■議長代理
 大内 浩(芝浦工業大学教授)

(福光) それでは、お待たせいたしました。皆さん、おはようございます。昨日は現地視察もやっていただき、提案事項に対して、大変熱心にご討議をいただきました。本当にありがとうございました。また、参加者の方には、提案シートにもかなりたくさんのご意見をいただいており、重ねて感謝申し上げます。今日は昨日のご意見を踏まえ、実践に向けての討議というポジションで行わせていただきたいと思います。また、先日、市長選挙で四選を果 たされたばかりの山出金沢市長さんに冒頭からご参加をいただいています。お気楽に討議に参加していただき、またあとで少しまとめて感想もいただければとも思っています。昨日、議長を務めていただいた川勝先生は、今日はどうしても公務のため、早朝にお帰りになられましたので、大内先生に議長代行をしていただきたいと思いますが、拍手でお迎えいただけますか。それではよろしくお願いします。大内先生に討議の方をお願いいたします。

(大内) おはようございます。ピンチヒッターですので、ぜひ皆さんのご協力をいただきたいと思います。今日の会議の趣旨は、スケジュール上はまとめということになっていますが、むしろそういう言葉よりも適切な表現は、皆さんでここで、昨日のさまざまな問題提起や提言を受けて企画会議をこれからやりましょうというものです。私たちのいくつかの提案をベースにしながら、現実にどのように『美しい金沢』を作り上げていくためのアクションプログラムを考えたらいいかという趣旨です。山出金沢市長さんにも企画会議の一メンバーとして加わっていただくというご趣旨で、むしろ公職としての立場は少し離れていただいた方がいいかと思います。そういう趣旨ですので、皆さんにご協力いただければ幸いと思います。私自身も、ここから先は全くシナリオがなく進行させていただきますので、不行き届きがあるかもしれませんが、ぜひご協力いただきたいと思います。映像も含めて、昨日どんな話があったか、ほんの一部ですがおさらいをするしかけもしています。また、皆さんのお手元に、北國新聞社の昨日の夕刊と今朝の朝刊をご用意してあると思います。そこに昨日の議論のかなり重要な要点が書かれていますので、そのへんもご覧いただきながら、企画会議に参加していただきたいと思います。
  まず最初に、非常に重要な提案の第1に尊経閣文庫の誘致という問題がありました。誘致をどのようにするか、また、皆さんのご希望として前田育徳会の方にどのように働きかけていくかというのは、ちょっと別 にしたいと思います。それ以前に、金沢学会としてこういう種類の問題を考えるときの研究態勢やソフトといいますか、こういう問題を考えるときに専門的な分野としてどういう準備を考えるべきかということを、幸い専門家がおられますので、せっかくですからその議論をしてみたいと思います。その後に、順番として金沢の夜景、大手門中通 の再生、4つの花道、香林坊というふうに、一応順序を追った方が話がわかりやすいと思います。たぶん、内容としては、場合によってはこの提案とこの提案を一緒にしたらどうかということもあるでしょうし、昨日の議論とは違った角度から、こういうアクションプログラムをとった方がいいのではないかというご提案も随意に発言いただければ結構かと思います。
  それでは、皮切りに申し訳ないのですが、三宅さんは、特にヨーロッパでその種のユネスコやブリティッシュミュージアムなどいろいろなところで仕事をされていますので、尊経閣文庫のようなものを最終的に金沢に誘致するという場合、事前の準備として、テクニカルでどういう問題があるのか、どうすべきかということをお話しいただけますか。そして、他のご専門の方もたくさんおられますので、アイデアをいただければと思います。

(三宅) 昨日のお話をうかがっていると、大変重要な文書であり、なおかつ膨大な量 があるということですので、これは世界に誇る文書としての遺産だと思います。目的としては、まずは保存を図る。それから内容についての研究、それを人々に還元する、いわゆる公開するという3つの大きな目標が立つと思います。そうすると、ものを持ってきて、それをどう保管するか。つまり保存の仕組みをどう作るかということが1つ。それから、それを行うためのスタッフ、人員。つまりそれをきちんと読める人がいなければいけませんし、古文書ですから、歴史学や古文書学の専門家がいなければいけません。さらに、それを公開を促進していくためのシステムをどう作るかということになってきます。特にこの10年来、電子時代になっていますので、電子アーカイブ等々を用いて公開するということが、例えばヨーロッパのルーブルやブリティッシュミュージアムなどでは非常に盛んに行われています。  当然、日本もそういう仕組みを作りつつありますが、アーカイブやミュージアムの仕組みと公開制の仕組みは、日本ではまだ若干ずれがあるようなところがありますので、そこをきちんと仕組みとして作らなければいけないという気がします。それを受け入れるために施設も必要になってくるわけですが、そのあたりの年次計画といますかプログラムを作っていき、まずどういう人がそこに配置されていくか。また日本の文書は非常に壊れやすいですから、それをきちんと扱うための場所。幸い日本はそういう事例は東京にしろ、京都にしろたくさんありますから、そういうものを参考にしてきちんと仕組みをしかるべき時期に向けて作っていくことになるのではないかと思います。

(大内) たぶんこの問題について、お仕事の関係やご経験のある方もおられると思いますが、他に具体的な教えていただきたいことは何かありませんでしょうか。今、三宅さんは、日本では少しずれがあるとおっしゃいましたが、具体的に例えばどういうことですか。

(三宅) 公開に対する態度といいますか、態度というよりも技術的な問題がいろいろあります。太陽の光に当てると古い文書はだめになりますので、人目に触れるというより、光に触れることを避けることがあります。

(大内) 北京の図書館は、日本の支援で建て直したのですが、そのときになるほどなという話を聞きました。中国の千年以上の古い文書は木箱に入っています。正確には六面 体をしていますが、その木箱の六面体の木の材質が全部違います。わざと違う木にしてあります。それはなぜかというと、木というのはある種の抗菌作用を持っていますので、それぞれの違う木の持っている抗カビ、抗菌の力を6つのものでお互いにけん制しあうというかたちで中の文書を守るというシステムなのです。  それで北京のライブラリーの方が心配されていたのは、新しい近代技術を使うと、湿度一定、温度一定という話ばかりが聞こえてくるけれど、それでいいのかどうかというのがわからないということでした。それはかなり深刻な問題です。つまりハードを作るといっても、我々は近代技術で温度と湿度を一定にすることはできるのですが、果 たして古い文書というのは、それでいいのかどうか。
  つまりある一定の温度、湿度にすると、そこでだけ繁殖するカビが繁殖してしまうのです。他のカビによってけん制することができません。生物のメカニズムやバイオの技術はかなり進んでいますので、そういう分野からも、何か新しい挑戦が金沢で始まるといったことができるとすごくおもしろいというか、重要な問題提起にもなるし、技術開発にも結びついてくるのではないかと思います。

(山口) 今の大内先生のお話しで私も思いだしたことがあります。レオナルドダビンチの手紙などが、ドクターハマーコレクションといってオキシデンタルオイルの会長でロサンゼルスにあります。そこなども劣化することを非常におそれて心配していますので、1日のうちの何時間という限定ですし、光もほとんど入ったときは真っ暗で見えません。ようやく目が慣れてくると読める程度の明かりが、展示してある手紙のところにランプがあり、歩いていくとセンサーで点いていくのです。それくらい、国宝級のものというか二度と作れないものに対して、展示、保存については、ハイテクも使ってやる必要があるだろうと思います。ヨーロッパなどの最先端の考え方として、日本は美術館や博物館を建築する場合、階段を上っていくというか、ありがたいところに入っていくというようなアプローチを作りますが、今やそれは主流ではありません。むしろエンターテイメントのスペースにみんなが吸い込まれていくというような、なだらかな傾斜をかけてスッとそこに入っていくような建築が主流であると思います。1階の部分は、人々がフリーで入れるように、有料のエリアではなく無料のエリアにしておいて、2階部分から入っていくとか、中2階から始まるというような建築の仕方がかなり始まっていると思います。
 特に保存、研究という話が出ましたので、使う側、学芸員の人たちからの意見を採用し、バックオフィスをどういうところに作ったら一番便利であるかということ。作業と保存を近いところに置くということ。つまり展示スペースの裏側に、すぐに保存、修復できるようなところを作るということも、実際の現場からの声を聞かないと上がりにくいものです。ぜひ、最初に人を見つけて、その人の意見を入れて、専門家の人たちと一緒に作っていくというように、ハードでありながらもソフトを中心にして話を進めるのがいいのではないかと思います。

(福光) 大樋年雄先生が、市の工芸都市会議の準備で海外出張中で参加されていませんが、ちょっと思い出したので、見当違いではないと思いますので。彼のところで大樋ミュージアムを作られたときに2人で議論したことですが、私はああいうミュージアムをミュージアムといわずに、収蔵庫というべきだと言ったことがあります。手前の古いお家の方をミュージアムというか美術館として、あるべきところにお茶碗が存在しているのを拝見するというタイプの方がうんといいのではないかということを申し上げたことがありました。もちろん微妙なものもありますからそういうものは別 として、場合によっては、昨日、前田育徳会室にあったようなものだと、例えば書院に文鎮があるとか、そういうのを拝見できるような美術館というのも考えられます。そうすると、できたら二の丸御殿などもあったらものすごくいいという話になり、そのような複合的な考え方もあるかもしれません。

(川島) 同志社大学の川島です。文化政策や文化のマネジメントについて研究しています。保存修復と調査研究に関しては、だいたい皆さんおっしゃったようなことでいいと思いますが、公開部分について、尊経閣文庫が来た場合、それだけが囲まれた空間と言いますか、いわゆる博物館に入りましたという感じにするのではなく、今、福光さんがおっしゃったような、もともとのコンテクストの中に置くというのもとてもいい案だと思います。また、既にある県立美術館や今度できる市立の21世紀美術館までつなげて、お互いに金沢全体の文化をどう作っていくのかというように、何かつなげる工夫ができるともっといいかなと思いました。

(早川) 保存の方は、技術をぜひもっと若い世代に伝えていくということです。例えば金沢美大に保存修復の科があるとか、まだ保存修復に関してのプロは少ないと聞いてますので、たくさんの人を今から育てていかないと。これが1つです。もうひとつは、今福光さんがおっしゃったように、いろいろな道具が江戸のライフスタイルの中で見られるというのはとても楽しいことだろうなとは思いますが、年月がかかりそう・・・。例えば何とか御殿ができるまでというと、自分が生きているうちにできるかしらというのもありますので、例えばITを駆使して、今三宅先生からアーカイブの話も出ましたが、『土佐日記』がアーカイブで見ることができます。プラス、昨日こんなものがあったのかと感心したものがありました。書を書くときに、硯の前にほこりや風をよけるものがあるということをはじめて見て、その頃の方はそうやって風やほこりをよけて墨をすって、心を落ち着かせてきたんだなと。
  そうした場合に、バーチャルリアリティのようなものの中で、例えば自分が翡翠文鎮を置いて、何とかの水滴を使ってというように、コンピュータの画像に置いてライフスタイルを想像するといったことならば、割と早くに実現していくのではないでしょうか。これをしなくてはいけないという絵に何年も待つのではなく、そこまでに幾つもの布石を置いておき、これも楽しみ、これも楽しみと楽しんでいるうちに、尊経閣文庫がいつかは金沢に来るんだという期待感を持って時を過ごせたらどんなにいいだろうと思います。

(大内) ありがとうございます。では三宅さん、この問題について。

(三宅) 今の話を少し補完するかたちでしたいと思います。たまたま私たちの大学が、ブリティッシュミュージアムと一緒にやっていることがあります。ブリティッシュミュージアムの近世のコレクションを画像にして公開するということをやっているのです。これはNHKと某出版印刷メーカーと一緒にやっているのですが、日本の技術は世界で最高です。
  ただ、それをやるときの一番の問題は、元が整理されていないと、なかなかそれを扱うことができません。整理されれば、そこから先は日本の既存の技術でかなり楽にできますが、古文書に書いてある内容は何であるかということをきちんと読んで、それを整理仕分けしてからやっていかなければなりません。これが一番最初に出てくる仕事です。ある程度は整理されているとは思いますが、世界の資料の中で、ヨーロッパは19世紀の半ばまでは整理されていますが、それ以降はほとんど整理されていません。ですから、いずれにしても人間が非常に限られますので、まずその人を確保するというのが、これはマニュアルの作業です。そこからちょっといったところで、もう技術は確保されていますので、大学なり日本の企業、外国でももちろんいいですが、そういう国際的なコンソーシアムを作ってもいいですし、何かそういうことでずっとこれをプロモートしていくといいのではないかなと思います。

(大内) 文庫を誘致するということは、ものを移動することだけであれば、引越やさんに頼めばいい話なのですが、引越やさんの問題ではない、非常に広がりを持った問題だということが、今のことでおわかりいただけたと思います。とりあえず、この問題はここで先に進ませていただきますが、関係することがあれば、また戻りたいと思います。
  第1に、私のテーマでもあったのですが、「金沢の夜景をデザインする」ということで、いくつか私が事例を申し上げました。非常に不十分なもので恐縮だったのですが、その中で皆さんから教えていただいたのは、ここで考えているだけでなく、どこかで社会実験をやろうではないかということでした。 (以下スライド併用)
  皆さんの方から、さらにこういうこともいいじゃないか、どうせやるのならもう少しこんな考え方もいいのではないかということをご提案いただけるとありがたいのですが。どうぞ、どなたからでも、何かアイデア、アクションプログラムについて。今、市の方で、シースルー型にするのに若干助成金を出していらっしゃるのですね。竪町でうかがったのですが。市長さんご存じですか。

(山出市長) そのとおりです。シースルーを奨励したいということ、ウインドショッピングをもっと盛んにしたいという思いがあり、全面 ガラス、もしくはシースルーにしたら補助金を出しますということはしています。ただ、まだ、そんなに普及はしていません。これは我々ももっと積極的に進めていかなければいけないと思っています。やはり商店街も明るくないといけないと思っています。

(米沢) フードピアの開催期間に、近代文学館がライトアップされていますが、最初の頃は実験で仮設で電気をつけて皆さんに見ていただき、それを本設にまで持っていったという例題がいくつかあります。
  そういう意味では、照明に関してはいろいろなところで実験ができると思います。昨日も発言に出ていましたが、県庁がなくなると、あの辺は真っ暗になるじゃないかという話もあり、まさしくあの辺も仮設で実験ができるので、いろいろなことをしてみるのが夜間の照明は大事かなと思います。

(大内) 県庁周辺で、例えばどんな感じということが考えられますか。

(米沢) 尾山神社の前の真ん中に歩道、両サイドに車道を作り、そこで足下灯を使っているのがなかなか素敵だと思います。ああすると車のスピードも落ちますし、歩道空間もキチッと作られます。あれも実験で、いろいろな場所で可能性があると思っています。

(早川) また、南町界隈の話なのですが、今市長さんがウインドウとおっしゃいましたが、証券会社や銀行は、メインストリートに面 してたくさん窓は持っていらっしゃいますね。でも、例えば5時半か6時でお仕事が終わってしまうと、その窓というのは、ほとんどの場合、例えば富士銀行だと(富士銀行の方がいらっしゃったらごめんなさい)「富士銀行」というポスターが全面 に貼られていて、全然おもしろくないのです。ああいう窓を、例えば、常時はたぶん無理だとは思いますが、時々、美大の生徒さんなどにお貸しするとか、いろいろな人がそこに楽しいディスプレイをしてくださって、香林坊と武蔵の間をそれを見ながら歩いていくと、寒い冬も暖かい感じで、しかも楽しいです。しかも親戚 の甥っ子などが出していると、これかと見て歩けたらどんなにいいだろうと思って見ています。もしかしたら荒唐無稽のアイディアでできないかもしれませんが、1つ希望です。

(米谷) 今の早川さんの提案ですが、私も銀行にいて、シャッターが閉まったあと、特に商店街の中にある店舗についてはご迷惑をかけているのではないかと思っています。ただ、銀行も、店舗を開放するという点については、非常に弾力化されています。イン・ストア・ボランチといって量 販店の中に入る場合と、最近は逆にボランチ・イン・ストアということで、銀行の営業店の一部を開放するといったことも今後はどんどんやれるという状況になっていきます。
  銀行はどんどん効率化して営業店も人も減っていますので、例えば私どもの本店でも、営業店スペースの30〜40%あたりを、店舗に開放ということもできるようになっていくと思います。そうすれば外観も変えなければいけません。極端なことを言うと、今は金利も安いですから、外貨預金をしていただいて、そこにドルショップを作る、そうすれば為替リスクもないといったことも考えられるのではないかと思っています。

(大内) アトリオから公園の方への角の道なりのデザインですね。そのへんは、何でもやればいいという話ではないと思います。何でもやると、ただ落書きのようになるだけとなりますから、そういうソフトも考えなければいけないかもしれません。佐々木先生どうぞ。

(佐々木) まちなかのライトアップだけでなく、京都では比較的有名な寺院、例えば清水寺、ねねの高台寺、まつの芳春院もやっています。一番私が印象深く思ったのは、三千院の奥にあるのですが、比較的知られていない大原の宝泉院は、二連の水琴窟があり、寒い今の時期に全部戸を開け放って、夜9時くらいまでやっています。それはとても哲学的空間です。
  昨日の川勝先生の話にもありましたが、奥深さが金沢の1つの魅力だとすると、寺院の協力を得て、異次元空間のようなものをキチッとした空間のデザイナーに任せて一度作ってみると、意外に大きな発見があるのではないかと思います。

(大内) 私は、昨日、白鳥路について大変誤解をしていました。ホタルのときは消しているようで、よかったなと思いました。つまり、どうも電気を点けるとなると、四六時中点けるというのはどういうセンスかなと思います。電気はスイッチ1つで消えるのですから、点けたり消したりの方が電気の持っている意味があります。今の大原の宝泉院は、ある季節だけやっているみたいですね。

(佐々木) 春の季節と晩秋です。紅葉が始まって終わりがけまでの間をやるわけです。そういう意味では、非常にレベルが違うというか、多様な空間を都市が持っていると感じます。金沢はそういう隠れた場所というのは、意外に大事になるのではないかと思います。

(大内) センスとして舞台の演出というセンスが一番わかりやすいのではないかと思います。他に皆さんから何か。水野さん。

(水野雅男) ショーウインドウや建物のライトアップも大事ですが、もうひとつ街路照明も大事な要素だと思います。夜、欧米のまちに降り立つと、まち全体がナトリウムランプで黄色い明かりだったりするまちもあります。金沢もできるかぎり青白い明かりはやめて、もう少し暖かみのある明かりにするとか、ある程度のガイドラインを設けたらどうかという感じはします。これから次のテーマの4つの回廊だけでも、そういう明かりを導入するとか、そういう工夫をされた方がいいのではないかと思います。

(林) 先程、浅野川の梅の橋のライトアップが出ていました。私は犀川大橋をウロウロするタイプなのですが、犀川は、上を見ても下を見ても真っ暗で、陰鬱な感じです。
  先程米沢さんからフードピアの話が出ていましたが、当時、福光さんに言われたか米沢さんに言われたか忘れましたが、私が兵隊のころに川をライトアップしたのです。私は、そこでライトアップする手伝いと、たいまつを100本くらい点けてその火を消すなと無理無体なことを言われて一生懸命やりましたが、その印象があって、犀川の今のセンチュリーの前あたりですが、非常にきれいな思い出があります。せっかく片町に人がたくさん出ますが、犀川大橋から上を見たり下を見たり、橋自体でもいいのですが、何か景色、きれいなものが見えれば、もっと橋が生きるような気がします。

(山口) 色の統一の話が水野さんから出ましたが、私もそれは賛成です。ちょうど前の週末に函館に行っていたのですが、函館は世界三大夜景の1つで、実際にまちなかはそれほどでもないのですが、上から見ると非常にきれいに見えるわけです。せっかくこれから金沢が夜景をデザインするということをやるのであれば、絶好のスポットといいますか、ここから見るときれいだという視点をぜひ教えていただけると、より見やすく、楽しくなるのではないかと思います。

(大内) 金沢の場合は、上から見る明かりというのは、何かありうるのですか。卯辰山に上がってみる。やはり山から見る。函館も函館山があるからああいう夜景が見られますが、あのケーブルカーはものすごくいつも込んでいて大変ですが。なるほど。

(山出市長) 先程、水野さんがナトリウム灯のことをおっしゃいましたが、私も随分あの色について関心を持っています。今、暖かいという表現をされましたが、日本の道路照明でトンネルの中があれだと思っています。もうひとつは飛行場のランプです。でも、本当に金沢であの色でいいかなというのは、随分悩ましく思っています。そうでなかったら冷たい感じを与えるというのもわかるのですが、本当にいい色というのはどんな色かなというのは大変関心を持っています。

(水野雅男) 専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、最近は蛍光灯でも暖色系のものが出てきたりしていますので、少し検討した方がいいと思います。今、山中町で街路を整備しているところがあり、4種類の街灯をつけて、どれがまちにふさわしいかを町民の方に問うている実験もされているので、ぜひ金沢でもそういうかたちで実験をしてみて、市民の方の意識を高めるのが大事だと思います。

次頁へつづく



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