まとめ討議

(大内) 今のお話は本当によく分かりましたが、僕はもう1タイプ必要だと思っているのです。なぜかといいますと、先ほど市長さんのほうから金沢の場合は本当に皆さん困ったときに助け合いをしましょうと。本当によく皆さん貢献していただくという意味では、これは日本でいうとある種の奉加帳システムがどこかで動いてきますので、中には、非常に失礼な言い方かもしれませんが例えば澁谷さんが幾ら出したから俺は幾らぐらいという、ある種の社会の中のそれぞれのお立場で貢献するというシステムが動いています。
 ただ問題は、そういうメカニズムが若い人たちの間で機能するかというと、機能しないのです。つまり、若い人たちの間でいえば、そういう形で、例えば次の何かの事業のときにこのくらいのお金があるからみんなで出し合ってやろうと、始めから俺はそのメンバーではないという形で抜けていってしまうわけです。ところが、若い人たちはみんなである種のパブリックな行動をみんなで支え合うということに全く関心がないかというと、そうではないのです。やはり自分たちに何らかの形のリターンがきちんとあって、自分たちの貢献がそれなりにみんなにとって還元されるという目に見えた形のメカニズムであれば、彼らはけっこうちゃんと出すのです。
 もちろん若い人たちですから何億ということにはなりませんが、例えば今回ちょっと検討してみた南町界わいのような所に、1階のちょっとした平面ができ上がって、それをパブリックな形で、例えばファッション関係の、あるいは美大の学生たちのような人たちが何かをやりたいと。そういうときに、今までですと、すぐ大きなお金をどこかに出してもらってスポンサーになってもらおう、だれかパトロンになってもらおうという発想がありましたが、これも意外に若い人たちはだれかに頭を下げてというのも嫌がる。それだったら自分たちで出そうと。
 問題は若い人たちはそれを出し合って、結果的にある意味の成功報酬、それでうまくいったら自分たちにちゃんと利益が還元できるようにというメカニズムを作ってあげれば、彼らはではやろうとなるのです。つまり、これは税制の問題でもあると思うのですが、ニューヨークなどでやってきたBIDがちょっとそれに近いのです。ですから、現在の今までの行政のメカニズムや社会の構成の単位と、それからタックスペイヤーや市民の持っている社会に対する負担の能力との感覚がちょっとずれてしまっているのです。
 BIDがやったことは、自分たちがそれなりに普通の税制とは少し違った形で、上乗せの負担を社会的にするわけです。そして、例えば地主であったりテナントであったり、あるいはごく一市民が町を良くするために何がしかのものを出して、そしてそれを全体としてBIDというNPOが管理して、それを例えばホームレスの人たちにいろいろなアクティビティー、市が行政がやる以上の何か、例えば掃除をしてもらう、あるいは困った人を助けるとかそういうものに使うことによって、結果としてその町全体のクオリティーが上がる。それがある意味で不動産価値が上がってくるとか家賃が上がってくるとか、そういう形でリターンが非常に明確なメカニズムなんです。つまり、自分たちの貢献した何がしかの浄財がみんなのパブリックな利益となって戻ってくるというメカニズムを作ったのです。それで成功したのです。
 ですから、今の新しい現代の都市の課題かもしれませんが、従来型のある種の奉加帳システムというので動く部分もあると思いますし、まさにタックスペイヤーとして行政にお願いしなければならないパブリックというのももちろんある。ただもう一つのパブリック、それが多分ファンドという名前を使うかどうか別として、ぜひその若い人たちが持っている・・・。彼らも決して公のことに関心がないわけではない、彼らが何らかの形で自分たちが投資とまではいかなくても負担して、それが自分たちが一生懸命努力をして、例えばパブリックかファッションの何かをやる、そしてそれが、例えば株仲間のようなものでもいいかもしれませんし、結果的にそれが、うまく自分たちで努力すれば、自分たちにリターンが返るのであってだれかに持っていかれるわけではないと。株仲間という言い方でもいいかもしれません。そういうメカニズムを作ってあげると、彼らは乗ってくるのです。その辺もちょっと考えたほうがいいような気がします。

(小松) 先ほど一つ情報としてお話しするのを忘れたのですが、今年度から税制改正でエンジェル税制というのがすでにできているのですが、そこの中にグリーンシートという銘柄がエンジェル税制の対象になっています。これを通したかたで今、経済産業省の官房総務課長をやっている石黒さんというかたが一生懸命やって、エンジェル税制で認めさせたのです。グリーンシートというのはどういうことかというと、アメリカにもピンクシートというものがあって、これは将来上場を目指す前段階のマイナーリーグのようなものですが、マーケットができています。これに相当するものを日本でも作りました。作られてからもう6〜7年たつのですが、ディー・ブレイン証券の出縄さんというかたが一生懸命マーケットを作られたのです。これを今年度からエンジェル税制の対象にしたと。
 結果として今回の家守ファンドの中にどう組み込められるかというと、皆さんが例えば株で年間100万円の利益を上げたと。すると、その100万円分まではかりにこのグリーンシートを通して市場で家守会社に出資すると、その分の控除といいますか、利益が消せるのです。ですから、税制上は負担がゼロになっています。そういう仕組みが今年度からできているのです。ですから、家守会社のファンドにする必要はもう全くなくて、資本金の中の一定の金額をファンド相当で、例えば資本金を5億なら5億の家守会社を作って、それに皆さんがエンジェル税制を使ってお金を投資されるということであれば、まさに発想的には講などの発想の中でできている制度ですので、直ちに上場しなくてもいいですよ、上場を目指す意欲があればいい会社だと、そういう仕組みがすでにできています。

(佐々木) なかなか面白い話になってきました。どうぞ。

(米谷) 小松さんの家守ファンドというのを私は別に否定するわけではないのですが、できるところからまずやっていく、それから市長のおっしゃいましたようにまず点で一つ成功してほしいという考え方からいきますと、実は私どもの本店も20年ぐらい前に駅西へ本店を持っていこうということで、社内で随分議論したときがあります。結局タイミングを逸していまだにあそこに居るわけですが、実は主要なお取引さんは本店へ来ていただいて本店で取引をしていただいています。その20年間に、実は県内、市内の主要企業が、随分と郊外のほうへ出ていかれました。
 したがって、その外へ出ていかれた企業がまず中心部へ回帰していただいて、その家守の実際の最初の例、モデルになっていただく、私はこれがいちばん早い道ではないかと思っております。具体的に名前を挙げて失礼ですが、例えば米沢電気さんは郊外へ行かれましたが(笑)、どこか香林坊にどんと本社をもう1回持ってくる、そういったことがまずスタートになるのではないかと。米沢さんに家守になっていただいてそれが成功すれば、あっという間に点が線になり面になっていくと、私はそういうふうに考えているのです。

(佐々木) いきなり振られましたが、どうしますか。ではちょっと考えていただいて、先ほど大内さんから若い世代のかたたちがどう考えるかということが出たので、松本さん、お願いします。
(松本) ありがとうございます。金沢青年会議所の松本です。よろしくお願いします。先ほど大内先生から若い世代、若い世代と。自分は果たして一体若いのだろうかどっちなのか微妙だと思って考えていたのですが、先生がお話しされていましたビジネスライクなギブアンドテイクの世代には、自分も考えますと、まだそこまでは行っていないのかなという感じをしております。非常に議論が各論に入っていまして、具体的なお話も出ている中で大変恐縮なのですが、私は本日から出席させていただくということで、ちょっと都市の風格ということでお話をさせていただけたらと思うのです。
 まず町の再生、活性化に関しては、やはり混在性というものが一つのキーワードになると感じております。今までグランドデザインや都市計画の中で、どちらかといえばそのゾーニングというものが主に行われてきたような気がするのですが、これからはやはり今ほどのコンバージョンや家守制度もそうですが、商業ビルもありそこに飲食もあり居住スペースもあると、そういった形でそこにしっかりと営みが発生することが、一つのキーワードになるのではないかと考えております。
 もう一つ混在性という意味で、先ほど水野先生からもお話がありましたが、パブリック、セミパブリック、プライベートという境界線が緩やかな境界であって、そこにきちんとした線がないということが重要になります。そうすると、そこに訪れた人が、先ほどもニューヨークの事例などもありましたが、そういった形でみんなが共有できるパブリックスペース、当然パブリックはそうでありますが、セミパブリックがありプライベートがあるというような空間で、混在性というものを持って、そこににぎわいが発生する仕掛けになるのではないかと思います。
 私もお話を伺っていましてごもっともだと思います。青年会議所でも政策というものを作らせていただくのですが、やはり政策を作るだけでは何もものは動きませんので、その各論一つ一つをどうやってやってくか。昨日のご議論でも各論の積み上げであるというお話もあったように伺っております。各論をどうやって具現化していくのかが大きなポイントであって、打ち上げたはいいが、だれが本当にそれを動かしていくのかという部分が重要であると思います。
 2002年のワークショップの報告書を見せていただきましたが、オープンカフェを水野雅男さんがやられて非常に市民から好評であったと。ではこういったものをどういった運営組織でこれから動かしていくのかが要検討であるという報告をお聞きしております。そのあと本当にそういったものを持ってにぎわいを創出していくために、だれがどうやって動かしていくのか。やはりトライしていくことも大切だと思いますが、トライして検証してそこから次のステップにどうやって移っていくのかというのが、やはり非常に大切だろうと。非常に難しい部分であると思うのですが、この部分が非常に大切だろうと思います。
 それから、都市の風格という部分でご議論をお聞かせいただいておりまして、ハードの部分が非常に主たる部分になっていると思います。都市格を形成する上でのハードは、それは兼六園のいわゆる世界遺産の登録も一つそういった権威を持って格を上げていくということになるでしょうし、21世紀美術館もハードとしての都市格、そしてソフトとしての都市格を上げていくものになっていくと思うのですが、やはりそこに住んでいる市民の格が上がらないと、幾らハードが整備されても、結局その町に住んでいる人間がその町に対して何も愛着を持っていないということになりますと、やはり都市全体としての風格が上がっていくことにはならないと感じております。
 先ほど市長からもお話があったように、そういった意識は金沢全体としては高いとは思っております。ただ、やはりこの中心部というのは町、市民全体の共有部分ですので、ぜひともそれぞれの住む、それから関係する地域だけではなくて、ぜひその中心部に対しての市民の愛着といいますか、意識の向上というものが、非常に肝要だと思います。そういった意味におきましても、経済同友会のほうでやられております「ふるさと教育」というのは非常に大切なことであると思いますし、あと一つはやはりそういった机上の形ではなくて、これもまた一つどうやってそれを実働に起こしていくのかということが、非常に大切であると考えております。
 青年会議所で「中心市街地のにぎわい創出事業」というのを1999年からやらせていただいております。町の中心ということで中央公園を主な舞台に開催させていただいているのですが、そういった流れの中で昨年、先ほどもお話に出ました金沢のやはり大きな資源である学生と一緒にということで、「学都金沢文化祭」というものを開催させていただきました。ただし、やはりどうしてもイベントで終わってしまう部分がありまして、その場ではそこににぎわいが発生したり、学生、市民の交流が生まれるのですが、その後の継続性がないということが非常に問題であると考えております。
 ですから、本年に関しましては若干形を変えて学生にそういった組織を作らせて、そこに企業や市民のかたにご参画いただく町塾という団体を作りました。今年はその「*町塾アクト*」で、ちょっと名前を変えて分かりづらいのですが、そういったイベントもさせていただいたのですが、それはその単なるイベントを企画実施する団体ではなくて、その組織をもってこれからいろいろ町のことを考えていく。町に対して愛着を持つためにはどうすればいいのか、そういう市民の意識の広がりを見せていくためにはどうすればいいのか、イベントからムーブメントということで取り組みをしているわけです。
 こういった会で非常に素晴らしい議論が出るのですが、それをやはり本当に市民レベルまでに広げて巻き込んでいかないと、町の活性化は本当の意味で起こりえないのではないかと。ツールを使ってアウトプットを起こしても、やはりそこに対して本当に市民が集うような意識の醸成をしていくことも、ハードの一方で非常に大切なことだと考えている次第です。少し長くなりましたが、ありがとうございました。

(佐々木) 青年会議所の全体的な考え方がよく分かりました。相対的に若い世代だと思う水野雅男さん、お願いします。

(水野雅男) ありがとうございます。先ほどのファンドに関するリターンのことで、ちょっと卑近な例ですが、大野でやっている「くらくらアートプロジェクト」でも、やはり「くらくらファンド」という形で寄附を集めてやっているのです。それは金沢市からちゃんと手厚い助成を頂いて、残りは我々が寄附を集めてやっています。それは若い人たちもお金や知恵や労力を出すわけですが、あまりリターンを求めているわけではなくて、自分たちが作り上げていく、あるいはアーティストを育てているという活動自体が自分たちのもの、みんなのものと。「クラブ財」ということで、前に一度出たことはありますが、自分たちの空間を作っている、自分たちの財産を作っているという意識で、しかもそれが地域に貢献しているということが、ある意味のリターンになるのだと思うのです。そういう仕組みを今後も作っていけばいいのではないかと思います。ただ、その「くらくらアート」と南町では全然規模が違いますから、その市場経済の中で単純にファンドを作ってコンバージョンを進めていくというのは、難しいと思うのです。
 昨日私がシアトルのTKビルというコンバージョンの事例を紹介したのは、二つの意味があります。一つはそこが行政機関が空きビルを買い取ってNPO団体に安く払い下げて、そのNPO団体がコンバージョンし、入居者を入れたりするマネジメントもしているわけです。やはり今、南町にあるビルはかなり老朽化していて、業務ビルとしてはかなり価値が下がっているはずなのですが、家賃はそうは下がっていないわけです。ある意味荒療治ですが最初の一歩が大事だとおっしゃったので、1棟は行政が買って払い下げるとかそういう形でやっていかないと難しいのではないかなと。そういう形で、家守を支援するということをやっていただけたらいいのではないかと思いました。
 二つめのねらいは、そのコンバージョンしたビルはアーティストの住まいとギャラリー、アトリエとして開放したわけです。つまり、アート専用にしたということです。今回10月にオープンした21世紀美術館は、都市づくりにおいてものすごく大きな刺激をいい方向で与えてくださったと思うのです。それを契機として、市長は常々アートアベニューを形成していかれるということをおっしゃいました。やはりその次のステップとして、創造的な刺激を求めるアーティストやクラフトマンなどの人たちをもっと町中に呼ぶということを積極的にやっていくということもすごく大事だと思います。そういう意味で、一般的にアーティストというかたがたはそう所得が高いわけではないので、そういう人たちに低廉な形で賃貸物件を提供できるようにするということもすごく大事だと思います。
 やはり金沢はそういう作り手、アーティストやクラフトマンを育てる町という形を目指していく。そして、ここ金沢から世界に輩出するという形が望ましいのではないかと思いますし、そういう意味でやはり美大のファッション学科はまず町中に持ってきていただいて、それから少しずつ・・・。広いキャンパスは要らないと思うのです。少しずつ幾つかのビルに点在させる形でもいいと思うので、美大は町中に持ってきていただきたいと私は痛感しております。以上です。

(佐々木) また、ちょっと市長さんにお答えいただく前に。

(半田) ストレートに市長さんにお答えいただくのもあれなので、ちょっとバウンドしますが、今、水野雅男さんがおっしゃったのは非常に面白いと思うのです。パーソンズ・スクール・オブ・デザインというのがニューヨークにありますが、あの学校はまさにメインストリートの中に各学科の教室があって、そこでデザイン事務所をやっているデザイナーのかたがぴゅっと教えに来て、学生さんたちにビビッドな授業をしてまた仕事に帰るという、そういう町と学ぶこととが一体化しているのです。
 昨日のこの場でも市長さんのファッション都市宣言がけっこう話題に出ておりましたが、先日もおっしゃっておられた職人さんの技も一つのアレンジとしてあれに入ったらいいと思うのです。そういう意味では21世紀美術館があの場所にできたわけで、157号線に今の雅男さんのアイデアのように、ファッション学科やファッション産業都市宣言にゆかりのものを置くのも、大変都市とアートと、金沢の場合は職人さんの話やら大変面白いと思うのですが、その辺はいかがでしょう。

(佐々木) これももう少しとっておきまして、幾つか手が挙がっています。では、レディーファーストで。

(永井) 大賛成です。皆さんおっしゃるので言わなかったのですが、これからは絶対にアートと福祉ですよね。福祉も自分の体に合ったものをデザインして、一人一人のための車椅子などが出てくる時代なので、それは、この歴史とはちょっと違うかもしれませんが、職人の文化の一つだと思うのです。私は金沢のかたがたは多分資産家が多くていらっしゃって、間違っていたらすみませんが、大事なものをたくさん持っていらして、それが壊れてお蔵の中に入っているというスタイルがあると思うのです。
 ですから、もちろんアップ・トゥ・デートなファッション産業や美大の学生さんの教室が町中にあって、夜でもそういう人というのはなかなか仕事が終わらないですよね。夜までごたごたやっているに違いないのです。そこの通りを歩くと通りを歩く人も楽しめる、ああいうことをやっているのだ、では一回あんなものを買ってみようかとか、そういう買い物のきっかけのようなものを作ってくれる。これは産業の振興につながりますし、そういうかたがたが第一線に出てくる。また、昔ながらの職人がいらっしゃって、例えばいろいろな修理のアトリエになるとか、そういう和洋混在した昔の物語と今の物語が混在するようなストリートになっていって、その間にカフェがある。
 そのかたがたに必要なのは、さっき申し上げた図書館なんですね。いろいろ資料がないと困ってしまうのです。映像も含めたいろいろな資料施設が点在していて、お互いに住んでいる人がストリートのアトリエを行き来しながら、新しい芸術的な産業、あるいは福祉でもデザインの優れたもの、洋の美を実現するようなものが出ていって、金沢の新しい産業につながるようになればと思うのです。

(三宅) アートの話になるとみんな盛り上がるようですが、特に現代美術館ができて金沢のポテンシャルが一気に上がったという感じがしています。私がこの5年ほど東京の下町で、長屋の空き家を使って「アーティスト・イン・空き家」というプログラムを運営してきました。最初は空き家にそんなことをするなんてと地元のかたがたからネガティブなイメージがあると怒られていたのですが、逆にアーティストはそういうのを求める。特に外国のアーティストが喜んで来てその中に住み込んで、これは木造の長屋を使っているので、コンバージョンと言うと格好よすぎるのですが、中の改装も自由にさせています。それから、昔のお店を借りて、東京の下町ですからそんなに素晴らしいものではないのですが、それを学生たちが好きに使ってよろしいということをやっていると相乗効果があって、しかもインターネット時代ですから外国からインターネットを検索して、どんどん申し込みが来るのです。我々はただ借りているだけではなくちゃんとお金を払って、それなりの資金を組んで若干は調達しているのですが、多分若い人たちには自分たちで好きなことをやらせるような自発性と場所の力が必要なのです。
 金沢の場合は場所の力プラス今度は美術館の力というのが働くようですから、ポテンシャルとしては非常にいいと。外国の大学などの団体、あるいはミュージアムでもいいですが、そういうものと連携しても面白いプログラムができるだろうと思いますので、うらやましい限りという感じが私はいたします。

(佐々木) 佐藤さん、ずっとお聞きになっていていかがですか。

(佐藤) 今の話から少し外れてしまうと思うのですが、私自身は、都市の風格というのは最初に代表幹事の飛田さんのほうからお話があったように、継続的に積み重ねていかなければいけないものがあると。これはそういうことだと思うのです。その中で私が日銀の支店長で、地域の経済というのをずっと各地で見てきていまして、今、地域経済が大変な転換点に来ていると。皆さん多分頭の中では実感されていると思いますが、やはり来年か再来年から人口の減少が進み高齢化が進み、それから、市長も今ご苦労されていますが、三位一体の改革で国と地方の関係がこれまでの関係とは全く変わっていく。要するにものすごい変化の中に入っていく時代に入ってきた。その中でその風格をどうやって保っていくのかということをそろそろ真剣に考えなくてはいけない。つまり、経済的基盤やこれを維持していくためのコストのようなものをどうやって作り出していくかという観点が、私はないといけないのかなと。
 例えば今回随分話題になりました金融機関の問題につきましても、これも要するに今までの仕組みとがらっと金融が変わってくるということで、さらにこれから多分どんどん変わっていくという動きでもあります。実はこの変化はやはりいろいろな形で出てくるはずで、そこにビジネスチャンスも出てくるし非常に大変なことも起こってくるという社会かなと、何となく思っております。そういう中で金沢がどういう経済基盤を持っていくのかというイメージからすると、私は多分、江戸時代に金沢がやはり消費都市であったと同じように、消費といっても物の消費だけではなくてサービスの消費を含めて、そういう時代になっていくのではないかと思っています。
 そういう意味では、多分各地域ものすごく大変で地域間競争が始まってきますが、昨日もちょっと申し上げましたが、実は新幹線というインフラが金沢には数年後とか10年以内にはきっと入ってくると思います。実はこれは大変大きな武器で、これを意識したまちづくり。これは別に観光客をたくさん呼びなさいという意味ではなくて、本当にそのときに観光客は多分入ってくるでしょう。しかし同時に、観光客が入ってくれば他地域からの企業も入ってくる。しかし、そのときに入ってくる企業は本当に金沢が望んでいるような企業形態として入ってくるかどうか、この辺は非常に分からないです。町を壊してしまうようなタイプかもしれません。ですから、そういうことはやはりもうそろそろ、あと数年となれば、そこを準備しておかないといけないのかなと。
 そういう意味では都市の風格というのを、その変化を先取りして。多分、金沢が今すごく注目を浴びているというのは、ここ何十年にわたって、金沢ではほかの地域と違う取り組みが経済界も行政のほうでも行われてきた。その結果今こういう形になっていると思うのですが、やはりそこが必要かなという感じがします。

(佐々木) どうもありがとうございました。、米沢さん。

(米沢) 実は私の会社も4年前から自分の会社のキャッチコピーを、「町が元気だから会社も元気」と変えております。先ほど市長が町内会でも非常にお金が集まるとおっしゃっていましたが、そういう意味では、経済界でも先日の世界遺産のキャンペーン推進会議で、あっという間に多額のお金が各企業から集まりました。そういう意味では、地元の企業がこの町に何かしたいと思っている、そんな町だと自分自身では思っています。
 私自身も実は広坂に一つビルを持っておりまして、去年「町衆の心意気を示せ」と代表幹事に言われたので、テナントさんは全部出ていける契約をしまして、自分で先にやってみようと思ったのです。ところが例の157号線だけの補助金であって、ちょっと広坂にかかるとそれが出ないとか(笑)。もう一つ自分でやってみて分かったのですが、やはり建築法や消防法などで、いざ直してみると相当大変なことだなあと思っています。今自分でその一つを変えようと思って1年がかりで討論していたのですが、なかなか結論が出なかったのです。そこで初めて小松さんと出会って、この家守にうちの1棟を任せて、三〜四つそこで面倒を見てもらったほうがひょっとしたら生きるなということを考え直しまして、昨日「お任せします」とお伝えしました(笑)。
 まだ大手町の中町通りにも一つ土地を持っていまして、あれが本当に今描いているような再現のとおりになれば、その通りをもっと元気にできるような建物なり施設を私自身で作って、心意気を見せようと思っています。そういう金沢の経済人はけっこうたくさんいらっしゃるので、何とかその意思を家守なら家守で集中させることが大事だと思うのです。そうすると、みんなそこに集中していただいたら、先ほど言いましたファンドという言葉はどうか分かりませんが、相当なお金は集まると思います。それで少し町を変えてみようという話ならば、私は十分合意が取れると思っていますので、そろそろ動き出す時期かと思っています。以上です。

(佐々木) もうだいぶ答えが出てきたのですが、半田さん。

(半田) 先生方の言われる意見を聞いて、若干何がいちばんベストなのかなという思いもあるわけです。さっき水野雅男さんもおっしゃったように、何か1か所どこか先行取得という形ができればいちばんいいのかなと。先日の新聞に東口の「もてなしドーム」も運営市民の会というのを作られて、これから運営していこうということも出ておりましたが、金沢の市民芸術村を含めてそういった形でやると、非常にうまくいくケースもあるのではないかという気もしております。ですから、そんなに大きくなくてもいいですが、少し手ごろな所で、行政にすべてお願いというのは何となくあれですが、我々ファンドならファンドでも何か先行取得のような形で、成功事例を作ることがまずいちばん大事なのかなという気がしております。

(佐々木) お手が挙がっている白石さん。

(白石) 地元の放送局の白石です。昨日からずっと聞かせていただいていて、大変いい具体的な提案がもう出尽くしたというぐらい出ていると思います。しかし、昨日福光さんが一言漏らした言葉が私にはとても気になっているのですが、こんなにいいアイデアが出ていて結局何もできなかったらどうなのだということがありました。やはりだれかに背中を押してもらわないと金沢の人は動かないのかねというそこのところで、もうまさに実行あるのみというところだと思うのと、それから小松さんが投げ売りの話を非常に遠回しにおっしゃっていましたが、私は今はものすごい危機だと思っています。もうあまり時間がないと思うのです。ですから、このアクションというのは本当に早く起こさないといけない、それをまず我々みんなで真っ先に認識すべきだと思います。
 それで、これも小松さんのお話になったと思いましたが、湯布院のリーダーのかた、それからそういう強いリーダーを外から迎える姿勢、そんなことがありました。本当に今こそカリスマ的なリーダーが欲しいと今すごく感じていますが、米沢さんが今、具体的なことをおっしゃいました。そういう1個1個をとりあえずすぐ始めること、それからちょっとそれますが、北國新聞さんがさまざまな提案を具体的に新聞社としてやっておられて、私は非常に尊敬もしていますし、うらやましいと思っています。我々民間放送はなかなかオピニオンというものが持てなくて非常にはがゆい思いをしているのですが、このケースの場合はサクセスストーリーを一緒に作っていって、それを番組にし全国に発信すると。そういうことで永井さんもさっきおっしゃっていましたし、ほかのかたもおっしゃっていましたが、欧米の人たちでここの町に関心を持つ人はたくさんいます。ただ問題はそれがちゃんと伝わっていないというところだと思いますので、テレビの役割としてはそういうことがあるのかなと思います。とにかく時間がないのだということをまず全員で認識して、小さいことでもいいですからできることをとにかくやっていこう、それを私たちがバックアップしてPRしていこうということを今考えております。

(佐々木) ということで、市長さん、もう一度お願いします。

(山出) 県庁跡地をどうするかという話がありまして、僕はこの間「にぎわいと風格を両立させるときは、緑の空間という意味ではないですか」ということを、あるところで申し上げたのです。「にぎわい」と「風格」、この双方を両立させるのは緑の空間形成かなということを申し上げたことは事実で、新聞に出ました。しかし、にぎわいと風格は、本当は相反する概念のように思えてなりません。にぎわいというと経済性を求めますし、大衆化、通俗化に通じますし、ひょっとしたら薄っぺらい感じにとれます。逆に風格というとやはり歴史性とか文化性にかかわるし、にぎわいを薄っぺらいととらえるとしたら、片や風格は何となく重厚、ゆとりとか落ち着きにもつながる。しかし、金沢という町は両方クリアしなければいけないということを、実は思っているのです。
 今朝、市の職員から、「大内先生が新旧双方の葛藤のある町がいい。緊張関係がある町がいいとおっしゃった」という報告を受けまして、大変興味深くお聞きしました。僕も実は、そんなことを絶えず思っています。しかし、行政にすると随分わずらわしくて大変なことなんです。伝統文化の町にポストモダンを作るということは、川勝先生、なかなか大変なことで、決して楽なことではありませんでしたし、これからも大変だろうと十分意識をしています。しかし、これをしなければだめなんだという思いが片やありまして、そういう意味で相矛盾する理念や概念を対比的に調和させていく、これが僕は金沢の宿命だと思っているのです。
 そんな意味で、今、武蔵から香林坊も対比的な調和を図っていく場所、にぎやかでなければいけないし同時に風格がなければいけない。そう思っていまして、そこに使う手立てが人はアートと言ったりなさるのだろうということを、実は思っているのです。双方がかなえられるようなことでなければいけないと。私はここに来て、ファッション産業ということを言い出しました。決して美術文化とかそんな領域で僕は思っていませんで、ファッションをビジネスやインダストリーにつなげていきたいということを、本当にかねがね思ってきました。やっとここに来て美術館ができて、eAT KANAZAWAが8年間続いて、ITビジネスプラザが武蔵にできて、美大にファッションデザインコースができると。いろいろな条件がやっと来たなという感じがあり、そこでファッション産業都市宣言ということを実は議会にお願いしたわけなのです。
 皆さんに申し上げておきますが、武蔵と香林坊の間、南町とか堤町とか、なぜ金融機関ばかりかと。僕はその背景はきっとと思っているのですが、裏側の松ヶ枝町に繊維の産元のお店がたくさんありました。そして、繊維が相対的に地位を下げてきた。だから南町、堤町の金融機関が原形を失ってきた。私は金融機関と繊維とのかかわりは相関していると思っているのです。きっとそうだろうと。そうすると、金沢のテキスタイルやアパレルが元気をなくした。市長として、これがやはり長い間の僕の気持ちの中にあるのです。ほうっておけんな、何とかしなきゃいけないなと。しかし、私一人でそんなことをできるはずがありませんで、悩んできたことは事実です。
 これからの金沢の産業をどうしたらいいのですかとたくさんの人に聞きましたが、なかなかいいアイデアが僕に届かない。澁谷さんは帰っていかれましたが、澁谷さんに福祉はどうかと聞いたら、福祉機器というものは体位に合わせ、個人の一人一人の体の部位に合わせて作るものだから量的生産は不可能だ、こんなものは業として成り立たないとおっしゃったから、そうすればこれもだめなのだなと。いろいろ悩んできまして、ここに来ていろいろな条件を考えると、少しずつ整ってきたかなと。それなら一度ファッション産業と言ってみようと。繊維の業界の皆さんは大変ご関心でありますし、今までいちばん弱いところを市長は突いているので、やろう、応援するよということになりました。もちろん繊維だけではありませんで、ファッションというとアクセサリーも含むわけですから、広い意味で生活文化一般の新しいデザインを作っていくということで申し上げてきているので、何とか少し頑張ってみたいのです。
 それで、金沢という町は本当に僕は幸せだと思っているのは、「市長、ファッションと言ったら、和ということも心しなければいけないよ」と。確かにファッションというと一般的には洋の領域でありますし、そして絶えず変わるものですから、流行即ファッションです。そうすると、逆に和というのは不易なので、日本人の心の原点を言うわけですから、これは変わらないわけです。不変の原理ですよね。そうすると逆の発想も提示する、ここが僕は金沢のいいところだなと。新旧の葛藤とよく似て、和があれば洋がある。先ほど松本さんがいろいろな価値観が混在した町がいいとおっしゃいましたが、私もそういうことを思っています。そういう意味でこの新しいファッションをビジネス、インダストリーに結びつけていきたいなと。これは金沢らしい業態かなという思いもありまして、ぜひ皆さんの力でやってみたいのであります。ぜひよろしくお願いしたいと思っています。
 私はこの間その繊維の業界のお偉い人と話をしていましたら、つい最近アメリカのピッツバーグへ行ってきたと。しかし、郊外の大型店が元気をなくしていたという話でした。戦争が済んでしばらくの間、ここにいらっしゃる先生のことを申し上げているのではないのですが、日本の都市工学者が青年会議所などの若い人たちに呼びかけたことは、「アメリカへ行って勉強していらっしゃい。行き先はロス、カリフォルニアへ」とおっしゃったわけです。現に行ったわけです。郊外に緑豊かな広大な敷地があってそこに住んでいて、大変生活環境がいいと。勤める場所が離れているがそれをハイウェイで結んで、非常に合理的な生活をして機能的だ、あれを見ていらっしゃいと。現に金沢の青年会議所もたくさんアメリカに行きました。ところがここに来て学者のおっしゃることは、「ヨーロッパに行きなさい。食と住が近接して、そこに何ともフレンドリーなコミュニティーを作っている」とおっしゃる。
 私は、あとにおっしゃった説がいいのではなかろうかと。こういうことについて佐々木先生もいつも私に教えていただくのですが、私も実はそういうことを思っています。そういう意味で町の中を凝縮させるそういう時代、これが日本の大事な都市政策のこれからだと思っているのです。ただ、今日まで日本の社会にいい都市政策がなかった。都市政策が欠けていた。だから、こういう現象が起きているのであって、今、土地価格も下がってきましたのである意味ではいいチャンスだと。外へ外へと伸ばしてきた町のありようを真ん中へ真ん中へと移してきて、そこを凝縮させて成熟させていく、そういうことだろうと思っています。その手法の一環がまさに議論されている武蔵と香林坊の町並みをどうするかというテーマだろうと思っています。力及ばずですが、またいろいろな意見を聞かせていただいて、みんなでいい町にしたいと思います。

(佐々木) もうすっかりいい気分になってしまいましたが、一方で課題もまた出てまいりましたので、いったん休憩を取らしていただいて、総括という形にしたいと思います。それではいったん休憩させていただきます。



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