第2部 課題1 「都心のデッサン」
     
芝浦工業大学教授
大内 浩
   


「都心のコンバージョンの基本的な考え方」
 

 今度は文字だけのプレゼンテーションで問題提起をします。次の水野先生のご発表等々に、どういうふうにものを考えたらいいかという問題提起です。
 今日は「都市の風格」という大きなテーマが掲げられておりますが、逆にいいますと、風格というものが失われてしまった。そして今、水野雅男さんからいろいろとご説明いただいたように、この南町界隈あるいは武蔵から香林坊、そして広坂に至る道は、実は本来であれば、まさに金沢の中心であり、にぎわい回廊として最もこの金沢の風格を代表しなくてはならない都心軸であるわけです。一応そこが現在も行政的には中心市街地の特定地域ということで重点地区の整備ということになっていますが、先ほどのご説明にありましたように、人口あるいは事業所、経済活動等の規模からいっても、ここは金沢全体のわずか2割でしかないということで、逆にいうと、もはや中心市街地という言葉が何か皮肉に聞こえるというか、これはただの旧市街でしかないという厳しい見方もできるのではないかと思うのです。実は、中心はほかへもう行ってしまっているのかもしれないという厳しい見方も、まず必要ではないかと思います。

●なぜそういうことが起きたのでしょうか。実は、金沢だけではなく東京も含めて、日本の都市がある種の中心性をかなり失っているということが、最初に私が申し上げたいことです。失われる要因として、とりあえず私は三つ挙げておきました。皆さんほかにも議論があるかと思いますが、一つは産業社会以降、分業化が進んで、実は都市というものも、それぞれが単一の機能を持った都市に生まれ変わっていったということだと思うのです。例えば住宅は住宅地、オフィスはオフィス、工業地域は工業地域、学校は学校、商店は商店という形で、これは都市計画の言葉に言い換えますと、ゾーニングということです。
 現在、都市計画のやり方として、13の分類をもとにしてそれぞれの市街地の用地を用途ごとに区分けして、例えばそれぞれに容積率や建ぺい率等々の規定がなされているのですが、果たしてそれが私たちにとって都市の風格やにぎわいということを考えるのに、本当に良かったかどうかということをここで反省してみなくてはいけないということが、まず第1点です。
 非常に単一機能化した都市、特に都市の中心が、先ほどもお話があったように、例えば金融のオフィス街になってしまっている。そして、夜や休日はほとんど人気のない空間になっていっている。これは、産業社会が進む以前はどうであったかというと、先ほどの説明にもありましたように、もっと複合的な町であったわけです。商店があり、その2階あるいは裏手に住んでいたかたもおられたわけです。極端な話、学校も例えば寺小屋的な教育ということまで含めますと、さまざまな複合的なものであったわけです。そういうものを、いわば産業社会というのは拒絶してきた、別のやり方をしてきたということがあったわけです。
 もう一つ、これとは全然違った軸で今、高度情報化社会が進んでおります。若い人たちはどうも引きこもりがちであるという言い方を時々いろいろなところでされますが、実はお年寄りや私たちも相当引きこもっているのではないかと思っているのです。高齢者のかたたちも自宅あるいはテレビの前に引きこもっていたり、あるいはお父さんたちは、車の中に引きこもってしまっている人たちもいるかもしれない。実は、オフィス等々の建て方もほとんど外を向いていない。内側を向いている。用がなくなればというか、ほとんどシャッターを日常的にも閉めたような状態です。金融機関もそれに等しいと思いますが、金融機関だけではありません。みんな内を向いていて、外に見せたり、あるいは外との関係の中で、例えば生活あるいはご商売ができ上がっていないということがあると思います。
 もう一つは、フラットということです。例えば、スーパーフラットという言葉がありますが、かつての都市はある種の階層性を持っていたのです。上屋敷があって、中屋敷があって下屋敷があるとか、あるいはお城があってというふうに、ヨーロッパの都市も日本の都市も階層性というものを持っていたのですが、情報化社会はネットワークですので、ほとんど階層性を持たないわけです。しかも、バーチャルな形で情報をやり取りしますので、例えば必ずしも我々が町に出ていって町でおしゃべりをしたり、お互いに見せ合うということをしなくても情報のやり取りができるということが、多分こういった引きこもり現象を加速させているのではないかということが2番です。
 さらに、現在、日本全体で人口が減少しております。20世紀は明らかに人口爆発の時代だったのですが、これから人口が減少していきます。人口が減少していくと同時に何が起きているかというと、金沢の中心街にはお年寄りの夫婦だけ、あるいは単身のお年寄りの世帯がすごく増えているのです。あるいは、最近都心に戻ってくるかたの中でも、若い人たちの一人の世帯というものも多くなってきています。ですから、人口が減ると同時に、実は家族という概念すら変えなくてはいけない事態に我々は来ているということです。したがって、世代間のコミュニケーションのようなものがほとんど今はもう期待できないし、成り立ちません。あるいは地域社会がそこで何かを期待するということは、もうできないところに今、来ております。

●それでは、金沢は全くポテンシャルがないのかというとそんなことはなくて、これも三つ挙げておきましたが、一つは古いものです。先ほどは「記憶」という言葉がありましたが、古いものの存在という意味では日本の町とは明らかに違うところがあって、その古いものをどうやって使い回しをしていくかという妙技があるわけです。ようやく最近、いろいろなリフォームがはやってきて、若い人たちの間でも新しいものより古いものを使い回すということの面白さを少し分かってきたということが、今、新しい現象として起きています。
 それから一方で、新しさとの葛藤という面白さというものも大事です。ここ21世紀美術館ができたわけですが、まさに古さと新しさがある種の緊張関係を持つということが、実は金沢ではできるのです。これが、例えば横浜や神戸ですと、新しいものだけ、あるいは東京もスクラップ・アンド・ビルドを繰り返している町ですので、古さと新しさの緊張関係をなかなか作れないのです。そういう面白さということを金沢はやるべきです。かつて私が金沢に最初におじゃました時からずっと言い続けていることなのですが、伝統や歴史とかと言うけれども、伝統といっても生まれたときは前衛であったはずです。ですから、今の前衛、例えばこの21世紀美術館もそうですが、100年たったら将来これが伝統になるかもしれないわけですから、幾ら歴史都市あるいは文化都市といっても、常に新しい前衛的活動をしない限り、伝統が生きてこないということが2番めのポイントです。
 そして、3番めがコンパクトであるということです。適度な都市規模がどういうものなのかということです。そこそこの楽しさであったり、生活規模であったり、あるいは働くことにも便利であると同時に、物理的にも必ずしも大きいことが・・・。もう少し前までは通勤というものがけっこう面白いという言い方があったかもしれませんが、世界の今の都市の多くで、よりコンパクトで、そして生活しやすい町をどう作るかということが大きなテーマになっております。

●具体的に次の水野先生のお話につなげたいのですが、都心のデッサン、都心を作り変えるということは具体的に一体何かということです。実は、世界の今のダウンタウンの再開発のテーマは、いかに多機能な都心に作り変えるかということが最大のテーマです。ですから、先ほどの図のゾーニングの考え方を否定するわけです。私たちは住む、働く、学ぶ、遊ぶ、考えるとか、さまざまな日常の24時間の行いをある種のコンパクトな空間の中で満たす、それを多重的に行うというものがむしろ正常であって、ある時間だけ働いている、ある時間だけ住む、ある時間だけ学んでいる、あるいはある空間だけが住む場所、あるいは働く場所というものを、今のこれからの時代は否定する動き、あるいはそういうことが成り立たない時代が間もなくやってくると考えています。
 ですから、確かに金融機関というものは、この南町あるいは香林坊、片町の軸線の中で一つの非常に効率的な仕事をされたかもしれませんが、これからのことを考えると、金融機関も多分いろいろなことを考えなくてはいけない。あるいは、例えばオフィスも、入った所にいきなり受付があるのではなくて、オフィスに入った所にいきなりカフェテリアがあるようなオフィスを設計する企業さえ、世界の最先端の企業には出てきております。ですから、オフィスというものも、ある意味非常に多機能を持ったものに変わってきています。住宅というものにも、例えばそこにフィットネスジムが加わってきたり、あるいは介護施設や生涯学習センターなどが一緒にセットされる等々、さまざまな多重機能のものに作り変えていくということが必要です。
 2番めに、これは建物だけではなくて、インフラもそうであるということです。オフィス、住宅、例えば道もそうです。今までの道というのは、いわば交通需要をどうやって処理するかということのために作られてきたわけですが、これからはそこで遊んでいたり、あるいは立ち止まっていたり、おしゃべりをしたりということも道の役割として重視しなくてはいけない。あるいは公園というのも、単なる緑の公園では意味がないわけで、そこでさまざまな活動が行われる、そして学校も今は開かれた学校、いろいろな機能を持った学校をどう作るかというのが大きなテーマです。
 最後が、閉じた町から開かれた町ということです。何かを眺めるとか、おしゃべりをするとか、立ち止まるとか、あるいは自分たちの活動を見せる、他人あるいは自分自身あるいは周辺の人たちにとって、魅力的な行為がここで行われているのであるということがお互いに見えるような形にどうやって町を作り変えるかが、大きなテーマではないかと思います。都市の風格というのは味わいがあると同時に、実は風通しもいいというふうに、例えば中心市街地というか、にぎわい回廊を変えていくということが大きなポイントではないかと思います。
 非常に駆け足でご紹介しましたが、ありがとうございました。

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