基調スピーチ

金沢創造都市会議開催委員会副会長
社団法人金沢経済同友会代表幹事
飛田秀一


「金沢が風格のある都市であるために」



 今回の金沢学会の「都市の風格」というテーマ、これは、ただいま澁谷さんから説明がありました通り、大変格調が高く、今回の金沢学会の「都市の風格」というテーマ、これは、ただいま澁谷さんから説明がありました通り、大変格調が高く、高く、しかも何をもって「都市の風格」かということを論ずると、これは百人百様です。「都市の風格」とは何かということになると、私はなかなか容易にはこの結論が出てこないと思うのです。今回の場合は金沢の風格ということになろうかと思うのですが、これとても絶対的な公式というか結論がこうだということを出すことは不可能だと私は思います。そういった意味で、この風格ある金沢を作るために、大きなグランドデザインを描いて、それに向かってまっしぐらというようなことは、これは言うのは簡単でありますが、実際そういうことをしたところで、結果的に風格のある都市にはつながらないと思います。やはり各論といいますか、過去に提言をしたこと、ただいまの説明にもありました通り、都心の活性化、美しい金沢を作るという各論を追求していって、その積み重ねを永久に続けることだと思います。これはストップということは許されないのでありまして、風格あるこの金沢を維持していくためにはストップは許されない。したがって、そういったいろいろな分野の取り組みを永久に続けていくということではなかろうかと思うのです。
 そこで、各論の中での都市の風格ということになると、いろいろなことがあると思うのですが、大雑把に分けて考えると、一つは、そこに住む人たちの心といいますか、誇りの問題があると思います。これは風格あるとしてりっぱな建物が幾ら並んでいても、そこに住んでいる人にそれに対する誇りがなければ、私はあまり意味がないと思うので、やはりこの誇りというか心というか、そんなことがこの前提として極めて重要ではなかろうかと思うのです。そういった観点から、金沢経済同友会もいろいろな試みをやってまいりました。そしてそのことが、素晴らしい成果を上げたとはいいませんが、少なくとも、住む人たちが、この金沢に住むことへの誇りを持つ、そういうきっかけはできたかなという感じがします。
 具体的にいいますと、やはり「ふるさと教育の推進」であります。自分たちが住んでいる地域の現状と、これまで歩んできた歴史を正確に知る。正確というのは不可能かもしれませんが、特殊な、変わったといいますか、そんなイデオロギーに基づく歴史観ではなくて、ごく素直な気持ちで、これまでの歴史を学んで現状を認識していくというふるさと教育が大事だなというのは、この金沢のみならず、地域にそれなりに浸透したと思うのです。そういう中で、このふるさと教育を推進するために、金沢経済同友会は過去には、大河ドラマを誘致しましょうと提言しました。そのことが実現をしまして、これによって観光関係の業者の方は、まあまあたくさんの観光客が来たとか来ないとかということをおっしゃっていますが、そのこととは別に、私はやはりふるさとの、住んでいる地域の歴史を学ぼうという、そういう空気の醸成に大変役立ったと思うのです。
 そういう中の一つとして、やはり副読本でありますとか、それから場合によっては本当の教科書も、何も東京で作った教科書で学ぶばかりが教育ではないと。やはり地域のことを詳しく網羅してある教科書が必要だと。例えば、江戸時代に視点を置くと、東京で作られた教科書というのは必ず徳川さんの側からの江戸時代を書いてあるわけです。しかし、私どもからすると、前田さんの側から徳川さんを書くような教科書が必要ではないかと。こんなことも、この経済同友会の運動の中で強調してきました。幸い、今、県の教育委員会で、高校1年生の副読本に、もちろんそういったことを含めたふるさとの歴史、産業、自然、景観、環境、そういったようなジャンルに分けた副読本を作る準備をしております。来年中にそれができ上がって、明後年ぐらいから県内の高校1年生の副読本として採用され、そしてこれまた、私はこれは大変いい手法だと思うのでありますが、これが東京の教科書をこれまでずっと扱ってきたそういう出版社から出される。ということは、つまり、副読本ではなくて、近い将来、もうそれも5年、10年という長いレンジではなくて、もっと短いレンジでこれを石川県の教科書に採用しようということが現に動きだしているわけなのです。これは全国的に見ても私は画期的なことだと思うのです。こんなように、都市の風格を形成するためには、住んでいる人の誇りというのは極めて大事であります。そういった意味で、これはこれからも続けていかなければいけませんが、一つの成果が出ているというふうに認識をするわけです。
 それから、心の問題だけではなくて、見た目もありますから、景観や環境の問題です。先ほど澁谷代表幹事が言われたように、やはり醜い看板類が乱立をしている。看板だけではありません。やはり金沢を例に取りましても、157号線の中心のど真ん中、あるいはほかでも一部の電線が地中化をしておりますが、極めて電線の地中化という事業が遅れています。全然やっていないわけではありませんが、これが、蜘蛛の巣のように、一向に地中化事業が進まないということになると、美しい金沢づくりに逆行します。ただし、こういう事業も、先ほどありましたように、一部の交差点等の看板類の規制が行われておりますし、名前は思い出せませんが、新しい道路等の周辺には、金沢市などで看板類の全面規制を実行に移しております。しかし、新しい所はそれも可能ですが、何せ今までそういった視点というものがなかったものですから、既存の看板類が極めて醜く、多い。そういったものを何とか早く、早くも何も、これも100年、150年で今のような、これは非戦災都市でありますから、金沢というと明治以来ということが言えようかと思うのですが、明治以来のそういうものが積み重なって今のこの状態になったわけですから、これを本当に多くの人が美しいと感じるようにするまでには、やはり相当時間がかかる。しかし、やはりそのことにも、積極的にこれからも取り組んでいかなければならないと思うのです。
 また、申すまでもなく、この地域の文化やいろいろな先人からの遺産を大事にすることはごく当たり前のことです。そんな観点から、私どもは世界遺産の登録運動をやろうということで、金沢経済同友会で提言をして、今日までその実現のための特別委員会等を設けたり、シンポジウムをやったり、そういうことを行ってまいりました。ここへ来てようやく県や金沢市も、重い腰なんて失礼なことはいいませんが、本腰を入れようという構えになり、来年の4月には県と市の正式の連絡協議会ができるということにもなりました。それから、我々の運動の当初は、兼六園ということで、面というよりも点で兼六園だと。まあ白山は横へ置いておいて、兼六園という点で世界遺産運動をやろうというのが運動のスタートであったのです。しかし、これもいろいろな文化庁等の専門家の皆さんのアドバイス等も頂きまして、点ではなくて、金沢の都市を面としてとらえて世界遺産登録を目指そうというふうに若干変わってきております。
 いろいろな史跡等がありますが、残念ながら金沢はあまり史跡指定に熱心でなかったということがあります。しかし、今これもようやく動きだしました。「前田家の野田山の墓地」、これも墓地としては恐らく日本で筆頭になるくらいの規模であると思うのです。それから金沢市内にある「惣構堀」の調査や「辰巳用水」の文化財指定へ向けた調査、「石切丁場」の調査を県と市でそれぞれ分担をして、史跡指定に向けて具体的な調査をすでに開始をしております。この調査が終わらなければ、世界遺産の予選といいますか、予選突破段階である暫定リストに登載というのは不可能という意味ではありませんが、この史跡指定というものをやりながら、それ相応にといいますか、かなり進んだ段階で、この暫定リストという問題も現実味を帯びてくるのではないかと思っているところです。そんな問題も「都市の風格」にはあると思うのです。
 さらには、幾ら立派な史跡があって、町も美しいし、地域の人は誇りを持っている、それで十分かといえば、それだけで十分ではないので、やはりこの都市自体が、産業といいますか、そういう面で活性化をしていなければいけないと。こんなようなことも、決め手というか、魔法の杖というか、そんなものはないのであります。
 経済同友会で、特にこの都心地区の空洞化といいますか、異常に空きビルが多い。県庁の移転ということもあって非常に空きビルが目立って、中心街が活性化とは程遠い状態であるということを憂い、その中心街にマンションを造った場合の助成やオフィスビルにテナントが入居した場合の助成、これもこの11月からスタートしました。このオフィスビルへの助成というのは大変金額も大きいので、ビルのオーナーには最高1億円、入居するテナントには2年間で最高4700万円というふうに非常に金額的には大きいのです。しかし、水面下ではいろいろな動きがありますが、これとてもなかなか難しい。
 157号線沿いというのは、いろいろな金融機関その他の支店が多いのです。そういうところのビルが並んでいる。支店長さんはみんな立派な方が多いのですが、その主たる任務が、そのビルを埋めることではなくて、自分の仕事の成果を上げることだから、例えば行政から支店長さんに話をしても、だれも反対する人はいませんが、なかなか熱心になってくれない。みんな本社に話をしなければいけない。本社はもちろん理解はしてくれるのでありますが、何といいますか、地方に権限を与えない。「三位一体の改革」ではありませんが、これはもう何も行政だけではなくて、日本の巨大企業もみんなやはり地方分権をして、権限をもう少し与えるようにしてくれないと、立派なといいますか、それなりにこの効果を発揮するであろうと思った新しい制度が、なかなか具体的な成果に結びつかないという実態があるのです。
 それはそれでうまくいかない施策もあるし、時間がかかる施策もあるし、いろいろあると思うので、このようなことはやはり息長く続けていく必要があります。そんなことをひっくるめて、冒頭に戻りますと、ともかくいろいろなことを積み重ねて、ゴールなき道を進んでいって、そして金沢市以外にお住みの方、特に県外の方に「金沢は風格のある都市だな。やはり世界遺産にも指定をされたし」と言われる、こんなときが、ここに住む者にとって大変うれしい評価ができたということではなかろうかと思うのです。しかし、そんな評価を受けたからといって、それでまた油断をしたり、何もやっていなければ、またこの逆の評価にもつながるわけです。そういった観点で、私は金沢学会等で、2年に1回でありますが、いろいろなご議論を頂いて、そして我々にも刺激を与えてほしいし、ここに住んでいるリーダー層の人たちにも、一般の住民の方にも、いろいろな形で刺激を与えて続けていただきたいと、こんなふうに思っておりますので、ぜひ諸先生方の熱心なご議論というものを期待させていただきます。
 基調スピーチというよりも、これまでの経過を含めたごあいさつということになりました。どうもご清聴ありがとうございました。
 
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