第3部 課題2 「活性化の仕掛け」
     
   



(佐々木) どうもありがとうございました。第1セッションでは特に南町、にぎわい回廊と呼んでいますけれど、金融機関がたくさん集っている。ここが、大変大きく変貌を遂げようとしていますし、そのデッサンについていろいろ意見が出たわけですが、この第2セッションでは、ターゲットを絞りまして、小松さんから具体的な提案があったのですが、大手の金融機関が所有している比較的大きめのビルが、恐らくここ数年のうちに、かなりの勢いで売却されそうであると。こういうラッシュが続くと、金沢の風格、風情は台無しになるのではないか。せっかく21世紀美術館があるけれど、そのすぐ足元から、例えば風俗系の店がいっぱい出てくるとか、あるいは巨大な空き地ができるといった可能性がある。
 そういう中で、オーナー会社の動けない、オーナー会社では汗をかけないような領域について、具体的な、例えばゼンの宮田さんが言われたのは、創造産業系のオフィスを、かりに地元ないし大都市圏から誘致するといった場合、そのテナントのかたとの間に立って実際に汗をかく。そして、管理までやるようなことを家守と。これは江戸時代に家守というものがあって、金沢にも恐らく何人かの家守がおられたと思うけれど、こういう家守会社、ないしかなりNPO的かもしれません。そういうものを、例えば金沢の市民のかたが共同で出資されて作ったらどうかということでもあったと思います。ともかく行政は、かなり説明がありましたように、具体的な助成金の制度まで準備していると。しかし、その間に立って物事を動かすためには、まだ何か欠けているのではないかという認識のもとで、今のような提案があります。
 これについては率直に質問、あるいはご意見とか、あるいはまた宮田さんとは違う角度から、自分はこう考えるということでもいいと思いますが、ご意見をお願いします。

(小林) 都市再生機構の小林と申します。私は今回、小松さんの応援団という形で、多分呼ばれたと思うのですが、一言お話しさせていただきます。今、都市再生機構というところに居ますが、この7月からこの組織ができまして、その前は地域振興整備公団というところで仕事をしておりました。したがいまして、ご案内のかたはご存じのとおりで、石川県では能登の中核工業団地や松任のリサーチパークというものをやっていました。今、工業系の企業誘致の話がありましたが、私自身も実は営業もやっておりまして、随分いろいろな会社の人をこちらに連れて来たりして、成果というと、自分の成果はそんなでもないですが、能登でもとにかく相当な企業さんが出てきたと思います。
 そんな立場でずっと来ているわけですけれど、結論的に言うと、今の時代は工業も必要ですけれど、やはりそれだけではなくて、こういう特に金沢市の中心とか、こういった場合には、新しいビジネスということに結局はなるだろうと思います。今日聴いていて、時代が人あるいは企業を作ることを改めて思ったわけですが、この宮田さんの会社、あるいは宮田さんが、ある種典型的なかたなのかと思った次第です。それは、やはりひっくるめていえばデジタル産業で、しかもデジタルそのものもありますが、それがレストランになったときの裏に、デジタルが隠れていることが多分ポイントで、そういう見方をすると、皆変わってしまうと思うのです。
 うちの地域公団、あるいは都市規模に移る過程で、私が割と当たっている仕事はSOHOです。SOHOビルは三鷹で産業プラザというものをやって、そこをプロモートしていて、シニアSOHOということで、商社を辞めたかたが中高年の働く場所をうまく地域の中につくっていくことをしています。皆、裏にはデジタルがあるのですが、そういうものをやったり。それから、相模原の産業創造センターというものです。これは、こちらでいうと澁谷さんのようなかたなのかな。ベンチャービジネスのかたに社長になっていただいて、あまりお役所仕事でない形で、新しいビジネスを作ることをやってきています。ですから、ビジネス・インキュベーションという新しい仕事、新しい起業家たちをどう作るか、あるいは入ってくるかということに尽きると思う次第です。
 家守は、実は私の友人が、ちょうど千代田区の神田から馬喰町、横山町辺りでの家守事業をやっているのです。それを横目で見ながら、地元のリーダーの人と仲良く酒を飲んだりして。岡目八目でよそから見ていると、やっぱりこれは必要だということですけれど、その中身は何かというと、これはやはりプロモーションという言い方がいいと思うのです。さっき私は工業団地、企業誘致と言ったわけですけれど、家守で、かつこの時代は、中の人たちがどれだけ元気になってやっていくかということになりますから。やっていることは何かということは、単にオフィスの床をコンバージョンしてただ貸すということだけではなくて、地域全体をどう活性化するかということでイベントをやったり。馬喰町、横山町は、もともと繊維業関係の大問屋街だったのです。日本のいろいろな拠点だったような地域ですから、ちょっと今は落ち目ですけれど、それをネタに、デザイナーを集めてイベントをやると。そんなことをやっているのです。
 そこでもう一つ、見ていて面白いと思ったのは、やると学生、若者がどんどん入って来るのです。しかもボランティアで。今どきの学生という議論があるわけですけれど、決してそうではなく、今どきの学生は皆元気で、新しいことをやろうという力を大変強く感じるところです。ここには金沢工業大学があるわけですが、そういう人たちをうまく引き込める形にしていけば未来はあるのかなと。そのプロモートの汗をかく人がやはり大事で、多分小松さんがご自分でやるのがいちばんいいとも思って聴いていましたが、そんなことです。
 もう一つだけ言わせていただきたいのが、前半の議論で、今日の2部のほうの議論で、水野先生から片方、ビルの1階部分の半分を公共にしなさいという話と、広坂通りは道路の一部を歩道にしなさいという話があったわけです。そのどちらも、多分パブリックかプライベートかというか、セミパブリックという概念になるのかもしれませんが、ガバメントではない公共空間という意味で、両方をうまくハンドリングできると・・・。もっというと、広坂通りで出てきた土地を、例えば屋台か何かを出して、そのときには土地代を取るような形にして、今度、ビルの一部を公共に開放するとしたらそちらの費用に回すとか、そういう第2の公共というか、お上、官ではないけれど公であるという仕組みがあるのかなと思いました。その仕事が、広い意味での家守が地域プロモーションという中で、もうかればそれでいいし、もうからなくてもそういう主体になる。そういう併せてやるという話を意見として述べさせていただきました。失礼しました。

(佐々木) どうもありがとうございました。

(福光) 要するに、午前中に経過報告をさせていただいた中にもありましたが、金沢の場合はこんなふうにしてまちづくりをどうするかということを延々とやってきて、行政も逆にあれだけ一生懸命にやられて補助金制度を作られた。しかし、やればやるほど、「結局、町衆一人も動かないじゃない」という話になってきまして、「大変だ」ということで、今日のこの第2回の金沢学会になっているわけです。小松さんから「今日こういう方式をこの学会でやってもいいかね」という話のときに、本来、これは大変珍しいやり方だと思うのです。家守制度の説明を小松先生がされるなら学会らしいけれど、宮田さんにまで来ていただいて、宮田さんがここで「私は来たいけれど、だれかいませんか」というプレゼンをされておられる。ここまでしていただいて、市と県の補助制度があって、もっと多くなればいいでしょうけれど、それはそれとして、周りにいるかたがたに、私も含めてですけれど、「ここまで来て動かない町でいいのかい」と。それですので、よくお聞きになって、また発言もしていただきたいと思いますし、ぜひお願いします。

(水野誠一) 今の家守制度というか家守事業という考え方には総論で大賛成ですし、そういう表からの刺激が非常に大事だと思うのです。これは、宮田さんなんかが来て刺激をしていけば、若い連中が新たに起業したりとか、そういうことで反応するのは目に見えている。ただ、重要なことは、意外と中からわき出るパワーというのが、若い人たちだけにあったのではだめで、既存の事業、例えば先ほど福光さんから、ファッション産業都市宣言というものがありました。これなども、実は私は周辺からお手伝いをしていたというか、私の事務所のスタッフがお手伝いをしたのは、繊維リソースいしかわというプロジェクトがありました。県内の合繊事業を何とか活性化したいということで、イタリーのデザイナーを連れてきて洋服を作らせる。東京にあるユナイテッド・アローズという、いちばん今おしゃれなセレクトショップで1000点の商品を出して、その75%を消化した。これは大成功です。
 ところが、そういうことでパイロットショップを東京に作ったのです。しかもいちばんおしゃれな代官山に作ってやっているのですが、あとが続かない。それは何かというと、関係者がいらしたら申し訳ないけれど、既存の合繊事業をやっておられる人たちが、自分のリスクで「この事業をやって世界に金沢の、非常に高品質で高機能のポリエステルを売っていこうではないか」というところになかなかいかないのです。悪く言ってしまえば、賃加工の待ち受け下請業者というところから意識が脱皮できない。そういう問題が、これは例えばまちなかの、いろいろな事業をやってこられたかたがたにもあると思うのです。そこを変えていく刺激がせっかくあるのだから、それを変えていく仕組みがもう一つ必要ではないか。
 それは、確かに助成金というものがある。これは一種のインフラですからいいのですが、今皆さんからお話が出ているように、利用実績がないことは、やはり何かおかしいのです。仕組みがかみ合っていない。私が今までずっとやって研究しているソーシャル・マーケティングというものは、まさに行政の歯車と民間の事業の歯車と、市民のパワーの歯車と、これをいかにかみ合わせて三つを回すかということですが、今やはり何かがかみ合わないというか、歯車がかみ合っていないという大きな問題がある。そこが何かを今、ここで議論するわけにはいかないかもしれませんが、それを見つけて発見しない限り、何か宮田さんが一人で頑張って、若者たちは反応したけれど、結局、町の活性化にはつながらなかったということになるような危惧が僕には非常にあります。
 そこを今後、どういう形でそういう問題を解決していったらいいか、皆さんの知恵を少し引っ張り出す必要があるのではないでしょうか。

(福光) 水野誠一さんがおっしゃいました「何かまだあるんじゃない」というお話も、もう少し考えればあるのかもしれませんが、「金沢の場合はもうないんじゃない」という感じもあるのです。あとは結局、後ろから最後にだれが押すか。新しい時代に飛び込むのに、かなり皆遠慮されて奥ゆかしいところもある。
 これを長浜と比較すると、あの黒壁というものがありまして、あの親分たちは青年会議所の理事長経験者たちで、あの親分の笹原さんという人が、強制的に家守制度を作らせたのです。いってみれば、1000万円ずつ出させるという。それで、どういうわけか分からないですが、ガラス工芸のような話で、ヨーロッパのガラスを持ってきて町を作っていって、長浜の人の中には市長さんは笹原さんだと思っていた人もたくさんおられるそうで、あれは非常に乱暴な話でしたが。しかし、笹原さんというリーダーシップが、皆をボンと後ろから押して、危機感を煽ったというのが一つの成功だったと思います。
 金沢の場合は、危機感の認識がまだちゃんとそろっていないという気がします。先ほど小松さんがおっしゃいましたように、このままでいくとあの道筋のビルは全部売りに出されるという話を、僕らがどんなふうに真剣に考えるかという面もあると思うのです。もう少し考えて、仕組みがおかしいなら直さなければいけませんし、「やはり最後にはボンと押されなきゃ動かなくていいのかね」というところは、私も含めて自戒の話ですが、そういうふうにも思っております。

(  ) そういう一人の、パワーあるカリスマでもいいのです。ともかく何かが、内なるパワーを動かしていく歯車にならないと、絶対にこれは小松さんや宮田さんの努力が空回りしてしまう。これは、ほかの都道府県、地方自治体でも同じような例があると思うのです。これは、やはり金沢では絶対に成功事例を作りたいと思ったときに、僕は福光さんとかいろいろなキーマンが、若いというかパワフルなキーマンが、具体的に何をやっていくかと。これは、もちろん澁谷さんとか皆さん経済同友会が、そういう歯車にならなければいけないと思うのです。
 ですから、私も本当に最初の初動で、非常にさっきのいいプレゼンテーションで、これだけの助成制度があるけれど、利用実績なしという問題の大きさです。それを、ここでは皆で考えたほうがいい気がします。

(小松) ある部分、ご質問にもお答えしながらということでご紹介したいのですけれど、先日、湯布院に行ってまいりました。湯布院が今、町村合併で大変揺れているのです。揺れているのですが、湯布院を支えてこられた、皆さんご案内の中谷さんや溝口さんにお会いすると、「いろいろあるけれどこれからだ」という意識も大変あって。要するに、湯布院の町がほかの町と合併されようが、湯布院のアイデンティティをどうやって生かしていくか。
 そのときに、私がいつも訪ねるたびに感心することは、外のかたを大変温かく受け入れている町なんです。湯布院の観光事務所の事務局長をやっている米田さんというかたは、東京都の職員から公募で入られているかたですし、今の町会議員で小林さんという女性が、中谷さんの秘書から入られていますが、このかたも東京出身のかたで、町会議員として頑張っておられる。あとは、湯布院の町の料理研究会のトップでいらっしゃる新江さんというかたは、これまた大阪とか、域外のかたに見事に活躍の場を与えていらっしゃる。
 金沢も実は歴史的には前田家のお殿様が全国から人を集めてきて、伝統の工芸産業の金沢を作ってこられた。要するに、歴史をさかのぼっていくと、金沢にもそういう知恵が働いているはずで、どこかに遺伝子が埋め込まれているはずなので、私はそこの部分はある部分、楽観的というのは変ですが、どこかにきっかけが出てくれば、必ず実るかなと。ただ、実るときの第一歩は、やはりいい実績を出さないことには皆さん逡巡されるので、最初の一つを何とかやらせでもいいから成功させることが、私はいちばんいい道かなと思っています。
 もう一つ申し上げたいのは日本人の特質で、いろいろなかたがある場でおっしゃられたのは、非常に匠の力というか物づくりといいますか、一つ一つコツコツとやる能力は大変高いと。これは、世界に冠たるものです。ところが、全体を見渡したときの全体の最適化といいますか、全体最適を図ることがなかなか苦手なところがあると。要するに、部分最適は得意だけれど、全体最適が苦手。その部分最適の積み重ねが、皆さんが努力されると、経済学的に言うと合成の誤謬みたいなことが起こって、皆が頑張っているのに、皆がストレスを感じる。こういうことが、どうも金沢の今日のお話もそうですけれど、私はちょっと冷めた見方をしてしまうと、こんなに努力されているのに何でうまくいかないのだろうということが、どこかに合成の誤謬が働いているので、そこのちょっとしたきっかけを、やはり何か具体的な成功例で示すことが、恐らくいちばん、福光社長もおっしゃられたような、「とにかくやるしかない」という気持ちで、一つ成功例を出すことではないかという気がしているのですが、そこはどうでしょうか。

(水野誠一) 全くそのとおりだと思うのです。私は、やはり一つは今までの常識を21世紀は否定すると。つまりリセットすることを、各古い伝統のある企業ほどやってみる。つまり、それは意外と、そのソリューションは伝統のいちばん元に戻ることかもしれないのです。例えば先ほどちょっとご用聞き制度というものが、これからの新しい流通のサービスになるという話を雑談でしていたのですが、例えばそういうところまで戻っていくということも含めて、20世紀の効率経営というものの常識を一度捨てないとだめだというところから、例えば地域のいろいろな企業の人たちに対する教育は、すごく必要ではないかと。
 私は先ほど繊維のことを申し上げましたが、面白いのは日本のファッションメーカーというのは、合成繊維の価値を全然分かっていないのです。つまり、日本のオンワードであろうがワールドであろうが、そういうところが合成繊維をすごくバカにしているのです。ところが、世界的に有名なアルマーニとかプラダとか三宅一生という人たちは今、金沢の合成繊維をすごく使っているのです。ということは、宮田さんの感覚というのは、日本人の感覚ではなくて、まさに国際的な感覚で、「金沢は面白いね」と言ってくれている。だから、金沢は東京に向いて何か東京にコンプレックスを感じてやるとか、京都に向いて何か京都と同じようにやろうという発想ではなくて、「世界に向けていくんだ」という、何か共通のテーマを持てることによって、皆さんの意識はすごく変わるのではないかと。何か東京と比較したり京都と比較したりしている以上は、目標がなかなか越えられない。そんなことはいい、東京なんて相手にしていないという感覚が金沢の中に出てくると、これはすごく面白いのではないかということも一つヒントかなと思います。

(佐々木) 水野先生にはプレゼンテーションをお願いしたほうがよかったかもしれません。それでは、水野一郎先生。

(水野一郎) ちょっと市のほうの弁護に入りたいと思います。住宅へのコンバージョンについては、まだ1年半ぐらいしかたっていないということと、金沢の場合はまだ住宅の賃料がものすごく安いのです。オフィスビルが下がったといって、あの辺は坪7000円ぐらいですが、坪5000円ぐらいで借りられるのです。そうすると、7000円のオフィスビルを改造して、直して1万円になってしまったら、だれも借りないだろうということが分かっているわけです。ですから、1年たって「これは危ない」ということで、オフィスビルを追加したわけですが、それが始まってまだ2か月なんです。ですから、当然だめですけれど。
 市長がすでに東京へ行って、東京で石川県出身の起業家の人たちに県人会で説明したり、東京でトップセールスを展開して、まだ3週間かそのくらいです。だから、非常に時間がたっていないので、成果が出ていないのは当然だと思っています。そういう意味で、もう少し長い目で見守ってあげたいということが1点です。
 2点めは、20年ぐらい前でしょうか、東の茶屋街が売りに出たのです。これは、大阪の人が買いに来るとか東京の人が買いに来るというので、前の江川市長がご心配されて、「何とかならんか」ということで、私なんかも中間に立ってやったのですが、そのときに若手経済人、青年会議所の人に4〜5軒買ってもらったのです。今、その人たちが経済同友会で活躍していますので、私は期待したいと思います。そのときに、買った東の茶屋の店が今は非常にきれいになって、あそこのにぎわいにつながっております。これは、非常にいい事例だと思っております。

(中村) 同友会会員の生駒シービー・リチャードエリスという会社の中村と申します。まず簡単に当社の説明をさせていただきますと、今、空室率、ビルに空きが多いといわれていますが、そこに我々はテナントさんを紹介する仕事を全国でさせていただいております。例えば東京からですとか、札幌に本社がある会社ですとか、大阪に本社がある会社が、金沢で事業所を開きたいといったときに、我々がその企業さんのニーズに合ったものを提供させていただくという場の提供、いわゆる仲介の仕事をさせていただいております。家守事業者ということでいくと、大きな枠の中でとらえると、我々も一部、家守の仕事に携わらせていただいているのかとずっと思って聴いておりまして、先ほど小松先生がプレゼンテーションされましたところに付け加えて、具体的にもう少しこういうふうにしていけば、もっとよくなるのではないかということだけ申し上げさせていただきたいのです。
 どこから家守事業者の下に入っていただくテナントさんを引っ張ってくるかといいますと、まず一つは前々から申し上げていますが、ここに素晴らしい社長様や会社の経営者のかたたちがたくさんいらっしゃいますが、そういうかたたちが、もう少し都心の中に戻ってくることも考えていく時期に来ているのではないかと思います。ただ、そうはいっても、やはり本社があったり工場があったり、いろいろな問題がありますので、何も100坪も200坪も床を使ってくれという話ではないと思うのです。そこに、家守事業とマッチングするのですが、ビルの設備からいきますと、大体分割できるスペースは、20〜25坪がワンスパンになっております。これを家守事業者が、ビルをコンバージョンといいますか改装して、それぞれもう少し小さなブースに分けて、例えば10坪とか5坪とか、それこそ机一つですとか、そういったブースに分けることによって、皆さんに借りやすくしていただくものを提供できれば、それほどコストもかからずに、また町中ににぎわいが出てくるのではないかと考えます。
 それから、水野先生もいらっしゃいますが、大学です。今、郊外のほうに行ってしまいましたが、町中にサテライトの教室のようなものがあってもいいと思います。私どもは、先ほど申し上げたようなテナントさんを紹介させていただいている仕事をさせていただいておりますが、金沢は実は、新規で事業所を開設したいという企業さんが今増えているのです。これは、あくまでも当社のデータになりますが、去年から比べても6〜8ポイントぐらい、新規で金沢に新しく事業所を出したいという企業さんのお世話をさせていただいています。ところが、先ほど申し上げたように、ビルの設備が20〜25坪では、実はちょっと大きすぎるのです。新規開設の企業さんですと、大体2人や3人でスタートされますので、10坪とか8坪とか、それぐらいあれば十分だという企業が多くて、そういう人たちがなかなか行き先がない。例えば、マンションに入ってしまうとか、非常にビジネスチャンスを逃していることになっています。ですから、先ほど小松先生が言われた、家守事業をそこにマッチングさせて、もう少し使い勝手のいいものを提供してあげれば、我々も十分にお手伝いできると思いますし、エンドのユーザーさんにとって、ものすごくマッチングするような事業になるのではないかと思います。
 すみません。余談ですけれど、ファッション都市宣言をしておりますが、今日はこちらにお見えになっているかたで、どなたも和装のかたがいらっしゃらないと感じております。私も転勤者でこちらに来ているのですが、まず我々からちょっと外に出るときとか、ご自宅に戻られてから片町のほうに行かれるときには、胴着や着物に着替えていくところから始めるというのは、まず自ら率先という意味では取り組みやすいと思います。

(佐々木) もう少ししか時間が残っていないのですが、菊川さん、ずっとお聴きになっていていかがですか。

(菊川) 自分たちで守るのか、もしくは先ほどの小松先生のお話にもありました外の力をどう借りるかという二つのやり方があると思います。たまたま昨日と今日、遅れたのはそれがあったからですけれど、昨日、今日とJETROさんという、海外からいろいろなことをやっていらっしゃる政府の団体ですが、そこと組んでIT系の企業を9か国、これは欧米、アジア、イスラエルから来られたかたもありましたが19社、総勢で30名ぐらいのかたが来られました。私は、ある意味でガイド役のところがありましたが、本当は予定していたバスが通るルートがあったのですが、無理やり武蔵のほうから「こっちのほうを通ってくれ」と。21世紀美術館とか、「通路をこっち通ってくれ」と無理やりバスの運転手さんにお願いしまして、その中で、ずっと「武蔵のここにはフィッシュマーケットがあって」とか「ファッションストリートがあって、いろいろな美術館があって21世紀美術館があって」という話をすると本当に驚くのです。「自前のオーケストラもあって」というと、「一体ここはどこなんだ」と。非常に恵まれた土地だと言うのです。確かに、彼らはITのビジネスをやっていますが、そういう中でクリエイティブ、ソフトウエアやネットワークが中心ですけれど、そういった人たちは環境をすごく気にするので、そういった人にとってみると非常に魅力的な地域だということをおっしゃっています。実は、数名から「来年春にもう一回来たい」と。自分の国の人たちをもう少し連れてきたいという話があるので、そういった外国の企業をどう使うかということが、一つあると思います。今、政府全体で、対日投資を倍増しようという話もありますし、そういった視点を県や市の制度の中でも、もう少し柔軟にしてもいいと思います。
 あとかみ合わないというのは、いつも行政が何か政策をやるときの悩みですが、ある意味で制度的にしかたがないところがあって、例えば国は年度主義で予算が組まれている。ところが、ビジネスは明日、明後日の話をどんどんやっているというところで、かみ合わないのは当然のところがあって。ただ、これから今の市長さんや知事さんが頑張っておられますが、三位一体でどんどん地方にいろいろなものが落ちてくると、ここがもっと柔軟になってくるのではないかと思っています。
 それとかかわり方で、私は実は別のNPOの活動の中でやっているのですが、やはり消費者というか納税者が、直接政策にヴォートしていくというか投票していくような仕組みで、最近は1%ルールとかいって、自分が納めた税金のうちの1%は、それに対して直接選択権を持つようなやり方。ですから、政策の人気投票です。これなら、自分の税金が使われてもいいというものに、1%は直接民主制を与えることをやっている地域も出ているようです。それが、三位一体のようなものの制度改革がいろいろ変わってくると、ますます地域、地域で、より住民と密接に近いところで施策が決まっていく。そうしてくると、こうしたかみ合わせが、もう少しうまくなっていくのではないかという気がします。

(佐々木) ありがとうございました。今お話に出た武蔵のエムザの神野さん、ちょっとご意見を最後に頂けますか。

(神野) ご指名いただきまして恐縮です。今日は、本当はお昼の第2部からと思っておりましたが、第3部からの出席なので、要領を得ていないところがあるかもしれませんが、今、ここに提案シートを、いろいろ伺いながら、少しずつ書き始めたところです。まず一つは、福光様がおっしゃった金沢、私は名古屋から来た遠所者ですが、やはり行動様式がちょっと変わっているというといけませんが、独特のものがあるのかなという気もしております。外圧でこの行動様式が少し変化する。先ほどおっしゃった覚悟、後ろから背中を押されて、思い切って踏み出すことも期待したいかなという気持ちでおります。
 ここのところ、私は百貨店の仕事をしておりますので、百貨店協会も各地方都市の中心市街地の活性化というものについては、非常に危機感を覚えておりまして、9月に青森、つい先月の11月に、佐世保に関心のあるメンバーで行きました。9月は大和の大井会長が青森に飛行機が降りられずに参加できなかったのですが、佐世保には一緒に行っていただきました。活性化というのは、先ほどお話を頂いたとおり市民、住民の活動が原点だろうと思うのです。地方自治も住民の自治ですし、そう思います。そうなると、やはりそのために、だれか強力なリーダーシップというものが要るのだろう。特に、スタートの時点で「さあ、これから」というときには、そういうかたが必要だろうと思っております。市長や、知事となると範囲が広すぎます。青森も佐世保も、本当に大変な市長を先頭に、商店会長さんとか百貨店の社長、会長、あるいは店主、そんなかたたちが、いわゆる三バカとか四バカと言われながら、それを誇りにしてやっておられるというところが、随分金沢と違うなという気がしました。
 大変りっぱなかたでしょうけれど、自分で「私もバカと言われております」などと言って、平気で言われるわけです。そういう意味で、同友会あるいは商工会議所というものが、ある面で前面に出ずに、側面からバックアップしていく仕組みが要るのではないか。それがあると、水野誠一先生がおっしゃったうまくかみ合うという雰囲気が、より出てくるのかなという気がしております。
 ちょっと生意気なことを申し上げましたが、そういうふうにも感じております。以上です。

(佐々木) どうもありがとうございました。時間が超過しておりまして、そろそろまとめたいと思います。当学会は、あれこれ議論するだけの学会ではなく、行動し実験することを旨としていますので、今日議論したことが、早いうちに実践的な結論といいますか、実験的なプランが生まれることであるだろうと思います。何といっても、テンポが速くなってきていて、従来、金沢経済同友会ないし金沢市や石川県も、地方都市の中ではかなりの学習を積みながら新しい実験を試みてきていますが、この数年、それにも増して状況の変化が早いものですから、そこでかなり迅速な意思決定が必要とされているということを、今日改めて皆さんの話の中で思いました。これは、また明日、市長も交えて、具体的にどんなプランとして実現できるのかということで、引き続き議論したいと思いますし、今夜また、このあとのレセプションで、もっと思い切って胸を開いて話をしたい。あるいは、提案シートもございますので、ぜひそれをご記入いただきたいと思います。
 それでは、第3部の課題について、これでいったんお開きとしたいと思います。どうもありがとうございました。


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