●大内 非常におもしろい意見で、確かに日本のお札は新渡戸稲造もあるので、教育界とも関係しましたし、あとは夏目漱石で、決して天皇であったり首相であったりということではありません。ジャパンテントでは先生と私は何回かご一緒させていただいているのですが、金沢でホームステイをしたり、いろいろな人がボランティアで参加してくれ、40か国から来ている留学生たちは累積人数だけでも相当になりますが、1週間でここで感じていったものというのはすごい蓄積になっています。そのネットワークはもっと生かしたいです。こんな視点も議論してほしいとか、お三方の先生方にこういうことを教えてほしいとか、会場からぜひ問題提起していただければと思います。

●小林 サロンの話もそうですが、こうした場は伝承システムの問題と考えていました。つまり、家がなくなり、古い界隈がなくなります。そうすると金沢らしさ、金沢独自の生活文化なり何なりが、そういうものがなくなることによって消えてしまいます。ではどうすれば金沢独自の、固有のといっていいかどうかわかりませんが、そういうものを守っていけるのかという問題ではないかと思っており、そのことも含めて考えていました。
 確か、尾張町の「老舗文学浪漫の会」の人たちがずっと春の園遊会をやっていますが、あの中であの人たちが盛んに言っているのは、「界隈」の復権ということです。第1回目の老舗の会がやった浅野川園遊会のときは、大橋のたもとで、石蹴りなど子どもの遊びを上の人たちが子どもたちと一緒にやりました。またキュウリ河童といって浅野川にキュウリを流したり、昔の遊びをやってみようと。もちろん外向きのお祭りで観光客を呼びたいというのもあったのでしょう。瀧の白糸の水芸や東の芸子さんたちの踊り、料亭さんの屋台が出たり、そういう意味での仕掛けはありました。むしろかつての界隈という路地で行われていたような身近な遊びをそのときにやってみるという中に、何か空洞化を防ごうとする、あるいは近所付き合いも含めた界隈の楽しさといったつながりを求めようとして、それを祭りの中にも込めているなという印象を受けました。そのへんの動き方というのでしょうか、もう少し金沢にあってもよいかなという気もするのですが。

●大内 空間があれば、その空間を利用して何でもやってみようという。そこから何かが出てくるのではないかと。おっしゃるとおり下手に設計するよりも、結果 的に何のためにあるのかわからないけれど、そこから何かが始まっている。小布施などもそういうことが起きています。

●市村 今の界隈性というのは、小布施もこの20年テーマです。私ども工場の前は庭のような空き地のような感じになって向かいが国際館という美術館です。昼間は非常によそ行きの顔で、こういうものはテーマパーク化してしまうのかと常に恐れている20年です。一部小さい笹が植わっていて、庭園ぽくなっていますから、昼間、大人はその笹の上には踏み込まないで、通 路的な部分だけ回遊しているという場所なのですが、実は今朝出るときに見ていたら、小学生くらいが5〜6人、笹の上は雪がまだ残っていて、そこを歩くと単純に足跡が付くので、通 路でない部分を歩くという動作を繰り返しているのです。やはり界隈性に子どもは貴重だと思うのです。
  これもおかしいと思うのですが、30年くらい前から若いお母さんは、地方の場合ですが、街の中のゴミゴミしたところは教育上悪いから、郊外の住宅地へ移転すると言います。とんでもありません。郊外の住宅地は教育的にはいいかもしれませんが、いわゆる町屋っ子、シティボーイ、はしこい子どもは育たないのです。界隈性の場合、子どもはキーだし、ましてやそれが大きくなった学生というのは、風景から言っても、経済性から言っても消費もそうですが、私などサービス業をやっている立場からすると稼いでもくれるのです。どう考えても学生1人は、大人2人分以上の価値はあります。都市の経済性から言えば、これを金沢に限らず、全国的に郊外に追い出してしまうのもやはり概念が違う、何かが間違っている、建て前で考えているな、本当のところを見ていないなと。やはりこの流れに金沢はストップをかけてほしいと思うのです。前回かその前に金沢に来たときに、金沢の方がおっしゃっていました。金沢大学があった場所というのはお城ですね。あそこは歴史的にそのときにこの地域で一番強いヤツが入るんだよと。浄土真宗が強かったときは、浄土真宗の拠点だったし、それを武家勢力が追い出して前田公が入った。明治維新になったら、役人というよりも金沢師団の師団司令部があって陸軍が入った。そして陸軍のあと第四高等学校になった。今度第四高等学校の後身の金沢大学が出て行ったら、この次の時代一番強いのは誰だろうねというのを聞いたのです。あとはどうなるかは決まっているのでしょうか。公園でもいいのですが、その公園に歩いて来られるくらいの場所に、子どもやなんかがたくさんいる街にしてほしいと思うのです。アベックだけが利用するとか観光客だけが使うという公園ではもったいないではないかと。

●川勝 新しいまちづくりと古い町の革新は一体に考えるべきものだと思います。外から見れば、一応金沢におけるまちづくりとして見えるものです。同時に、国のかたちを変える国土計画でも、多自然地域を居住空間に変えていこうとしています。つまりフロンティアを作り上げていきます。金沢の場合、1つは海です。あるいは山です。山間僻地を森のまちにしていこうと。そのことと都市のリノベーションは一体です。人がニュータウンに行く、多自然地域に行くとなると、過密地域は当然刷新しやすくなります。今まで1区画で売っていたものを2区画売れます。マンションでもドアが2つあるようなかたちで使えるようになります。そうすると1つは勝手口、もう1つは玄関として綺麗にしておけます。片方はインフォーマルなかたちで散らかしていてもかまわない。そうすると当然、立ち居振る舞いも変わってくると思います。今は、マンションなどは典型的ですが、玄関を入ったところは公の人を迎えるところであると同時に、買い物の袋を置く場所にもなっています。そういうところでの人間の行動のあり方と、玄関がきちっとあってここのところは人が来たときのものとすると全然違ってきます。
 これは大内さんの言葉で言うと、生活空間を倍増するということになります。今までは、経済力を上げていこう、所得を倍増する、GDPを何%上げるということでしたが、生活の空間を倍増する。これは都市だけではできません。日本全土で広く考えましょう。それぞれの地域においてできる場所、しなければならない場所、あるいは非効率的に使われているところもあるでしょう。そういうところを新しい緑を作りながら、あるいは水を涵養するようなかたちで人が住めるようにし、都会の利便性を享受できるようなかたちにしながら作って、一方、これまで培ってきた伝統のある地域の良さを革新していく、再生していく。これは一体でなければならないと思います。オールドタウンはいいけれど、ニュータウンはどこにでもあるようなものになっているとなると、これは金沢の識見が疑われるのではないかと思います。
 もう一度、大学のことに戻ります。今、日本に学生が300万人います。日本海側での中心は金沢です。太平洋側だと仙台だの東京もたくさん大学もあり、名古屋、大阪、福岡とありますが、日本海側となるとそう探すのは難しいです。金沢というところは、中心性というものを歴史的にも地理的にも持っていると思います。名古屋にも近い、京都にも近い、これから新幹線が来ればいろいろなところにネットワークができます。しかも全く違う風土を持った地域性で。ここのところを作るときに、サロンと言われましたが、先生がそこに住んでいる、文化人が住んでいる、芸術家が住んでいる、それを支えている人たちが住んでいるので、そこの街に入るとみんながハイカラに見えます。例えば田舎出身の者が初めて東京に行ったら、東京弁つまり標準語でしゃべられると、みんながハイカラに見えます。実際には千差万別 で玉石混淆で石の方が多いのですが、初めて行けばハイカラに見えるのです。私はソウルに6年いたのですが、最初に行ったときは全員が秀才に見えて、気後れしていました。そういう場の力というのがあります。
 ですから、こちらで普通にインフォーマルな生活をしているけれど、金沢に入るとこちらが、いい意味の緊張をする。「ああ、来た」と思わせるような、金沢全体が文化大学というか、金沢まち大学、金沢まち塾、金沢まちサロンというような作りができるところであると思います。そういう精神は、ニュータウンを造るときには当然生かされないといけません。まちの精神というのが入っていないといけません。そうしないとそれがオールドタウンに返ってくると思います。 どなたか言われていましたが、進取の精神というのはここにあります。先程小林先生が言われましたが、まさにそれは伝統技術を日本に冠たるものとして磨いてきたものが、新しいものを取り入れ、それを時代に即応したものに変えていくということだと思います。そういう進取の精神というのが、伝統の継承と同時並行的にあります。
 金沢に今度新幹線が来ます。北陸新幹線は、今長野行き新幹線になっていますが、やはり途中だという感じがします。もちろん富山からこちらに来て、お金のことを度外視していうなら、日本海国土軸ということで、北は青森から日本海の景観を見せ、特に山陰地方の景観は素晴らしいし、日本海新幹線を通 すというくらいの、つまり見るに値するものとしてあるわけです。そのときにやはり金沢です。金沢に通 じている、金沢から出て行けるという中心性があるのではないでしょうか。それだけに、ここのところでのニュータウンの造り方は中途半端にやってもらっては困ります。誰のために困るのかというと、皆様方だけではありません。日本のために困ります。しかし、それは外から容喙するようなことではなく、さすがは金沢の地元の方がやっているというような計画、ビジョンを聞きたいという感じがします。あるぞという顔をしている方もいらっしゃるので聞かせていただきたいです。
 さらに言えば、日本の家庭というのは、京都でもそうですが、必ず坪庭や中庭があります。これは夏暑いですから、一旦冷えた空気が家の中に入るように、循環するように坪庭なり中庭なりを設けているのです。ですから家は必ず庭を持たないといけません。だから家庭というわけです。日本はハウスとガーデンが一体でホームなのです。英語的に言えば、house with gardenですね。ガーデンのある家というのが家庭なのです。言い換えるとガーデン・ハウスと言ってもいいでしょう。ですから緑、自然と建物というのは一体になるものとしてあります。緑はいろいろです。吉田兼好が家の造り様は夏をもってむねとすべしと言いました。冬はいかようにも住まうことができる。夏の暑き日の悪き家は耐え難しと言っているのです。けれど彼は京都や西日本のことについて言っています。私は長野の標高1000メートルのところに住んでいますから、家の造り様は冬をもってむねとすべしと言いたいと思います。雪のあるところでの悪き家というのは耐え難しというくらい風土は多様なわけです。ですから、雪の文化というのを家の造り様、街の造り様の中でどういうふうに反映させるかというのは必ず出てくると思います。それを自覚的に造っていくと、夏をもってむねとすべき家庭、庭付きの家と、あるいは緑がある住まいの造り方と当然違ってくるだろうと思うわけです。 ちょっと考えれば、基本的な原則と応用するべきときの条件が出てくると思います。そうしたものを中央官庁があって、セントラルパークがあって、ということになると、それを聞いただけでステレオタイプと思ってしまいます。ないよりはましですが。ましてや中央官庁はこれから小さくするべきものでしょう。そして住民それ自体が自立して、全部透明にして意志決定は誰も彼もが参加するかたちで、しかし一旦決断すれば果 敢に実行するという意志決定における透明性、住民参加。同時にやったときにはリーダーシップでバッといくと。そういうものが必ずしも見えてきません。ここで、いやこうやっているんだということをぜひお聞かせいただきたいです。

●小林 私が現在やっているのが都市民俗という分野です。これは基本的に共同体の問題ではなく、むしろ感性の問題です。感性というのは、もちろん無意識のうちにあり、身体の中に自分の生活環境の中から受け入れてきたものが血肉化されているわけで、ある意味では変わらない部分であるはずです。日本人が、例えばファッション界でフランスへ行くと、結局は日本の感性を何らかのかたちで打ち出して向こうの人から注目を浴びるといったような部分が非常に多く、どうも特徴を出そうとするときには、最後は自分が生まれ育ってきた環境の中で受け入れてきたものが土台になっていると思います。  そうすると、結局は私が先程言ったように変わらないもの、ベースになっている部分というのはそのへんにあります。今までは歴史、社会というものの中で作られてきた知識であったり、判断であったものでした。そうではなくて、そちらの方にベースと視点を置き換えたときに、たぶんもう少しいろいろな発見があるのかなという感じを受けています。
 もう1つは、感性といった仕掛けは、都市は圧倒的に多いです。金沢で一番典型的なのは、フードピアもそうですし、金沢へ来ると非常においしいものが食べられ、バリエーションも豊富、独特ということです。いずれにせよ、色にしても、音の文化にしても、ある意味で都市がたくさんバリエーションを作ってきたわけですから、逆に金沢は歴史を持って、敏感に反応する風土というのが基本的にあるわけですから、まだ使えるものがあるのではないでしょうか。そういう意味で私も発掘しようとしているのですが、もう少し足元を見るオリジナル性といいますか、それを逆に打ち出したいときに、都市創造の中にそういう切り口を入れながら、何が作れるのかということを考えることがあってもいいという気がします。

●大内 ある種の自分発見というか、自分の感性を再発見するというのは、異なるものに触れてということによって初めて再確認したり発見したりという作業であり、それが先程おっしゃっていたサロンという仕掛けでしょうし、広い意味での異業種交流といった仕掛けですね。

●市村 先程からサロンというお話がありますが、今回のこういうイベントもそうだし、その前で言えばフードピアもそうでしょう。サロンを根付かせようということですが、もっと金沢はすごいなと思うのは、サロンの参加者がやがて居着いて、どんどん長くいてというお話がありましたね。すでに水野先生が招く側になってしまっています(笑)。これは金沢のパワーではないかと思うのです。過去も通 観して、手を変え品を変えやっておいでになるのだろうと思います。そしてまたサロンから生まれるというのは、昔も今も将来もきっと変わらないと思いますから、私は同感ですね。

●大内 最後に一言おありでしたらお話いただきたいです。金沢の中で何か新しいことが始まる。この会議もそうですし、仕掛けとして常に新しい人が入ってくる、新しいカルチャーそのものが入ってくる、それに挑発されてここから何かが出てくる。そういうソフトウェアをこの街にもっともっと作らなければいけないというのが、たぶん皆さんの中で共通 した捉え方ではないかと思います。ただし、そのときにどこかでそれを応援していかなければいけません。この創造会議のメンバーたちは、応援団になれる資格がある人たちだろうと思います。例えば、若い人たちが、現代美術館でもそうですし、何かニュータウンでやってもいいでしょうし、あるいはオールドタウンの中でやってもよい。何かこういうことを空間の中でやりたいというアイデアを。極端な話、現在の新しい文化というのは、特にアートの分野はそうだと思いますが、私はアーティスト、私はそれを受ける側、というような受け手と出し手の関係というのはわからなくなってきています。どっちが受け手でどっちが出し手なのかもわからないというものに現在はなってきているわけですし、これから我々が作っていくさまざまな文化、生活のスタイルというのは、一方的に何かを作る側、生産者側がいて、それを一方的に受容する側がいるというふうには分けられません。常にフィードバックがかかりながら、場合によっては逆転現象が起きます。
 そういう仕掛けが、たぶん21世紀の大きな特徴ではないかと思います。それがここまでやってきた産業社会とはちょっと違います。産業社会の場合には、圧倒的にどちらかというと大量 生産であったり、技術のノウハウであるとかが、ごく一部の人たちにあって、それをみんなが分配されていくというメカニズムでした。明らかにそれとは違うメカニズムが今起きはじめています。たぶんこの街をどう再生させていくかという知恵についても、特に役所の都市計画課が関与するのが一番よくないことではないかと思います。まず、そういう人たちが退いたうえで、いろいろな実験的な試みをどういうふうに皆さんから出していただきながら、それをどう応援していくか。少なくとも実験ですから大半は失敗します。しかし10に1つは成功していくかもしれません。そういうものを周りからサポートしていく仕掛けも我々はちゃんと作らなければいけません。そのへんのところで、私たちはもう少し思い切った何か案が出ないといけないと思います。
 ですから来年からのテーマでも、具体的ないろいろなアクティビティを支えていくためのサポート役をどうしたらよいのか。あるいは、今まで行政がやってきたものの何が間違っていて、何をどこをどうすべきなのかということを、少しずつ具体例を聞きながら検証してみて、その中から金沢が400年の中で、あるいはそれ以前からの金沢の古い街を作り、その後明治の中で七転八倒してきて、今に至る中で試行錯誤してきたものが、何かどこかににじみ出てくるような解決策がなければ、他の都市も注目してくれないと思うし、金沢としての意味もないし、世界も注目してくれないのではないかと思います。
 まちづくりというのはいつもそうなのですが、意外に地元の方がまちの良さというのを一番わかっていません。灯台下暗しということも常にありますので、一方でその良さや、金沢が持っているパワーを周りの人が発見してあげて、それを他の人たちに伝えていく、あるいは金沢の人たち自身に再自覚していただくような仕掛けというのも、たぶん私たちがやらなければならないテーマではないかと思います。何か先生方から一言。

●川勝 金沢のまちづくりは、他の地域とはちょっと違うと思います。京都についてもそうだと思いますが、東京はヨーロッパの文明の変電所ということで、それを意図し実現してそれなりに成功しました。もちろんデメリットも相当ありました。しかしながら、一応欧米の文明の変電所としての姿がそこにあります。しかしここは違います。空襲にあわなかったと言いましたが、奈良は発見されたのは明治以降ですからずっと残っていたとなれば金沢と京都です。ですから、一応欧米の部分を入れきって、それ以前のものがあって、同時に欧米の文明のいろいろな経済力、技術力、芸術といったものを今や自由にどのようにでも操作可能でこの中で生かせるというメリットを持ったまちではないでしょうか。
 この地域の作り方は、新しい日本を作るためのモデルという位置付けができると思います。東京は向こうのものを入れた、京都は中国のものを入れた、では金沢は。そうすると京都のものも江戸、東京のものも自由に入れられるような境遇にあります。 その意味で、ニュータウンの作り方は、当然ロシアから船が来るだろう、韓国あるいはアジアからの対馬海流を通 った人々がここに上陸する。そして新幹線ができ、能登空港や小松空港が連帯して、海、空、陸、鉄道というところから交通 の便がよくなりました。来たときにさすがと思われるまちづくりというのは、東京、京都、どこかにモデルがあるかというと、私はないと思います。 モデルがないところで作るというのは、いわば世界性がある、地球性がある、しかしこの場でしか作れない都市をどう造るか。そうなるとこの空間にいろいろなことができるようになる気がします。バックには山も美しいし、この借景というものを入れた、日本海側の代表的な文化都市。ここに若者が来る、芸術家が来る、そういう人たちが住んでいるとなれば、いるだけでそう簡単にここはああいうことをしてはいけないという昔のものは簡単に言えません。同時に旧来のものが洗練されたかたちで保存されると思います。

●小林 先程1つ言いもらしたのが、感覚のものを含めた伝承システムとしてのサロンということを言ったのですが、これが具体的に何なのかは私もちょっと見えませんが、たぶん解放だと思います。結構いろいろなものが金沢の中にあって、それがほとんど屋内の中に閉じられています。先程のよそから来られた方も、実際それがどこで何をやっているのかほとんど知らないと思います。一部、もちろん公開されているところもあるのかもしれませんが、私はもう少しそのへんが解放されていくシステム、つまり街の中にあるストックをもう少し表に見せていいのではないかということがあります。そういうことも含めたサロン的なものがあってもいいかなと思います。それは街の中のいろいろなところにあると思います。

●市村 今日はハードの話はなかったのですが、金沢は大変素晴らしいだけに、ぜひ1つだけ大事にしていただきたいと思います。原風景とよく言いますが、地形と建築といったものが一緒になったものです。それ以上に大事なのは原地形だと思うのです。東京は非常に地形がいいのに、建築物が無秩序のために、素質を消している街だと思います。そういう意味では金沢は、ニューの方はちょっとわかりませんが、オールドの方は地形を生かしてほしいです。それがあったから浄土真宗の拠点であり、金沢城であったわけです。その後もそもそも街ができたのはこの地形ではないかとお考えいただきたいと思います。何をスクラップ・アンド・ビルドされてもいいのですが、軽々に土木工事をやって、広い面 積を取るようなことをやったらもったいないという感じがします。

●大内 ありがとうございました。私はアメリカのあるニュータウンに行って、「この町のコンセプトは誰が作ったの」と質問したら、精神分析医とアーティストが作ったと。都市計画家と建築家はずっとあとになってから、それを受けて街を作ったと言われていました。これなんかは1つの例え話だと思います。 非常におもしろいメッセージをそれぞれの先生方からいただいたかと思います。今日のところはこのセッションは終わりたいと思います。皆さんご協力ありがとうございました。

金沢ラウンド誕生について
パネリストプロフィール
モデレータープロフィール
開会あいさつ
福光松太郎

プレゼンテーション
 水野一郎
 伊藤光男
 竹村真一
 米沢 寛
 金森千榮子
 市村次夫
 川勝平太
 小林忠雄
 大内 浩
 松岡正剛
 山口裕美  
 米井裕一
 佐々木雅幸
●セッション1
都心で実験してみたいこと
●セッション2
これから議論すべきテーマは何か
●セッション3
創造都市とは何か
 
全体会議のまとめ
委員長総括
実行準備委員会