ディスカッション1
     
進行:大内 浩(芝浦工業大学教授)
   


 木村政雄

「50歳力と都市の引力」
●来年あたりから団塊の世代がリタイアしていくが、よく田舎暮らしとか農業とか言われるが、サラリーマンがそんなことできるわけがない。仕事を辞めた男性は、誰にも相手にされない、名刺に肩書きがないと通用しないという人が多いので、60歳になったら金沢へ行って「第二義務教育」を一年間受けるようにする。金箔とか輪島塗とかを教えてもらって、マインドの転換を図って、今後の人生をもう一回変えていく「トランジットの期間」というのが絶対いるだろう。金沢は、そういう文化とか教養とかが溢れている街であり、近代産業もあり、適当なサイズでヒューマンスケールの街だということが売りだ。

●プロ野球球団結成の話があり、北陸リーグも良いが、セントラルリーグの一球団を持ってくるぐらいのことをやってみたら面白いのではないか。

●日本の国は、右肩上がりの時代を通り過ぎて、これからは平常経済の時代に移行する変り目に来ている。これから大切なことは、売上を獲得するとか、富をたくさん持つとかということよりも「在り方」へ、haveの時代からbeの時代に移りつつある。そういう意味で、街のアイデンティティが非常に求められる。金沢は「金沢らしさ」を、どこにアイデンティティの立脚点を置くのかを考えると、とっても良い街になる。


 小原啓渡

「アートビジネスと都市の引力」
●「アートコンプレックッス1928」旧新聞社ビルを劇場空間やアート空間に転換、「アーティスト専用のレジデンス」倒産した会社の女子寮をリノベーションした簡易宿泊所、大阪の名村造船所跡をアートスペースに変えるプロジェクト、大阪市立芸術創造館を指定管理者として受託運営、などを行っている。

●アートファンドとは、企業や行政からの寄付や支援がなかなか得られない厳しい状況下で、舞台芸術等のシードマネーやお金を確保していくことである。ニューヨークのブロードウェイでの「エンゼルシステム」が手本にある。市民の出資者をエンゼル、バッカスと呼び、彼らは舞台に対して投資をする。投資されたお金を集めて作品をつくり、それがヒットすると、出資者にリターン(配当)が返ってくる。それを舞台に応用するため、小さな取り組みを展開してきた。特定目的会社「SPC」(Special Purpose Company)を立ち上げ、匿名組合契約を結び資金を調達する。まず自力でロングラン公演をして費用や動員力がどのくらいか確認し、次に「セイフティネットとしてのメセナ」をやった。この後、証券会社と初めて連携して演劇を証券化した。一口が2万円、一人最大でも5口までという、文化支援的な意味合いを持ったファンドだった。私募(50名以下)は手続きとか公的書類が簡略化できるのでそれを行い、1回目は損益分岐点を超えて12パーセントのリターン、2回目は約8パーセントのリターンを返すことができた。次に、自分がどういう作品に投資をするのか、その資源を見た上で投資額を決定することが必要になり「バッカスオーディション・トライアウト公演」というのを今年やった。半分ぐらいの作品をつくり、それを見せて「こういう作品に投資していただいたら、これが完成します」というような目的の公演である。

大内 浩
●江戸時代以前は国家や殿様、明治以降は国や行政がお金の出し手であったが、これからは、街を興したり、街に面白いものを作ったりする場合、うまい仕掛けさえあれば市民が投資していく。街づくりに縁のなかったサラリーマンが、リタイアした途端に仲間達で何か仕掛けていこうとするお金の回り方も想定される。


 浜野保樹

「コンテンツ産業」
●スローライフ、スローフード、ロハス、循環型社会や生活という言葉が流行っているが、それは日本人が数百年かけてやってきた生活そのものだ。今海外を見ると、日本的な生活が最先端でカッコ良い。和の生き方こそが最先端であるというコンセプトでファッションウィークに取り組んでいる。

●金沢の一番大きな資産は「口に出して恥ずかしくない」ということだ。街の名前を口に出して恥ずかしくないというのは、ものすごく大きな資産であり、それをブランディングとして利用していくしかない。

●日本の街の多くは「フローの街」。金沢は金沢の街であるという「ストックの街」になっていかないと勝負にならない。

●金沢のブランディング戦略としての「かなざわごのみ」、繰り返して使うもの、単純なもので飽きないもので勝負するために「衣食住」とした。特に、着ることは毎日のことで単純だから誰でも引き込められる。

●黒澤監督の言葉「映像に字幕を入れちゃだめ」。金沢は、イメージで街の雰囲気とか時代をわからせるということがすごく弱い。あまりに分散的になっているのと、「はんなり」とか「いき」とかに匹敵する金沢の良さを示す言葉がない。

●金沢美術工芸大学出身の細田守さんは21世紀の宮崎駿と言われている。同じく宮本茂さんはアメリカのゲームの殿堂の第1号になっている。世界で最も影響力を与えている金沢の関係者、優れた方を顕彰していただきたい。


 佐々木雅幸
 
●引力の反対は斥力、今の大阪には、ものすごく強い斥力が働いている。吉本興業でも松下やサントリーでも、どんどん大阪離れしている。都市が大きくなりすぎた時に廃墟になっていく。田舎から小さなポリス、メトロポリスになって、メトロポリスからメガロポリスになった時が頂点だ。たぶん大阪はもうそれを超えてしまっていて、官僚と一部のメディアとアンダーグラウンドの人たちが支配してしまう専制政治の都市ティラノポリス、その次は死者の都市ネグロポリス。大阪はそういうところに近づいているようだ。

●都市は一つの生き物で、場合によると、もう一度再生していく可能性があるかもしれないと思い実験を始めている。小原さんが紹介した造船業や大企業が沈滞した跡とかで、人々が何か新しいクリエイティブなことを興していく。小さいお金で応援していくシステムを構築し、そこに何か新しい芽が生まれ、それらを繋いでいって、全くこれまでと違う都市の引力が生み出せる。金沢は、廃墟と伝統と両方あるが、充分活用しきれてない都市の資産をどういうふうに再編集していけるか、というテーマがある。


 立川直樹
 
●世界遺産で有名なアンコールワット周辺では、とにかくハングル文字と日本語の看板が氾濫していた。世界中の都市で、看板とか全く無秩序につくられて、景観が破壊されている。誰かが止めないとならない。遺跡手前はディズニーランドみたいなすごい雑踏状態になっていて、情緒もなにもない。世界遺産になったところが、多かれ少なかれ抱えている問題で、登録されて喜ぶのはいいが、そこから今度は逆に破綻が始まっていく。

●ニューヨークの隣バーモント州には看板がない。住民が看板の収入分を払っている。とてもアグレッシブな対抗策だ。目にいやなものがないものを求めてアメリカ中から人が来ている。
大内 浩 
●フィレンツェは、世界中から年間数千万人に近い観光客を集めているが、ほとんど住人がいなくなってしまって、その伝統も生活習慣も残らない。観光地化の怖さがある。


 水野一郎
 
●金沢はある種の「空間の舞台」みたいなものは持っている。そこにどんな演出をするのか、どういうしつらえで続けていくのか、どういう演技や営みをするのかということが重要だ。過去の遺産ではなくて、我々の時代の行動形式やアクションが問われている。金沢が、次の世界遺産になったとしても、五箇山や白川郷のような惨憺たる状況を招かないようにしなければならない。


大内 浩 
●京都には、客に対して最初は取り敢えず偽物を出して、それが偽物か本物かわからなければ、二度と付き合わないという京都人独特のもてなし方がある。

木村政雄 
●京都人のしたたかさは、一番客の少ない2月や3月に、道端に燈籠を置いてライトアップをするだけで、夜の観光客を増やそうとする。このしたたかさを見習うべき。

●大阪の街に魅力がないのは、街の中に大学がないからだ。街にバイタリティはあるけれども知性がない、ということが最大の弱点だ。京都は、大学があることによって若い人が来て、文化が入ってきて、何かうまくミックスされて良い街になっている。

●大阪の伊丹市を見習って色彩規制をやったら良いのではないか。

石川貴洋(北國総研)
●金沢市は、景観の規制がわりと進んでおり全国でも評価されている。看板をはじめとして規制のルールをかなり早くに条例で定めて、色彩についてもあまり派手な色を使わないようにというルールがある。


 三宅理一
 
●世界遺産とは、モニュメントとか建築群が世界の遺産として評価に足るというものである。その周域の整備、住民とか自治体にそれをサステイナブルに遂行していく意思や体制、資金などについて審査がある。専門家の評定があり、日本は中国のことを評価し、中国は日本のことを評価するので、今後は中国に対する配慮がないといけない。

●世界遺産に対して、非常にドライな見方をしている。日本はユネスコ至上主義、世界遺産は全て善という形でジャーナリズムが取り上げているが、あれは一つの外交であり政治だ。世界遺産都市のリーグがあり、ロシアのカザン市長が現在の会長だ。カザン市長は「世界遺産は、世界の緊張、特にロシアとか中東辺りの問題解決に対して、強力な政治的な武器になる」と提唱している。例えば、チェチェン問題を、積極的にその場で解決をしていこうとする。のほほんと世界遺産を考えていると、世界で動いているレベルとずれることになる。世界遺産になった後どうするかという20年ぐらいのビジョンを持ったインターナショナルな姿勢求められる。


 米沢 寛
 
●この何十年間で、金沢がみんなに知られるようになったのは、間違いない街づくりをしてきたからだろう。今まではある街づくりを提案して、応援団を集めて、いろんな仕掛けをやってきた。これから先は、街に住んでいる市民のライフスタイルまでかまって、「良い街にするためにこうしよう」という提案をしていかなきゃいけないところまで来ている。

小原啓渡 
●規制にしろ、街を大きく変えていくにしろ、市民の方の共感が必要だ。市民の方たちが「そういうふうな街にしたい」と思わないことには実現しない。市民視察ツアーを企画して、うまくいっている街、素敵な街を市民の方に見ていただく。これが百の言葉よりも百の説得よりも大きいのではないか。

立川直樹 
●みんな若い時は、一度「自分の街って、もっと新しくなればいいな」とか思っているが、ある程度年を経ると、みんな冷静になって、自分のオリジナルの良さを見直す。若い学生は、全部ネットとかで見られるのでものを見る意欲がない。市民視察ツアーで実際体験して街の空気感とかを見てもらうのは大切だ。


 米谷恒洋
 
●一番大切なのは発信することだが、金沢の人は、発信することがあまり上手ではない。

●江戸時代の鎖国令によって、クリエイティブなものが海外から入って来なかったので、金沢なりの独自な文化を発展させていった。それは、室町末期から受け継がれたものであり、それをしっかり守り発展させてきた。金沢の文化遺産群と文化的景観は、ある面で普遍的価値がある。経済同友会として世界遺産登録運動を始めて3年以上経過しているが、ようやく行政も積極的に動き出した。

 
トップページへ戻る