総括
     
国際日本文化研究センター教授
川勝平太
   


 昨日は公務のために欠席しまして、大変失礼しました。発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。やはり山出節というのはいいですね。まだその余韻が残っていまして、さすが全国市長会の会長でいらっしゃるというのも俯角したと同時に、今どなたかのご発言にもありましたが、国の形が急速に変わりつつあります。ですから、今、全体として変わりつつありますが、国家と地方とのかかわりがこの夏以来急展開して、日本の国を変えていく主体が官公庁あるいは国会議員の先生がたから、知事、あるいは市町村の首長先生、あるいは全国知事会や市長会の代表者のかたがたに、ぐっと軸足が移った感じがいたします。
 こういう意味では、やはり今年の金沢学会はそういう新しい地方の時代、あるいは日本の新しい国の形を作る上で、金沢学をどう位置づけるかという考え方を持つべき時期に来ていると思います。新しい地域づくり、あるいは新しい地域づくりを通じた新しい国づくりの手掛かりが、やはりこの国で出始めているのではないでしょうか。先ほどの議論の中にも出始めていると思います。金沢はもうご承知のように、だれもかれもが金沢の遺産については知っているわけです。それをふるさと教育、ふるさと学、金沢学という形で言うわけで、その郷土学が他の地域にもあるわけですが、いわゆるお国自慢に収まらない広がりがここにはあります。これは日本の各地域の中で横並びになっているということではなくて、今はグローバルの中での金沢、地球社会の中での金沢という位置づけになってきているのではないかと。これが大きいと思います。
 金沢学をどうしていくかというときに、昨日の基調講演の中で世界遺産の話が出ているわけでしょう。これは日本の財産というよりも、人類社会の中での財産に値するのだという発想です。そういう発想でいきますと、東京を抜くわけです。東京には世界遺産はありませんから。それから、人類共通の財産になるものがあるということで、兼六園と白山というものをそれぞれ自然遺産、文化遺産として出されていますが、これは一体のものとして出さなければいけないという一歩突っ込んだお話が出たようです。これはとても大事だと思います。点ではなくて線でいく、線ではなくて面でいうという、点、線、面を全部含んだ形での世界遺産登録というふうにやっていかなければいけないと。
 先ほど江戸時代の加賀の映画が出ていましたが、その白山と金沢の町と加賀とは一体なわけです。それを説明するものが、金沢学ではないといけないと思うのです。なぜそれが一体で、それがなぜ人類の文化遺産になるかという、その辺のところはやはり考えなければいけないと思います。
 例えば白山となりますとこれは単なる山ではないですよね。8世紀以来白山権現の、要するにこれは水の神様でしょう。十一面観音、これは日本じゅうにあります。泰澄がお出になられた、そして行基との出会いが大変重要であったと。これは行基仏、すなわちこれは木仏です。その木仏というのは木から仏を取り出すので、木というのは日本は神のよりしろですから。一柱、二柱と数えますように神様です。そこから仏が彫り出されてくるということですから、神と仏が一体であるという神仏。つまり、日本固有の信仰と外から来た仏教とが見事に融合するということが、この白山に残っているということです。それが行基仏として広まっていった。それが後に白山信仰をしていた江戸時代の円空が10万体ほど彫られて、最後、彼が作った仏は柱のような仏です。仏が神になっているわけです。
 そういう木を大切にする、森を大切にする、その森が育む水によって我々は生かされているというもののいちばんの中心にある、そういうところから流れ出てくる、白山の山系から流れてくる手取川なり犀川。直接ではないかもしれませんが、白山の山系から流れてくる水によって、この金沢の平野が潤されていると。その水を生かした辰巳用水があり、また兼六園があり、金沢の町があるということだと思うのです。そして、兼六園は江戸時代に作られた大名庭園、日本の三名園の一つということで、その江戸時代というものが太平洋沿岸ではつぶされていきましたから、したがって唯一ここに最も典型的な形で残っているということで、近世江戸というものの世界史的な位置は、これは江戸の人が言っていますから言いませんが、それの目に見えるそういう町が金沢だということで、金沢城下町、これを全体として、世界遺産で言うとバッファゾーン(緩衝地帯)ということで、こういう白山と兼六園等を結ぶ川、水系、町並みの景観、これは全部バッファゾーンとして世界自然遺産、文化遺産というそれぞれ別個にするのではなくて、一つの世界文化遺産として登録するような運動、あるいはその根拠づけを金沢学会はしていくべきだと私は思うのです。
 世界遺産になるためには、地元の人たちのそれを大事にするという運動がないといけない、同時にまた日本国内でそれが重要な文化遺産であるということが認められていなければいけないということがあるわけですが、その前者のほう、すなわち地元の人たちがそれを推進しているという意味においては、まさにここが中心ではないでしょうか。特に今回の21世紀美術館は新旧のダイナミズムという言い方をされましたが、まさにこの21世紀美術館という現代美術館ができることによって、旧が際立ちましたね。旧がまた新を際立たせるという。今回駅ができたことによって、西側と東側で、西側がいわゆるニュータウン、東側がオールドタウン。もちろんオールドタウンのほうがヨーロッパ的価値観からいうと、明らかに価値が高いわけです。旧市街のほうが価値が高いわけですが、全体としてニュータウンとオールドタウンというのがあって、それぞれの引き立て合いというものがこれからの全体のまちづくりの大きな課題です。



 しかし、一方で旧市街の中にもそういうダイナミズムが働いていると。そのいちばんの今のシンボルが21世紀美術館で、そこをどう活用していくかという中で、先ほどの市長のお話の中で、県庁が出ていった、どうするかということで、もう結論を出されたのではないですか。緑だというふうに。これは、相当重要なメッセージだと思います。なぜそれが重要かというと、例えば「セントラルパーク」という名前にしようというときに、セントラルパークというとあちこちにありますが、何たってみんなニューヨークを思い出しますよね。ニューヨークの風格は何でできているか、高いビルかというとやはりセントラルパークです。あれがないとニューヨークではない。あそこはいわばいろいろな人たちが来ますので、信仰の対象ですね。すなわち、コミュニティーの源泉になっているわけです。ニューヨーカーとしての、あるいはニューヨークに来た人たちがほっとする場所、それがないと、あのアベニューが生きてこないと思うのです。異なる宗教の人たちがあそこで「Hi!」「Good morning. How are you?」ということで、みなそこで平和を感じる場所という、そういう場所です。しかし、あそこは150年の歴史しかないですよね。
 しかし、ここは四高がある、その前にお城がある、今は21世紀美術館がある、非常に歴史が重層的に重なっている所ですので、この公園は日比谷公園のような人が作って何かしたというのではちょっと違いますよ。ですから、これをセントラルパークにすることは、金沢学会として真剣に受け止めていいのではないかと思います。
 それから、今日は具体的には香林坊から武蔵、それから駅、これはアートアベニューと指定する。このアートアベニューあるいはファッション都市宣言、これは実に金沢らしいと思われます。そうなると、ものすごく熱気がある議論ができていると。ここにアーティストが住む、あるいはデザイン科の学生たちが住む、あるいは大学の学科を持ってくるというのは、いかにもできそうな感じですよね。ただ、それをお金をどうするか。それについては家守というファンドがやり方として出されているので、これは十分検討に値するということですが、我々は着地点を一応どこかで見ていたほうがいいと思います。最終的に金沢がそういうファッション都市として、世界に魅力ある光を発するとなったときに、石川県の中の金沢ではなくて、日本の金沢、世界の金沢になるでしょう。
 そうすると、県は要らないのではないかという話になります。そういうレベルの話にも、そのとき県があるかどうかということにもなってきますよ。ですから、それはもう少し具体的にいえば、金沢は今、人口が45万ぐらいですか。そうするとあと5万ぐらい増やせば、これはもう十分に政令指定都市となるわけでしょう。すなわち、県の権限をここに落とせるという話になってまいります。つまり、その10年、20年後には、先ほど申しました冒頭での全国知事会、地方6団体と国家とのかかわりというのは、やがて国家、あるいは都道府県というものの在り方が変わると、それは道州制になっていくと。そのときに、県の権限というのは生活レベルに落としていかないといけないです。そうすると、これぐらい大きな歴史的に規模のある町になりますと、これは政令指定都市になるということが出てくると思うのです。だから、政令指定都市になって、ここは県に匹敵するようなまちづくりをしていかなければいけない、そういう使命を帯びているということになるのではないですかね。
 そういう着地点を見ながら、私は世界文化遺産への登録運動を起こしていけるかと。これは単に金沢自慢にならないですよ。説得しないといけないから。単に国内の人だけではなくて海外のユネスコの人たちを説得できないといけないから、どうしても普遍的な言葉が要るわけです。これを早急に作り出していくことが大事です。そうなると、おのずとあのアベニューはファッション、これは広い意味でのファッションですね。職人と言われましたが職人芸、ここに来ているのは工芸、まさにアートとしての職人でありますから、そういうものがなくてはならないというのがおのずと出てくると思います。したがって、この金沢学はローカルな学問ではなくてグローバルにしてローカルな学問、グローカルなグローカロジー、地球地域学とでもいう学問的性格を持たねばならない。しかも実践的だと。したがって、これは新しい実学の誕生とも言えると。
 ちょうど欧米のシステムを入れるときに、それを実学として明治の初年に入れたように。また、それが一応限界といいますか、大きな段落を終えたあと、今、日本が新しく生まれ変わるときに新しい実学、地に着いた学問が要求されていると。これが今の金沢学だということだと思います。そこの中で最終的には、その都市の景観には風格があると出てきましたが、それは当然であります。世界文化遺産になったものが風格のないはずがないということです。
 ちょっとこれは余分なことですが、先ほど緩衝地帯(バッファゾーン)のことを言いましたが、今度恐らく平泉が登録されるでしょう。あそこは点として、最初は言っているわけです。しかし、あの平泉の黄金文化は北上川がないと意味がないわけです。あれも衣川の上の方に和賀川と言ったか、金を運んだ支流がありますね。そうしたもの全部を入れ込まないとあの黄金文化が花咲かなかったわけです。ですから、北上川全体をバッファゾーンとして登録しようという運動を地元の人は起こしています。
 そしてまた、姫路城は日本で最初の文化遺産として登録されましたが、観光客は落ちています。ですから、もうああいう点の時代ではありません。それから、最近の紀伊山地の霊場と参詣道。紀伊山地は文化的景観、つまり、人間と自然との営みで作られてきた景観という。まさに白山と加賀とのかかわりというのはそれに最もふさわしいものなので、これを一体として世界文化遺産として届ける。そういう大きなビジョンの中で新しい駅、新幹線も止まる。そこから金沢のいちばんの財産である緑、風格の核になるそこにどう動線を引くかということが出てくるということで、それはアート、ファッション、要するに魅力のある道でなければならないという位置づけができるのではないかと思うのです。
 そして、山出市長は今お幾つか知りませんが、気分的には30歳の感じのかたなので、もうワンジェネレーション頑張ってもらわなければいけないというぐらいの、その志を継ぐ人が出てこなくてはいけないぐらいの重要なメッセージを今日はちょうだいしたことに対して、深く敬意を表する次第です。どうもありがとうございました。


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