佐々木雅幸
MasayukiSasaki
昭和24年名古屋市生まれ。56年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了、大阪経済法科大学経済学部講師を経て、60年金沢大学経済学部助教授、平成4年教授に就任。経済学博士。専門は都市経済論、地域経済論。著書に
「創造都市の経済学」「都市と農村の内発的発展」など。国土審議会北陸地方開発特別委員会専門委員、石川県都市計画審議会委員など公職多数。

●創造都市 ボローニャ
<中小企業主体のフレキシブル生産システム>
 ボローニャ市は人口約45万人で、生産基盤の豊かさ、生活の質、社会サービスとインフラストラクチュアの普及度に関してはイタリアでトップにランクされており、住民1人あたりの企業数と事業所数の集積度では第1位で、その活動性と銀行預金量では第2位であり、多くの重要な国際見本市が開催されている。1994年には年間23件の見本市と1500件の出展件数を数え、60万人の観光客も含めると130万人の訪問者を迎えている。  都市経済は第3次産業の比重が大きく、従業者の51%はサービス業、27%が工業と農業、22%が商業に従事している。これは製造業での技術革新と自動化の進展の結果であるとともに、近年、市の郊外部へ工場が移動しているためでもある。機械エンジニアリング産業がボローニャの伝統的な主要産業セクターであり、近年はエレクトロニクスの発展によって輸出市場向けの精密機械工業が急成長している。中でもパッケージング(包装機械)産業は世界のリーダーとしての地位にあるが、それ以外には木材加工機械、農業機械、食品加工機械などが輸出をのばしている。  こうした先端産業の発展に貢献しているのが、産業界に対して革新的アイディアを提供することのできる大学の存在である。ボローニャ大学と産業界の関係は密接な協力関係を保っている。

<生活の質と充実した社会サービス>  
ボローニャの住民は、伝統的性格的に、「生活の質」に対する強い関心を持っており、この分野でも市は際立った特徴を持っている。ボローニャは文化と自由時間の消費においてイタリアの都市のトップであり、大学卒業者の割合と婦人就業者の割合(30〜44才の年代では10人のうち8人まで家庭外で就業している)もトップである。  保育所や幼稚園も完備し、弱者に対する社会サービスも充実しており、新しい生活のニーズに応えるよう最新技術の利用、つまり、インターネットで住民の要求を行政に反映させる仕組みも進めており、イタリアを代表する日刊紙 Il Sole 24 Ore が、ボローニャを「生活の質 No.1都市」と認めている。  また18世紀に、貧困者保護のために最初の病院が設立されて以来、大学の発展とともに学術・研究を支援し、研究面でも人材面でも大きく社会に貢献している。健康・医療分野は今日、市の主要産業であり、国立の病院ではあっても民間施設のような自律性があり、特に整形外科と心臓外科、緊急医療の分野で優ぐれ、全国から患者が訪れている。

<景観と環境>

建築学的観点から見ると、ローマやフィレンツェのように有名な大建築物はないが、歴史的市街地を形成するポルティコと住宅、そして小路が全体として醸し出す美しさを特徴としており、屋根瓦からファサードに至る独特の赤レンガ色もボローニャのイメージを忘れがたいものにしている。  1960年代の後半に都市景観保存運動が高まった結果、第1に歴史的市街地の保全と再生計画、第2に郊外の緑地の保全計画が進められ、ボローニャは都市環境面でも住みやすい都市として評価されている。過去10年間、大気と水の汚染状況も改善して、最も汚染されていない大都市地域となっている。

<学術と文化の創造都市>  
経済的活力に加えて、ボローニャは「学者の都市」と呼ばれるほど学術・文化が栄えている。1088年に創立された、ヨーロッパ最古のボローニャ大学は学生の協同組合であるウニベルシタスuniversitasから始まり、法学・医学・神学の分野にヨーロッパ全域から優秀な学生が集った。今日では95,000人の学生が学び、芸術・文化面で都市に大きな影響力を及ぼしている。大学は市内の研究センター、博物館・美術館、劇場、図書館、文化施設とネットワークを組み、各種の協会、団体、企業、財団とともに協力して都市の創造力を高めている。すぐれた芸術作品を音楽、コメディ、ビデオ、劇場、物語などの分野で輩出している。

<21世紀へのボローニャの挑戦─ボローニャ2000>  
ボローニャ市は2000年の「ヨーロッパ文化都市」にプラハとアビニヨン等とともにEUから指定を受けてその準備にとりかかっている。  現在、文化都市としてのボローニャの文化ストックは43の美術館、博物館、12の劇場、50の映画館と3億冊の蔵書を抱える200の図書館を擁しており、ボローニャを変革する以下のような提案がなされている。


1. 文化施設の将来計画

(1)市庁舎(宮殿)の改修計画  市の中心にあるマッジョーレ広場をとりまく庁舎を改修して強力な文化の極を創り出す計画であり、90年代の一大プロジェクトとして取り組まれている。地元の著名な現代画家であるモランディ美術館と名画コレクションとともに、株式市場跡を現代文化を担う新しい図書館に生まれ変わらせるものである。
(2)ビジュアルアートセンターの新設計画  人口密集地区にあって荒廃しているタバコ工場跡をビジュアルアートのセンターとする計画。ここには現代美術ギャラリーと映画フィルム修復センター CINETEKA が予定されている。  この他、
(3)ユダヤ文化博物館の新設計画、
(4)国立美術館の修復計画、
(5)現代音楽創造計画、
(6)国立女性図書館の新設計画、
(7)ボローニャ都市圏における文化施設改修計画、
(8)文化情報センターの新設などが挙げられている。

2. 大学の将来計画  

世界最古の歴史を誇るボローニャ大学は過去10年間で36,000人もの学生数が増加して、95,000人の学生を擁するヨーロッパにおけるトップレベルの大学となっており、中心的機能の強化と分散政策が課題となっている。

(1)新キャンパス構想  獣医学研究所の新設、工学部の移転、物理・天文学部の移転計画を統合してボローニャの郊外に新キャンパスを建設し、現在、都心部に集中している大学をボローニャ都市圏内に分散させる。

(2)地域分散計画  同様に、現在大学を持たないラベンナには環境科学と文化財保護、シェスーナには工学、心理学、情報工学、機械工学、政治学、リーミニには統計学、観光経済学、レッジョ・エミリアには経営工学、農学などといったように、エミリア・ロマーニャ州内の各地域へ大学の分散をはかる。

(3)現大学地区の充実  歴史学部や大学図書館を中心に古い建物を修復する。

(4)ボローニャ市議会とボローニャ大学との都市計画協定  大学が「都市の中のもう1つの都市」のように大きな存在となったので市当局との間で、修復計画について協定を結ぶ。


3. モビリティの向上

 
自動車交通の増大によって、歴史的街区がダメージを受けてきたため、ボローニャ市は1984年の住民投票によって73%以上の賛成を得て、市中心への自動車の乗り入れを規制し、歩行者専用区域を拡大してきたが、自動車を減らす一方で都市のモビリティを高めるために以下のような方策をさらに進める。 (1)高速鉄道網、(2)新駅舎建設計画、(3)大都市圏内の鉄道サービスの充実、(4)トロリーバスと市街電車システム、(5)駐車場計画、(6)新歩行者ゾーン、(7)電子交通制御システムの導入、道路ネットワークなどである。

4. コミュニケーションと電子ハイウェイ  

ボローニャの新情報技術は市民の行政へのアクセスを高め、市民の意見が行政に届きやすくするとともに、あらゆる行政部門においてよりよいサービスを行うために行うために以下の計画が進められている。 (1)市民がインターネットを無料で利用する計画、(2)市行政のオンライン化、(3)シティカードの導入による租税、公共料金の支払いと病院などの検診予約のオンライン化、「実験施設の導入、ー交通システムへの電子情報技術の応用などである。

5. 都市格の上昇  

ボローニャの都市美を構成する中世の歴史的都市構造を保存することにより都市格を高めるために、(1)広場と小路の改修事業とその将来計画、(2)「職人の工房」が残るボローニャの街並みを保存して、商業の活性化など現代的に活かす「職人の町」計画、(3)ボローニャの都市景観のシンボルであるポルティコの復興、修復、開発計画などが進められている。

6. 大都市圏計画  

ボローニャ市の人口45万人の都市部と周辺部を合わせたボローニャ県をボローニャ大都市圏として100万人の都市とし、都市のもつ潜在能力を引き出す計画が進行中で、法律142号
(1990年)に従って1998年にも住民投票により「県」を廃止して、大都市圏議会が置かれ、地区評議会がコムーネ(基礎的自治体)に格上げされることになっている。

7. 環境  

イタリア国内で最も環境の良い都市を目指し、(1)全児童による植樹計画、(2)公園と庭園整備、(3)CO2の削減、(4)騒音公害の対策などが取り組まれている。

8. 行政サービスの質の向上  

顧客である市民へのサービスの質を向上させるために、(1)サービスの質の向上、(2)行財政管理の効率化、(3)住民ニーズへの素早い対応、(4)行政機構の再編成と民間とのパートナーシップによる行政の効率的運営がめざされている。

9. 健康・医療  

健康・医療はボローニャの主要「産業」の一つであり,大学との学問・知識や経験との交流で研究開発を進める一方で、在宅老人介護や老人・障害者のためのディ・センターを拡充し、社会サービスと保健サービスの統合をはかる。


●内発創造都市・金沢の挑戦  

ボローニャとともに金沢も人口45万人のヒューマンスケールの都市であり、旧市街地を中心に黒光りする屋根瓦の続く落ちついた家並み、伝統芸能や伝統工芸を育む生活文化の営み、犀川と浅野川の二条の清流と緑濃い周辺の山々とに囲まれた豊かな自然環境に恵まれるとともに、独自の経済基盤を保持しており、都市研究者によって中規模都市の中でトップの評価を受けている。  
高度成長期において日本の多くの地方都市が、東京の支店経済都市となり、企業城下町やコンビナート都市と化して、オリジナルな文化と経済基盤を失ってきたが、その中にあって金沢は文化と経済のバランスのとれた内発的発展を遂げた都市として評価されてきた。

<金沢経済の5つの特徴>
では、内発的都市・金沢の特徴は何かと問われれば次の5点にまとめられる。  
  第1に、地域内に本社や意志決定部門を備えた基幹工場を置き、持続的に発展を遂げた地域内発型の中堅・中小企業群によって支えられた自律性の高い都市経済であり、職人気質に富み、イノベーションを得意とする多数の中堅企業群と零細な事業所群から構成された経済構造を持つ。  
  第2に、明治中期以降、現在まで約100年かけて繊維工業と繊維機械工業が2大基幹工業として(繊維工業が繊維機械工業の需要を生み、繊維機械工業は繊維工業に生産手段を提供するという形で)地域内で相互連関的に発展を遂げ、これを基礎にして戦後には工作機械や食品関連機械、さらには出版・印刷工業、食品工業、アパレル産業等が展開しており、人口45万人の都市にしては多彩な産業連関構造を保持し、同時に伝統産業からハイテク産業までに至る「地域技術」とノウハウの蓄積とその連関性も保持されてきた。  
  第3に、繊維工業に典型的に見られるように、地元産元商社を中心とする独自の産地システムを形成し、繊維産業の製造機能のみならず販売・流通機能、そしてそれをベースにした金融機能が域内で発展をしていくことによって2次産業と3次産業のバランスのとれた都市経済である。  
  第4に、このような都市経済の内発的発展力が、外来型の大規模工業開発やコンビナート等の誘致を結果として抑制し、産業構造や都市構造の急激な転換を回避してきたために、幕藩体制以来の独特の伝統産業とともに伝統的な街並みや周辺の自然環境などが残り、アメニティが豊かに保存された都市美を誇っている。  その伝統産業の集積については、約800事業所で3,200人が雇用され、26種の伝統工芸が保存されており、京都市に次ぐ集積を持っている。  
  第5に、以上のような内発的発展がもたらした独自の都市経済構造が域内で様々な連関性を持った迂回生産によって付加価値を増大させ、地域内で産み出された所得のうち、利潤部分の域外への「漏出」を防ぎ、そのことによって中堅企業の絶えざるイノベーションを可能にして情報産業や各種のサービス業を発展させ、さらに大学(金沢大学、金沢美術工芸大学、金沢工業大学など13大学)や専門学校、さらに多数の博物館や資料館等の学術文化集積をもたらして、独自の質の高い都市文化の集積を誇っている。つまり、経済余剰の都市内循環により「生活文化ストック」が高く保持されているのである。


<金沢がめざす「文化的生産システム」>
高度成長期において地方都市の多くがフォーディズムによる大量生産=大量消費システムの波に押し流されて、巨大企業の工場を誘致する外来型開発の道を選び、その結果、地域の伝統工芸や生活文化の独自性を喪失していった中にあって、極めて個性的な都市文化と自律的な都市経済を金沢にもたらしたものこそ都市金沢の内発的発展そのものであった。  フォーディズムによる大量生産=大量消費システムが危機に立ち、新しい文化的生産が徐々に影響力をもち始めると、金沢の都市型産業にもルネッサンスが到来した。とりわけ、金沢の場合に、伝統産業における職人的生産システムがベースになって「ポスト・フォーディズムの文化的生産」に発展していく点が興味深い。  そこで、フォーディズムを乗り越える生産システムとして期待されるのは、
(1)生産者の創造性を発揮しうる人間的規模の工場や企業において、文化性の高い固有価値が付加された製品を市場の変動に対応してフレキシブルに生産すること、
(2)市場で本物を見極める能力を持ち、消費生活を通じて自らの生活設計能力を高めていくことのできる文化的水準の高い消費者が登場すること、つまり文化的生産と文化的消費が一体となったシステム、すなわち「新しい文化的生産」である。今日、「工房型企業」「知的大衆」「生活の芸術化」というキーワードが普及しつつあるが、いずれも「フォーディズムをこえる文化的生産システム」への関心の高まりと理解することができる。  金沢における文化的生産は、ある意味で江戸時代に始まった職人的生産の復活と再構築といえるものであろう。職人的生産(クラフト・プロダクション)→フォーディズム(マス・プロダクション)→文化的生産(新しいクラフト・プロダクション)という歴史的展開の中に「内発創造都市における文化的生産」は位置づけられると思われる。  このように質の高い文化的集積によって都市経済の発展をはかる新しい産業発展の方式を金沢のめざす「文化的集積を生かした都市の文化的生産」と呼びたい。
金沢がめざす「文化的生産」とは、
(1)生産工程では職人的技能や感性とハイテク機器の結合によって文化的付加価値の高い財やサービスを生産し、
(2)生活財産業からメカトロ産業、ソフトウェア・デザイン産業にまで至る地域内発型企業の緊密で有機的な産業連関構造を構築することによって、
(3)地域外から稼いだ所得が地域内で循環するとともに、これが新たな文化的支出と文化的消費に向かい、
(4)文化的支出は、民間のデザイン研究所、美術館の建設や、オーケストラ等の運営を支援し、都市の文化的集積を高度化することによって、文化的生産の担い手となるハイテク・ハイタッチの人材を養成し、地域に定着させる一方、
(5)文化的消費は文化性・芸術性に富んだ財やサービスを享受する能力をもった生活者によって、地元の消費市場を高質化し、文化的生産への需要を喚起するような、生産と消費のシステムである。

<都市文化の保存から新しい文化の創造へ>  
 内発創造都市である金沢は個性的な産業発展を遂げてきたが、芸術文化においても独自性ある豊かな展開を示してきたと評価してよいだろう。金沢市の文化行政には次のような特徴が見られる。  
第1に特筆されるのは、人口45万人の地方都市でありながら、市立美術工芸大学を設置し、著名な工芸作家を教授に招き、後継者育成に努めていることである。  
第2に、文化財保護の取り組みである。1949年7月、国の「文化財保護法」制定に先立つこと1年、法隆寺炎上6ヶ月後に「文化財保存選奨条例」を制定し、戦災を免れた金沢として文化振興をうたい、文化都市としての歩みを始めたのである。  
第3に、1968年に全国に先駆けて「金沢市伝統環境保存条例」を制定し、伝統的な都市景観の保存に取り組んだことである。これは、高度成長期に金沢固有の伝統的都市環境が破壊される危険性が高まったので、全国に先駆けて、金沢市独自の条例を制定して市民の協力で市街地の環境を守っていこうとする画期的な条例であった。  
第4に、1973年に金沢が生んだ文豪、泉鏡花生誕100年を記念して泉鏡花文学賞並びに泉鏡花記念「金沢市民文学賞」が制定され、地方都市として始めて全国公募による文学賞が開始された。この賞の背景として「鏡花文学をはぐくんだ金沢の風土と伝統を広く人々に認識して」もらい、文化の中央集権化に対抗し、地方からの文化発信能力を高めたいという希望がこめられていたといえよう。

 1980年代後半に入ると、東京への文化的一極集中に危機感を覚えた地方の自治体が一斉に文化芸術振興に走り出した。しかしながら、地方都市の多くが取り組んだものは、巨大で超豪華なオペラハウスやシンフォニー・ホールの建設というハード重点事業であったが、金沢の場合には次のような特徴があった。  
第1に、ハード事業よりソフト事業を優先し、日本初となる室内楽中心のプロのオーケストラとなる「オーケストラアンサンブル金沢」の設立によって、伝統的和風文化のみならず西洋音楽文化の土壌を耕そうと試みていることである。  
第2に、市民参加による研修・養成事業を重視していることにある。金沢市が市制100周年を記念して1989年に設立した卯辰山工芸工房では、一般に希望者を公募し、陶芸、漆芸、染、金工、ガラス工芸の各工房で3年間の研修を行い、後継者養成技術指導をはかるとともに、一般市民向けの研修講座も開設している。  第3に、大規模なハード事業を抑制しつつ、金沢の伝統的都市景観を保存し、洗練していこうという姿勢が強いことである。バブル経済の余波を受けて、金沢においても武家屋敷や史跡が取り壊され、高層マンションやオフィスビルが建設される風潮が強まったため、1989年4月、新たに「都市景観条例」を制定し、建築物の高さ、形態、色彩、広告物など地域に応じた「景観形成基準」を設定し、伝統環境との調和を積極的にはかろうとしている。この動きは、「こまちなみ条例」や「用水保存美化条例」へと展開している。  だが、金沢文化には伝統に縛られ批判精神に欠けるという批判もある。そのような都市文化は、「創造都市」のものではない。文化創造の機能に欠けた都市は、結果的に創造的な産業を育てる風土を失うだろう。金沢の内発的発展のさらなる進展のためには、あらたな文化運動の高揚が待ち望まれる。  この点で、注目される新しい文化運動の芽が金沢に生まれつつある。かつて繊維産地の象徴的な建物であった大和紡績金沢工場の倉庫群が、「金沢市民芸術村」に生まれ変わったのである。この芸術村にはドラマ工房、ミュージック工房、エコライフ工房、アート工房として一般市民が自由に使用できる創造空間が誕生した。(隣接して、金沢職人大学校も開設された。これは金沢が受け継いできた高度な職人技能を守り伝えるために、すでに基本的技能を身につけている30歳から50歳までの職人に無料で研修を行う施設である。)芸術村を管理する金沢市は利用者代表と話し合って、「1日24時間、1年365日」自由に市民の創造活動に公共施設を開放することに決めた。運営するのは、4つの工房毎に選ばれた2人ずつ合計8人のディレクター達で、施設利用の活性化、独自事業の企画立案、そして利用者間の調整などを自主的に行うものとされており、全国的にも注目される施設であり、新たな文化の「創造空間」として高く評価されよう。

<独自の「創造都市」へ>  
1995年4月、山出保金沢市長は「金沢世界都市構想」を提案し、96年、長期計画として策定した。その基本テーマは「400年にわたる非戦災都市・平和都市ゆえに連綿として引き継いだ個性を維持・発展させ、自らの歴史に責任を果たすとともに、地球社会の当面する新しい課題に果敢に取り組み、それによって『世界都市金沢』の自負を強めたい」とし、「地球的な規模で、小さくとも自らを主張しうる、独特の輝きを放つ都市」でありたいと、その「都市像」を打ち出している。今や、ニューヨークや東京にとどまらず多くの都市が「世界都市」「国際都市」を自らの都市像として選択する傾向がますます強まろうとしている。その際、いかなる「世界都市」として自らを主張し、他の都市とのネットワーキングを求めるのかが重要な論点となろう。筆者が提案する都市像とは、平和・友好のグローバル・ネットワークにおいて独自の個性を発揮する「創造都市」である。

 

 

 

 



I 経済同友会TOPI