■全体会議「都心の総括」
チェアマン 佐々木雅幸
パネラー  荒川哲生、川勝平太、竹村真一、田中優子、野村万之丞、松岡正剛、
      金森千榮子、水野一郎、米沢寛
●佐々木 皆さんおはようございます。1日目は大変に盛会でありまして、明け方まで盛り上がっていたという話もあちこちで聞いております。お疲れも見せずに皆さんお集まりいただいて、ありがとうございます。昨日出席できなかった参加者の方もおられると思いますので、簡単に1日目の模様を私の方でおさらいをして、そのあとで分科会ごとの様子をそれぞれのコーディネーター、ないし参加者の方々からお話をいただいたうえで、総括的な討論を始めたいと思います。
昨日は、参加者ゲストの方々、およそ5分ぐらいを目安にそれぞれ都心(みやこごころ)、あるいは都心問題ということで、お感じになっている問題についてプレゼンテーションをいただきました。さまざまな問題が出されたわけです。例えば、現在の都市のありようというのを10年、20年という短い単位 で論ずるのではなくて、ミレニアムということでもあるわけですが、1000年単位 で都市というものを考えてみたときに、我々は未来の世代からの預かりものである都市をどのように引き継いでいくのか。そういう観点で考えた場合に、都市には多様性を持たせるべきで、そういった多様な文化の集合体としての都市というものはどうなのだろう。
  あるいは、都市というのは都市だけで存在するのではなくて、その周りの自然環境の中で都市の文化というものは育まれてきていて、例えばウィーンの森とウィーンの都心との関係があるだろうということも、そういう視野、つまり都心と周辺という関係、都市の問題を都心からだけ眺めるのではなくて、むしろ周辺から見た場合に新しい論点が出てくるのではないだろうかということが議論されました。
  それからまた、都市にある大建築というものが都市の文化的景観を形づくっているのはまちがいのないことだけれども、それはセントラルパーク、パルコとかジャルダーノ(庭園とか公園)という空間があってはじめて建築物も生きてくるわけで、公園あるいは庭園と水というもの、そのような都市のたたずまいを都市の市民がその時代ごとにどのように都市を眺めてきたのか、ということから都心のありようというものが議論されるのではないだろうか。
  それから、都心におけるきわめて創造的な人間活動の一つであります演劇というものを取り上げてみた場合に、この演劇は一方で世界的な大演劇といっていいものもあるわけだけれども、やはりその都市あるいはその都市のコミュニティに根付いた演劇のありようというものがあって、これは例えば歌舞伎でいけば大芝居と地芝居、あるいは大芝居と小芝居の関係にあたるということも言われまして、そうした多様な演劇創造システムというものは都市と切り離すことができない。つまり、都市の市民にとって、演劇に代表されるような生(ライブ)の創造活動というものは空気や日光やごくあたりまえの生活にとって必需品であると、そういうかたちで創造的な場こそ都心にふさわしい。そういう点で見た場合に、金沢というところにそうしたうるおいや創造の場がもっとあってもいいのではないか、もっと多様なエンターテイメントの場があってもいいのではないか、このようなことが全体としてプレゼンテーションの中で皆さんが言われたことであったと思います。
  続きまして、3つのセッションに分かれました。第1のセッションでは「都心(みやこごころ)に遊ぶ」、第2のセッションが「都心(みやこごころ)のメディア」、第3のセッションが「都心(みやこごころ)の空間」ということで、3つの分科会に分かれて議論をしていただきました。順番に少しかいつまんでその様子をお話しいただきたいのですが、セッション3の方から逆にしていきます。水野さん、お願いします。
 
●水野  セッション3では、田中優子さん、川勝平太さんのお二人をゲストに迎え、この会場でやりました。この会場は分科会としては大きすぎて、どうなるかなと思いましたが、お二人のゲストの熱の入ったお話で十分この空間を使いこなしたのではないかと思っております。
  まず、私の方から問題提起としまして、日本の多くの都市の都心が過疎化していっている問題があり、北陸の都市も全部そうですが、その都心が何とかして元気を持つにはどうしたらいいかということをテーマとして出しました。それに対しまして最初、田中先生の方からスライドで江戸の風景をいただきました。屏風、木版の本、広重の浮世絵などです。そこに描かれたシーンは大変に遠景、中景、近景というのでしょうか、あるいはディテールとクローズアップというのでしょうか、そういうさまざまなシーンが出てくるわけです。いずれも大変にいきいきとして美しく、しかも屏風も木版も浮世絵も大変にデザイン的におもしろく、斬新な手法であり、読みとりのテクニック、シンボルの挿入など大変にすぐれたデザインでした。要するに、都市の風景を楽しむと同時に、都市から明らかに文化が生まれているという状況を説明していただいたわけです。
  その後、川勝先生の方から、田中先生のスライドを引き継いでいただきました。江戸には欧米人が幕末から明治維新にかけて来るわけですが、そのときに日本の江戸の風景を大変に絶賛した。それは美意識にあふれていたというだけではなくて、大変に清潔な都市であり、社会的な礼儀、社会的な生活というか秩序ある都市ができていて、あるいは、庭園都市であったとか、そういうことを含めて欧米人は絶賛したわけです。
  一方、日本人は産業革命を成し遂げた欧米の都市へでかけるわけですが、煙のたなびくあの工場群、産業革命を成し遂げたあのパワーに圧倒されて日本人は帰ってきました。欧米人と日本人は互いに反対のものを評価しあって、日本は明治維新に突入しました。それ以降130 年間、日本の都市は、経済的に成功することのために働いてきた。それに対して欧米人の人たちは、江戸の都市の文化や遊び、それこそ都心(みやこごころ)を評価してきたという逆転現象のような話がありまして、今の日本は経済的な成長を達成したので、もう一回、江戸のときと同じように遊び、文化、出来事などを含めて、そういう都心(みやこごころ)の都市をつくるべきではないかということをご提案いただきました。
  それからいろいろと議論に入っていったわけですが、我々自身、市民自身がそのライフスタイルを変えなければいけないだろう。価値観を変えると同時に、ライフスタイルを変える、要するに自分の生活を変えていく。経済のために生きている人生から、もう少し暮らしを楽しむための人生に変えていく必要があるだろう。それから、社会全体が国家のためとか経済のためという構造ができていますから、そういった構造改革をあらゆる面 でしていく必要があるのではないか、そういうところが議論になりました。
  一方で、お芝居にしろ、花見にしろ、江戸時代につくられた楽しみです。おひなさまや鯉のぼりもほとんど江戸時代に定着した文化です。あるいは庭づくり、芸事もそうです。お花、お茶などというのは大体男がやっていたことで、芝居も見物も皆、男がやっていました。今の男性は音楽会にも演劇にもほとんど出かけないけれども、昔は男の場であったということを含めて、ライフスタイルを変えるということを江戸との対比で話し合われました。
  それからもう一つのテーマは、都心に住む(都心居住)についてです。近代の自我というものが日本に入ってきて、プライバシーとか個の自立が言われてきて、だんだん郊外の住宅が閉鎖的な環境をつくってまいりました。それにならって、非常にオープンな生活スタイルをしていた都心の住居もだんだんクローズになってきました。人間関係が希薄になってきて、地域コミュニティがだんだん崩壊していき、そういう日本のよさにほころびが見え始めた、もう見えているという話でした。そういうクローズなものをもう一度オープンにして、人と人とが交流し合うというところに楽しみがあるのではないか、そういうところに生活の価値観を変えなければいけないのではないか、今は個の自立というよりも、むしろ利己主義に近いという話が出てまいりました。田中先生の横浜の上がりがまちの家のこととか、近所の人が気軽に入っていってお話をして、また気軽に出ていくという、昔みられたような日常の交流の場がなくなってしまったということをいろいろお話しいただきました。
  そのようなことから、都心の空間というのは結局、都心(みやこごころ)の空間をつくるということでいくのだろうと思いますが、ライフスタイルなり住宅なり歩ける道づくりなりいろいろ変えようということは、今の都心の姿から考えるとがらっと変わらなければいけないということが出てくるわけです。そうすると、今のイメージでは都心をどう活性化するかということではなくて、全然違う姿として創造した方がいいだろうということですので、そうすぐにできるわけではない。要するに、20年、30年、50年かかるかもしれません。そういうことに対して少しずつでも挑戦していって都心を変えていく、その積み重ねができるかできないか、そのことが大事で、そういうことができる都市とできない都市が出てきて差がはっきりしてくるだろう。日本の人口が増えない中で、そういうことができた都市に人が集まってくるという状況が生まれるだろうということが出ました。
  結局、都心を持った人たちがその都市の都心にどれだけいるか。その都心をどれだけ支えているかということが、都心をいきいきさせる力量 になるのではないかということが結論でした。
 
●佐々木 どうもありがとうございました。またあとで、補足をすることがございましたらゲストの方からもお願いします。2番目のセッションですが、私がコーディネーターを務めました。竹村真一さんと荒川哲生さんのお話を軸にして、主に鼎談のようなかたちで進めていきました。
  ご承知のように荒川さんは「地域演劇」という言葉について日本で最初に紹介された方で、そういう点では理論的な指導者でもあるし、今まさに、かつて文学座で蓄積されたノウハウを生かして金沢から新しい地域演劇をつくりあげるという実験をされております。その理論的、実践的なリーダーであって、なぜ、そういうことをやっておられるかという話から始まりました。
  私がそこでとても大事だと思った点は、1920〜1930年代のアメリカにおいて、いわゆる演劇的後進性といいますか、ニューヨークにほとんどの演劇的な要素が集まって、アメリカ第2の都市であるロサンゼルスでさえも生の演劇を見る機会がないという一極集中現象が起こっていた。その一方で、ニューヨークに集まった演劇人、あるいは演劇制作システム、劇団というものが、過度の商業主義の中で新しいものへチャレンジする精神を失っていったり、本来乗せたいと思っている芝居ができなくなってしまうという現象にぶつかった。
  そこで、演劇を再生するために心ある演劇人が地域コミュニティに目を向けて、地域に出かけていって、その地域社会の中に根付いた演劇を掘り起こしていく。レパートリーも、シェークスピアも取り上げるし、現代の新しい創作劇も取り上げるという多様なレパートリーシステムをつくってきたというお話をご紹介いただいたわけです。これは一種、今、日本で起こっている東京一極集中の文化的な現象に類似したものがあって、地方都市の都心が、先程、水野さんが紹介しましたように金融機関や大企業の支店的業務で埋まってしまって、そこには本当の創造的機能というものが失われている現象に大変近いものがある。そこで、アメリカで起こった新しい演劇運動の波というものを、今、日本の地方都市の中でも起こしていこうということです。これはたまたま金沢市民芸術村という新しい演劇システムの容器ができたので、そこで実験をするということも加わっております。今日も、その関係者の方もおみえになっております。これはこれで新しい芽があるわけです。  そういう問題提起を最初にいただいたわけです。つまり、都心の再生のためには都心に劇的な空間、文字どおり生身の人間が演劇を創造するような劇的空間こそ大事であるという話になってきている。
  一方、竹村さんの方からは、問題はもっと根深いのではないか。なぜ、地方都市、あるいは演劇が地方において衰退するのかということを突き詰めてみた場合、それは近代の文明というものが持っているきわめて重要な要素があって、人間の全能力が開花する方向にメディアが使われないで、むしろこれまでのメディアというのは人間の能力をきわめて一面 的にしてきた。例えば、文字という媒体を通じてしか文学や芸術に親しまないという人たちが増えてきて、きわめて一面 的な感覚的な要素に閉じこめられてきているのではないか。
  本来、マルチメディア社会というのは、メディアがマルチ化することではなくて、人間の能力こそマルチ化するという社会を目指すべきではないかという根底的な話が出ました。そうした日常的な生活で人間の能力をマルチ化するような都市のあり方が、逆に、演劇を再生する力になるのではないか。つまり、にわとりと卵の関係なのです。都市の日常のありようを変えないと、やはり演劇なども再生してこないのではないかという関係と、その際に、現在進んでいるインターネットなどの先端的なメディアはどのように活用しうるものなのか、バーチャルとリアリティの関係について今度は話が展開してまいりました。
  現在、県庁跡地に関してもいろいろなプランがあります。その中の一つに、例えばマルチメディア図書館などもあります。そういうマルチメディア図書館というものは、バーチャルな空間をたどって金沢の歴史というものにたどり着くようなもので、そういうさまざまなニューメディアが図書館あるいは図書館のシステムとして組み込まれてきた場合に、我々は、いわば金沢の歴史性というもののコンテキストの中で現在の時点というものを理解することになるという問題提起がありました。そこで現在、我々の置かれている空間をどのように再構成していくか。一方ではデジタルな空間、あるいはバーチャルな空間というものが世界的に広がりを見せている。しかし片方では、きわめてリアリティのある、あるいは歴史性のあるそうした金沢、あるいはそれぞれの都市本来のオリジナルな伝統がある。この両方をどのように都心に新しい機能として備えていくか、こうしたことが都心のメディアとしては大事ではないかという話に至りました。
  その後フロアからは、では、その際の担い手はどうなのか。あるいは、現在進めています新交通 システムなどはその話の脈略でどういうことになるのかという問題提起がありまして、これはそれぞれとてもおもしろい派生的な問題を生んだわけですが、こちらの方は割愛させていただきます。
  続きましてセッション1で、都心(みやこごころ)に遊ぶというテーマでお話をいただきましたが、コーディネーターをお務めの小林先生が所用で来ておられませんので、松岡さん、野村さん、それぞれコメントがありましたらお願いいたします。まとめずにコメントをいただければ、あとは自由討論に入りますので、その討論の口火のようなかたちでも結構です。
 
●松岡 第1セッションでは野村さんと私がほぼずっと話をして、あまり小林さんは口を差しはさまれなかったのですが、簡単に言うと、都市には光も必要だけれども闇も必要だろうというのが第一点です。つまづいたり、汚かったり、見通 しがきかなかったり、解釈がすぐできなかったりというような場所、あるいはいきさつが必要である。
  二つ目は、そういうことをするにはロールとツールとルールというか、どういう人がそれをやったり、どういうツールがそこに関与したり、それにともなうルールというものが発生するだろう。ルールというのが必ずしも規制のためだけのルールではなくて、手続きとか作法とか芸能とか遊びの仕組みとか、そういうものも含めてルールと呼んでいるのですが、それが必要であろう。
  それから野村さんからご自分の体験を背景にいろいろな例が出たのですが、それをあえて一言で言います、家とか門とか流です。あるいは、式と言ってもいいのですが、そういうムードというものが都市文化には絶対に必要なのに、どうも金沢はそういうものがありながら成長させてこなかったのではないか。そこから、金沢の現状や近世からの歴史と今後の将来的・未来的都市観というものの比較になりました。これも簡単に言えば、加賀百万石という定番のお墨付きの中にあまりにも金沢はどっぷりとつかりすぎて、今申し上げたような光と闇、簡単に言えば重層的多様性で都市をつくるというものを、ねぐってきたり、祭りを一様な百万石祭りにしてしまっていたり、実際にはかなりの流派が同時に動いているにもかかわらず、そこに物語というかドラマというか、そういうものを見いだすシナリオメーキングが欠けていたのではないか。
  そこからフロアの方もずいぶん入って、「まさにそうで、困っている。我々もそういう感じがしているのだけれども何とかならないか」というような議論になりました。野村さんにも加わっていただいた方がいいでしょう。
 
●野村 私は平易なお話をしてきました。きつい、汚い、危険なところにしかおやじは酒を飲みにこないので、あまり街をきれいにすると人は寄ってこないよという、簡単なところから口火を開いたり、あるいはだれかが百万石の息の根を止めてあげないとこのままだと金沢はだめになるとか、そういう話から入ったのです。今、松岡さんがおっしゃったように陰と陽、例えば百万石の前田の文化以前に、一向一揆とか富樫とか加賀介という平安からのすごい文化をここは持っているわけです。しかし、そこには一つも焦点があたらないし、金沢の人は言わない。
  あるいは、皆さんが混ざった発想の中には、自分たちは百万石で金沢にいるときには、恩恵はないのだけれども、外へ出ると非常に百万石というブランドは恩恵があると、ではこの百万石ブランドをどうしたらいいのか。「では、どうするのか」という話に、1時間半ほどした段階にすぐに入れたので、セッションとしてはとてもおもしろかったと思います。
  それで30分くらい伸びて、最後コンビニの話までいきました。松岡さんの、そういうモードをつくらなければならない。僕らで言うと、加賀流、加賀風というか、風というのは前から出ているように風景の「風」でもあるし、「流」というのは風流の流でもあるので、風景とか風流とか、そういう景観もあったり、独自の仕方のようなのものを金沢は打ち出すべきだ、もっと頑固になるところは異常に頑固になった方がいいのではないか、変に迎合しすぎているのではないかという話が出ました。
  私なりになんとなく皆さんのセッションの仲間に入っていて一番おもしろいなと思ったのは、前田の時代より前は非常に小京都的な町なのだけれども、前田の時代になってからは小江戸的なものがあって、京都でもなし東京でもない。そのかわり、両方からいろいろ吸収すべきところは都合よく吸収して、この先はいらないと、そして金沢風とか加賀風というものをつくっていくのではないか、などというところで終わりでした。時間切れということでした。
金沢ラウンド誕生について
ゲストプロフィール
コーディネータプロフィール
開会あいさつ
福光松太郎
プレゼンテーション
 荒川哲生
 川勝平太
 竹村真一
 田中優子
 野村万之丞
 松岡正剛
 大場吉美
 金森千榮子
 小林忠雄
 佐々木雅幸
 水野一郎  
 米沢 寛
全体会議のまとめ
委員長総括
実行準備委員会