(川島) 今、皆さんがおっしゃっているのは日常的なところでの夜景のデザインだと思います。それはそれで重要だと思うのですが、観光ということと結びつけた場合、何か特定のお祭りと結びつけた特定の照明デザインというのも考えられると思います。
  最近、神戸のルミナリエは大変人気のあるお祭りになっていると思いますし、奈良で名前は忘れましたが、春日大社など奈良公園全体と結びつけて夏の2〜3日だけですが、ろうそくのようなものを使いながら、非常に幻想的な空間づくりをやっています。これも奈良では大変大成功です。ですから、金沢も観光資源としても豊かなまちですし、先程の京都の事例もそうですが、特定の期間限定型、もしくは特定の日だけの夜景のデザインというのも違った戦略として考えられると思いました。

(水野一郎) 今の話と同じ話になってしまいますが、昔、フードピアのときに提灯をずっとつけたことがあります。あるイベントのときに、まちが変わるという風景を作るのは非常におもしろいと思います。もう1つフードピアのとき、先程の林さんの話ではありませんが、犀川大橋から見ると犀川の河原は真っ暗ですが、あそこで石井もと子さんにやってもらったのですが、レーザーを走らせ、鏡で受けていくと、レーザーがあやとりのように動き、水面 に落ちて跳ね返ったり、それを計算していくと光のショーができるのです。ですから、ある種の光を使ったまち遊びのようなことをいつも頭に入れておくとおもしろいのではないでしょうか。そのときは闇の方がよかったりする場合もあります。提灯が並ぶときには、他の街灯をできるだけ消してくれた方が、提灯がきれいに見えるということがあります。そういう光の演出を我々がどれだけできるかというのが大事ではないかと思います。

(橋本) 専門的な話では、「金沢の夜景をデザインする」ということで、デザインという面 ではないかもしれませんが。ここにも『美しい金沢』と書いてありますが、金沢の夜景を見応えのある、新しい意味での美しい金沢、夜を演出するということは非常に意味があることだと思います。
  しかし、金沢が滞在型の都市になりにくいということが言われています。いろいろな観光資源を発掘して、非常に多層な時代を持った金沢の顔をいろいろと見せていくということが言われていますが、そういった面 において発掘も大事ですし、一面において、夜景をきれいにして見応えあるものにするということは、滞在型の観光にぜひとも必要になるのではないかという感じがしました。

(大内) ありがとうございました。皆さんからご提案やご意見いただいたことが、ここから先の3つのテーマに大いに関係があると思います。
  次に大手門中通をどうしたらいいか。昨日、皆さんで直接お歩きいただきましたので、かなりリアリティーを持っていると思います。地元の方はよくご存じだと思いますが、現実に昨日行っていろいろな感想をお持ちだったと思います。この件について、ぜひ、アクションプログラムとしてどうしたらいいだろうか、何かコメントいただければありがたいです。山口さん、どうぞ。

(山口) 昨日のアンケート用紙にも書かせていただきましたが、ニューヨークのソーホー地区に代表されるように、いろいろな世界中のまちで、例えば工場街とか、いわゆる住宅にはすぐにはできないようなところでも、そこに格安でアーティストに入ってもらう。アーティストというのは別 に若いアーティストでなくても、年齢が上でも、自分で何かを作っている方でいいと思います。伝統工芸の方でも本当にすばらしい方がたくさんいますし、そういう方でいいのですが、そういう方たちが、自分で建物それ自体をいろいろ改造していくことによって、最終的にまちのプレステージをあげているということが、世界いたるところにあります。
  金沢の場合も、建物を全部壊してしまうのではなく、今残っているものをそのまま改装して使ってくれるような人たちを誘致していくというのが、一番いいのではないかと、空間を拝見して思いました。また、せっかくお城を挟んで、今度できる21世紀美術館と対比するようなかたちです。美術館があって、そちらにソーホー地区のようなものを作っていくと、人の歩き方が、あちらも見たい、こちらも見たいというように。機能は全然対照的なものにして、例えばニューヨークにあるようなディアアートセンターのようなかたちとか、そういうのができるのではないかと思います。それがとても似合っているし、ベストポジションではないかと思いました。

(三宅) 昨日、見て歩いた段階では、寂しいなという感じがしました。皆さんがおっしゃっているとおりの印象を持ちました。NHKも汚い建物だなと思いました。10年前、プロポーザル金沢という行事をJCがやり、それを振り返って見ていました。たまたま東大の大野さんが、大手門からまさにそこの中通 にブールバールを作れという提案を出しました。今から見ると、先見の明があったなと思います。並木道です。正面 にドンと作り、城跡と一緒にして整備しろという提案を出していて、当時からそういう意見があったのです。1つの考え方は格調高いものを作るということです。NHKの汚いものは壊してかまわないと、個人的には思うのですが。
  もうひとつ、今お話をうかがって、アーティストを呼ぶということですが、金沢は潜在的にそういう要素を持っていると思います。たまたま私は東京の密集市街地、墨田区でアーティストを呼んでいる事業を担当しています。アーティストを呼ぶためには、いくつかの条件があります。その周りにフリーエージェントがたくさんいるということです。これがないとアーティストはお仕着せのアーティストになってしまい、全然おもしろくありません。フリーエージェントがいるということは、トップに出てくるアーティストの下に、氷山の下のように有象無象のおもしろい変な人たちが勝手に集まってくるという構図があるということです。

(大内) 三宅さんが言っているフリーエージェントをもう少し、わかりやすく、具体的にどういう人のことを言っているのですか。

(三宅) 日本ではフリーターといって、ネガティブな響きしかないのですが、仮にアメリカの社会で言えば、フリーエージェント化というのがかなり進んでいて、自分自身で自活する人たちです。そういう人たちを言っています。ITやアートは、かなりそういう方向にいますし、日本でその社会に行くかどうかは選択肢が分かれるところですが、少なくともアートに関する限りは、そういう人たちがたくさん来ます。
  学生街というのは、潜在的な要素を持っているのですが、意外と今の学生はフリーエージェントにはなりたくない、きちんと親の言うとおりという選択肢を求める人もいたりしますので、金沢の場合はどっちに行くのかなというのは、具体的な情報を持っていないのでわかりませんが、そのあたりが1つのチェックポイントかなという感じがします。そういう人たちが、古い建物を利用しながら。アーティストというのは立派な建物があると安心してしまって、こんなことを言うとアーティストに怒られてしまいますが、安心しきるとアートのアートたるものがで出こなくて、きれいなデザインになってしまいます。社会的にこうだという強い力を出すということは、ある種の矛盾がある状況の方が、当然ながらいいわけです。
  私がたまたま墨田区でやっているのは、密集市街地で、なおかつ高齢化が進んでいて町屋の空き家がたくさん出てくるのです。空き家借り上げ機構というのを作り、「アーティストイン空き家」という商標を作ってやっているのです。2年前からやっていますが、かなり定着してきました。これはソーホー型のモデルですが、金沢の場合は、中心市街地の空洞化とパラレルに進む可能性もあるわけで、多少、外野的な発言ですが、おもしろい道筋がとれればいいと思っています。

(大内) たぶん、一般に言われるアーティストというセンスと、おふたかたの意味はちょっと違っているところがあるのだろうと思います。社会的にはどうしようもないところであるからこそ興味があるというセンスを、彼らは持っていると思いますし、アーティストそのものも、狭い意味でのアーティストではなく、最近ではバイオの研究者やハイテク関係の研究者たちのビヘイビアというのは、ほとんどアーティスト的ビヘイビアです。勤務時間があるわけでもなければ、一見ルーズではあるかもしれませんが、ある種の好奇心で動いていますので、フリーエージェント的なビヘイビア、ライフスタイルです。そのことをお考えいただいた方がいいのではないかと思いました。

(佐々木) 今のアーティストの話に触発されてですが、最近イギリスでもアメリカでもそうですが、クリエイティブ産業という考え方で、新しい産業を考えてみようという動きがあります。クリエイティブ産業にはどういうものがあるかというと、今出たような、ソーホーの中でやっているようなデジタルコンテンツ系のアーティストや、アーキテクチャー、建築設計の先端のアーティスト、空間をデザインするアーティスト、それから音楽やパフォーマンスアートのような伝統的な分野など。それだけでなく、金沢が得意とするような伝統工芸でも新しいものを作ろうと。そうした人間の創造力を活かした産業というものの中で広く考えていって、どうもそれが伸びて行くのではないでしょうか。成長率を見ると高いです。アメリカではオースティンやサンフランシスコあたりが、クリエイティブ産業の核ができてきました。イギリスでいうと、ロンドンもそうですが、バーミンガムやシェーフィールドなど、従来落ち込んでいたようなところでも、どんどん新しい分野がで出てきました。
  単にアーティストを芸術の世界だけで考えるのではなく、新しい産業を作る、あるいは従来の産業に対して何か新しいものを付け加えるような要素を持った人たち。それは都市の真ん中に住んだ方がいいと思います。その時に、真新しい無味乾燥なビルではなく、どうにでも使えるような空間。NHKの方がおられるかもしれませんが、汚いビルでもアーティストの力で変えられるとか、違った使い方を提案すると、周りの家まで変わってきます。そういう実験のやり方があるのではないでしょうか。
  バーミンガムでは、カスタードを作っていた工場、カスタードファクトリーというのがアーティストのたまり場になっていきました。京都の場合は、西陣の町屋がそれになっていて、まだ無名のアーティストや工芸作家が町屋を借りて、そこに住んで仕事をします。なぜ町屋がいいかというと、かつてジャガードが入っていた機屋ですから、ものづくりの雰囲気があるということと、どこに釘を打ってもいいし、好きなように使えます。土間があって、いろいろなものがやられます。そういう融通 無碍な使い方ができるという空間。
  ただし、問題は、その人たちは信用がありません。何をしでかすかわかりません。誰かが保証人にならないと家主さんは貸してくれないわけです。そこで、京都の町屋クラブという運動は、妙蓮寺の住職と、ちょっと信用のある職人さんの2人が、代わりにアーティストの身元保証人になるかたちで家主と契約します。そういうかたちで、社会システムを支援システムを作ったのです。建物の使い方と、それを支援するシステムがうまく揃えば。
  ただ、大手門中通あたりは、尾張町界隈から続く町屋が少し残っているということと、後は屋敷だったので区画が大きいですね。大きな区画については、きちんとした支援システムを作らないと、若いアーティストだけでは信用がないかなと思います。そうしたものが、例えばNPOのようなかたちでできればいいなと思います。この後の話と全部つながっていると思いますが、先程のブールバールの話は、基本的に水野先生が提案された4つの花道とも関係して、金沢に入ってくる4つの花道と大手門の通 りとの関係をうまくつなげていくということでしょう。それぞれの4つの花道の先に21世紀美術館があるのか、あるいは大手門があるのか、それぞれ意味のあるものが花道の奥に控えているというようなことになると大変楽しいなと思います。

(福光) 大手門の話ではなく、もう少し話をミックスさせていただきますが、香林坊のチームでしたが、昨日、ハーバーで議論しました。結構、寒いところでした。電気の暖房を入れてやってみたのですが、2時間半くらいいて、久しぶりに寒い目をして、いい経験でした。それはそれとして、非常に仮設的に使えておもしろいところでした。香林坊のへその部分ですが、あの場所はいろいろ仮設的に使っていった方がおもしろそうです。当面 、地主さんがおられる話ですから難しいのですが、それはそれとして、昨日あの話をしていて、都心居住を促進しなければならないということを思いました。
  中通や町屋をアーティスト的なSOHO。ソーホーというのは、スモール・オフィスという言葉で、ホームオフィスとか、要するに住んで、そこで仕事もするというタイプだと思いますが、そういうタイプが1つあります。伝統的なものをSOHOにするようなアイデアです。もうひとつは、香林坊から武蔵へのオフィスフロア。たくさんのビルのオフィスフロアが空いています。新しい建築技術で住居可能な改良ができるということですから、それを住居可能にすれば、そこでオフィスを持って住めるということになります。ニューヨークでは、1階でも2階でもギャラリーがあって住んでいるというビルがたくさんあり、そのように変えられます。
  その場合に、伝統工芸の分野であろうが、先端的なウェブデザインであろうが、クリエイティブであれば非常におもしろいです。香林坊から武蔵へ、クリエイティブなSOHOストリートができると、工芸の伝統の街としては、その根っこから、記憶に学ぶというところからも含めて、ものを作っている人たちのSOHOが並ぶ。それは伝統もあれば、先端もあるということで、非常におもしろいことになります。かつ香林坊と武蔵の間に、そういう人たちが住んで、小さな店やオフィスを構えるというのは、大変活性化につながりそうな気がします。  もう1つは、戦前までの明治以降の古いけれどちゃんとしたビルが結構ありますので、そういうのも何か使って、そういうタイプに変えていく必要も出てくると思います。NPOのセンターにする案もJCは持っておられますし、そういう建物のいい使い方も考えなければいけません。
 そういう意味では、何通りかの、都心居住や都心に人を集めるというアイデアが出てきます。これは私の個人的な提案ですが、ぜひ集中的に次の創造都市会議に向けて、そしてそれを受けて次の金沢学会に向けて、都心居住は金沢の場合のあり方として、相当多様複合的に議論を重ねる必要があるのではないかと思います。

(大内) 昨日も歩いていて、みんなが楽しむには逆にちょっと広すぎはしないかと思いました。大手門の前の中通 そのものが、空間的に、道路としてという意味ではなく、人が散策をしたりするということからすると、もちろん、現状では殺風景だし、何となく広すぎのような。そこへ並木道にするというのもあるかもしれないし、もう少し周りからにじみ出してくるような何かが必要だなということではないかと思います。

(大竹) 私が今居住しているのは、下堤町です。それ以前は、小立野台の工学部の近所でした。まず4年半住まわっているえんじょ者ですので、外から見て金沢への居住者になり、何かとりつかれたように金沢への愛着と、あるいはもうひとつどうしようもないしがらみを感じていますが、だんだん好きになってきました。
  今、話題が、大手門から尾張町周辺のことで、SOHOやアートのことがありました。ビジネスの現場にいて、そして健康のためにあの地域を毎晩散策しているのですが、この4年半の間に、日進月歩、見違えるように金沢の夜景もきれいになりました。これはきれいにしていただきました。
  中心地の一角で、地域の方たちでお借りしているわけですから、自分たちの自助努力もですが、武蔵の界隈だと、スタジオ通 などは、本当に見違えるほどです。昨年は、クロスピアが新装になったのと、表通 りの歩道ができました。 中心部の一角で、南に対応するように北の方の一角もあげていただきました。
  夜も、自分たちもそうですが、10時まで営業しており、隣にホテルがありますが、ホテルに帰る客が、見違えるほど変わりました。そして、橋本さんからもお話が出ましたが、滞在型というのはオーバーにしても、連泊ができるようになってもっといろいろなことがあるといいですねとおっしゃっています。今年は、「利家とまつ」で百万石博がありました。大手門の中通 も含めて、ライトアップがなされており、夜も観光客の方が散策されてます。浅野川大橋の川上も川下もポケットパークと主計町のあたりは、3〜4年前から考えられないほど美しくなりました。あそこで散策されている観光客の皆さんは、こんないいところがあるんですねと言われます。これが歩行者の視点かなと思います。上流に行けば梅の橋もあります。中通 からもありますが、渡った泉鏡花邸や蓄音機博物館の裏通りに乙剣神社、当社のあたりには市媛神社、もう少し駅の方へ行くと安江八幡、日航さんのお隣にも。先程も尾山神社の照明や尾崎神社もありますし、高峰譲吉邸もありますが、現場にいて、自分の足で歩くと、三日渡れば刮目して見るべしというくらい、市長さんがお見えになるから申し上げるわけではありませんが、そのくらいよくなっていると思います。本当に日進月歩です。ですから方向性さえ間違えなければと思います。
  今の中通周辺は、差別化できて共鳴感じる地域としたら、私の認識が浅いかもしれませんが、伝統工芸、文化ということから、お茶道具に関連する古美術がどう見直されるのかです。日本に5つしかない美術クラブが、せっかくあの周辺にあっても、市民の方たちもご存じない方が多いです。もうひとつは、金沢は書画骨董で、骨董市が地場産業センターであると、駅西からシャトルバスが何往復しても満員なくらいです。都心へお見えになりません。それは東京や大阪、名古屋から見えるマニアや専門家の方は、小松空港と金沢駅からそちらへ行かれます。ところが今の尾張町周辺は、石黒さんをはじめ、専門度が高い古美術商の方もお見えです。北野天満宮のフリーマーケットではありませんが、やはり古美術市がどうなのでしょうか。毎月1回ずつなされています。東京も、東郷神社あたりだと、アンティークと呼ぶにはいささかとは思いますが、第二次大戦前後のおもちゃなども含めて。
  庶民感覚で言うと、来街される方も含めて、アンティークは1つは現代の金沢が持っている伝統工芸のアーティストのグループ。それから一般 庶民の若い方も含めてのアンティークととらえるか古民具ととらえるかインテリアの一部ととらえるか。あるいは元々日本に確固たる基盤があるお茶道具を含めて。そういうことを大きくとらえると、通 りに駐車場を作らせないくらいの気持ちを地域住民が持つことと、恥ずかしいのですが、氏子でありながら、神社の境内の中に商業車のライトバンなどを停めないとか、地域住民の目の前のこととして、そういうことを誓い合って宣誓しなければいけないくらいではないでしょうか。

(松本) 大竹さんが十分お話しになったので、私から話する必要もないかもしれませんが、私の会社は玉 川図書館の近くにあり、ロータリーで卯辰山にある北ロータリーに行くときは歩いていきます。その時は、必ず尾崎神社から大手堀を通 って、橋場で卯辰山にいくわけです。
  今回、同友会が大手門中通の再生という問題提起をされたことに非常に意味があると思います。市民の喚起もそこでできるでしょう。今日はたまたま市長さんがおられますので、玉 川町通り、JTあたりも非常に整備され、しかも歩道も非常に広く、歩きやすくなりました。計画によると、尾崎神社と高峰譲吉の生誕の地が、都市計画道路に入っています。そうすると大手堀から卯辰山に抜けるかたちになりますが、私は金沢らしさを失わないためには、多少不便かもしれないけれど、あのままのかたちで残しておくのが、金沢らしいのではないかと思います。
  中門通を考えるときには、尾張町からあの一帯を全体として考えないと、中門通 だけの問題ではないということは、昨日のプレゼンテーションでよくわかっていますが、今日は市長さんがいらっしゃいますのでそれをお願いしたいと思います。

(米沢) 一応、提案者としては、昨日はサンドバッグ状態でしたが、今日は割と応援演説をいただいて心を強くしています。今までどうしても金沢城の中は通 り抜けられませんでした。殿様がおいでて、軍隊がおいでて、金大がおいでて、今は、通 行できる快感というのがあると思います。
  また、金沢市民の方でも、石川門が正門だったと思っていらっしゃいます。たぶん6〜7割がそうではないかと思います。そういう意味でも大手門は本当の正面 だったという話は大事だと思うし、昨日行ってみて、スタートには門がいるかなと思いました。歩いてみて思ったより長いというのもわかりましたし、車が両方を通 っていますので、中通として存在するには、通りの幅をもう少し狭くしないといけないかなということも感じました。もう1点、これを取り上げさせていただいたのは、通 り沿いに住む方々、土地を持っている方が何人かいらっしゃいます。実は私もその1人ですが、それぞれがこれから何か建てたりという企画を持っていて、バラバラに建てるのはまずいのではないかという話がたまたま出ました。自分のためでもありますが、人のためであって、街のためにもなるのであったら、少しそういうことをご意見をいただいて、自分たちでできることもしようということからこの案を出させていただきました。
  まさしく、どうしても兼六園から広坂、長町へいく流れを、正面だった大手門から、非常に素敵な主計町、東、心の路までつなげていただくと、金沢にいらっしゃった方に、本当の意味での金沢の風情を感じていただけます。これは金沢のまちにとっても大事だと思います。今、いろいろアイデアもいただきましたが、私たちも考えてみたいなと思います。
  もう1点は、昨日、歴史的背景ということで、梅本町、大手町、殿町、中町といった旧名も改めて大事だなと思いました。これも住んでいる者としてしっかりと運動していき、住んでいる者が歴史背景をもう一度勉強し直さなければならないかなと感じました。

(山出市長) 松本さんは尾崎神社のことに触れられて、むしろ今のままの曲がった道路の方がいいという意見で、はじめて聞きました。もともと尾崎神社は東照宮といって、お城のちょうど真上にあったわけですから、むしろ上に移して、北國銀行の横から道路をまっすぐ抜けた方がいいという論者の方がはるかに多いです。そういう中であなたのような意見が出て、むしろマイカーを少し押さえてやろう、邪魔してやろうという1つの発想として、大変興味深く拝聴しました。

(大内) 今、通りの話ですが、もう少しスケールの大きい話で、水野先生が担当していただいた、4つの花道というのは、単なる通 りのコンセプトでなく、金沢の旧市街への舞台への花道というコンセプトだったと思います。少し、話を広げていきたいと思います。昨日、私たちは西の花道の方から見学しましたが、南の花道、北の花道、東の花道と、いわば重要な舞台へ近づいていくための花道的要素をもう一度再確認してみようということだったと思います。具体的なアクションプログラムとして、そう遠くない将来に何をしていったらいいだろうかということに皆さんでアイディアを出してみたいと思いますが、どなたかからご発言いただきたいのですが。

(山口) 私は、どうしてこうなったのかという水野先生のお話が一番心に残りました。それはたぶん、ほったらかしにして、自由に何でもありとしたのがいけないと思います。
  実はそれは私のフィールドである現代アートも同じで、何も規制がないといった場合に、やりようがなくなるということがあります。何か1つの規制、例えば素材を天然のもので何かを作りましょうというように、コンセプトづくりがないと、いくらクリエイティブな人でもそうなってしまうということはあります。色の規制でもいいですし、高さの規制なのか何かはわかりませんが、何かの規制があった方がいいのではないかなと、昨日、あの場ではお話ししました。

(水野一郎) 金沢は、古都でも何でもなくて、戦国時代に生まれた都市ですから平均年齢の都市です。けれど歴史的な都市だと思われているのは、一向宗の痕跡もあるし、江戸も明治も大正も昭和も平成もあるという時代の層があり、各時代の層がかなり頑張ってきて、キチッといいものを作ってきたという歴史があるのです。明治、大正、昭和初期までも、尾張町の周辺でもたくさん残っていますが、1つ1つキチッといいものを作ってきたという歴史があるのです。
  ところが昭和40年以降、マイカー元年が始まった途端から都市が膨張してきて、膨大な建設がなされます。日本が非常に豊かな時代です。豊かな時代に作ったものが、あんなに汚いという・・・。豊かな時代の象徴なのですが、これが時代の相として是認してしまうかどうかというのがあると思います。江戸はこうだった、明治はこうだった、大正はこうだったと作ってきて、昭和40年からの約30年間はこうだったとそのまま是認してしまうのも一つの考え方だろうと思います。
  ただ、これからは、あれ以上にどんどん作ることができなくなった時代です。たぶん成長からいっても止まっていますし。ですから、あそこにできてしまったものを、これからどう修復をし、修正をし、改修していくかという作業が始まると思います。その時の指針がほしいと思います。
  その時に、先程おっしゃった街路樹も1つかもしれません。また水野雅男さんが言った、街灯の光の色を4つの道で変えてみましょうというのもあるかもしれません。そういった提案がたくさん積み重なってきて、何か実験をしてみましょうよということはあると思います。その実験をどこで、どんなかたちでするかというのも、逆に我々の相がこれから作り出していくのです。後世、50年後、100年後に耐えられるかどうか。そういう相を作っていく創造行為だと思います。

(山出市長) 交差点をとりあえずやってみようという思いがあります。西の花道だと新神田、北の花道だと森山交差点、南の交差点ですと広小路。もうひとつは六枚町。これは駅の方ですが、この交差点でやってみようということです。屋外広告物を押さえようということで、野立広告を少なくしようということをやろうとかかるわけです。野立広告はどういうことかというと、個人の土地を広告業者が借りて、そこに2本の大きい柱を立て、その間に大きい看板を入れます。これが野立広告で、これが面 倒なのです。所有者は賃料が欲しいですから、広告業者に頼まれると、はいわかりましたと、すぐにそういうものが立ちます。それが現状です。
 そうすると野立広告業者と土地所有者の間に行政が入っていかなければならないという難しさがあります。この問題を解決しないと、大変難しいです。しかし、こういうことをやらなければならない段階にそろそろ来たという思いは持っています。それをとりあえず交差点でやろうということです。場合によると、交差点にいろいろな看板を集合させます。今は個々の広告主が、別 々に無造作に立てていますが、それを集合して1か所に集めるということです。すると、底地は公共が持たなければならないという議論も出てきます。そういうことも含めて、とりあえず交差点からやろうということを思っています。同時に、そういうことができたら、やはり交差点には木を植えたいです。今日は玉 家さんの神さんの顔が見えませんが、神さんは私にこんなことを言ったことがあります。市長、広告物が難しかったら、木を植えてしまえ。木で広告物を隠してしまえと。私は神さんの考え方は大変興味を持って忘れることができません。難しいけれど、努力しないといけないと思っています。

(大内) ニューヨークでBID(Business Improvement District)というのを指定している、一種の特区みたいなものですが、それぞれのテナントも含めて若干の負担はお願いしていますが、ある種のNPO組織を作っています。例えば、ニューヨークだと25セントを入れると新聞を出すというものが乱雑しているのをみんなでまとめていくとか、市の行政が手の及ばない範囲の路地などの掃除を、NPOがお金を使ってします。かつてはホームレスの人たちなどに独特のTシャツを着せて、掃除をしてもらうということをやっていました。結果 的にその地区の不動産価値が上がりますから、ある程度の負担をしても十分ペイできるという考え方なのです。ですから、行政と市民の本当の活動と、ある種の中間領域のところを仕掛けを作れば動くという1つの例です。
  香林坊の界隈の賑わいですが、先程福光さんからも、ここはある種の仮設的使い方をすることがたくさんできるとありました。我々もそこで仮設的にシンポジウムをやらせていただき、寒さは非常に記憶に残りますから、いい経験だったかと思います。それ以外に市の方でもちょっとしたポケットパークをお作りになっていたり、空きスペースがポコポコできています。そこにある種の都心居住というか、居住スペースも考えていくべきだろうという話もありましたが、もう一度(スライド併用)。 これはかつての香林坊の賑わいの姿ですね。いわば、香林坊の中心地区がエアポケットのようになっているという話があったかと思います。水野雅男さん、ちょっと解説を加えてください。

(水野雅男) このスライドがそうですが、現在は、いくつかの特徴のあるエリアに囲まれたエアポケットのようなかたちで映画街が存在します。昔はここが中心だったのですが、今は相対的な位 置が落ちていると思います。全く存在感のない空間になっているのが現状だと思います。

(大内) そこをどうするかということで、みなさんから何か。具体的に居住、あるいは仮設的・・・。例えば、福光さんから出た仮設的使い方とは、具体的にどういうことをアクションプログラムとして考えますか。

(福光) アイデアはたくさんあると思います。あそこは、今の映画館街だけでなく、すぐ横に昔、吉田宣伝さんだったところ、香林坊広場でしたか、水の出るところがあります。そして木倉町広場もあります。ちょっともう一回映してくれませんか。  これは大内先生から貸していただいたのですが、これはニューヨークでしたか・・・。

(大内) ボストンです。ボストンのクインシーマーケットのワゴンです。ジェームス・ラウスというディベロッパーが全体計画をしたのですが、はじめはワゴンはありませんでした。彼はテナントとしてボストンのまちにあるような小さな小さなお店をたくさんコンプレックス状態にして、ここを再開発しようとしました。ただ、やはり中小業者だと資金力がないために、お店を移せません。どうしたらいいかということで、最後の手段として、パパママショップ、じいちゃんばあちゃんたちがやっているショップ、若手の人たちに出せる仕掛けがないかということで、このワゴンは1週間貸しなのです。
  つまり、全体の組合があるデザインされたワゴンを提供します。ウィークリーレントができます。1週間借りて、ここで商売ができるという仕組みを作ったのです。それが結果 的に賑わいの演出になってしまって、今はこのワゴンは世界中どこへ行ってもあるようです。たどれば、昔もこういうものはありました。屋台ですから。ただ、そういう屋台を、香林坊界隈である種の組合を作って、ある種のワゴンを使うのであれば、ある種の空きスペースを使って何かやってもいいよというかたちで。何となく汚ならしいフリーマーケットから、もう少しグレードアップしたものに変化することができるのではないかという例です。

(福光) こういう仮設的なもの、移動的なものを1週間といった単位で貸し出せる仕組みは大変おもしろいです。朝市から夕市、夜中市までさまざまな利用はあると思います。ともかく仮設的なおもしろさをここで作っていけないものだろうかということです。
  先のスライドをもう一度映してください。この絵ですが、今、映画館街の話をしていますが、ここに香林坊広場、木倉町広場がありますね。実はここに民家が1軒でものすごく大きな地面 を持っておられる方もいます。この方もどうかしてほしいという思いもあるそうです。そのようにやっていくと、ワゴンを並べられるようなところはここにすごくたくさんあります。ですから、全体を仮設的に使って、中心街に人を。この人というのは基本的にはまず市民だと思います。それですごく盛り上がったら、たぶん観光の方もどんどん来られると思います。ただそのことだけでは、県庁の問題も含めて、この界隈の賑わいの再生は非常に厳しいと思いますから、先程申し上げたように都心居住の話は必ずクロスオーバーで考えなければならないと思っています。

(水野雅) 今のボストンのウィークリーレンタルで思い出しました。昨年度、安全安心まちづくりで金沢市から助成をいただいて、移動カフェを作りました。作ったのは、工大生と美大生が、それぞれデザインをし、工大号と美大号を作りました。公園まで引っ張っていってカフェを開くというコンセプトで作ったのですが、残念ながらちょっと重たくて公園まで引っ張っていけなくて、トラックで持っていたというのもありましたが、それは今、市の倉庫に保管してあります。そういうものを香林坊ストリートの広場などに実験的に彼らが営業するというかたちのものをやってみたらどうかなと思います。
  今、香林坊ハーバーの取り組みはすごくいいと思うのですが、貸し館の営業スタッフのようになっている感じがするので、もう少し自主的ないろいろな取り組みを実験的にやれることを寛容に許可して、学生がもっともっと自発的に活動できるようになったらいいのではないかと思いました。

(福光) ハーバーは学生さんが運営されているのですが、昨日は非常に感じがよかったです。きちんと挨拶もされて、ご使用ありがとうございましたといった感じでした。そういう意味ではどんどん学生さんたちに、こういうところでまちに対して関わってもらうというのが。その学生さんもとてもいい経験です。金沢の人か別 のまちの人かはどちらでもよく、また帰られてまちづくりに参加されたら、もっといいわけですから、そういう意味では非常におもしろい場が作れると思います。



(水野一) 先程の屋台も香林坊も私のゼミの学生で、ほめられて非常にうれしいです。建築学会の方でも、学校の授業だけでなく、まちでどれだけ授業をしているかという取材を今度受けることになっています。まちが学習の場であるということをやっている事例というのは、非常に少ないです。金沢都市圏に2万5000人くらいの大学生がいて、その存在感がほとんどないということに対して、今回のプロジェクトは非常におもしろいと思っています。
  また、別になりますが、香林坊に3つくらいの広場がありますが、あの広場が道に対してだけ接していて、周りの建物は関係ないのです。シエナの広場もそうですが、ヨーロッパでは、全部広場に対して施設が開いています。ですから、広場が広場になるのです。それがなっていないというのが残念だと思います。歩いていても、道の脇にあるので、誰も入っていません。冷たい感じがしてしまい、店の明かりが出てきたり、ワゴンが出てきたり、賑わいがないというのが欠点だと思います。
  今度のハーバーもそうですが、映画館であったために、非常にクローズな空間なのです。学生たちには、思い切って壁を破ってしまい、外から何をやっているか見えるようにした方がいい。都市の場合、屋根付の広場というのが必要だと思います。金沢の場合は特に。映画館の座席はそのまま置いておき、屋根だけにして、外から入れたり、ガラス壁にしてしまうと、結構面 白がって人が集まるのではないかと言っています。使い方の部分というのは、いろいろなアイデアをぶち込んでいくと、何万人もの学生も含めてですが都市の広場に集まるということが少し起こってくるのではないかと思います。

(大内) アクションプログラムとして、とりあえず仮設的にあそこで何かをやりながら、広場そのものが求心性を持つものに変えていくということをすればいいわけですね。

(水野一) もうひとつ、イートサロンという煉瓦の建物が向かいにありますね。あの間の道がもう少しホコテンのようになるといいです。あそこを車で通 ってしまうために、イベントができません。先程の屋台も並べていい空間ですが、それができません。そのへんが非常に惜しいと思います。

(松本) 昨日も少し申し上げましたが、これは市長さんがネーミングされたのですが、環状大学になっているわけです。要するに、大学が郊外に点在しており、外回り環状線が完成すると、大学ロードというのができるわけです。問題は大学が都心に入ってくる方策だと思います。これはハード面 で非常に時間がかかりますが、例えば、地元の北鉄さんとも協力して、学生の特待の料金設定ということができないでしょうか。私は医科大の理事もしているのですが、理事長にお聞きすると、大学4年間で、金沢を知らないで卒業する学生もいるのです。おそらく金沢工大の水野先生のところの学生さんも、工大周辺で4年間を過ごす時間が非常に多いということがいえる学生もいるのではないでしょうか。
  金沢に学びに来ているということは、もちろんその大学の専攻の魅力があって入学をしているわけですが、やはり金沢の魅力もあると思うのです。その金沢の魅力を知らずして4年、6年を過ごしてしまう。金沢の歴史文化を体験することなく過ごしてしまうという意味では、学生が金沢から巣立つということにはならないと思います。ということは、リピーターにはならないと思います。これからはどんなビジネスでもそうですが、リピーターというのが大事です。今日は市長さんもいらっしゃって、私が10年ほど前に、都市と大学ということで2年ほどやらせていただいたときに、市長さんが環状大学というわかりやすいいいネーミングをされたものが、今では金沢では普通 名詞になってしまっています。
  それから、水野先生から広場を中心にという話がありました。吉田宣伝のところはコミュニティー広場にされましたが、そこで気になるのは、設計された先生のあれだと思いますが、両サイドが、片方は花屋さんで、片方は相当古いバーです。あれも、コンクリートの壁で仕切ってしまうのではなく、花屋さんにはむしろ広場側に面 してもらって商売をしてもらった方がいいと思います。むしろ少しくらい使ってもいいよという感性、ゆとりが大事なのではないでしょうか。そうするとあの広場が生きてくるのではないかと思います。あの広場に面 して、喫茶店などもビジネスになると思います。日銀さんも近いわけですし。いかがでしょうか。

(佐々木) 先程から学生の問題が出ていて、お手元の提案集の提案4の2番目にも出ていますが、これは私が書いたわけではありませんが、京都の場合、京都駅前にコンソーシアム京都という、京都の50の大学が加盟し、学生が共同利用で単位 を互換できるという協定を結んでいます。そこで、例えば学生向けに京都学やNPOをどう起業するか。社会人向けにも、いろいろな事業をやっています。それがかなり学生にとっての交流の場所になって、さまざまな地域の場に出かけるきっかけづくりになっています。
  私は金沢大学にいた当時に、移転したら、都心回帰をどうするかということがありました。その時、金沢大学だけが利用する施設を都心に作るのではなく、金沢にある大学が共同利用できる施設として、コンソーシアムのようなかたちで単位 互換ができて、金沢のことが学べるような講義が。京都の場合は、大学が回り持ちでやっています。毎年、違うスタッフを揃えています。何か、そういう工夫がほしいです。今日の議題には、県庁の建物をどうするかという話はありませんが、21世紀美術館ができた場合、向かい側にあるあの建物をどういう場にしていくかということ。それから、学生が郊外から都心に出てくるきっかけづくりをするということと合わせて、そういう提案はそのうちに必要になってくると思っています。

(山口) 申し遅れましたが、私は山口裕美といいまして、自称現代美術のチアリーダーを名乗っていますが、半分はNPOの活動を中心に動いています。ちょっと話はずれるかもしれないのですが、たぶん金沢に来る人の半分は女性のはずです。今、非常にアクティブに動いているのは、団塊の世代のおばさまたち。40歳代後半から60歳くらいの方たちが、自分が自由に使えるお金を持っておられます。それこそ丸ビルのレストランのメニューを作るときに、私の友人がアドバイザーをやったのですが、丸ビルのランチのメニューに3段階の値段、例えば3000円、5000円、1万円と作ったとして、主婦向けには3000円のものを用意したにも関わらず、現実には1万円の方から売れていってしまっています。新幹線を使って、地方から3人くらいでランチを食べにだけやってくるということがもう起こっているのです。
  私は東急のラジオの番組を担当しているのですが、アンケート調査をした結果 、料理も和洋中全部習ってしまったし、お茶もお花もそれぞれやってしまったので、最近一番混んでいるのは二胡という中国の楽器を習う講座で、2クラス分もウエイティングがあるのです。二胡を習うというからには、すでにある程度非常に上のレベルになっているということがあると思います。つまりその階層の人たちは、強烈に洗練されている上に、お金を持っているのです。団塊の世代は1200万人くらいいますから、上下の年齢を加えると、総人口の34〜35%になると思うのですが、そういう人たちがいるということも、ぜひまちづくりのときには忘れてはいけないのではないかと思います。

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