第3セッション「デザインを売る」
     
進行:水野一郎(金沢工業大学教授)
   



 

(福光) それでは第3セッションです。担当は水野一郎さんです。最初におしゃれメッセについて、私が簡単に。映像が出ますので。では一応、聞いてください。ちょっとナレーションも聞いてください。

【ビデオ上映】

(福光) 一つの例としてご紹介させていただいたのは、金沢市主催のおしゃれメッセ“かなざわごのみ”というイベントです。金沢経済同友会も共催の中に入っております。これは2004年に金沢ファッション産業都市宣言を、金沢市の山出市長さんがなさいまして、ファッションという言葉をそのときに使いだしました。それに呼応して、金沢美大にファッション学科ができたりしました。最初はファッションだけだったのですが、工芸など生活関連も入れていこうということで、ライフ&ファッションという言葉になって、ややこしくなったので少し整理しまして、目的は見本市だということになってきて、現在はおしゃれメッセという言葉になっております。
 ご覧になったように繊維関係、これにはテキスタイルとアパレルがありますが、石川県金沢市の場合は、テキスタイルといっても布を織る方です。それから、アパレルは全部で金沢市とその周辺に14社程度でしたが、そこを強調しているので、ファッションショーなどを、かなり力を入れてやっています。場所は、今年から初めて金沢城の二の丸広場というところに大きいテントを張って開催するようになりました。去年までは金沢21世紀美術館で完結しておりましたが、だんだん広い敷地が必要なこともあり、美術館も使わせていただいておりますけれども、二の丸広場も使うようになりました。
 工芸の人たちが新商品の発表を二の丸広場で。ファッションの人たちがファッションショーを中心に、作品・商品を発表しています。それからもう一つ、特別企画事業というのを設けまして、金沢の、いわゆる工芸技術をベースにして、新作あるいはプロトタイプ(試作品)を、思い切って開発をしてみようという試みを一緒にしております。その第1回が、原由美子さんというスタイリストの方が、友禅作家の方たちと組んで、「原由美子が考える加賀友禅」を企画しました。第2回は工芸の分野の人たちと黒川先生がタッグマッチをしていただいて、これまでにない工芸の商品を発表していただいた。今年は、卯辰山工芸工房の研修生たちと一部美大の人たちの総力を結集して、伊東史子さんに指導していただいて、すてきなジュエリーを発表していただきました。
 こうした試みいろいろやりだしたわけですが、先ほどのユネスコの創造都市もクラフトという分野ですが、工芸都市ということでは、産業のかさとしてはあまり大きいものになっていないわけですが、象徴性は非常に高い。そしてまた、新しいディレクターの目が入ったり手が入ったりすると、もっともっといいものができそうな感じがある。そういう前提の中で、作るには作れるのだけれども、ものづくりの町というだけで、作るばかりでは困ってしまうという話が、この第3セッションの課題であります。題名として「デザインを売る」としましたが、アート作品でもよろしいですし、工芸作品でもよろしいのですが、こういう部分の、マーケティングと言うと安っぽくなりますが、何らかの発信の仕方について。それがきちんと産業経済的に動くようにするにはどうしたらいいかというセッションをつくってみたわけです。
 ここから水野一郎さんにお渡しいたします。

(水野) はい。つらい課題をいただきました。第1セッションでは、私もあまり聞いたことのないテクノというもの。それでも聞いていますと体が動いて「いやあ、楽しいな」という感じがしました。第2セッションでも、映像がいっぱい浮かんできて、「ああきれいだな」と思ったりしている。そういう中で、さてデザインで金もうけできるかという、現実的で厳しい話です。でも、今福光さんがおっしゃったように、伊東さん、黒川さんともに、おしゃれメッセ“かなざわごのみ”で既に直面されているので、厳しい中にもやはりいいものをつくってきた、そういう体験を含めて、何かお考えをいただけたらと思っています。
 私も学校では学生にデザインや建築の設計など、「それは社会に対する自己表現であって、金もうけではないのだ」ということを酸っぱく言っている方ですので、そういうことから言うと、学生たちが聞くと「先生の言うこと信用ならんな」ということになるのかもしれません。しかし現実的には創造都市といった場合に、クリエイティブな部分があるということと、そのクリエイティブによって地域社会が活性化するという、この二つが必要なわけです。その二つの、一つの方を少し議論してみようかということです。
 それでは早速、時間も迫っているようですので、伊東さんの方から入っていただいて、黒川さん、山口さんと。それぞれのご意見、あるいはご提案も含めて、いただけるということでございますので、よろしくお願いいたします。


 


 伊東史子

 今回、かなざわごのみの特別企画ということで、工芸の作家の方たちと「ジュエリー・鏡・宝箱」というお題を設けて、一緒に仕事をさせていただきました。ただ、今日は男性の方が多くていらっしゃるし、ジュエリーというのが何なのかというのがぴんとこない方もいらっしゃるのではないかと思うので、ちょっと手前みそなのですが、私がどんなものを作っているかといったこともお見せしながら、私がどんなアプローチで今回のプロジェクトに取り組まさせていただいたかをお話をしたいと思います。 (以下スライド併用)

●Tool of Toolsというのは、手のことなのですが、やはり人間の手が道具の中の道具だというところから、自分たちの体から始めたいというのが工芸の一番ベースにあるのではないかと思っています。今日は、すてきな、世界を一瞬にして旅できるような技術だったり音楽だったりというようなことを見せていただいた後に、これはとても時間がかかって小さなものですけれども、こういうような仕事が工芸の初めかなと思います。

●作っているもの、そのものということのお話ではなくて、実は私はデザインマネジメントというのを日常の生業にしています。ではデザインマネジメントというのは何かということになると、デザイナーの代弁者のような仕事をしています。それから派生して企業であったり組織とデザイナー、ものを作る人たちとの間の、日本人同士であっても言葉が違いますから、その言葉の齟齬みたいなものを埋めていく。日本語通訳などとも自分で言ったりするのですけれども、その間を埋めていくようなものです。それで、つじつまが合わないことがよくありますので、つじつまが合わないときに、どうやって無理やり接点を作っていくかというか、時には、むちがあったり、大声があったりして、何でもするのですけれども色気だけがなかなか使えないので、苦労しながら仕事をしています。

●イタリアに6年ほど住んでいるときに、ジュエリーの学校に行ってました。職人になろうと思って行ったわけですけれども、なかなか職業として成立しない。だから、金沢の工芸の方たちが、工芸で自立していくということの難しさというのは、本当に少しですけれど分かっているつもりです。そのあたりから、デザインを売るというところまでいけるかは分かりませんけれども、考えていきたいと思っています。

●ジュエリーが何かということの答えを私が持っているわけではないのですけれども、全く生活の、基本的な欲求を満たすわけでもないし、速く走ったり暖かくなったりするわけでもありません。しかし小さな電池というかジェネレーターのようなもので、古くは男性も、今は多くの女性の身体に結びついているものです。その役に立たなさあたりというのは、私はすごく個人的には気に入っています。これはちょっと手前みそなのですけれども、私が仕事をしていました、エットレ・ソットサスというイタリアのデザイナーがいるのですが、彼が「人間は戦争のときも、どんなに空腹のときも、自分が美しくあろうとすることを放棄したことはない」と言いました。それの象徴的なものというのが、ジュエリーかなというふうに考えています。ですから私にとっては、ジュエリーを作るというのは、そういうふうなことの、自分の疑問であったり世界との接点みたいなものを質問し続けることなのですね。そういう作業というのは、恐らく工芸の方たちにも、作っているものですとか素材は違っていても、あるのではないかなというふうに考えています。
 ジュエリーの定義というのは千差万別、いろいろあると思います。一つは、デリケートだけれど非常に強いもの。それから、これはかなり個人的な定義なのですが、人間よりも長く生きるものというか、命があるものというふうなことを考えています。

●ちょっと後からも出てきますけれども、今回「かなざわさいころ」というのを考えて、小さな四角にダイヤモンドが埋まっているピアスなのですが、私にとっても金沢のオマージュとして作りました。これは、象眼の作家の方にシルバーに純金を埋めていただいて、ちょっと分かりにくいのですが、1から7までの目があります。

●次は、今回のかなざわごのみで作ったものを見ていただきます。今回、工芸の方たちとお仕事ができるということで、いろいろ最初見せていただいたときに、宝の山に分け入ったような。実際のビジネスであったりという部分は大変なのだというふうには伺っていたのですけれども、やはり素晴らしい技術と、それからそれを作っている方たちの情熱がある。だから金沢の町がしっとりしていてすてきなのは、例えば建物がすてきだったり、食べ物がおいしかったり、美男美女が多かったりということだけではなくて、実際に自分の体を使ってものを作っておられる方たちが醸し出しているバイブレーションというのでしょうか、そういうふうなものが地の部分にあって、そこに非常にしっとりとした魅力があるなというふうに思いました。

●加賀縫いの、刺しゅうの方のものは、卯辰山の若い方のものです。これもちょっと、本当は一つ一つすごく苦労して、それぞれの方たちとやりましたのでお話をしたいところなのですが、今回は飛ばします。

●黒漆のものは、桜の本当にお花の花びらぐらいに薄く作ってもらいました。非常にデリケートなものです。

●今回お見せしている写真というのは、金沢市の方が買い上げられた作品をお預かりして、慌てて私の事務所で、写真のこともジュエリーのことも知らない、私のコラボレーターといいますか、一緒に仕事をしている仲間に撮ってもらったものなのです。まず、「この展覧会をやりました」というふうにイタリアの友達に報告したときに、「カタログを送ってくれ」と言われたのです。それで「カタログは作りませんでした」というふうに報告したら、「それは何事だ」と言われたわけです。というのは、やはりヨーロッパの人たちにとっては、何か展覧会、イベントみたいなものをするときに、それをどんな形で記憶していくか。先ほどアーカイブというお話が出ましたけれども、どういうふうに文章に、もちろん写真もそうですけれども、テキストに換言して、それを積み上げていくかというところに彼らの、いわゆる文化的な発信の基があるのだと感じました。必ずしもヨーロッパの方式をまねする必要はないとは思うのですけれども、やはり展覧会という形が終わった後に、こういったものを伝えていくツールというものは必要かなと思います。

 先ほどの宮田さんのお使いになっているツールであったり、その合わせ技と飛田さんがおっしゃっていましたが、その工芸と例えば宮田さんのお知恵であったりという、遠いところをいかにくっつけていくかというあたりに、そのアーカイブの魅力も出てくるのではないかと思います。
 ジュエリーというのはとても小さいものですから、そのミラノの友人は、「それだったらミラノへ持ってきたらいいじゃないか」というふうに言われたのです。小さいから持ってこいというのはちょっと理屈に合いませんが、そういうときに、まず伝えていく方法。実際の物を持っていく以外にどんな形で伝えていけるのかなということを考えています。
ものをつくる技術というのは大変素晴らしいものがあるのですけれども、やはりアートにしても工芸作品にしてもデザインにしても、そこにものがあるだけでは始まりでしかなくて、それがどんなふうに伝わっていくか、1人であったり、図書館の中であったりというところに積み上がっていくコミュニケーションの仕上がり感、完成度みたいなことというのが問われているのかなと感じます。そこのところで言うと、表現するということは、コミュニケーションの技術でもあるし、それからもう一つは言葉が違うのだと思うのですが、一種のサービス業のようなものを伝えるのではなくて、伝えなければいけないこと、コミュニケーションのメッセージ内容が正確に精査されて、伝える技術を持つことなのかなというふうに思います。

●作るだけではなくて、どういうふうに売るかも考えなさいというふうに福光さんに発破を掛けられていました。この展覧会のときに、日本橋三越のバイヤーの方が来てくださっていてぜひやらせてほしいというお話だったのです。私は基本的には、友達の、顔が見える人。あるいは友達の彼女とか奥さんのような近くの人の物しか今まで作ってきていないので、顔の見えない知らない人に向けて何か出すというのはすごく分からないことだったわけですけれども、せっかくの機会なので、どんなふうに事が進められるかというのを、今勉強中です。来年の3月の春のキャンペーンがあるらしいのですが、その中のイベントでやるということになりました。そのときに、詳細をいろいろお伺いしたわけですけれども、その場で「仕切り値は55%です。売れたときに仕切らせてもらいます」と言われたのです。私は、大体、先にお金をもらって作ったりするようなことをぜいたくにもしていたものですから「ああ、そうなんですか」という、全くとんちんかんな対応をしてしまいました。私のものは自分が作る分には、そして委託して売れない分には私が決めればいいことなのですけれども、それぞれの作家の方たちも誘ってほしいという。作家の方たちに連絡をしたりまとめたりすることをやってくれれば10%あげましょうという話でした。
 それで、私はその10%でどうしたらいいのだろうかと思ったときに、このときには、今回のかなざわごのみのジュエリーを伝えていくツールを考えるという意味では、百貨店で売るというのも勉強していきたいと思っているのですが、同時に、やはりそこの部分。コーディネートしたりプロデュースしたり、売ったりということをする、工芸に特化した方がやはり必要なのではないかなというふうな気もしました。そこが、今日のお話のポイントにもなると思います。作る方というのは随分養成されてきているので、それをいかに伝えていくか、何が必要なのかが定義されて、そういう方たちが育っていくべきなのではないかと。もし、私がもう少し時間があったり余裕があったりしたら、ぜひ手を挙げたいところなのですけれども、自転車操業の事務所をやっているものですから、なかなか手を広げられないような現状があります。
マーケティングというと、私がまだ理解できていない世界ですが、結局は工芸のものというのが、手近で、しかも美術館、博物館のガラスの向こうにあるものではなくて、自分たちの日常生活に取り戻すようなものを考えて、そしてそれをちゃんと欲しい人に届けていく、ちょっと大げさな言い方をすると市場をつくっていくような作業が必要なのだろうと。ただ、それは一人でできることではありませんから、今日集まった方たちのお知恵を結集して、遠いところの知恵を集めていくというようなことが可能だといいなと思っています。
提案というほど大げさなものではありませんけれども、一つにはそういうプロフェッショナルを育てていくということ。
 それからもう一つは、個人的で全体像を把握した話ではないかもしれないのですけれども、そのように工芸の作品というのは日常的にも使えるし、あるいはすごく日常的ではなくてもお誕生日のときには必ず使うようなもの、あるいは記念日的なものというのはできるようになっても、ちょっと高いよねということがあるわけですね。
 その時に、例えば作家の方たちの手であったり、手というのは、ハンドライティングというか、自分の好みに合う人のものが欲しかったら、例えばそれを自分の結婚のお祝いというようなときにプレゼントしてくれと言って、積立金というか、イタリアではリスタ・ディ・ノッツェというものがあります。例えば一つのお店にリスタ・ディ・ノッツェというのを置きます。普通はおなべのフルセットや食器のフルセットなどがリスタ・ディ・ノッツェになりますから、例えばジノリだったらジノリのお店に、それでお祝いしたい人たちが自分たちで払える金額を積み立てていくのです。それで、何万円か何十万円になった総額というもので、新郎新婦が欲しいものをお客さん全体がプレゼントするような、頼母子講のようなシステムがあるのです。そんなようなことを工芸の世界でもできたら面白いのではないかなと思います。例えば、いきなり30万円も50万円も100万円もするものを若い人たちが買ったりすることはできないけれども、何かそういうふうな、積み立てていくようなことがあり得ないだろうかというふうに思いました。
 それからもう一つは、先ほどの宮田さんのお話でもありましたけれども、この時間にこの場にいなければいけないというようなことは、非常に現代的で重要なことだと思うので、インターネットで販売するというようなことだけではなくて、何か金沢に出向いて工芸の作品に触れるというような新しいプラットフォームみたいなものが、やはりできればすてきだなと。私などは単純なので、やはり金沢と、できれば私の家の近くの東京に、お店というかそういうインターフェースのような場所ができるといいのだがなというふうに思っています。
 これは金沢市役所の新木さんと私が、リタイアしたら一緒にお店をやろうと言っているのですけれども(笑)。彼女はまだイエスと言ってくれていませんが。
 好きな人たちが、やはりプロフェッショナルのスキルと、それから知見というものが伝えられるようなものができたらいいなというふうに思っています。簡単ですけれども。

(水野) 伊東さんは作り手でありながら、一方で買い手との間のつなぎの役みたいな仕事もされていて、経験の中から幅広いご提案をいただいたと思います。コーディネーター役で言えば、黒川さんはプロダクトの方でも建築の方でもコーディネーターをやっておられますので、その辺のことも含めてお話ししていただければと思います。
 

 黒川雅之

 黒川です。夢ではなく、結構厳しい状況の話が最後というのはまずいなと思うのですが。とにかく今日、チャンスをいただきましたので、お話をさせていただこうと思います。
(以下スライド併用)

●どこの産地もそうですが、どうしても自治体はどう作るか。「組んで何かいい作品を作ってください」「何か作ってください」というお話ばかりで、作って展覧会はするのですが、その後、物が世の中に、世界に流れるということが大体ないのですね。
 これは金沢21世紀美術館でやりました展覧会の会場の様子ですけれども、昨年度私が担当しました、当時はかなざわごのみと、今でいうおしゃれメッセの前身になりますか。幾つかの作品を作りました。
 こうやって展覧会をして、「とても九谷焼とは思えない」とか、様々なのいい評価は得ましたし、その後東京で展示会をしまして、海外の人たちに大変好評で、欲しい欲しいと言ってくれたのですが、現実には品物がなかなか、動いているわけではございません。

●このような展覧会をした後で、ちょうどそのころ、僕がKという、黒川のKですが、自分でものをデザインするというのは、絵に描いたもち。もちを絵に描くだけですから、本当のもちにしたいなと。そして、作るところと売るところが自分の手の内にないと、どうしても自分の思うようなものが生まれてこないので。では自分の組織の中でつくり、僕の意思の下に売るという形を取りたいと思ったのですね。それで、Kという会社を作ったのですが、十幾つあるルールの1番目は、「売れるものは作らない、作りたいものを作る」というルールを設けて始めています。

●その具体的な話はこの後させていただきますが、その前にまず一つ、日本のDNAというような見方をしたときに、どうしても、さあ金沢だ、京都だというふうに行きがちです。その前に僕は、日本人が黙って作ればジャパンブランド。もう日本人ですから自然に日本的なものが生まれてくる。僕が日本の伝統など考えないでデザインしたものを、海外の人たちは「すごい日本的だ」というふうに評価します。それこそ僕はまず表のDNA、表のジャパンブランドだと思っています。
 ただ、今回は、むしろ日本人の血が作り上げたものではなくて、長い歴史によって培われてきた素材と、その素材を加工する技術、そしてそこから生まれてきた文化のようなもの、これが伝統工芸だと思いますが、そういったものがまず先にあって、それをどうする、どう生かすということから、次のステップに歩かれていくわけですから、これを僕はちゃんとやらないといけないと。海外にはそうないのですね。このような伝統工芸というのは、ほとんど僕は外国にはないと思うのですけれども、これを裏のDNAという言い方をしております。
 ですから、本当は僕は日常的には1をやり続けているのですが、今回のテーマでは2の立場を取ろうとしていると言ってもいいかもしれません。

●「都市の発信力」というテーマですが、発信力というのは何といいますと、やはり1番目に僕は人だと思うのです。二つ目は文化。文化というのは何かというと、ある人に言わせますと、哲学者のせりふですが「記憶の集積」という言い方をしていました。僕はそれにプラス、「夢」と言おうと思うのですが、文化とはそこまでの記憶の積み重なりと、そしてそこの現在、今の時点でのこうありたいと、この先の記憶、まだできていない記憶へ向かうビジョンのようなもの、これが文化だと思います。そして、人と文化と、もう一つはやはり産業なのだろうと。やはり産業、すなわち経済は、今の社会ではもう当たり前に、日常生活一つ息をする、その息にさえ産業という切り口がかかわっていると思いますので、この三つかなと思ったりしています。

●そこで、すごくドラスティックな、すごく厳しい、今悩んでいることをそのまま説明します。Kでいろいろな商品を作りますね。作った商品をどのような掛け率で流していくかというとき、今海外にはディストリビューターがスイスに1社、台湾に1社、アメリカに1社あります。現在のKの売り上げの7割は海外に輸出という形を取っているのですが、もう非常に厳しい要求が来ます。まず、国内での消費者に渡る上代を100としますと、計算していくと、海外では何が何でも140以上にはしたくない、130か120にしたい。日本のプライスと海外のプライスの差が大きすぎると、今は情報がすごく発達しているから、すぐばれてしまって、「なぜスイスではこんなに高いのだ」というふうに言われてしまうから、何とか140で抑えてほしいというふうに来るのです。
 140と海外の上代を決めた上で、ずっと途中の取り分を計算していきます。プロダクションというのは、現在はK、私の会社ですが、場合によっては金沢の問屋さんというふうに言ってもいいですね。問屋さんが輸出しようとする場合には、30で送りますと、関税と輸送費が加わって、海外への総代理店は35が原価になるわけです。大体その2倍で海外の総代理店は海外の小売店に渡します。これで70になります。その2倍が地元の上代になります。こういう計算でずっといきますと、メーカーには、あるいは職人には、10しかないのです。先ほど三越が15%という話は、もう、むべなるかなですが、要するに、海外で売っている。それをまた日本も合わせなければいけませんから100から計算していきますと10%、10分の1で作らなければいけない。職人の文化を何とかしたいと思っているのですが、徹底的にたたかなければ成立しないという、とんでもない事態が背後にあります。これはどうしたらいいか。これは海外からの要求です。
 それに対して、もうオンラインショップでもやればということになっていくと、メーカーが30という数字が出てきました。ただ、オンラインショップで海外120に抑えて、海外120でやれば、国内100で非常にいいように思うのですが、現実には日本から輸入したものをオンラインショップだけで売るという会社はないのですね。必ず卸をしながらオンラインショップもやる、あるいは現実に販売、小売りをしながらオンラインショップをやるということになりますから、こういう数字は仮想としてはあり得てもあり得ない、現実には不可能な数字なのです。

●現在Kではどうしているかというと、海外を160、国内は100、これが現状です。これでずっと細かく計算をしていきますと、メーカーさん、あるいは職人さんに払えるのは18程度しかない。これは先ほど10%でしたが、海外上代に比べて11%しかない。もうこういう状態ですと、例えば1万円のものを作っても、11万円のものになるわけですから、とんでもない高いものになっていくのです。ですから、これはもうほとんどルイ・ヴィトンですね。ルイ・ヴィトンと同じぐらいにスーパーブランドだというふうに考えなければ、もうあり得ないなというふうな形に結論が、もう近ごろ出てきています。

●ただ、理想形はこんなふうに、不可能がない形があります。アップルが事実そうです。アップルが作ったものを直接、もちろん下請けで台湾で作っていたり、いろいろなところで部品を作ってどこかでアセンブルさせて、アップルはメーカーといいながら自分のところで作っていませんから、OEMで作っていますから。それを全世界で直営店で売っていますね。ルイ・ヴィトンもそうですけれども、こういう形を取ればかなりいいプライスで、上代と下代との関係が成立すると思うのです。ですから、究極はここへ向かわなければいけないのですが、今では、これをやる、すなわちプロダクションに相当する人が登場していません。Kもそれは不可能です。資金力がありません。資金力があって、なおかつこの組織力、販売力を持つような人物または組織の登場を、どう金沢市は演出していくかということになると言ってもいいのかもしれません。

●そこでちょっと、現在の、いわゆる金沢の商品になるもの、美術工芸品というのはどんなものなのかといいますと、そもそも最初に、お客様は殿さまだったわけですよね。殿さまがお客様であった。その人たちに作ってどんどん今日まで来たのですが、過去の生活、これは言い過ぎかもしれませんが、言い方を変えますと伝統的生活人ですね。お茶をやっているとか、和服を着て和室でちゃんと生活できるとか。まだ日本には茶道というものが組織立ってあるものですから、まだまだそれなりの人口が確保されていて、そういう人たちのために伝統工芸が生きている。釜や茶わんなど、そういうものに生きていると言えるのですが、でもこのところのように高級品が売れないような時代になってくると、なかなかこれも難しくなるのです。
 言い方を変えますとそれは、現在の伝統工芸は、日常的用途を失った芸術品(魂)だけになってしまって、肉体のない作品、商品なのだと言ってもいいような状況にあるのだろうと思います。そんな状況のときに、経産省やその他、地方自治体が今日までやってきたやり方というのは、何とか日常品のマスマーケットにして手に入れたい。この漆は何とか普通の人たちも使うようにしたいなどというふうに考え、量産可能な技術開発をして、木をくった木地ではなくて、プラスチックで成型をした、その上に漆を塗るというふうにすれば安くできるではないかというふうにし、その技術を開発する。このようにやることによって、実は日本の伝統工芸の技術と文化を崩壊させてきているのです。伝統工芸の自滅を追い込んできていると言ってもいいのではないかと思います。

●僕もそれに近いようなことを過去20年くらいやってきています。島根県でもお皿を、ニューヨークでステーキを食っている島根県の皿という、島根の窯元十何社と一緒に開発したりしました。しかしニューヨークで売れるだけのプライスにするためには、そこの窯でやっている職人さんたちに、「もっと安くしろ、もっと安くしろ」と言わないと、ちゃんとニューヨークで売れるいい値段にならないのです。僕は何のためにこれを始めたのだ、値段を安くしろと、たたくためにやっているような自己嫌悪に陥る状態だったのです。
 そこで近ごろはすっかり方向を変えまして、マーケットのサイズが小さくてもいいから、もう個性的だと、素晴らしい作品なのだと。もうニッチな、大変ニッチなマーケットなのだ、それでいいのだと。どうせ手で作るのだから少量生産で芸術性の高い、しかし高価なマーケット、そういうものを狙っていくというふうに決めてしまおうと。そうすることによって、伝統の保存や、あるいは崩壊しかかっていた伝統の再生も可能になると。何せいいものを作ろうというわけですから。
 そしてニッチなマーケットということは、数が例えば年間に10個しか売れないというのでは困るわけですから、10の国に売れば、同じニッチでも10倍、すなわち国内、日本で年間10個しか売れないものが100個売れることになりますよね。1000個しか売れないものが1万個売れることになります。そのように、やはり頭からマーケットを世界に求めるしか方法がないというふうに気づいたのです。

●そこで、マーケットは世界の知的なセンスのいい、美を愛する人のために、創作の姿勢はビジネスではない、究極の逸品づくり、もうそれに徹底する。そう考えてメモをしてふっと振り返ってみますと、これはルイ・ヴィトンの姿勢であり、ヨーロッパのスーパーブランドと言われているものの姿勢であり、成り立ちなのですね。そこで、そういう方向での販売のチャンネルをどのようにしたらいいかということも考えていくことになります。いわば、産業と文化の掛け算のようなビジネスモデル。これはビジネスモデルだけではなくてカルチャーモデルでもあるのだと思います。究極の逸品づくりで、これは商売ではないのだよと言って作ったものは、結果的にたくさんの人の評判を得てビジネスになってしまうという、こういう世界ですね。売れるものを作らない、私は作りたいものを作ると、真剣に作りたいものを作っていれば、気が付いたらそれは結果的に売れるものになっているというような、裏返しの方法しか今は見つからないという感じです。

●そこでプロダクションというものの登場が待たれるわけで、Kという会社がその試みを始めています。プロダクションとは企画、デザイン、マネジメント。プロダクションマネジメント、営業、供給をする配給をする仕事ですから、あとは実際に生産するのは自分たちではないです。別に僕は実際の生産はしていません。このKという会社は、実はK−STUDIOという僕の設計デザイン事務所とDESIGNTOPEというインターネットの会社と、そして今度つくったKという会社の三つの三角形の会社なのですが、そこにアライアンスのメーカーが20社くらいがいます。ハードウエアをそこに任せ、ソフトだけをこちらがやるという形でコラボレーションする。その一例が、金沢市の漆の職人さんだったり、桐の職人さんだったりと、僕らは組む形を取るわけです。アライアンスの代理店、海外にはこれらの会社があり、国内には幾つかの小売店を配置するという構造に現状はなっています。
 これだけですと、将来がちょっと危ない。どういうことかというと、僕はもう71歳ですから、アライアンスデザイナーとして、既にハッリ・コスキネンというフィンランドのデザイナーに依頼していますけれども、今後ももっと若手のデザイナーにどんどん依頼していく。僕自身のKのブランドは黒川の作品からスタートして、実は僕だけのデザインではないものになっている。これはイッセイミヤケと同じですね。イッセイミヤケのファッションのビジネスは、デザインするだけではなくて作って販売するというところまで含んでファッションのビジネスがあるわけで、プロダクトでもファッションと同じようなビジネスができるだろうというのが今回の夢だったのです。それと同じように今、一生は引退してデザインをしていません。若手がどんどん登場して、若い人たちがそのイッセイのデザインをやっているという形になっているわけですね。そんな構造が今、やっと体系づけられてきたと思います。

●立場を変えて考えますと、デザイナーというのは、近代になってから生まれた職能ですけれども、すでに職人性を失っているのです。どういうことかと言いますと、本来職人は素材に手で触れて、それを手で加工しながら、ちょっと失敗したりしてフィードバックしながら、いやちょっとこういうふうにするといいかなと考えながら作る。要するに、手で素材に触れながら作っている職人は、素材と会話をしている。素材すなわち地球と会話しているというふうに思えるのですが、デザイナーはそうではない。図面に描いてこれを作れと言っているのです。言い方を変えると、人と会話しているだけなのです。ユーザーであったり、メーカーであったり、チャネラーであったりという、人と会話をする。確かに職人たちには人との会話というのが不足しているので、デザイナーが助けることができるのですが、デザイナー自身も職人のような、素材と直面するということをやめてしまって、エンジニアにそれを任せてしまうというふうになりつつある。このあたりを僕は、一デザイナーとして、職人とのコラボレーションをしたいという、夢で始めたような関係だというふうに言ってもいいかもしれません。

●もう一つ、伝統工芸とプロダクトデザインとの間について。伝統工芸はかつては用途と美があったのが、今は用途が希薄になってしまった。「素晴らしいね、このお盆は素晴らしいね」と言っても、お盆を使う家庭がほとんどいなくなってしまった。そういう状態ですから、美というのは宙に浮いている。素晴らしい芸術作品だけれど、美しくてたまらないのだけれども、何に使ったかといったら「分からない」「置いておこう」「飾っておこう」というふうになってしまうのです。プロダクトは用途と美をきちんと持っている。これらの見方から言えば、伝統工芸に必要なのは、用途の復活をすることだろうし、そこに美というものをプラスして商品化するという視点を持てば、金沢の伝統工芸も、世界である存在価値を持つようになってくるのではないかという仮説が見えてきたわけです。

●昨年は「伝統の再編集」というタイトルにしました。これはどういうことかといいますと、現代の用途を復活させながら、美は、彼らが長い間培った美を継承しようと。だから、編集者の目であって、決してつくるというデザイナーの目ではないのだぞということを言っているのです。
 一つの雑誌を作る場合に、雑誌の編集者として僕は動くけれど、中のすべての原稿はそれぞれの著者に書いてもらう。これと同じように、職人たちにものを作ってもらおうとしているというふうに言ってもいいと思います。

●出来上がった、 現在プロダクションKというこの会社は、デザイナーとのアライアンス、マニュファクチャーとのアライアンス、そしてディストリビューターとのアライアンス、この三つのアライアンスの関係を持っています。このアライアンスの関係をちょっと模式図にしますと、システムとしての職人と僕は言っているのですが、Kは例えばミネルバという会社と、ZOといういすを作るためのアライアンスの関係、コラボレーションをしています。そこにはまた小さい子供のような外注先があるのですが。また別の作品、高岡のタカタレムノスと組んでMETAPHという、ちょっとした小さなテーブルを開発しました。もうこれは、こういう別のネットワークを持つわけですね。
 これが、20くらいずっとあることによって、ハードウエアは彼らの技術に依存しながら、僕たちはソフトを担当するような会社組織が、現在までに生まれています。ですから、東京でも、西麻布3丁目というところでもできるのです。在庫は彼らがしてくれますから、在庫は基本的にゼロ。特殊なケースの幾つかがありますが、基本的には在庫ゼロでこれが運営できるように、現在のところなっています。

●こうやって出来上がったディストリビューターたちがいますと、例えばプラスチックの成型品があるのですが、どうしてもオーダーを中国で作らないと値段が合わないということになって。実際に中国で作ると200円でできるとしますと、それを作るためには7500個注文してくれというのですね。7500個、そんなリスクは抱えられないので、むしろヨーロッパの会社やニューヨークの会社、その他に、では「3000個買って」「2000個買って、あんたのところ」「うちは500だけで勘弁して」という話を、注文を取って、半分ぐらい受注生産の形を取り、残りを見込み生産というふうに考えることで、ほとんど購入金額が、販売した収入とイコールになってくる形です。それで採算が取れる。要するに、資本がないデザイナーでも、中国に1万個、7000個という発注ができるような仕掛けが出来つつあります。今、二つ目の商品に取りかかっています。

●こうやって、二つのアライアンスをしていくわけですが、そうやって生まれた幾つかをざっと見ていただきます。中国で景徳鎮の技術者を使って作っている大皿があります。40cmぐらいの直径です。中が真っ白で、外に、裏側に中国の明時代の絵を描かせたものです。これは多治見で生産しています。本当にプレーンな皿です、食器ですね。

●もう一つはアルミの伝統工芸。高岡の伝統的な金属鋳造の技術を使って、アルミニウムで作った部品にパイプではない、無垢の棒をねじでとめれば出来上がるテーブルです。これはノックダウンできるから、海外への輸出がしやすい。トップをトレーでこんなふうに乗せることもできる。同じアルミ鋳造で作った時計もやりました。アルミのエクストルージョン(押し出し成形)による棚は、まだ海外へ輸出していないのですが、棚板は現地調達にして、フレームだけ輸出するという話で、これから動きそうにです。
 これらは、現実には、全然伝統工芸に関係ないのですが、黙っていても僕は日本人だから日本的な感覚のものが生まれると。DNAは日本だと言えるようなものです。

●このようないすや、プラチナとシリコンのジュエリー、あるいはゴムだけでできたステーショナリー。これは40年前に作った、ニューヨークのMoMAのコレクションにもなっているGomというシリーズです。40年たってまだいまだに販売しているという奇跡的な商品が、今ごろになってやっとヨーロッパとアメリカで、ちょっとブレイクしそうに注文がいっぱい、1000個みたいなオーダーが来るようになっています。

●山形で作っている鉄瓶です。僕のテーマは常に、日本の職人がそうであるように素材です。もう素材にほれ込むところから始まるので、ゴムというのにほれ込んで始まり、これは鉄にほれ込んで始まっています。このようなステーショナリーであったり、あるいは食器類、酒器、これはみな鋳鉄で出来たものです。

●それから、かなざわごのみでやりました、セカンドで、今年度発表しますのが桐工芸、漆器その他、このような燭台で展開しています。金箔も燭台にしました。セカンド、2度目ですね。金額が高いです。例えば、ちなみにこの金箔の漆のものに関する値段は、4万何千円が日本での上代ですから、恐らく160%ですと、ヨーロッパで7万円ぐらいですから売れるとはなかなか思えないですね。それでも何とか頑張ろうと思っています。

●かなざわごのみに作った九谷焼ですが、このように情景の中にあてはめて、かなざわごのみに関しては金沢の商品に関しては、ちょっとお見せしようと思います。

●この写真は能作さんですね。金箔も、木目をそのまま埋めないで作ってもらいましたから、非常に不思議な魅力があります。

●現代的な空間にもしっかりと合う。ですから、ニューヨークやパリでも、どこでもぴったりと使えるものだと僕は思っております。

●作る発想から売る、売れる発想へシフトすること。国内での販売から海外への販売ということも、発想を増やすこと。日本は人口が1億何千万人いたものですから、長い間国内だけのマーケットで十分足りたのですね。ほとんど日本の国民の九十何パーセントが中産階級ですから、ほとんど考え方や美意識も同じなのです。そこでソニーにしろどこにしろ、家電屋さんのテレビも、大量生産が可能だったのです。
 ところが、デンマークや北欧、ヨーロッパの国々は人口が少ないので、最初から海外へ輸出することを考える。だから、掛け率の話をしたように、海外へ輸出することを大前提にプライスの考え方からすべてを煮詰めていくのです。日本はまず日本で考える。日本でこういう値段でこうやって売ろうと考えた上で、「何とかうまく海外へ売れないかな」と思うから、全部失敗をしていると言っていいでしょう。ですから、海外で売るということをまず主軸に考えて、ついでに国内に売るような発想がいるだろうと。

●何とかできないかというので、コストの低減化というのは駄目ですね。実際に不可能ですね。職人さんをたたくわけですから。チャンネルの短縮化、直営店を展開する。ハイエンドのスーパーブランド化。これも、今具体的にできる方法。この三つしかないのではないかと。そんなことで、僕が少しでもお役に立てればということで、一種の製造から流通までのマネジメントをする会社をつくり、それをプロダクションと称してやっているというふうに言ってもいいのではないかと思います。金沢ブランドをスーパーブランドにするにはどうしたらいいかというので、八つテーマを出しました。果たしてこれが解決の方法になっているかどうか分かりませんが、方向として。
 産業を見据えながら文化として育成する。どうしても産業という目で、経産省その他が、とにかく産業振興として補助をし、産業振興として文化を、地場産業を、あるいは伝統工芸を見てしまう。それは間違いである。むしろ文化の育成として考える。そのシフトがまず第一番に重要ですよと。もちろん、結果的には絵画もアートも、アートの産業になるわけでして、アートをどのように値段を上手に上げながら売るかなどというのはどこでもやっているわけです。そういうことから考えれば、文化として育成するといいながら、それはちゃんとビジネスなのだということでいいわけです。それを見据えながらなのです。
 二つ目は、伝統的生活の道具から現代的生活の道具に変えない限り、やはり飾り物になってしまう。中国でもそうですし日本でも、ほとんどの九谷焼は使うためではなくて、飾る絵皿になってしまっています。ですから、茶道具を忘れなさい。もちろんそういうマーケットはあっていいのですが、茶道具を忘れなさいというのが2番目です。
 三つ目は、日本のマーケットから世界のマーケットへということを主軸に考えなければいけない。だから、百貨店での販売を捨てなさい、あれはもうほとんどつぶれてしまったチャンネルだと言ってもいいわけですから、もうそこで売ることを考えない方がいいだろうと思います。
 4番目は、地元からの発想というのは大事なのですが、むしろここでは世界からの発想。向こう側から見ましょうと。世界の向こう側から、太平洋の向こう側から見ないと駄目だと。外部からの知恵と思想を導入する。金沢21世紀美術館の館長さんは今まで市民でしたか。全然、過去、蓑さんもそうですし、秋元さんも金沢市民ではないです。今は市民かもしれませんけれども。すなわち、もう外の発想だったから僕は成功したと思いますので、地元からではなく世界から発想しましょう。
 5番目、行政の発想から私企業の発想へシフトしましょう。どうしても、行政から発想をしますと、6番目のことにつながっていくのですが、要するに、出し抜くことがないのです。行政が指導したら、絶対みんな平等にやらざるを得ないのですね。競争の原理というのを導入することができないのです。だから、地域ぐるみではなくて一人勝ちで、もう出し抜いて成功する企業が1社出るという状態を演出することが大事です。
 それから、7番目は究極の逸品づくり。もうそれに徹して、ビジネスのために作っているのではない。売れるものを作っているのではない。美しいものを作っているのだということに徹底的に集中していただいて、職人さんには。その支援をすること。それをやっていれば結果的にスーパーブランドが生まれ、最終的には世界の名品がビジネスとしても成功するように誘導されていくだろうと僕は思います。
 最後に、どう売るか、売り方というのが今回のテーマですからあえて加えましたが、どう売れるかということが大事です。女性にほれることは結構簡単ですよね、ほれればいいのですから。でもほれられるというのは難しいのです。商品も、売るというのはある意味簡単です。「買って」と言えばいいのですから。でも、売れるというのは、向こうから買いたいと来ることですから大変なのです。

●売れるという状態、それをどうつくるか。それは逸品づくりをすることであろうし、文化というものを育てるのだという、お金を無視した姿勢であろうし、世界から見るということであろうし、等々と一応結論を持っています。以上です。

(水野) 輪島塗、あるいは加賀友禅、あるいは九谷焼。それぞれの業界のことも、地元ではかなり支援していて、地元では何とかしたいという発想の中で大体動いているわけですが、そんな中で、黒川さん、いろいろな明快な提案をいただいたかと思います。
 ちょっとだいぶ時間がなくなってきたので、山口さん、続けて、突然現代アートになってしまうのですが、よろしくお願いします。
 

 山口裕美

 はい。伊東さん、それから黒川さんという、私のあこがれている大先輩の後を引き受けてやるのはとても荷が重いような気がしますけれども、17歳の遼くんも一生懸命頑張ってゴルフをやっているくらいですから(笑)、言いたい放題を言わせていただこうと思います。
 今回、先ほどおしゃれメッセの話が出ました。そのときに、鴻池朋子さんの「異界からの客人」というのをプロデュースさせていただきました。ちょっと、自己紹介を兼ねて少し話をします。私は、日本は文化のブラックホールだということをずっと訴えておりまして、いつも情報を得るばかりで発信しない。東京は文化のブラックホールだし、もしかしたら金沢も文化のブラックホールかもしれないと思います。だったら、発信しなければいけない。
 それで、『Warriors of Art』という本は5冊目の本なのですけれども、ようやく英語で出版ができまして、出版してから1年たったところでようやくいろいろなところに届いていて、リアクションが始まっています。先ほど伊東さんから、テキストとともにカタログをというようなお話がありましたけれども、やはり、何かを世界に発信するときには、きっとテキスト、そして思想、哲学も一緒に出していく必要があるだろうと思います。
 日本の美術館で行われる展覧会のカタログというのは、なかなか評判が悪いです。なぜかというと、多分翻訳の人を非常に手身近なところでお願いしているからではないかというふうに一つ感じています。もっとプロフェッショナルな人に高い翻訳料を払って、ちゃんと的確なテキストをやれば、世界に出ていけるのではないかなと非常に強く思っていまして、ぜひ英文の方の監修はちゃんとやっていただきたいと思います。ちなみに今年、1カ月だけで作ったこの本もバイリンガルで出しましたので、いろいろな美術館に入っていて、ちょうど10日前にパリに行ったら、ポンピドゥーにも置いてあってとてもうれしかったです。
 さて、ちょっとアートの「売る」という話が出るということだったので、商品開発的なこと、企業と一緒にやったものというのを少し紹介します。私は、実は自称現代アートのチアリーダーというふうに言っております。長い間、要するにサッカーのフィールドの中でアーティストは選手のように戦っていて、観客ほど離れてはいない、しかしフィールドに立って試合はできないが、フィールドのそばにいるということで、チアリーダーと言ったにもかかわらず、最近あるアーティストに「山口さんもいい年なんですから、そういうミニスカをはいてポンポンを持って踊るのはやめてください」というふうに言われて、「えーっ、アメリカでは成績優秀者しかなれないのに」というふうに言った覚えがあります。
 アーティストを応援するということが私のテーマなのですが、アーティストにも2タイプあって、結局アートに近い、表現をやる仕事をしたい方がいる一方で、アートとは全くかかわりのないところで仕事を、お金もうけをしたい。例えば、道路工事をやってお金をためて自分の作品を発表するというような、志が非常に高いアーティストと両方います。私の場合は少なくとも、お金になるかもしれないような企業との仕事をアーティストに振るけれども「やる?」というようなことを言ってやっています。

●「HIBINO IN SYDNEY」というのは、金沢でも展覧会をやっていらっしゃる日比野克彦さんと一緒にやったもので、オリンピックのときに、MIZUNOと一緒に作ったものです。日比野さんが粘土で作ったものを造形師にお願いして小さくして金めっきにしたものです。左の方から、カンガルーがあったり、ブーメランがあったり、オーストラリアの文化にちょっと配慮しつつ、スポンサーになってくれたMIZUNOとか、そういったものにもやる。これをワークショップに参加した人に、1回参加してくれたら1個あげるということで6種類やったわけですけれど、やはりシドニーの住民の皆さんは六つ欲しくなりまして、毎日のように来てくださって、イベント自体は非常に大成功したのです。プラス、このうわさがアスリート本人にも届きまして、やはり欲しくなったのですね。それで、オリンピック大会委員長からじきじきに「山口さん、大量に欲しい」というふうに言われまして、柔ちゃんをはじめ、Qちゃんもそうでしたし、サッカーチームも、日比野さんはサッカーが大好きですから、全員に1個ずつ、枕元に置けるように配ったという思い出があります。ちなみに5年後ぐらいですか、2005年にスパイラルでチャリティーオークションがあってこれが出品されたのですけれども、15万円という値段が付いて、ちょっと驚いてしまいました。ちなみに、これはもちろん金めっきでございまして、実際の値段は1個600円もかかっていないという感じです。

●それから、同じようにおもちゃメーカーのCUBEというところと一緒に、アートなおもちゃ、大人が楽しんでもいいようなものを作れということで、作ったのがこのシリーズです。アフロな侍、アフロサムライ、それからスメリー人形など。バンロッホというものは、井口真吾さんといって、「ガロ」という同人誌で15年間ずっと一つの物語だけ連載していた非常に貧乏なアーティストの作品だったのですが、これが機会で、バンプレストというゲームセンターに入っている会社と契約しまして、今では非常に裕福になって、私に足を向けては寝ないといつも言っています。一度もおごってくれないので、おごってほしいと思っているのですけれど。ちなみにアフロサムライは、ちゃんと劇場公開用の映像作品になりまして、今ハリウッドで声優をやってくれていたサミュエル・エル・ジャクソンが実写版をやってくれています。

●それからアートな日本酒。こちらも、「HIBINO IN SYDNEY」のときに、何かいいことあるよというのがみんなが欲しくなるものだなと思ったので、金沢のおいしい、福光屋さんに私、強引に提案しまして、アーティストのミヤケマイさんと作ったのが「六瓢息災」というものです。六瓢は六つの瓢箪ということになりまして、瓢が全部かかわるお話になっていまして、ちなみにボトルは九谷焼です。問題はこのおまけで、ミヤケさんは平面を書く絵描きなので、立体化するのはやはり大変で造形師が必要だったのですけれども、彼女が描いた平面を非常に的確に作ってくれる優秀な腕を持つ造形師に知り合いがおりまして、六つのおまけが付いて、それぞれにいろいろな意味合いがあります。例えば左下のナマズが付いているものは「地震のときに持っているといいことあるわよ」というようなことになっております。

●おしゃれメッセのときには、3日間だけ金沢市役所が管理しておられる茶室を使わせていただきまして、鴻池朋子さんの「異界からの客人」展を行いました。これには、私なりの目的があって。鴻池さんを金沢にご紹介する。彼女は言うまでもなく素晴らしいアーティストですし、彼女のキャリアの中で10年間絵を描かなかったという期間があって、いわば遅咲きというか、遅いデビューを果たしたアーティストだったので、それも含めてぜひ知っていただきたいというのが一つ。それから、地元の企業とコラボレーションができたらしたいということ。そして三つ目は、この茶室をぜひ使わせていただきたいということなのです。前例を作りたいというふうに思ったこともあります。

●今回会場に使わせていただきましたのは、中村記念美術館の庭にあります、旧中村邸です。旧中村邸は、1928年ですから80年前に建てられたもので、中村酒造さんの邸宅だったところです。庭も素晴らしいし、離れになったところにある梅庵という小さな小間があるのです。皆さまの方が詳しいので、私が釈迦に説法で言うのを許していただきたいのですが、梅庵の方は本当に、真・行・草というお茶のテーマになってあります、いわゆる楷書・行書・草書みたいなものが、すべて詰まっている小間でして。それが本当にお茶が好きな人だったら、例えば口切りの茶会などに使っているようなところのようです。

●実際の展示は、入り口に鴻池さんの展覧会のご案内があって、ここに少女の脚があります。これは鴻池さんの絵の作品の中に出てくるテーマでもあるのですが、アートがありますよ的な、アドバルーンみたいなものだとご本人も言っておりまして。最初にこれを設置して作業している途中から、観光客の方、小学生の方、それからお買い物のお帰りのご婦人方とか、「ギャー」と悲鳴が聞こえたと思ったら、デジタルカメラで撮影しているというような状況が続いて非常に面白かったです。
●中村邸の1階、標本箱の中に彼女の童話の原画を展示しました。

●12畳ぐらいの一つのお部屋では、鴻池さんの映像作品。この映像作品も、手書きの原画をアニメーションにしたもので、3万枚あります。ここは地元の花屋さんとコラボレーションさせていただきました。

●そしてもう一つの、先ほど言いました真・行・草が詰まっている梅庵の方は、京都在住のアーティストの八木良太さんとのコラボレーションというのをやりました。この作品はちょっと分かりにくいのですが、本当は真っ暗なところに、下にモニターがあって上に照らしてあって、ぐるぐるオオカミの毛皮が敷いてあるのです。オオカミの毛皮も鴻池さんの作品のテーマになっておりまして、これは「リングワンデルング」という名前が付いているのですが、よく山登りに行ったときに迷子になった人がぐるぐるしてしまうというのが一つのテーマになっています。

●金沢21世紀美術館の方の松涛庵の入り口でも、同じようにアドバルーン、アートがありますよという感じになりまして、ここも撮影スポットになりました。

●作業中の鴻池朋子さんの写真です。ここにありますのが、六本脚のオオカミで、それもまた彼女の絵の中に登場するものです。そして、これは鏡を全部細かく割って、曲水の部分にインスタレーションしたもので、彼女の世界観、今まで見ていたものががらっと変わるというようなことも含めてやらせていただきました。

●松涛庵は、加賀藩13代の前田斉康によって造られたもので、江戸の末期の本当にぜいたくなもののようです。私は改めて撤収のときに床の間を見て驚きました。すごい細工だったのです。
 そして、ここに置いた原画はこんな感じなのですけれども、これが全部手書きで書いておられまして、描写力も含めて、目の中に映って中にみみおが走っているとか、こういうのが鴻池さんのすごさなのです。

●山宇亭です。2回だけ行った茶会では、先ほどまで鎮座していた六本脚のオオカミが実際の茶会に参加してくださいました。この写真がお茶会のときに裏方に回っていただきましたお茶の先生と、六本脚オオカミが握手しているところです。

●菓子は、はしづめ菓子店さんという方にお願いして、オリジナルのお菓子を作っていただきました。これはまだ製作途中なので、後でもうちょっと。ではここで映像をご覧ください。

【ビデオ上映】

 やはり動画でないと分かりにくいですね。おかげさまで3日間全部晴れまして、入場者数は2000名を超えました。これが松涛庵です。普段は立礼でお茶会が行われています。小さい子が来て、こういうところですごくはしゃいでくれるのは、アーティストにとってすごくうれしいことです。茶室は、思ったのですけど、明るさを雨戸によって調整できますので、実際は原画ですので直射日光などは非常に避けなければいけなかったのが、非常にうまく調整できました。これもやってみて分かったことです。モニターを上に置いて下にスクリーンを張って、そこの周辺に小さな木を置いて、池のような仕立てになっていました。
 そして中村邸です。中村邸は2階の方をお茶会で使うことが多くて、下の1階の広間は待ち合いに使うことが多いというふうに伺っています。ですが、庭を全部全開にしてやって、お茶会はなかなか面白かったです。予想をはるかに超えたのは、この花の香りです。いろいろな、3種類の花を1000本使ったのですが、むせかえるような香水のにおいがして、すごかったです。2階では床の間全体をスクリーンにしています。大事に育っているコケは避けて、傷つけないようにしてインスタレーションしました。鴻池さんは途中でクモの巣を見付けて、何か一つ歌を書いたりしていました。
 梅庵です。八木良太さんの映像です。上で流れているのは映像なのですけれども、星の王子さまの中に出てくる疑問符、王子さまが問いかけるもの。それを全部映像で流しています。ひっくり返って寝そべって見るという趣向でした。
 これが茶会です。オオカミの口がちゃんとほえる形になりました。良かったです。後ろにある掛け軸は、森村泰昌さんの「美の病」というものです。これは、上の句、下の句で言葉遊びをして、ワークショップをして、最終的には辰巳用水の、本多の森の方に六本脚オオカミは帰っていったというふうになりました。ありがとうございます。

【ビデオ上映終了】

●近況報告はここまでで、デザイン&アートも売るためにはどうしたらいいかと、いきなりこんな芸術的な話になるのですが。私はやはり、デザインプラス機能の時代ではないかというふうにまず思っております。2番目で、10日前にパリフォトという写真のアートフェアがあってパリに行っていたのですが、パリで非常に面白い話を聞いたのです。36年パリに住んでいる黒田アキさんというアーティストにインタビューして、アトリエも行ったのですが、ご出身が京都で、黒田さんが一回京都に帰ったときに、すごくセンスのいいモダンな京都風の器があって、いいなと思って、「これはどこで作っているのですかね」と聞いたら、「申し訳ございません、これはパリで買ってきたんですよ」というふうに言われてしまったと。パリというか、フランス人はそもそも応用力が非常に優れていると黒田さんはおっしゃっておられまして「日本もね、もうちょっと悪賢くなんなきゃ駄目なのよ、山口さん」とおっしゃっておられて、そこには何か含蓄が含まれているように思えてなりません。

●それから、伊東さんもおっしゃっていて、黒川さんもおっしゃっている、欲しくなるもの。物欲をある程度刺激するようなものというのが、本当に欲しくなるものなのではないかなと思います。いわゆるクールジャパンという話がいろいろ出てくるわけですが、コレットというセレクトショップで、澤田知子さんという自分自身がいろいろな人になってしまうという作品を作る写真の作家なのですけれども、その人の展覧会のオープニングパーティがありました。コレットはなかなか賢いのですが、この展示、展覧会のオープニングをやっている場所の1階、ワンフロア下にゴスロリファッションが全部売っているのです。それで、ゴスロリのファッションで駆け付けたのが、パリのもちろんゴスロリが大好きな子供たちで、私が「うわーっ」と言って、日本語で「かわいいね」と言ったら、かわいいは通じまして。早速写真を撮りました。写真の左側は男の子です。ゴスロリの男の子のファッションがあるみたいです。

●それから、実は工芸系の作家なのですが、ガラスを使うオトニエルさんという作家の作品で、地下道の入り口です。こういったことも、もちろんギマールの18世紀の入り口もあるのだけれども、こういったものも、パリはやはり一緒に、同時に置くというのですか。そこもなかなか、賢いやり方なのではないかと思います。

●村上隆さんは素晴らしいプロデューサーだと思います。村上さんの「SUPER FLAT」展というのは2000年に東京を出発して、世界巡回していくのですけれども、そのときにやはり作ったのは、バイリンガルのカタログでした。その中で彼がいろいろ言ったことは、もちろん「SUPER FLAT」のコンセプトもあったし、第二次世界大戦後の日本というのはアメリカの影響が大きくてというようなことがあって、やったわけです。しかし、今、そのトリロジーはもう伝説の展覧会だし、あのカタログはみんな、誰もが読んでいますし。それで今、彼は「村上隆回顧展(C)MURAKAMI」というのをやっていまして、ロサンゼルス現代美術館を皮切りに、今はフランクフルトのMMKでやっているのですが、残念ながらこの展覧会はどうも引き受けが大変みたいで、日本に来る可能性は低いというふうに伺っております。

●ここでまた村上さんが新しいことをトライしておられまして、ルイ・ヴィトンのオリジナルグッズをミュージアムショップで売っているのです。これはさすがにアメリカでも、賛否両論、非難もごうごうだったのですけれども、それをルイ・ヴィトンという大きな企業を説得してやっています。村上さんの成功、村上さんの評価というのは様式ではなくて思考とビジョンです。村上さんが何を考えて何を展開したのかという、このことがもう欧米の美術関係者を非常に納得させたということが大きいと思います。
 ベネチア・ビエンナーレで6年前ぐらいですか、「ラウシェンバーグからムラカミまで」というポップアートの展覧会も行われまして、そこに村上さんは名前を残して入っていったわけですから、素晴らしいことではないかと思います。ただし、スポンサーとしてルイ・ヴィトンが入っていたそうです。

●Ko2ちゃんは、最初に売られたときは多分、300万円か500万円ぐらいだったと思うのですが、1億円以上になったわけだから、そうですね、300倍ぐらいなのでしょうか。

●これが今、「村上隆回顧展(C)MURAKAMI」で売られているルイ・ヴィトンのオリジナルのものです。これをみんなまねするようになるのかどうなのかというのは、私にも分かりません。でも、村上さんは「SUPER FLAT」の直前に、ルイ・ヴィトンのマーク・ジェイコブスから言われて、オリジナルのルイ・ヴィトンを開発して、モノグラム・マルチカラーシリーズという、黒のと白の両方ありますが、あれを展開したわけです。そのときでさえも、それを持っている女の人が村上さんだと分かると、「サインをしてくれ」と。ルイ・ヴィトンのただのカラーモノグラムシリーズなのだけれども、「サインをしてくれ」と、どこに行っても言われたと聞いています。中国の新聞でも、村上さんは現代美術家というよりは、ルイ・ヴィトンをデザインした人というふうに言われています。

●今日は、例えば「お願い、伊東さん」ということで思うのですけれども、例えば機能が付いているものというので、こんなものはできませんか。もう奇想天外というか変なものなのですけれども、例えばペンダントであれば、非常用の薬も含めて、そういう薬が入っているもの。結構薬を入れる、あれは何でしたか、おしゃれなものが全然ないのですね。東急ハンズに行って探しても、大人の女の人が持つようなものが全然ない。それから、緊急用ホイッスルというのは、これはもちろん危機管理のときに、鳴らせばどこでも聞こえるというのも、かっこいいのがなかなかないのです。そしてもちろん、自分のIDタグ。それがペンダントになったらいいなというのがまずあります。それから指輪だったら、足元をちょっと照らしてくれるのがいいなとか、魔法の薬が指輪の中にあって、それを飲むと元気倍増とか、そういうのがあるといいなとか。もちろん、バッグなどもスリッパになってみたり、つえになってみたり。緊急災害時に身に付けているもの、必ず持っているものだったらいいのではないかなというふうに思います。

●それと、もっと奇想天外なことをいろいろ考えてみたのですけれども、金沢発オリジナルのブランドみたいなものを考えたら、こんなのはどうでしょう。最初に金沢学会に参加させていただいたところから、私はずっと、特別なシエナみたいな色を、金沢という色に決めたらどうでしょうかというふうに言っていたのですが、最近、ネイルサロンに行ったときに、ラメ入りのカラーというのは名前がまだないということに気が付きまして。ラメ入りの深緑色を全部「金沢」にしてしまうとか、「香林坊」にしてしまうとか。そういうのは、言ったもの勝ちなのではないのかしらと思ったりしております。

●2番目は、時々金沢出身のアーティストの皆さんとお話をして、「東京で食べられないものがあるんだよね」と言ったときに、非常に単純なものでいいのですよね。食べたいものを短時間に食べたい。それが、横並びでどこの観光地にもあるのではなくて、ちょっとファーストフードでぱっぱっと食べられるものがどこか、移動式でもいいからやってくれたらいいのになとか、チェーン展開してくれたらいいのになと思ったりします。それは、1種類だけでいいのです。それで、それを金沢でぱぱっと食べられたらいいなと。それが駅前だったり空港だったりしたらいいのにと思っていることがあると。メニューは少なくていいのですよね。別にここでコーヒーが飲みたいわけではない。

●それからエコサイクルのときに広告資料を付ける。これはミュンスターという野外彫刻展が10年に1度ドイツのミュンスターでやっています。ここはもう本当に、ドイツはエコ先進国なので、レンタサイクルが盛んなのです。その野外彫刻展をするときに、遠くのところまでありますので、レンタサイクルでしか行けないようなところもあるのです。そのときに、自転車の後ろ側に、単純な真四角のシールを三角にして、そこに企業名が入っていて、それを自転車に付けて、それをくるくるさせながら走っていく。それは特別なミュンスター用のエコサイクルだということも分かるし、広告収入も見込めるという、ちょっと一石二鳥なことをやっているのですね。これはまだ日本では見たことがないので、やったら面白いかもというふうに思っています。

●それから、もう1個は、アーティストにホテルという作品を依頼して、1組だけの宿泊所を作る。これはもう、新潟の越後妻有アートトリエンナーレでもやっています。例えばタレルの「光の館」という建物があって、1日12人まで入れるもので、この右側の上の方が、全部空が開いていて、例の「タレルのへや」になっていて、下は畳が敷いてあるのですが、ここのお風呂場というのがまた絶景なのです。ウェブ上で予約するようになっているのですが、海外からの方がやはり非常に多いというふうに伺っています。アーティストに家をやってみろと言うと非常に喜ぶと思いますし、そこにもし泊まれるとしたら、私は絶対泊まります。

●それから、もう一つ家ということで言うと、西野達さんという方がいて、ご存じのとおり、銀座の数寄屋橋にあるメゾンエルメスの一番上に、「花火師」という像にエルメスのスカーフが付いている、このスカーフですね。ここの上に仮設の小屋を造りまして、ここはさすがに泊まることはできなかったのですけれども、住宅にしてしまったわけです。普段オブジェになっているものが、ここにいきなり下から、床からびよーんと。これを屋上に造ったわけです。こういう作品を得意としている作家がおりまして、彼は中華街でも、横浜トリエンナーレのときにやっていまして。中華街にあるオブジェというか、要するに建物の上にまた仮設を造りまして、ここは1泊できるようになっていたのです。こんな面白い発想をするアーティストが日本人でおりますので、何かいろいろなことができるのではないかと思います。
 以上です。

(水野) ありがとうございました。お三方とも、金沢ではなくて、全国派でございます。先ほど「異界からの客人」というのがありましたけれども、まさに何かそういう感じで、金沢をぐるっと引っかき回していただいたような感じでございます。21世紀美術館が来たときも、まれびと来るという感じで、異界から全く新しい文化がやって来た。そして、今になってみると少しずつ、金沢の町の中に浸透してきている。人々の価値観の中に少しずつ入って来ている。高校生や大学生たちは非常に楽しみにしているという、何かそういうふうな新しい動きが出てきております。
 デザインを売るというのは、多分今の3人のお話ですと、そういった内部だけのデザインという発想から離れていってもいいのではないかと。少し外から見て、外の刺激を入れながら、少し売るということをもう少し考えてみたらどうだと。そのためにも、いい技術、いい素材、いい環境。みんな金沢にあるではないかということを言っていただいたように思います。
 
 

 
トップページへ戻る