開会あいさつ

金沢創造都市会議開催委員会会長
社団法人金沢経済同友会代表幹事
澁谷亮治

 この1年ないし2年でまた金沢が一段と大きく変わったなと痛切に感じられている方も多いかと思う。この会議も一団と磨きがかかって、みなさん方が生き生きと、どこへ行っても金沢を自慢して語れるという会に育っていってほしいと願っている。
 
 
基調スピーチ
金沢創造都市会議開催委員会副会長
社団法人金沢経済同友会代表幹事
飛田秀一
 今回の総合テーマは「都市の引力」。都市の引力というのは、ニュートンが万有引力の法則を発見したということと同じであり、宇宙のあらゆるものが、それぞれに引き合っている。そして、質量の高い方に質量の小さいものが引っ張られる。都市の間でも、同じことが言える。新幹線開業という厳然たる事実に対して、ストロー現象を心配する。万有引力の法則で、当地のヒトやモノやカネが一方的に首都圏に引っ張られてしまうと当地が空洞化をして、大変なことになる。新幹線がなくて、首都圏という巨大な質量を持つ地域と地方が、相当距離が離れておれば、一方的に引っ張られないが、新幹線によって非常に近くなる。今の計画では、金沢−東京間が2時間20分、どんどん車両も改良されていくので、ひょっとすると8年後は、わずかに2時間を切るというところまでいくのではないか。新潟県が東京都新潟区と言われているように、東京都金沢区になっては大変だ。そんなことにならないようにしなければいけない。8年後を見据えた場合に、市民の意識、それから行政の施策、そういうものを重層的にいろんな新しい試みをやって開業を迎えようと考えている。
 都市の引力のサブタイトルは、「もてなしのチカラ、しかけのチカラ、芸のチカラ」である。「もてなしのチカラ」というと、当地には加賀料理があるとか、器も立派だとか、お酒も美味しいなどであろう。
 「しかけのチカラ」は、21世紀美術館が完成し、駅前の鼓門もできた、兼六園も金沢城も石垣もある、たくさんあるということだ。先月29日には、金沢を世界遺産にしようということで、金沢市と石川県が、「城下町金沢の文化遺跡群と文化的景観」というタイトルで世界遺産の暫定リストに加えるよう提案をした。
 「芸のチカラ」というのは、何も芸子さんの芸のチカラだけを言うのではなくて、芸子さんも含めて伝統芸能というものがいろいろあり、伝統工芸や百万石の文化遺産もたくさんあるということ。
金沢は、他の類似都市に比べて格段にいろんなメニューが揃っている。そのことが、金沢の良い面であり、強い面だ。ストローで一方的に吸引されるのではなくて、逆ストローで首都圏からどんどん一方的に引っ張りたいという気持ちはなくはない。そんなことは事実上不可能で、お互いに引っ張り合いをして五分と五分になればいい。放っておくと、五分と五分ではなくて、一方的にやられてしまう。メニューはどっさりあるが、それで充分かと言うと、充分ではないと思う。「もてなしのチカラ、しかけのチカラ、芸のチカラ」というものを、十二分に働かせる。働かせるためには、料理の「隠し味」が必要だ。料理だってやっぱり塩を入れるから甘くなるのであって、そういう隠し味が、極めて大切だ。
 私なりに考えた隠し味というのは、三つほど思いつく。一つは「知ること」。いかに都市の引力を高めるための仕掛けをしようとも、ここに住んでいる人たちの、全員とは言わないが多くの人がその価値を知っていなければならない。そういった観点で、金沢経済同友会が昨年から実施をしている金沢検定を実施している。金沢市でもジュニア検定を今年から始めて、小学校高学年と中学生を対象にやっている。そういう金沢検定も、知るための隠し味の一つだと考えるし、世界遺産登録運動もそうである。
 これは先ほど行政が提案をしたと言ったけれども、実際は金沢経済同友会が何年もかけて必要性を説いてきたものである。この1月中旬と言われる暫定リストの段階で、文化庁が文化審議会にかけて、現在提案されている24の候補地の中から、いくつかが選別される。この後、政府がユネスコに申請をする。世界遺産に登録が決まるまでには、相当の年月を要するものであり、うまくいけば、新幹線の金沢開業前になるかもしれないし、ならないかもしれない。いずれにしても、金沢が世界遺産になるということは、都市の引力を高める上でのホームランだと思う。ただ、ホームランを打ったから試合に勝つとは限らない、ホームランを打っても負ける場合もあるので、絶対というわけではない。ただ、世界遺産が、なぜ今必要かということを多くの市民が知る必要がある。日本の国内に向けて世界遺産というのは、間違いなくホームラン。しかし、世界に目を転じると、世界遺産は必ずしもホームランではない。それは世界に500も600もあるからだ。金沢の場合は、「城下町金沢の文化的景観」であり、都市全体の相当規模が面的に世界遺産になるので、非常に影響が大きい。   
 例えば、金沢が生んだ世界的な哲学者である鈴木大拙の記念館をつくろうということ、つくろうという意味を知ることは、これは隠し味だろう。
オーストリアのザルツブルグなんて、だれもあまりよく知らない。しかし、モーツアルトの生まれたところ、モーツアルトのザルツブルグと言ったらみんなはわかる。ワルシャワも知られているが、ショパンにとても縁の深い、ショパンのワルシャワと言うと、さらに世界の認知度が高まる。ドイツのボンは、昔西ドイツ時代の首都であったが、ドイツが統合しベルリンに首都が変わってから、さっぱりどこに行ったかわからないが、これがベートーベンの生誕地となると、これまた「へぇー」ということになる。
 金沢を世界に知らせるという意味で、金沢生まれの人で、世界で一番知られている人というのは、鈴木大拙である。三文豪の泉鏡花も徳田秋聲も室生犀星も、世界の人は知らない。鈴木大拙という存在を埋もれさせないように、金沢市は中学生の副読本を作ったり、ふるさと偉人館で紙芝居をやったり、銅像を造ったり、哲学の道をつくったりされるそうだ。ともあれ、世界に金沢を知らせるために非常に役立つということを多くの市民が知ることが大切だ。
 もてなしについては、加賀料理が美味しいとか、お酒が美味しいということもあるが、サービスということになると、大都会に比べて格段に落ちる面がある。例えば、芸子さんでも、二次会等でバーやクラブに行った場合に、金沢の人のサービスはおかしい。お客さんを大切にするというような視点があまりない。上座の人を大切にするという視点は全くない。お金を出す人だけ大切にする。これでは、本物のサービスにはならない。金沢でどこかへ連れて行ってもらうと、お客さんよりも招待した人の方が喜んでいる。招待された人は、さっぱりつまらないなんていう状態で、サービスの常識というのはまだまだだ。それは恐らく、サービス業に携わる人に対する教育が行われていないからだろう。芸子さんも大切でたくさん増えればいいが、芸子さんにお酌をさせても、知っている人の横へぴったりしてそのまま時間を過ごすとか、そんなような常識外だ。田舎臭いというか、客観的に見ると洗練されていない面があるので、こんなものも直していくというのも、隠し味だろう。
 二つ目には、「艶」。「艶がある」ということは大切だ。「艶」というのは、見た目が艶っぽいというのではない。金沢だと、城下町金沢、文化遺産群、伝統芸能、伝統工芸、お茶とかお花とか、こういうと本当に艶があるだろうか。何となく地味という感じになっていくので、こういう面ももう少し、艶やかさを加えなければならない。
 現に、そういう方向にはいっている。例えばここの地下へ行くと、渋谷の街を再現したような店がずらりと並んでいて、10代後半の人に人気があるのだろう。竪町商店街は10代後半から40代前半までが対象なのか。最近は、駅前に「フォーラス」というのができて、20代半ばから30代半ばが一番狙いの層なのか。また、香林坊にブランドの店があり、30代から50代までがターゲットなのか。こういうことも、艶っぽい、艶やかということとイコールだ。そういう面ももっと充実させるべき。古いものだけなくて、新しいものが加わること。それから、都心に猥雑性のようなものも大切だ。
 昨日政経懇話会ではゲストに野球評論家の掛布さんを呼んだ。その宴席で、掛布さんが一番感動したというのは、若い芸子を20数人入れて、舞台で踊ってもらったことだった。そのことが、掛布さんにとっては、非常に艶やかという感じがしたのではないかと思う。個々の芸子はそんなにたいしたことはないが、たくさんいると艶やかになるものだ。彼は「いやー、京都より素晴らしい」と言われた。京都でおそらく何十人が舞台の上で踊るなんていうことを見てないから感心したのだと思う。そういった艶やかさも、隠し味として大切だ。
 三つ目は、「ふるさと愛」。地域に住んでいることに愛情を持つということが大切だ。これも放っておくと、なかなか愛情というのは持てない。自分が生まれ、自分が育ったところというのは、よく見えない。アメリカのことわざで「隣の芝は青く見える」。自分の家の芝より隣が青く見えるものだ。日本のことわざでは「隣の花は赤く見える」と言うそうだ。隣の花の方が赤く見える。ともあれ、知らないところの方が良く見える。そうではないというような教育は、学校教育だけではなくて、学校教育を含めて自分の住んでいる地域に誇りを持つ、そういうふるさと愛というものが隠し味になっていないと、都市の引力を高めることにならない。
 この後、みなさんそれぞれの視点から、都市の引力を高める手立て、方策についてご議論を賜れば幸いである。

 
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