用サイトを設けて、集中的に金沢を発信する、このことも大事です。これも全部、それぞれあらゆるものを取り入れればいいと思います。それから古典的なことではありますが、いろいろなメディアを通じるのではなくて、最も古典的な方法は、人と人とが直接会うわけですから、Face to Faceというもの、私はメディアだけではなくて、こんなことも必要だと思います。


東京で、最大規模の「いしかわ県人祭 in 東京」を開催


 私どもが自分の自慢をしているようで恐縮なのですが、今年の10月24日、東京で、正式名称「いしかわ県人祭in東京」を開催しました。こんな話をすると、出席されていない方は、そんなもの別に県人会をやっただけではないかと思われるかもしれませんが、実は、会場は高輪のプリンスホテルでありまして、出席者が千三十数人。大体、こういうものの適当に言う出席者というのは1000人であったり2000人であったりというのはあります。しかしこれは本当の数字なのです。なぜならば、1000人を超える夜の席であったにもかかわらず、前提が着席だったのです。着席だから数は正確なのです。1032人だったと思います。1000人を超える。政治家のパーティなら何千人と言っていますよ。何千人来ているのか、それが何百人になるのか、どうか分かりません、来てすぐに帰ったり、そういうことをしますから。ところが着席ですから、1000人を超える、千三十数人が着席したまま、最後までいる。この会場は、私も大きなパーティは、いろいろなところに出ますが、あれほどのスケールのものというのは初めてでした。これはちょっと見たことがありません。金沢のホテルではまずできない。東京でも着席で1000人を超える宴席というのはできません。金沢なら産業展示館でやらなければいけない。それくらいの規模の県人祭を催したのです。
 これは何と言いますか、なぜこんなことを発想したかというと、石川県というのはいろいろなところ、東京でも関西でも、どこでも県人会をやっています。やっていますけれど、おしなべて、学校単位もいろいろありますが、出席者が非常に少ないということ。それから学校などは別にして、地域の県人会ということになると、年齢が高い方ばかりで若い人が来ないという、全国に共通する特徴かもしれませんが、こういう二つの特徴があった。それに引き換え、お隣の富山県の東京における県人会。これは、ホテルニューオータニが、富山県の出身者が建てたという関係で、富山県関係者に積極的に、ホテルのできたころから働きかけていたのでしょうね。随分県人会に人がたくさん集まる。大抵600〜700人規模の人たちが毎年集まっていた。600人、700人を主催者発表で、常に1000人というふうに発表されていた。新聞などを見ても、必ず1000人と書いてあった。まあこれは嘘なのでしょう、半分ぐらいかなと思っておったのですが、少なくとも石川県より多い。石川県は大体県人会というのは、やっても多くて200人内外です。集まらない。だから何とか、別に富山県とけんかをするということではありませんが、日本の首都で地域を発信するためにも、やはり数を集めるということが私は大事だという考えになりました。そして、いろいろな県人会に呼びかけて、1032人というすさまじい数の石川県人祭というものを開催することができたのです。これは今から毎年やるのです。10月の最終の金曜日の夜に。
 金沢の県人会というのも、東京でなかったので、石川県全体でやるために、金沢の県人会をその前年につくり、これは2月の第1金曜日に行うとしました。これはもう過去2回開いています。金沢とか、都市でも抜けています。あのときは金沢と加賀市と羽咋市かな、どこかが東京になかったのです。そんな関係で。羽咋はあまり数も多くないということで、まだつくられていませんが、金沢と加賀市の県人会を結成しました。その前提は1000人以上集めようということでした。
 
  
女性の創作太鼓は海外でも人気

 そこで、石川県出身者に評価が高かったのが、一番に太鼓の演奏なのです。御陣乗太鼓ではありませんよ。やはり太鼓というのはたくましさが魅力の一つだと思うのですが、昔は大体男性のたくましさが太鼓の魅力で、男性・たくましさ・太鼓と、こういうのが大体イコールだった。ところが最近は、これはあまり駄目なのです。女性・たくましさ・太鼓と、これが非常に評価が高いのです。あのときも炎太鼓という、3人でやる創作太鼓。
 石川県は太鼓の種類がものすごく多く。全国で一番多い。これは神社の数が多い。城下にはあまりないのですが、金沢の城下以外は圧倒的に神社の数が多いので、神社単位にいわゆる伝統太鼓というものがあるのです。御陣乗太鼓だとかいっぱいある。これは全国一です。ただ創作の分野では、必ずしも全国1位ではなかった。伝統的な太鼓の少ないところの方が、今風の創作をされる。これもご当地音楽かもしれません。そういうものが、石川県以外で相当創作太鼓が盛んでありましたが、いまは石川県でも盛んになりましたね。県人祭に出場したのは、炎太鼓という女性のトリオでありまして、これはなかなかたくましかった。たくましさイコール女性が今風で、これが良かった。
 この間、ドイツへ行きました。石川県芸術文化協会が、書や太鼓、お花といった関係者の人たちで、たしかドイツのオペラ座、オペラハウスかもしれませんが、いろいろなものを上演したのですが、最高の評価を得たのは、開会前は書だったのです。漢字がもう世界的なブームですから、ともかく漢字のところに大行列ができていました。漢字が開会前です。それから実際開会をした後は、やはり女性の、炎太鼓とは違うグループ。これもなかなか人気がある女性の3人トリオのグループですが、大変な人気を博しました。やはり西洋人から見ると、日本人の、特に女性というのは、今まであまりイコールたくましいなどというイメージはなかったと思うのです。それが全然、そういう常識を打ち破るということが、大変人気を博したということではないかと思います。
 今話が少々脱線しましたが、やはりFace to Face。インターネットももちろん必要ですよ。Face to Faceというものも必要ですよと。そのような気がするので、これだけというのではなくて、いろいろなことをおやりになればいいなと。特に県人祭については、ホテル関係者を含めて、やはり石川県というのはすごいところだなという印象を与えたことだけは、私は間違いないと思います。これも都市の発信力。都市というか地域でありますけれども、そういう具体例ではないかと思うのであります。


世界の工芸都市をめざして

 それから、三つ目のセッションは「デザインを売る」。これも福光さんから説明がありました。恐らく「デザインを売る」というセッションを設けた背景といいますか、これはやはり金沢市が、クラフト分野でユネスコの創造都市ネットワークに指定してくれるよう名乗りを上げたということと密接に絡んでいると思います。私はこれは大変素晴らしいことだと思うのですが。ただ、私たちみたいに一般的な、ごく普通の市民からすると、何かクラフトやネットワークと言われても、分かったような分からないような感じの言葉なのです。大抵の人は、分からないというのは恥ずかしいから言わない。「クラフトって分かるか?」、分かる人は分かるけど、分からない人の方が多いのです。やはりこれは、クラフトというハイカラな言葉も必要だけど、工芸なら工芸と言った方がいいのではないか。工芸と言えば分かるのです。だから、人をごまかすときには分からない言葉というのは非常に大事なのです。大事なのですが、ごまかさない場合はやはりもっと分かりやすいキャッチコピーの方が、私は一般の人にはうけると思います。
 だから、世界創造都市のクラフト分野における創造都市ネットワークを目指す。これはもう少し分かりやすく言うと、クラフトは工芸なのだから、世界工芸都市を目指すということではないでしょうか。分かりやすく解釈すればいいのですから。ユネスコで原文がネットワークとなっておろうと、創造都市となっておろうと、そんなことはそれはそれでいいのです。
 ところが当地においてはこういう言葉を使うと。それはそれでいいわけです。恐らく採択されるには数年かかるでしょう。数年の間、こういうことをしましたよということを、こういう大事なことなのですよということを、本当は金沢市なり市民に理解してもらうような努力をしなければいけないわけですが。この言葉のままでは・・・。
 時々、金沢市もいろいろなハイカラな名前を付けるのが大好きです。なぜ好きなのかと思うけれども、私たちみたいに普通の人間からすると、なぜ難しい言葉を一生懸命付けるのかという気がします。
 このクラフト分野の創造都市ネットワークを目指すというなら、十数年前に金沢市は、非常に分かりやすい、われわれみたいなごく普通の人間も理解できるような言葉で「世界工芸都市宣言」というものを十数年前にやっています。これが、せっかく大宣言をしたのだけれども、いつのまにかお蔵へ入ってしまっています。
 今恐らく市民のほとんどの人が、ユネスコのクラフト分野の創造都市ネットワークに申請手続きをしたということと、世界工芸都市宣言とそのものイコールではありませんが、実際はほぼイコール(≒)という理解をしている人も非常に少ないと思います。
 せっかくの素晴らしいアイデアでも、言葉が難しいと、もう普及、浸透しない。だから、このお蔵入りかどうか知りませんが、これを引っ張ってきて、今度の難しいクラフト分野のうんぬんというのを、世界工芸都市を目指すのだと簡単にしていった方が、市民県民の理解を得られる。「なるほど。ああ、これは素晴らしいことだ」というふうになると思います。難しいままだと、理解する層が限られるということです。
 以上、三つのテーマについて、私なりの勝手な話をさせていただきました。何もこんなことを土台にしてご議論をいただくということではないのであって、これは私の勝手な話でありますから、後ほどご議論を賜れば幸いということを申し上げて、私の話を終えさせていただきます。ありがとうございました。
 

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