第1部 都心の現状について
     
 
金沢経済同友会幹事
水野雅男
   


「都心及び都心軸の変遷と現状」


 それでは都心についてご紹介します。少し歴史を振り返りながら、また近年の動向も踏まえて、ご紹介したいと思います。(以下スライド併用)

●まず、中心市街地について概観を見ていきたいと思います。これは金沢市のホームページに載っていますが、この赤い枠で囲まれた所が、金沢市が「中心市街地活性化基本計画」でうたっている「中心市街地」。そして黒の破線の所が、「重点整備地区」に定義づけられております。犀川、浅野川、JR、ここに金沢城と兼六園があります。このエリアを重点製備地区と言っておりまして、これ以降ご紹介します統計データにつきましても、この破線のエリアが対象となっております。
 もう一つあとで、都心軸について議論していただくわけですが、その都心軸というのは、金沢駅、武蔵が辻、そして香林坊、そして広坂通り、この21世紀美術館までです。特に今回はこの武蔵が辻、香林坊、広坂通りについて、検討を重点的にするということであります。

●まず、中心市街地の人口の推移ですが、金沢市全体で見ますと、41万人から44万人。20年間の動向ですが、5.9%増加しております。それに対して中心市街地は、この棒グラフで示しましたとおり、3万2000人かつてありました84年から、2万4000人に、約8000人減少しております。率でいいますと33%の減少になります。また、その中心市街地は金沢市全体で、84年においては7.6%を占めていたのですが、2004年現在では5.4%に落ちております。

●同じく世帯数を見てみますと、金沢市は、こういうふうに全体では伸びております。
13万8000世帯から17万6000世帯まで、22%の増加率になります。一方、中心市街地を見ますと少し波がありますが1万2000世帯から1万1000世帯で約6%減少しているというデータがあります。

●これは高齢化率を見たものですが、左上のこのグラフで見ていただきますと、中心市街地がこのオレンジのラインです。現在では26.8%でして、金沢市の平均17.9%を約9ポイント上回っているわけです。高齢化が進行しているということです。それを世帯構成別で見ますと、赤が中心市街地の高齢の単身世帯。独り身のお年寄りのかたです。これが10.7%で、高齢のご夫婦で住んでいらっしゃるかたが10.2%ありまして、やはりいずれも市平均を上回っておりますし、この二つの世帯を合わせますと約2割、中心市街地の全世帯の2割が高齢者のみで生活されているということになります。

●これは事業所の推移を見ております。左上が事業所数で、中心市街地の事業所はこの黄色い棒グラフになりますが、約20年前当時8600あったものが6200になり、約2300事業所減っております。率にしますと27%減少しているということです。そこに働いている従事者数について見てみますと、これも黄色い棒グラフですが、5万8000人から4万7000人に減少になっております。また、いずれもこの二つ、事業所数、従事者数ともに、金沢市全体の中で中心市街地の占める割合は約2割ぐらいということです。

●これは小売業の推移を見ております。中心市街地の商店数がこちらです。これを見ますと、中心市街地には当時、約2000ありましたが、今は1300と700〜800減っておりまして、37%の減少率です。売り場面積も落ちておりまして、約1万4000m2程度減少しております。さらに、年間販売額を見ますと、当時1600億円ありましたが、現在は1300億円と、300億以上が減少しているということです。小売業につきましても、中心市街地の占有率は約2割〜2割5分程度です。

●もう一つ、データが粗くて見づらいのですが、これが金沢城です。金沢城を中心にして市街地が形成されてきましたので、その金沢城・兼六園を中心として、これが内惣構堀、これが外惣構堀ですが、そういったものを含めて文化遺産、遺跡が多数存在しているということも検討の上で参考にすべきだということで紹介しました。
 以上が中心市街地全体の動向を概観したわけですが、次に都心軸に絞って、もう少し現況を紹介したいと思います。

●これは、金沢大学の伊藤先生がまとめられた論文にデータを追加して、図で表したものです。これが南町の通りで、ここに北國新聞社があります。香林坊2丁目交差点です。ここに尾山神社、市の文化ホール。ちょっと図では分かりにくくなっていますが、ここが道路ですね。もう一つここに北陸銀行がある交差点があります。この区間の商店や建物がどういうふうに移り変わってきたかということを図に表したものですが、赤の表示が小売店です。オレンジの表示がうどん屋さんとかそういう飲食店です。それと、1932年から20年ごとに1932年、1952年、1972年、1992年、そして2004年、現在です。こう見ますと、1932年、昭和7年当時はかなり赤いお店が多いです。いわゆる小売店がたくさん存在していました。そして、もう一つ特徴的なのは、新聞社も5社並んでいました。それが時を経るごとに、これは尾山神社側ですと、こういうふうに変わっていくのですが、小売店がどんどん減っていますね。普通の商店街だった所がだんだん金融業とかに変わっていったというようすがお分かりいただけるかと思います。
 例えばここですと、小売店がいったん空き地になって、そして、これは保険のビルですね。保険業のビルに変わっていったわけです。ここもそうですね、こういうふうなのがまとめられて、これですと証券ビルに変わっていったようすが表れています。近年の動きですと、最後1992年から2004年に移るときに、ここを見ますと、駐車場がかなり出現しています。ここもそうですし、こういうところも、ここもそうですね。駐車場、空き地が出てきているということが特徴としてあります。
 もう一つ、その1階部分ですが、例えばこれは保険のビルですが、その中に別の業種のものが空いた所に入ってくる。ここもそうですね。お分かりだと思いますが、ここにコンビニエンスストアが入ったりしていますが、ビルの1階に別のものがまた、近年入ってきているという動きが見られます。

●これは昭和時代の都心軸の様子で、上が昭和初年の南町です。こちらがちょっと写真が切れています。ここにいわゆる商店が並んでいるのですが、その向かい側は金融、証券のビルが立ち並んでいるわけです。中段が昭和15年、そして右側が昭和30年当時のようすです。やはり銀行、証券のビルは風格がある建物が立ち並んでいたということがお分かりいただけると思います。

●現在の、都心軸のようすを調べてみました。こちらが武蔵が辻、南町を通って、香林坊、そして広坂通り、ここが美術館ですね。まず、ちょっと凡例が読みにくいのですが、ここにありますように金融証券業、ブルーの表示ですね。濃いブルーは金融証券のビルです。ここに集中しているということがお分かりいただけると思います。この辺りですね。そしてもう一つ特徴的なのは、広坂通りは赤色ですね。物販店や飲食店。飲食店はオレンジ色ですが。広坂通りはどちらかというとそういう、従来の小売店、飲食店が立ち並んでいるという特徴があります。その間、武蔵が辻と香林坊には商業集積が形成されているということが特徴として挙げられます。

●これは日曜日に営業しているお店等です。デパート関係はもちろんそうですが、この辺りはかなり少なくなっています。そして、広坂通りには日曜営業のお店がたくさんあるということです。

●これは夜間。調査したのは8時以降です。20時以降に営業しているお店を見ますと、一つは、グリーンのコンビニエンスストアが表に出てきます。それと飲食店が数件、ぽつぽつと並んでいるわけで、それ以外は基本的に真っ暗ということの表れです。

●もう一つ、建物と歩道空間の関係を見てみました。まずこのグリーンの所は建物全体が少し後退、セットバックしている所です。そして、ピンクに塗った所は、こういうふうに1階部分だけセットバックしているのです。これは北陸銀行ですが1階部分だけセットバックしている。この例もそうですね。そういう所が4か所ありました。あとで議論になることだと思いましたので、それを紹介しました。そして、武蔵が辻と香林坊にはアーケードが架かっているということです。

●次が、オフィスビルの空きテナントの状況です。これは細かなデータではなくて、目視で建物の利用について調査したのですが、赤い色はオフィスフロア階数のうち、3分の2以上が空いている所です。ここにありますように、9棟は3分の2以上は空いているということです。水色は3分の1〜3分の2の間。これは6棟あります。したがいまして、3分の1以上空いているところは15棟あるということです。

●これはそのビルの写真ですが、こういうふうに見ますと、これをカウントしたわけではないのですが、看板に表れています。テナントが入っていないということですね。ここもそうです。しかもこのビルは三井生命のビルで、解体工事が始まっており、2か月ぐらいで解体して平面駐車場になるということです。一つのエポックメイキングです。右側の写真は広坂通りのビルでして、これが丸ごと空いてしまった。輪島塗関係のお店が入っていたんですが、丸ごと空いてしまっています。広坂通りは南町に比べて間口が狭いペンシルビルですね。その利用をどうするか、検討を要すると思います。

●それと、都心軸の主要地点の自動車と歩行者の通行量を見たものです。まず歩行者は4か所、エムザ前、東邦生命ビル前、アトリオ前、第一ビル前を見ました。そして平日は青で、休日は赤で示したものです。これは2003年の10月のデータです。これを見ますと、香林坊と広坂は平日よりも休日が多いというデータがあります。この場合ですね、この調査年には「5タウンズフェスタ」というイベントがあったので、少し差し引いて見ないといけないと思いますが、この2地点は休日のほうが人通りが多いということがいえます。もう一つ歩行者を見ますと、南町ですと3000人余り、こちらですと8000〜1万1000人ぐらいですね。比較しますと、約半分か3分の1ぐらいの人通りしかないということが分かります。それともう一点、車は、ここに示した数字ですが、香林坊で見ますと、この双方向併せて、この場合は24時間ですが、1日3万6000台あるわけです。それに対して、人通りを見ますと、歩行者の数倍、あるいは、ここで比較すると10倍ぐらい車がたくさん行き来しているということになります。

●もう一つ歩行者通行量の推移を見たわけですが、こちらが平日です。香林坊はこれですね。こういうふうに下がっております。香林坊で見ますと、この当時から見て3000人ぐらい、1日12時間当たり3000人ぐらい減っているということです。武蔵と広坂で見ますと、やはり1500人ぐらい減っている状況にあります。休日を見ますと、武蔵が辻、エムザ前は若干上がっていますが、それでも1400人ぐらい減少しています。このデータも先ほど言いましたイベントが絡んでいることも影響していると思いますが、香林坊ですと横ばい、広坂ですと増加して、ここでぐんと上がっているという傾向にあります。

●最後、都心軸一帯の主要プロジェクトについてご紹介します。まず7月に武蔵が辻に「ITビジネスプラザ武蔵」がオープンしました。そして10月に「21世紀美術館」がオープンしました。そういう拠点施設が整備されたことと、駅と武蔵の間には、ブルーに示す再開発事業が着手されたものがあります。また、計画されているものがここにあります。近江町辺りにも計画が進んでおります。そして、この黄色く塗った所は街路樹を育成しましょうという、緑陰プロジェクトというのが進められておりますし、この破線で囲ったエリアにつきましては、先ほどから出ていますようにコンバージョンに対して助成が出るという制度が金沢市で設けられております。
 以上、かいつまんでご紹介しました。この後、ビデオで武蔵が辻、南町、香林坊、そして広坂通りの歩道と車道の関係や、歩行者がどういうふうにしていらっしゃるのかということを、ご紹介したいと思います。

●これは武蔵が辻のエムザ前です。音がないので絵だけでごらんになってください。ここは建物がセットバックしていますし、アーケードが設けられていますので、バスの待合所としては比較的快適な空間になっています。さらには、最近スターバックスもできまして、ちょっと一体的ではないのですが、かなり居心地はよくなっていると思います。それに対してその反対側、近江町側のバス停がある歩道空間ですが、すごく狭くて、バスを待っていらっしゃるかた、そして乗り降りされるかた、そして通行人のかたが錯綜して、すごく通行しにくい状況にあります。ただ、これは、再開発事業が進めばセットバックしていくということで広げられますし、バス停も一体的に整備されると思います。

●これは南町から武蔵が辻方向を眺めたところです。

●これが南町のバス停付近です。先ほど言いましたように、歩道の幅が限られていますので、自転車や歩行者がお互いに遠慮しながら通るという状況です。

●尾山神社前辺りから南町、武蔵が辻方向の景色です。

●これが香林坊の日銀前のバス停付近です。歩道が狭い上に大きなプランターも置いてあります。やはり自然と腰を下ろして休むかたがいらっしゃいます。それに対して、こちらアトリオ前では、ちゃんとベンチも用意して座ってバスを待っていただくような形にしています。ここも建物は1m半か2mぐらいセットバックしていますので、比較的快適に移動ができるようになっています。

●そして、これが広坂通りです。ケヤキの街路樹がありまして、左手には中央分離帯と用水があるわけです。

●夜も少し紹介をしますと、これはエムザ前です。バスを待っていらっしゃるかたは、寒い時などはビルの中へ入って待っていらっしゃいます。

●これは武蔵が辻の近江町側です。

●南町ですね。やはり自転車とバスを乗り降りする人が交錯するわけですね。

●これは日銀前ですね。

●最後にこれはアトリオ前です。
あとの議論のためにイメージをつかんでいただこうと思いましてビデオを用意しました。以上です。

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