金沢創造都市会議開催委員会副会長
社団法人金沢経済同友会代表幹事
■飛田秀一

 昨年11月に金沢創造都市会議が開かれ、「『記憶』に学ぶ」をテーマに議論が重ねられました。金沢という都市が持つ固有の歴史と文化を学ぶことは、自分たちの遺伝子、DNAを発見することにつながり、金沢の特性を再認識することができると考え、このテーマを設定したわけです。  本日創設された金沢学会の第一義的な役割は、学んだ記憶を活かして新たなものを創り出していく点にあります。学ぶだけ、議論しあうだけで終わっては、それはそれだけのことであって不十分なのです。学び得たことは速やかに実行に移さなければ、未来への創造につながりません。幕末の陽明学者吉田松陰は「どんなに高遠な識見でも、実行に移さないのでは一椀の汁にも劣る」という言葉を残しています。江戸時代の2大潮流とされた陽明学と朱子学とでは、実践的であるか否かの点が大いに違うのです。今回の金沢学会のテーマを「『美しい金沢』づくり」としたのは、金沢学をまちづくりに向けた実践的な学問として位 置づけたかったからです。このあと、金沢のまちづくりについての具体的な提案がなされます。金沢の夜景のデザイン。大手門中通 の再生。都心への幹線道路の整備。香林坊界隈の賑わいづくり。以上の4件は、いずれも金沢らしさを際立たせるための有効な方策が盛り込まれているものと期待しています。  ここで私の方から、金沢学会として取り組むべき課題を1つ提案したいと思います。それは、東京駒場の財団法人前田育徳会が保存する尊経閣文庫を、この金沢の地に誘致することです。尊経閣文庫について簡単に概略を説明しますと、前田5代藩主の前田綱紀が収集をした書物が中心となっており、藤原定家が書き写 した『土佐日記』、藤原清輔筆の『古今和歌集』、それに『日本書紀』の一部など国宝22点、重要文化財76点が収められています。綱紀は朝廷、公家、幕府、大名、神社など、各方面 から和漢の書物、写本、絵巻物、書簡などを収集し、その数は10万点に及ぶといわれております。綱紀の収集作業は徹底したもので、京都の教王護国寺に伝わる『東寺百合文書』は書写 の終わった文書を前田家が桐材で作った100個の書櫃に納めて返したものであるということです。この尊経閣文庫の一部所蔵品は前田育徳会と石川県との「文化財展示に関する契約書」といいますが、この契約により昭和58年から石川県が前田育徳会から展示の委託を受けており、歴代藩主の甲冑や美術工芸品など、およそ500点が石川県立美術館に置かれ、常設展あるいは企画展のかたちで公開されていますが、この契約は6年後の平成20年に切れることになっています。  尊経閣文庫の誘致と一口に言っても、所有権は前田育徳会のままとして、現在は所蔵品の一部の展示委託となっているのを一括展示委託に切り換えるのか、方法はいろいろあると思います。いずれの方法を採るにせよ、尊経閣文庫がこの金沢にあることが重要なのです。尊経閣文庫の誘致は契約の切れる6年後に一つの節目を迎えると考えます。
 尊経閣文庫の誘致については、金沢市が平成7年に策定した「金沢世界都市構想」に誘致を盛り込んでいるほか、金沢商工会議所も同じ年に誘致を提案し、重点事業に掲げています。また、平成9年には財団法人北國総合研究所の21世紀城下町金沢再生構想策定委員会が「賑わいのある都心空間を目指して」と題してまとめた報告書の中でも、誘致を提唱しています。  それなのになぜ今、尊経閣文庫の誘致をあらためて提案をするか。金沢経済同友会が提言をして実現をしましたNHK大河ドラマ「利家とまつ」が間もなく最終回を迎えます。大河ドラマ放送を機会に、県民総郷土歴史家といわれるほどに、故郷の歴史や文化を学ぼうという気運がある今をとらえ、尊経閣文庫の誘致を私たちは忘れているわけではないと強調したいのです。  前田育徳会の理事の中には、所蔵品には国宝が含まれており、首都の東京に置くべきであるという意見もあるようであります。しかし、国宝を含め大名家の所蔵品が地方に置かれている事例があります。石高62万石の尾張徳川家の所蔵品を保存管理している東京目白の財団法人徳川黎明会は、尾張徳川家の所蔵品を保存管理し、徳川美術館を運営しておりますが、その徳川美術館は名古屋市東区徳川町にあります。徳川家康ゆかりの品をはじめ、尾張徳川家に伝わる大名道具など1万数千点を収蔵し、『源氏物語絵巻』など国宝が9点、重要文化財51点が含まれております。徳川美術館のように、財団法人は東京にあるものの、国宝などの所蔵品は地方に置かれているという例が実際にあるわけです。  尊経閣文庫の誘致にあたっては、重要な点がさらにいくつかあると考えます。第1のポイントはハード、ソフトを含め、受け皿づくりであります。ハード面 でいえば、温度・湿度管理など現代の科学技術の粋を集め100年、200年先の将来までも収蔵品を完璧に保存できる施設を整える必要があると思います。ソフト面 では、貴重な資料を保存している関係上、研究スタッフが必要であり、場合によっては前田育徳会のスタッフも金沢に来ていただくという配慮も必要かもしれません。第2のポイントは、前田育徳会の設立の目的に「加賀藩尊経閣に伝来した国宝、重要文化財などを維持管理し、これらを学術的に調査研究に資するとともに一般 に公開をして、閲覧展観に供し」とあるように、国民の宝であるからこそ広く公開する義務があることを関係者に理解してもらうことです。第3のポイントは、尊経閣文庫が金沢にあることの意義と意味であります。私はこれこそが一番重要な点だと考えています。5代藩主綱紀が所蔵する多くの蔵書は、江戸中期の儒学者である新井白石をして「加州(加賀)は天下の書府なり」と言わしめたのです。尊経閣文庫はまさに加賀文化を、加賀百万石を、加賀藩の文化治世を象徴するもの、言葉を変えれば「加賀の魂」といえると思うのです。加賀文化の「魂」がこの金沢の地に置かれ、かぐわしい文化の香りが放たれることになると考えるのであります。  金沢の夜景、幹線道路の整備など、まちづくりに対する4つの提案はいずれも金沢という都市の外観、まちなみにかかわるものであり、目に見える「『美しい金沢』づくり」といえます。尊経閣文庫も展示の際に見ることはできますが、全国に、世界に誇ることのできる貴重な文物がこの金沢の地にあるという誇りは、そこに住む人々の精神的な支柱となり、目に見えない力を与えてくれると思うのです。金沢には何があるかと問われて、天下の名勝兼六園、金沢城、国宝・重要文化財を集めた大名家の日本最高のコレクションがあると答えることができるのです。金沢城の一角でその尊経閣文庫が展示をされるとしたらまさに金沢城に「魂」が入ることになります。  著名な経済学者ガルブレイス氏が近著の中で1990年(平成2年)に金沢を訪れたときの印象についてもう一度あらためて紹介をしますと、「金沢はすばらしい文化を持ち、学問・芸術から発散するかぐわしいにおいに満ちた土地であり、我々は生活の質や文化の香りといった数字では測りきれないものに無関心だったのではないかという思いにさせられた」というのであります。尊経閣文庫こそ、学問・芸術のかぐわしいにおいを放つ加賀藩のきわめて重要な「記憶」として、この地において保存されるべきものであることを強調させていただきまして、第1回金沢学会の基調のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
  
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